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雑記記事|ペットとは何か?



鳥:日本では全国いたるところで様々な種類のペットが飼われている。

○ 動物に対する認識差

 犬や猫の人気は昔から変らずのものだが、近年では一部の爬虫類や昆虫までもが「ペット」というジャンルに加えられている。さらにはカラスをペットにしている人もいると聞く。もはや目に付くいかなる生物もペットになりえるといっても過言ではないのだろう。
 どうしてここまでペットというものが繁栄したのだろうか。また、ペットと区別し食料とすることができる生き物とペットの境界線はどこにあるのか。

 例えば、そこそこ親しい友人に「宅ではガラガラヘビを三匹飼っていざますのよ」といわれても「ああ、そうなんだ」と自然に返せる人は多いのではないか。また、そのように言われてもその後の付き合いに大きな支障をきたさない、という場合もごく自然に考えられる。「かわった人だな」と思うだけの場合もあるだろう。しかし、もしもこれが江戸時代だったらどうだろうか?


 対等の立場の二人の会話を仮定してみる。

 まず、一人の侍が「拙者の家では“がらがら蛇”という珍しい蛇を飼っておる」と言う。おそらく聞き手の侍は「ほほう、それはどのような蛇か」と、興味津々に聞くだろう。
 話し手は「ふむ、西国に住む猛毒を持つ蛇だ。もし噛まれれば死は免れまい」と言いのける。おそらく聞き手は高確率で「なに!?」と、驚愕の表情を浮かべるだろう。もっとも、「かわったやつじゃ」とかたづける者もいたはずだ。
 現代にしても「がらがら蛇を飼っている」と言えば変わり者だろう。
 だが、現代社会において毒蛇を買うと聞けば、「毒を抜いて飼っている」と発想できる。少なくとも、がらがら蛇は「宇宙人ほど未知」ではない。

 江戸と現代。上の例でのリアクション比率は、明らかに異なるものになる。
 なぜか? それは、知識や常識の差があるからだ。


○ 扱えるか否か

 近代になって様々な情報が各国で飛び交い、貿易も盛んに行われている。
 生活にゆとりを持つと人は怖さに鈍感になる。さらに重火器の充実や医療の発展なども加わって、人はますます傲慢になる。

 きちんと毒を抜いて人に慣れさせたマムシ、これはペットになる。
 檻の中に入れて長い棒でつついてコントロールできる鰐もペットになる。

 ……要は、コントロールできる生き物がペットになりえるのである。

 現代の社会では「がらがら蛇」がどういうものなのか知っている人が多いし、そういった珍ペット情報に慣れている人も多い。テレビで多くのペット番組も放映している。

 しかし、江戸の人々のほぼ全ては「がらがら蛇」というものを知らない。いや、知りようがなかった。つまり、それは未知の存在だったのだ。

 だから現代の人と江戸の人とでは恐怖感が違う。人は未知のものを警戒し、恐れるものだからである。また、このような違いには科学や兵器の未発達、治安などの悪さも影響していると思われる。


 かつては犬を鎖で繋いで飼育していれば満足していた。やがて、海外から輸入された珍種の犬を飼いたがった。
 次に犬ではなくもっと変った生き物を飼いと思う。
 猛禽類、肉食動物、危険な動物を飼いたがった。
 もっと人と違うものを、もっと刺激のあるものを……人は望み続け、現在に至る。

 これは大抵の先進国が辿った道であろう。今では犬は大切な家族などというが、数十年前まではラーメンの屋台で犬の肉を使っていた所もあると聞く。今そんなことをしたら動物愛護団体が怒鳴り散らすことだろう。
 今は「捕鯨をするのはナ~ンセ~ンス!」などと各国から批判を受けるご時勢だ。中国では犬を食っているがそれも野蛮といわれる。


「日本では犬はかけがえのない家族、中国では今夜のメインディッシュ。
 日本では鯨は珍味、アメリカでは人類の友達。

 ならば牛は……?
 世界中で食されているかと思いきや、エジプトでは神聖な生き物とされ、国道を我が物顔で闊歩している。食べるなんてとんでもない」

……この例を見ればわかるように、家畜とペットの境目は実に曖昧なものなのである。


 ところで。
 はるか昔の原始人たちの時代にはどうだったのか。
 何でも食ったはずである。まぁ、犬くらいならペットにしていたかもしれない。

 寒波がおとずれたらどうしただろうか。犬だろうがなんだろうが関係ない。食える者は全部食ったはずだ。
 人間は本来雑食だ、何でも食べる。今では社会常識や風潮があるから食わない生き物もいるが、極限の状態になれば手当たりしだい食うだろう。言ってみれば目に付く生き物全てが食料となりえるのだ。

 だが、飢餓のない社会では何でもかんでも食う必要はない。つまり裕福だからこそペットを飼う余裕ができているわけだ。
 ペットを飼うにはある程度の裕福さが必要だ。ましてそのブームなどそうとう豊かな国でないと起こりえない。
 つまり、ペットの人気具合は数値上であらわすよりも敏感な社会の裕福さの指標となっていると言える。

 ペットとは家族の一員であるとともに心のよりどころでもある。そして社会全体的なペットの流れは社会的な指標ともなりえるのである。
 どちらの面から考えてみても、ペットは人と深いかかわりがあるものだといえるだろう。

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