第三章 「改善策の提示(最終章)」
犬:まとめとなります。 ------------------------------------------------------------- ○ 研究の総括 考察により提示された「解決策」と検証により判明した「問題点」を踏まえて本研究のまとめを行う。 TCGの発展には、第三章の考察で提示したことを達成することが求められる。 ただし、いずれにも問題点はあり、その実現は極めて難しく、日本社会の風潮そのものを揺るがす必要があることも判明してしまった。 「TCG販売」のみの力では現状を変えることは難しく、それに見合う環境、見た目に訴える「場所」や「商品」の開発が望まれる。 また、「大人が行ってもよいこと」を明確に定義した結果、現時点では「TCGを大人が行うに相応しい競技とする」ことの困難さがさらに明確になってしまった。 「キャラクターTCG」を主力に据える限り、TCGの発展はオタク文化の発展度合いに強く依存する事になってしまう。このまま「オタク文化」にすがって発展するのも一つの手だが、「オタク」ではない人間と「オタク」の交流点になれることを目指すくらいの発想の転換は必要である。 今後、「オタク」と「オタクではない人間」との確執は今よりもくっきりと浮かび上がってくる。それは「オタク」の数が増えているからであり、増える勢力は既存の勢力と対立するのが世の常であるからだ。日本は、実に狭い。 これからは「子供」向けの“遊び”ではなく、「大人」向けの“娯楽”として通用する作品の製作が望まれる。 また、「キャラクター性」や「珍しさ」で社会現象を起こすのではなく、「完成された競技」として社会現象を起こさなければTCGの「社会的」地位は向上しないだろう。 競技系TCGは「競技」だが、誰かが肉体的に傷つくものではない。 TCGは健康的ではないかもしれない。だが、その競技形態はこれからの人間文化に沿うものであると確信している。 いつか、子供たちが「将来はTCGプレイヤーになる」と公言でき、それを誰も笑う事がない社会に。そして、夢を目指す子供がTCGを通じて多くのライバルと出会い、成長し、優秀なプレイヤーとなった彼らが不自由なくTCGに専念できる社会を望んで……本研究をここに終了する。 ------------------------------------------------------------- ○ 終りに…… TCGを含むテーブルゲーム全般は「体をあまり動かさない」ため、どうしてもインドアな印象が付きまとう。 これを払拭するには大規模な宣伝と公正な試合を行う環境、そして多くの競技人口が必要である。将棋やチェスはこれに成功している数少ないボードゲームであると言える。 世界にはもっと、もっと、様々なテーブルゲームが存在している。その種類と歴史について研究する意思もあるのだが、最も愛するTCGの現状を見て、それを助けてあげたいと思ってしまった。 結果的にそれが意味を成したかというと疑問符が付くが、まだ終わりではない。これまでの人生を共に歩んできたTCGを救うため、いずれは製作側に立ってそれを直接的に救いたいものだとも考えている。 つまり、論文内ではオタクを批判しているような立ち位置に見えるが、これを書いた人間もまた紛れのない「オタク」である。 今はまだ、胸を張って「TCGを誤解するな」と言えない。 いつか、声を大にして……「TCGは素晴らしい競技だよ!」と言える日が来るといいな―――などと思っています。 -------------------------------------------------------------項目のTOPに戻る