×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

~アストラガマ入学指南~ 精霊導師コフィンの例

 <コフィン=パナッシュ>という隻眼の精霊使いが存在する。彼は蝶蝶の精霊を短剣に宿しており、人々の選択した路を成功へと導くヒントを与える気まぐれな旅人でもある。  幼少より精霊に触れていた彼も、己の才を自覚したのは二十歳を過ぎてから。それまでを靴屋であり盗人としてもある生き様であったコフィンが、精霊を意図して扱えるようになったのには切っ掛けがある。  それは精霊の学び舎へと“成り行きに”辿り着いたからであり、そこで“眠らない学士”によって自分本来の、自然なままの姿に向き合う事を示されたからである。  この精霊の学び舎は<アストラガマの学院>と呼ばれ、“精霊学”という如何とも学問として認可され難い、体系化された知識・手段を教育している。  都市を横断して大海へと注ぐ河川。  幅の広い河川を遡ると、幾つもの支流がこれに流れ込んでいたことが解る。  山へ、山へと登れば支流の合流地点を次々と経過し、やがて広大だった河川はチロチロとした地下のか弱い水脈となってしまう。  辿り着いたこの染み出るような地下水脈の根源は『不完全な緑環に囲われた神秘の泉』。  そこは大陸にあって北の極地に近く、一年を通して白む山岳が近く見られる秘境――。  アストラガマ学院には四人の精霊学士が存在し、それ以外は全て生徒である。  学院とは言ってもその授業風景は「はい、黒板を見て。はい、ここテストに出ますよ」・・・という形式ではない。  ここは外界の常識から剥離した領域。授業は四人の精霊学士、その生き方自体であり、それは彼らの一挙手一投足を鵜の目鷹の目で観察することをもって「受講」となる。  ――ある精霊学士は早朝になると泉の中央まで歩き、そこで胡座をかいて夕刻まで眠る。  ――ある精霊学士は常に山林を歩き回っており、滅多に学院に姿を見せない。  ――ある精霊学士は泥土を捏ねては虚空に向かって語り、生徒の問いに何一つ答えない。  ――ある精霊学士は生徒の炊事洗濯・食事の用意まで手伝う慈愛に満ちているが、一睡もしない。  アストラガマの学び子達には懸命な姿勢が求められる。それはつまり「意気込む」のではなく、「常に意識を持つ」ことである。姿勢からまず、「自然」ありきで望まねば精霊に協力を仰ぐことはできない。  言うなれば一日中、二十四時間通して授業であり、その上授業場所も知らされず、重要な事柄をいつ確認できるかも解らない。  「才能より境遇」とは学士の一人である<ツヴェルフ>の独白だが、彼の考えは自らの経験則から導いたものらしい。  アストラガマで学ぶ生徒の大半は迷い子や、精霊学に通じている高家の子息が占める。六十歳で入学という記録もあるにはあるが、基本的には二十を越えて非社会的な“精霊”などに触れようとする人は少ないだろう。  生徒はおおよそ七~八人程度。過去最大で三十八人を数えた時期もあったが、その際は大半の生徒が野宿を強いられる事態となった。  もっとも、学士の一人である<ウェンデル>に学ぼうと思えば、野宿ではない場合の方が少ないのだが……。  アストラガマ学院に通う生徒というものは大抵若く、世俗に留まれない何らかの理由をもつ者である。ただし、入学の許可はあくまで「成り行き上ここに来る」人に限られている。社会意志の効いた隠れ蓑としての活用等は受け入れられない。  強引な手段に打って出るもの結構。しかし、その場合は学士の一人である冷徹なる<レーゲン>と敵対することに直結し、つまりは“神秘なる泉”そのものと対立する覚悟が必要となる。  ――とはいえ、学園の管理は厳密ではない。学士達の気まぐれもあり、稀に例外的な人間が紛れることもあると聞く。  ここに語る『コフィン=パナッシュ』は“入学する前から精霊を連れていた”という稀有な経緯を持っている。  汚れを知った年齢である彼が、どのようにしてアストラガマの秘境へとたどり着いたのか。  それは彼の純真なる幼少期に出会った『精霊』が深く関わっている―――。 |WORLD―CAUTH| /ACT‐1  【コフィン=パナッシュ】は二十二という中堅若者とも言える年齢でアストラガマへと入学した。実質的には入学と言うよりは滞在しただけなのだが、物を学べたのならばそれは母校である。  彼の産まれた「ブリーデンヒル」は一年通して肌寒い地方にあり、彼の出産も路端に霜が生じる氷点下を記録するような時期であった。  コフィンは移住民の母が地元民の父との間に授けられ、女医の手に補助される形で今生の光を浴びた。暖炉の火がテラテラと室内に満ち、その時確かに母と父は手を取り合ってコフィンの全てを祝福していた。  両親の愛に包まれて育つコフィンは人生二年目にして父母を呼び、あやふやながらも言葉をもって意思を伝えることができた。  三歳の前には駆け回り、すばしっこい様でイタズラを好む性格を見せる。同年代の子供と比べて、身体能力の向上が常に半歩先んじている、活発な少年であった。  黎明の彼は清純で、大いなる自然への可能性を持っていたらしい。  下心無く何事にも関心を持ち、例えば揺れる暖炉の炎……例えば流れる上水道の水流……例えば見慣れぬ小石……例えば路端に生えた雑草――そして、降り注ぐ陽の輝きすら興味の対象となった。  純真なる少年コフィンの心を殊更射止めたのは“一頭の蝶蝶”。それは特に夕方、眠気眼の太陽が空を朱く染める時刻によく出会えた。  コフィンは何分やんちゃで、前述のように好奇心が旺盛。それでよくよく両親の意識をすり抜けて見知らぬような場所まで出歩いてしまう。  気が付けば夕刻、ああ、帰らなければ……  しかし、右も左も解らない。ここはどこ?  勤めを終え、沈み行く太陽に不安を感じる幼いコフィン。すると、決まって“それ”は姿を現す――。  模様はなく、シンプルな装い。柔らかなガラスのように羽の先が透けて見える“蝶蝶”は、コフィンの周囲をぐるりと回って「付いてきて」とばかりに彼を誘ってきた。  幼いコフィンはいつも疑いなく(そもそもまともに意識することもなく)、単に興味ある対象として自然体に蝶蝶を追いかける。  空を漂う蝶蝶のことを爛々とした瞳で追いかけていると――ふわり、蝶蝶はいつも見えなくなった。  「どこに行った?」コフィンがキョロキョロすると、そこは見慣れた自宅の前。コフィンにとっては釈然としないが、彼の両親にとってはこれ以上に幸福なこともないだろう。  決まって的確に帰ってくる我が子を両親は、「賢い子だが少しやんちゃがすぎる」と苦笑いで迎える。両親にはコフィンが大した帰巣本能でも備えていると思えていたのだろう。  しかし、その誤解も仕方のないこと。何せ両親含むその他の人々に、幻想的な蝶蝶の姿など見えはしないのだから。  ……穏やかな幼少期を過ごしたコフィンだが、八歳を節目にして彼の人生は段々に大きく変動していくになる。  まず、母親がいなくなった。今にしても詳細は不明だが、どうやら地域との軋轢に耐え切れなくなったらしい。父親は職人気質の男であり、尚且つ注文を断れないような人間であった。古い付き合い連中と妻を天秤にかけ、適切なサポートを妻に行えていたかと言えば甚だ疑問が残る。  別に夫婦の離別自体は珍しい話でもない。精々、コフィンの両親は本当に互いを愛しており、そしてどちらも我が子を大切にしていた事実の元に離別したことは多少稀である。  少年コフィンは選択を迫られた。父か、母か――岐路の選択である。まだ幼いコフィンに理論を求めることはできず、感情がものを言う。  コフィンは父も母も愛していた。しかし、口数少なく、あまり笑顔を見せない剛直な父に比べて。いつでも朗らかで柔らかく、暖かい母の微笑みは少年の心に離れ難い理想である。  母が去る日。バッグを持つ彼女の、空いた手を握る小さな手のひら。  父親は玄関から出てはこなかった。妻と子が家を出る際にも、背中を向けてただ椅子に座っていた。  母は美しく、優しく、そして活動的な人。新たな門出にも涙を見せず、気丈にしてコフィンへと笑顔を向けた。 『これから、二人で頑張っていこうね――』  夫を愛していなかった訳ではない。  寂しげではあるが。彼女は何よりも、現状で優先するべき態度をもって、凛としている。  少年コフィンは母の気心によって安堵することができた。  少しずつ遠ざかる今日までの家。母とは違い、少年コフィンは何度も振り返ってしまう。  ……父は滅多に笑わず、怒ることもない。不器用な人だと、未熟な社会常識でも判別できた。  弱い人だとも思っていた。母は「そこが可愛らしい」と言っていたが、二回り小さなコフィンには不安で、脆弱な父を慰める母の姿が印象的である。  最後に見た、背を向けた姿……「お前らなんかもう知らん」というメッセージではない。そんなことは母もコフィンもよく解っていた。  ――蝶蝶が、夕刻でもないこの頃に……ふわり、漂って行く――  「あっ」とコフィンが声を発して目線を追わせると、蝶蝶はふわふわ漂って、今日までの家へと向かっていく。  少年コフィンは反射的に母の手を離れた。 『コフィン……?』  母は戸惑って我が子を見る。コフィンもまた、自分の突発的な行動に驚いていた。  手を離れた母の表情は笑顔ではないが、どこか、まったくの未知ではないような……期待していたと言えばまったく違うが、何か「感謝」のような表情にも思えた。  柔らかなガラスのように半透明な蝶蝶は、光を屈折させた羽ばたきで「ほら、ここだよ」とでも言いた気に今日までの家の前で留まった。  少年コフィンはしばし動くことなく黙っていたが、やがて意を決して母に向き直る。 『母さん、ごめんなさい。僕は――・・・ぼくは、父さんと一緒にいるよ』  陽射しが目に染みる。涙が溢れた。  母は陽を背にしているので表情も見えない。でも、最後に聞いた彼女の優しい声は、コフィンの生涯、断じて薄れることは無いだろう。  遠ざかっていく母。  少年コフィンは動くこともできず、ただ見送った。  あのいつでも朗らかで柔らかく、暖かい母の微笑みが――離れ難い理想が遠ざかる。  そしていつしか見えなくなり、跡形もなく視界から消えた。  路の只中で大いに泣いたコフィンが家に戻ると、涙でぐしゃぐしゃな顔をしている息子を、これも涙と鼻水で酷い顔をしている父親が驚愕して迎えた。  息子を気遣って母の魅力を精一杯伝える父を制するように、少年コフィンは「僕は父さんと一緒にいる!」――と、ハッキリ答えた。  二人の涙顔は環をかけて崩れてしまった。しかし、我が子を抱きしめる父の抱擁は決して見苦しくなどない。  ・・・考え方一つ。  もし、少年コフィンがほんの僅かにも弱者を放っておけない性格ではなかったのなら――蝶蝶はきっと、母の後を追っていたのだろう。  『 あなたが自然であるならば、そこが聖域となるのです―――― 』 /ACT‐2  母との別れから五年が経過。コフィン=パナッシュは身長も十分に伸びた立派な青年へと成長。彼は父親を習って靴屋としての技術を磨いていた。  コフィンはこの五年間で「父を一人にしていたらどうなっていたか」と不安を感じない日はない。  母と別れた父をサポートするコフィンからして、父の世渡り下手はより克明に浮き出っていた。  基本的に頼まれれば「はい」と答え、無理だと思っていても反論小さく、丸め込まれる。案の定納入に間に合わず、報酬を減額されるも平謝り。酷い時には最初から無茶な要求を飲ませておいて、計算通りに不足となった状況を責めて代金を払わない輩までいた。  なるほど、とコフィンは思う。  母はこの状況を補佐して、「それはダメだ」などと父の代わりに反撃していたのだろう。聞く話によれば父は若い頃からこんな有様だったらしく、地域の人からは「便利な男」と思われている節が有り余るほどある。  そこに現れた気丈な女に、地域の人は良く思わなかったのかもしれない。まして、他所からの人である。味方も幼いコフィンに気弱な夫のみ……それと困ったことに、妙な所で頑固な父は「頼りにされている」「迷惑をかけてしまった借りがある」と地域の人に対して悪い感情を持っていないのである。いくらお得意先に昔馴染みが多いとは言え、あんまりだ。  しかしコフィンは地元産の人間。それに生まれ持った母譲りの気性から、黙って言いなりになるような男ではない。  父を支える為に懸命な修練を重ねて一定の技術を得ると、依頼者である地域の人間に対して強気な態度を敢行した。  幼い頃よりやんちゃであったコフィンは、同年前後の代から一目置かれている。  主な仕事相手である友人達の父母・祖父母世代に対して、仲間内――すなわち横の繋がりをもって遠隔的に対抗した。  町の若衆からしても父とは異なって「目のギラつき」を感じるコフィンは侮れず、交流を重ねる内に名を知られることになる。  めきめきと頭角を現す青年コフィンは時に自分を押し殺し、時に信念に反することでも請け負った。  単なる靴屋にとどまらず。コフィンはいつしか“切れ者の若き商人”という立ち位置を町の裏で得ていた。生まれ持った器用さと動作の軽快さ、そして父を支えるという生き甲斐こそがコフィンを力強く育て上げたのである。  父はいくらか無茶をしているらしい息子に忠言を贈り、その度にコフィンは「大丈夫、任せときなって!」と、返した。  ――いつからだろう? 青年コフィンはもう忘れているが……。   彼は何年も、“あの蝶蝶の姿”を見てはいない。   気にもしていない。いや、気にすることができない。  コフィンには、しきりに家の扉の前で旋回する蝶蝶の姿が見えなかった―――。  人生には無数の岐路と選択が待っている。  分岐した未来を選び、流れを取り込んで一つの河川(人生)を形成していく。  それは始め、母の胎内において、聖域の泉から始まる。  どの流れを取り込み、何を得て大きくなるか。  細かな無数の支流を取捨選択する内に、時折巨大な選択を迫られるだろう……。  コフィンにとって一つ目の巨大な岐路は「母か父か」であり、結果としてコフィンは父を選択した。  彼における二つ目の巨大な岐路、それは「父の病」から始まる――。  まだ若かった。しかし、父は不運であった。  その疫病はやがて地方一帯を巻き込み、一国はおろか複数の国を巻き込む度し難い災厄。詳細は知れず、ただただ混乱が混乱を呼んでいく。黒い斑点に襲われた人々は苦しみの内に命を落としていくのである。   まだそれほど話題にはなっていない。単なる流行り病と言われる程度の頃。  父は不運にも初期の発症者となった。対策は知られず、対処の仕様がない。床に伏せて呻く父をコフィンは甲斐甲斐しく看病した。  最初、すぐに治ると考えて父を励ましていたが……三日もすると甘い考えは消え失せた。  寒気と倦怠感を訴える父の呼吸は日に日に弱々しくなり、意識は朦朧としていった。  体中に浮き出る黒い斑紋が恐ろしく、しかし医者を贅沢に呼びつける費用も伝手もない。  町の人は言った「怨霊の仕業では」「化け物の血でも飲んだのでは」――。  顔を隠して耳打ちを交わす町の人を見かけるたび、コフィンは胸ぐらを掴み上げて怒鳴りつけた。  怒鳴ったところで何も事態は好転せず。コフィンはただ、弱り行く父を傍らで見守ることしかできない。町の裏で顔の売れた“盗賊コフィン”とは思えないほど献身的な姿である。  盗賊コフィンが買出しの際、扉を開こうとする。  そこには不思議にも、“蝶蝶”がふわふわと、コフィンを導こうと旋回している。  蝶蝶の導く先は買出しの店ではない。  通りを延々と、かつて母が姿を消した方角に――それは町を出るための路。  コフィンは久しぶりに見えるようになった“それ”を無視した。そんなものに構っている暇はない、ということでもあるが……何より、父を放って町の外へと導かれるなど、コフィンが受け入れるはずもない。 『俺を惑わせるな! 悪魔め!』  コフィンは蝶蝶を振り払い、買出しを済ませて帰宅する。  しかし何処から入ったか。蝶蝶はいつの間にか室内にいて、扉の前で旋回を続けるのである。  コフィンは無視した。彼の本心だ。父を見捨てはしない。きっと父は治る。  コフィンが自分の心に実直となればなるほど、蝶蝶はくっきりと飛び回り、途切れなく昼夜浮遊を継続する――そんなことが六日ほど続いた。  父が床にふしてから九日。コフィンは最後まで諦めなかったが、彼の献身的な姿は天の誰の目にも止まらなかったらしい。  死の瀬戸際……力の入らない手をしっかりと握ってくれている我が子に、父は残された僅かな命を賭して伝える。 『コフィン――我が――息子よ……』 『お、親父―――父さんっ―――!』  掠れている。意識は残っているのか。  父の言葉は彼が心の底から発した――妻と子に対してただ剛直であった男の、人生を飾る言葉である。 『ありがとう――息子よ、妻よ。君たちと出会えた私は、なんて幸福だったか……。  ありがとう、ありがとう――私の―――』  人生の最後。コフィンの父は絶望的な苦痛に耐えつつ、笑顔でこれを迎えた。  珍しく、しかし見事に気丈な表情――夫婦はやはり似るのであろうか。  息子を心配させまいとする父は気丈に涙も流さず、柔らかく、優しく微笑んでいる。熱を失っていくその手が、永劫に失われない温もりを我が子へと残した。  コフィンは、泣いた。  家族と過ごした家の中。顔は涙と鼻水で汚れ、酷く崩れている。  あの日母を見送った時と同じく、コフィンは大いに泣いて、今度は父を見送ったのである―――。 /ACT‐3  ・・・・・茫然自失の日々が続いた。  葬儀は終わったが、町の人は「奇妙な病」を恐れて誰も出席しなかった。  親類は他に無く、母にも伝えるべきかと思ったのだが……まず、見つける手立てがない。  家業を休んで自宅に一人、盗賊コフィンがある。家業とはもちろん靴屋であり、父から受け継いだ技を活かす場である。冠名詞の「盗賊」など、本来はしたくもない、不本意な職なのである。……稼ぎはそちらの方が三倍はあるのだが。  寂れた背中のコフィン。椅子に座って扉に背を向け、まともに食事もしないでただ悲しみに暮れる。 (―― こっちだよ ――)  声が聞こえた気がする。厳密には声というより、心の中に直接文字を書き込まれたような、奇妙な感覚。  コフィンはちらりと扉を見た。  扉の前では相変わらずあの蝶蝶がふわふわと浮いたり沈んだり、忙しないことこの上ない。  コフィンはまた扉から視線を外した。頭の中で「ほっといてくれ」と呟く。  父を支えることが生き甲斐であり、己の支えともなっていた。まだまだ、長く父を支えていくつもりでいた。  それが、こんな、こんなに早く……。  救いは、父が穏やかな笑顔で最後を迎えることができたこと。それと、父が最後に息子である自分と、そして母のことを――・・・ (―― こっちだよ ――) 「……なんだってんだ、まったく」  コフィンは迷惑そうに、やれやれと仕方なく腰を上げた。  こうもしつこくされるとゆっくり落ち込むこともできやしない。その上あの蝶蝶は手で払っても透けてしまうし、「出ていけ!」と言っても応じない。  どうにも対処に困ったコフィンは、渋々ちょっとだけ言う事を聞いてやるつもりになった。幼い頃にも似たように導かれた気もするが……あんまり意識していなかったので定かではない。むしろ記憶では「自分の意志で、あるがままに行動した」ということになっている。  ・・・――家を出ると数日ぶりの日差しが眩しい。  気のせいではないのだろうが、コフィンを見た町の人々がよそよそしく距離を取ったように思えた。  自覚はあるし心当たりもある。八つ当たりに怒鳴りつけたことが自覚だし、父の病が気味悪がられているというのが心当たり。 (―― こっちだよ ――)  蝶蝶はふわふわと、やたら自分勝手に漂って行く。  正直なところ、コフィンはおそらく睡眠不足のせいか、走るのも億劫な状態にある。こうして早足に追いかけるのだって楽ではない。  蝶蝶の導く方角はやはり町を出るための方向で、昔に母を見送った路である。  トロトロと日差しの中を歩く盗賊コフィン。 (ここを母さんは歩いたのだな――)  そんなことを思うと、見失う直前の小さな母の影がぼんやり見えた気がした。  いよいよ町のゲートが近い。これを潜れば町の外、様々に分岐する路へと繋がる。 「もういいだろ」  盗賊コフィンはそう呟いた。  付き合えるのはここまで。父がそうであったように、跡を継いだ自分もこの町を出る気は無い――例え、母と同じに周囲との軋轢を抱えたとしても……それが自分の選んだ路だと、盗賊コフィンは静かに首を振った。  構わず蝶蝶はゲートを越えて、町の外に漂って行く。  それが真横を過ぎたが、衛兵はじっと盗賊コフィンを睨んだ。  盗賊コフィンが向きを変えて路を戻ろうとする――そこに、衛兵が立ち塞がった。 「ご無礼、ご容赦下さいませ」  微笑みと共に銃剣を構える衛兵。 「……なんでしょうか?」  ふてぶてしく立ち塞がられたことは腹立つが、それより不躾に剣の切っ先を向けるとは何事か。盗賊コフィンは体調のこともあり、不機嫌に言い放った。  気がつくと、周りを五、六人の衛兵が囲っている。 「これはなんとも殊勝な心掛けですな。しかし、判決に慈悲を求めるにしては浅はかであります」 「なに、ハンケツ?」  盗賊コフィンはおどけながらも、嫌な予感を得ている。 「コフィン=パナッシュ。無論知っているでしょうが、貴方の首には昨日をもって懸賞金が掛けられております。――おやおや、田舎のコソ泥にしては大した額ですねぇ」  唐突に何を言うかと思えば……コフィンは事態を理解できず、「ああ?」と首を傾げた。  何やら紙切れを突き付けている衛兵。紙切れにはコフィンに良く似た上手な絵が書いてある。 「……まさか、出頭しに来たわけではない、と? ハハハ、知らずに、ノコノコ出向きましたか??」 「――ち、ちょっと待って!」  完全ではないが、コフィンは要点を理解できた。  囲む衛兵が苦笑している。「無知な御尋ね者が自分から捕まりに来た」と、嘲笑っている。  コフィンには罪を問われる自覚がある。何せ近しい者は「盗賊コフィン」と呼んでいるほどであり、実際、人を傷つけはしないものの、物品なら多く奪ってきた。  何故、いきなりこうして賞金首となったのか? ――それは現状、どうでも良い。この状況を打破すること。それがここで求められる自分の行動、思考。  とは言え、こうも囲まれては…… (―― こっちだよ ――)  声が伝わってきた。しつこいくらいに聞いた意志。  静かに、少しだけ振り返り、後方を横目に確認する……。  後方には二人。ゲートを守っていた衛兵が詰めてきたらしい。  その内の片方――それはなんとも奇妙な光景・・・。  柔らかいガラスのような蝶蝶が――ふわふわと、衛兵の腹の中からリズミカルに出たり入ったりしている。正確には衛兵の体内を往復・貫通しているのだろうが、それを知ることなく「馬鹿な御尋ね者だ」とニヤついている衛兵の表情が実にミスマッチ。  ……コフィンは現状、下手に動けば最悪殺されてしまうだろう。これは勇気が必要な場面であり、幸いにもコフィンにはそれがあった。  半転し、猛然とした勢いで踏み出す。コフィンの表情は鬼気迫っている。 「えっ――うわわぁ!?」  情けない声を出したのは衛兵の一人で、ニヤついていた面からは血の気が引き、脆弱なことにも腰が落ちてストンとその場に尻餅を着いた。  腰砕けの軟弱衛兵を飛び越えるコフィン。蝶蝶は先へ、先へと漂って行く。  背後から怒声が聞こえたが、コフィンは構わず走った。  弾丸が掠め飛んでいく。それでも一心不乱に駆ける。  ただただ、蝶蝶を追いかけた。  幼い頃と同じ。コフィンは蝶蝶だけを見ている。  あまりにも突然のことではあったが、これも岐路の選択には違いない―――。 /ACT‐4  コフィンは森の中にいた。気がついたら夢中になり、獣道を駆けていたのである。  町は欠片も見えず、追っ手の姿も無い。どうやら無事に逃げ切ることができたらしい。  走りに走ったからか、虚脱感が酷かった。それはもしかしたら「町には戻れない」という喪失感だったのかもしれない。  ――コフィンは悟っていた。突然の指名手配は、仲間達の裏切りだと、解っていた。  自覚と心当たりを振り返ると、自ずと“気味悪がられてハブられた”と予想が付く。元より平坦な生き様ではないので、コフィンを快く思わない輩にもいくつか当たりがある。  売り渡された、自分の現状を理解しても、コフィンは然程悲しくはなかった。そんなことはどうでも良く思えるほど、とっくに悲しみ疲れていたからである。全身を襲う倦怠感も無気力を増長させた。  蝶蝶は変わらずふわふわと漂っている。まだ案内が足りないとでも言うのか……。  しばらく付いていくと、川に突き当たった。  悠然として流れる広い河川。蝶蝶はこれを上流へと向かって行く。  蝶蝶を追いかけるコフィンだが、疲労のせいか体が重い。それは単に身体的な怠さだけではなく、心身共にドス黒い、陰険な倦怠感を覚えていた。  それでも歩くが、今度は寒気がしてきて朦朧と視点が定まらなくなる。脚元はふらつき、手を地に着いて休む時間が増えた。  息は荒くなり、「うー、うー、」と呻く。  体質的に頑丈でなければとっくに立ってもいられないほど億劫な様。実際、彼の父親は床に伏せたまま半身を起こすことすらままならなかった。  河の水を掬って飲んでいたコフィンは、口を拭った腕に痣を見つける。そして、同時に恐怖した。 「父と同じだ――」  コフィンは一部始終、最後まで看取ったからこそ、理解できた。  混濁していく意識の中、自分は父と同じく、非情な天命によって数日の内に死ぬのだと……。  希望は無かった。目標も見失っていた。  褪せゆく自我を抱えた青年は、幼き頃へと精神を巻き戻していく――。   父は無口で気弱だが、仕事に精を出す姿は勇ましく感じられる。   母は朗らかで優しく・頼もしく。父と自分を支えてくれることに尊敬の意を禁じ得ない。   森の中。葉の隙を射し込んでいる斜陽の日差しは朱く、踏みしめる土の感触が脚に優しい。  ふわふわ、ふらふら。先行する蝶蝶を追う青年の脚元はおぼつかない。  ドウドウと流れていた河川はサラサラとした渓流となり、それも次第に細く、か弱くなっていく……。  コフィンには全てが幻想のように思えた。死に向かう心境としては意外にも穏やかなものである。幻想には苦痛を忘れさせる作用があるらしい。  死にかけのコフィンは疑いなく、自然体のままに空を漂う蝶蝶を追いかけていたのだが――ふわり、蝶蝶は突然に薄れて見えなくなった。  「どこに行った?」とコフィンがキョロキョロすると……そこは見知らぬ『泉』。並ぶ木々が欠けた環となり、広々とした泉を囲っている。浮世離れの清純な光景が彼の瞳に映っていた。  死にかけのコフィンは見覚えのない景色に呆けていたが。遂に体力の限界をむかえ、膝から崩れ落ちた。  頬が土壌に埋もれ、腐れた枯葉の香りを感じる。  口からは血が溢れ、混濁して幻想の中にあるかのような意識はホワイトアウト。視界が真白い光に包まれていく。 (父さん。案外早くあなたのところに行けそうです――。  でも、母さん――僕は、俺はあなたに――せめて――――)  ・・・瞼がゆっくりと閉じていく過程で、死を前にしたコフィンは「チロチロ」と水の流れを感じた。  失禁でもしたかと思ったが、違う。それは地下水……泉より染み出た水が、地下に尊い河川の源を生み出している鼓動である。  ほとんど目は見えず、呼吸も弱まり土を掴む握力も乏しい。それでもコフィンは這いずった。  何者かが呼んでいる気がした――しかしそれは聞き慣れた蝶蝶の誘いではなく、「こちらに迷惑だから助言してやる」という、塩辛い海水に浮く氷河のように凍てついたニュアンス。  呼ばれるまま、土塗れになってでも辿り着いたのは泉の縁であり、息も絶え絶えなコフィンは水面を覗き込んだ。  「泉の水を飲め」とでも言われたかのようで、衝動的な行動ではない。  覗き込んだ水面には顔が映っている。だが、それはコフィンのものではない。  すっぽりと頭部に布を被ったその表情は、目から上が隠れていて判別難しい。それでもコフィンは「誰だコイツ?」と、見知らぬ顔つきを疑念の表情で見ていた。  直後、呆けてぽっかりと空いたコフィンの口に向かって、静かだった水面から勢い良く水が吹き上がる。  咽頭を激しく直撃されたコフィンは、「おごぁ!」と叫んで海老反り、仰向けになって昏倒した。  泉の空には遮蔽物が無く、夕焼け空が紫に変色して、夜の藍色へと向かっている様子がよく見えている。  ・・・―― 一人の“眠らない女”が神秘の泉に出向いてきた。  人前に温かみを見せようとしない男が「何か倒れているぞ」と言ってきたので、いそいそと駆けて来たのである。  慌てて“白壁の学院”を出た女は炊飯の途中であったため、鍋の蓋を意味なく持ったまま泉の縁に来た。  そこにはどうしたことか……哀れにも海老反りに倒れている青年の姿。人任せな男は水面伝いに「汚れは取り除いた」とだけ言っている。  ふわふわと青年の頭上を旋回している蝶蝶。それを見て、眠らない女は「珍しいですね」と呟いた―――――。  ――精霊学の学び舎である「アストラガマ学院」。そこの学士先生の一人である<フラム>は『自然界にある“精霊”を見るには、最低限「群像・世俗・穢から距離を作った清らかなる地に身を置く」必要がある』という固定概念に意を唱える一人である。  フラム女史の論としては、『人が自然であるならば、そこが聖域となり、精霊の寄り代足り得るのです』――ということらしい。  だとすれば、コフィン=パナッシュというお菓子のような名前の男は、フラム自身と同じく、彼女の説を証明する良い例となるだろう。  なんにせよ、僅かな期間ではあるのだが……。  盗賊であり、年齢も二十を過ぎた男がアストラガマ学院に生徒として在籍したことは、大変に稀な事例と言える―――。 END