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開口のキュマイラ

・主な登場人物

$四聖獣$ ― 開口のキュマイラ ―  フードからスッポリと全身を覆った“それ”は、人気の無い路地裏を好んで動いている。本能とでも言うべきか。意思の無いはずのそれは闇雲な行動をさけ、ある程度の節度を守っているかのようだ。  黒いコートを引きずる“それ”の息は荒く、肩を含めて上半身が大きく鼓動する。薄く湿ったカビ臭い壁が無ければ、これは床を這い蹲るはめになるであろう。  忙しなく立ち上る白い息が風を受け、人面を撫でては消えてゆく。  渇く。著しく渇いてゆく。それはもう、限界に近い。  渇きに際限は無く、一体何が渇いているのか、その原因も判然とはしない。時折道端の何らかに躓きつつも、それは一歩、一歩と歩んでゆく。  目的はあるのか?歩み行くそれにだれが問う事も叶わない現状において、答えは存在しない。  雑踏を避け、裏の路地を歩く黒い者。  辿り着いた。自然のままに歩いた末、“それ”はここに辿り着いた。  裏口がある。扉の鍵は役目を果たしておらず、難儀をせずに入る事ができる。  意識は朦朧としている。だが、殺意は一向に濁る気配を見せない。  「黒い怪物」は震える右手で、錆びたドアノブを回した―――。 事件記録: ―――――― 二月十日/当日未明/アマナス五番街・路地  学生:マリアン=リューシュ(16・女) 二月十日/17~18時/アマナス六番街・貸ビル内  無職:トーマス=フィリップ(39・男) 二月十六日/推定14時30分前後/アマナス2番街・キャンディショップ裏  アンナ=コートマン(6・女) 二月二十日/4:30前後/ベレース河・ノベタイル大橋付近  3Dデザイナー:カルティ=フロット(25・男) 二月二十二日/16:12/アマナス五番街・ハインツビル五階  多幸団体NOTS幹部:ベニス=ゴールドン(30・男) ――――――  遺体はすべて原型無く、被害者間に関連性は見られない。無差別猟奇殺人事件としてアマナス保安局は捜査を開始した。  まるで獣が人を食い千切るかのように被害者をズタズタにしていった犯人。保安局はその姿に迫る事もできず、事件は未解決のまま――とされている。 /  二月。極地寄りに位置するこの地方は酷く冷える。はく息は白く、河は凍り、街中のショップには防寒用品が溢れかえる。  連日仕事に追われ急かされていたカルティ=フロットは、妻のフロイアに誘われて早朝のベレース河へと赴いた。自宅から目と鼻の先程の距離にある国を代表する大河も、さすがにこの季節になると氷が張る。  フロット夫妻はその川沿いに椅子を並べ、それぞれ河の氷に拳ほどの穴を開けた。この季節のベレース名物、顎那[あごな]釣りを夫婦で楽しもうという訳だ。もともと釣りが好きな夫に少しでも疲れを癒してもらいたいと思う妻の気遣いだった。  早朝のノベタル橋は午前7時以降とは違い、車も滅多に通らない。付近にも人通りはなく、小鳥の囀りすらない物静かな世界。  甘口のホット・コーヒー片手に釣り糸を垂らす二人。カルティはジッと釣り糸を見つめ、今か今かと顎那が引くのを待ち構えている。夫の夢中な表情を見て、フロイアは嬉しい気持ちで熱々のカップに口をつけた。  釣りを始めてから30分経ち、カップから湯気が上がらなくなる。フロイアは「入れなおしてくるわ」と夫からカップを受け取り、お代わりを入れに自宅に戻った。席を離れたのはものの10~15分程度。  カップを渡す時「おう」と返事をしたカルティの言葉が、夫婦最後の会話である――。  同日AM4時40分。カルティ・フロットは惨殺遺体となって発見された。発見者は妻フロイア=フロット。彼女がコーヒーを入れなおして戻ってきた時、夫は既に絶命していた。  死体の様子を一言で表すと「大型の獣に食い散らかされた」かのような状態。かつて上半身であった部位は千切れ、飛び散っているので、ここから原型を推測する事は不可能に近い。妻であるフロイアがこれを夫だと即座に理解できなかった程、死体はズタズタの状態で発見された。  現場の状況からこれを事故や自殺だと判断する者は当然いない。この一件は即座に「アマナス連続殺人対策捜査本部」へと報告された。  当日の新聞各社は朝刊に載せられなかった分、大急ぎで号外を発布することとなる。 (AR通信号外見出し 「第一の事件から十日  捜査に進展無いまま、新たな犠牲者出る……」) $四聖獣$ +++++++++++++++++++++++++++  ―― 開口のキュマイラ ―― SCENE―A  この国の気候に慣れた者でさえこの日の気温には参った。何せ氷点下2℃である。午前中は水道が凍る・道路が凍結する・乗用車のエンジンがかからない、といった様で仕事に行く足を大いに鈍らせてくれる。大体、こうも寒いと動く事自体を本能が拒否する。  80万を越す市民全てが一度は溜息を吐いたであろうこの日、尋常ならざる数の溜息を吐く男がソファの上で頭を抱えていた。  その男、白衣を着ているのだが「医者」とは言い難い程に清潔感が無い。髪はフケだらけで目ヤニもそのまま。「寝起きだから・・・」と言い訳するのもおこがましい有様である。  男自体も不潔なのだが、部屋自体も汚い。雑誌やら小銭やら、いたる所に雑貨が散乱している酷い様相で、これがフリーマーケットだとしたら誰も寄り付かないであろう。……いや、一部のスキモノならば寄ってくるかもしれない。  散らばっている雑貨の数々を見る限り、この部屋の主は女、それも二十代と思われる。セクシーにも下着やそれらの品が投げ出されているが、こんな部屋に連れ込まれても発情できないこと確実。  白衣の男はフケを撒き散らしながら頭を掻き毟り、机を蹴り上げた。 「あんな女を信頼したのが馬鹿だった!」  男の怒声と蹴飛ばされた机の鈍い音が物の雑踏のような部屋に響く。  それから数秒ほど遅れて。男はつま先を押さえ、拳の効いた悲鳴を上げた――。 /  時間も昼を過ぎ、ようやく気温も落ち着いてきた。しかしそれでも氷点下である。  地元の人はこれくらいなら慣れっこで、白い息を吐き出しながら平然と屋外を行き交っている。が、部外者にとってこの気温はキツイ。「わぁ、息が白いな♪」などと喜んでいる場合ではない。鼻水も凍結しかねないこの気候には、防寒に防寒を重ねて挑む必要がある。  ここにいる「青い髪の青年」も例外では無い。彼の国には四季があり、その内の「冬」が最も寒い時期なのだが、それでも滅多なことではこんな気温に達しない。よってこの青年も他の観光者と同様に、ガタガタ震えながらリングランドの航空機を降りることとなった。  思った以上に暖房が行き渡っていないこの空港に絶望感を覚えながら、青い髪の青年は空港内を出口へと進んでいく。すれ違う添乗員は青年を見て驚いた表情を浮かべ、小馬鹿にしたトークを交わした。  鼻をグスグスさせ、時折くしゃみを織り交ぜながら歩いている青年。笑われるはずである。彼の服装は半そでのTシャツに苔色のカーゴパンツ。氷点下をあたりまえに記録するこの国・この時期において、これほどの軽装を着こなす人間はまずお目にかかれない。空港内の人間は彼を目撃するたびに、雪山でビッグ・フットを見かけたかごとく「WOW!」と驚きの声を上げる。  周囲の奇異な物を見る視線に気づくも、そんなことは青年にとってどうでもよいこと。問題は直面する「寒い」という事実のみ。  青年は己の準備、知識が未満であったことを自覚し、それについて大いに反省する。彼はこの「寒い」という問題も己の一つであると深く確認し、それを享受すべしと自分を諌めた・・・・などと格好をつけていられるのも今のうち。空港のロビーを出て外気を肌に受けたとたん、そんな悠長なことを言っていられなくなった。  彼は大きなくしゃみを一つこいた後、急いで空港前に並んでいるタクシーに乗り込む。中年の運転手は「Oh!」と、バックミラー越しの姿に驚いた。 「若いお客さん。あんた随分と暖かそうだね!」  運転手が物珍しそうに青年をジロジロと見渡す。 「……行き先はアマナス五番街、ホテル・オーラム。それと……ティッシュを一枚、ください」  鼻をすすりながらボソボソと注文する青年。運転手は青年にティッシュを一枚渡し、車を走らせ始めた。  後部右側に座る青年は静々と鼻をかんだ後、寒気に襲われ身震いをおこしている――。 /  国の保安機関はその威厳を賭けた捜査に四苦八苦していた。殺人はすでに四件。だがしかし、犯人の糸口がまったくもって掴めない。  被害者に何の関連性も認められず、関係性から犯人を手繰るのは難しい。また、物的な証拠品、凶器や犯人の頭髪等もほとんど見つかっていない現状。  現場の凄惨な状況から、単なる「バラバラ殺人」という訳でもないことが解る。  通常、人をバラすために使われる用具はノコギリ等が妥当である。だが、犯人はどうやらそれらを用いていないらしいのだ。切断面から察するに、弾き飛ばした、または一方向の力で引きちぎった(ほとんど捻られた痕跡は無い)と考えられるからだ。  しいて予想するなら大型拳銃等の銃火器を乱射して全身を吹き飛ばした……といったものだが、弾丸も硝煙の痕跡も無いためそれはありえない。  こうなると「大型の猛獣が爪や牙を用いて引きちぎった」といった異様な噂もまんざら足蹴にできなくなる。だが、それを信頼したとしても犯人は「規格外の大型猛獣」である。当然ながら、どこの動物園からも猛獣が逃走したなどという話は報告されていない。  「ペットとして飼われていた鰐が川に放され、それが成長して人を襲うようになった」などという馬鹿げた説もでたが、それは第四の殺人が川沿いで行われたことからの戯言に過ぎない。  行き詰まった捜査の渦中。煌びやかな輝きを反射する車両が一台、保安機関施設から出てきた。後部座席に座っているのは現場指揮官のマシェット保安部長。  その車影が見えたとたん、施設正面に集まるマスコミ連中が慌ただしく動き出す。フラッシュが当たるたびに色ガラスが透け、後部に座るマシェットが照らされた。 『指揮官、捜査に進展は!!?』 『マシェットさん!一言、一言ください!』  先を塞ぎ、のしかかるように報道陣が車を取り囲む。重厚な車両はクラクションを鳴らして抵抗するが、一向にマスコミ衆は怯まない。 『事件発覚から九日経つのに全然進展が無いのはどういうわけですか、説明してくださいよ!』 『マシェットさん、一言、一言お願いしますってば!!』 『車止めて、窓開けてっ!ちょっとは弁明したらどうだ!!??』  畳み掛けられる言葉のラッシュ。車はなかなか前進する事ができない。  見かねた他の保安官らが施設から飛び出し、報道陣を払いのける。だが、それでも騒ぎは一向に収まる気配も無く、より激しさを増して車両、引いてはマシェットに浴びせられていく。  彼は息を深く吐き出した後、傍らにある預かり物を横目に確認した。細長い布に包まれたそれはこれから手渡すはずの代物。  再び目を瞑る。先程より罵声の割合が高い言葉の数々に対し「チッ」と軽く舌打ちをした――。 /  人通りもそれなりに賑わう駅前。昼時のオープンカフェではキャリアウーマンを多く見かけられる。  一席に座る女性。赤の背広とスラックスは彼女の線の細さを強調している。鮮やかな配色が人の目をよく引いており、その艶やかさは彼女の容姿だからこそ一層際立つ。緑がかった青色の瞳、発作的に触れたくなる滑らかな白い肌。抑え気味に塗られた口紅は自負の表れだろう。  女は湯気の立ち昇るカップに口をつけた。一口飲んで置かれる陶器の淵には紅の跡。カプチーノの香りが鼻先をスッ…と抜けていく。 「ルゥシアさん?」  肩越しに声がかけられた。彼女が顔を上げるとそこに「男性」が立っている。装いはツバの広いカウボーイハットが特徴的で、それは事前に聞いた目印と一致したものである。 「ええ、そうです」  緩やかな笑みを浮かべて『ルゥシア』は答えた。  男は被っていた特徴的な帽子を取り、ルゥシアの目の前に腰掛ける。テーブルを挟んで座る二人が恋人であるならば、「相応である」と誰もが頷くことであろう。されど、現実はドライ。  男はコートの胸ポケットを探りつつ「こいつは平気かな?」と、遠慮がちに聞いた。 「平気よ。私だってやるもの」  返ってきた言葉に男は安心し、取り出した洋モクに淀みの無い手つきで火を点けた。吐く息がことごとく白いこの地では、副流煙の灰色がよく目立つ。 「あなたが“イーグル”なの?もっと年のいった渋い男性をイメージしていたわ」  煙を見送る男を眺め、ルゥシアは落ち着いた声で問いかける。 「年上が好みかい?」  携帯灰皿へと落ちる燃えかす。灰皿は長年愛用しているのだろう。鉄板の角が擦れてヴィンテージの様相を呈している。  カップの中身をスプーンでかき混ぜながら、対面に座るルゥシアは『イーグル』を上目遣いに見つめた。頬杖をつく右手の小指が僅かに動き、唇に触れる。 「年上好きってわけじゃないわ。頼りになる人が好きなの」  スプーンとカップがかち合い、軽い金属音が響いた。上品な仕草でカップを口元に運ぶルゥシアの姿は誠に色気に満ちており、異性ならば性欲をそそられることに違いない。 「なるほど、それは都合が良い……」 「あら、あなたは私を狙ってくれるのかしら?」 「射止めてみせましょう―――それで、私がクリアする難題はとはどのようなものでしょうか?」  ニヤリと笑うイーグル。  ルゥシアもそれに答えるように、含みのある微笑みを返した――。 / “ピルルルルル、ピルルルルル・・・”  幾度呼び出し音が鳴れど、通話が始まる事は無い。 「クッソが!!」  白衣の男は周囲に散らかるガラクタ共を蹴り飛ばした。イライラは頂点に達し、額には青筋が浮かび上がる。掻き毟った頭髪からフケが飛び散り、暗がりの一室はさらに汚れていく。だが、それを気にする主が存在しない今、だれもその事を気にかけはしない。  窓ガラスの外を覗けば何の変哲もない通常の景色。少し違うところといえば数十メートル先に見える豪華なビルディング。賑わっており、そこには一層人が多い。何らかのスキャンダルを受けた有名人でも待っているのだろうか。  だが、白衣の男にとってそんなことはいよいよどうでもよい。今は何者よりも“この部屋の主”に会うことのほうが重要だからだ。  男は焦っていた。このまま自体を収拾できなければ自分はどうなるか解らない。さっさと「失敗作」の暴走行為をどうにかしなければ……。そして尚且つ、責任の所在を適切に正さなければ――っ!  悩み、苦悩する男の右手。そこに握られている通話機から軽快なメロディが流れ始める。  白衣の男はのめり込むように、前かがみの姿勢で通話を開いた―――。 / 「性質の悪いストーカーよ」  ルゥシアは深刻な顔つきでそう言い捨てる。 「ほう、心当たりが?」  指先を机に軽く打ちつつ、イーグルはルゥシアの話を聞いている。苛立っている訳は彼の目の前にまだ湯気の立つカップが置かれていないからである。 「お遊びで頭に血が上っちゃってるの。ま、したくてした遊びじゃないんだけどね」  ルゥシアはスティックシュガーの紙を弄りながら少し照れた。 「相手にとっては遊びでは済まなかった……っと」  イーグルの脇に人影が立つ。店員が「おまたせしました」と丁寧にカップをテーブルに置いた。店が込んでいるので二十分程度待ったくらいで怒るわけにもいかない。イーグルは黙ってカップの泡に砂糖を振りかけた。 「――ちょっとしたことなのよ?言わば天災みたいなもの。なのに、目くじら立てちゃってさ。だいたいお堅いのよね、群れに忠誠誓っちゃってる犬属性の男って」  呆れた様子で彼女はヒラヒラと手を振る。 「狼は群れるのが好きですから。とくに狩りの時なんか――」 「一人じゃ狩れないから。もしくは馴れ合いね」 「だといいけど……効率を考えた末の工夫ならば、それほど恐ろしいものはないですよ」  イーグルは対面から少し視線を逸らすと、猛禽類の如く鋭い眼光でカフェテラスの向かいを見抜いた。三車線の道路を挟んで建つファーストフード店内。ガラス越しに何組かの客が確認できる。  客層は様々で……読書をする人や単にパンを貪る人、店内で遠慮なく通話している男性など様々。中でも通話する男は窓際の一席に腰掛けている。 / 「見つけたかっ!!」  廃ビルの一室で声を張り上げる白衣の男。伝えられたのは吉報で、それは男の悩みを解消する鍵。見つけさえすればあとは手にすればよい。 「よし、逃がすなよ、必ず捕縛してつれて来い!くれぐれも殺すな!」  通話機の先に指令を送り、景気良く通話を切ろうとした時――男の表情が戸惑った。 「あん、男……??」  ――ターゲットが男と接触している――確認を急いではいるが、その素性は知れないらしい。  白衣の男は少し黙り込んだが、よくよく考えればだからどうしたである。 「そいつが何者でも関係ない。邪魔ならどかすなり始末するなりしろ、それがあんたの仕事だろう。重要な事はいいかい、そいつを生きて連行すっ・・・・・・・」  部下への指令を飛ばす途中、半端に男は黙り込んだ。  今度は一瞬ではない。息を呑むほどに、通話している事実を忘れるほどに。男は絶句した。 /  震えが止まらない、鼻水も止まらない。  揺らぐ黄色い車体。青い髪の青年は濛々とした意識で後部座席に座っていた。  タクシーの内は暖房が効いており、暖かいのだがそれでも体は震える。もはやこれは気温のせいだけではない。  頬もなんだか火照ってきた。良くない状況を迎え、傍らに愛刀が存在していないことが一層不安に感じられる。熱と共に鬱の気も出てきたらしい。  ――もし、彼が万全の防寒を施してこの地に降り立っていたら。今頃こんな様相ではなかっただろう。  いつものように無表情に、年齢に似つかわしくない威圧感でここに座していたに違いない。鋭い闘気を感じ、運転手が震えていたはずだ。そして、もっと早い段階で気がついたはずである。  渋滞の中、信号待ちをするタクシーの反対車線。そこに見える廃ビルの、異様な“気”に……。 / 「“ギュスター……ブ?”」  白衣の男は擦れるような声でそう呟いた。  男の目の前にはフードを頭から被った“それ”の姿がある。  “それ”の息遣いは荒く、テンポが一定していない。黒く、ぼろぼろのコートの裾から覗く指先は振るえ、頬が痩せこけた状態。麻薬中毒の末期患者に酷似したいでたちで、“それ”はその場に立ち尽くしていた。頭部を半分覆って尚有り余る巨大なフードは、重く垂れ下がっている。  普通では無い視線が実直に白衣の男を視し、震える歯と歯が当たって音をたてた。  現在、この暗がりの一室には二つの生命体がある。互いの距離は約四メートル。殴りかかろうと思えばいつでも殴れる距離である。  白衣の男は暫く黙っていたが、“それ”が一歩前に出ると途端に話し出した。 「ギュスターブ、随分と活躍しているらしいじゃないか」  通話機を仕舞い、調子の良い声色で“それ”に言葉をかける。  ギュスターブと呼ばれた“それ”は言葉も聞いているのかいないのか。また一歩、三十センチ程前に歩み出た。 「落ち着けよ、苛立つ気持ちは解かる。俺もお前と同じさ」  白衣の男は笑顔を作り、なんとかこの怪物をなだめようと再び言葉をかけた。  意図と反してまた一歩、二つの距離は狭まる。人の姿をした怪物の歯は、歯茎が見えるほどにむき出された。  通話機を握る男の手は嫌な汗をかいている。男に余裕は無い。  三度縮まる三十センチ……。 「お前の存在を狂わせた女――こいつが憎らしいだろ」  白衣の男はポケットから一枚の資料を取り出した。そこに貼り付けてある女性の写真に視線を止める怪物。  怪物の様子を見て、白衣の男は推察を巡らせた。行き着く回答。こいつの目的はやはり、この部屋の主――。 「……どうしてここが解ったかは不問としよう。ギュスターブ、吉報だ。つい今しがたこいつの居場所が判明した。君に教えるよ」  和やかに、丁寧に男は話したのだが……。それを聞いた怪物は一層息を荒くし、唸り声を上げ始めてしまった。怪物の言語能力を見誤った白衣の男のミスである。  怪物は身を引きずるように距離を縮め始めた。白衣の男は不穏な空気を感じ、顔中の筋肉が強張る様を強く実感した。  瞬間、横目で隣の棚を確認――。 「ギュスターブ、これもプレゼントだ!!」  男は迫り来る者に投げつけた。目の前に飛んできたそれを怪物はとっさに掴む。  掴んだのは女性物の下着、ブラジャー。 < そして、銃声。 >  渇いた破裂音が暗がりの一室に木霊している。硝煙の匂いが立ちこめ、銃口から昇る白煙。  怪物の、“ギュスターブ”の胸部から血液が流れ出した。膝を着いて動きが止まる。白衣の男はそれを見下し、冷徹な視線を投げかける。 「失敗だよ、お前は。本能しか残っていない生物など、無差別の機械でしかない。役立たずさ……誰もここまでを望んじゃいない」  未だ煙の昇る拳銃の撃鉄を起こす。白衣の男は一先ず安堵していた。念のために後一発、頭にでも打ち込めばこいつは終わるだろう。そうすればこの一件はこれ以上拡大しない。問題の女も既に居場所が割れた。  左手の人差し指に意識を向ける。怪物は俯いたまま微動だにしない。怪物に向けて男が最後の言葉を発しようとした、 刹那 ―――― / 「―――なるほど」  イーグルは大きく頷いた。カップの残りを飲み干してから、脚の細いアームチェアにゆったりと背を預ける。そして先の丸い肘掛を撫でながら一方の手で対面を指差し……一言。「それは君が悪いよ」。 「ちょ、ちょっと!話聞いてたの? だとすればなんて的外れな反応!?」 「冷静に、ルゥシア。交通事故と同じさ。全部君の責任って訳じゃァない。――そうだな、聞いただけなら8:2ってところかな」  ルゥシアは両手でテーブルを一叩きした。 「大げさに言わないで!第一、大人気ないのはあいつらでしょう!?組織連れ立って女性を追い回すなんて、最低!!」 「まぁまぁ、落ち着いて。現状と原因は別の話しさ。その点、君の言い分はよく理解できるよ」  イーグルの視線は正面で憤る女ではなく、通りの向かいへと向けられている。  彼は煙草をくゆらせながら、のっそりと立ち上がった。カウボーイハットは被らずに、持つ。口論の最中に立ち上った依頼相手に対し、ルゥシアは戸惑いを覚えた。 「続きは車内で話そうか――少し目立ちすぎたみたいだから」  イーグルが促すように周囲に視線を配る。つられて見れば、男女のいざこざに耳を傾ける客の姿がある。これを確認したルゥシアは咳払いを一つすると、「つまらない車種は嫌よ」と澄ましてみせた。  路地裏に停めてある右ハンドルを見たルゥシアは「クールじゃない」と難癖を付ける。 イーグルはドアを開く鍵のボタンを押して、「今の君は逃亡者だろう?安全性なら深月が一番さ」と言った。彼は続けてドアを開き、「どうぞ」と促す。  ルゥシアは「その言い方は好きじゃない」などと愚痴り、これも澄ました表情で助手席のシートに腰を下ろした。  エンジンの唸りを響かせて、車は表通りへと駆けていく―――。 /  ―――それはなんと衝撃的な音であろう。  アマナス五番街、ホテル・オーラムの前。幹線を行く黄色い車両の運転者は急なブレーキを利かせた。停車したタクシーの中で青年が前のめりになって悲痛に呻く。運転手はハンドルに齧り付くような姿勢で目を丸くし、少し先にある『物』を眺めた。  車道にガラス片のにわか雨が降り注ぐ。  広がるドス黒いシミ、それは人に近い形をした物から流れ出ている。突如として空から降ってきた物に対して、中年のベテラン運転手はただただ呆然としていた。  しばし考えて。道路に叩きつけられたボロ切れのような物が“やはり人間である”と結論付くと、彼は全身から発汗させて身震いした。混乱のあまり「自分が轢いたのか」とも思ったが、どのように記憶を辿ってもそのミンチのような人体は空から突然として降ってきたのである。  運転手の混乱を他所に。後部座席に腰掛けていた青い頭髪の青年は、風邪で虚ろう脳を無理矢理に活性化させ、慌てて車を飛び出した。  ホテル・オーラムの前には人だかりがある。それは報道陣の群れであり、彼らは数分後に到着するであろう保安機関の重鎮を待ち構えていたのである。そんな彼らに与えられた情報は、突然響いたガラスの破裂音と鈍い衝突音。それに、車線を跨いだ先に転がっている血みどろの何かの光景。群れの内からぞわぞわと「あれ、もしかして人……」といった声が出始めている。  タクシーを飛び出した青年は寒空に体温を奪われながらボロボロの人に駆け寄る。間近にして彼はバイタルをとろうとしたのだが、それ以前に絶句。状況の整理に専念した。  空から落ちてきた人間は酷い有様だ。顔の皮膚は口部ごともぎ取られており、気管が露出している。左腕部は付け根から欠損し、出血は止めようが無い。動きと言えば四肢の痙攣が見られたものの、すぐにそれも停止した。手の施しようもなく、男性と思われるその人は既に絶命に至っていたのである。  鼻を突く臭いは臓腑から溢れる汚臭のみ。遺体の損傷箇所からして交通事故とは考え難い。破裂したような顔面は、何らかの異様な原因があることを物語っていた。  急停止したタクシーの後ろには車の列が形成されつつある。青年は周囲を見渡して異変のある箇所を探った。  目に入ったのは見上げた先。通りに面しているものの、非常に古く、使用されているとは思えないような建造物。幅の狭い建造物の五階部分に、窓ガラスが失われた一室が見受けられる。  道路にはガラスの破片が散らばっていた――遺体には通常有り得ない損傷――。  青年はこれらの状況から確率として、ある焦点へと至る。 「まさか………しかし!?」  彼は青い髪を抑えて苦悶するも、迅速に気を取り直して廃れた建造物へと駆けていく。  ここ最近紙面を賑わしている「連続殺人」……。  確証がなくとも、彼は直感と洞察からそのことを脳裏に浮かべていた。  廃ビルのガラス扉は鎖によって封じられている。やはりこれは長らく使用されていないものらしい。  青年は手刀によって鎖を叩き切ると、「御免!」と発しつつビル内へと入った。  薄暗い。廃ビル内に明かりはなく、外部からの朧な光が頼り。  しかし、その青い髪の青年は不穏な気配を察していた。ビル内に入ったことで、“それ”の警戒範囲に入ったことで――明確な“殺意”を感じ取ったのである。  青年はポケットから取り出したティッシュで鼻を押さえた。「フビィッ」と、勢い良く鼻を鳴らす。そう、くしゃみをしたのである。  ――しかし、これを切りに彼の熱がすゥっと下がり、呼吸は落ち着いて心拍が聞こえるほどに神経は研ぎ澄まされた。“侍の本能”は病原菌との闘争よりも、これから対峙するであろう存在に対する予感を優先したのである。  この青い髪の侍――『青龍』という男。直感的に行動すると割かし正解の道に行き当たるが、如何せん配慮が足りない。  他にない、己の精神。意志を護るための得物――“愛刀”を緊急時に失念するとは……未熟もいいところだろう。  そして、彼は現在迷っている。ポケットから取り出したガラパゴス通話機。これをじィっと見つめて呟いた。 「この場合、“どちら”に報告を優先するべきだろうか……」 /  幹線を走る日本車。後部座席に置かれたツバの広いカウボーイハットが揺れている。通話機から流れるBGMは亡きスターの残した歌声。助手席の女は「バーディ、懐かしいわね――」と呟いた。運転者はリングランドの音楽シーンに詳しいようだ。彼は「知っているのかい」と意外そうな反応を返している。 「……それで、なんの話だったかしら?」  女は少しキツイ口調だ。彼女は濁された会話を戻そうとしているのである。 「そうだ、君の過失についての話だったな」 「いつからそんな話題になったのよ。あなたが私の職種に興味があるって言ったから、答えただけじゃない!」 「おっと、すまない。建前はそういうことにしてたっけね。失念、失念」  ハッハッハ、とイーグルは朗らかな笑い声を出した。ルゥシアは不満気に「なによそれ!」と荒ぶっている。 「いやまぁ、君が出来心のつもりでやらかしたのは知っているよ。ただ随分と面倒な追跡をされているようだから、具体的な事実を把握しておきたくてね」 「出来心って、失礼ね。私は常に進化学者として向上心を持っているだけだから。私のように出来る人間が他にいないのならば、多少のリスクを覚悟して挑み続ける私は感謝はされど、恨まれる筋合いなんてないでしょう?」 「同意を求められてもなぁ……」  苦笑いを浮かべながらイーグルはバックミラーを確認。そこにはやや離れて後続車の影。 「歯切れが悪いわね。あなたちょっと不愉快よ」 「いや、君の言い分には正直共感しているよ。才能ある人間が事を成す上で、わざわざ盆暗共の感性に合わせる必要はないさ。高度なミスと雑多なミスでは、得る物の質が異なるだろう。君にしかできないミスがあるのならば、それは大いに意義のあることだと思うね」 「……ちょっと。褒められてる気がしないんだけど!」 「おや、これは言葉の選択をミスったな。――まぁ、俺は凡人だからね。くだらない事も考えちゃうわけよ。例えば、君に弄られた奴は今どうしているの?……とか」 「発展に代償はつきもの。それを解せない人種が悪よ」 「これは仰る通り。文句があるなら自分達でやってみろってことだ。――しかし、なんでやりすぎちゃったかねぇ」 「……“あの子”には適正があったから。あの子の先住民達は新たな家族を快く受け入れる、度量の広さがあったのよ」 「ん~~なんつぅか、“出来そうだからやった”ってことですかぃ」 「望まれた物を超えたのだから、難癖を付けられる正当性を感じないわね。私は高いサービスを提供したのよ」 「そりゃごもっともだが……だからって都市に放流した挙句、社会問題を起こされたらたまったものではないでしょうよ?」 「放流なんてしてないもの! ――“アレ”は逃げたのよ」 「管理不行き届きじゃないっスか。それでも自分に非は無いと?」 「……高度な実験は、時に人智を超えたアクシデントを引き起こすわ。それは誰にも想定できないこと。敢えて罪を問うならば―――ふふっ、誰も運命に罪を問うことなんてできないわよね」 「だから、同意を求められても困るんだよなぁ……俺、凡人だから」 「・・・・・ところで。あなた、何処に向かっているのかしら?駅ではないの?」 「港ですよ」 「港?どうして? 迎えの船でもあるのかしら。私、酔いやすいのよね……」 「まぁ、そんなところですね。実際は航空機なんだけど……あそこなら人の気もないだろうし」 「――?」  サイド/バックのミラーに気を配りながら、イーグルはハンドルを切って車体の進行を右に向けた。  幹線を外れて進む日本車。向かうはアマナスの港。  交通量の減った経路。なんの偶然か。同型の車種が五、六台、連なってイーグルの駆る車両を追っている。それも心なしか徐々に増えているような……。  ルゥシアは異変を覚え、「ねぇ、あれってどういうこと??」とバックミラーを指差した。「あー、よくあるよくある」とイーグルは適当な相槌を打ちながら片手で煙草に火を灯している。  携帯機のBGMが別の物に変わる。イーグルは通話機を台座から取り、それを耳に当てた。  エンジンはふかしたまま。咥え煙草に片手ハンドル。通話としても運転としても、この上なく行儀が悪い。しかしルゥシアはこのふてぶしさが「ちょっと頼もしい」と感じている。  彼は更にアクセルを踏み込み、後続を引き離しながら 「おう」「ふ~ん」「OK……やっちゃえ」と、横柄な返事を繰り出している―――。 / $四聖獣$ +++++++++++++++++++++++++++ SCENE―B  その廃墟は1978年、ビジネスマン向けの質素な宿泊所として建設された。  サンドウィッチに挟まるベーコンのように。狭い敷地を利用して建設されたため、縦にも奥にも細長い形状をしている。  一階六部屋のユニットを七段重ねたそれはしばらくの活躍を経たものの、当てつけのように建造された高級ホテルに価値を奪われた。  弔いの費用すら誰も捻出してくれず、今でもひっそりと社会の狭間に軋み建つ廃墟。無人のカウンターに置き去られた宿泊者名簿が、久方の風によってはらりはらりとめくれている。  封を荒々しく破った客人。青年は携帯通話機をポケットに押し込み、限りなくスニーカーを静かに――五感を研ぎ澄ました状態で階段へと向かっている。  埃とカビ。細かい足音はロビーの隅を逃げる鼠の存在感。  漂うダストの粉が頼りない光を反射して、ほとんど真っ暗な空間できらきらと輝いている。  「青龍」の眼はあざとい。彼は物が反射する微弱な光から、大まかな物の配置を理解していた。そして僅かに漂ってくる腐臭へと惹かれるように、鼻先を擦りつつ、階段へと歩んでいく。階段の踊り場には窓があり、その周辺だけは天国に繋がるかのように明るい。ここはホテルの亡骸、エレベーターは死んでいる。 「こホッ、こホッ……!」  喉に粉粒が引っかかる。腫れた咽頭は付着した不純物を過敏に排除しようと試みている。しかし、これが今は疎ましい。せっかく押し殺した足音が無駄になってしまうではないか。  段差を一段、一段。それこそ埃が舞わないように、できるだけ接地を低い高度で行う。踊り場に設置された窓の前は仄かに暖かく、肌寒さを和らげてくれた。 「ぷぅ……」  二つ目の踊り場に至る。青龍は咳を誤魔化すように強く息を吐いた。同時にそれは自分に対して緊張感を与える合図でもある。  ―――近い。  おそらく“それ”はモップのように床の埃を集めていることだろう。  察するに。足裏ではなく、もっと広い面積……それこそ掛布団のように厚くてボタっとした生地を引きずっているらしい。ズリズリと這うような音は次第に大きく、内装を伝って響いてくる。  伝わるものはそれだけではない。風呂に入らず何月も何月も……垢を身体に溜め込み、少しも誤魔化そうとしない、赤裸々なまでの汚臭が上階より嗅ぐわっている。  青龍は段差を上がって手すりから手を離した。三階部位の廊下に歩み出た彼は静かに見上げている。  用心していることは解かる。得体の知れない(おそらく連続殺人犯の正体であろう)異様な物体が真上にある気配。ならば集中して意識を研ぎ澄ますのは本能として当然だろう。  しかし、そもそもに目つきの悪いこの青年。逆三角の形に口を開き、冷えた廊下に白い吐息を吐き出しつつ“射殺さん”とばかりに天を睨む様は悪鬼以外の何者でもない。  つまりはここに……コンクリートの一枚板やらを隔てた五メートルばかしの距離に……得体の知れない「怪物」と東洋より渡った「悪鬼」が息を潜めて互いの呼吸を探り合っている、という構図が出来上がったのである。  三階にある六室。それらは向かい合うように3×3の構えで奥へと並んでいる。採光少ない廊下に、朽ちた鉄扉が僅かな反射をもって存在を発揮していた。 「……ンっ??」  青龍が呼吸を乱した。彼は不意の発覚に動揺したのである。  彼としては職業を「侍である」と誤魔化しているのだが、それにしてはお粗末な事態。腰元に手をやってようやくに「刀が無い!!」と気がつき、顔の血の気が引くことを自覚していた。  途端、これを待っていたかのように彼の頭上が炸裂音を奏でる。コンクリートの破片が落下し、粉が煙となって廊下に広がった。  突然の天井崩落。青龍は動揺しつつも部屋の並ぶ奥手へと横っ飛びにして転げた。  衣服で廊下の埃を巻き取り、起き上がる。階段よりの光で砕けた瓦礫の影と舞い上がった粉煙の流れが確認できた。舞い上がった粉煙は見る見る落ち着きを見せていく。理由は急激な「湿気」である。送水管をやられた廃墟は、鉄錆の混じった古水を天井からドコドコと廊下に撒き散らしていた。  急速に収まる粉煙の中。瓦礫の中に揺らぐ固形物が存在している。  それは暗がりだからという以前に黒ずんでおり、遠目に見れば「コートを纏った“人間”」とでも思えるだろう。何故人かと言えば。現に今、青龍が“それ”と目を合わせているからである。  片手と片脚の形状、それに半分見える顔面から。青龍はそれを上記のように感じ、第一印象とした。しかし暗がりにも秀逸な彼の五感は直ちにその認識に疑問を投げかけた。 「……人間?」  一言口に出したが、青龍はそれ以上言葉を発さない。対話を試みる前に彼は刀が無い現状をかえりみて、徒手空拳を用いた戦闘の構えを取る。「優先されるべきは口より手である」という勘に従ったが故の選択。  その上でもって「聞きたいことがある」と丁寧な応対を意識したのだが――それは未然に封ぜられた。 <オガアァァッ!!>  ――と、それは人間のものとは思えない、到底理性が伴っている訳もない雄叫び。瓦礫の中で古水を浴びる人間のようなものは絶叫と共に瓦礫を踏み抜いた。  一目散に突進する得体の知れない生命体。その怪物が目指すのは凶悪面の人。 「―――!!?」  近づく怪物の姿を限界まで見極めた青龍は声無く驚愕した後、狭い廊下の角に身を滑らせた。  怪物の脇を潜るようにヘッド・スライディングを決めた青龍は再び転がって埃塗れに立ち上がる。口の中から綿埃を吐き出しつつ、5秒前まで自分が存在した地点が崩壊している事実を目の当たりにする。なんたる破壊力か。  苛立って机を両手で叩く人のように、怪物は「バンッ」と音をたてて床に“何か”を叩きつけた。その結果として床が抜けて大穴が空けられたのはここが廃墟だからではなく、かかった圧力が途方も無いものだから。  間一髪に難を逃れた青龍だが、その顔色は悪い。人相が悪いのはそうだが、どうも「見てはいけないものを見た」という、後悔しているかのような蒼白面である。動体視力に優れるというのも、時に仇となるということだろう。  コートのようなものを着ている怪物――しかしそれは誤った見解であり、そのことに青龍は気がついていた。怪物は何かを着てなどいない。言ってみれば“全裸”である。  あまりに刺激が強い場合。感性的なものではなく、感覚的に苦痛を覚える。青龍の鼻は掠めただけで鈍い痛みを覚えていた。鼻腔の奥で出血しているかのような、打撃的な痛みである。  その強烈な体臭と理性の欠片も無い挙動……加えて、“それ”は外見からすでに人間ではなくなっていた。  コートのように長く、重量感のある黒ずみ。怪物の身体を覆っているその黒ずみは、それの皮膚、もしくは皮。分厚く変化した硬質でゴツゴツとしている厚皮である。黒ずんだ厚皮は細かく凹凸しており、水はけよく古水を流し落としている。臀部から垂れ下がった部位はまるで尻尾のようであり、単なる皮膚ではなく筋骨有るかの如く随意によって操作されるらしい。だが、それらをもっても殊更異質なのはフードのように人の頭部に被さる部位であろう。  それに目玉は無いが、刺々しい黒い突起が無数に生えており、カスタネットのように上下の開閉を行っている。人間体の半身を取り込んで生えているその部位は、巨大な口――例えるならば、“鰐のもつ巨大な顎”とでも言うべき異形。  人間に鰐か寄生しているとでも表するべきか、それとも鰐から人間が生えていると捉えるべきか。形容し難い存在に対して青龍は戸惑いを隠せなかった。今もコンクリートや鉄片を咀嚼する行儀の悪い開口に対して、少なからずの「恐怖」を抱いている。  開口の怪物は組み込まれている人間体の青い眼光を、この階にある唯一の人に対して向けた。 <ブゥゥッアアアアッ!!>  巨大な口からだらしなく石破片を撒き散らし、怪物が吼える。垂れ下がったブ厚い皮膚を引きずって、怪物が廊下を駆けた。  人間の腕と脚に、ナメクジのような皮膚の流動を伴って行われる走行。  青龍は面食らっていた。いっそ化物とスッパリ解釈できればよかったのだが、なまじ人間が混じった風体のため、当初前述のように戸惑ったのである。  ―――だが。  一撃回避して気を静めたことにより、落ち着いて状況を捉え、そして選択する余地を得ることができた。  青龍は今、こう考えている。「目の前のモノが人であろうがそうでなかろうが……少なくとも他者に害を加える危険性を持ち、さしあたって我が身の安全に関わるモノならば………斬るしかない!」。  ―――大げさに言えば、箸一本あればそれは人を殺し得る。  何気ない日常に用いる道具でも、例えそれが紙切れであったとしても。最低限失明くらいの危害を加える可能性は持っている。それに優れた技を持っている人はどんな道具でもきちんと使いこなし、自分の得意分野に活かすことができるのである。  「誇り」から青龍は好まない。しかし、彼がその気になれば得意の調理において包丁を用いずに食材をカットすることが可能。  道具を大切にする彼に有り得ないことだが。その『右腕』はまな板ごと、ステンレスのキッチンをなます切りにできる可能性まで秘めている。  青龍にとっては刀の次に扱いなれた道具こそが己の右腕であり、斬撃を加えるという行為に関して彼は一級品である―――  鰐の厚皮を被った二メートルを超す巨体。それが猛然と平均的日本人体格の青年へと迫った。しかし、その俊敏な青年は定められたルートを辿るかのように怪物の懐を潜り、勇敢でなければ成せない距離にて右の「手刀」を振り抜いた。  かの右腕のなんたる輝きか。人肌とは異なる、それは怪物の大口と別の意味で人外的な質感。刀工が生命を賭して砥ぎ込んだかのように煌く銀光は、怪物の胴体に横一文字の亀裂を残し、滑らかに弧状の軌跡を描いた。  身を屈めて短距離を疾駆した青龍はぽっかりと空いた床穴の手前で停止し、右手の血液とも汚水とも解らない液体を振り払う。 <オォオオォォ――!!>  怪物の呻きが背に響く。青龍にとっての心残りは「あれは人間だったのではないか」という疑念。  しかし、それも仕方がない。まず間違いなく“あれ”は件の連続殺人の実行者である。それを撃つ為に呼ばれた自分は成り行きとは言え依頼を遂行成し得たのだと思うとともにそういえば依頼者のことをすっかり忘れて・・・・・ 「………なんだとッ!!!?」 / 「・・・――聞いていいかな、ルゥシア」 「何かしら?」 「別に切迫した質問ではないけどね……君の感性について、興味がある」 「……ふふっ、どうぞ?」 「例えば―――君が試験用のラットを解剖する時、何を考える?悲哀かい?」 「随分と清純な問いね。ま、それに答えるなら「責任」かしら」 「―――命を無駄にはしない、と?」 「いいえ、概ね無駄よ。さっきも言ったけど、犠牲は付き物だし、犠牲の結果「不可」に至るだけってことが大半。先に私の揚げ足をとっておけば、それでも何らかの解を出す一文となれるって意味では無駄ではないわね」 「―――道すがら。見知らぬ人が事故に遭い、負傷したとしたら?」 「それは聞くまでも無いでしょう。悲しいわ。凄惨なものなら涙も出る。なんだってそうだけど、平常な時間が僅かな油断で狂うことは怖いし、同情できるだけ身近な事故ほど辛いわ」 「―――ペットを飼っていたとして。例えばそれが死んでしまったら、どう思うんだ?」 「幼い頃に、猫を飼っていたわ。あんまり私には懐いていないし、私も大して気にしなかったけど……いつも居たはずの家族にもう会えないと、悲しくなるわね」 「―――じゃぁ、“君が弄った人間”が誰かに殺されてしまったら?」 「あら、ご苦労さま……ア、もしかしてそれって専門家ではない?そうだとすれば心外よ。解剖はケースによって手順があるの。危険性を持ったのなら仕方がないけど……できれば捕獲して欲しいわ」 「―――あ~、そうなんだ。どうもね」 「………一体、なんだって言うの?私、研究されるのは好きじゃないのよ」 「予め言わしてもらうけど、“今回は捕獲できそうにない”ね」 「・・・・やだ、あの子見つかったんだ。何処で?」 「アマナスのホテル・オーラム傍の―――」 「ッッッ――嘘でしょう!!?? まさか、私を探して!!?」 「――――ラストに質問。実験体が自分を殺そうとしたら?」 「どうして殺されなきゃならないのよ! ああっ、もう!矛先を向けるならNotsでしょぅ!?何考えてるのよ、いや、何も考えられないのね!?」 「ハイ、どうも。まぁ、心配しなくていいよ。俺の“部下”が今、事に当たっているから……」 「人間が適う相手じゃない!あの子はこの私にとっても傑作よ。生半可な火力で活動を止めることはできないわ。 対処法はただ一つ、“逃走”よ!」 「つまり、次第によっては物理的になんとかできるってことか。まぁ、あいつは白兵戦だけど」 「冗談言ってる場合!? 早くここから離れましょう。船はあるのよね??」 「まぁまぁ、君の安全はもう確保できているから、何も心配することなんてないさ。ほら、ガムでも食べて落ち着きなって――・・・」 /  油断が過ぎる。一太刀浴びせたことで――確かに通常どう考えても致命傷である会心の一撃が決まったことに――自己解決を見たことは、油断以外の何物でもない。 <グゥゥアアアアアアッ!!!>  吼え猛る声は間近にすると人体と鰐、双方の口から放たれている。ただし圧倒的に人間部位の音量が劣るため、少しでも離れれば単一の咆哮であると錯覚してしまうだろう。  青龍にははっきりと、二つの咆哮が聞こえている。  開口した大顎が青年の身体をしっかりと挟み込んだ。彼の背後には先ほど破壊された床の大穴が開いている。青年が仰け反っていたため、怪物の巨体は餌をくわえたまま、下の階へと落下した。  床にヒビを生じて落下する巨体。衝撃によって口内の突起がシャツを破き、青年の皮膚に突き刺さって骨を軋ませた。 「ぬがっぁ!」と悲痛な声があがるも、怪物はお構いなし。本能に従って巨体は床を転がり、鉄の扉とコンクリート壁を少々ぶっ壊して廃墟の一室へと入り込んだ。コンクリート片に塗れたのは怪物だけではない。大口に挟まっている「青龍」も同じだ。頭部からの出血によって彼の頭髪が黒味を帯びていく。  人間の片腕と垂れ下がった厚皮の流動を用いて立ち上がる怪物。軽々と持ち上がった青龍の身体を、その強烈な閉口力によって押しつぶそうと圧を高めた。  左手で上顎を押し返そうとする青龍だが、ほとんど抵抗になっていない。ピキピキパキパキとした音が体内から骨を伝って頭蓋に響いてくる。  苦痛に顔を歪ませながらも、彼は咄嗟に頼れる右腕を“刺し込んだ”。 <!!――ッ?!?>  幸運なのか、鋭い勘なのか。ともかく銀に輝く右腕を突き立てられた「怪物の人体部位」は苦悶し、痙攣して立位を保てなくなっている。また、それに伴い大顎の部位も嘔吐するように青龍の身体を口から放した。  そこはホテルの一室。家具のほとんどを失い、とても「そうだった」とは思えない虚しさがある。埃塗れの不潔なベッドに寝ていた鼠は、恐れおののき逃げ出した。  直後に綿埃でフカフカなシーツへと落下する人。流血は脇腹、左手、口内、頭部から生じており、これが染み渡ってシーツの色を変え染めていく。  鉄扉に打ち付けた頭部が朦朧とするが、青髪の侍は気力で立ち上がった。  見ると、ブラインドが半端に下ろされた窓の光。それに照らされて部屋の中央で悶える怪物の姿。人体部位のじゅくじゅくとした傷が目に見えて修復されている様が確認できる。 「こいつ……不死身かッ!?」  青龍は目にかかる血を拭いながら、否定を祈って声を出した。  怪物は回復しつつある。大顎が開き、物欲しそうに「ガチン」と音を立てた。人体部位の碧い単眼がぎょろりと動く。  確証は無い。不安だ。しかし、青龍にはここで逃げるという選択が無い。  ここで逃げればさらに犠牲者が出るかもしれない。無事逃げおおせても、自分は死ぬまで「後悔」を続けるだろう。反省して強さに代えたとして、尚も後悔を続ける惨めな精神は己自身が一番よく解っている。 「………っ、だああ!!!」  声を発して余念を吹き飛ばす。気合を込めてベッドから跳び上がり、着地と同時に大きく息を吸い込んだ。  覚悟を決めると、青龍は予断の無い心で銀の右腕を振るい始める。 <ガアァァガッ!?>  怪物が呻く。身を割かれる痛みで、悲痛な叫びがあがった。  それの人間部位の手。しかしそれは人の領域を超えた力を秘めている。リンゴどころか人の頭部だって軽々と握りつぶすであろう。 「むぅっ!!」  苦し紛れに迫った人体部位の手を、青龍は蚊でも振り払うかのように切り落とした。続けて怪物の厚皮に向け、何度も、何度も――右腕を振り抜いては突き刺し、振り抜いては突き刺す。 <グゥッゥガアアアアッッッ!!?>  悲鳴を奏でる二つの口。青龍の表情はいよいよ険しく、恐ろしく変貌していく。 「んんんんんん―――――っ!!!」  滅多打ちのみじん切り。  間髪入れず無呼吸に継続される快速の連続斬撃。肉塊が飛び、汚水が散り、徐々に怪物の原型が崩れていく。怪異の肉体は再生しているのだろうが、圧倒的な速度差で肉体の破壊が上回っていた。  腰を落とし、すり足で前進しながらの連撃。  研ぎ澄まされた包丁と遜色ない切れ味、木こり斧に匹敵する厚み、それらを兼ね備える銀の右腕。それはムチのしなやかさで存分に怪物を打ち据えた。 「―――っっっツァッ!!」  上半身を体軸の左右捻転によって振り回した挙句。最後に崩れた肉塊へと叩き落とす形で一つ振り抜く。「カヒっ、カヒっ」懸命に空気を求める青龍。彼は膝に手を着いて肺の潤いに努めている。  呼吸と体力の限界まで繰り返した攻め。再び満足に動くには、しばらく時間を要するだろう。この状況で何らかが彼を狙ったとすれば、それは無防備極まりない彼に対して自由な損傷を与えることができる。  生臭い一室の空気は断じて新鮮ではない。一つ飲み込む毎に吐き気を催した。まともな人間ならば、逆流する胃液によって呼吸ができず、窒息しかねない。激しい挙動の後なら尚更だ。  そこにきて胸をつかえながらも呼吸を整えていく青い髪の侍は尋常ではない。腐臭に対する免疫がある。彼はその若い人生で何を経験したのだろうか。 「はぁっ、はぁっ……ふぅ」  肩で息を調整しつつ、横目に暗がりの肉塊を見る。そこにある動きは液体の流れ。固形物の挙動は一切見受けられない。  正直、“それ”が何物なのかも知ってはいない。だが、ともかく“それ”が再生をせず、肉体的に黙したという事実は認めてよいことであろう。  大きく息を吐く。廃墟の外気は大変な寒さ。しかし、この一室においては青年の熱気と怪物の開かれた内側から溢れる熱によって、多少「温い」くらいの温度である。  青い頭髪の青年はベッドに腰を下ろした。興奮によって止まっていた流血が思い出したように一筋、頭皮を伝っているのが解かる。Tシャツにもパンツにも、得体の知れない怪物の体液が染み込んでいる。傷口からの細菌感染を懸念した青龍はともかく、Tシャツを脱いで応急手当を脇腹に施そうと考えた。  ――凄まじい光景である。  明かりが少なく、はっきり浮き出ていないことは幸い。ここに電灯が灯ろうものならそれはそれは地獄絵図の有様であろう。黒ずんだ肉塊のカーペットなど、誰が望んで敷こうものか。  その光景を前に一仕事終えた表情でTシャツを脱ぎ、半裸を晒す青年。恐ろしい生来の形相と傷だらけの身体は、とてもでは無いが彼を「善良なる市民」と判断する材料足りえない―――。 /  アマナス埠頭。倉庫が立ち並ぶ海運の起点は、広い敷地に静けさを湛えていた。景気の影響か。少し前には乱立を許されたホテルも淘汰されている近況。アマナス全体に蔓延る負の機運が、ここ最近の残酷な事件を呼び起こしているのだろうか。  港の海端を走る一台の車。輸入車か、運転者は右側の座席にある。  それが頃合を見て停車すると、運転席のドアが開き、男が一人「うぅ冷えるねぇ」などと愚痴りながらコートの襟を頬に寄せた。  車を下りた『イーグル』は、巨大な倉庫に挟まれた空間を前にして、煙草に着火、機を待つ。トラックなど大型の車両でもすれ違える幅広の路に、寒波の凍え風がヒュウと音を立てた。  ちらりと後ろを見れば同乗者を残した車。その屋根に肘を置いて先に広がる海を眺める――こだわりの時間を過ごしたくなる、優雅な景色だ。  光がちらちらと揺らぐ海原。静かな、人気の無い港――。聞こえるのは冷えて硬い波音と風の息吹。高級な車にはお高い女が眠っている。このままドライブを再開したい、そう切に感じる一時。こう言う時に缶コーヒーはNG。本物の風情には本物の美品を添えなければ、秩序が乱れる。  ・・・・などと、そんなことを気にしている場合ではない。来客である。  イーグルは倉庫に挟まれた作業路を見やると、火を灰皿の中に押しつぶした。そして後部座席からツバの広いカウボーイハットを取り出し、被る。  ―――港の作業路。その広いスペースには前述のように、大型車両が行き交える猶予がある。しかし、だからと言って無理に道を占拠することもないだろう。  ……ならば、それらは一体何の集まりか。  一台、二台、三台、四台……黒塗りの車両が揃えて「十台」。矢尻の如し、鋒矢の陣形にて港の作業路に突入してきた。不気味なのはそれら全てが同一車種という点で、明確に意図された何らかの集団組織であることは間違い無い―――  迫る同型の車達を確認すると、それを待っていたかのようにイーグルは緩んだ歩行でたらたらと歩き始めた。左手には車の鍵を握り、右手では灰皿を裏ポケットに押し込む作業。少しずつ海端から離れて行く。  一方、迫る車の群れはガックリと速度を落とし、急ブレーキで一斉に停車。そしてこれも揃えて出てくる「十人一色の運転者達」。車と同じく背格好が統一され、光を反射している眼鏡もまた、全員が同じ物を掛けている。距離にして二十メートルの間があるものの、鋭い猛禽のような視界はこれらの判別を既に完了している。  帽子のツバを引いて眼光を影に落とし、若干に微笑みを含んだ表情にて彼らを迎える。  揃って黒塗りの車、その傍らに立つ十人。気楽な様で近寄るカウボーイハットの男。  彼らの距離が十メートルを切る前。その狭間に“灼熱の境界線”が引かれた。 「ぅおっ――と。」  歩行を止めてやや仰け反るイーグル。自分の足元を見て細く息を吐く。彼の足元ではコンクリートに描かれた「焦げ跡の線」が煙を燻らせている。  これは警告の一線。「それ以上近づくな」と、強烈に印象づけるための手段。 「危ねぇなぁ……こうして出向いてんだから、挨拶から「よろしく」って和やかに始めても――っトァ!?」  イーグルは咄嗟に身構えた。飄々と軟弱な態度を装っていたのだが、ここにきて警戒せざるを得なくなった。  彼は見上げた。何気なく、路地に影が形成されたような気がして、日差しの方角を確認したのである。つまりは“倉庫の上を見た”。 <……和やかに、かね。紳士として提案に応じたいところだが、生憎こちらも辛くてな>  イーグルは見渡す。“この声”は、“何処から”聞こえている?? <吾輩が現在、こうして交渉の余地を与えている理由。それは追跡を覚悟した上に自ら姿を晒す、其方の勇敢さに敬意を表したからこそ>  作業路には寸分違わぬ十人の集団。  それに同じく。作業路を挟む左右の倉庫、その屋根上にも同様な人間が――総じて七、八名。姿勢はおろか、口の動きまでを揃えた統率によって、全員がカウボーイハットの男を監視しているのである。 <其方は今、絶対的な不利状況に在る。最後に残すは遺言か、それとも状況を打ち破る決定的な弾か?>  何処からか響く男性の声。それは反響して届いており、二十名近いどれが発しているのか皆目見当も付かない。  そして発煙。セメントの路地が焦げて煙を発している。  火花を散らすのはイーグルの周囲。“焼け焦げる輪”を描いているのは、虚空の一点から照射されている三筋の“光線”。高密な光の三本線は「ジジジ」と、高い熱量によってセメントを焼いている。 「種は知らないが、恐っそろしい脅迫だなぁ……」  空気を伝わる熱と地面の有様。イーグルは今、当たれば焦げるだけでは済まない、凶悪な檻に閉じ込められていることを自覚していた。  そして胸元からとっておきを取り出すと、その先を軽く光線に当てた。 <―――其方が何者か、聞いておきたいところではある。しかれども、必須ではない。別段、当方からすれば彼女さえ手に入れば問題生じないのだからな。重ねれば、其方を消す必然も無い、ということか> 「ほぅ、気前がいいですね。ボク、助かっちゃうのか」 <紳士なれば、無闇な殺しを良しとは思わん>  二十人弱の紳士は皆、一様に笑顔を浮かべた。  イーグルは肺から煙を吐き出す。咥え煙草、両手は空いている。 「せっかくのお誘いだし、言っちゃおうかな。―――俺は“NCG”から「ルゥシア」の処遇を依頼されている」 <……………背徳者のペットかよ、不愉快な。吾輩は何も聞かなかったということにしてしまおう>  返答がよほど不服だったのか。二十人弱の紳士は揃えてムスっとした。そしてこれの表情変化に合わせてイーグルの周囲に描かれる灼熱の輪が急速に縮まり始めた。 「ああ、勘違いしないでほしいんだが………今のは命乞いじゃない」  イーグルは左手を見えやすいように掲げ、握りこんでいた物を光の下に晒す。 <そうか。どのみち結末は決していた。好きなだけ強がるが良い> 「即死させろよ?一瞬たりとも猶予を与えるな。俺がこの“ボタン”を押す――たったそれだけの動作で、背後の高級車はスクラップ行きだ」 <―――何?>  狭まっていた光線の輪が再び一定の周期に落ち着いく。 「俺はな、保護に来たんじゃないんだぜ?“処遇”を定めに来たのさ。 さっきお前は状況の優劣を語ったが、そいつは基盤から間違っている。死んじゃったらマズいだろう――それこそこちらは何一つ問題ないがね」  イーグルの左手。そこに握られていたのは“車の鍵”。これにある本来ドアのロックをON/OFFするための“ボタン”。遠隔操作での開閉を可能とするこれに、イーグルは「細工がある」と示している。  片側の口角を上げた笑み。そのニヤけ面は相手を侮蔑する意味以上に、「侮蔑できる立場に自分がある」ことを見せつける意図を備える。傲慢なほどに、それは真実を覆う分厚いヴェールとなるだろう。 <………馬鹿な話を――> 「間抜けはてめぇだ。俺が彼女を車に乗せた時点で、交渉における優先権は決定している。  ――思い当たらないか? この場所に誘導したのは誰だ?追跡を知りながらノコノコ無防備に、至極当然の態度で姿を見せた理屈。それは何処にある??」  語り出しに衝突した発言は、より語気の強い方が打ち勝つ。それは自信を持たねば成せず、疑念こそが自信を削ぐ最大の欠陥。  疑問多き人は畳み掛けられる情報によって思考の中に未解決の負債を抱えることになる。そして解決に飢え、解を与えられる事に感情の比重を傾ける。 「速度を上げ、背後を気にしながらも手を抜いた“逃げ”。ずっと疑問があったんだろ?“ヤツは何を誘っているのか”――と。 そして、無防備に表立った俺を見て“譲渡の意思がある”と踏んだ。その上で奇妙な状況を展開し、威嚇を行った。つまり、俺から情報を引き出して脳内の引っ掛かりを取り除こうとしたのさ。 いいか、もう一度言うぞ。“俺が女を車に乗せた時点で、交渉の優劣は決定していた”」 <―――実に不自然な言い分ではないか。このまま貴様を焼き尽くせば我々の問題は解決する> 「何度も言わせるな、“即死させろ”よ? 別に俺の死に様についてはどうでもいい。ただ、俺がこの“ボタンを押す”のはマズイ。そして会話が成立しているこの状況こそが、本当は十分に理解できているお前の胸中そのものさ」  イーグルは余っている右手で携帯を取り出し、ワンセグのTV報道を大音量で流し始めた。 「――<NOTS>は生体兵器開発に向け、技術者を“レンタル”した。ただし品質は問題有りで、そこは資産のない小規模団体故の限界だろう。訳ありの溢れ者、それでも実力一点買いで求めるしかなかった………その結果がこの惨事だがな」  報道の内容はホテル・オーラム前で死亡事故が発生したことと、それがややもすると件の連続殺人による新たな犠牲者ではないか――というもの。 <こ、これは――?> 「画面が小さくってね。ああ、いや、高品質なコイツに問題はないが、あんたとの距離がな」 <……気にしなくて良い。視聴できている> 「そりゃ結構。さすが、どれだけバックミラーから消しても“問題なく追跡してきた”だけはある」  ハッハッハ、と爽やかな青年の笑顔。咥えた煙草の先から、灰がほろほろと落下した。  報道では、より詳細な現場の状況が伝えられている。 「ビル内に不審者?? ―――ああ、勝ったのか。やれやれ」 <確か、彼はあのビルにて手掛かりを………まさか!!?>  報道を聞いた二十人弱の紳士。彼らは同じ所作で首を捻り、同じ所作で電話を取り出した。 「名も知れないおっさんよ、朗報だ。(間抜けしてなければ)問題児はお亡くなりだぜ。あー、でもこのままだとモロに検死されちゃう――いや、そこまでは知ったことじゃないな、管轄外」 <……!!!っく!!>  二十人弱存在する紳士は全員慌てて通話を切断した。そして、洞察から不測の事態をほぼ確信、頭を抱える。イーグルが何か言っているが、今はそれどころではない模様。 「あんたらは――NOTSという零細企業の皮を被った信仰組織は――今回の一件に“関わらなかった”ことにしたいのさ。要は根から葉まで全部知っている「ルゥシア」の口封じをしたいってこと。  だったら殺しちゃえばいいじゃんと思ったが、これがレンタルの難しさだよな。壊す訳にはイかないんだよ。希少な進化学者の生き残りを、「問題があったので殺っときました」では済まされない。手元に置き、然るべき手続きと交渉の上で正当性を持って返却したい。その為にはモノが健在であることが必須」 <…………っぐぬ……ぬぅ!>  二十人弱の紳士は揃って苦悶の表情をしている。それは内情を言い当てられた恐怖と仲間に繋がらない電話への憶測。それらから生じた感情の発露。 「甘ったるい追跡のおかげで車の中身を労わっていることが良く解ったぜ。もっと言えば、切羽詰っている割に慎重なストーキング行為は何よりも雄弁だったよ。ついでに元も子も無い事を教えると―――NCGはあんたらの状況を把握している。さっき“背徳者”とか言ってくれてたけど、統括の<ロイ>は“貸出元”と仲良しさ。元同僚の割には随分と人脈に差があるなァ、はっはは! ――もうコレ、閉じていい??」  返事を待たずに携帯を眠らせ、コート裏に仕舞い込む。 「大体OK? /あんたらは彼女に死なれたら困る、ボクらは困らない/あんたらが彼女を確保すれば、損失を抑えて貸出元と交渉できる。ボクらが彼女を確保すれば、貸出元に足元を見られながら交渉される/こっちのマージンもホット!/ ――以上を踏まえて。さぁ、どうする?」  イーグルは代わりに取り出した灰皿に煙草を落とすと、左手の鍵をちゃらちゃらと鳴らした。不遜ここに極まれり。  しかし、二十人弱の紳士達は落ち着きを取り戻したのか。揃って平静な表情を見せている。 <―――成程、概ね正しい提案だ。情報源のみに頼らず、自ら得たものも活用し、この状況を産みだしたことは賞賛しよう。………ただ一つ、致命的> 「あア゛?」 <吾輩には賭けの道が残されている。それも勘で言えば勝算高いと見積もって良い。隠さず言えば。吾輩が“容赦なく君を焼く選択”を行うことで、そこに「ボタンを押させずに君を絶命し得る」か「前提が出鱈目で車に爆破機能など備わっていない」という二つの可能性を望めるだろう。どちらかの目が出れば、吾輩は無傷の女を確保できる> 「―――へぇ、俺と賭けで勝―――」 <自ら傭兵だと言ってしまったな? さて、果たして忠誠希薄な頼まれ人はこれを聞かされ何を想う?>  二十人弱の紳士達は揃って人差し指を嘘くさい青年へと向けた。  二十本の指差しを一身に受ける青年は、少々の無表情の後、ヘラヘラと嘲笑って眉を顰める。 「そうさなぁ―――あのお姉さんは死ぬより怖いって感情かなぁ~」 <……責務を全うできなければ、結局のところ死するかね> 「え? ―――や、アッハハ……」  刹那に乾いた笑いを出してしまったイーグルだが、どうも紳士はこれを「真実を指摘された諦め」の笑みだと捉えたらしい。 <実情、背負えるリスクの大きさは吾輩も同等……>  二十人弱の紳士達は人差し指をそれぞれ自分に向けた。  すると、イーグルの周囲を焦がしていた三筋の光線は掻き消え、紳士達と黒塗りの車の群れが瞬間的に跡形も無く消滅した。 <判断を仰ぐべき当面の責任者と繋がらない今、吾輩の判断によって無謀な賭博は興じかねる。ここは仕方がないと判じる>  紳士は消えても声は聞こえる。反響して響く声はやはり、出処が不明。  光線の檻から解放されたイーグルは海を背に、早足に作業路を駆けた。  倉庫の角に行き着くと彼は左右を見渡し、その一方に動き出している「黒塗りの車」を確認。 <若人よ、君の胆力に敬意を表し、その誇りを尊重するよ。立場上些か強い言辞も用いたが、口舌であると理解を示して欲しい>  黒塗りの車、その方向から声が響いてくる。 <それでは、ネフィス嬢に落ち度のない報告を――>  その言葉が響くや否や、黒塗りの車は一気に加速。「あっ、オイ!」――と言う間に見えなくなってしまった。  一方的な言い分を残して去った紳士。イーグルは不満のある様子だが、訴える相手はもういない。彼は苦々しい表情のままその場で一服。文句を垂れ流しながら乗り付けた車へと戻って行く。  待たせてある女は助手席でスヤスヤと寝息をたてていた。彼はそのまま港のデートへと突入しようかとも考えたが、起こすのも悪いし迎えの時間は迫っているわで……結局何事もせず発進。空港へと急いだ。 /  空港にはガタガタ震える青い髪の侍。仲間に「ぶり返したか、ざまぁないな」と言われた侍はクシャミで応じている。  保護された女、ルゥシアは航空機内にてNCGへと引き渡された。  眠気眼の彼女と別れた後。イーグルは不服な苛立ちを手持ちのガムに対してぶつけていた。効き目の強すぎたそれに「開発者と同じく、風情を心得てねぇな!」などと発言しており、物に当たる様は見栄がよろしくない。  尚、隣の席に座る侍は日本へのフライトを経て。四十度の発熱を記録したらしい―――。 事件記録: ―――――― 二月十日/当日未明/アマナス五番街・路地  学生:マリアン=リューシュ(16・女) 二月十日/17~18時/アマナス六番街・貸ビル内  無職:トーマス=フィリップ(39・男) 二月十六日/推定14時30分前後/アマナス2番街・キャンディショップ裏  アンナ=コートマン(6・女) 二月二十日/四:三十前後/ベレース河・ノベタイル大橋付近  3Dデザイナー:カルティ=フロット(25・男) 二月二十二日/16:12/アマナス五番街・ハインツビル五階  多幸団体NOTS幹部:ベニス=ゴールドン(30・男) ――――――  遺体はすべて原型無く、被害者間に関連性は見られない。無差別猟奇殺人事件としてアマナス保安局は捜査を開始した。  まるで獣が人を食い千切るかのように被害者をズタズタにしていった犯人。保安局はその姿に迫る事もできず、事件は未解決のまま――とされている。  ……関連性は不明だが。  巨体を持つ鰐(?)の死体がアマナスにて発見されたらしい。丁度それを境にぱったりと猟奇殺人は途絶えたようだが、これについては都市伝説とする声が多い。  しかし伝説を信じる人は“それ”を巨大鰐の名に例えてこう呼ぶ―――ギュスターブ―――と。 『開口のキュマイラ』 ― END $四聖獣$ +++++++++++++++++++++++++++ @「開口のキュマイラ」+α ・α1~カットシーン~ 概要:不審者が拿捕されるまでの記録 ↓START <<< カッカッカッカッ…… >>>  複数に折り重なった足音が廃墟に響き始める。厳密には青龍がフィニッシュの一撃を叩き下ろした時にそれらはホテルのロビーを駆けていた。  “彼ら”はまず、廃墟で漂う汚臭に鼻をつまみ、次に崩れた廊下の天井に驚き、挙句破壊された一室の扉(があったと思われる穴)の惨状を恐れ、そして銃口を突きつけながら照らした一室の地獄空間に絶望し、嘔吐した。 「あ。ど、どうも……」  ベッドに腰掛ける青年は証明に照らし出された事で少々ビクッとしたが、反射的に小さく挨拶をした。僅かに腰を曲げて両手は膝の上。律儀である。  だが、そんな礼儀は瑣末事。駆けつけた警官隊の面々は異様な空間に強い嫌悪を覚えながらも、職務に対する責任感から銃口を青年に向け「動くな!!」と叫んだ。  ――青龍は初動、「ほっ」と一息していた。「随分と早く駆けつけてくれたなぁ」と思い、救援の到着に心緩めたのである。  そして眉を顰めた。  警官がこの廃墟に突入したのは表の“死体騒ぎ”からの連鎖であろう。天下の往来に落ちた遺体を囲った際に、廃墟から異音を聞き取って突入してきた……そいうった流れが予想される。何せここは通りに面した一等地。「そう言えば正面のホテル・オーラムに人だかりがあったなぁ……」と、青龍は気抜けた考えを行った。  そこに来て「動くな!!」と銃口である。青龍は拍子抜けの感想で「え?」と声を出した。 「手を上げて壁に寄れ!抵抗は無駄だ!」  威嚇されている……。何がどうなっているのか?  青龍はともかく、怒鳴られたので言うとおりに壁を向き、手を壁に着けた。なぜに怪物を倒した自分がこのような仕打ちを―――・・・ 「………あっ、イカン!」  彼は思い当たって声を出す。 「シャラップ!!」  警官隊が恐る恐る、近づきながら無言を強いた。  青龍は警官隊――つまり、「保安部」がどうして自分を威嚇しているのかを理解した。  当たり前だ。青龍は仲間である男に電話をかけたが、肝心の“依頼主”に対して連絡を行っていない。てっきり自分の思い込みを皆で共有できているものだと錯覚していた。 「ま、待ってくれ!マシェットを……アマナス保安局のマシェット保安部長に取り次いでくれ!」 「シャラァァァっぷ!フリィィィズ!!!」  いきなり早口に訴えた得体の知れない強面の男……そういった輩に対して、警官隊は三人がかりのフォーメーションで迅速な捕縛を試みる。 「違うんだ、落ち着いて!マシェットに、マシェットに取り次いでくれれば全てが――」 「Beッ、quiet!!」  別段抵抗していたわけではないが。  言い訳がましい容疑者に対して、熱い警棒の一撃が振り下ろされた。結果、「ぬんっ!」と一声挙げて容疑者は沈黙。汚臭漂う中で繰り広げられた捕縛劇は無事に成立をみる。  状況の説明がつかない惨状。上官に報告を入れる警官は舌回りの迷いを余儀なくされた。  通話によってあるがままの状況を伝えられると、上官である保安部長は「あちゃ~」と声を出し、急ぎ足にホテル・オーラムを抜け出したらしい―――。 ↑END ・α2~締めの挨拶~  本項、『開口のキュマイラ』を読んで頂きまして、誠にありがとう御座います。  他のCOINS物語にも触れていただけると、尚幸いです。 ・α3~出てこなかった名称~ ◇人名  /ルゥシア=エメラルド  /マシェット=ポウター  /ギュスターブ → トニス=アルメ  /紳士 → “魔協のプリズム”、メロウィン=ゴトー ◇用語  /NCG → ネフィス・コンサルタント・グループ  /進化学者 → リリー=フロイスが確立した学派の残党。キュマイラ(/化獣/合成生物)研究者。  /魔協 → 魔術師協会 → COINS