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~ 悪人A ~

   - 裏の視点 -  夜も深まれり。遠く、どこかで臆病犬が吠えている。  信康少年は布団を首元まで被り、本を詠んでいた。風ケ理(カザケリ)という盲目の詩人が綴った文集は、4つ上の人が著したもの。  スタンドの光に照らされた字面を読み上げていると、涙し、心が落ち着く。  物事を深く考える年頃である。言いたいことを言いたいが、それ以前に何が言いたいのか解からない少年にとって、風ケ理は恰好の代弁者なのであろう。  1人きりの部屋で、愛と未来を考えつつ、よくある光景が信康少年である。  スタンドの明かりを消したのはいつか。気がつけば朝になっていた。  起きて、居間に向かう。今日も父はいないか、などと考えた後に蜂蜜を塗った食パンをそのまま台所で頬張る。  洗面台で手を洗い、顔を洗い、歯を磨く。面倒になったので、整髪はお湯で寝癖を抑えるだけ。先月までは最優先で髪型を整えていたが、最近は優先度が下がってきた。  耳を覆える程度の髪はピアスのカモフラージュ。案外、教師はこのような「違反の自覚」がある違反に対して緩い傾向がある。もっとも、堂々と付けたまま注意をいなせる自信が信康少年にないことも事実。  登校までの僅かな時間をTVのニュースで潰す。寝ている数時間は一瞬なのに、こうして画面端の時間表示を気にしつつ「学校面倒くせぇ」などと思っている10分間は割りと長い。  常に時間の経過がこのくらいなら丁度いいな、などと思いつつ、信康少年はいつもと変わらずに、学校へと向かった。  入学から3ヶ月。目を瞑ってでも行ける気がする道を行き、ついた場所が夜小城(ヤオギ)中学。  学生寮以外の連中は自転車通学が多いが、信康少年は徒歩でも充分な距離に住んでいる。  この季節、衣替え移行期間にあり、半分ほどはすでに半そでのワイシャツを着ている。見慣れた信康少年らはむしろブラ透けが嬉しいのだが、他校からすると貴重なセーラーが夏眠してしまうのは至極無念である。  下駄箱に行くと、そこには「悪人」がいた。この中背で少し痩せた印象の少年。たいした面識もないので悪人か善人かなど知らないが、目つきがすこぶる悪いので皆が「悪人」や「殺人者」などと呼んでいる。  しかしこの悪人。その目つきの割には気が弱いらしく、ろくに目も合わそうとしない。言葉もまともに話せないらしく、若干性質が良くない友人共は「身障」などと言ってちょっかいを出していた。それも今では反応が悪すぎて飽きられる始末。  信康少年は悪人をちらりと見たが、別に話す事もないのでそのまま通り過ぎた。 「おおっ、ノブ、ちょっとこっちこいや」  ノブとは「信康」の略称である。教室前の廊下で呼び止められた信康少年。彼を止めたのは同じバスケットボール部の『和戸部(ワトベ) 友晴(トモハル)』。信康少年も決して小さいわけではないのだが、13才にして190cmを越えるこの化け物の前に立つとガキ同然である。 「どうしたん、昨日? 赤坂達と待ってたんよ~」  和戸部は信康少年の肩を掴むと、親しげに話しかけてくる。 「……昨日? ああ、わりぃ、腹痛が酷くて」  肩にある手を外そうとするが、到底外れる握力ではない。 「いやいやいや、言い訳はいいんよ~」  膝で信康少年の腹を小突く和戸部。しかしその巨体である。虎とじゃれ合うには勇気が必要だと痛感できる。ましてや、信康少年はそれを望む変わり者ではない。 「わ、悪かったって。マジで死にそうだったんだから。今度は大丈夫だからさ」  必死に虎を宥める調教者の気持ち。悔しいことは、この虎、デカイ上に顔つきも爽やかクール系であること。信康少年も悪くはないのだが、比べて軍配が上がる可能性は皆無である。 「ほんとか? 体は大事にしろよ? ダチとして心配するしさあ~」 「わかった、わかったから、撫でんな!」  子供に接する親御のように、その雄大な掌が信康少年の頭部を撫でる。精神的にも髪型的にも嫌なものだ。  教室の大勢はおよそ「寮組」と「通学組」に分かれる。とはいっても、1学年6クラス。1クラス30人前後のそれぞれ半数以上は「寮組」となっている。  寮暮らしの費用の高さもあってか、基本的には寮組=上流、通学組=下流という家庭的なランクの差がある。  財力に差があり、尚且つ身体能力も学力も突出しない人間が、学生生活を明るくエンジョイする方法。それは明るくエンジョイしているグループから仲間だと認識されること。簡単には共通点などがあればいいのだが、無い場合は芸か才能を持って注目させる。  芸も才能も無い場合。時間と意思を割いて自分を合わせていくしかない。窮屈ながらも、それしかない。無理なら同性のみの少数グループとなって、教室の端で弁当を食べることになる。  信康少年は『赤坂(アカサカ) 秀司(シュウジ)』の周囲にある輪を構成する一人となれている。気を抜けば、いつでも分離してしまうような危うい周期の衛星だが、とりあえず仲間として見られている。  赤坂は今朝も変わらずに「おっす、ノブくん」と口を半分だけ上げた笑みで挨拶をしてくる。垂れ目なその表情は一層小馬鹿にしたものとなるが、決してわざとではない。  いつもこんな感じ。この気だるさが赤坂であり、赤坂といえば「だるさ」である。  下層の“友人”にありながら、赤坂と反りが合っていることで、信康少年は比較的自由な振る舞いが可能となっている。  反対に、赤坂と対等な位置にある和戸部とはとりあえずこちらからは合わない様子。  赤坂達5人が男子の筆頭ならば、女子の筆頭は神崎ら3人である。当の『神埼 マナ』は顔こそ悪くはないが、足が短く大根という点が男を悩ます。それでもいいのか、ええのんか、と性欲という悪魔が皆の耳で日々囁いている。気を抜けば持っていかれそうだ。  赤坂的には「明るくて良い感じじゃね?」らしいが、彼は重度のオッパイ症候群なので特殊なサイドから見た意見に部類される。  信康少年的には神崎には『幹下 リミナ』を見習って欲しいと思っている。  神崎はハーフ、リミナはクォーターなのに。リミナの腰の高さといったら、もう、やばい。太ももだけで6杯はイケルと仲間内で意見が纏り、リボルバーと影で呼んだこともある。  この三人組に外れはいないのだが、『藤間 桐子』はあまり話題にならない。可愛いのだが、他の2人にくらべると普通で、性格も前にでるタイプではないからだ。  信康少年は常々リミナを狙っているのだが、他の4人(赤坂は神崎?)も同じらしいので、状況は厳しい。リミナはすでに経験者で、現在は3年と付き合っており、それもにがい。  幾ばくかの軋轢(あつれき)はあるが、このグループが最も活発であることは確か。彼らがクラスの中心にあり、また他の者からの憧れの場所でもある。  その日の理科は科学教室での移動授業だった。  和戸部が便所に行きたいと言ったので、信康少年は仲間である『磯部(いそべ)』と共に連れションに向かった。それはいいのだが、この磯辺という少年。若干潔癖であり、一度小便をすると手を3分は洗い続ける。和戸部も和戸部で、小便の出が悪いのか、やたらと事に時間をかける(ただし、手は洗わず濡らす程度)。 「おまえ、それ洗えてネェよ」  ハンカチで水滴を丁寧に拭いながら磯辺が忠告した。 「洗ったって! お前が洗いすぎなだけだろ」  和戸部が同意を求めるように信康少年を見た。 「磯辺長すぎ、和戸部汚ねぇ。俺、丁度良い」  信康少年はくだらない議論だと言わんばかりに言い捨てる。  和戸部は「汚くねぇよぉ~」と言いつつも、ワイシャツで手を拭っていた。  もうすぐチャイムだと言うのに、今更教材を取りに自教室へ向かう三人。  教室に入ろうとした信康少年はぎょっとして立ち止まった。  教室の廊下側、一番前、たった一人の教室。  名簿で『青山』は1番最初であり、席替えの時も周囲から避けられ、その場所に放置された。「悪人」はもうすぐ授業が始まるというのに、まだ自分の席に座っていた。 「青山、授業は移動だぞ」  信康少年が声をかけた。  声に反応し、振り返る悪人。彼は気味が悪い程の目線で見返してくる。  この時、信康少年は気味の悪さよりも彼に親近感のようなものを覚えた。  それは勘でしかないのだが、悪人は今、驚いている。そして戸惑っている。そんな人間らしい状態にあるのではないか、と。なぜならその時彼は珍しく、人と視線を合わせていたからだ。 「早く行けや、もしくは死ね!」  和戸部の罵声に驚いたのか、悪人は教材一式を机から取り出すと、振り返ることもなく、教室を出て行ってしまった。 「わっ、かわいそっ」  磯部は愉快そうだ。 「キモクね? あいつ、こっち見てたぜ。ほんと死ねよな」 「そりゃ呼ばれたら振り向くだろ」  興味ないような体を装い、教材を小脇に抱える信康少年。その言葉は、悪人を護る目的なのか、声をかけた事実を霞ませる目的なのか。その罪悪感はなんなのか。  教室を出る際、和戸部はわざわざ悪人の席へと向かった。 「時間ねぇって」  信康少年が呼びかけても、和戸部は足を止めない。  磯部も愉快そうに和戸部に続く。 「和戸部、先行くぞ、俺は」  そうは言ってもそれはできず。結局、悪人の席へと向かう信康少年。  和戸部は悪人の机にしまってある教材の束を取り出す。 「なんかペンない、ペン」  筆箱を持たない主義という学業を舐め腐った男、和戸部は磯辺から太めのマジックを借りると、それで片っ端から悪人の教材の名前欄に文字を書き込んだ。  書かれた新たな名前は「死ね」である。 「あ~あ。お前ホント死ね好きな。他にねぇのかよ」  信康少年は和戸部の幼稚さに呆れた。しかし、隣の磯辺は愉快そうだ。 「はい、カンセ~! これで悪人の名前は正式に“死ね”君になりました! アハッ」  元から持ち主の名前は書いてないのだが、その全てに死ねと書かれたら確かにそれが名前に見えなくもない。  和戸部は悪人の教材を机に適当に突っ込むと、信康少年に誇らし気な笑顔を見せた。 「自分で名乗られたのならしかたないよなっ」 「しかたないね、しかたない」 「お前が書いたくせに」  和戸部と磯辺のやり取りに、信康少年は溜息で答えた。  くだらない事をしていた時分、始業のチャイムが鳴る。  三人は教室を出て、科学教室へと急いだ。  四限の授業が終わり、昼になる。寮の近くにコンビニと学食があるが、通学組の学生は主に弁当を持参している。寮組の学生は寮内の大広間で給食を食べる者が多い。  信康少年は赤坂と共に学校裏の商店街で行きつけのラーメンを啜った。和戸部らは学食でいつも食事を摂るので昼は大体一緒にならない。和戸部に至っては、寮暮らしなくせに、几帳面にも弁当をこさえる癖がある。  赤坂も寮暮らしなのだが、商店街の居心地が好きだと言い、早い段階から昼はここで摂っていた。そもそも小学生の頃から馴染みがあるらしく、店主の面々も赤坂に「学校で食え」などとは言わない。  信康少年はかつて弁当を持って和戸部らと食べていたのだが、赤坂に誘われて以来、赤坂と食う方が楽しいのでそうすることにしている。  しかし、金銭的に厳しく、信康少年は夜を抜いてまで赤坂と行動を共にしていた。  一月程そんな生活が続くと、成長期にある信康少年が明らかにやつれてくる。  そういった日々の最中、赤坂が突然に「俺ら学生で金が無ないんさ、頼むわ、昌(マサ)サン」と切り出した。  商店街の顔役である老年の店主は阿吽の呼吸に赤坂の意図を読み取り、「しょうがねぇなぁ。暇が出来たら働いて返せよ」と小粋に返し「おっと、今はおベンキョーが優先だぜ」などと続けた。  金が湯水のようにあるはずの赤坂が何を言っているのかと信康少年は疑ったが、5日後の夕食を食べている際にふと、二人の会話を理解する。  理解した少年は、家で1人、涙を流した。  風ケ理を読むたびに涙するのは、赤坂の薦めた詩ゆえ、であろうか。  赤坂は異常なほど頭が良いが勉強は嫌いで、異様なほどに体力があるが運動は嫌い。  顔つきには性格が滲み出るもので、その性質が良かれ悪かれ、隠そうとするかしないかで印象が変わる。  赤坂の「面倒臭がり、てきとう」な部分は悪いものだが、気だるいその表情に人は男女問わず惹かれている。そのくせ極端に嵌った事にはまったくその気を見せず、今もこうして将棋の話を永遠と続けている。  和戸部らといるときは口数少ない赤坂も、食事の帰りにコーラを飲みながら信康少年と駄弁っているときは口周り速い。 「お、悪人じゃん」  ふいと赤坂が悪人の名を出した。信康少年が何かと思うと、赤坂は裏池の先を指差した。 「は? みえねぇけど」  信康少年から悪人の姿は確認できない。 「いや、あの岩の裏。ほら、水筒あるだろ、あいつあそこで食ってんだ」  赤坂はコーラを飲みながら裏池の先を指差した。  信康少年には今一見えないが、悪人は裏庭の池付近で昼食を摂っているらしい。  裏庭の池は学校のものではなく、学校の敷地が、元からあるこの大きな池の一部を含んでいるだけに過ぎない。その対岸ということは敷地の外なわけだが。 「さっさと昼いなくなるな、と思ってたら。寂しい奴っちゃのぅ」  哀愁の目線を送る赤坂。 「確かあそこ小屋あったよな。古くせぇの」 「え、知らネェんだけど。ていうかあいつの名前ってなんてーの?」  用途不明の小屋より、悪人の名前への興味が勝ったらしい。 「青山だよ、下の名前は知らねーケド」 「“くらすめいと”だろうが、名前くらい知っとけって……」 「おめーが言うなっつの、アホか――」  何かは知らないが。  二人ともここで腹を抱えて爆笑。箸が転げても笑う状態。ネタよりも、互いの息が面白いように合致した事が嬉しいのだろう。  和戸部達の元へ向かう道中も、「悪人」と言うだけで「知っとけよ」と返して笑う。ツボに入った赤坂は以後、5限目まで立ち直れなかった。  昼休みも終盤。  外履きのまま歩き回っていたことに気がつき、下駄箱へと向かう信康少年と赤坂。ようやく落ち着いてきた赤坂だが、時折「ネーヨな」などとふきながら信康少年の脇腹を突く。信康少年としてはいい加減そのネタにはとっくに飽きているのだが、とりあえず赤坂が面白いので「わかった、わかった」とニヤけながら宥(なだ)める。  開いた小扉の先。視界が赤坂から内履きに変わった時。  内履きの上に乗っている白い紙。  何か。いや、何かは大よそとして解かる。しかし、本当に存在するものなのかと、疑い硬直する。 「どうしたん?」  などと覗き、 「……おいお~い!?」  舐めるような目線で信康少年を見る赤坂。 「いや、うっそ! いや、ねーだろ。違うって」  信康少年がなぜか弁解しながらその紙を開くと。  それは紛うことなき、 「らぁ~ぶれたーじゃんかよ! おもしれっ」  赤坂は恋文を取り上げて読もうとするが、拒まれる。  こういった事柄に関わり深い赤坂はどちらかというと「事故」を目撃した野次馬の騒ぎだが、そもそも告白したこともされたこともない信康少年の心は青春の騒乱である。  名前だけでもとせがむので、相手の名前を告げる。  さらに程度を上げて笑う赤坂。  五月蝿くて、目立ってしかたないのでその場を駆け出す信康少年。というよりむしろ、昼休みも終わる間際ということがやばい。  駆け出す信康少年に赤坂は「ガンバレや!」と声をかけた。  1、2年校舎と3年校舎の境目。文面にあった場所にその娘はいた。  信康少年は開口一番「遅れてゴメン」と誤り、息を吐く。  同時に、昼休み終了のチャイムが鳴ってしまった。頭が真っ白になって立ち尽くす信康少年。  授業が始まってしまっては話もしにくい。  だが、彼女は怒る素振りもなく、放課後にもう一度会えるかと聞いてきた。  当然ながら、会える。むしろ他の様々な用事を無視してでも会うだろう。  信康少年が場所を知っていたこともあり、彼女の提案はすんなりと通った……。 |WORLD-CAUTH|  白い着物。それには一切の汚れが無く、影の存在すら忘れてしまいそうに潔癖。  その侍、現代には似つかわしく、蛍光灯の元に不満げな表情を浮かべている。  床に転がる肉塊は生臭く、汚らわしい。  結果としては同じである。生き物全ては皆、結果が同じ。  あそこで壁に貼り付けられている人の皮も、ここに転がる鬼の肉も、同じ“死”にすぎない。  日本国内でやることなどもはやあるまいと思っていた『青山 悠馬』だが、思っていた以上に早く邪魔がいなくなったことが幸い。事のついでにこうして斬るべき者を斬る余裕すらできた。  白い髪の侍、現代に似つかわしく、懐よりiPhoneを取り出し通話を始めた。  既に歩を進めており、鮮血鮮烈なる部屋には犠牲となった人の皮と、加害者である鬼の肉塊を貪る白い怪物が残された。ものの5分ほどで怪物はゴミ処理を終え、仕上げに部屋の隅々までを舐めて惨劇の跡を消し去る。  白い怪物は事を終えると、一笑いの後に紙切れとなって、床に揺れ落ちてしまった―――。
  - 表の視点 -  僕は、友達が欲しかったんじゃない。それ以前に、「友達」が解からなかった。  僕という樹木から繋がる関係は「父」「母」「兄」「姉」、そして「他人」。それが全てで、それ以外の枝なんて在るわけがなかった。  だからこそ、初めての頃は「学校」の意味が解からなくて、どうしたらいいのか、毎日が試行錯誤の連続だったことを憶えている。  僕はまだ“判断”が脆弱なので、以前から父に「お前に人はまだ早い」と釘を押されていた。そうでなければ学校になんて行けなかっただろう。  あれから3ヶ月。青が強い髪は目立つので、毎朝黒く染めてから出掛ける。この日課にもそろそろ慣れてきた。  山を跳ね降りると送迎の車がいつもの場所で待っている。1人での外出はこれまで無く、接する人が「そうであるか、そうでないか」の判断はいつも父が行っていたので、最初は運転手にどう接していいのか困った。今では「そうではない」ことを知ったので通学は嫌じゃない。  片道10km程の道のりを行き、中学校が近づくと僕と同じ服を来た少年や、セーラーという服装の少女達が増えてくる。どうやら僕のように車で通う人は少ないらしく、今でも学校で「どうして車で通っているの?」と聞かれることがある。なるべく接点ができることを避けたいのに、これでは髪を黒く染める理由も薄れてしまう。  学校に通う意味は「自分で判断できるようになる」ためだと兄から聞かされたので解かっている。しかし、それはまだ先にいる僕の話であって、今の僕は判断なんかできない。  それに、「そうではない」人に対してどう接したらいいのか。  運転手は僕に話しかけないし、見ようともしないのでとても嬉しい。でも、この学校という施設の人々は僕を見るし、話しかけるし、危うくは触ろうとさえしてきた。今頃になると僕に触ろうとする人はいなくなったが、それでも休憩の時間には遠くから僕を見ていることがある。  不可解なのは、『青山 龍進』という僕の名前を無視して、僕のことを「悪人」やら「殺人者」やら「気喪衣(意味は解からない)」などと呼ぶ事だ。最初は僕のことだとわからなくて、反応できずにいたら怒鳴られたことがある。今は僕のことだと理解しているが、どのみちどうやって対応したらいいのか知らないので、結局は無視している。  いつのことか。 2人の少女に「なんでいつも怒っているの?」と聞かれたが、別に怒ってはいないので「怒っていない」と答えたら、何やら「コワイ」を繰り返し、笑い合いながら離れていった。僕が彼女らを「怖れている」のと同じく、彼女らも僕を「怖れている」ということは、普通の人間同士は互いに「怖い」で繋がっているのだろう。少しだけ、施設の人々との関わり方が見えた気がして安心できた。  でも、不思議なのは「怖れ」で繋がっている彼らが談笑したり、気軽に触れ合っていること。兄さんが他の「そうではない人」同士の関係を見て、真似て憶えろと言っていたが、「怖い」ものにわざわざ触れている彼らは互いに「そうである人」同士なのだろうか。だとしたら参考にならないし、ここに僕がいる意味が無くなる。  何より、彼ら全てが「そうである人」同士ならば、なんで一刻も早く殺してしまわないのかが解からない。そういう指示なのであろうか。  母の作ったお弁当を持って昼食を摂る。最近は自分で作ることも多いのだが、やはり母には敵わない。米の一粒一粒から味の暖かさが積み重なっていく。  できるだけ誰もいない場所を色々探した結果、裏庭の池の対岸が比較的良い場所であることを知り、以来僕はそこで昼食を摂っている。  裏庭の池は施設のものではなく、施設の敷地が、元からあるこの大きな池の一部を含んでいるだけに過ぎない。だから、この対岸も施設の敷地ではない。確かに、こんな林に埋もれかけた苔塗れの場所が整備された敷地だとは思えないけど、隠れられればなんだっていい。特にこの、大きな緑色の苔岩の後ろなど最適だ。近くにある蔦に覆われた小屋も、古さが家に似ていて落ち着く。こべり付いた生臭さや生命の跡も、いつもどおりで安心できる。  鳩が鳴いている。 僕はおやつの金平糖を口に含み、丁寧に舐めた。幼い頃に歯が欠けた思い出から、僕は金平糖を噛み砕けなくなってしまったが、それでもたまに食べる。甘い物はやめられない。  できることならば、ここまま家に戻りたい。また、あのどうしたらいいのか解からない場所に戻りたくない。人がいない場所に行きたい。父さんの指示だから、できるだけ僕も成長したいけど、やっぱり「そうではない人」は怖い。  しかし、そんなことも言っていられず、僕は腰を上げる。対岸から聞こえてきた鐘の音が、いつものように施設の人々を、生徒達を呼び戻す。  僕もそれに従ったのだが、悩んでいたせいか。箸をその場に忘れてしまった。忘れ物に気が付いたのは5時限目の終了前。僕は終わりの鐘の後に、いつものように急ぎ足で教室を出ると、外履きに変えて池の対岸へと駆け出した。  雑草を踏み分けていつもの苔岩に辿り着くと、少し残念な気持ちにはなったものの、僕の箸はきちんとその場所に置いてあった。「すまない」と思わず言って、それを学生鞄に仕舞う。  箸を回収できたことは嬉しいけど、やっぱり残念だ。近くの蔦に覆われた小屋には2人、人がいたらしい。何やら粗雑な音を立てているが、とにかく自分だけの場所だと思っていた場所に人がいることが残念で他ならない。  立ち去ろうかと溜息を吐いた時、小屋から1人が現れた。いつもと少し違うが、その人は同じクラスに属している『藤間 桐子』である。そうかなぁと思っていたからか、よく見ていたので名前は憶えていた。  怖いので、人とはなるべく関りたくないのだが。藤間 桐子は口の血を拭いつつ、こちらを一直線に見ている。どこか姉さんに似ていて、池の水のように静かで、波の無い落ち着いた顔。姉さんには劣る物の、整った顔である。手に持っている腕の指を齧りながら、藤間 桐子は僕に話しかけてきた。 「あなた、見たのね」  何を見たのか。主語が無いので判断できず、僕はいつものように黙る事しかできない。 「ごめんなさい、2人もお腹に入らないかもしれないわ。なるべく残さないようにはするけど」  これでは結局、僕が何かを見てしまったのかどうか答えることはできないが、何か言わないと進歩が無いと思い、思い切って聞いてみた。 「普通の人は、“人間を食べない”ものだろうか」 「――――」  質問が悪かったのか、今度は藤間 桐子が黙ってしまった。やっぱり、どうやって接したらいいのか解からない。 「すまない。そうだとしたら、妙なことを質問してしまった」  なんとか適切な対応をしようと思い、とにかく謝ったのだが、彼女は首を傾げたままやはり黙っている。  こうなると、僕は何をすればいいのか解からず、いつものように黙るだけ。父さんや兄さんの期待通りにはいかない。もっと、人とちゃんと関りたいな。 「――怖いのね。だから、混乱しているのね」  やっと答えられる質問が来た。当たり前のことなんだろうけど、僕は彼女(ひと)が怖いので、この質問には答えられる。 「人は、怖い」 「そう。そうよね、ごめんなさい。頭から食べて、すぐに意識を失くしてあげるから。安心して」  彼女は、微笑んでくれた。これは大きな進歩ではないか、と僕は感動した。  施設の他の人々のように、僕は人を笑顔にできた。どうやら、人との関係を上達する鍵は「対話」にあるらしい。嬉しい。ただ、彼女が涙を流していることが不可解。涙を流すということは悲しんでいるということ。でも、彼女は笑っている。笑っているということは……。 「目を瞑って。すぐに終わるから」  僕の頭を両手で鷲掴みにしている彼女の優しい香りが、僕の嗅覚を緩めてくれた時。これはこの3ヶ月間で初めての事態ではないのか、という疑問がよぎった。つまり、彼女は僕にとって「そうである人」なのではないか。 「ああ、こういう場合が“そう”なのか……」  僕は気がついて、鞄から箸を取り出し、いつものように振り上げた。刀身と勝手は異なるが、突き詰めれば同じである。  慣れてもいたので、いとも簡単に藤間 桐子の胸部は縦に裂け、セーラーから血が噴出した。  彼女が妖怪か鬼かはともかくとして、人に害を与え、僕を食べようとしているのならば、彼女は兄さんが言っていた「そうである」条件の内2つを満たしていることになる。「人の害となる存在」「僕の命を奪う存在」、これらは兄さんが真っ先に言った2つだ。  「そうである人」ならばやれる時にやるのが鉄則。本当ならばここで父さんか兄さんに正解、不正解を聞きたいところだけど、そこを自分で判断する事がそもそもの目的。とりあえずやってみなければ答え合わせもできやしない。  彼女は比較的弱い部類らしく、胸を抑えて悶えていたところを簡単に術で磔にすることができた。白い肌が出血でさらに白くなっていく。  確実にするために僕は素手でいくことにした。彼女の首が思った以上に堅かった場合、箸では折れてしまう可能性がある。小さい頃からの付き合いで、老後まで大切に使うと決めた箸は鞄に戻す。  珍しく、彼女には喚いたり命を請う素振りがない。呆然と、腐葉土に垂れ込む血を眺めている。 そして、彼女は微笑んだ。  左腕を振り上げ、たっぷりと霊を込めて確実に、一刀の下に落とせるように構える。  念のために「正解」であることを確認しようと彼女に聞いてみた。 「さっき君が食べた人は、君にとって害がある人じゃないよね」  藤間 桐子は表情を戸惑わせて暫く黙っていたけど、そのうちに「そうよ」と答えた。やっぱり、「そうである人」だ。  そうして確信を持って腕を振り下ろそうとした時、少し前の質問が気になった。 「――――“普通の人”は、人を食べるんだよね」  確信を揺るがないものにするはずだったその疑問に帰ってきた答えは――「いいえ、食べないわ」だった。  これはおかしい。ならば、妖怪や鬼は人を食べる必要があるのだろうか。それは者によると父から聞かされていた。 「君は鬼なの?」 「違うわ、妖よ」  これには即答だった。つまり、彼女は人を食べる妖怪だということ。ならば、彼女は人を食べなければ生きられない類なのであろうか。 「君は、人を食べないと生きていけない?」 「そうだけど……どうして私を殺さないの?」  質問された。こうなるともう、意味が解からない。兄さんは「生きることに必要」なことは優先されるべきだと言っていた。そして今の場合、そうなると意味が解からない。そして悩んでいるところに彼女から質問されて、どうしたらいいのか解からない。今にもやけくそに腕を振り下ろして、全てをうやむやにしてしまいたい。でも、期待に答えたい。  最終的に、困惑していた僕の思考を纏めてくれたのは、困惑した表情の藤間 桐子だった。彼女を見ていたら、いつのまにか僕は束縛を解いていた。 「殺さないの?」  尚も困惑している彼女に、とりあえず落ち着いた僕は「ああ、やめた……すまない」と、答えた。迷惑をかけたことは確かなので、頭も下げる。  この動作に何か不備でもあったのか、間違いでもあったのか。僕の所作を見ていた藤間 桐子は暫くの“間”の後「あはは」と、愉快気に声を上げた。なんだか彼女の楽しげな表情が恥ずかしくて、僕は俯いている。 「青山くん」  日に二度も名前を呼ばれるなんて。ちょっと驚きつつも顔を振り上げた。 「また、明日ね」  水面のようなその人は、手を振っていた。 落とした腕を拾った彼女は、血染めのセーラーを気にしながらも、僕に笑顔を向けて手を振っていた。  やがて蔦に覆われた小屋から粗雑な音が聞こえてきたが、僕はその音も、その小屋に人がいることも、残念ではなかった。  家に帰ると僕は母さんに挨拶をした。母さんは台所で料理をしていて、今日は僕の好きな葱の味噌汁らしい。具は少なめが好みだ。  部屋に戻る途中、障子越しにいる姉さんが声をかけてくれた。 「お帰り、龍ちゃん」  相変わらず調子はよくなさそうだけど、声をかけてくれただけでも嬉しい。 「ただいま、姉さん」  僕が答えたあと、障子が少しだけ動いた。障子と障子の間にできた隙間から、黒頭巾に覆われた顔が覗く。 「龍ちゃん」 「なんだい、姉さん」 「学校って、なぁに?」  素っ頓狂に聞かれても、僕だってそれが解からなくて悩んでいる次第。 「……教育する施設らしいけど、何も教えてくれないから解からない」  姉さんは僕の答えが予想と違ったのか、「え」と小さく、可愛く呟いた。頭巾を少し捲って、艶やかな髪と吸い込まれそうな瞳が露わになる。久しぶりの綺麗な光景に、僕の胸は高鳴った。 「お友達は?」 「友達?」 「そう、お友達」  姉さんは時折意味のわからないことを呟く。部屋に1人でいるときも、障子の先から聞こえてくるが、こうして話しているときもそうだ。  無関心な父さんはともかく、母さんは姉さんの望む通りのものを用意している。だから、姉さんは本なんかもたくさん読んでいるらしい。だけれど、実際に外を見られるわけではないから、知識は「名前や概要は知っている」に留まり、具体的に知れない。そういったことはせっかく僕が体験していることならば、それを利用してしまおうということだろう。 「友達、それは物? 学校にあるの?」 「ある者よ。おとつい読んだ本では、学校は友達を作る場所だとあったわ」  姉さんよ、“作る”とは如何に。兄さん達からはそんな話を聞いていないので、たぶん姉さんは本に騙されているのだろう。しかし、姉さんは友達を期待しているらしいので、軽々しく否定はできない。 「今度、作ってみる」 「本当? 作ったらお話を聞かせてね。姉さん、待ってるわね」 「頑張るよ」  僕の返事を聞いて期待が膨らんだのか、姉さんは満足気に瞳を微笑ませてくれた。嬉しかった。 「雫よ、龍とは仲が良いのだな」  唐突な声で、振り向くとそこには兄さんがいた。兄さんは柱に寄り掛かり、障子の隙間を閉じた瞳で眺めている。  いつからいたのだろう。会話に浮かれていて気がつかなかったのだが、そんなことが悟られたら怒られるので、僕は丁寧に平静を装った。  気がつくと障子は閉まっていて、姉さんの可憐な顔は隠れてしまっている。 「雫よ、俺も笑顔を見たいのだが、せめて一言くらい叶わぬものか?」  兄さんは変わりなく、白い着物を着ていて、目を瞑ったまま障子に話しかけている。しかし、障子の人はその奥から消え失せてしまったかのように応じない。 「そろそろ許してくれよ、なぁ、龍心。お前からも頼んでくれ」  兄さんは頬を指でかきながら、僕に助力を求めてきた。 「やめて、龍ちゃんを使わないで!」  やっと帰ってきた障子からの返事は棘棘しいもので、兄さんは苦笑いと共に僕を見た。珍しく愛嬌がある表情だとは思ったが、瞑った目では多くを感じられない。とりあえず、姉さんとの時間を邪魔した兄さんに協力しようとは思えず、放っといて僕は部屋へと向かった。 「薄情じゃないか、龍よ」  そんな儚い声が聞こえてきたが、それも後になって「ちょっとは協力してもよかったかな」という考えが過ぎる程度だった。  夜は寝ずにいた。兄さんに聞きたかった事を聞きそびれたので、兄さんの帰りを待っていた。聞きたいことは当然、今日のこと。藤間 桐子を見逃したことだった。  夜も2時を過ぎた頃、兄さんは帰ってきた。  夏場だから多少は仕方が無いことだが、兄さんは戻って早々に浴場へと向かった。夏場とはいえ、それでもシャワーで済んでいないことを考えると、やや不調だったらしい。お始末の好不調は風呂の時間で大体判断できる。父や兄程ならば、夏場以外は帰っても風呂に入らないことが大半だが。  風呂から上がった兄は、牛乳片手に僕の待つ縁側へと赴いてくれた。 「この兄を待つとは、珍しいな」  柱に寄り掛かって、牛乳を一口。溢したところで染み1つ無い白の着物なのだが、溢しはしない。 「俺は温情だからな。弟の悩みの1つや2つ、仕事帰りの夜中でも邪険にはしない」  牛乳の合間に一言。夕刻のことを根に持っているのかもしれない。  庭は有っても無いようなもので、それはほとんど周囲の山林に紛れてしまっている。  鈴虫は鳴き、蟋蟀は囀り、梟の声が木霊した。林より木々が開けた屋敷の空は高く、星は途方も無い位置にあると疑いようが無い。  風は落ち着き、空気は澄んでいる。 「龍よ。人を殺めたか?」  兄さんは空の牛乳瓶を寂しげに覗いた。 「いや、殺めてはいない」 「…………」 「ただ、迷った」  どうして殺めなかったのか、どうして迷ったのか。質問に次ぐ質問を予想していたのだけれど、兄さんは何も聞きはしなかった。期待に反する無言で、もしかしたら僕は聞いて欲しいのかもしれない、そんな思いが湧いてくる。  兄さんは牛乳瓶を深い空にかざして、屈折する光を眺めている。  瞑った目から見るその光景は、今の僕では想像しようもない。 「龍よ、我々のような人間は2つに1つだ。“判る”か、“判らぬ”か。俺は後者よ」  鈴虫が、鳴く。 「“判らぬ”ことが悪いとは言わんがな。龍よ、お前は“判る者”であれ」 「それには、どうすれば?」 「簡単、“聞かぬ”ことよ。それでお前の意思は護られる」  蟋蟀が、囀る。 「それでは、なんのために施設に通っているか解らぬ」 「定めているのさ。お前が俺に近いか、父に近いか」  梟の声が、木霊する。 「…………」 「“聞くな”、龍心。俺はお前が“判る者”であることを望んでいる」  疑問を断ち切るように、兄さんは腕を横一文字に振りぬいた。  庭に響く紙袋が勢い良く破れたかのような破裂音。鈴虫も、蟋蟀も、梟も。皆、一斉に黙り込む。  静寂となった山林に、枝葉が擦れ、幹が激突する音が響いた。  樹木が無数に切り落とされ、景色に木々の月影が減る。 「前から気になっていた。これで見栄えが良い」  兄さんはそう言うと、僕に背を向けた。  僕は、怒る兄さんにもう、何も言う事ができない。 「自分が壊れそうになったら再び俺に聞け。“解からぬ者”として道を示してやる」  それだけを残し、兄さんは屋敷の奥へと消えた。  不甲斐ない自分。兄さんは僕の今よりも、僕の将来を望んでくれていたというのに。叱られて気がつく内はとてもではないが子供――。  僕は1人。月に見下されながら、縁側で涙を流していた。  自分の情けなさに嫌気がさす。  いつだって僕は自分を刺したり斬ったりする夢を見ながら眠るよ。  僕は駄目な人間だから、それがとても楽なことだと思えるんだ―――――。  END