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|私は艦隊の書庫であった|

/COINS/ +++++++++++++++++++++++++++ /――【デイヴィッド=スノウ】。彼は整理整頓が好きな少年だった。収集癖もあるが、それは嵩張らない。一見して噛み合わないそれらの趣向は、実際のところ大いに相互作用することになる。  彼は便利な装置。ならばこそ、せめて優秀な持ち主を求めることが唯一の願望となろう。それは苦難な道でもある――/ +++++++++++++++++++++++++++ Story:|私は艦隊の書庫である|前篇 Phase 1  しがない会社員の父は、仕事から帰ると本能のように酒を飲んだ。酒の匂いは幼心に「臭い」と感じていたが、その時ばかりは普段物静かな父が饒舌となる。私はその時間、その空間が好きだった。  父には口癖の説教があり、それはしどろもどろに酒の呂律に狂いながらも、切々として私にしつこく言い聞かせてくれていた。曰く「いいか、デイヴ。世の中が何でできているのか、お前はまだ知るまいよ? いいか、デイヴ。世の中はな、社会は人間と人間、それはもう面倒くさいくらいの人間関係で構築されているのさ! いいか、デイヴ。お前はとにかく、どんなちっぽけな繋がりでも大切にしろよ。蔑ろに断ち切った細い糸が、後々に巡り巡って致命的な足枷になることがあるのだからよ。 ……いいか、デイヴ。しかし、そんなに頑張るな。見せかけでも繋がってればいい。質より量、厚みより本数。でないと、切りたいときに切れなくなるからな……」。  父は神妙な顔つきで説教をするのだが、その目線はふざけていてほとんど私を見てはいない。酒の入ったコップばかりを見ていた。だから私も「うんうん」「へぇ」と言ったそれこそ蔑ろな生返事をしていた……と記憶している。  それが、これでもかと街中に流れるCMソングのように。毎日毎日環境音のように耳に入っていた彼の教えはいつの間にか私の思考に影響を与えていたらしい。学生時代から私という人格は、前に出て先端を目指すことより、一歩引いて状況関係を見渡しながら、なるべくなるべく糸を集めるように、一度掴んだ糸は離さないように……鈍足で視野の広い人生を心掛けてきた。  そうしていると、露骨に敵対する人間はあまりなく、心酔するほどの親友もなく、されど「お互いに会えば挨拶以上に会話をする」関係を多く持つようになっていた。メモが必要ないこの頭にも助けられているのだろうが、私には広い範囲からの情報が入り、広い範囲から新たな関係が始まり、より一層の範囲から更なる情報が入り込んだ。  よく言われる「デイヴ、愛しい○○ちゃんは俺をどう思ってるかな?」「デイヴ、手早く稼げる、何か良いバイトはないかな?」「デイヴ、あの教師の、何か弱みになるような情報はないかな?」・・・・・・。  それらに。右のこめかみを抑えながら、私は往々にしてこう応ずるのである「ああ、それならね――」と。  父の教えは幸運なことに、私の性根によく合致していたらしい。  私の趣味は形ないコレクションを整列し、比べ、見方を変え、他の意味を考え、グラフや表にしてほくそ笑むことである。この趣味の産物はあまり人には見せたくないのだが、これがどうやら物によっては人の興味を引くらしい。時代が紙とペンの現実から0と1のシンプルな世界へと移行しつつあったこともまた、私にとっては有り難い。  特段、目立った成績を残したわけではない。得意な科目はあろうが、肉体的に平均的な私はジョックの秘書みたいな扱いであったのだと思う。それでも明確な立ち位置のない私は、インテリやお坊ちゃまとも隔てなく付き合いがあった。どれ一つとして踏み込んだものはないが、利益を求め合う関係には信頼と実績があれば十分だと学んでいる。  体育会系の付属としてそれなりに美味しい思いもあったが、どうにも「ここぞ」という場面で私は深い関係を拒んでしまうらしい。一つのことに集中して視野が狭くなることが心底怖いのである。左右の視野を優先した草食動物のように、私は臆病な進化を遂げてしまったのだろう。だが、それは肉食動物から捕食されるのではなく、「協力を仰がれる」類目だ。  市場のリサーチには常に価値がある。それは強くメディアとも繋がっているものだ。私にはどちらの進路もあり、迷いの内に入った銀行で「私の思考は社会に通じるものなのか」をテストすることにした。酒で身体を癒す父を見ていたので、甘いものではないと警戒をしていたからである。学生という保護膜を失う自分に不安があったのだ。  最悪、転機の為の資金だけでも……と考えていた第一歩だが、これが思った以上に私のこれまでと合致していた。結論を言えば。金と情報は触れるか触れないか……という違いだけで、実質的に「=」の性質だということである。  労働によって資金を蓄えた私は、社会に散った知り合い達がそれなりの影響を持てるころに自立することにした。私が持つ「銀行員」の肩書に頼っていた数人には申し訳ないが、まぁ、そういう時にこそ父の教えを再確認したものである。  情報は鮮度を持つ土地のようなもので、寝かせて扱うことが難しい。希少性というコレクション要素も重要となるので、よくよく吟味してその属性を見極める必要がある。  私は得た情報をファイリングする際、そこにいくつかのステータスと評価を見出す。というより、それは誰もが行うことだとは思うが、基本的に無意識なもので間違っても目には見えないものである――と、ある知人が言った。学生時代も終わりの頃だろうか。私にはそれが衝撃だった。  私にとって|情報|とは現実に形なくとも要素によって構成された|存在|であり、非現実の視覚……例えば夢の中や記憶の回帰に見るような感覚で「見る」ものだと当たり前に考えていた。だが、それは一般的ではなく、異様なものらしい。PCは感覚の表現、他者との共有装置でしかないという考えも、普遍的になりたいならば改める必要がある。  突出無く、一歩引いての八方美人を務めてきた。  自分の立ち回りを父から受け継いだ思想のおかげだと信じていた私は、「自分が異常だ」と知り、これまでの「あくまで自分は仲介者」という立場に違和感を覚えるようになった。  通常の社会で半ば力を抜いて生きる自分に疑問が沸いた。力を出し切り、満足できるような度胸がないのならば……それを実現してくれる何かが欲しいと、そう願うようになっていた。 /COINS/ +++++++++++++++++++++++++++ Phase 2 ACT-1  私は悪い知人を得た。彼の生業は喧嘩をする二人にそれぞれ一本ずつの剣を渡すものである。時に片方へはナマクラを、時に片方にはピストルを手渡すような、そういう類の人だった。悪い彼が特に必要とするのは「誰と誰が喧嘩をする可能性を、どの程度秘めているのか」ということ。そして私の趣味にはそのことも含まれている。  良い関係だったと考える。彼は懐を温められたし、私は彼と似たような人々からネズミ算式にきな臭い情報をファイリングできた。ただ、同時に私は苛立っていたのだろう。  私は整頓されていない環境を見るとそわそわする性質を持つらしく、悪戯に状況を乱雑としていく彼らと、彼らに踊らされる人々の環境がたまらなく腹に据えかねた。――まぁ、据えかねたといっても、体育会共の子分をやっていたような私には発散する度胸もなく、あくまで大げさな比喩にしかならない。  情報を集めれば集めるほど考える。人間が構築する社会という巣穴は、なんと無作法で無秩序であるのか……と。法律・秩序は何たるものか? 一つの指標の下に一方を揃って見やる美しさがない。拡大詳細に見れば国家、企業、宗派、軍隊。微小な単位での統一はあるものの、それらは個々に別個の方針を持ち、別個の方角を眺めている。蟻の巣を眺めていた方が俄然心が安らぐというものである。  俯瞰図からすると滑稽でしかない。互いに違う方角を見ながら好き勝手歩き回るので、尻と尻が、肩と肩がぶつかり、小競り合い。争いにまた別のものがつま先を引っ掛け、そして加わる。残念なことに私はファイルを整理する際に、否応なしに全体像を見ることになるので、一際ストレスを覚えるのだろうと考える。  悪気ではなく、むしろ良心からの苦悩。同僚や学友が今にも失敗しそうな折、「そこはこうすればなんとかなるのに……」と解ってはいても注意できないような、もどかしさ。  ――私には情報があった。知識の備蓄と収集、発信こそが私の精々なる取り柄である。私には足りていない。それは乞われるままに手渡すだけで、自分から「何か影響を与えてやろう」という気概と度胸である。正直なところ、何かしらの“判断”を行ってその責任を負う可能性が生じることが恐怖でしかないし、責任を負ってまで手を加えたい存在もなかった。だからこそ。  あの冷静で恐ろしく、威圧に満ちて雄々しい彼に惹かれたのだろう。  あれは、悪い知人達から頼られ過ぎ、苦悩と合わせて辟易としていた三十路の時分。他人の喧嘩を食事の糧とする人々の間で、私は一定の評判を得ていたようだ。ただ、名が知れるということは私にとって好ましいことではなく、同時にそれを抑える術も知らず、何より護身の術が私には無かった。金で雇った防具は度々私の首を絞めたり、連れ去って引き渡したりしてくれた。幸いにしてどこにあっても何らかの意味を持てた私は死にはしないものの、脅迫めいた不本意な要求――特に判断を伴うような面倒事や低次元の案件を宛がわれたりして、ほとほとに困窮。思えば苦しい時代であった。  知られては欲しくないこと、知られては不味いこと、それは解る。私も想定外の範囲に個人的な事が知られていたら恥ずかしいと感じる。  だが、待ってほしい。私には悪気があるわけではなく、単に趣味なだけなのだ。情報を収集して並べて保持することが「好き」なだけであり、私の生き甲斐でもあるので個人の権利を尊重する観点から許されて欲しい。同時に侵害ともなることもあろうが、それはむしろ機密を保護する為に適切な警戒段階を見誤ることにも問題があると考えたい。加えれば、それを横流しする第二者が問題でもあり、第三、それ以降の立場である私にそこまでの罪はないものと考えられるのでは? 例えば私は「商品を盗品と知らずに買い取ってしまった善意の存在」に過ぎないでしょう。ところがこの辺については言っても解らない人が多く、弁明の余地なく「知ってしまった」私を抹消すべしと考える理不尽が度々存在したのだ。利用の為に拉致されるならまだ良いが、皮一枚のところで命を落としていた状況に私は日々怯えていたものである・・・。  ――私はそれ自体に強力な力を持たず、献身的な保護者/所持者もなかった。当然である。私は利便性に富んだ人間関係の構築を優先していた。情報に関しては多面的に見ることを心掛ける私も、思想については疎い。「切りたいときに切れる関係」は「切りたいときに切られる関係」であると対面から見た私を理解した時。足元が、薄氷に覆われているかのように。頼りなく感じられた。  主体性の無い私は一種の動物ではなく、一種の便利装置に近いのだろう。自力ではEnterも押せず、持ち主は選択できない。廃棄の危機が迫っても、助けを待つことしかできず、それは情ではなく利によって私を救う……。拘束からの拘束、そこに解放はない。  誰かにきっちりと管理して欲しいと願った。いつ壊されるかも不明瞭な環境で、次々とたらい回しに能力を利用される日々に。私は力のある、心酔に足る者に、この私を所持して欲しいと切望するようになっていた。  命の終着点と覚悟したのは、金の代わりに銃弾が飛び交う熱された砂原。独裁者に囚われた時である。あれにとっての私は単に“知りすぎた”不安要素でしかなく、猿のようなあれは私を利用する術も知恵も持ち合わせていなかった。  五日間ほどまともに食事も身動きもできなかった後に。私は後ろ手に縛られ、目を布で覆われた状態で何かに括られた。聞きなれない言語が漂う中、金属のカチ当たる音を聴く心境はたまったものではない。  私のディレクトリから銃殺刑についての情報が乱れ出てくる。死について深い解釈ができるほど信心深くなく、一向に落ち着かない心境で成す術もなかった。  銃声を聞いた。私は「絶命した」と思ったし、精神的ショックでその一歩手前までの呼吸困難とむせ返りに陥った。視界に光が満る――死の光景とはこうも眩しいのか、と一時的な幻想気分に浸った。しかし、次に強く背を叩く謎の衝撃によって、私の意識は現実へと押し戻された。  幻想的な光の正体は日光。砂原のそれは厳しく、目隠しを外されたらしい視界は上手く機能しない。  情報の更新。「眩しい」「熱い」「痛い」「でも激痛ではない」「生きている」……あまりに単純で一般的な感覚情報も、私はしばらく活用できなかった。一重に混乱していたのである。  低い声があった「落ち着け」「まず私を見なさい」、そういった類の言葉。正常化していく私の意識は端的な指示を聞き入れ、確かに見た。処刑の柱から解放され、砂の上に横たわる私は、真っ白な緩い三角の影を見上げ、それが「黒いローブを羽織った巨漢」であると判別した。そこから数秒。私は「鱗を纏った人間」という情報を入手し、散らかってしまったディレクトリから該当するものを無意識に検索し始めた。  彼の肩に刺繍された印章。そのシンボルは私にとって実に簡単で、有効なヒントである。 ACT-2  知識としてのみ得ていた「表裏の金貨」との対面。  一度、絶命を覚悟した私にとって。砂原での対面は生まれ変わりに匹敵する、大きな転機であったのだと、今にして思う。  鱗の巨漢は私のことを指令によって保護したのだと言う。「なんだ、それでは今までと変わらないな」と自棄に零したものだ。ところがそこに、今までと異なる決定的な違いが存在するのだと、私は圧倒されることになる。  「旧時代の宿敵者団(Nemesis/N社)」と呼ばれる集団について、私は全てを知らない。だが、まったくの部外者としては不適格なほどの情報を得ていたことは確かだ。  欧州列強の島国に拠点を構えるその企業。多方面への事業介入を行いつつも、その本質には「武力」があり「戦力の権化」であること……この惑星の戦場を渡るならば、そのくらいは知らいないと早死にする。特に裏方に徹する者ならば尚更だろう。  N社は多くの傘下組織を持ち、代表的にはI-Bグループ連合、暗部としてはMasquesが知られる。現役最大の暗殺組織とされるMasquesはN社の実質的な盾である。また、これら以上に重大な情報として、ジャスティア軍部との繋がりがある。  その道からすれば当然のことで、両社は過去の大戦以前から親友の如く癒着しているようだ。主戦場と化した中東ではN社のばら撒いた兵器が今も騒乱を維持し続けている。その母体として「COINS」というグループがあるが、そこは巨大かつ広義過ぎて概念に近いものと私は考える。  保護された私は窓の無い何らかの部屋に封じられた。いや、部屋とは言ったがそれはおそらく移動用の航空機か何かだったのだろう。揺れもなく、ベッドはクイーン、飲食は至極満足……そんな空間で五日分の空腹と疲労を癒した。  どれほど時間が経過したのか不明だが。一寝入りした頃に部屋の扉が開き、訝しげに一歩踏み出した先の視覚情報を得たことで「ああ、私は輸送されたのだな」とようやく理解できたのである。  輸送機の部屋を出た先はまた別の部屋であった。振り返るとシャッターのように壁が降り、私はその部屋に閉じ込められる形となった。靴底から感じる、質の良さそうなカーペット。広さ5㎡程度――穢れ無き清潔感――壁を覆うばかりの本棚――茶系統の落ち着いた色合い――中央にデスク――金のベル、飴玉入りの小瓶――・・・周囲の情報を回収する私に「ようこそ。一方的なセッティングを許してくださいね」と、異性の声が当てられた。私の視線はデスクの前に立つ、一人の人間を捉えた。  その「女性」は私との距離を2mほどに維持したまま、穏やかに微笑んでいる。通常、この場面に置かれた人間は「誰だ、ここは何処だ?」と何もかも解らず完全な不利状況と化すだろう。だが私は独自の異常性によって、彼女がN社の人間であり、それもN社の代表として君臨する女性であり、元々は中東に名を馳せるネフィス家の令嬢であり、名前は「ロイ」である……ということまでを瞬時にディレクトリから揃えた。また、それらの情報から。咄嗟的な状況判断は苦手な私も、自分が「N社の代表室」に相当する場所にあるのだと考察できた。 「見境のない収集家であるあなたなら、凡その把握はできていることでしょう。ただ、ここがN社の内部だと考えているのならばそれは間違いです」  ほぼ確実に「ロイ」であるその女性は、私の出鼻を軽く挫いてきた。「ならば、ここは?」と疑問を感じたものの、あまり価値のない情報を求めると、単に節操のない輩だと嫌われかねないので押し黙る。元来にして機知の利かない私だが、何より目の前の彼女に「嫌われたくない」と思っていたのである。  年齢は掴んでいた。以前から「私の上位的人物」の可能性として興味があった。格式高い生まれを投げ捨てた上に、各地の戦略地図に君臨する……私に足りない強い主体性を持つ個体と予想していた。 「……ああ、これ? 無いと落ち着かないのよ。子供っぽいかしら」  私がほんの僅かに、彼女のすぐ後ろにあるデスク上の小瓶――飴玉の詰まったそれに目線を移した時。反射のような速度で彼女はリアクションした。まだ二十年も生きていないはずの彼女は、確かに相応の“舐め”のある言動を見せる。笑顔と穏やかな口調に隠しきれない、他者への年齢性別を除外した圧倒的「見下し」と「興味の無視」。もし、私がそこそこに人の言葉を話すネズミと出会ったのならば、きっとそのような態度をとってしまうだろう。邪険にするのではない。並べた社交辞令によって作業的にコミュニケーションを済ませるのである。  その時きっと、私は一種の泣き顔に近い表情だったのだろう。 「そうね、実りある話をしましょう。デイヴィッド=スノウ……私は、優秀なあなたが些細な損得の調整役となっている現状を好みません。そして、自らも活かしきれないあなたの個性を救うためにも、支配してしまおうと考えます。構いませんか?」  私はロイの出身、年齢、身長を知っていた。彼女はデイヴの内面、願望、境遇までを見抜いていた。  私は単なる「仲介者」で、非力な「装置」である。ただし、「自我」がある。  貸出用の品物として次々に粗野な利用者の手垢に汚れるのではなく、独占物として賢明な所有者に扱われたい。「自分は活用されている」と、満足したい! ただただ混乱のまま、砂に塗れて猿の如き野蛮人に破壊されるような最後など、まったく御免蒙る。  私はこちらから歩み寄り、手を差出す。もしならば膝を着こうかともしていた。「この人間は私の上位に相当する」と格に納得していたからである。  そんな私に対して。伏せ目がちだったのではっきりとはしないものの……ロイはおそらくやや迷惑な顔をしていたことだろう。彼女は「勘違いさせてゴメンなさいね。私じゃないのよ」と言い捨てた。  ちょっと理解ができず。私は呆として目線を上げる。  ロイは「直接本人からでも良かったけど……まぁ、会えば解るかな。ワンクッション必要なのよね、大体」と後ろのデスクに片手を着き、少々呆れたように私を見ていた。先ほどまでの笑顔より、その呆れた笑みは幾分も自然体であろう。  ロイはデスクの上にあるベルを押した。室内には「カチャ」という程度に小さな音であるが、恐らく外部には「リンリン」と鳴り響いたのだろう。  思えば恐ろしく環境音の少ない室内。彼女と私だけの部屋に。扉を開けて、空気が一変する風が吹き込んできた。 「失礼するミャ! お呼びとあって来ましたミャ!」 (――猫!?)私は脳内で発言した。いや、猫ではない。部屋に入ってきたのは猫ではない。人間である。動きの少なかった情景に入り込んだそれは、活発な足取りでロイの横に並ぶと、敬礼のポーズで胸を張った。  少々訛ったように言葉を話す。二足歩行で、人間社会で通ずる動作を行っている。ただ、その頭部には、どうも霊長目ではない部位に大きな耳介が見えており、その臀部からは毛の生い茂った長い何かがふらふらと揺れている。170cm近いロイからすると小柄に見える。 「シェル。彼をお連れして」 「はぁ、ふぅん……こいつですかミャ?」  つっかえつっかえの敬語を仕込みながら――情報からしてその名は「シェル」なのだろう。猫のような少女、シェルは細い瞳孔で私の心理を突き刺した。 「……よわそう」 「ええ、弱いわよ」  私、デイヴィッド=スノウに対する少女の評価はそんなものである。八方美人の私もさすがに露骨な苦笑いをするしかない。  ロイの発言を受けて益々表情を歪めたシェルは、少し腰を落とした。私の視線が僅かに釣られる。そして、その半秒後に私の感覚器は彼女の現在情報の一切を失った。左右上下を一度ずつ見渡した私は、背後から聞こえた「フンフン」という音で硬直する。  シェルはいつの間にか私の背後に立ち、私の匂いを嗅いでいたのである。そして硬直した私の肩を掴むとグイグイと二、三度揺すった。それだけで私が大きくバランスを崩して前のめりに膝を着くと、「役に立つのかミャァ?」と屈みこんで私の横顔を覗き込んできた。獣的な香りはなく、むしろ甘く感じたものだが。何よりその眼光と情報の少なさが恐ろしすぎて、私は身を震わせた。 「私の判断は彼にとって有益よ。ほら、連れていきなさい」  ロイの発言は耳に入ったが、そこにこの猫娘を説得できるワードがあったのかは疑問である。しかし、どうも効果はあったらしい。  シェルは再び敬礼のポーズで胸を張ると、私を一瞥して「着いてきてよね」と言って歩き始めた。腰砕けの私はよろよろと立ち上がり、唇を噛んでロイを見る。自分が男であると十数年ぶりに自覚した瞬間だが、ロイは既に飴玉の小瓶を漁りながら、携帯PCを弄っていた。私は恥の代わりに、虚無を得た。  シェルの威嚇するような鳴き声を聞いた私は慌てて部屋を飛び出し、少女の後を追う。まさか三十路を越えてこのような有様とは。一歩部屋を出ると「ゴウゴウ」とした重低音があることに気が付いた。  足取りの速いシェルを追うのは大変なものだ。その上廊下は薄暗い。  私はその中で彼女の正体を色々と検索した。当たりはいくつかある。手段を択ばない戦場の仲介人を務めていると、それ以外の常識・非常識とは異なる価値観を条件に判断できる。嘘のような怪物の売買に何度も付き合ったし、秘匿された種族との取引を斡旋したこともある。しかし、それらの中で最も有力なのは、やはりキメラ(合成人間)か――。  シェルは一度立ち止まると、先ほどにも増して恐ろしい視線を私に突き付けた。詮索の目で見られていることを察したのか。野生の勘であろうか。ただし、そこには私怨めいた憎悪があったようにも思う。  一分ほどであろう。私は半駆けに金属質な廊下を進んだ後に、重厚な扉の前にまで辿り着いた。少女を追いかけることに必死だったので、今更に「随分と冷たく、薄暗く、物々しい廊下だな」と来た道を振り返る。これではまるで潜水艦の内部だろう。屋敷や社屋とするなら建築の目的を知りたい。  重厚な扉はシェルの指紋認証によって軽々とスライドした。シェルはもう一度、釘を刺すように私を睨み「くぐりなよ」と首で合図をする。薄暗い廊下に、扉の先から光があふれ出ている。それに、風が……風が激しい。  前髪が騒いでいることを実感しながら、私は開かれた扉を潜る。カン・カンと、金属を靴底に感じながら、私の脳は突如として無限に空いた景色を見た。  広大に空が晴れている。突き抜ける透明な青色に、白い雲がゆったりと過ぎ去る。  ゴウゴウとした環境音は風の音もあるだろう。しかし、それ以上に“駆動する力強さの象徴”だと理解した。  足元にある鉄板。フェンスに囲われた甲板は、鉄板の赤茶色に日差しを照り返す。  広大な空を上下に、遥か地上を見下ろす世界。N社、表裏の金貨――情報として私の知る限り、現状とこれまでの経緯から、今ある場所を断定することは容易いものだ。ここは、紛れもなく“飛空戦艦”。一定以下の常識ではまだ「UNKNOWN」とされる戦略級兵器である。N社含むCOINSの現代戦線の切り札であり、運用を間違えなければ一隻投入で国家戦争が決着する等級もある。  飛空戦艦の恐ろしいところは“陸・海・空を主戦場とする”ところであろう。その上機動力が高く、ミサイルを“喰らうもの”と称される迎撃装置まで備える。ただし、国家として所持しているのは最大の国力を持つジャスティアだけであり、それも一隻に留まる。それほどに維持費と管理技術者が必要な、正しくオーバーテクノロジーの塊と言える。COINSの飛空戦艦隊は凡そ十を超える数で編成されているらしい。  そして、その頂点に立つ者の人相。私は情報として知っている。  私は、自分が飛空戦艦隊の旗艦甲板上にいるのだと考えた。根拠は今、自分の受ける風をより前方、甲板先端にて受けている人物。  「彼」はただ、振り返って私を見た。シェルが駆けて、彼の視線を遮るようにくっついたが……彼はそれを押しのけて、再び私への視界を通した。  険しい顔つき、尖った眼相  自信、圧倒、恐怖、冷静、寡黙、野望、熱量――――君臨。  随分と距離がある。私と彼の間には、甲板上に10m以上距離がある。しかし、私は膝を折り、地に着き、そして頭を垂れた。  何か言葉を交わした訳ではない。ただ、吹きすさぶ風の中に立つその姿を見て、強烈に視線を合わせただけであった。それだけで神経が反射した。会話はすべくもないほど距離があり、風とエンジンが煩い。だが、そんなことは関係ない。  ほんの数秒ほどの満たされた快楽が私を覆い、堪能する内に少女の声が耳に入る。風を切る、キンキンとした響く声で。彼女は「期待しているってさ! 頑張りミャよ!」と私に伝えた。  反応して顔を上げると、彼はその場を一歩も動いておらず、既に私から視線を逸らして下界を眺めている。だが、そこに虚しさはない。私は栄誉を得た。  終生なる主は、私の上位互換的存在ではない。だからこそ、私は充実を得る。飛空戦艦隊提督にして元帥。若き覇槍、バレル=オーウェンは私を支配する。そして、存分に活用することであろう。秘めたる彼の野望は、私の能力を存分に利用してくれる。  その時、その場で。ようやく、私は満足することができたのだ……。 /COINS/ +++++++++++++++++++++++++++ /――世の中には「検索エンジン」という便利なものがある。目的の為に必要な情報を、単語や必要項目の打ち込みによって探し出す。わざわざ図書館に行き、本棚の群れを彷徨わずとも。自宅の椅子に座ったまま、それは膨大な二進式蔵書から求められた回答を用意してくれる。そこに自動な分析機能が備わっているのならば、尚頼もしいだろう。  検索エンジンを「嫌う」人間はそういないだろう。少なくとも、便利だと考えて有益と捉えるはずだ。  しかし、検索エンジンを「愛する」人間とはどれほどか。検索エンジンの友達とは何者か? 逆に、検索エンジンが自分をどのように見ているか感じているか、気になるものか?  スノウは必要な時以外は外出しない。彼の為に与えられた居室で、趣味でもある情報管理・整理に没頭する。社交性は減少した。彼の求める広く、浅い人間関係は二次元へと落ちた。亡き父親の教えは今も活きている。  ……気が付けば、一人居室で酒を飲む大人の姿があった。その身は酒臭くなっている。幼いころに見た父と異なることは、その人物に切なさをぶつける相手も無いことだろう――/ +++++++++++++++++++++++++++ |彼は艦隊の書庫である|中編 Phase 1 ACT-1  【デイヴィッド=スノウ】。それは常に歴史の陰で仲介者を決め込んでいた、生きる総合図書館のような人である。だが、実際に人間的な扱いを受けていたのは精々が学生期までであり、それ以降は一個の「装置」として歴史に機能していたものと思って問題ない。  親しい人物は彼を「デイヴ」と呼ぶのだろうが、そんな略称がいつ役に立つのだろう。彼は人脈広く、多くの知人をもっていた。しかし、その実情は「便利な人」程度の扱いであり、親友はおろか友人と呼べるものもない。だから(早くに失った両親を除けば)誰も彼を「愛する」ことはなく、人間である必要を疑うような孤独者だろう。  何より、彼自身も他者を愛することがなかったのだから、そう捉えられても仕方がない。  スノウは現在で言うところの「超常者」や「ルーラー」の類だったようだ。孤独な彼が利害関係ながらも守られ、重宝されたのはその“能力”に受容があったからである。  端的に言えば「瞬間永続記憶」であり、見聞きした情報を決して忘れない……そういう頭脳を備えていた。しかし、彼の異常性は単にそれだけではない。単に記憶するだけならばそれは独りよがりの力となろう。広く、浅い対人関係を構築する彼の性質として、より顕著に目立ったのが「整理整頓と分析・回答」である。  彼の脳内は巨大な情報倉庫であり、全てのデータはファイリングされて分類されていた。そして、必要な時に必要な情報を分析・判断し、瞬時に返信することを可能としていた。  自己内部の「発想」という面においては大変に愚鈍な人物であったと推測されるが、外部より提示された問題に対する最適解を導き出す「分析」は計算機のそれである。曲がりながらにも人間であり、以外にも情緒的な面も持つことから抽象的な人間の表現にも対応できた。欲望的に収集する情報量と相まって、さながら周囲から「答えを提示してくれる装置」に見えたことだろう。注意すべきは、そもそも回答に至るための「素材(情報)」が不足している場合は回答を導き出せないということ。その場合はエラーとなる。  また、彼には大きな欠点があった。それはとんでもなく精神的に脆く、責任・重圧を受けると思考が容易く混線する軟弱さ。満足な後ろ盾もない時代は特に顕著で、他人事にはスラスラ回答するものの、こと自身の身近なことになると機能停止状態に陥る。  二十代から三十代の前半にかけて。スノウは各地を転々としている形跡があるが、それは利便性により取り合われ、意思を無視して監禁され続けたからに他ならない。抗う力も、抗ってくれる友も皆無なスノウは、大変に困窮したことだろう。また、それまでの彼は語るほどでもない存在である。  しかし、ある時点から彼の足跡は陰の歴史に刻まれ始める。それはCOINSの『飛行戦艦隊』に組み込まれたことを切っ掛けとした。  当時、飛行戦艦隊を率いていたのは提督バレル=オーウェン。輪国貴族の出身ながら肩書を除いた実力によって、COINS組織の幹部集団「3×3」の席に座った人物である。  バレルは提督であると同時に旗艦の副砲も務めるという人並み外れた力を持ったが、突出し過ぎるが故に行動が孤立するという問題を抱えていた。独断即決にして鋭い洞察によって迅速な行動を可能とするものの、それを傘下に降ろしきらない内に動いては「提督」である意味がない。圧倒的な存在感から無言のままにも配下は着いてくるが、組織の機能としては不満に違いない。  艦隊は指令の情報伝達、予測を迅速に行う必要があった。ところが艦隊は軍人崩れ、傭兵上がり、亜人、合成獣……と。人種・国籍からバラバラで、一個の絶対的頭を持つものの、部隊毎に協調が難しい有様。各部隊長同士の意思疎通も曖昧で、ほとんどが「数より質」の関係を重んじる価値観を持っていた。……というより、隊内で広い関係など築きようがなかった。  拉致監禁を繰り返されながらも、スノウの特異性は確かに世界の影へと染み渡っていた。彼はその能力、経緯からCOINSに目を付けられたのである。 ACT-2  艦隊に編入されたスノウは、当初旗艦において情報管理を任された。うってつけの配置であるし、彼自身の職歴も活かせる。何より、巨大な組織内だからこその情報量と質に、スノウは感激して熱中した。毎日尽きることない膨大な情報を整理整頓できることが楽しくて仕方がなかったらしい。趣味として頼まれてもいない解析や可視化を行い、コレクションする。そしてそのコレクションは、全てが誰かの切望する回答である。  長らくの日蔭生活で卑屈になりつつあった性格も、元よりの当たりの良さを取り戻し、八方美人の振る舞いを展開した。  思想、体力、人種に関係なく、彼は大概の誰とでも温和で緩い関係を構築できる。決して話題の中心とはならないが、艦内において「ちょっとスノウに聞いてみるか」という選択肢が各員の発想に生まれ、それはやがて艦隊全体に渡っていく。絶対なる指標である提督がちょくちょく「スノウ」と口に出すので、尚更隊は彼を認識した。  指示を出せるような存在ではなく、そんな立場となれば機能停止する人。だからこそスノウは一歩下がり、血気盛んな隊員から目の敵にされない。彼は元銀行員らしいが、後にフリーランスとしてから不遇に陥ったように思われる。守られる巣があり、身を紛れさせる集団があり、明確な格上の支配者があってこそ、デイヴィッド=スノウは機能するのだろう。  飛空戦艦は隠語として、“空鯨”と呼称される。それらは常に空を泳ぐ訳にいかず、定期的な補給の為に地上へと顔を出す必要があった。停泊場としては世界各地のCOINS関連施設、ただし空鯨の巨体が目につかないような辺境地を条件とされた。  空鯨はオイルも飲むが、魔力も飲む。そのどちらにしても莫大な量を一度の潜空に必要とする。よって、該当施設には補給可能な専用の設備と人員が必要。基本的に「飛空戦艦停泊場も兼ねる」という施設が多い中、唯一それに特化した艦隊停留拠点。“鯨の大屋根”は大型であるマスタッシュ級を最大三隻まで同時停泊させられる。主に奔放な戦艦隊にとっては「実家」のような場所であり、例え滅多に帰還せずとも常に意識する拠点である。  空を飛び続ける旗艦で数年を過ごしたスノウは、より全体と関わる大屋根へと転属された。  大屋根は山に囲われた緑鬱蒼とする地に存在し、ほとんど人類が関わったことのないその場所に、艦隊員以外に近づく輩はいない。立地からして堅牢であった。  しかし、慎重に。重要な拠点である大屋根は戦略兵器による爆撃への対抗策として、各戦艦が備えるCFMD機構、通称「喰らうもの」と呼ばれる高密度エネルギー場展開装置を備えていた。それは単にミサイル防衛という観点以外にも、物理的干渉に対する役割も持ち、尚且つ大屋根のそれは旗艦に匹敵する出力を可能とする。理論上、旅客機程度の質量ならばエネルギー場表層で抹消される。  地上基地故の可能性として白兵的奇襲も想定され、艦隊内で「地上向き」とされた肉弾派百名余による「百輪隊」が組織されていた。ただ、「地上向き」という裁定には諸々意図が含まれたらしい。  しかし、百輪隊が強力な護衛組織であったことは間違いない。個々からして物騒な経歴の艦隊員達にあって、「肉弾派」と判断される者の集まりである。また、大屋根の指令であり、百輪の長でもある「エルヴォン=ザラ」は絶大な信頼と忠誠を集めていた。  整備職員と百輪隊を主として構成された大屋根の部隊。転属されたスノウは情報管理の最高責任者として、大屋根の深部に居住した。地上にも「艦隊にスノウという便利屋がいる」という話は十分に伝わっており、最初からある程度の信頼を持ってスノウは迎えられる。  戦闘員でも整備員でもない、仲介的な立ち位置。地上にあるが、艦隊として空と地を、各艦と艦を中継する存在。正しくスノウの為に宛がわれたようなポジションである。  スノウの下には世界を飛び交う艦隊から次々と情報が入り込み、彼はそれを吸収して解釈していく。そして、「回答」として発信。戦況の予測から情勢の推移、提督の動向……送られてくる詰め将棋の譜面に回答を加えて送り返す。もし、「詰み」に至っていないのならば、その事実を伝える。それだけで艦隊は「無駄な挙動」を高確率で抑えることができた。人為的な失敗は致し方ないが、その場合の対応すらスノウは回答してくれる。  個々に考えニアミスを繰り返し、一見して無軌道な提督に振り回されていた艦隊は、「スノウ」という予測装置によって効率を手に入れた。便利なものである。  例えば人は――  一度洗濯機に慣れると、そうそう手洗いには戻れない。  一度携帯電話を手にすると、そうそうそれを手放せない。  一度インターネットを活用すると、そうそう依存を抜け出せない。 ACT-3  大屋根及び周囲の山林は、当時にして「正球域263」とCOINSから命名されていた。「球域」はCOINS影響領域であることを意味し、「正」は実権をCOINSが掌握済みであること意味する。元より人の寄り付かない辺境地ではあるが。ともかく大屋根がある種、一個の独立統治された「軍事村」のような領域であったことは確かである。  大屋根は飛空戦艦の実用以前から建設され、スノウが転属された頃には実働10年が経過していた。立地がとんでもない辺境地なだけに、基地職員は日常生活を大屋根内で完結させる必要があった。稼働当初は様々な組織、またCOINSそのものからもはみ出したようなはぐれ物で構成されていた大屋根。扶養者を持たないものが多く、例え家族があっても単身赴任の身で孤独な日々……。  大屋根を軍事基地として見れば、そこまで大きなものではない。発着場及び情報施設としての機能を備えた「本体」は尚更。滑走路がほとんどを占める。  ほとんど全員が顔見知りな状況。自然と基地全体に「一体感」「仲間意識」が芽生える。というより、組織として「はぐれ物を使った実験段階」である基地において、彼らは自分達で環境を整える必要があった為、必然的に協調するアットホームな組織とならざるを得なかった。  集団の気風は限定的であるほど「指揮者」に影響を受ける。大屋根の実働直後に異例の左遷を受けた巨竜・エルヴォン=ザラは、はぐれ物で個性が強い集団の視線を見事に掌握したと言える。自身が秘匿された種族の出身であり、実力として一時的にも戦艦艦長を任された器。そして前向きで快活、失敗を楽しむ余裕を隊の誰もが信頼した。スノウは組織にとって唯一無二だったが……後のスノウにとっての唯一無二は、エルヴォンである。  長期間を隔離された辺境の地で過ごすと、人の気力は減退し、精神衛生上の問題も考えられる。心寂しさは人に温もりを求めさせ、一般社会よりも活発で密集性のある「恋愛」の要因となる。  多種族、多民族の混成部隊では一般社会でも裏社会でもあり得ないようなカップルが乱立した。基地司令であるエルヴォン自身、率先して垣根のない求愛を挑んでいたので周りも習いやすかったのだろう。彼が失敗を重ねる姿からして、「あれよりはマシかな」と反面教師的に勇気付けられた節もある。比べて副司令である「ミハエル=リュ=オン」は歴史上最も多くの種族と恋愛したジャスティア人であろう。  混成部隊は個性の坩堝であると共に、常識・価値観の差異という問題も含む。そこには柔軟で、強制力のある秩序が必須とされた。  基地内秩序の維持を目的として発足したのが「百輪隊」と呼ばれた存在である。指令のエルヴォン自らが率いる彼らは、元より血気盛んな基地職員から腕に自信がある者を集った戦闘集団。前述のミハエルが副司令となった理由は、百輪隊編入によって彼が「基地内で二番目に腕が立つ」と判明したからである。ただの色男扱いが一変した瞬間であった。  それでも圧倒的かつ絶対的な力を持つエルヴォンは、同時に物事を「ナハハ、まぁいいだろうよ!」で有耶無耶にする天才でもあった。実力云々以前に、基地職員から「兄」と慕われた彼はその小柄な体格もあってか、どこか愛嬌があったのだろう。本気の喧嘩に割り入って飛び交う双方の拳を叩き落とし、笑い声を挙げて肩を竦める。これで大概の争いは一端に収まり、後はミハエルなり誰なりが仲裁する――というのが百輪隊的制圧術であった。また、彼には度を超えた暴挙に対してはそれなりに対処する毅然さもある。左腕に巻き付けてある鎖はそういった輩の捕縛用でもあり、仕置き用でもあった。それで収まらなければ、対象は仰視的な格差を見せつけられることになる。  百輪隊は自警組織であると共に、有事に備えた防衛組織でもある。戦略兵器に対しては「喰らうもの」が目を光らせている。一方、その内側、基地内に侵入されては防衛機構の役割を持てない。万一の際には百輪隊の意義が問われることであろう。……とは言え。立地からしてそうそう簡単に襲われるとも思えず、基地は前線に比べていくらも平和であった。  平穏の内に。恋愛による結晶が産まれ始めると、教育施設が必要となり、民間からの奇特な教育協力者が呼び寄せられた。また、停泊した艦隊員から「何もない」と苦情が殺到したため、娯楽施設やそれに関する人員、図書館などの公共施設も小規模ながら設置された。「軍事村」と前に称したのは「都市」というほどの規模ではないが、そこに生活があり、独自の関係があり、秩序があり、“家族”が存在したからである。ファミリーは個々の親子関係のみならず。基地の全体を指して、エルヴォンがよく用いた表現である。  2.4㎢の領域―――外界との行き来は飛空戦艦頼りな閉塞地。  そこは単に「発着場」とするには不足で、艦隊全体から見ての正しく「帰るべき屋根」のような場所であった。  空鯨がその身を休める安息地。大屋根は予てより、停泊する隊員から「空に便利な占い屋がいる」と比喩的に伝え聞いていた。  噂の本人であるデイヴィッド=スノウが大屋根の下に降り立ったのは、施設が実働してから15年が経過した頃のことである。 ACT-4  スノウに関する情報は以前より地上基地に降っており、司令官であるエルヴォンは幾度も通信によるやり取りを行っていた。艦隊で唯一、地上での呼吸を行わない旗艦に乗っていたスノウ。彼が司令官と実際に対面したのはスノウの大屋根入り、その日が初であった。  艦隊にとって重要な存在となりつつあったスノウだが。扱いとしては一情報官に過ぎず、エルヴォンとの対面は非常な緊張を要した。ただ、情報として人柄や容貌を知っていたので恐れることはないとも理解できていた。  しかし、百聞は一見に如かず。  曰く付きとされる大屋根司令官殿は、第一声から気取らずにざっくばらん。スノウの身長が高めということもあるが、それにしても目線を下げて合わせる必要があるその姿に、動揺からの片膝着きを余儀なくされた。対面しての第一声「おはよう、兄弟!」は、浅い関係を重んじるスノウにとって、少し怖気るものである。スノウは提督のように他を寄せ付けない圧力が心地よく、司令官のように躊躇なく肩を抱くような踏み込みが苦手だった……。  基地中枢に用意されたスノウの居室。本棚はあるも中身はなく、そこには彼の趣味である可視化された情報のファイルが並ぶことになる。三面のディスプレイと一台のPCは送受信に用いる為のものであり、記憶容量はそこまで必要ない。無限の容量は使用者に備わっている。情報は一度脳内のデータベースで整理され、回答として再形成されて発信される。  拉致・監禁を繰り返されたスノウは、限定的な空間に引き籠る志向にシフトしていた。むしろ、広く浅い関係構築に対面は必要ない。ディスプレイ及び通話機越しのコミュニケーションは取り回しが早く、複数同時接続も可能で、場所は関係なく、一定以上の距離へと“互いに”近寄れない。それは、スノウの理想。  ―― 一隻の艦長、基地の整備員、戦艦操舵員、民間派遣の教師 ――  ―― 清掃員の若者、百輪の一員、関連組織幹部、一般女子生徒 ――  組織としてのスノウは「予測装置」のようなものである。彼の周囲にある環境にとってのスノウは「よく当たる占い屋」のようなものである。  スノウを利用する人間はどれほどあったか。スノウの回答を利用した人間は数えきれないし、到底把握もされきれないだろう、彼本人以外には。  ただ、その内のどれほどの人が「デイヴィッド=スノウ」を知っていたか。顔も、性格も、趣味も、声も、匂いも――知っている人間は、両手で数えられる程度だろう。それも、半ば記憶の片隅で忘れられている。彼が情報を回答へと昇華する際、左の手で右のこめかみを抑える癖があることを、彼本人だけが知っていた。  スノウは実のところ、飛空戦艦隊の意向によって入隊したわけではない。協力関係にある企業と、その母体であるCOINSの判断によって宛がわれた、というのが実情である。そういった経緯からか、彼の立ち位置は艦隊員というよりは「協力者」に近いものだとする認識が、暗黙の内に広がっていたらしい。あくまで身内にならず、しかし重要視される「協力者」。それはスノウ自身が心掛けてきた社会的立ち位置でもあり、それを見越した仲介者の計らいでもあった。  だからこそ。周囲と距離を保てる個室が作られ、COINS名目によって「汎用観察特位」なる固有の立場を与えられたのである。  特殊な環境を作られたスノウ。ほとんど他者との現実的な接触を持たない、暗室の設備が如く存在に。ただ一人、直接足を運んで必要な情報の提供を受ける人があった。オレンジの照明が壁に反射する、ほんのりと暗い基地中枢某所。頑強なセキュリティを突破するキーは、スノウ本人と、この基地の最高指揮者のみが所持する。  飛空戦艦隊補給目的及びリバサラ・ノーティラス制圧拠点、通称「大屋根」。その深部に設けられた、ひっそりとした薄暗き秘匿地。宛がわれた人物が、半ば空想のように現実から剥離した日々を送っている。扉は通常、外側から開かない。珍しく中の人が外出する時に開くのが精々である。その理が踏破されて、あっさりと扉が開くとき。決まって小柄な人影が一つ、「オッス!特位殿!!」と気楽に入室してくるものだ。それが左腕を掲げれば、鎖の擦れる音がキンキンと響く。  外面の取り繕いだけは良くできるスノウ。彼は温和な笑顔を見せながらも「一つ進言させてください。よろしいですか、司令官。あなたにここの鍵が渡されている理由は緊急時の為であり、貴重なプライバシーを侵害する為ではありません。どうかそろそろご理解頂きたい」と、若干に捲し立てて口を動かした。  一応は警告表示のようなものであるが……。エルヴォン司令官は何一つ悪びれない。「だぁってノックしても返事がないんですもの!」と、HAHAHA笑いを混ぜて肩を竦めて返す。  スノウの本来持つ役割からして、それを最も活用するべきエルヴォンが優先して接触することは当然。わざわざ足を運んで顔を合わせるのは、司令官が「コミュニケーションとは物理的であるほど良い」と考えているからだろう。  司令官は尋ねる。独自の地位を持つ、汎用観察特位。その力を活用しようというのである。 「特位殿。件の殲滅戦を終えた三号艦がここを経由したいと申し出ていますな?」 「――ですね」 「ふむ……しかし、提督はまだ戦線を離脱しておりません」 「はい」 「そこで回答願いたい。三号艦の有無は該当戦線において必要であるか、否か?」 「――どこまでを必要の範囲に含めますか?」 「旗艦が無傷に作戦を完了する可能性が、九割九分九厘を超えるまで」 「ええ、それはですね……主砲のクーリング時間を考慮しても、最早そこに空を脅かす危険はありません。不法な暴力行為さえなければ、不要であると判断いたします」 「不法な暴力……あり得ますか?」 「現在のデータベースでは想定できませんでした」 「なるほど。では、ついでに……三号艦の嬢王様は現在、私にとって脅威となるでしょうか?」 「――ご安心ください。提督との共闘によって彼女は現在、大変にご機嫌であると予測されます」 「あ、よかったぁ~。でも一応、体調不良ということにしておこう!」 「…………」  エルヴォンは「口裏を合わせろ」と言わんばかりに片目を瞑った。スノウは淡々として「そのように記憶いたします」と答え、「その他に要件は御座いますか?」と続けた。 「お、おぅ。……いや、無いけどさ……」  この時のエルヴォンは歯切れが悪い。奥歯に食物の繊維が挟まったかのように、顔をしかめて唸った。彼には常々気に引っかかっていたことがあり、どうもそれが再発したらしい。 「作用ですか――如何なさいました?」 「うん。あのさ、特位――いや、スノウ君。君がここに来てどれくらい経過したかね?」 「――1年と23日、3時間22分37秒程ですが」 「あらそう」 「ええ。なんです? 突然に」  藪から棒な問いに、スノウはその意図を測れない。彼はこめかみを抑えた。 「では、スノウ君。今答えてくれた期間内で、僕は何度恋に破れたか……」 「行動を起こしたもののみなら、8回です」 「・・・うん、そうだね。いや、そうだったかな? や、そんなことはどうでもいい!」  エルヴォンは一人気分的に浮いたり沈んだりしながら、吹っ切るように首を振った。 「?? 確証の高い情報からの統計ですが……」 「あのだね、スノウ君! 君はその期間で多くの人と会話をしたね?」 「光栄ながら」 「されどね、スノウ君。こうして直接顔を突き合わせた人はその内どれほどかね?」 「ええと、7人ということは割合にして――」 「ああ、いい、%なんてどうでもいいの……が、7人!? たったそれだけ!?」 「確かに。私事の情報ですので、間違いないかと」 「僕が言いたいのは“数えられるほどなのか”という事だよ!」  両手を広げ、指を折って数を確かめ、再度エルヴォンは驚愕した表情でスノウを見た。 「必然かと。断トツに最もよく顔を合わせたのは配送員のジャックスであり、次いであなたとなります」  淡々とした長身の男は正確な情報を引き出す為に、真剣に答えている。そして、相対するエルヴォンは胸を抑えて天を仰いだ。 「僕よ、どうか落ち着いてくれ……スノウ、君はそれでいいのか? 疑問はないか!?」 「疑問? いえ、ですから私事ですので、情報に間違いはないと断言できます」 「そうじゃなくてっ! 少ないの! この大屋根の大家族にあって、どうしても少ない!」  エルヴォンは地団太を踏んでいる。床が揺れた。 「それは私も承知しております」 「よし、では、なんとかしよう!」 「は???」 「だから、僕も協力するから、もっと家族と親睦を深めようぜ!!」  エルヴォンは指を突き付けた。室内に、彼の語末が反響している。 「……すでに親睦はありますが」 「知っているぞ。それは、ほぼ全てが実体のない電子上の付き合いだろう! それでどうする!!」 「光栄なことです。私は満ち足りております。この環境を用意してくださった――」 「本当か? それで……それで、いいのか!?」 「……? はい、有り難いことです」  愕然とした気配のエルヴォン。適切な回答を返しているのに、何故そうなっているのか。スノウはとにかく笑顔を保って、理不尽な司令官の機嫌を宥める腹である。しかしそれは無意味だ。何せ視点がズレている。 「…………よし、解った。では、デイヴィッド=スノウ特位」 「はい」 「これからは私のことを“司令官”と呼ぶな、エルと呼びたまい!」 「はい・・・え?」 「隊の仲間は僕をエル司令と呼ぶが――本来、君と僕に立場上の格差はない。それを踏まえて不服だが、“さん”付けでも構わない。代わりに僕は、君を“デイヴ”と呼ばせてもらおう!!」  立場に格差はないと言い切りながら、随分堂々とした命令である。 「あの、司令……それはどういった意図なのです?」  一聴きに支離滅裂な提案まがいの指令に、スノウは呆として立つしかない。が、司令官エルヴォンは薄情にも「今日はもう帰る!じゃぁ、またな、デイヴ!!」と残し、力強く踵を返してさっさとセキュリティロックの扉を潜ってしまった。  一人、残されたスノウ。それはいつも通りの空間なのだが、いくらか心境が平常ではない。「指令はちょっとおかしくなってしまったのか」と不安になりつつも。その脳は随分と懐かしい言葉の響きを引き金にして、自動のデータ検索を開始していた。  しかし、スノウが心境を整理できていない翌日のこと。  再びに居室の扉が勝手に開かれ、「オッス!」と声が響いた。「またですか……」とスノウは渋々振り返ったのだが、そこに見慣れないものを目撃したことで、彼は目を丸くした。  高笑いしている小柄なソレはともかく。その隣に、頭頂部から靴先までをこだわりのブランドで固めた、澄まし顔の男がある。 「御無沙汰しております、スノウ特位。その節は、どうもっ――」  息の抜けるような口調。声色までも澄ましているその男は手串で横髪を整えた。スノウはその澄ました男を知っている。大屋根屈指の色男、ミハエル=リュ=オンだ。 「こ、これはこれは……ミハエル副司令、お久しぶりです。あの、本日はどういったご用件で……?」  対面するのは転属初日の挨拶以来。不意な訪問にスノウはただただ、ドッキリしている。そして、当然な質問にミハエルはこう答えた「――うん、解りません。なんか、この人に連れてこられました」。ミハエルは勝手にコーヒーを入れ始めている人物を丁寧に指し示す。  「一体、どういうことです?」と問いただすスノウ。対して、その小柄な人物は―― 「意味はない。それと、ポット熱過ぎぃ!!」――と、堂々たる有様で回答した。  スノウはもちろん、無意味に連れてこられたらしいミハエル副司令も、これにはキョトンとするしかない。そして、本当になんの目的もないままに。なんとなく三人で雑談をし終えると、司令と副司令は引き揚げてしまった。 「暇つぶしなら他所でやってくれ」とスノウは憤慨したものだが。対面による副司令との会話から、彼は今まで得なかった新たな情報をいくつもファイリングすることができていた。  そして、その日を境にして――  エルヴォンはスノウの居室を訪れる際にちょくちょく“もう一人”を伴って現れるようになる。重要な情報伝達の際には単独なのだが。どうでもいい、悩み相談のような質問を行うようになり、そういった場合は数人の団体で訪れるのである。話題は自分のことだったり、同伴者のことだったり、単なる雑談だったりと、工夫が見られた。  その行いは次第にエスカレートしていく。書物を持参して数時間居座ってみたり、十人近くを引き連れて飲み会を開いてみたり、勝手に看板を掲げて恋愛相談所として商売を始めたり……。  確かにスノウの部屋は無駄に広い。重要な情報もあるにはあるが、大半は彼の頭脳に収まっているので本棚とPCさえ不可侵なら問題はない。また、当初は必ず司令であるエルヴォンが主催となっていたので一線を越える出来事は有り得なかった。横暴極まる司令官に、スノウは「何のつもりですか!」「騒がしくて集中できない……」などと反抗したが、エルヴォンはそういう時ばかり「僕はここの司令官ですが?」と満面の笑みで己の立場を振りかざす。  実際、特位と司令は別会社の役員みたいなもので、立場上互いに尊敬し合う位置にある。しかし、スノウとエルヴォンには「アパートの住人と管理人」に似た関係性があったことも確か。エルヴォンはこっちの関係を行使していたのである。  渋々ながらも、人が集まればそこに|情報|が生じる。会話の一つ一つが固有のデータとなるのである。本来、スノウが学生時代そうであったように、彼は集団にあってそれを観察することを好む趣向がった。社交的勘が少しずつ、戻っていったことであろう。  文字のやり取りか機器を通した声でしか知られなかった、「スノウ」という便利装置。それは強引にも多くの人と実際に対面することとなり、身なり人柄を知られるようになった。  数か月も経過するとエルヴォン抜きにスノウの下を訪れる人も現れ、それが数年も経てば決して珍しいことでもなくなった。ただ、彼の癖でもある「広く浅い関係」は踏襲されており、誰もが便利な商店、もしくは基地内で有利な情報を得る為の社交辞令に近い訪問であった。それ以上に踏み込まれることをスノウは恐れ、反射的に距離を置いてしまうのである。それにしても、転属初期に比べれば幾分にも明るい環境と言える。  それでも唯一……実は多忙の隙を縫っての“迷惑行為”だったエルヴォンは、スノウの周囲が安定した様子を見ると無理に彼の居室を訪れることはなくなっていた。だが、スノウは指令の事情を理解していた。そして、解ってくれていることをエルヴォンも理解していた。  スノウの居室。その電子的施錠を施された扉をノックする人は「特位、ご相談が……」「特位、○○についてですが……」「特位ぃ、ちょっと聞いてくださいよぉ……」といった具合に入室する。ノックに応じて扉を開くのはスノウの役目だ。  それが時折、居室の施錠した扉が外側から勝手に開かれることがある。  そういった場合の第一声は、決まっている。 /COINS/ +++++++++++++++++++++++++++ /―― C.1900年代も終盤。バレル=オーウェン率いる飛空戦艦隊は全盛期となり、二十隻もの飛空戦艦を所有していた。  世界は変わらない日常を送っているように見えて、実のところは「スフィアの区分」に統括されつつあった。表立っては少し紛争と暴動が増加しただけだが、それらは決まってCOINSの思想に隔たる領域。飛空戦艦が空と海と地上を焼き、廃墟の都市を合成人間の軍勢が制圧する……。ジャーナリストはその意義から外れた査定を受け、国家連合は実質企業連団の傀儡。平和を、武器なき時代を叫ぶ声が許されるのは、それが都合の良い時代のみである。本当に危険なら口を抑えられる。  複雑化した戦争は物理的な領域を超え、文化的情勢に重きを置く。過去には存在しないネットワークと、利便性に富む移動手段がその風潮を生みだした主な原因だろう。  バレル率いる戦艦隊は主戦場をアジア方面へと押し進め、大華の革命に紛れて善意の軍事介入を開始した。  飛空戦艦の存在が徐々に「現実のものだ」と一般世界に認識されてきた頃。艦隊の代表的拠点である「大屋根」は未だに秘匿のものであり、COINS関連の一部人種と、犠牲を代価に情報を得た一部のテロリストが知るのみであった。  戦局は末期の様相となり、ジャスティア内の反COINS派は粗方叩きのめされ、散り散りに霧散したと思われた――/ +++++++++++++++++++++++++++ |彼は艦隊の書庫であった|後編 Phase 2 ACT-1  秘境に隠された基地の、中枢。軍事組織の重要拠点で特別な部屋を宛がわれた存在。  デイヴィッド=スノウは各種情報を集めながら、分類・分析・コレクションを継続していた。転属から5年近くが経過し、彼はそこにポリシーである「広く・浅い世界」と、心の底から望んでいた「支配者」。そして、自覚はなくとも必要としていた“心からの友”を得ていた。  若き頃より物足りなかった感覚が満ち、落ち着ける環境。恩人と言えば自分をその場に斡旋してくれた女性が思い浮かぶ。居室も一目見た彼女のそれを真似ているほどに、尊敬と感謝の想いがあった。  だからこそ、“彼女ヲ裏切ル者アリ”と聞いた時は心底不快となり、即座に情報を集めたものである。集中する彼の感情には、命知らずへの嘲笑と、不逞な裏切りへの怒りが介在した。小物なので大した話題でもないが、彼女直属というだけで箔は付いている。背後に立つ虎を見て、己の力を過信した子犬だろうか。  断片的に得た情報では、どうやら“その男”はあどけない少年を集めて駒とし、何かを企んでいるらしい。やはり小物だ。それも変態か。中にはCOINS重鎮の子もあるが、人質としての価値がない。それには抹消の指令が各部に降っている。  スノウは裏切り者の男について、片手間に情報を集め続けた。明確な目的は不明だが、どうにもCOINSへの反抗意思が見て取れる。こういった連中の目的は大半がお決まりだ。一体、幾らの金でそこまでの暴挙を行ったのだろう。 「……時間の問題だな」  スノウはディスプレイに映る男の写真を指で叩き、若干の憐れみを持ってそれを見た。  飛空艦隊8号艦が撃墜されたと情報を得た時。まさかそこに“その男”が関与しているとは想像もしなかった。自ら導き出した満足な回答に異議を唱え、投げ捨てて無視した経験は、それが初めてである――。 ACT―2  年間を通じて気温が高く、周囲の森林地帯もあって湿度もある。飛空艦隊の「大屋根」で戦艦を整備する職員は、誰もが汗を拭い拭い、「あっついあっつい」と半裸での作業が当たり前である。  名称通りに基地全体を覆う屋根は、日差しを遮るものの、風も遮り湿気を閉じ込める。小さな村のような基地は、扉を開け放った巨大な倉庫のようで。「ウォーン……」というサイレンが鳴ると、髭級戦艦が降り立つ合図である。それが入水する時ばかりは屋根も開かれるので、納涼行事のように、基地内の人々は歓声で巨体を迎えた。  その日は歯級戦艦が1隻停泊していた。飛空戦艦は規模によって「髭」「歯」「子」の三階級に分類されており、中型である歯級は総トン数60,000t以上と定義されている。小型、中型は緊急でない限り水上滑走路からの寄港となるので、これらが来ても大屋根は開かない。歓迎もそこそこである。  大屋根の中枢、地下に設けられた空間に「デイヴィッド=スノウ特位」の職場兼生活空間が存在する。  薄暗いオレンジの照明の中。彼はいつものようにPC前で無数の情報を収集、無数の要望に回答を送っていた。居室の扉はしっかりと電子施錠されている。  ディスプレイに警告。居室のセキュリティシステムと連動するそれは、「扉が開きました」と伝えている。スノウはキーボード上の手を止め、一つ溜息を吐く。イヤホンは焦って外さなくともよい。 「おうっす! また来たぜ、デイヴ!」  案の定だ。イヤホンをものともせず、侵入者の声は耳に届いた。音量としては丁度良い。溜息とともに振り返り、スノウは答える「まったく、いつも騒がしいね、エル……」。座位ではあるが、視線はそのまま水平に。振り返った先。ちょうどの位置で彼と目が合った。 「なぁにぃ? こんなものでか? いいか、騒がしいってのはなぁ……」 「結構です。私の勘違いでした」 「え……あ、そう……」  スノウが呆気なく折れたことで、エルヴォンは構えを解くしかない。得意のラテンダンスは未遂に終わったのである。 「それで、今日はどのようなご用向きです?」  片手間にスノウが聞く。コーヒーのカップが2つ、用意されて宴会用のテーブルに並べられた。 「重要な話さ。デイヴ、よく聞いてくれ。実は昨日――」 「6人目ですね、情報ではビンタで決着したと。しかし、例年を上回るペースです。今年は20の大台でも狙いますか」 「早いよ! なんでもう振られたこと知ってんだ――って、あっちぃ!!」  一つ叫んだかと思えば、座りかけの椅子を倒して飛び上がる。エルヴォンとはなんと情熱的な男であろう。 「というか、同じ人に何度もアタックする意図が知れません。どうしてそうも諦めが悪いのか……あ、そうそう。今日はいつもよりポットの温度が高いので、ご注意くださいね」 「遅いよ! それに、一度水を掛けられたくらいで消える恋など、恋ではないのさ! 人はそれを勘違いと呼ぶ!!」 「…………」  コーヒーカップを静かに、スプーンでかき混ぜる。スノウはゆっくりと香りを楽しむと、一口含んだ。横目の視界には、己の言葉に酔ったのか、それとも昨日の悲しみを思い出したのか。感慨深そうに涙を流しているエルヴォンがある。 「それならそれで、一人に徹底すればよいのでは?」 「やだ。たくさんの可愛い子と触れ合いたい」 「そう言うこと言っているから、嬢王から目の敵にされるんですよ」 「いやぁ、あれは僕がっていうか――……ああ、彼女か」  ニヤケ面だったエルヴォンが急に深刻な表情をした。それを察して、スノウも「あ」と小さく出す。 「……申し訳ありません。話題に出すには、配慮すべき相手でしたね」 「命は助かったし、深刻な容体でもないようだけど……まぁ、しかし。デリケートな部分ではあったな」  気まずそうにスノウは視線を落とした。はしゃいでいたエルヴォンも、腕を組んで天井を見上げてしまっている。ここで言う「嬢王」とは、飛空戦艦3号艦艦長の通称であり、その艦は二週間ほど前に墜落・大破という憂き目にあっていた。 「なぁ、デイヴ……あれは本当に“奇跡的に敗北した”案件だろうか」  竜の如き、険しい顔つきと化すエルヴォン=ザラ。スノウは即座に回答を提示せず、押し黙った。こめかみを抑える左手は、強い。 「低空飛行とは言え、トゥース級が容易く乗り込まれ、あまつさえ落とされるかよ。高度低下の原因は戦略ミサイルの一撃らしいが……CFMDの不発なんて、そうそう都合よく発生するものか?」 「――情報を確かなものとするならば。私は整備不良と判断し、それに伴う混乱からの間隙を奇襲されたものと考えます」 「まぁ、そうか。君がそう言うなら高確率でそうなんだろう。あとは調査員の技量次第か」  仲間の敗北を不運で片付けるには納得いかないエルヴォンは、一応の辻褄が合う説明を受けて悔しそうに奥歯を噛み合わせた。何より、信頼する友人の言葉だからこそ、そこで手を打つしかない。  信頼してくれている――それを理解しているからこそ、スノウは感情で回答を濁した事実を正視する。一個の装置として機能してきた彼が、「感情」と「決めつけ」によって押し殺した“予測”。 「……エル、聞いてくれ。これは書庫から、私が趣味的に導き出した予測なのだが――」 「――ん、待った!?」  遮られるスノウの吐露。小柄な男の右手が、スノウに向けて「少し待って」と指示を出していた。歯噛みしていたエルヴォンの表情は――見えない。薄暗くも部屋を照らしていたオレンジの色彩が失せている。 「――停電?」 「これこそ、整備不良であってくれよ!!」  暗闇の中、鎖の擦れる激しい音が霞んでいく。どうやらエルヴォンはスノウの地下室を駆け出したらしい。律儀に扉を閉めたのだろう。ディスプレイ上の警告表示は消失した。 「……エル、どうした?」  暗闇の中。零さないように、手探りでカップをテーブルに置く。  それから凡そ五分が経過したその時。室内にオレンジの色彩が戻ってきた。どうやら電力が復旧したらしい。ブレーカーでも落ちただけかと、スノウがホッと胸を撫で下ろす。ふと、ディスプレイの“動き”が気になった。PCの前に人は無い。スノウは席を外している。だが、しかし、画面の中。そこでは次々とファイルが開かれ、フォルダが転送され、ウィンドウが展開され、コードが書き加えられていく。   ――原因不明の現象――  スノウは何一つ理解できなかった。「不気味なものだな」とくらいには感じただろう。しかし、開かれているファイルやウィンドウが「自分以外に見られてはならないもの」を含んでいることを察して、慌ててPC前に駆け寄った。キーボードを操作するも、愛機は完全無視を決め込み、好き勝手に動作し続ける。 「ああっ、電源、電源!」と思い立った時。画面に展開されていたウィンドウは全て収まり、デスクトップの画面が静かに映し出される静寂となった。  ここで察した。スノウは「やられた!」と声を上げ、拳をデスクに落とした。  地上から、サイレンの音が響いている……。 ACT-3  彼の瞳は暗視が利く。その聴覚は人並み外れた感度を持つ。響き渡るサイレンの音は、管制室が異常を感知したことを意味していた。単なる停電、機器の事故等ではない。  爆発音を聞いたエルヴォンはまず、真っ先に「百輪隊の詰所」へと駆けた。自らが率いる基地の防衛集団は、常時詰所に十人以上配備されている。副司令であり、百輪の一員であるミハエル=リュ=オンもそこにあった。  電力が復旧する。その間にも、続々と詰所に隊員が駆けこんできた。 「司令。管制室より、“西方搬入口付近の防壁が破壊された”との報せが入っております」 「破壊、された……?」  副司令の報告を受け、怪訝を顕わにした返答。容易く「破壊された」と言うが、飛空戦艦隊の拠点である大屋根には、対地上の索敵エリアと、高性能のミサイル防衛機構が備わっている。それがまったくの不意打ちを食らったこの有様は、「何だ?」という心境なのだろう。 『エルヴォン司令、こちら管制室。破壊された防壁より侵入者あり。整備倉庫が攻撃を受けております』  詰所のモニターに映る管制員。彼女は額に汗を掻きながらも、冷静に状況を伝えた。 「おぅおぅ、こうも無防備にやりたい放題かね? ……ミハエル、現在ここにいる隊員を引き連れて整備庫に向かってくれ」 「了ぉー解。今日のパーティは高くつきそうですね」 「言ってる場合か。状況を整えたら僕も向かう」 「あいあいっさ」  ミハエルは気の抜けたような返事をすると、詰所内の隊員に向き直る。そして声を張り、「久しぶりの実戦になる。鈍っていると自覚がある輩は、ここで休んでていいけど?」と全員を一瞥した。  すると、弾けるように「とんでもねぇ、待ってたぜ!」「アホ、待ってるバカがあるか!」「こうでもないと昇格できないっすからね」などと、次々に威勢の良い声が反響し始めた。隊員達は武装を整え、今にも勇んで詰所を出ようとしている。ミハエルは鏡の前に立ち、髪型を丁寧に揃えた。  隊列を整え。活気溢れる詰所に、「野郎ども! 着いてきやがれぃ!」と、息の抜けた檄が飛ぶ。ミハエルを筆頭に、次々と隊員達が詰所を駆け出した。  司令官エルヴォンは管制室から情報を受け取りつつ、分散していた隊員達へと通達を送っていた。 「しかし、管制室。何故侵入されるほど接近された?」 『現在、何らかの要因によって、セキュリティの一切は作動しておりません』 「CFMDもか!?」 『はい。居室の扉から、クリアーフィールド機構まで。セキュリティに関するほぼ全ての機能が停止しております』  エルヴォンは愕然とした。そして思い出し、「扉が自動で閉まらないわけだね」と首を振る。 「どうりで、呆気なく防壁が壊されたわけだ。ということは、追撃があるか? マズイな……復旧には?」 『その――目途が立ちません。どうやら外部からの干渉があるらしく、防衛システムの権利を行使できない状態でして……』 「それは危険だろう。ふむ……十六艦は今日、出航予定だったな?」 『はい、寄港中の16号艦は本日予定でした』  エルヴォンは大屋根の総指揮を執るものであり、それを守護する最善を尽くす義務がある。彼は、遠近交えた危機の想定を余儀なくされていた。 「さっさと飛んでもらおう。大屋根を開きつつ、カルメ艦長に伝達してくれ。“上空よりCFMD待機を求む”、と」 『了解しました。すぐに実行いたします』  管制員の返答直後。銃撃と悲鳴の音が木霊する大屋根に、「ウォーン……」という警告音が鳴り渡った。停泊している16号艦は中型。全開に至る必要はない。ならばスクランブルに必要となるのは十分程度であろうか。 「ミハエル、聞こえるか? 応答求む!」  次いで通信機を用いて、エルヴォンは戦場の副司令へと通話回線を開いた。しばしの間の後、音声のみが聞こえてくる。 『――エル司令、やはり相手は反逆者共だ。ブランクありとは言え、それだけなら我々が優勢だよ』  少し息を切らしている副司令は、「ヒュウ」と口笛を鳴らす。 「……問題があるのか」 『ああ、一人おかしい。一人だけ、やたら頑丈なのがいる』 「頑丈?」 『まぁ、でも、家の野生自慢達が取り掛かってるから、時間の問題だな。ただ、そこに人員を取られるのが厳しい』 「他の連中もそちらに向かわせたよ。二十名は中枢の防衛に回したけどね。足りるかい?」 『足りるさ、戦況は見えた。ここから私も――――おっお、お??』  突如。会話が乱れる。 「ミハエル、どうした!?」 『速い、それになんて跳躍。なんだあれは。……エル、君は戦艦を飛ばすね?』 「お、おう。そうだ、基地のセキュリティが落ちているから、代わりに――」 『つまり、重要だな。気まぐれな指示ではないな』 「おい、何が言いたい!?」  脈絡なく、会話を早送りに。副司令は“何か”を見つけて焦っているらしい。エルヴォンの問いに答えることなく、彼は優先的に情報を伝えてきた。 『エル、もう一つ問題が生じた。私はアレを排除する。……もし、万が一。戦線が持たないようならば、部隊に加勢してほしい』  通話越しに「キュイー」っと、何かが引き伸ばされるような音が鳴る。ミハエルの発言は、自己への信頼と責務に満ちたものであった。  エルヴォンは更なる応答を望んだが、一刻を争うと判断されたのか。激しい風切り音を残し、通話はそこで途切れてしまう。 「ミハエル、どうしたってんだ。何を見た!?」  エルヴォンは頭を抱えた。同時に、すぐにでも駆け出そうとしたのだが……。 『エルヴォン司令。三院のマーカス=キート様からご連絡が入って――』 「――っ! 今は、それどころじゃないだろう!!!」 /  奪われたのは「艦隊の機密」。スノウはPCを前にして頭を抱えていた。現状の隊構成、進行予定進路、提携組織との取引内容etc… 奪われたものは何れも繊細で重要な問題を孕むものであり、艦隊、及び提督にとって致命の刃と成り得る可能性を持つ。  施設・回線セキュリティについてはスノウの管轄外だが、目の前でやりたい放題に奪われた事実がただただ、悔しい。「これでは提督に顔向けできない」と、彼は絶望的になっていた。救いとしては、そこに全てがあったわけではないということ。多くはスノウの脳内に保管されているので、艦隊の全てを知られたという事はない。 「ええっと、この場合は……まず奪われた情報を整理して、対策を回答してから、ええっと……」  スノウは処理過多に陥った。フリーズ寸前、熱暴走の如く知恵熱で頭が朦朧としてくる。精神圧力に弱い彼はこういう場合において機能不全に陥るのである。  プレッシャーで押しつぶされそうになりながらも、艦隊の予測される危機をでき得る限り回避しようと試みるスノウ。  爪の食い込んだこめかみから血が滴る状況に、彼はふと、ある疑問に行き着いた――。 /  顔は見せ合わず、音声のみのやりとり。エルヴォンと電子網の先にある人物は、淡白な会話を行っていた。 「薄情とは言いませんよ。あなたと我々の間には境界がある」 『――――――(?)』 「ここは我等がバレル=オーウェンの領域。過度な恩売りは期待しないでいただきたい」 『――――――(笑)』 「失礼。こちらは今、忙しい」  通話を切断する。エルヴォンは大きな舌打ちと共に拳を握り込んだ。現状を嘲笑われたことに、彼は激昂していたのである。  司令官にとっては不幸の連続だ。  原因不明のセキュリティダウン。仲間内からの皮肉。そして、不幸は連鎖する――。 『司令、整備倉庫は壊滅的です! 部隊は大きく後退。負傷者の報告が間に合いません!』 「――ミハエル、お前の言っていた“万が一”か。つまり、それほどに以外でぶっ飛んでるってことだな。この“問題”は」 『た、大変! 司令、ミハエル様が、ああっ、ミハエル様の――腕がっ――!!』 「落ち着いて、ケイト。彼に何があった?」 『B停泊場付近、整備足場三階にて。ミ、ミハエル様が……』 「――――まったく、今日は信じられないことの連続だな。夢だといいんだが、夢じゃないよなぁ……」  小柄なその背は、平常時より一回り大きく見える。左腕をゆっくり回すと、キリキリ鎖が軋んだ。  エルヴォン=ザラは深呼吸をして表情を落ち着けると、歩き始めつつも管制室に指示を与える「百輪の強者に伝えてくれ。“問題児をB停泊場に誘導せよ”――そいつもまとめて、“俺が引き受けた”」。  エルヴォンの語末はまるで別人のように、唸るような低い音で。それには人間の声帯からやや逸脱した音が混じっている。  詰所の扉を潜り。グン、と胸を張って跳躍する。宙を舞う小柄な背に翼が広がり、その姿は瞬く間に大屋根の天井まで昇った。  鎖の擦れる音を残して。エルヴォン=ザラが「度を超えた暴挙」の対処に向かう……。 / 「 襲撃者の目的は何処にあるのか? 」  スノウの抱いた疑問は、偶然的に沸いたものであるが、しかし実際に的を射ている。彼は少し落ち着き、基地の情報を収集・分析し始めた。  機密が目的なら、既に仕事は終わっているだろう。基地の破壊が目的なら、さっさと遠隔の脅威を撃ち込めばよい。  何故、白兵戦なのか。侵入者の多くは力なき反乱者だが、その中に紛れるイレギュラー2つは、どうも、何か……。 「この映像――屈強で、小柄な、乱暴者? こっちは、素早く、青い、東洋の……?」  彼の脳内に存在するデータベースが、高速で展開される。乱れ飛ぶフォルダ。情報の紙吹雪に、必要なものを取り繕い、新たなファイルに綴じる。  行き当ったのは、“裏切り者の男”。  ちっぽけな小物であるその男は、四人の少年を集めて、何かを企んでいるらしい。  |機械的な殺人鬼|無差別の暴力者|人形と称された合成人間|  ――神出鬼没の、悪魔―― 「あ……ああ? あっ、ぁ…………ア!!!」  スノウは開口して胸元を抑えた。基地を破壊するならば、確かに遠隔からの攻撃も有効だろう。ただ、もし、もっと小さな目標を――例えば一つの「装置」を狙うような、そんな確実性が必要だとするならば……。  気付いた時には遅すぎた。スノウは数分茫然自失となったが、ここから今、自分ができることは何かと考え始める。  精神圧力に弱い虚弱な男は、それでも「艦隊の為」「提督の為」「友の為」、それらの未来を考えてありったけの|回答|を作り始めた。  今後必要となるであろう、その予測すらが一つの回答。復帰したPCに打ち込み、羅列し、最後の回答集を作り上げる。 「できる限り、できる限り――この私の人生に、せめて“最後”は、自分から大切な存在の為に、回答を――!!」  情報から回答を構築する装置の、破滅覚悟の演算。それは|未来予測|の域に達する、丈を越えた800KB――。 /  大屋根内に反響した銃撃の音は一時的にも静まっていた。  ほとんどの侵入者が戦闘継続不能となったからでもある。しかし、最大の理由は、百輪の猛者共を腕力で叩きのめしていた暴力が、誘導によって閑散とした「B停泊場」へと誘導されたからである。  それは基地司令と同程度の、小柄な影であった。尖った頭髪はシルエットにすると猫の頭部にも見え、半裸に羽織ったダウンジャケットはこの暑い地域にあって異様。ジャケットは弾幕によってボロボロとなっていたが、その内の肉体は無数の内出血と擦過傷を負うに留まっている。  B停泊場は静まり返っており、戦艦停泊用の巨大プールの水面は実に穏やかに揺れている。  プールに反射する警備灯の光。それを浴びるネコ科のような男の近くに、青色の影が降り立った。  それは上下に青系統の着物を纏った、青い頭髪の剣士。正確には、「侍」というある島国固有の剣士である。  二人は無言。一定の距離を保って同じく“上を”見つめている。  二つの視線が交差する位置。そこには、大屋根を背に翼をはためかせ、穏やかに降下する人外なる者の姿があった。  異様な翼の存在は、「ドスン」と両足でしっかりと着地すると、相対する二人の人間を睨みつける。  辛うじて人間的な顔立ち。彼の左腕に巻かれている鎖が解き放たれ、唸りをあげて円軌道に振り回され始める。  ネコ科の男は言う「あれは俺様が喰う。てめぇは引っ込んでろよ」。  青い頭髪の侍はただ、黙す。  ネコ科の男が一歩踏み出す。  それに応じるかのように。翼を広げた彼は咆哮を上げた。  鎖を地に引きずり、火花のラインを引きながら、エルヴォン=ザラが駆ける。  それに対し。拳を打ち鳴らし、噛み合わせた逞しい歯を露わにする、ネコ科の男。  手を出すなと言われて、その通りに一切の挙動を見せない、青い髪の侍……。 /  時間に限りがある。間違いなく、いや、間違いであってくれればそれが一番。だが、そうそう都合よく行かないと、スノウは自分の人生の記憶から理解していた。 「ううっ、も、もういいだろう。これでいい!!」  ウィンドウを閉じ、出来上がったデータフォルダを右クリック。 「圧縮っせねば。――そして、送信! Enterを! Enterを! Enterを!!」  圧縮ソフトが頑張っている。十秒かからない。もう、完成する。  後は――――・・・ ・  ・  セキュリティは落ちていた。  ――鼻によぎる、異質な香り――  煙草だ。知っている。だが、スノウは吸わない。  ディスプレイの表示。必死で気が付かなかった。  ――「扉が開きました」―― 「…………Enterをっ! 送信、せめt――― -」  ディスプレイが、黒く染まる。光を透過できず、黒く染まる。  木漏れ日のような液晶の明かりが、キーボードに飛び散った赤の色彩を明確にした。  くの字に曲がったスノウの指。  ひ弱な長いその指が、次第に次第に、硬直して。もう、Enterを押すこともできないだろう――――。 /四聖獣/ +++++++++++++++++++++++++++  大屋根の襲撃はCOINS飛空戦艦隊にとって打撃となる。  最大のダメージは機密流出。これによって彼らの戦線は停滞し、後の崩壊の原因へと繋がっていく。  人員の被害も相当なもので、艦隊参謀役に匹敵する存在であったデイヴィッド=スノウを失い、迎撃戦に出た大屋根司令官は第三段階にまで身体変化を用いてしまい、社会的立場からの立ち退きを余儀なくされた。副司令までも片腕を失う有様で、防衛部隊もほぼ壊滅状況に陥ったという。  これらの功績は、COINSに大した英雄軍の名誉ある戦果として今に伝わっている。  しかし、そこには歴史上、あまり表沙汰にはならない存在があったことを示唆する人物もあるようだ。  現在の大屋根は、一寒村としてひっそりと、秘境に存在している――。 |私は艦隊の書庫であった| ――END