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遊戯考察|大人の趣味とは? (カードゲームの疑問)


第二章 「大人がやってもよい事とは何か?」

犬:2-3 喫煙から見る常識の推移 (何の確証も無い呟きをすれば、「平和になるほど喫煙って嫌われる?」ですね。ほら、戦争映画とかだと兵士はもくもく吸ってるイメージがあるし。あるし!) -------------------------------------------------------------  <項目3>を確認してもらいたい。これらは「大人が行う事」として挙げられたわけだが、これを現在求める定義に相応しいか再検証してみる。  定義が変化したことによる検証なので、パパッと済ませよう。  まず、喫煙や飲酒は疑わしい。特に「喫煙」は最近の風潮では「煙草絶対悪」とでもいいたいのかと思うくらい喫煙者の肩身は狭くなっており、『喫煙は大人(というより人として)行うべきではない』と暗に示唆しているといっても過言ではない。 <例1>◇公共交通機関における禁煙の例 @ 1994年4月、航空機国内便の全席が禁煙に。それまでは「喫煙席」を設けていたのだが、それもなくなり、苦し紛れにトイレで喫煙することも許されない徹底した「禁煙空間」が完成した。 @ 2007年7月、のぞみN700型が運行を開始したが、全席禁煙。各所に粉じん計を設置する徹底ぶりである。  4箇所に6個の喫煙室を設置して喫煙者のオアシスとしたが、「煙が漏れない」の触れ込みに関らず「漏れ」が確認された。このため、車両の全面禁煙が望まれている(参照元では「姑息な手段をとらず、潔く全面禁煙することが望まれる」とまである。徹底した禁煙を象徴するような言葉である)。  上の例のように、公共の場で喫煙を行うことはかなり困難になった。  かつて「煙草はカッコイイ大人のシンボル」として、国も大いに販売を促進していたのに、今では「煙草は健康の敵=喫煙者は健康の敵」として扱っている。  ここで検証したいことは「喫煙の是非」や「煙草の害」ではない。注目するべきは「世間に歓迎・認められる行動」が変化している事実である。  なぜ、喫煙は「恥ずべき行為」として迫害され始めたのか。その大きな理由は「健康への害」で、人に迷惑をかけることになる、つまり「悪いこと」だからこそ大手を振って行えなくなったわけである。大げさに言えば「罪」として認知されてしまったということだ。  注意しなければならないことは、現時点で喫煙はまだ「人として(社会的に)なるべく避けるべき行動」となっただけであり、まだ「大人が行ってもよい行為」ではあるということ。  ただし、喫煙・飲酒に関しては国によっても大きく異なってしまうので、ここでは「日本を中心に考えて」のものであることを強調しておく。国ごとでの「大人として、子供として相応しい行為」を検証する必要はここではない。あくまで「日本国内」での場合を考えていきたい(今後、比較や予測に必要ならば検証は行う)。  「喫煙」の例で得られたことは↓ 『<するべきこと(行うべきこと)>は時代で変化し、現在も正に変化の最中である。  それがその人(年代)にとって<するべきこと>であるかどうかは社会に認められるか否かによって決定される』  ↑と、いうことである。  「するべきことは変化している」ということは「するべきことを変化させることも可能」であることを意味する。  大人・子供以前に当たり前のことだが、「悪いこと」はしてはいけない。  また、「してはいけないことをする」と当然、世間的に少数派となる。なぜなら、「してはいけないこと」が多数派で、それでもその社会がまかり通っていればそれはすでに「してはいけないこと」ではなくなっているからである。
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