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遊戯考察|大人の趣味とは? (カードゲームの疑問)


第二章 「大人がやってもよい事とは何か?」

犬:2-4 「恥」と関り深い日本人 (でも、最近は失われつつありますね。いや、そもそも本当に「奥ゆかしい」のが日本人か? ええじゃないかは何だったんだ……!?) ------------------------------------------------------------- ○ 「恥」と関り深い日本人  「カラオケ」は日本発祥の今や世界規模となった文化である。カラオケ(特にカラオケボックス)が日本で好評を得た主な理由は↓ ・仲間どうしで気軽に楽しめる。 ・見知らぬ人の歌を聞かなくてもすむ。 ↑である。  日本人は「恥ずかしがり」「強い集団性」「人がいい」などとよく他の国の人から言われる。  「謙譲の美徳」の精神はサッカー日本代表のゴール前での活躍を見れば一目瞭然。  <オレオレ詐欺>は「日本人はなんて人がいいのだろう」と世界中の人々を感心させてしまった世にもありえない犯罪である。  ゲームセンターなどで鞄を置きっぱなしにしてトイレに行く日本人の姿を深く心に刻んだ外国のTCGプレイヤーも存在する。  「カラオケ」の成功はそんな、「内気」な日本人の心を強く捉え、その気質と噛み合ったからこそ成功した。  少数派になると「恥ずかしい」という感情が生じやすい。恥ずかしがり屋の日本人なら尚のことであろう。たとえ「大人が行える行為」であっても、それが「恥ずかしい」ものであれば「大人が行ってもよい行為」には成りえない。これは少なくとも我が国では確定次項だ。 ------------------------------------------------------------- ○ 悪い事=恥ずかしい事=いけないこと……は不成立の式  ここで<項目2>を再確認する。これらの各例は「大人が行ってもよい行為」とは言い難い。だが、「大人が行えない行為」ではない。刑務所に送られても構わない勇気と無謀さがあれば、例え30歳を超えた大人でも、街中の見知らぬ女性のスカートを片っ端から捲り上げて駆け回ることも可能だ。  なぜ、それが許されないのか。それは「悪いこと」だからである。  「善悪」の定義はここで議論しない。一般的に考えて「スカート捲り」は悪いことだから「してはいけない」。そして「してはいけないこと」を行うのは少数派である。  ならば「かくれんぼ」「ヒーローごっこ」「人形遊び」はどうであろうか。これらはスカート捲りと同じく、「大人が行えない行為」ではない。  例えば、会社の机で昼休みにヒーロー物の人形を両手で操り、独り言を呟きながら戦わせる社員は果たしてその会社に残れるのであろうか。他の社員のだれよりも優秀な成績を収めていても、「人間関係」は上手く成立するのだろうか。  よほど特殊な会社で奇遇な状態でない限り、その社員は孤立ないし、解雇となるであろう。そしてその状況になる原因である「人形遊び」は「大人として相応しくない行為」であると言える。  同じく「大人として相応しくない行為」である「スカート捲り」と「人形遊び」だが、これらには大きな違いがある。  スカート捲りは「悪いこと」だが、人形遊びは「悪いこと」ではない。その光景を見て周囲が不快になる、雰囲気が悪化するなどの問題はあるかもしれないが、「人形遊びをしていたので逮捕されました」とはならない。  ならば、なぜ人形遊びは子供が行うものとして『区別できる』のか。  それは「大人が行う事」として相応しくないから『区別できる』のである。 <<条件1:「子供が行う事(項目2)」を「項目4」に属させるためには、   それを『大人が行う事』としても成立させる必要がある。>>  《条件1》を「人形遊び」が達成できない主な理由は、「周囲の人間に認められない行為=人間関係が成り立たない、またはそれを壊す行為=恥ずかしい行為」だからである。  「人形遊び」は基本的に「自分の世界に入り込み、他の人間と干渉しない行為」である。これを踏まえると社内で人形遊びをする社員が孤立するのも当然。  コミュニケーションを行えない時間帯が公然と生まれたら、関れない他人はどうすることもできない。どうすることもできないし何もされないということは通常、利益も害も生まないが、それがコミュニケーション、互いの関与を前提とした空間では「前提を成せない」という害が生じる。  2人だけの状況なら残された方は手持ち無沙汰となって暇になり、多人数であればコミュニケーションの輪に入ってこない個人は邪魔となる。  ここで述べた問題点を「人形遊びは行うがそれが周囲の害にはならない」条件を満たして解決する方法は「プライベートな時間帯に行うこと」である。つまり、「会社では周囲とのコミュニケーションを欠かさず、家で1人になったら遊ぶ」ことで問題を解消できる。  しかし、これによって《条件1》が満たされたかというとそうではない。  依然として「人形遊び」は「恥ずかしいこと」であり、「大人が行ってもよい行為・大人が行うべき行為」としては成立しておらず、「大人が行う事」とは言い難いままである。平たく言えば、「趣味」として公然と言えるものではない。  「1人遊び」を「大人が行うこと」として成立させる必要性はここに無い(難易度がTCGの比ではない)。よってこれ以上「人形遊び」について考える必要は無い。  ここで得られたことは『条件1を満たす為に行為を“隠す”手段を用いても、解決はできない』ということ。また、公然とそれを行っていると認められなければ「恥ずかしい」という印象は消えず、「大人が行う事」にはなりえないということである。
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