--------------------------------------------------

遊戯考察|大人の趣味とは? (カードゲームの疑問)


第二章 「大人がやってもよい事とは何か?」

犬:2-5 「歌う」と「性行為」に見る境界 (大体、こういうこと考える時って「なんとなく解るだろ!」って切り上げたくなりますよね) -------------------------------------------------------------  「性行為は大人が行うべき行為」という認識は日本以外にもほぼ世界各国で通用するものである。「子供が行うべき行為」とする国は皆無に近い(むしろ日本こそが数少ないロリに対しての認識が緩い国)。生物的な観点からも、本能的に「子孫を残せない=意味が無い」という発想からも、その道徳観は生まれて然りである。  性行為は<項目3>に分類され、それを疑う余地も無いのだが、「恥ずかしい行為」なのかどうかというと大変微妙である。  例えば、先ほどの「人形遊び」の例に当てはめると……「会社の昼休みに机の上で同僚と性行為に励む行為は大人として相応しいかどうか」となり、これは明らかに「相応しくない」。 だが、「趣味」として公然と宣言できるかと言うと出来ないこともない。人相や築いている人間関係にもよるが、「趣味」として成り立つ場合もあるだろうし、家庭を持っている場合は公然と宣言せずとも、それは行われていて当たり前のことである。だが、「性行為」を一般の会社で行う事が不適切であることは明白。  つまり性行為は「会社で行うには恥ずかしいが、プライベートな状況で行われる分には恥ずかしくはない」行為であると言える。ここでは、「行われる」ことの正当性よりも「行っていることを宣言できる」という正当性がある点が重要だ。なぜなら「人形遊び」の検証では「行っていることを宣言できない」ことが問題として立ちはだかっていたからである。  ここで「カラオケ」を再び検証してみる。  「カラオケ=歌うこと」と限定して「人形遊び」の例に当てはめると、「会社の昼休みに机の脇で歌うことは大人として相応しいかどうか」となる。「場の雰囲気的に、皆に促されてしかたなく歌った」という場合は適切な行いであるとも言えるが、そうでもないのにいきなり歌えば明らかに迷惑がられ、周囲に害を与える。しかし、「趣味」として家やカラオケで歌うことは問題ない。「カラオケが趣味」と公言している人は今のご時勢、実際に多い。  以上のことから、カラオケは性行為と同じように「適切な状況で行われる分には恥ずかしくはない」行為であり、「行っていることを宣言できる」ことの正当性があると言える。  「歌う」ことは「性行為」より適切な状況が多い。ストリートミュージシャンなどは本人が恥ずかしさを感じたりすることもあるが、基本的に「恥ずかしいこと(人として恥ずべきこと)」ではない。  「歌う」は<項目4>に分類されている。つまり、《条件1》を満たす・満たさないの前にすでに目的である「大人が行ってもよい行為=大人が行っても恥ずかしくない行為」として成立している。  <項目3>から選出した“性行為”の検証結果と<項目4>から選出した“歌う(カラオケ)”の検証結果を比較すると、「項目3と項目4」を分けている境界線が見えてくる。  提示すると、<項目3>と<項目4>を分ける大きな要因は以下のようになる↓ <「恥ずかしい行為である」と自分や周囲が認識する状況の多さ(状況への汎用性)>  <項目2>を<項目4>に変換する場合にも、上に提示された「状況への汎用性」の高さは問題となる。
-------------------------------------------------------------
項目のTOPに戻る
次項に進む

--------------------------------------------------