アマモリの剣~堂天牧の道理~遠距離

 「これはいいものだ」新奇は感嘆して笑顔を見せる。傍らの助手は内心「その道理でいくと……師匠(哀)」と思っていたが、言ってしまうとさらに悪い方向に進みそうなので、だまっておくことにした……・・・・・。。。 ACT 2-A  そうだ、彼女は憎たらしい。  彼女の口癖は『不思議』が好き。  彼女は『不思議』を求めてよく本屋に通っていた。  小さい頃からの馴染みで、僕らはよく近くにいた。  ――しかし、とにかく、彼女は“勝手な”性格で。  何かと僕を振り返っては「つまらない」と言い放つ始末。  いつからか、僕は彼女を憎たらしい奴だと理解して、近づくことを極力避け始めた。  憎らしい彼女はケバケバしい配色で耳が痛い音楽を垂れ流す人に成長した。  「やっぱり、相変わらずだ」と僕はいよいよ彼女に近づかなくなった。  そうだ。彼女は憎たらしい。  そして。彼女の別荘で一度だけ見たドレス姿は―――――異なる意味で憎たらしい……。  ――― その後、紆余曲折を重ね ―――  大半の黒に、ピンクと緑を足した構成の服装。  ミニスカートから白肌の脚が伸びている。膝を超える丈の靴下をまとった艶やかな脚は、スプリンターのそれを彷彿(ほうふつ)とさせる動きで地を駆ける。  通りの狭さを抜けた時、少女の体が元気に跳び上がった。 「ぅあっち!」  と、少女が呻(うめ)く。彼女が乗り込んだバスは丁度のタイミングで発進した。  乗客の疑問に満ちた視線を一身に受ける少女は、視線を無視するように澄まして立ち上がり、座席に座って足を組んだ。  気取ってはいるものの、息は上がっている。自宅から駆けてきたので5分は走ったのか。  ちらりと振り返る。発進したバスの後方。手を広げて何かを叫んでいる男性の姿がある。 「バカめ、これでさよならよ」  やれやれ――と、少女はため息を吐いた。  窓の下枠に肘を置き、笑みを浮かべる少女。バスは問答無用な速度で景色の奥に消えて行く。   男性は、広げた手を下して「勝手だよ……」と呟いた―――――。          :     :     :      ACT 1-A  ドナテロは憂鬱な按配で坂道を下っていた。  彼としては人生などどうでもよく、今更死んでもそれはそれで悪くないとも考えていた。しかし、ただ死ぬことはつまらない。どうせならばいかにも景気良く逝きたいものである。  堂天牧(ドウテンボク)を拾ったのは考えの矢先であった。いささか不気味な外見であるかの“棒”はシャノウベンの並木にポツリと忘れられていた。  目にして興味を持ったが、周囲に人も無く、持ち主の検討もつかない時節。「それきた」と第六感をカチ割らんとする衝撃を頼りにかの“棒”を拾い上げ、ひっそりと鞄へと混入させた。  早々自宅に駆け寄り、興味津々に鞄を弄りかの“棒”を探り出す。  一見してただの薄ら汚らわしい犬の糞にも似た“棒”であるが、少なくとも自分の棒よりは万倍の興味を誘う物である。いや、ドナテロにそのような確信を持つ確かなものは無いのだが、不思議と断言できる優れものであることは確実らしい。 「面白くなりそうだ」  ドナテロは黄ばんだ水色の壁に寄り掛かり、愛おしそうにかの“棒”を擦った。  それでは、問題はここからであろう。何せそれが“優れものである”ことは認識しているが、それのどこが、どのように優れているのか皆目理解不能であるからだ。  叩き、齧り、振り回してみたが頑固としてかの“棒”はウンともスンともならない。  困り果てていると、かつて友人であったワー=テルデの姿を脳裏が描いた。それだけで嫌気が背中を寒くしたが、どうにも彼女くらいしか手がかりがないので、やむやむ足を運ぶ流れとなる。  近づけば近づくほど喧しいミュージックが一層喧しくなる。一軒家から響く憎たらしいミュージックの波を掻き分けて、呼び鈴を押し込む。 「なんだ、ドナテロか」  しばらく待つと出てきてしまった女。  原色が渦を巻く様の女性が顔を動かすたびに、縦ロールが揺れる。なんとも憎らしいこと申し分ないところだが、ここはグッと抑えてドナテロは聞いてみた。 「ワー=デルデ、僕は“こいつ”を拾ったんだが、どうだろうか」  手にしている汚らわしい棒切れを見せてみたところ、それは取り上げられた。 「……なんともこれは……」  意味有り気にその棒をさするワー=デルデ。 「如何かな。僕はどうにもそれが気に――」  ところが、どうして。ドナテロの言葉は中断された。  彼の言葉を遮ったのは扉。彼の音声は閉じられた扉に邪魔されたのである。 「おい、ちょっと! 困るじゃないか、ワー=デルデ!」  ドナテロは酷く狼狽して周囲の植木鉢を蹴飛ばして見せたが、どうにも彼女は出てこない。しかし、これは必然の結果だ。植木鉢の管理者は彼女の母であり、彼女にとっては植木鉢など通りすがりの男性ほどの価値にすぎない。  四十分ほどの静寂を木材が軋む音が鋭く破壊した。 「ふむ――」  扉が開き、座っていたドナテロの背中を強打する。四十分ほど体育座りで待っていた男の末路がこれである。  短い階段を転がり、もがくドナテロ。その頭部に棒っ切れが投げつけられた。 「それ、つまらないから返す」  再び閉められる扉。  ドナテロは「ああっ、あうち!」等の悲鳴かつ呻(うめ)きで構成された声を出していたが、しばらくして復帰するとようやくに立ち上がった。 「ふざけてるよ! ワー=デルデはふざけている!」  “行動が”ではなく、“存在が”問題だと世界に訴えた。  ところが周囲の住宅からは誰一人の反応も無く、周囲の自然も何一つ彼に同調してはくれない。  ドナテロは気を落としながらも棒切れを拾い上げ、やはりそれを大切に携えた。  シャノウベンの並木道を歩く。  人生だから辛い気持ちの時もあるだろう。  ドナテロはがっくりとしていたが、いつものことなので大した不幸とみなされない。  実際、容姿端麗な生まれであり、家庭も裕福な彼はベースラインから違う。  彼にとっては大きな不幸でも、人にとっては些細な不幸なのかもしれない。  並木道に、枝葉を直線に突き抜けた日の光。無数の光の中で、枝葉に遮られず地上に達したことを考えれば、「奇跡だ」「なんて幸せな光なの」と賛美を受ける。  ただ、ただ。それは人の抱く“感想”であって本当のところ光にとってそれが「奇跡的な幸福」である可能性は皆無に近い。当の光本人にしてみれば、不幸でも幸福でも無いのが実情なのだろう。それはつまり「奇跡」ですらない「ノーマル」であることを意味する。  これを考えるに、現状は『堂天牧』にとって「どうってことない」ものである。  ついでに今は、元々の持ち主にとっては大きな不幸である分、ドナテロにとっての嬉しい事が起きても差引“チャラ”だと堂天牧は考えた―――。  シャノウベンの木々はほんの少し肌寒い気温に包まれ、風を受ける。  堂天牧には彼なりの理屈がある。  平行だった彼の天秤(りくつ)は背中の殴打で転がった時点で傾いていた。  堂天牧は彼なりに平らになることを願う。ウンともスンとも動じなかった堂天牧をさするドナテロには、そんな理屈など知る由もないことである。  だからこそ。 ドナテロには意外だった、驚いた!  数倍速で見る現象は常日頃とはまったく異なる物に思える。  枝の蕾(つぼみ)が花と成るまでを記録した映像が数秒の動画として放映される―――。  高速再生の映像には感動や神秘を覚えるが、今、頭上で伸びに伸びる枝は記録された映像ではない。そうなると「感動」よりも「驚愕(きょうがく)」して焦る方が早い。  彼の頭上を包んでいく“枝葉”は意識だけ遅くなったのかと錯覚できるほどに高速の成長を遂げ、シャノウベンの並木は気が付くと“枝葉のアーチ”で天井をこしらえてしまった。  ドナテロは立ち尽くしている。「こんなこともあるのか」と人生の意外さに息を飲んだが、“不思議”はそんなに甘くない。大半の“不思議”には理由が存在する。  手にしている棒切れが“枝葉で作られた剣”として手元にあることを確認しても。体感した新鮮な奇跡を「理由のある結果」だと、即座に理解できるドナテロではなかった―――――  Title //  アマモリの剣 /    ~堂天牧の理屈~ ACT 3  “ディラハ”は年を通して気温が高い地域ではない。だから、気風に慣れていない人間が“心地よい気候ね”と思える日々は貴重だ。よって、古城などの観光名所を回るツアーは丁度今頃の季節に組まれることが多い。  市街から外れた山の道。ここにあるビアホールは周囲の景色が良く、ここで飲むビールは情景を混ぜることで完成される。決して、通販では味わえない本物がここにある。  バンドの演奏が始まる。ディラハの民謡をハードに仕上げたMUSICがビアホールの酔いをまとめて高く導く。  やや湿気た木の質感が目立つ店舗からは、暖かさと歴史が伝わる。  楽しげな男達は髭面が多い。だが、誰しも年齢など忘れ、肩を組んでジョッキを掲げる。  暇さえあれば喉にビールを流し込み、気が向いたら飯をつまむ。  陽気なリズムに揺れるビアホール。  昼間から露骨に元気の良い店舗の隅で、青い髪がモジモジしている。  異国の人たちのテンションについていけず、それでも仲間に混ざりたいと挙動を怪しくする若者は、元来日本人の持つ「謙虚、そして優柔不断」を地で行くか。  若武者の服装はいつもよりはカジュアルだが。紺色の上着にジーパンの色合わせは見た目に地味だ。茶色のシャツも彼が木材の壁に紛れて見える一因だろう。  陽気盛りの店舗の外。山から低い温度の風がビアホールに吹き下ろす。  店舗に入ろうと二人の女性が寄ってきた。二人はふと目を留めると顔を合わせて微笑む。  店舗から少し離れて、隔離された簡素な空間。そこのベンチに座るスーツの青年。彼は自分を眺める女性の視線に気が付くと、軽いウィンクを返した。  女性達は青年の対応に小躍りして手を振り、談笑しながら店舗へと向かう。  その後ろ姿を見送り、薄っすらと赤みを含んだスーツの青年は小箱を取り出す。風を手で遮り、ナス科の葉を加工した製品に火が灯ると、彼はいつものように息を吸った。  ディラハの商店で購入したそれは慣れていない、初めての味だが。   青年は「いいね」と、嬉しそうに零した―――――。 ACT 0  ―――とにかく憎たらしいことこの上ない。元は友人であったが、あまりにも勝手と思ったので、なるべく近寄らないようにしていた。  まだ身長が今の腰くらいしかなかった頃。  足の速い彼女に追いつくのは容易ではなく、割と簡単に引き離されてしまうこと多々。  並木道は行きつけの本屋に行く場合に必ず通る。頻繁に本屋へと足を運ぶ彼女の後を追っていたということは、並木道も頻繁に通っていたことになる。  いつもの光景は大体決まっていて。  彼女は立ち止まると、振り返り、転んでいる人間にこう言うのだ。 「相変わらず遅いわね」  その頃からケバケバしい配色を好んでいた彼女は、セピアな色合いに満ちた並木にぽつりと浮かんだように、   憎たらしくも、鮮明だった―――――。 ACT 1-B  それを作った本人は自分が「不幸な体質」だと思っていた。だからこそ、自分に使い勝手が良いようにと作り込んでいたわけだが……。そもそもの欠陥である所、つまり製作者は不幸なのだろう。早い話が、自覚するほど不幸な彼が丹精込めて作ったそれが、狙い通りに機能するのかということである。  結果として機能する、しない以前に手元から無くなってしまったが、なんとなく自分の性質を決めつけている彼にとっては当然の出来事だったのかもしれない。  話も場所も変わるが――。  内気ではない。しかし、変わっている少年ではあった。それは青年となった今も同じで、衝動的に動く割合が一般の基準から査定して「高い」と判定できる個人ではあった。  面(つら)の良い、スラっと体躯も見やすい青年に言い寄る女は多いが。その内100%の女性は彼の性格を「面倒」だと考え、自分から寄ってきた割には蹴飛ばすように彼から離れていった。  生まれ持った基礎性能をまったく活用できていないこの「ドナテロ」という名前の青年は、そのたびに自分の部屋の机の下に潜り、ひたすらヤスリで爪を磨く習性をもっている。  大抵、二日間ほど「勝手だ、皆勝手だよ」と呟き続け、その後三日間くらいの放浪を経てようやく通常の状態に復帰する。  久しぶりに本屋に足を運んだのもようやくの復帰をこなした後であり、「死にたい」と保障を呟いていられたのが復帰の証。  そんな、そこそこに気分が上向いていたドナテロは手ぶらの帰り道に棒っ切れを拾った。  犬の糞にも似た汚らしい廃棄物に過ぎない棒に見えるが、ドナテロはそれに魅力を感じて家に持ち帰る………。 ―――気が付けば、空は枝葉に覆われている。  ドナテロは並木のドームを感心して見回していたが、「ほら見たことか!」と得意げに“枝葉の剣”を掲げた。  ようやくに納得を得たドナテロは「やっほ、やっほ」と繰り返しながら道を戻って行く。  向かうのは憎たらしい友人の元だ。彼女は「つまらない」と放り投げたが、どうやら正しかったのは自分の“勘”らしい。  彼女の感動する様を頭に描いて駆けるドナテロ。 「いや、しかし。待ったほうが良い」  半歩踏み出した姿勢で停止して、彼は少し落ち着いてみた。  考えてみれば……。  こうして、今、振り返って見える並木のアーチは確かに異常なものであったが、それは本当に“コレ(剣)から出た不思議”なのであろうか?  つまり、なんらかの“別の物から出た不思議”なのではないだろうか。  依然としてシャノウベンの並木道。ただし天井のアーチはやや後方に置き去られた。  ドナテロは周囲を見回して自分以外の関与を疑ってみた。ついでに左っ側の位置が低い景色を見回して同じような状況(樹木のアーチ)を探した。  ……どうにも無いな、とドナテロはつぶやく。  ドリンクのように息を一杯飲みこみ、“おそらく”と当たりを着けていることをしてみる。  剣とは言っても樹木である。刃のような形状だが、それはおもちゃ屋で購入され、やんちゃな兄弟が一日遊べばひしゃげてしまうような見た目。切れ味など無く、刃先は丸みを帯びていてむしろ撫でると気持ち良い。  撫でてみた剣。それはウンともスンとも言わない。なるほど、これでは解らん。  ドナテロに届く幸運紛いの光が数を減らした。  ドナテロは笑う。声には出さず、静かに笑う。  やはりそうか。彼は正しい。  頭上には過ぎ去ったはずの“枝葉のアーチ”が形成されている。  ドナテロは走った。見てろよ、驚愕させてやる! と、あの憎たらしい友人の元へと走った。  喧しいBGMが鳴り響いている。実に勝手な振る舞いだと呆れる。  例の彼女はいつものように二、三度の居留守体制をとった後。ようやく扉を開いた。 「またか、しつこいね」  などと睨み付けているが、ドナテロには自慢がある。  剣を見せた。枝葉で作られたような、見た目が幼稚な剣。 「お飯事ね。そんなものを作っている暇があるのなら――」  と、友人のワー=デルデが口をひん曲げて悪態を吐いてきたが。それは急停止した。  今まで一度見たかどうか。それほどの表情でドナテロは笑っている。  倒れている植木鉢から不相応な枝――いや、すでに樹木の域に達した植物が伸びていく。  庭に繁る茎の有無も遠目に解らない草――今では、モロコシのようにがっしりとした図体でワー=デルデを見下ろしている。  金をかけた茅葺(かやぶき)の屋根は――――樹海のように乱雑と化した。  先ほどまで整備された優雅な家屋と敷地であったこの場が、人類を忘れたかのように野生の様を呈している。  ワー=デルデは放心した様で“密林の庭”を見て。賢明なその頭脳で状況を整理し。事実である、と重病を迎える心構えで受け入れた。  密林で笑う男の手には不気味な剣……。  密林で笑う男は散々好き放題してきた自分を“どう思っている”だろうか……。  ドナテロは得意げに剣を掲げ、そして自信に満ちた笑顔で「どうだい?」と問いかけた。  感心して「わたしが間違っていた」と言うであろう憎たらしい友人を期待して。 「如何かな。君はこれをつまらないと――」  ところが、どうして。ドナテロの言葉は中断された。  彼の言葉を遮ったのは扉。彼の音声は閉じられた扉に邪魔されたのである。  不思議な現象がドナテロを襲っている。  おかしな話である。ワー=デルデは不思議が好きな友人だ。目の前で実演した事態はどうにもなく、満足できる水準の不思議のはず。誰に見せても必ず『不思議』。  では、何故彼女は家に引っ込んだのか。いや、引っ込むのは構わないが、ドナテロの手に“枝葉の剣”が握られているのはおかしい。想定ではこの剣は奪われているはずだった。  何度かインターホンを鳴らしてみるも、一向に出てこない。  騒がしい音楽が変わらず耳を突いているだけで、何も変化が無い。  ドナテロは予想外で初めての現状に直面した。ワー=デルデは居留守を使うが、最大でも五回繰り返せばまず、出てくる。一度だけ三十回くらい鳴らした末に出てきた彼女に蹴り飛ばされたことはあるが、それは彼女が入浴していたから。  果たして今、ワー=デルデの入浴はありえるのであろうか……。  密林の家を彷徨う当惑した衛星と化したドナテロは、家の裏口が開いていることに気が付く。即座に理解して、彼は叫んだ。 「そんな、ワー=デルデ!? 意味がわからない!」  ドナテロはどうやら“外出した”らしい友人に文句を言い放つ。  同時に、ドナテロは走り始めた。ワー=デルデは乗り物を一切使用しない。歩く、走るを基準とする彼女の生活は健康的で、見習いたい部分もある。  この状況、ドナテロは酷く自分の不幸を呪って走る。どうしてこんなことに、と。  しかし、体格良く成長した彼が特に鍛錬も積まずに学年で最も速く疾駆できることを、彼の周囲は「ラッキーな奴だ」と、羨んでいる―――。 ACT 4  依頼を受けたのは二日前のことだった。  依頼者はディラハ在住とのことで、国際通話の料金を懸念してみたが「問題はない」との即答だった。どうやら十二分に財を蓄えている人物と期待が奔る。  早急な仕事だと、依頼者は早口に語る……別にそう“言った”わけではないのだが、口ぶりから察して明らかに判断できた。往復の資金に色を付けてさっさと振り込まれた時点で、「観光」気分で向かっても良いと決定。  一人で行こうかとも思ったのだが。出掛けに起きてきた者が暇そうな上に 「あ、あそこはビールが美味くてな。それは輸入云々ではなく、現地で飲むからこその味わいで……それと、料理ってのは見た目もそうだがそれを口に入れる過程と環境も重要で――こう、なんというか、とにかく現地で食べると美味しいから、お前はその辺りを一人でしっかり理解――できるとは思うがな、それでも……むむむ・・・」  と、独り言のようにモジモジしている様を見せつけられ、あまりにも鬱陶(うっとう)しいので依頼者に「ついでに、もう一人分の往復費用も頼めるかな」と伝えることにした。  ―――密集した木が遠目に黒く見える。草原を抜ける透明な風に比べると、扇風機や空調機の風が馬鹿らしい。  “朱雀”こと、アルフレッド=イーグルは開けた平地を越えて、木々の密度が高い森へと足を踏み入れた。  とは言え。遠目に陰鬱な印象を受けた森も、中に入って歩くと攻撃的な音が一切なく、圧倒的な余裕を湛えている。  それ故か、立ち止まって呆然としていても安心できる。 「こういう所によ。平屋で天井が高くて、家っつーより小屋みたいなログハウスを構えてさ。大した工夫も施さずにのんびりと本でも読んで時間を経過する―――最高だろね」  建造物が密集している世界は“窮屈”だが、それが木々の世界となると“解放感”に満ちるのだから不思議なものである。  仕事の相手と商談の場から察して、念のためにフォーマルな服装で朱雀は臨んでいる。しかし今は情景をより深く感じようと、スーツの上着を肩に掛けた。 「……そうだな」  Yシャツの背中に並んで歩く、紺色のジャケットの男。頭髪は青い。  隣の朱雀はいつの間にか口に咥え、それに火を灯している。 「自宅なら、あれこれ面倒を言う奴もいねーし。(すぱっ)きっと、一日が静かで、ゆっくりと流れていく――ああ、もちろん同居の女は地元の娘ね」  ニヤリ、と口の端を上げて煙を吐く朱雀。 「……そうだな」  森は平地ではなく、結構な上り傾斜を持つ丘に形成されている。そこを歩く青い髪の男は茶色のシャツの下部を押さえている。 「家庭料理ってやつ? お前も言ってたが、やっぱ食い物って雰囲気じゃん? 作るのはむさ苦しい野郎よりもよ、愛しい顔つきの女性が作ってくれた方が最高だろ、なぁ!」  楽し気に隣のジャケットの肩を叩く浮気者。 「……飯の話は……今、やめろ―――」  苦し気な紺色のジャケットの男。  彼はビールと料理を詰めすぎた腹を押さえながら、青ざめた表情で静かに首を振った―――――。  鬱蒼(うっそう)とモミの木が茂る丘の上。国内最大とは言わずとも、国外に名が知れている規模の観光名所。  “シュヴァルツヴァルト城”は二百年近く前に廃城を改築して造られた山城。非常に実用的な外観であり、優雅ではなく“堅牢”なインパクトを見るものに与える。しかし、その対外的な印象とは裏腹に、繊細な装飾を過度に施した豪華な礼拝堂、美術館と見まがうばかりの壁画群を内部に持つ。  侵入は困難かもしれないが、入ってしまえば浮世を忘れる景観が意識を晴れ渡らせてくれるだろう。  普段は一般公開されていない(外観の撮影は可能)が、時折開放される際には観光客が押し寄せる。人の多さで優雅も何も無いが、普通はそういった状態の城内しか見学できない。  現在は公開期間ではなく、観光客もちらほら来ては撮影だけして去っていく。  そんな中、ワイシャツ姿の青年と紺色ジャケットの青年がのそのそと城に近づいてきた。  城の周囲には数人の警備員が常駐しており、目を光らせている。  肩に掛けていたスーツに袖を通し、服装を整えている赤茶色の髪――。  険しい表情で見るからに危険な眼光を持つ青色の髪――。  彼らが城の城門前で立ち止まり、スーツの男が「ガンッガンッ」と無作法に門を叩き始めた所で鋭い声がかかった。 「おい、お前ら。何をしている!?」  警備員は腰元に手を構え、威嚇の声を上げて駆け寄った。 「ア~っ?」  スーツの青年は首を傾(かし)げて顔だけ向けてきた。 「ピンポぉ~ンってできないから、ノックしてんだよ」  ニヤつきと共に返答するヘラヘラした青年。  警備員は警戒を強めながら、青年を城門から引き離した。 「ここは立ち入り禁止だ。とっとと写真でも撮って帰れ!」  手を払う警備員。明らかに危険な顔つきで睨んでくる青い髪の男への注意は怠らない。 「呼ばれたからこっちは遥々来たっつーのに、追い払うんか?」 「お前ら見たいなガキを誰が招くんだ。さっさと帰れ」 「ここのオーナーに呼ばれたんだよ、この『ガキ共』はさ。“朱雀”っつー名で通してあるんだが」 「いいから失せろ。観光で浮かれるのも―――ん、何、“すざく”?」  警備員は反抗的な青年の名を聞いて、複雑な表情を浮かべた。  彼は携帯を取り出すと、何やら通話を始める。 「突然申し訳ございません、お嬢様。―――ええ。それが、今城門前にいるのですが、なんとも―――はぁ、確かに髪の色は―――ええ、はぁ―――なるほど―――それでは――はい、失礼いたします・・・・」  警備員は通話を切ると、サングラスをとって改めて青年を見ている。 「なに? なんか証明しろってか? ア?」  面は整ってはいるが、態度が大きすぎてまったく好感が持てない。  だが、伝え聞いた特徴に合致しているので、間違いはないのであろう。 「……通っていいが、くれぐれもやらかそうとはするなよ。我々がお前の元に駆けつける手段はいくらでもあるし、全て迅速だ」  城門が開かれ、青年二人を城内の景色が迎える。先の門はすでに開かれている様子が見て取れた。 「あいあい、承知しましたよ。――まったく、仕事を真面目にしようとしただけで、どうしてこうも邪険にされるかねぇ」  変わらず無作法なまま、城内へと進んでいくスーツの後ろ姿。  警備員は不安そうにそれを見送った。 「……すまないが」  不意に発せられた声に驚き、警備員が身構える。 「トイレは、すぐにあるのでしょうか……」  開かれた城門の先。城内はしばらく通路が続いている。  険しい表情で睨み上げてくる青年。前かがみの姿勢の青年が「威嚇しているのではなく、単に必死なだけだ」と理解できた後。警備員は警備室のトイレを貸してあげた―――――。 ACT 2-B  困ったことである。  道端に置き去られた哀れなドナテロは、歩道を叩いて嘆いた。 「くそうっ、最悪だ、酷過ぎる……」  などと零して涙する。  言ったではないか、と。「不思議が好きなの」ってさ。 「勝手だ、勝手すぎる!!」  憤慨するドナテロだが、彼女がバスに乗ってどこかに行ったことだけが今ある事実。  だから、不幸を呪いながらも彼は「彼女がバスで行きそうな所」を考えた。  当てはいくつか存在する。  ワー=デルデは一人が好きで、誰かに世話をするのも、されるのも好かない。あらためて勝手なやつだと思う所。  彼女はホテルが嫌いだ。だから旅行もしない。プライドの高い彼女が野宿なんてこと、するはずも無い。だが、人は何処かしらで“落ち着く”必要がある……。  図書館に行ってみたが、姿はなく、指定の個室も全て中の人が出るまで粘ったが、全て別人だった。  閉館後に学校へと向かった。しかし、あまり学校に行かない彼女がいるわけも無く、あれでも目立つので、登校したのなら必ず目撃情報は入る。  ―――学校にはいなかったが。ドナテロは閃く、「そうだ、ワー=デルデは目立つんだ!」。  さっそく知り合いに彼女を見かけたか聞こうとしたが、昔と違って今は知り合いが少なく、何の情報も無かった。  二日間で心当たりを探り尽くしたが、どこにも彼女の姿はない。  肩を落とすドナテロ。放浪の末に脱力して無心に帰路へと就く。  途中、ちらりと見上げた景色の中。暗い緑色の丘と山が目に着いた。  いつも見ている景色なので、特に思う所もなく過ぎ去ろうとした――――――が・・・。
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