アマモリの剣~堂天牧の道理~近距離

ACT 8 / 「 堂天牧 」  跳び上がった侍は居住施設の屋根を踏み、越えて外壁に乗り、保全性の無い狭路を駆ける。奔る外壁の頂点幅は1m。古城の頂点は所々に欠けがあり、蹴躓(けつまず)こうものなら絶望的な落下は免れない。  されど、心配に及ばず。かの若武者は器用に障害をこなし、危険を微塵も感じぬ踏破を見せる。  茶色のTシャツに風を受け、不安定な足場を跳び、進む青龍。  揺れる視界に広がる天然の黒い森。外壁の線を挟んで逆側には、増殖する人為的な森。  剣は、“植物を成長させる”力を持つと聞いた。  なるほど。確かに成長した―――  雲を突き上げる巨大なアッパーカットを彷彿とする。  この世の景色だと、いまいち実感が会得できない結果の巨木。  あれが夢でも俺は信じないぞ、と意気込む青龍ではあるが。弾き飛ばされたのは事実。  300mに迫る攻撃意欲は170cm弱を軽々と押し上げ、盛んに放った。  成長させたというのは解ること。不可解なことは成長がありえないということ。  世界を見渡しても100mを越えればトップクラスにノッポさんである。だのに、こいつは 300m弱 。現在、呆れるほどに一等賞であろう。  どれほど立派な可能性を所持していると仮定しても、モミの木が100mなどと、とんでもない高さになることはない……ハズ。  それがこの体である。やはりおかしい。  仮説としては“成長しているだけではない”のだろう。  率直に。そう、きっと、想像できる可能性は『進化』なのではないか……?  ありえない勢いの過程と結果に、感心と畏怖を備えながら、侍の脳は困惑。  惑いと共に、城壁を落下して離れ、そして石畳に降り立つ。  旺盛な速度で繁栄する樹木の群れ。流動する軟砂の砂紋を眺めるがごとく、侍の視線の先で枝葉が伸びては増える。  見るものに「増殖」の印象を与える枝葉の動向が、踏込みを不可能なレベルだと自覚させてくれた。  だから“飛ばす”。  青龍は刃を腰に構え、そして振り上げた。   純銀に染まる刀身が薄く、紅を帯び。     放たるる、[ 桜 ]の衝撃。   両断の『花弁』が開き、そして虚空に【散り】去る。  枝葉の激流に似た成長を、深々と縦一直線に咲いた桜の剣筋。  無数の枝が切断され、伸び盛りの幹が両断される。  されど、すぐに忘却へと。  枝葉の激流は「あっ」との最中に元通り。森林の成長は飽くことは無い。  この勢いである。演出の割に大した効果などないことなど、青龍は百も承知。  雑多に騒乱の限りを尽くす樹木の激流に飛び込み、絡まりながらも対象を探ることなど不可能。  ならば……知らせればよい。彼はきっと、自分を探して――― 「ワー=デルデは、何処にいる??」  館と館の狭間。石畳の一角を森林が囲い、封鎖域を形成ス。  上天を覆い尽くす枝葉のアーチが、快晴を浴びていた石畳に斑の影を落とした。 「危険な若者よ。君に教えることはできぬ」  封鎖する森林の一点。百五十度右を振り向き、注視する。 「返しますよ、危険な男性。“ワー=デルデは何処にいる?”」  注視された樹木は異常な眼光を恐れたのか。身を逸らして幹に弧を描く。  左右分かれた弧の幹。狭間の空域は樹木の門のごとく。門の先は濃い枝葉の影で黒。  狭間の黒からすぃ、と現れた若者。  “枝葉で作られた剣”を持つドナテロは、その足元に小さな芽を息吹かせる。 「僕はワー=デルデに会いたい」 「ワー=デルデ嬢は依頼者だ。否は君にある、剣を手放してほしい」 「―――……やはりきたね。畜生、ああ、卑怯者め!」  少し間を置いて。ドナテロは声を震わせた。 「俺は……卑怯な手段は取っていないつもりだ」  青龍は眉間に力を加えて返す。 「……っ……ぅっ……!」 「何か、勘違いをしているらしいが……“盗品”を返すのは道理だろう」 「オっ!!?」  ドナテロの険相が紅葉とする。ドナテロの心情を表すかのようである。 「今っ、嘘をついたっ! 誤魔化したっ! 僕を貶めたっ!」  石畳のエリアを囲っていた新緑が騒然となり、落ち着きがなくなる。 「盗む!? 畜生、勝手だ、ああ畜生! ワー=デルデは何処だっ!!!」  叫ぶドナテロ。 怒りに身を任せるドナテロは戦いについての素人である。  声を上げる前に、駆け抜けている姿が目前にある。   加速する茶色のTシャツは青頭髪の侍。   下段構えの鞘に収まった刃が過ぎる空を裂く。   枝葉の剣が掲げられる。   枝葉は輝く粉末を撒き、分かれた剣先は触手のごとく荒れ狂った。  良くしなり、良く曲がり、大変に鋭い上、著しく速くて無数。  そのような槍のファランクスに飛び込む歩兵の心境と結末は押して知ることだが、青い侍は一味違う。  止まらぬ成長の枝を切っても意味はない。  しかし洞察を欠かさない侍は見ていた。巻き起こる怒涛な様相の樹木の躍進は、勢いこそあれど、その実、酷く乱雑である……とても「見て突く」ような器用さは無い。  大雑把に当たりをつけて数や幅で迫るが、一つ一つを丁寧にこなせば7割は無視できる事実が浮き彫りとなる。  蔦(つた)が這う石畳を低い姿勢で駆け、鞘で力強く危険所を押し避け、枝の槍衾(やりぶすま)を掻い潜る。  頬に、脇腹に切り傷を負いつつ。せっせと見切っていざ刃の距離。  黒色の鞘を逆手に持ち、振り上げる。  当たった。 手ごたえは確かだった。  ただし。それは鞘を握る手の芯に響く反動であり、振り抜くことはできない。  樹木は成長した。  取り囲むように、ドナテロは樹木の蕾(つぼみ)に包まれている。  力強くドナテロの肋骨をカチ上げたはずの強固な鞘は、その実、頑強な樹木の幹を多少に凹ませるだけにとどまっていた。おまけに悪いことに、鞘は樹木の幹にしっかりと“食いつかれて”おり、引き離せない。 「あっ、は、放せ!」  前足を引っ掛けてグイグイ引きまくるが、三世紀ほどの時間をかけた樹木の成長は、鞘をしっかりと取り込んでしまって放さない。 「ぐっ!!?」  満足に刀剣を振るう距離が無く、鞘を諦め、止む無く後ろに一つ跳ぶ。  その足元に暴れる巨根が猛り、体勢が酷く不安定に。 「ぬぁっ、ちょっ……あぉ!?」  樹木の群れが一層に勢いを増してしまい、最早対象の位置捕捉は無理極まる。  飛び込もうにも、この薄暗い緑の嵐に隙間などない。 「高速で動く、密林――!」  伝え聞けば「何を言っているのか」と馬鹿にしたくなる言葉だが、一見すれば納得。  そして、この密林は粗暴である恐怖を備えている。  やたら滅多らと成長する密林は、勘任せに逃亡する青い猿を稀にも阻害する。  足を絡め捕られた青龍。非常に良い反応で、絡んだ蔦を切り落とすが、1秒も停止した事実は重い。  左腕に絡むのは良くしなる枝。腕力では到底斬れず、右の刀身を振るう。  しかし、右腕が思うように動かない。  何か? と思えばまた枝である。  緑樹は成長を緩めない。  全てに優先されるかのように、全てに平等な横柄を通すかのごとく。  城壁の一部が崩壊する。  城内の石畳はほぼすべてが上空からは確認できないほど、深い緑に飲み込まれた。 「ふ、不かk……む、むっ……!!」  この言葉を最後に、青龍の言動は停止した。  口に蔦が挟まり、唸ることしかできぬ。  額に冷たい汗を浮かべる青龍だが、まともに抵抗できない人と言えど、自然は容赦を知らない。   カラリ。 天然の世界に、金物の落下音が響いた―――――。 ACT 9  城内はいよいよ自然へと帰した様となり。  一際高い主塔、聖堂の天頂に立つ彫像に、いくつかの施設の上階が見舞えるのみである。  城壁を粗方内側から圧潰させた時点で、森林の不可思議的成長は休止された。  ワー=デルデは新緑に飲まれた眼下の景色を見下げていた。 「こんなもの……」  ワー=デルデは“たかだか木が生えただけ”と嘲笑う。  いずれ、奔放のままに数百年放っておかれれば、どのような城も自然に融和されるであろう。それこそ、空を飛んでいようとも、節理から逃れはしない。  だから、何もおかしくはないのに・・・・。 「でも、ちょっとあの木は高すぎるわ」  視界にある異常な大木を眺めて、縁に肘を着く。  良い天気。本当に、素敵な快晴。 「不思議ね、本当に―――」  澄み切った風が塔を過ぎて行く。  ワー=デルデは幼い頃、父親に連れられて城内を歩いたことを思い出している。  清楚なドレス姿なんて、その時が最初で最後だったなぁ……と。  それは空高く聳(そび)えている。  凄まじい高さの大木だが、直立ではなく“くの字”に折れているのが絶妙だ。  視線を戻し、深い緑に包まれた城内。  膨大な密林の一点に映える深緑が確認できる。  “確認できる”と言っても、それが人だと判別できるのはさすがに勘だろう。  主塔の頂上で、赤色の入ったスーツが風を受けた。  商談の場に挑む前の様に、朱雀はネクタイを正して軽く髪を整える。 「良~い静寂。これなら聴こえるだろう? どの道気になるだろうがな」  黒の砂漠鷲を取り出して、そろりと構える………。 ACT 10  鬱蒼とした樹海。  樹木が情景を支配する驚喜的なまでの自然な世界。  枝葉の天井から幸運な日光が一条、若者の頭髪を照らし刺す。  新緑と斑な茶色が深い影に沈んでいる。  文明としては退廃としており、自然としては隆盛の限りにある。  対比する二つの価値観に中和されたか、混ぜすぎた色のように複雑で暗い、あまりにも絶望的な色相が一日の森林を映している。  彼は立ち止まっている。  無数の枝葉をくぐって辿り着いた光は彼の髪色を『深緑』としたらしい。  落ち着いた色には違いないが、この樹海の最中で明るく映える彩度がある。  深緑の頭髪を持つドナテロ。枝葉で形成されている剣を一瞥してから辺りを見渡す。 「なんだよ、この森。こんなに育っちゃ、見えないじゃないか……」  見渡して、首を1つ動かす毎に唇が歪んでしまう。見上げて、瞳を潤わせた。 「これだと、僕はあいつを見つけられないし、あいつだって僕を見つけられないよ! なんだって、どうしてこんなにも不幸なんだろうか?」  一人でぐちぐちと吐き続けるドナテロ。  激動していた森林は、それが嘘であるかのように静まっている。  ぐちぐちしていたドナテロは立ち上がった。そして、振り向いた。 「どうして、またいなくなったんだ。勝手だよ、本当に。―――いいかげん教えてよ、ねぇ、ワー=デルデは何処にいるんだ???」  あまりの不条理と切なさで、ドナテロは涙を流した。 「………」  問いかけられた男は剣の嵐にでも巻き込まれたのか。体の至るところから出血している。  茶色だったTシャツは、赤が混じって黒く変色してしまい、破損から見てもリメイクは不可能であろう。  だから、そのTシャツを脱ぎ去り、投げ捨てても自然保護の観点以外では文句は無い。  肩で動悸をとり、口の淵から血を拭う。 「……武器を、置け。それで義も、理も適う。まだ間に合うから」  黒ずんだ青髪の男は更に険しさを増した表情で訴える。 「だから、いい加減にしてくれよ……教えてくれればそれで済むんだっ!!」  ドナテロは剣を振り払うように、力強く撫でた。  地中から小さな緑色が顔を出したと思う、その一呼吸後には樹齢百年が横直線に差し迫っていた。  己の血液に塗れた男は右腕をおもむろに振り上げる。  その右腕は―――“銀の色”に染まっていた………。  迫る大木に一刀、振り下ろす――――― ―――寸前。ドナテロの足元で地が弾けた。  目の前で大木が裂かれているが、それより遠方から聴こえた“硬く、重い鉄が打ち付けられたようなキナ臭い音”が気になる。  枝葉の天井。その隙間に違和感を覚えて視界を開く。  盛んに降り注いだ日光。その先に、一際高い塔の姿が見える。  距離はあるが、なんとも目立つことに、その二人は塔の頂上に立っているらしい。  一人は知らないが、あの隣。  根拠は曖昧、確証も不安。しかし、絶対そうだ。間違いないって。こんなに距離があるけど、配色だけでも十分だ。あのケバケバしさといったら…………。 「ワ、わ、ワァァァッ=デルデェェェ!!!!?」  圧倒的な悲しみがドナテロの全身を貫いた。  やはり、やはりやはり“囚われていた”!!  なんという、なんという不幸か!? 己の身を焼き焦がされるに等しいショック!  これは擦るまでもなかった。  掲げた剣は激しく光粉を振りまきつつ、『理想を創り』始めた。  共鳴する密林の全てに、血染めの青龍が警戒を強める。  ドナテロの足元から樹木が立ち昇り、彼の体を高く上げた。  上がったドナテロを待ち構える枝葉が掴み、放り投げる。  宙を舞うドナテロを鮮やかな花弁がしなやかに受け止め、そしてまた放る。  気が付けば主塔に幾多の樹木がまとわっており、頂上にて発生した巨大な葉が、飛来したドナテロを受け止めた。  ドナテロを包んでいた葉が開き、若者が塔の頂上へと降り立つ。  塔の頂上にはスーツを着た若者と、見慣れたケバケバしくも憎たらしい少女。 「わ、ワー=デルデ……」  塔の頂上に、不気味な笑みを浮かべた青年の声が通る。  原色が渦を巻いたような少女の視線は、酷く“冷めて”いる。 「あの……ワー=デルデ……?」  返事がないので繰り返す。しかし、彼女の視線は相変わらず冷たい。  ドナテロは俯いた。いつもだが、この人は視線で威圧してくる。いよいよ憎らしい。 「どうして追ってきたのかしら、私を」  ようやくワー=デルデが口を開いた。ところが、その口調の凍てつくこと……。 「君が、逃げたから……」 「“逃げた”!? 違うわ、家を出たくなったから出ただけよ!!」  高い声域かつ大きな音量で、一切否定を認めない強固な言葉。  ドナテロは「なんだよ、なんだよ」と聞こえないように呟いた。 「私は、久しぶりに城に行きたいと思ったから来たの! あんたから私が逃げると思ったって……やっぱりあんたはつまんない奴だわ!!」 「え、え、だって――」 「もう、いいわ。あなたは追ってきたんでしょ? 私を! たとえ勘違いでもね!」  一方的な口撃。ドナテロは爪先に痒さを感じている。 「私を追い詰めて普段の復讐でもするつもりなんでしょ? ふんっ、馬鹿ね! そんなこと私にはとっくに理解できていたし、とうの昔に対策だってしたんだから!!」 「チ~っす。雇われガードマンで~っす☆」  指を差されて、面倒くさそうに朱雀が手を振った。 「??? ふくしゅう……? 誰が君に、復讐だって……?」  ドナテロは首を傾げた。彼には道理がなさ過ぎて、理解が追いつかないらしい。 「とぼけても無駄! 私を出し抜こうって、そんなこと無理! さっさと謝ったらどうかしら? ガードマンは彼だけじゃないのよ!」  得意気に胸を張るワー=デルデ。彼女の言う別の護衛が血塗れだってことは、解りようがない事。  ―――しかし、どうでもよかった。護衛が何人とか、復讐がなんだとか。ドナテロにはどうでもいいこと。  ワー=デルデが「謝れ」と言って厳しい目つきをしている。そういったことだけが問題なのだから。 「うん、ごめん……ワー=デルデ。どうして怒られているのか解らないことも――ごめんね、ワー=デルデ」  バツが悪そうに背を縮こめる背の高い青年。  黒地にピンクが映えている少女は不思議そうな顔をした。 「……やけに素直じゃないの。まぁ、でも、そういう奴よね、あんたって……」  視線の先でおどおどしている青年。  ワー=デルデは何か引っかかりを感じつつも要求の難易度を上げてみた。 「ふんっ、それじゃぁ迷惑料としてその剣をよこしなさい。やっぱり欲しくなったから」 「ええっ、困るよ、ワー=デルデ。これは僕が見つけたんだよ?」  渋る青年を見て、ワー=デルデは「やっぱり」と訝しげな表情を浮かべた。  あいつは自分を恨んでいるんだ。知らないけど、きっと、そう。いつも邪険にしていたから、この剣で復讐することを諦めないんだ。 「口先で言っているだけなのね。やっぱり、そのうち隙を見つけて……」  言葉の途中でワー=デルデは気が付いた。  少女の手には、すでに枝葉の剣が握られている。それは、目の前に立っている青年が手渡したものだ。  彼が近づいてきていることは解っていた。だけど、それは“いつものこと”。彼が近づいてくるのは何も特別なことじゃないから、気にもしなかったし、彼から剣を無意識に受け取ったのもいつもの習性だった。  黒地にグリーンが映えている少女は不思議そうな顔をした。 どうしてこれほどまでに素晴らしく異常で、比類なく凄い剣を簡単に渡してしまうの? どうしてあれほどまで邪険にされて、それでもまだ自分に近づいて来るの? どうして? どうして、彼は自分を“追ってきた”のかしら・・・・・・? ドナテロは剣を取られて、くやしそうな表情をしている。 でも、怒ったりはしない。小さく呟いてはいるけど、たぶん怒っていない。  何時の間にか、ドナテロがワー=デルデに近づく時間は減っていた。幼い頃に比べて、ドナテロはワー=デルデに近づかなくなっていた。 それは、憎らしいから? 嫌いだから? 嫌味だと思ったから?                        ――そんなことじゃない。  近づいて、蹴飛ばされるのは構わない。それがワー=デルデだから。  でも、他の人のように近づいてきて、勝手に離れる事はない。ワー=デルデはいつだってふてぶてしくそこにいるだけで、一生懸命近づかないとだめな人だからだ。  離れてはいかない人だと、幼い頃から「ワー=デルデならきっと」、という信頼があった。  蹴飛ばしても、見下ろして嘲笑うだけで。無視して、無いものとして扱うことはありえない―――信じている。  だから、「逃げた」ってことは無いんだと、言い聞かせていた。ワー=デルデは待っていてくれる……最初からそうだけど、きっと最後の希望もワー=デルデだけだとドナテロは知っている。  いずれ、「もう近づかないで」と離れてしまうことが怖かった。会うたびに、そう言われるのではないかと、怖かった。  女の人がそう言ってしまうともう、待ってもくれないし、近づいても来ないこと、理解してしまったから。ワー=デルデは、憎らしくてあんなに喧しいけど、女性だから……。  ワー=デルデの手元にある剣は、彼女の手に渡るとあっという間に犬の糞にも似た汚らしい棒切れに戻ってしまった。  ワー=デルデは嫌味を投げつける。 「なによ、また戻ったわ。うんともすんとも言わないのね」  不機嫌に棒切れをさする少女。 「……いらないわ、これ」  悪態と共に投げられた犬の糞のような棒切れ。  棒切れが俯いていたドナテロの額に当たって、石の床に落ちる。 「いたっ!」  頭を押さえるドナテロ。 「でも、ちょっと不思議かも、その剣。だから、“つまらない”なんて言わないであげる」  ワー=デルデは涙目で見てくる青年に、たまには優しく微笑んでみた。  この少女が年相応に無邪気な笑顔を浮かべるのは、どれほどぶりであろうか。  少なくとも、ドナテロにとっては幼い頃、同じ場所での思い出以来である―――――。  シュヴァルツヴァルトの城に白煙がひらひらと昇っている。  剣を渡した時点で「もういいか」と塔を降りた。  あとは、当事者たちであれこれしちゃってくださいな。  長く耐えた後。それが仕事の後となれば、極上の至福をこの一本が与えてくれる。 「いいもんだな、この眺めはよ。あんたもどうだ? 後払いでいいぜ」  赤色が入った黒のスーツを着こなす面の良い青年は、聖堂の屋根に立つ彫像にも一本勧めてみた。当然だが、返事は無い。  「つれない天使ちゃんね」などと、ニヤけ面でヤニを吸い込む。  昇る白煙の先。城も取り込んで広大となった暗い色相の森は、不思議と見ていて暗い印象を受けない。  自然はいいなと呟きつつ、二本目を咥えた………。  塔の屋上。状況を知らない血まみれの青年がようやく駆けつけた。そんな彼は今、なんとも形容しがたい孤独な空気に襲われている――――――――。 ACT F  レストランで昼食を摂る二人組。一人はスーツを着ているが、ちょっとサラリーマンには見え難い。対岸に座るのは紺色のジャケットを着ている男性で、非常に目つきが悪い。  ジャケットの男は怪我をしているらしく、顔にまで包帯が巻いてある。 「いいね、ここ。値段も手ごろじゃん」  そう言ってパンを頬張るスーツの男。 「……」  ジャケットの男は何も返さない。 「――んだよ、怒ってんの? 怪我はてめぇの力量不足だろうがよぉ」  つれない相棒に、スーツの男は途端に不機嫌になった。 「それはいいんだ」 「じゃ、なによ」 「……一回さ、会っただろ。俺がガラス突き破ってさ」 「アぁ?」 「いや、だからさ、あのときにもうちょっと情報くれてれば俺も――」 「っせぇな。お前が再突撃勝手にかましたのが悪いんだろが。その後に事情を聞いたんだっての、俺は」 「でもさ……」 「でもってなんだよ、ア? じゃ、てめぇ携帯ちゃんと持っんのか、今」 「……」 「もってねぇだろ、じゃどうしょうもないっしょ、俺じゃ。睨む相手が違くね?」 「………いいよ、もう」 「そういうの気が悪いッつの!」 「いいてば、もぉう」 「んだよ―――チッ。やっぱ、ソロでくりゃよかったか……」  ぐちぐちと悪態を続けるスーツの男。  その懐から音楽が聞こえてくる。着信の報せだ。  面倒そうに携帯を取り出す。相手は―――ああ、やっぱりか。面倒くさい人だ。 「……うぃ、もしもし。俺ですが」  すぐにでも切りたい意思を態度で表す。通話の相手が鋭く察することができると踏んだ上で、あえて示す。 『あらぁ~元気にしていたかな、朱雀くん!』  通話の先からは陽気な挨拶。察した上で「だから何?」と、図々しい。 「つい、今の今までは元気だったんすけど」 『それは残念ね! それで、ちょっと頼みたいことがあるのよ~』  速攻。嵐のように怒涛である。お前の都合とか、そんなのいいから従えと言わんばかりの連打。  スーツの男は諦めて口を閉じることにした。  事情を察したのか。対岸に座るジャケットの男が口元を微笑みさせた。 「あいあい、なんでもどうぞ、女王様。私は地球の反対側でも駆けつけまする」  中指を突き上げて、対岸のジャケット男を牽制する。  ジャケットの男は「いいから通話に集中しとけ」と、軽く笑顔で返した。 『それは頼もしいわ。それじゃ、ちょっと“華国(オーガイア)”に向かってちょうだい?』 「オーガイア? いいっすけど、往復は込みで頼みますよ」  どうせ日本への帰路でもあるし、丁度良いと即答するスーツの男。  ジャケットの男はサラダに不満があるのか、首を傾げながら食べている。 『OK! 詳細はもう送ったから、確認しといてね。一応、概要は“捜索依頼”よ』 「捜索っすか。はぁ、まぁ、別に……」 『あらかじめ言っておくけど、くれぐれも態度には気を付けてよ~』 「態度? 依頼者に対してならいつだってカンペキっすよ」  鼻で嘲笑うスーツの男。昨日、仕事主の別荘の門を乱暴に叩いた男とは思えぬ言動。 『まぁ、頼もしい! 依頼自体は“棒っ切れを探す”なんて内容だけどね、相手が“仙人”様だから、中々頼れる人がいなかったの。ああ、よかった♪』 「・・・・・・ん?」  スーツの男は、手にしていたフォークを落として表情を引きつらせる。 『頑張ってね♪』  バツンっと途切れる通話。  スーツの男は目を細めて歯を合わせ、苦い顔で虚空を眺めている。  対岸ではジャケットの男がスープの味に満足して、幸せそうに眼を細めていた――――。  シュヴァルツヴァルトの女城主は父からその財を譲り受けたとされる。  深い緑に包まれた「不思議の城」は、一日にして今の姿になったと伝え聞いた。  まさか、と言わずにはいられない話ではあるが。  シュヴァルツヴァルト城の主塔には。世にも不思議な力を持つ宝剣が飾られていると、一部では噂になっている。  宝剣が実在するのか、嘘なのか。その判断が憶測の域を出ることは無いが。  もし、存在するとするのならば。  それはなんと、『不思議な話』であろうか―――――――。   アマモリの剣~堂天牧の道理~:END    From:四 聖 獣
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