奇転の会Ⅳ

ACT 0  報せが入ったとき、さほど驚きはなかった。 何故か? 危険の印象が大きな障害をくぐるほど、手品師、エンターテイナーは輝くからである。  さしも、リングランドの夜天に踊る劇中の主人公は、それを心得ている――そんな確信に等しい信頼があった。  ――「万物の頂点に立った」と奢り高まっていた、過去、幾多の支配者たち。それらは例外なく「死」を恐れ、「転落」に怯え、「来世」を覗こうと無駄な足掻きを繰り返し、何故か勝手に不幸を感じていた。  ところが現世にあって、大して得てもいないのに絶頂を謳歌する人がある。  彼にとって、この世の全ては幸福と希望に満ちている。他者にとっての視点は関係なく、一人称で描いた彼の運勢の折れ線グラフは、その生涯を通して些細な淀みもなく、グラフ用紙の最上部をなぞるような直線を描くだろう。これでは折れ線でもなんでもないが……それが、“彼”の人生であり、彼の最も普通ではないポイントとなる。  世の全てがハピネス――不安の一縷も無く、単なる幸福。  一脱した狂気の精神に至って、初めて人は幸福の完成を成したと言える。  ぞんざいに投げ出された黄色いカード。携帯のモニターに映っている赤黒いキャラクターを眺めて、愉快が高まる。  面白き。愉快かつ、実に満足を刺激する実際に――舌鼓。  刈り上げられた頭髪を撫で上げ、携帯の画面を舐める。  渦巻く知識に踊る気分が高揚。ああ、楽しい――――。  注目することは何気ないことから始まる。当然、網に漏れはあるが、うまい具合に引っかかっていたその印象を引き上げると、後の不自然に噛み合った。 「なんだ、なんだ? なんで潜った?」  下水道に入り、出ること。それがとても興味深い。  日々溢れる、いつもと異なるファクター。赤いメッシュは砂中のピアスを見つけた。 「おい、おい! 出てきたよ、何か大事そうに包んでよ。あいつは持ってないってのに!」  この異常な日に貸しきられたホテル。従業員すら追い出したらしい。  ああ、不思議、不思議………。  ガラスに映った夜景には、簡易な椅子に座った自分が重なっている。  床には、無数の色とりどりな携帯電話―――。  並べられている開いた端末の内、1つをもう片方に持つ。  マナーは大切。基本はいつも、挨拶から――――『やぁ、“おはよう”』。 || 『ったく、解ったよ。言えばいいんだろ』 「困った女がいてね、どうしたものかと 『困ったのは、お前なのだろ? << 奇転の会/キテンノカイ>>  BLOCK4:マリーポ/ディーロ  いや、私だけじゃない。とにかく何とかしたいんだよ」  これから“朝食”、そして日課だ。数時間待て』 『やっと、しゃべったな』 || ACT 赤いメッシュの通話―1 「そんな……確かに急な話だがね。朝食より大事なんだよ」 『    』 「君の朝食は言ってみれば、普通の人の“ディナー”だろ?」 『    』 「ああ、そうか、すまないね。悪かったよ」 『    』 「……それが、その女、酷い奴でね」 『    』 「“彼の顔”を指差して、笑ったんだよ……」 『――――』 「そうか、ありがとう。私は3番の家にいるよ」 『    』 ――――通話が終わる。 「クク・・・ウふォッグフッ……! 会ったこともねぇーっつーの!」 ACT 赤いメッシュの通話―2 『――――』 「そうか。しかし、あまり鬱陶しく泣かないでくれたまえ」 『    』 「お前は安全だ。何、嘘をつく必要など無い。そのままを伝えていろ」 『    』 「これからはその画面、それだけをくれればいい」 『    』 「そうだ。では、“ご苦労様”」 ――――通話が終わる。 「処理しなきゃいけないゴミが、一つ……か」  欠伸をしながら次の相手に電話をかける。  携帯電話が並んだ床。  気楽な“七三分けの男”の背後に、影が1つ聳えた―――。 ACT 1  リングランド中からかき集められた救急隊。それでもあまりに足りず。軍も出ているが、それでもまだまだ少なすぎる。  ブルーランドと本島の狭間。海底に沈んだ橋の周囲。海面にはガソリンが漏れ出し、海峡は黒ずんでいる。  陸地にないため、生存者の救出は難航した。事故後の溺死者、衰弱死者は200を超え、現在も救助は続いている。  しかし、こう言ってはなんだが――橋はまだ目処が立つ分マシである。  レオディルブロックの崩壊は目処が立つ、立たないの状況に無く、ひたすらできる範囲でできる事をするしかない。  古い煉瓦家屋はある程度どうにもならないが、コンクリートの建造物は耐震構造を備えていた。だが、その「耐震構造」はあくまで揺れを想定しているので、「割れる」「粉砕される」といったことには対応できない。  もっとも、双角の“破壊”はそうした人の工夫も破壊するので、対策も何もない。彼の破壊に対して、人の技術はまったくの無力である。  間接的にではあるが、避難訓練や災害への知恵も今回の破壊には無意味。これは災害ではなく、一方的で瞬発力のある“攻撃”だからである。  荒廃したレオディル。そこで彼は捜索を続けている。だが、何せ倒壊した家屋の数が数である。通りにいたということは解るが、それだけではヒントが少ない……。  人の作りし栄華の残骸。その上を歩き、瓦礫を懸命にどけて、「双角の男」は“奴”の亡骸を探している。  瓦礫を除ければ潰れて焦げた遺骸も現れる。その度に双角は「おお、神よ……」と彼らの不幸を哀れに思い、怨恨に続く螺旋の原因へと、怒りに震えた。  動物の本能は災害時に有効であろう。つい昼過ぎまで、のんびりと寝転がっていた飼い犬は変わり果てた状況に困惑し、必死に飼い主を求めて鳴いている。もう二度と、あの穏やかな日々には戻れない。  焼け出された猫は埃まみれの毛を震わせつつ、瓦礫の山を駆けて逃げた。野性を縛っていた文明の秩序は消えたが、同時に、安定した生活も掻き消えた。  秩序は、生きる見通しが前提となって初めて成り立つ。バブルのように膨れ上がった“安心”の価値を突然に崩壊された人々。彼らが目に見えた惨劇を現実と受け止める段階に至るには、まだ早い―――。  テレフォンコールの大渋滞をすり抜けて、双角の携帯が震えた。相手は“嘘が嫌いな”親友………。 「はい。何かありましたか」 『どうも、親友。今君は奴の死を確認しているとこですかね?』  通話相手は静かに言葉を発した。 「ええ、そうです。まだかかるかもしれませんが――何せ、亡骸が多すぎる」  周囲を見渡すと、延々と広がる瓦礫と嘆きの情景。時刻も遅くなり、冷え込みも問題となる。  通話相手の親友が、電波の先で嫌らしい笑みを浮かべた。 『申し上げにくいんですが―――あなたのその行動、無駄です』 「? ……確認が無ければ彼の死は終われませんよ」 『ええ、ですから。彼の死はまだ“終わっていません”』  親友がハッキリとした口調で言い切る。  双角は意味を察して、“中指”を屹立させた。 「生きて――いる。そうですか。どうしても、加減してしまいますね。次は――」  無表情だが、虚空を睨み、角を屹立させたその姿は強烈な“憎しみ”を意味している。それは、異様な景色の中にあって、尚も異様な佇まい……。  目つきは物が見えているのかも曖昧な様で、歯を軋むほど噛み合わせて立つ姿。  どこで狂ったか。内心、彼はまだもがいているのかもしれない。  妻を愛していた――だが、今は別のものに焦がれ、そして全ての判断はこれを中心に派生されている。その結果が取り返しのつかない惨劇である。  本当は、“奴”などではなく、自分の行為を受け止めているのだろうか。更なる『亀裂と破壊』を覚悟した自分を止めようと、もがいている。  赤い、血の涙が溢れた。  矛盾を取り払ったはずの男が、解決することのない葛藤に、限界を迎えていた。 『どうか落ち着いてください。それ以上は私達の絆も危険なので』 「だが、まだ、私は――この世界を―――」 『 奴はそちらに引き返しています 』 「――!?」 『おそらく、なんですがね……。どうやら奴も我々と同じ、“目”を使っているらしいんです――いえ、確証はありませんが、トーマスが泣いていたもので。あくまで私の予想と勘です。  まぁ、どのみち瓦礫の世界ではあなたもやり難いでしょう。丁度良いので、出迎えてあげてください』 「――――解りました。ご忠告、感謝します」 『いえ、いえ。当然のキョウリョクですよ。とりあえず奴の現在地を教えますね――しかし、今度はどうしたことか。奴のそばに“女がいません”。 ならば、どうやって確実を求めます?』  親友の問いに、しばらく黙する双角。 「仮に、奴が目を用いているのなら………私はあのような悪人から逃げ回りたくはありません」 『――どういうことでしょうか?』 「すみませんが。手ごろな位置で、なるべく高く、“壊れてしまっても迷惑が少ないビル”って…………ありますかね――― /  ―――なるほど、充分だ。このまま通話は継続するから、マイク、そのまま奴の位置を伝えてくれ」  未だ落ち着かない方角へと向かう朱雀。表通りにはいつもより車の通りが少ない。こんな日に外食する気分にはならないだろうし、大地震が発生したと思っている人々は余震を恐れて、愛する家族と家で震えていることであろう。  アッパーロードの「市街地カメラ」は今や、敵視すべき対象ではない。変わらず主導権は向こう側だが、朱雀も利用できる状況になった。  得た情報は大きく、何より『奇転の会』メンバーの名前と見た目が解っただけでも十分だろう。  間抜けな話だが、足は彼らのメンバーカードを探ることで発覚した。例の「センチネル」が大事そうに持っていたカードがそれである。  制作過程を探るべく、カードの依頼者まで遡ったのだが……ここで、不可解な事実がある。  彼らに協力しているはずの人々は結構な数存在するらしいのだが……誰も彼もが、「ちょっとした脅し」で折れてしまう。というより、「助けを求めている」ようにも思われるのである。  ロイとその部下による追及は厳しいものだろう。しかし、それにしても「忠誠」とか「義理」なんかが少しはあってもいいものだが―――まったく、ろくな「絆」ではないらしい。  朱雀を狙うメンバー。彼の前科は解らず、どうにも情報ではまっとうな企業戦士ということらしいが……それでも『外れ』である。現状を見れば、どう考えても「異常な奴」であろう。  その“奴”はすでにレオディルを出た。そして、朱雀の元へと向かっているらしい。  互いに互いの位置を知るようになったからには、考えることは同じということか。  今は得体の知れない危険から逃げる状況ではない。朱雀は逃亡者から、暗殺者へと立場を変えた。  朱雀は逃亡も得意だが、人を殺すことも彼は得意である。それこそ“飽きる”ほどに―――。 ACT 2 「相変わらず、早いね―――」  通話を終えて。赤いメッシュの七三は振り返らずにその男を迎えた。  七三の背後に立つ「背の高い男」は、身体を覆うマントから手を出し、管が伸びているマスクを取り外す。 「朝食を省いてまで来たからな……」  彫の深い顔にウェーブした長い前髪が掛かっている。骨格的に若くは見えない上に、肌色は悪く、陽に当たっていないことが解る。目元にはクマがあり、目も悪いのか、常に睨むような目つきである。 「寝起きはつらいから、私は朝食をいつも省くがね――さて、早速向かおうか」  七三は立ち上がり、お気に入りの携帯をポケットに仕舞いこんだ。 「“ディーロ”、その忌々しい女はどこにいる……?」  横を通りすがり、窓の1つを開く背の高い男。吹き入る風がマントと、長いブロンドのウェーブを靡かせた。  ここの夜景は相変わらず、美しい――。 「オルブレアのアインツェルホテルだ。怖い人達がいるから、上から行きたいね」  七三は部屋の一角からミルククッキーを取り出し、差し出した。 「言うまでも無い。我(われ)が地など這うか」  言葉の途中、マントの男はミルククッキーを取り上げた。  風圧で、赤いメッシュの髪が揺らぐ。 「ほう、これは美味い」 「早速出かけましょう。一刻も早く、彼の悲しみを拭わねば………」 「ハイ、どうぞ」 「・・・なんです?」  七三の男は、差し出された気味の悪いマスクを手にして戸惑っている。  緑と青でカラーリングされた、ナメクジの頭部に似たグロテスクな仕上がり。しかし、手渡した背の高い男は得意気だ。 「空はな、案外、羽虫が多い。まして蝙蝠なども警戒すべきだ。今日は急ぎなのだろう? 顔に当たると痛いぞ」 「・・・それはありがたい配慮ですね――そういえば、あなたこれまでマスクなんてしていませんでした。今まで堪えていたのですか?」 「ああ、すごく辛かった。――だが、我は進歩し、恐怖を克服した!!」  自慢のマスクを被り、両手を広げて自信を漲らせる。その不細工なマスクの左目からは“J”の形に管が伸びており、それの先端は後ろを向いている。  きっと、手作りなのだろう。仕上がりに所々粗が目立ち、「不出来な夏休みの工作」といった具合だ。 「・・・そうですか。さすがです」  七三の男は髪型を気にしながら、渡された気味の悪いマスクを被った。 「では、行こう。しっかり掴まりたまえ。 我が配下の、夜を駆けて――――“6!”」  言葉と共に、その場からビル外へと吸い寄せられる2人。地点は上空23m。  数字を唱えながらの高速飛行。そのたびに、速度は変化し、向きが変わる。  七三の男は「空は冷えるな……」とぼやいた―――。 ACT 3 『はい、そのビルです。何故か今日は電力が通っているようですが……』 「廃ビルってわりにはまともなナリだな」 『つい2ヶ月ほど前ですからね。追加情報=解体予定は半年後だそうです』 「ハッ、そいつは都合がいいことで。“奴”は業者かよ」 『情報確認=いいえ、彼はこのビルに関わりがありません』 「……マジレスありがと。じゃ、後は子守りに専念してくれ」 『了解。朱雀様、生きてください』 「・・・応援はありがたいが、それだと人生諭されてる感じだ。要勉強せよ」 『了解。さっそく検索してみます』  マイクに1つ、マナーの知識を教授し、携帯電話を閉じた。  朱雀が到着したのは、かつてホテルであった廃ビル。  15階建それは小洒落た構造で、ロビーから見上げると8階ほどの高さに天井が見える。爽快なほどにロビーが広く感じられるのはそのせいであろう。  2ヶ月ぶりにエネルギーを得た建造物。控えめな朱色の照明がロビーの床を照らし上げている。  情報では、狙うべき(狙っている)対象はここに入ったらしい。  明らかに「来いよ」という、誘いの動き。喧騒のレオディルからわざわざ距離を空けて、廃ビルを舞台に選ぶとは――少しは反省の色でも出たのか。  外観を眺めれば、各部屋の窓は暗く、ロビーは煌々と輝いていることが解った。いかにも、無理を言って点灯したという具合に………。  誘いと解ってはいても、朱雀は飄々と廃ビルへと入って行く。彼の心中はこれでもかなり荒れており、怒りの炎が盛っていることを自覚していた。  靴底を鳴らしてロビーの中央に立ち、気を落ち着かせようと煙草を咥えた。 “ボ……”  火を吐くライター。  点けようと、煙草の先端を近づける―― < 階段を登れ >  ・・・上から、勝手な指示が下りる。  朱雀は広い帽子のツバを押し上げて、声の方向を見た。  見上げたビル内には、各階ごとに手すりが設けられている――つまり、このロビーを各階から見下ろせるということだ。  ライターの蓋を閉じ、未遂に終わった煙草をコートの裏に仕舞う。 < 階段を登れ! >  声が天井の高いロビーに反響して下りてくる。  首を鳴らして、大きく唸りながら欠伸をかく。朱雀は眠たげに瞼を擦った。 < 早く登れっ!! >  声は苛立ち、更に強まって下りてきた。 「・・・ヘイ、“顔も見知らぬ”声の主さん。俺があんたの指示を聞く道理はなんだよ?」  無条件で動くような男ではない。がめつい性分のカウボーイハットのアウトローは声を張り返した。 < ……カルタニアを失いたいか? >  声は、無茶苦茶なリスクを投げかけてくる。国を失うって……なんと突飛な発言であろう。たかだが一企業戦士の分際で―――。 「……あんだって? できないことは言わないでくれぃ」 < ――――・・・ >  言ってはみたものの、まるで返事はない。そして、“そんなことはない”ことも朱雀は知っている。ただ、このまま無抵抗に従いたくなかっただけ。  大げさと言えば大げさだが、やりかねない。街一つ、端一つを平然と、瞬間的に崩壊させたのだ。どこまでできるか、可能性は高く見積もって間違いではないだろう。  ――そして、朱雀の本意は問答の内容にはない。彼は声が降りてくる、大方の位置を推測したかったのである。およそ5~7階か! 「…………登ればいいんだろ! 登ればよぉっ!」  脇目に“近代の箱”を確認して、朱雀はやけくそな様子で怒鳴り上げた。  舌打ちをして、階段へと近づく。  靴底を鳴らして階段を一段、一段と登る。 /  姿勢を低くして朱雀の姿を確認する声の主は、その双角を屹立させた。  今まで「加減していた」の理由はただ一つ、「自分が対処する時間」である。つまりは、差し違える覚悟までは無かった。  が、今は違う。今度こそ、今度こそ「「絆」」のケジメを―――――。 /  息を深く吸い込み、大きな発声に備えた。  知っていた。ようやく見えた、怒りの対象。その名を――― < ディアブロォォォォォッ!!!!! /  ―――!!!!!???!?!??」  下から響いてきた声は、酷い“意外”を伴っていた。  絶句する。  双角の男――“ディアブロ”の全身が一気に発汗した。 <えらく景気イイじゃねぇか、ああ!? 派手にぶっ壊してくれてよぉ、オイ!!> 「!?!?!」  息が、肺が苦しい。何が起きている? そんなはずはないのに……。 <もしもし、ディアブロさぁん!? 僕が今日、どれほど君を殺したいと思ったか――> 「―――ぅ!??」 <解かりますか!? なぁっ、オイ! どれほど“殺したい”と思ったかよぉ!!?> 「う、ぅぉぉ……」  怒鳴り声が響き、上ってくる。 <すぐ、そこに行くからよ! 挨拶しようぜ、“別れの挨拶”っっっ!!!!!>  自分の名前を叫ばれたことに動揺する“体たらく”。ディアブロは未だに、「一方的な攻撃者」のつもりでいたらしい。  位置が相手に知られた時点で、その考えは捨てるべきである。しかし、彼はあくまで通常の生活を送っていた一般人……己の特異な能力を振りかざして一方的に破壊する事しか知らない、戦闘のド素人も素人。殺戮者の風上にも立てない、ただの保存食品開発メーカーの主任研究者の域を越えない存在である。  それが、己を意味する「名前」を言い当てられて、一気に「狙われている」実感が沸いた。差し違える覚悟とか、そういったものは関係ない。生きる、死ぬの話では無く、純粋に「戦場に立つ上での心構え」が不足で、怯えたのである。  ディアブロは胸のポケットに手を当てて、動悸が治まらない自分を必死に宥めた。  階段を登る靴底の音が響いている。迫る危機感。 「もとより、命は捨てる覚悟だろう? ディアブロ。意思を、覚悟を取り戻せ……!」  怖れることはない、怖れることはない――と、自分に言い聞かせる。 <ああ、そうだ!>  怯えを必死に払拭しようと、ディアブロは―――― <ディアブロさぁんっ! “奥さん”はお元気ですかぁ!!??> 「――――――――――――――ア゛?????」  他の全てが、どうでもよくなり、その一言だけが頭蓋を駆け巡る。 <ねぇ、本当にリングランド壊せんの? 奥さんも殺っちゃうの、ディアブロさん??> 「――――――そんなわけない」 <答えろよっ、なぁ! あんたの妻を瓦礫に埋められんのかよ、このクソ狂人!!> / ≪ っっっ馬鹿なことを言うんじゃあないっっっ!!!!! ≫ ―――ビルに響き渡る、絶叫。  ディアブロはとてつもない侮辱に耐えかね、涙を溢れさせた。 「何を、あいつは何を言った? 私が、私が妻をどうすると? ふざっけ、ふざけるな……ふあけるな……ぁぁぁ…ぅぅ…うぁぁぁぁぁっう、うぅぉぉぉぉぉォォ!!!!」  壁を蹴り、頭突きをして、手近の消火器を投げ捨てる。  ディアブロはまるで犬のように泣き喚きながら、癇癪を起こした。  妻がなんだと?  妻は殺させないさ、守るのさ!  大切な妻だ、そう――大切な―――あれ、でも、一番ではない・・・?  オカシイな、そうだ、一番大切なのはチガウ―――。  でも、大切な妻だ、狂おしいほどに大切。  二番目なのに―――二番目の大切なのに、なぜここまで??  ア、そうかぁ………二番目だって、大切なのさ。一番目も大切だけどね。  なのにどうして、どうして私は、妻を鬱陶しいと思い、かつてと異なる、ぅん??  あレ? なんで、なんででで昔と違って私はは――――わたしは、ナニヲォ??  怒りと混乱。思考がまとまらず、発狂したディアブロは屹立した左の角を柱に突き立てた。  “交通事故のような破壊音”が建造物全体を震わせる。指定の無い、我武者羅な一撃は彼の周囲に亀裂を奔らせ、7階の窓に軒並みひびを生じさせた。 「ああああ、ぁぁぁ……」  額に血を滲ませ、涙と鼻水、涎。それら体液に塗れた顔をポロシャツの袖で拭う。  荒げた息がようやく落ち着いてきた。  ……静寂が訪れ、気がつく。「おかしいな。音が足りないな」、と―――。  一段、一段。響いていた足音が無い。  理由を探して立ち尽くしていたディアブロの視界に入った、光の動き。  “エレベーター”は1~15の内、「3」に光を灯している。  そして、4、5と順にずれていくオレンジの輝き――――。 「っガ!!?」  ディアブロは理解し、走った。  灯りが「6」に移る。  そして、灯りが「7」に移った時――― 「……!」  ―――彼の右手中指は、7階への扉に触れていた。 “ 電流が弾ける ”  音を立てて火花が散り、ディアブロを襲った。  飛び散る火花と飛散した電流に撃たれ、ディアブロは吹き飛ぶように後ろへと倒れた。エレベーターの扉からは煙が漏れている。  しばらくすると、何かが落下した音が下層から聞こえてきた。 「はぁ、ひぃ、はぁ………ぁ、落ちた―――か」  ディアブロは衝撃が残る半身を引きずるように起こす。焦げたポロシャツの襟元を正し、よろめきながらも立ち上がった。  “奴”は、狙いの相手は箱に乗ってここまで上がってきた。自分への発言は挑発だったのだろうと、今更に理解する。  しかし、結果として相撃ちどころか、自分は生き延びて、尚且つ結果を出せた。  だが、まだ“終わって”いない。確認して、確実となって、ようやく彼の死は終わる。  エレベーターはもう無いから、階段で降りよう。  ディアブロはやり遂げ、疲弊した表情で振り返った。   ――ツバの広いカウボーイハットが特徴的なシルエット。   ――右手には、青く光る大型拳銃。 「――――・・・」  言葉を失った。幻覚を見ているのかと、自分の視界を疑いもした。 「随分老けて見えるな。確か37才だろ?」 「――――おお……ぁぁぁっ」  涙が溢れてくる。希望から絶望に叩き落とされたからか、それとも単に怖いのか? 「そうだ、忘れずに挨拶をしないと――ディアブロさん、“さようなら”」 「!? ガァッ!!」  ―――― 銃声。  同時に、崩れるような衝撃。  バランスを失う体。  吹き飛ばされた、右脳―――。  倒れるディアブロ。マグナムは彼の頭部を吹き飛ばし、充分な致命傷を与えた。  銃口から、煙が上っていく。  朱雀は拳銃を右手で回すと、終わったその男に背を向けた。 「ツマラねぇ野郎だ――巡りあっちまえばこんなものかよ」  朱雀の感想も仕方がない。何せ、相手は一般人。専門家と比べてはいけない……が。  女の戯言、などと軽率に考えず、パートナーの言葉はもっと真剣に聞くべきである。 ――破壊された脳で考えたわけではないだろう。  元来、『外れ』の力は“ルール”こそ必要とするが、意識して使用するものではない。  吹き飛んだ脳の肉片がまだ宙にある最中のこと。  反射か、剥き出された小脳から生じた行動なのか?  失った右頭部。傷口とは言い難いが、“作られた”その損傷に彼は触れた。  触れたのは、右手の中指―――。  ……歩き始める前、煙草に火を点けた時に気がついた。  背筋に奔る、戦慄の覚え。  朱雀が火も点けずに振り向く。すると、「終わったはずの男」が右腕を横に伸ばし、柱の寸前に中指を構えている光景がそこにあった。  おかしい話ではないか。予想していた力なら、こんな事態は有り得ない。つまり、予想よりこの男の力は“結果”の範囲が広いのか。それとも、力の解釈に見落としがあるのか。  割れたガラスから、遮る物が少ないエレベーターホールに夜の光が斜線に入り込む。  照らし出される、焦げて汚れたポロシャツ――対面する、赤黒いロングコート。 「そのまま、銃を捨てろ」 「…………」  朱雀は軋む左手で煙草を口から外した。 「お前の驚異が解からない。脅しが成立していないぜ。撃った方が早そうだ」  青い銃口の狙いを定める。 「―――私がこれまで何を行ったか、おおよその考えはあるのだろう?」 「確かに、随分と派手な手品ができるみたいだな……」 「手品ではない。私も完全には解かっていないが……ただ、この“右手中指”が触れた物を“破壊”できることは理解している。  ――いや、違うな。今、理解した。そうか、私が破壊できるのは“人の生み出した触れられる結果”、……か」  ディアブロは伸ばした自分の右手を眺めて、自己解決の結果を伝えた。 「つっても、今までビルの崩壊から2回ほど生き延びている俺だが?」 「今度は“私自身が逃げる為の時間”を必要としない。確実に、早急に終わらせる」 「………どっち道変わらねぇとは思うが……まぁ、いいや」  朱雀はがっくりと肩を落として、デザートイーグルを床に放った。 「――そうだな、撃てばこの中指はビルを崩壊させた」 「撃っても再生するらしぃし。つか、何その指、反則だろうが」 「何がだ?」 「‥‥‥ところで、あんたも死ぬんだろ? いいのか、それで」 「何か問題が?」 「・・・・・・ねぇよ、ボケ野郎」  不機嫌に首を振る。一番面倒な精神状態が相手らしい。  死んでも良いと考える先、「そもそも死ぬってなんだ?」という、瞬間的な幼児退行に近いイカレタ状態である。厄介極まりない。 「手を上げろ」 「ハイハイ――って、いやいや。どうせお互い死ぬんだろ。さっさとやれよ」 「まだだな。お前が何故狙われたのか、どうして死ぬのか。しっかりと罪を理解して逝け!」 「(おや?)………イヤ、悪かったヨぉ。あんたの友達を殺ったのは謝るからさぁ」 「―――理解していたか。そうだ、お前は――」 「殺せって“指示されて”、さ。しかたなく――」 「!!!!?」  明らかに、ディアブロの血相が変わる。なんということだろう、と彼は衝撃を受けた。 「指示された……? ならば、まだ“終わらない”!」 「あ? 終わるって何が‥‥‥」 「言え! 指示をしたのは誰だ! 何所にいる!!?」 「oi! 右手、右手気をつけテ!」  怒りに震え、口調を強めるディアブロ。朱雀は揺れる右手への注意を促す。 「言え!!!」 「いや、それはちょっとぉ――」 「早くしろっっっ!!!!!」 「ちょ、ちょっと待てってば。言っても言わなくても死ぬんなら俺が言うわけ――」 「“終わらせて”やろうかっっ!!??」  ・・・会話にならない。猛る怪物とのコミュニケーションなどできるわけはない、と、朱雀は落胆した表情を見せて後頭部を掻いた。 「――ったく、解ったよ。言えばいいんだろ、畜生め」  掻いていた右手を下ろす。  諦めた様子の朱雀を見て、ディアブロは彼の語る言葉を期待した。  ――――が、右腕の鋭い異変。視線を角(中指)へと移す。  投げられた2本のうち、1つは狙い通り右腕の手首に刺さった。  もう1本は―――この暗がりなので大した期待をしていなかったのだが―――ラッキーな「ナイフ」は、怪物の“右角”を見事に切断していた。 「んがっ――ぐぅっ!!?」  驚愕したが、同時に戦慄もした。  指の切断面から血が噴出す前に、視線を戻す。  その猛禽の眼は、貫くように鋭く、射抜く様に自分を見ている。  持ち上がった口の端。  その暗殺者の右手には、『黒鉄の砂漠鷲』が翼を広げている。  飛び出した50口径の弾丸。暗がりのホテルロビー、割れた窓から差し込む光を突っ切っり、対象へと着弾する。  弾丸は、ディアブロの左脇と、その付近を抉り飛ばした。  “傷を破壊”しようにも右角はなく、傷に亀裂を与えようにも、左腕は上がらない。 「ぅごっ……! がんっ???」  まともな声も上がらない衝撃。ただ――それより、心に衝撃。 「やっぱり言えないね。“あの人”は戦争よりおっかないからよ!」  手元で黒色のデザートイーグルを回し、グリップを掴む。  再び銃口を定めて、軋む左手で広い帽子のツバを下ろす。 「左もなんかありそうだから、ついでにぶっ壊しといたぜ。今日、あんたが壊したモノに比べたら――可愛いもんだろ?」  帽子の影にもはっきりと解かる、その眼光。  視線が刺さるディアブロは恐怖もするのだが…………だが? (ぁ……ああ??)  破れた胸ポケット。それを押さえて困惑する。 (いや、そんなわけは、ない………)  だが、どれほど否定しても、彼は鬱陶しいと思っていた。 (なんだ? 私は、私は……)  他に有るはずかない。彼が、いつも心に描き、思うはずの存在。 (違うっ! だって、だって……私はあの時から、今まで、片時も――)  講義を終えた自分が、勇気を出して話しかけたあの日、あの瞬間から……いつまで?  大学時代に知り合った。同じサークルで話しをして、いつの間にか好きになっていた。  そう、疑問は“いつ”から? “彼女”を守るべき自分は、いつから―――― 「あ......ああっ!!? 何を......私は、“何を”愛した!!??」  解からない。ただ、涙が溢れる。  “好きだった”のではない。今でも、いつだって……僕は、僕は君のことを―――   ――― 銃声+銃声。 1の弾丸――脳髄が右の顔面ごと弾ける。衝撃で、左の皮膚が裂けた。 2の弾丸――左腕が肘から吹き飛ばされ、宙を舞う。 破壊された脳では何も考えることはない。 角は、左右共に失われている。 思考はない―――しかし、心は………心はどこにあるのであろうか? /  今日は、一緒に何を食べようか。  君の好きなカボチャのスープは決まりだな。他に、何がいい?  まかせてくれよ! 君が望むなら、僕は最高に美味しいディナーを用意するからさ。  そうだ、明日は晴れるらしい。ちょっと散歩にでも行かないかい?  キャンパスにいこうよ。あそこは自然が豊かだし、素敵な思い出も詰まっているからね。  ああ、しかし――君は変わらないな。  本当さ。いつだって愛おしくて、愛らしい。  だから、こうして君を抱きしめるよ。  ―――僕もさ。僕も、大好きだよ。  いつまでも、いつまでも。この命が有る限り、僕は………   僕は、君を一番に想うはずだったのに――――! /  涙声。 “脳髄が破壊されたディアブロ”は、最後の瞬間まで最愛の妻の姿を見ていた。 “脳髄が破壊されたディアブロ”は最後の瞬間まで、愛せなかった自分が解らなかった。  怪物の心は最後まで―――大切な妻の名を、叫んでいた。 / / /  吹き飛び、倒れたポロシャツの男。  朱雀はその元に寄り、今度こそ、と彼の終わりを確認した。  大きく煙を吸い込む。煙草の半分が燃え尽きて、折れた灰が床に落ちた。 「これで“責任”は果たした……つっても、あいつはキレるのかね」  ……答えが出ない。  これだからアイツは苦手だ。  ツバの広いカウボーイハットにロングコートのシルエット。  彼はニコチンの煙を残しながら、階段の暗がりへと紛れていった――――――。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |『外れ』File.2/ディアブロ=タウラス ・「瓦解の双角」  『人の産み出した結果』に中指で触れることで、破壊したり亀裂を生じさせることができる。 _______ ACT 4  階は屋上に近すぎず、かといって低すぎず。  輪の形に部屋が配置されたその階層。廊下の代わりに円形の空間が広がっている。  敷かれた絨毯はわりかし高級なもので、若い護衛はその部屋の前で足元をふかふかさせていた。  /扉が開く‥‥‥。  何か、と若い護衛が反応した。  空のはずの一室から出てきたのは「気味の悪いマスク」と「不細工なマスク」を被った二人組。どちらも怪しいが、特に黒いマントに包まれた男は背が高く、あまりに目立つ。  自分達13人と護衛対象の女性しかいないはずのホテルに、この異様……。 「誰だっ! 動くな!」  アサルトライフルの銃口を向け、忠告する。  威嚇の動作に対し、気味の悪いマスクを被っている男は笑顔を作った(マスクで解らないが)。 「怪しいものでは御座いませんよ」  気味の悪いマスクが返答したが、それは無理がある。 「怪しいんだよっ!! なんだ、その気色悪いマスクは!??」  若い護衛が怒り心頭に彼のマスクを指差した。 「……」  背の高い男は首を傾けてマントの下の指を鳴らす。 「――失礼。マナーがなっていませんでしたね」  そう言って気味の悪いマスクを外すと、お世辞にも恰好が良いとは言い難い、斬新な髪型――“左側だけ刈り上げられている七三分けに、赤いメッシュ”――が露わになった。  マスクを取り、尚も怪しい男の髪型を確認して。若い護衛は顔色を変え、無線を取り出す。 「……良い物持ってるな」  マントの男は若い護衛が持っていた無線を唸りながら眺める。だが、すぐにどうでもよくなってそれを放り投げた。いつの間に、隣接したのだろうか。  突然の事にあまり思考は追いついていないが……兵士の直感が、銃口をすぐ横に立つ男に向けた。 「う~む、これも良いな」  向けていた銃口の逆。“背後に”立つマントの男は、初めて間近にするアサルトライフルに興味があるらしい。だが、すぐに飽きたのでそれを放り投げた。 「を!!?」  若い護衛が、取り出した拳銃を振り向き様に構える。しかし、そこにはその時、誰もいなかった。  「いない!?」と彼が声にも出せずに叫んだ時。背の高い男は再び彼の眼前に姿を現し、拳銃を取り上げて「んん? これは……良くないな」と、くだらなそうにそれを放り投げた。  意味は解からないが、兵士の経験がマーシャルアーツをお見舞いしろと指示を出す。 「失礼。1つだけ言っておきたいのですが――」  動きかけた体が、真横で発せられた丁寧で、場にそぐわない言葉に硬直する。 「私は“嘘つきが嫌い”なんですよ」 「・・・へェ?」  若い護衛はあまりにもどうでもいい自己紹介に呆け、混雑する思考は絡まったまま硬直した。 「私達は“彼女”の友人でね。今日はディナーの約束をしていたので、迎えにきたんですよ。本当、ただ、それだけの者です」 「! やはり目的は――」  図々しい、一発で嘘とわかる言葉。そんな約束、護衛対象ができるわけがないし、こんな迎え方があるわけもない!  若い護衛は言葉を返そうとしたが、指示を思い出して喉の奥に引っ込めた。 「それで、彼女はどこにいます?」 「――」  若い護衛の額に汗が滲む。  七三の男は、すでにゲームが始まっており、幾分か相手が“心得ている”ことも瞬時に悟った。喜ばしい限りである。 「答えてほしいんですが……当てましょうか?」 「!!」  若い護衛は自分の背にある扉を気にして、「やるしかない」と、2人を如何に手際良く葬るか考えた。 「あの部屋……ですね?」  確信を伴った言葉。七三の男が自信に漲った指で“対岸の部屋”を示した‥‥‥。 「・・・・・・」  あまりに見当違い。若い護衛の体は意外すぎる言葉に動きを止めた。 「あれ、違いますか? ……ならば」 「!!?」 「その部屋、ですね?」  なんという笑み。今度こその確信、先程はブラフとでも言いたげな表情。  七三の男が指示した先は、エレベーターの隣の部屋――そこは正解から3部屋も離れている。  若い護衛は「あ、解らないんだ?」と、小馬鹿にした笑みを浮かべつつ。七三の男を「この嘘つきめ!」と、呆れた視線で眺めた。 「違いますか……ふ~む」 「・・・」 「1つ1つ、ノックしてみたらどうだ?」 「……(苦笑)」 「――ある意味ナイスな提案ですね。しかし、返事をしてくれるかどうか」 「返事くらいするだろ、それがマナーだ」 「……ふふっwww」 「返事してくれますかねぇ? ―――ところで、実は“この部屋”に彼女はいるんですよ」 「バ!?―――!!!!!!」  自分の後ろを突然指差され、鼓動も忘れるほどに驚く若い護衛。  七三の男は、なんの意味も無く、形容しがたい表情を浮かべた。  なんだその顔は、と、驚きに疑問が幾重にも重なり、先程停止した思考が更に絡まる。 「なんだ、そこにいるのか。よく解ったな」 「いや、あくまで予想でして……それで、どうでしょう? ここに“彼女はいますか”?」  自信があるのかないのか。七三の男が不安気に尋ねてきた。 「こ、ここに女はいない!―――――――っゥごん???」  発言と共に、違和感が。  胸を押さえる若い護衛。顔色を失って絨毯に伏せた彼は数秒もがいた後、その命を呆気なく終えた。  動かなくなった若い護衛を跨いで、七三の男は残念そうにとびっきりの笑顔を浮かべる。 「あらら……あなたは“嘘つき”でしたか。ならば仕方ありませんね」  遺体に一言伝える七三の男。マントの男は遺体の横を通り、七三の背後に立つ。  頼んでいないルームサービス。  部屋のドアノブを回した―――。 /  ―――部屋のドアノブが回される。  扉が開き、「「失礼します」」と丁寧に入室する2人。 「! ダ、誰!?」  カレンはベッドから半身を起こし、その姿を確認する。  1人は左側が刈り上げられた七三分けに、赤いメッシュの男。  もう1人は黒いマントに長身を包み、不細工なマスクを被っている男。  この時、カレンは特に、「七三の男」の姿を見て、恐怖した。  朱雀が皆に伝えたからである。その男と遭遇した場合、“会話をするんじゃない。いや言葉も発するな”――と。  彼自身、不確定な話だとは言っていた。だが、どうもそこに勘が働いていたらしい。曰く、「そもそも、知らないおじさんとは話すなって事」らしい。  嫌な予感がするなら、触れなければいいだけだ、と簡単そうにも言っていた。  そして今、朱雀の指示を思い出してカレンは口を強く閉じる。  決意の表情を見て、七三の男は嬉々として詰問を開始した。 「コンバンワ、我々は怪しい者では御座いません。どうか、警戒なさらないでください」  危うく「はい――って、無理言わないで!」と言葉が出そうになるが、堪える。 「あなたと少しお話をしたいだけですので。……椅子に座ってもよろしいですかね?」  カレンは手近にあるライトスタンドを掴み、振り上げて威嚇―― 「“32”」 ――しようとしたのだが。それは今、こだわりのある目利きに品評されている。 「それほど良くはないな……」  マントの男は手にしたそれを後ろに放り投げた。  カレンの隣にいつの間にか立っている男は、マントの異様な風貌もそうだが、何より高い天井に近い程の全体像が、たまらない威圧感を湛えている。  呆けるカレンはメガネのズレも直さず、口を尖らせた。 「何分、腰が悪くってね。長い間立つのがつらいんですよ。年を積むのはそろそろ避けたいものですねぇ……」  七三の男は椅子に腰掛け、手を組んで背もたれに身を任せた。 「!――?」  隣の男の明らかな威圧感もあるが、椅子に座る男の得体の知れない恐怖もある。  カレンは込み上げ、流れ出しそうな感情を抑えた。 「素敵な部屋ですね。一般の部屋ではなさそうだ――ついでに、1つ言っておきます。私はね、“嘘つきが嫌い”なんですよ……」  お昼過ぎののんびりした雰囲気のTVで、景色や住宅を優しく評価するタレントのように。七三の男は穏やかな口調で話す。  「そっだらこと、どーでもよか!」と言葉が出そうになるが、止める。  法則も過程も解らなければ、結果も解らない。この男が“できること”は全てが不明。朱雀の忠告ですら少しでも答えに近い前進に過ぎない。ただ、受け取り方は彼の意図と違ってしまったが……。 「なぁ、やはり面倒だ。我が“終わらせる”」  じれったいことが苦手なマントの男は、細長くて良くしなる硬めのモノを取り出した。 「――!!?」  ぎょっと、目を剥くカレン。 「ダメですよ、あなたがヤってしまっては“疑問”が残らない。むしろ手がかりを与えてしまって、彼は“進んだ”気になってしまうでしょう?」 「???」 「――解らんが、お前と言い争うのはもっと面倒だから、我は黙ろう」  背の高い男もそうだが、もちろんカレンも七三の真意が割れない。そもそも、きちんと相手に伝える気のある言葉かも怪しいものである。 「そう、それで良い。――ああ、ほら、そんなモノ出すから彼女は怯えてしまっている」 「……」 「大丈夫です、我々があなたに危害を加えることはありませんから。安心してください、カレン=ミリタナさん27才AB型」 「!?」  名前を知られている、年齢や血液型までも……。いや、でも、元から得体の知れない連中である。それくらい調べられてもおかしくは――― 『“67っ!!!”』  叫ばれた数字と共に、マントの男は部屋から姿を消した。  移動の最中に掴み、投げ飛ばしたモノが広い絨毯を転がる。  突然の変化に、呆然と開いた扉を眺めるカレン。  七三の男は穏やかに椅子から立ち、静かにその扉を閉めた。刈り上げられた髪を撫で、落ち着いた挙動で彼女のベッドへと歩み寄る……。 /  転がり、部屋から突き放された。  “彼”が顔を上げると、先程立っていた部屋の入り口は閉じられている。 「んん? ただの軍人モドキしかいないと思ったが……まさか!?」  投げ飛ばされた青年が立ち上がる。  独特な髪飾りが、青い頭髪に映えて揺れた。 「ゲームの画面でしか見たことが無い――そして、その姿に何度憧れたか!??」  己を包む黒い布から両腕を出し、“宙に立つ”不細工な仮面の男は身を震わせた。  照明が煌と照らす空間の中央。  藍色の袖が舞い、青の前髪が騒ぐ。 「素晴らしぃっ! SAMURAI―BLUE! 君は“良い物”であるっ!!!」  腰に吊るした黒の鞘から、信念の刃を振り抜く。  跳躍する。距離はあるが、青い侍には一跳びの距離。  空を翔る“青龍”は刃を下段に構え、今に、振るおうとしている。 「今日は朝食を抜いて大正解だったな。素晴らしいランチだ……素晴らしい“5!”」  姿を見失う――それが、不細工な仮面が宙にいる自分のさらに上を過ぎ去ったのは見えた。そして、通り過ぎ様に良くしなる細長い棒のようなものが自分を打ちぬく瞬間も見えた。  地に叩き落された青龍は即座に立ち上がり、その方向を見据える。  視線の先には、宙に浮き、良くしなる硬めの細長い物を十字に振る姿。急な移動の余韻、黒いマントが翻っている。 「我は君を喰らおう……だが、その前に1つ注文する」 「―――品を作る時間も、その気もない」 「断ることは許さない――“68!”」  回避しようにも速く、それだけならどうにかなるのだが、その上長いのが厄介。  普段は強引に巻いて仕舞われていた2m程の“硬い鞭”は、いきなり振るう分には相応な長いモーションが必要。だが、ただ通り過ぎ様に“当てるだけ”ならその隙は無い。  身の丈に迫る長さの鞭に、体操のリボンがごとく演じさせる黒いマント。 「注文は、そうっ、ミステリアス!!」 「ぐっ……解からないんだが」  鞘で逸らしたが、それでも先端が青龍の額を打ち、血が垂れる。  朦朧とした意識を無理やりに振り払い、見上げた。 「我は観たい! サムライの、必殺技! 美しいエフェクトの、必殺技っ!!」 「えふぇくと? ……俺はゲームじゃない。だから、そんなものは出な/  /ノォォぉーっ!!! “25!”」  横っ飛び。掠めた鞭の先端が着物の胸元を横に裂く。 「ミステリアスに。ビューティフルに、アンビリーバブルにっ――ハリアップ、“7!!”」  着地後に無理に跳んだため、姿勢が不十分。鞭は袴の太ももを打ち去った。 「――!――っ」 「ランチをっ! 素敵なランチにシェフっ! 注文の品を早くっっっ!!」  天井を拳で叩いて急かす。早口に、不細工な仮面の客からクレームが飛び掛かる。  立ち上がり、鞘を腰から取る。  黒ずんだ赤に染まる前髪。  血が伝う瞼を閉じ、侍は自然体、“無構え”の姿勢をとった。 「――派手でも、必殺でもないが……注文は、承ろう―――」 / 「 カレンさん、“性行為は好き”ですか? 」 「!――!?っ」  ベッドに腰掛けた七三の男は、お世辞にも恰好が良くない髪の刈り上げを撫でた。 「いえ、ああ、誤解なさらずに。決して危害を加えるつもりはありません」  七三の男は穏やかに言葉を続けながら、彼女の胸を掴み、揉む。 「ゐっ!!????!」  カレンは突然の行為に驚き、不埒な手を離そうと力を込める。 「カレンさん、どうなんです。“性行為は好き”ですか? 危害は加えませんから、どうか答えていただけないでしょうか?」  揉み続ける七三の男の手を掴み、引き離す。七三の男のもう1つの手は、ベッドの布団を捲り終えている。 「柔らかく、好みの大きさだ。とても揉み心地が良いですね。ところでカレンさん、“性行為は好き”なんでしょう?」 「や……ぐっ!!!!」  涙を流して、必死に言葉を堪える。彼女の両手は迫る七三の男を突き放そうと、その体と右腕を防ぐが、男の左手はカレンのスカートを外し、下着の割れ目を丁寧に撫で始めた。  見かけによらず、大した腕力である。七三の男は、想像以上にパワフルだ。 「!!? んんんんっ!!!」 「おや、この感じ……体毛は薄いほうですか? ああ、それと、カレンさん。あなたが“好きな性行為”、してもいいですかね。ああ、もちろん、危害は加えません」  下着を強く押し込み、秘部の入り口を弄り始める男の指。  カレンは七三の男の顔を押し上げ、得たく無い快感の原因を掴んだ。  張り飛ばされる――――突然の衝撃がカレンの顔を襲った。 「それとな、てめぇの好きな“朱雀”とかいう下種男!! あいつ、死んだぜ? ぐちっと潰れてよぉ!!!」  張り手に驚き、口を震わせているカレンはそれ以上の驚きに七三の男を直視した。  口調を変えた七三の表情は先ほどまでの紳士な気配が無く、真逆の野蛮に満ちた無知性そのものと化していた。  七三の男は女の服のボタンを外している。 「それで、あなたの……ん……おお、良い……あなたの陰部、実に臭そうですが……“性行為が好き”なあなたのそれに、私のをねじ込んでみましょう。気持ち良さそうだね」  乳房を唇で噛み、舐め上げながら話す。  チャックを下げる音を聴かせる七三の男。 「――――!!!??」 「大丈夫ですよ、私のカワイイ精液便所。危害は加えませんから……アア、産まれた俺のガキはてめぇで育てろよ」  ちぐはぐな発言に、強引な態度。理解できないことは恐怖となり、身に迫る実害は危機感を切実に訴える。 「あ、ぐっ――やめてよ………やめてぇっ!!!」  カレンは泣き、“叫んだ”。押さえていた感情が流れて、理性が歪む。 「・・・・やっと、しゃべったな」  ―――七三の男は実際の所、何一つ行為に興奮などしていない。  彼の目標はただ一つ、自分のルール、その条件を満たす遊びをクリアすることのみ。  七三の男は小声に笑い、眼下で怯える女を愉快そうに眺めた………。 /  黒いマントの男は思わず仮面を外して見惚れた。  渦巻く数値の1つ。今、“63”は他の全てを差し置いて、美しい――。  ゲームの中で闘気をカラフルに発散させている姿とは異なるが、その姿には気迫が満ちている。「何かある」と思わせるフォースが届いている、と不細工な仮面を仕舞いながら感嘆した。 「Nn~、グゥレィト! 我はこれから、サムライを中心にレベル上げをする!」 「――」  何の話か。詳細は彼のみが知るが、友人である“ディーロ=ワイ”は、彼が重度のゲーマーだということは知っている。  満足気な黒いマントは移動の前から鞭を振り、先端を加速させた。 「青いサムライよ、我は喜ばしいぞ。しかし……」 「――」  乱雑な振りを、体ごと回転させて一定方向に固定し、勢いを継続する。 「君の“必殺技”が我に決まらないこと、それだけが――――残念だ“85ッ!/ 喰 dragon ――――刹那に翻る藍の袖に  鮮  血  が  散  り ――――牙は銀の軌跡を残す 龍 eat /  瞼を閉じたまま飛び上がった青い龍。  “黒い残影”に気を取られた得物を銀の刃は捉え、その肉を裂き、骨を断ち切った――。  絶叫を残して目標の座標に停止し、衝撃で身を捩る黒いマントの男。  再び上がる絶叫と共に、滴る血液と共に―――長身の彼は地に落ちた。  相打ちとなり、吹き飛ばされていた青龍だが、負ったダメージの差は歴然。  折れた肋骨が軋むが、今にも臓物が飛び出しそうな得物とは違い、立って歩ける。  のたうつこともできず、呻いている黒いマント。  その姿を背後に映して、青龍は口を開いた。 「そのままじっとしていれば死ぬことはない……すぐに終わらせて、彼らと共にお前を捕獲する」  ホテルのすぐ隣には病院。生憎、今日は回されてきた患者で溢れているが、この男は特別枠で治療を受け――生かされることであろう。 「嗚呼嗚呼......違う、違うぞぉ、シェフぅぅぅ。ランチは、我ではないぃ……!」 「……」  呻く男を置いて、歩き始める。 「ああぁ、シェフ。我のオーダーを、今日のラストオーダーを! ……聞いてくれ」 「――?」 「青い侍よ。我は何故、君ヲ食せなかった?」 「――」  青龍は立ち止まらず、その扉へと向かう。 「ブルぅぅぅぅザムラ゛イぃぃぃぃ……プリーズ、プリーズぅぅぅぅぅ……」  まだ喚く。 あまりにも悲痛な様子なので、しかたなく口を開いた。 「有りし眼は動で対する。動作に対し、動で敵わぬなら、静を持って触れるのことを待つのみ――網のようなものだ」 「おおぉ! ……解からない」 「――無眼の地も、神秘と言えばそうなのか。俺もよく解っていない――あと、食事に必要なのは牙だけではない」  歩みを止めず、腰に鞘を戻して答える。  黒いマントは侍の言葉の意味はともかく、それが「ミステリアスだ」ということに感動し、それに斬られた自分の傷を愛おしく感じている。  部屋の前。青龍は「遅くなってすまなかった」と頭を下げ、護衛の瞳を閉じた―――。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |『外れ』File.3/マリーポ=パルキア ・「座標指定移動」  能力者は「座標回路」という組織を脳に持ち、これによって空間に『座標』を見出すことができる。また、見出した「座標」を強く意識することで移動でき、その速度は距離に比例して加算される。  移動の最中に「座標」を変更できるので、最初は遠距離を。少し動いたら近距離を指定することで、速度を自在に操ることが可能。ただし、これには『高速で移動する最中に無限に近い数値とそれによる速度』を適切に算出できる規格外の知能、もしくは座標回路が必須となる。 _______ / 「うぅ……っぐ」  一度声を出したら止まらず、涙が治まらない。 「率直に言いましょう。止めません。私はあなたの中に出します」 「――あっぁっぁぁぁあ!!!」  身を守るため、カレンの体は無意識に拳を振り上げた。 「彼、生きています」 「!!!」 「ハハっ――どうです、“驚きました”?」 「……わ、私はイーグルを……彼を信じている――っ!」  強い瞳で七三の男を見返すカレン。  七三の男は「惜しい!」と、悔しさに笑った。 「中々朱雀さんは愛され上手なようですね。あなたは彼のどんなところにそれほど惹かれたんです?」 「さ――ぐっ!? やめてっ!!」  質問しながらも下着に手を入れ、直接指を入れた七三の男。  カレンはその手を押さえて必死に大事な部分から離す。 「やはり顔ですか? 彼、男の私から見ても稀に見る上物と言い切れますからね。私がデザイナーならモデルにスカウトしたいほどですよ。――あなたは大層な面食いですね、やはり“中身より外見”ですか」 「ち、違うわ! 私は彼の――キャァァァ!!」  身を起こして、起たせたそれを見せつける七三の男。 「あぁ……ぁ……もう、もうやめてください。おねがい……」 「うーむ、本当に彼の面以外に惹かれたんですね。それほど良い性格には思えませんでしたが――まぁ、死人の事を語っても今更ですか」 「――ぇ?」 「どうしました、信じているのでしょう、彼のこと。ならば心配は要らないでしょう? 今にきっと、殴りこんできますよ」 「……」 「不安なんですか? カレンさん、あなた、“彼の死を少しは信じている”のでは?」 「――!?」 「どうなんです、“もしかして死んだのかも”とか思っていませんか?」 「そ…………」 「どうなんですぅ?」 「!! ぃや、やぁぁあぁぁああっ!!!」  晒された秘部の寸前。そこで止め、言葉も止める。  カレンは目を背けたいと思いながらも、あまりにも恐ろしいその棒と秘部の距離を確かめ、そして、目を留めた。 「彼は死にました」 「ぅう……ヒっ――」 「ああ、今、あなた。またちょっとだけ、“彼は死んだのかも”と思いましたね?」 「ひ、ひ……」 「“挿れて欲しい”んですか?」 「あ――あぐぅっ!!」 「ほら、喘ぐのはまだ早い。お話しましょう――どうです、“私の髪型、カッコイイ”でしょう?」 「……!?」 「私、我慢できません。挿入しますよ、精子たっぷり出します。受精させましょう」 「うぅ、あぁ――……」 「――“嫌です”か? それならどうです、“私の髪型、カッコイイ”と思いませんか?」 「や、やめ……」 「“私の髪型、カッコイイ”でしょう!?」  棒を太ももにこすり付けて、息を荒げて見せる七三。 「!!?……や! ああっ、うぅ――。か、“カッコい―――/ “バンッ!”  けたたましく扉が開かれる。  /―――っ!!!?」  驚いて言葉をやめ、再び泣き始めるカレン。 「キサマ、何を――っ!?」  七三の男の姿を確認して、通話で聞いたあいつの忠告を思い出す。  口を噤み、睨む青い侍。 「早かったですね……」  七三の男はチャックを上げて、ベルトを直しながらベッドから降りた。 「始めに言っておきます。私は、“嘘つきが嫌い”でね。あなたは“嘘つき”ですか?」  さっさと終わらせようと、質疑を開始する七三の男。  青龍は何か言おうとした口を慌てて閉じ、周囲を見渡した。  ふと、備え付けの電話の横にメモ用紙を発見。 「?」  メモ用紙を手にし、袖からマジックペンを取り出した日本人の理由を考える七三の男。  青龍は、メモの1枚にさらさらと字を書いていく。 “お前の前で言葉を発するなと言われている” ―――突きつけるように見せたメモ用紙に、一文。  七三の男はしばし呆気に取られた後、思わず軽く吹き出した。 「おほっ。な・る・ほ・ど! 情けなく、悔しくも――盲点! これは面白いな。実に興味深い、うむ――どうなんだろう、コレ。通用するのか?」  顎に手を当てて、楽しげに悩む。 “二言、言いたかった”  次の1枚に書き込む青龍。 「ほうほう、そうですか。ところであなた、恋人っていますか?」 “悪いが、言いたいだけだ”  返事の3枚目を急いで書き、次を書き始める。 「いえいえ、少し話すくらいいいじゃないですか。冷たいことはおっしゃらず――そうだ、お仲間の話でも――」 “あいつから伝言だ” 「――ん。彼が、ですか……?」 “俺も人を使わせてもらった。いずれ、挨拶には行くよ” 「・・・・・・・・・フ!」 “もう1つ” 「ん?」 “ センチネル君を殺したのは僕じゃないよ ” 「!!!!!」  口を押さえて、全身を震わせる七三の男。信じられない、そこまで、まさかたったあれだけのやり取りで自分の意図を全て!?  理解されたこと。それが、至極甘美・極地に充足!!  もうだめだ……こんなの、こんなの堪えられないっ。腹筋が限、界・・・―― 「アアっ・・・・・・っは!―――ッぷッククク……ブーッ!―――くぁっ――…!…!」  まともな声にならない。それほどまでに笑う。  爆笑して、腹が弾け飛びそうだ。  腹を抱えて必死に笑いを堪えようと努力するが、どうにも治まる気がしない。 「ひぃっひ……ブっ! き、君、さ。大切なモノって、ある……ぶぁッっハ!!! ははっは・・・!!! ひぃひっ、ダメ、ダメだ……くくっは――ぷっ! ……無理っ!!」  爆笑して、悶えるその姿をただ眺めるしかないカレン。  楽しげな、幸せそうなその姿は、見ている彼女に理解しがたい恐怖を与えている。  ペンを袖に戻し、メモ用紙を電話の横に戻して。何か言いたいけど言えない七三の男に近づく青い侍。 「……」 「! ――っふ、あんたさ…………クふっ♪」  その笑いの直後。  瞬間的に、強い一撃が首に落ちる。  振りの少ない一撃だが、それは瞬時に七三の意識を刈り取った―――。  笑みを浮かべながら、白目を剥いて椅子に倒れ込んだ七三の男。  青龍はその姿を訝しげに見下ろして、振り向いた。 ――目が合う2人。  目と目が合う瞬間、通じる想いもある・・・だが、この2人は特に何も通じなかったようだ。  しばらく見つめ合った後、カレンは泣き始めた。青龍もまた、彼女の今の状態に気がつき、顔を伏せ、袖で両目を隠した。 「す、すまないっ、、、気がつかなかったんだ!」  謝るが、どうにも泣き止む気配がない。それはそうだ。何も恥ずかしいからというだけで泣いているわけではない。 「ワ、解った! 出る、出て行くますから、すまないっ!!」  とにかく困ったら謝るのが彼の性質らしい。  目を瞑ったまま椅子に突っ伏している男を抱きかかえ、部屋を勘任せに出て行こうとする。 「キャァァァァっ!!!」 「あぅぁ、ごっ、ごめん!! 今、出て行くから!」  焦り、危うくベッドに突っ込みそうになった青い侍は、悲鳴に跳ね返されるようにそこを離れ、どうにか出口を目指す。  壁に引っかかり、扉にぶつかるたびに彼の肋骨は軋み、目には涙が滲んだ―――――。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |『外れ』File.4/ディーロ=ワイ ・「耐え難い罪悪感」  彼の「宣言(嘘が嫌いな旨を伝える)」を聞いた後。彼に対して「嘘」をついた場合、対象の脳は壊死をおこし、心臓は活動を停止する。尚、被宣言は対象が死亡するか、咎を感知できないほどの精神的弱体状態でなければ解除されない。 _______ Act END  妻は夫の帰りを待っていた。  昨日の朝、何も言わず家を出た夫。自分を見向きもしなかった。  夕食は勝手に作ってはいけない。無論、朝食もなので、彼女は昼までのあと2時間ほどの空腹を耐えなければならない。万が一、この時間に食事をしている姿を見られたら……一体、どんな目にあうことか。  案の定、チャイムが鳴った。  しかし、夫は鍵を持っている。チャイムをいちいち鳴らしたりせず、いつもは鍵を開けて入るというのに。今日はどうしたというのであろうか。  車輪を回して、玄関まで向かう。  いつも、鍵を開けるだけで一苦労。でも、それにも慣れた。  扉を開けた先には、見知らぬ男性が2人、立っていた。  彼らは制服から手帳を取り出して、身分を証明する。  一体、何の用なのかと妻は尋ねた。  男性の片方が「落ち着いて聞いてください」と発する。  何のことか。落ち着いて聞かなければならないことなのか。  内容は、昨日の事。  どこにいったのかと思っていた夫はレオディルにいたらしい。  そして、崩れる瓦礫に潰され――「お悔やみ申し上げます」と、男性は言葉の最後を締めた。  男性は家の前につけてある国の車を指差し、それで送ると申し出た。「身元の確認をしてほしい」、と言葉を付けて。  彼だと断言できないほどの状態なので、一応“確認”をしてほしいらしい。  状態が状態ですので、遺体鑑定で済ませることもできますが……と言う男性の言葉の後、妻は「送ってください」と答えた。  連れ添われ、車へと向かう。  空は晴れていて、昨日ニュースで観た惨劇が嘘なのではないかと、妻は想う―――――。  車の中で。その妻は終始黙っていたのだが。  たった一言。警官は彼女の呟きを一言だけ聞いた、らしい―――――。
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