奇転の会Ⅲ

:From 四聖獣 BLOCK3 [リュウシン] ACT0(A)  その形相は一言で“鬼”。静寂に揺らぐその青い若輩はTシャツを脱ぎ捨てた。  幅の狭い階段を軋ませながら駆け上り、自室に入る。  カーテンを閉め、クローゼットを開いた。  若輩は短パン一丁のラフなスタイルを脱ぎ捨て、明るい藍色の着物、灰色の馬乗り袴を着込んだ“侍”に身を変えた。  未だ使い慣れないケータイを左手にしっかりと握り、“ぴっ、ぴ”と人差し指で操作する。  コールが鳴り、通話が始まる。 「もしもし、ロイさんですか―――はい、そうです―――――エ゛、なぜそれを?」  通話相手の女性は『解っていたわ』と予知していたかのように答えた。  侍は困惑した表情を浮かべる。しかし、相手の女性としては『これだけの犠牲者が出たのなら、間違いなく“正義が云々”始まるな』、と予測する事、容易かった。 「はぁ、そういうものですか……ええ、はい、ありがとう御座います。また以前のように別々になると面倒なので。それで―――ああ、“そうですか”」  やはり、と惑い顔が再び鬼と化す。やはり関係あったのか、と侍は身内の不手際に眉間を震わせた。 「あの阿呆が……いえ、そういう問題ではありません―――俺は、私は冷静です―――いえ、ただ!・・・・・・はい、すいません」  しぼむ侍。彼は背を丸めて頭を下げた。 「……はい、すみません。重ねてお礼を申し上げます。それでは……」  何度も小刻みにお辞儀をしながら通話がきられる。お辞儀のたびに揺れる青い髪。  しかし、一括されても消えない――精神の灯。  彼はその精神の象徴とも言える友を布にくるみ、しっかと携えた。  いつもなら長いフライトの暇を潰すため、携帯ゲーム機の2つでも小袋に入れて持つのだが……今はそれどころではない程、“心”にきている。  居間への階段を駆け下り、勢いそのままに地下への階段を駆ける。乱雑な上によく解からないその空間で事の顛末を伝える侍。 「やだぁっ!! それじゃぁ、僕1人になっちゃうもの!」  居間から地下へと続く穴の先。駄々をこねる発明家の叫びが響いた――――。 ACT1  内壁に亀裂が入り、ガラスが割れて、建造物の骨格を成していた鉄骨が至る場所で砕け散る――それでも昼間のレストランはさすが、シェフの沽券を注いだ頑強さであった。それなりに、“耐えた”といえよう。何せ、床や壁は崩れたが、原型はどことなく思い出せる状態だったのだから。  しかし、ビッグブルー・ブリッヂは違う。容赦なく、それこそ衛星からの映像なら、クッキーで作ったミニチュアをハンマーでカチ割るように、無残に崩壊した。  これは建造物の強度などなんの問題でもない。先ほどのシェフの沽券も、実の所まったくの無意味。  全ては、“破壊の双角”がどれほど“加減した”か。  砕かれる物に選択肢は無く、破壊する者にのみ、程度の調整は許されている。  ビッグブルー・ブリッヂの崩壊はその巨大さ故、猶予があった。しかし、“彼が”その気になって突けば、「古びた老舗のホテル」など、なんの物的抵抗もなく、崩壊を受け入れることであろう―――。 「ぎゃぁぁぁっっ!!!!」  耳を劈く彼女の絶叫も掻き消えるほどに、建物全体が断末魔を上げている。  一斉に弾けた窓ガラスの破片が廊下に散り、階段は裂け、電灯は落下し、無数の困惑が木霊する。騒がしい状況の最中、ホテルの床が急激に角度を変えた。  アッパーロード、リオディルブロックに建つ老舗のホテルは何の前触れも無く、突然の最後を迎えている。今は、正にその最中である。 「――上に行く」  女の手を引く男は、「廊下をどちらに向かう?」という状況選択において、至極冷静に「上」と回答を弾いていた。 「へ? なんて?」  状況を把握している“朱雀”は彼女の手を引き上げるように廊下を“駆け上がった”。  建造物は真っ直ぐ、地に大人しく沈むようには崩壊しない。それこそ計算された爆破解体なら、そうでなければ失敗となろう。が、“天然”の崩壊は異なる。長い年月に、地盤の影響や老朽化で少しずつ建造物は傾き、床に置いたビー玉は一方向に転がるものである。 「なんで廊下を登るのよ! ・・・? なんで“廊下を登れる”の、私達?」  把握できていない“カレン”の質問に答えている暇はない。廊下に飛び出た客人が悲鳴を上げつつ彼らの横を転がり落ちた。  瞬間的に彼女を前方に放り投げる。女性一人、体重はプライバシーに配慮して伏せるが、50kgに近い。それを、朱雀は「ぬっ!」と上に放り投げた。 「???」  瞬間。訳の解らぬ浮遊感。カレンは空中にいた3秒ほどを結局理解はできなかった。  その間、朱雀はコートの裏からロープを、帽子の裏からナイフを取り出してロープに括り付ける。  すると、東洋のNINJAが使う投げ縄の、簡易な物が出来上がった。廊下先の窓を突き刺すように、サイドスローに宙を奔らせ、突き抜けたロープの先のナイフ数本が外壁を削るように「スパイク」を利かせた。  刹那。それは本当に余裕の無い角度。  一気加速して、空中の彼女を左腕と半身で抱きとめる。  右の腕で血管が浮き出る程ロープを引き、辿り着いた壁の曲がり角を地面にして……。  朱雀は既にガラスが割れている窓から、飛び上がった。 「?? ――――いっっ……いやぁぁぁぁぁあっっっっ!!!?」  カレンは叫んだ。抱きかかえられて嬉しい、などと思う余裕は無い。  窓の外から、つまり、6階建てのビルの4階から落下するという今の自分。危機感はしっかりと把握している。  破片が“転がり落ちる”ビルの壁に着地。朱雀は右手に掴んだナイフで減速を試みたが、ここで不運というか当たり前というか……ナイフの刃は呆気なく折れて、目論見は失敗した。 「チッ――!」  こうなっては残る腕の役割は1つ。彼女をしっかりと抱きしめた。  ホテルは若干に傾いている。それはまるでコンクリートの滑り台。  赤黒いロングコートの裾は擦り切れ、背の生地が焦げ付く。 「なんで!? なんでっ!? どうしてこうなった!!???」  高速で近づく遥か眼下では土煙が立ち上がり、周囲の建造物は高速で昇っていくかのようだ。その光景から隠れるように彼の胸にしがみ付くカレン。  倒壊しているビルの壁面を、己の身を舵に・ブレーキにして滑る朱雀。 「もっとしがみ付け!!」 「――――!!?」  言われるまま、カレンは腕に精一杯の力を込めた。  朱雀は精一杯の力を込め、カレンの身体を抱きしめた―――――。  それは突然の情景だった。  通りに面した老舗のホテル。それに巻きつくような亀裂が入ったかと思えば、窓が一斉に破裂。足元から消えていくように瓦礫と藻屑に変化するホテル……。  ―――降り注ぐガラスが通りを歩いていた女性を襲った。直後に彼女は大量の瓦礫と土煙に巻き込まれる。  通りの対岸で手を振っていた幼い少年は、笑顔をやめて目を見開いた。学校帰り、偶然遭遇した母親に手を振った。そこに、故意などあるはずもない。  ―――轟音が鳴り響き、目撃した人々は皆足を止めて口を開く。周囲の人々は意識の中でまだ、疑問を危険にステップアップできていない。  その最中、倒壊しているビルが巨大な骨折の音を響かせ、斜めに傾く。  唖然と間近の光景を眺めていた隣のビルの男は、近づいてくる壁面に危機を感じる間もなく、ビルの頭突きをくらって鮮血と化した。  ―――信号は“行け”の合図を表示しており、通りを行く車は速度を加減していない。よって、突然の粉塵と瓦礫の破片に上手く対応できたものは少ない。 「ああっ!?」  携帯電話を片手に話し込んでいた男性は、驚きのあまり大きくハンドルを回し、闇雲な視界に包まれた反対車線を通過していく。  ―――豪快な音と破片を撒き散らして靴屋のショーウィンドウに突っ込む一台の車。  この混乱の中では1つの変化にすぎないが、店内からビルの倒壊を眺めていた靴屋の店主は、すぐに「ビルの崩壊ごとき」、どうでもよくなった。  ………倒壊による突風が吹き抜ける中。ゼイゼィと息を切らして粉塵から駆け出てくるポロシャツの男。靴屋の脇で立ち止まり、ホテルへと向きを変えた。  男は涙を流している。怖かったのだろうか、突然の崩壊が? 彼にはすくなくとも、「こうなること」は解っていたはずである。  轟音と共に車が靴屋へと突っ込んだ。ショーウインドゥの欠片が彼の腕に突き刺さる。  ポロシャツに黒ずんだ赤色が滲み、片膝を着く男の姿。  ガラスの破片を引き抜いて、男は携帯電話を取り出した。しかし、彼の周囲は音が喧しい。  男はしばらく倒壊が落ち着くのを見守り、通話が可能な状態を待った―――。 ACT2  裏路地に吹き荒れる突風。視界を覆う粉塵が気流の激しさを解りやすく教えてくれる。倒壊が続くビルの断末魔はまだ止まない。  酷い有様の中、砂煙に紛れる男女の姿がある。  カレンが、繋いだ朱雀の右手をクイと引いた。 「――なんだよ」  朱雀は歩き続けながら、朦朧とした意識で返す。  軽く振り向いた先のカレンは、涙を流して何かを訴えている。 「――――!!?」 「ああ?」  轟音で聞き取れないカレンの言葉。カレンは彼の耳に顔を近づけ、叫んだ。 「どうしてあなたは無茶をするのよっ!!?」  キーン、と声に打たれて首を傾ける。カウボーイハットを傾かせて、朱雀は苦々しい表情を浮かべた。 「・・・無茶しなきゃ死ぬからだろ」 「無茶しないで、死なないで!!」  再度、声に打たれて弾かれる朱雀の首。 「――おい! 自分は無茶言ってんじゃねぇか」 「お願い!!」 「……つーか、別に無茶はしてねぇっての。楽しかったろ? 滑り台」 「嘘つかないで! その左腕だって、どうするのよ!?」  悲痛な様相で朱雀の左腕を指差すカレン。見破るその観察眼……むしろ女の勘か。 「――ほんと、女ってのはくだらねぇ時にくだらねぇことに気付きやがるなぁ………自信失くすぜ」  自慢のポーカーフェイスを呆気なく破られ、朱雀はやれやれとうな垂れた。 「お願いよ………」  メガネがズレたまま、カレンは必死に声をだした。  懇願する彼女の表情は憂いを帯びて愛おしく、この身を案じてくれるその想いが、何よりも男心を鷲掴む。 「ヒュ――・・・ゴホッ!!?」  うっかり大きな溜息。粉塵が喉に引っかかり、朱雀はむせた。 「イーグル!?」 「ゲホッ、ケフッ……まぁ、これくらい我が儘で喧しいプリンセスの方が――騎士冥利に尽きるってもんだ、な――エホンッ!!」  カレンのメガネを直すのは、軋む左手。未だ粉塵は止まないが、風と轟音は落ち着いてきた。ホテルから遠ざかっていることも大きいだろう。  ただ、「少し離れすぎか――」と朱雀は呟いた。  ……表通りから遠ざかっているせいか、周囲には古い建造物が目立つ。  夕日が役目を終えようとしているこの時間帯。表通りでは街灯が点く頃。狭い裏路地には街灯が無いので、薄暗い。  ただ、それでも「カメラ」は裏路地を見守っている。汎用性に重点を置いたそのカメラ達は、薄暗がりにある男女の姿をしっかりと映していた―――。 /  「協力者」は怯えきった声で問いかけた。 『……その、あなたは怖く――ないのですか?』 「何がでしょう?」  ようやく崩壊が落ち着いてきたホテルの成れの果てを見ながら、ポロシャツの男は問い返した。気持ちは落ち着いてきて、涙は頬を伝うも、表情は無である。 『これだけのことをして、こう、なんというか……不安になったりはしないのですか? こうして画面を見ている私達ですら、震えが止まらないというのに』  協力者は涙声でその丁寧な男に聞く。 「無論、怖いし、悲しいし、残念でたまりませんよ。これだけの“罪の無い”人々を巻き込んで、なんて酷い――そう、より怒りの感情が湧き上がります」  体格は並みで、ヒョロリと背の高い男。そのあまりに透かした感想。  自ら破壊して――何億ドルもかかった橋を壊し、何百人もの命を奪い、尚も破壊と殺戮を続けるその張本人が……怒りを湧き上がらせる??  協力者は意味がよく解らず、困惑した。 『怒り――って、自分に?』 「? 当然、“奴”に対してですが?」  最初、やっぱり困惑した協力者であったが――すぐに意味を理解して、その回答に背筋が冷えた。  どうやら、つまり――彼、いや、“彼等”にとって――ここまでの被害は全て、自分達のせいではなく、「対象がそこにいたから」という事実に基づいた責任転嫁で結論付けているらしい。罪の意識は無く、ただ、「酷い被害を目にして悲しい」と、まるで第三者の様相なのである。  協力者は顔を青ざめていた。この連中に、“普通”を求めることは無駄なことだと。 「それで、どうですか? 奴がこれで潰れてくれているのなら“いい”のですが――」 『あ、いや……生きています。経緯は計りかねますが、ホテルの裏、狭い路地に逃げ込んでいます』  無表情だった男は悲しそうな表情を映して、一層に涙を流し、目を瞑った。 「やはり、そうですか、残念だ。そしてトーマスさん。つかぬことをお伺いしますが……私が今いる地区はどこでしょうか?」 『えと、そこは……レオディルブロック(レオディル地区)、です』 「――レオディルブロック、なるほど、把握できました……ご協力、感謝いたします」  哀悼に心を染める男は真面目な声で、丁寧に感謝の意を表した。 「恐らく、これ以上の協力は必要ないと思います」  通話を切ろうと携帯電話を耳元から離す男。協力者は規模の大きさに今一察せてなかった。だから、男の問いにも素直に答えたのである。  まさか、そうだ―――「街」もそう、人が作ったものに違いは無い……。 「では――」 『ま、まってくれ!』  協力者は恐怖と不安に駆り立てられ、声を荒げた。 『これ以上何をするってんだ!? いや、今までの結果で、だいたい、なんとなく――そんなことは“無い!”と普通なら思うんだが……。私はもう、“普通”が信じられない。だから、もしそうなら――』  協力者のトーマス、彼はごくごくありきたりな人間である。そして、もう耐え切れなかった。これ以上の絶望に対する罪の片棒を担いだこと。また、実行者にその自覚が無い事も未知への恐怖を感じさせる。 「本当に、私も悲しくて、残念でなりません………」 『違うっ! ああ……頼む、もうやめてくれ。一体、何人の日常がそこに―――/  /失礼いたします」  ……通話は、一方的に終わった。  “双角の男”は目を瞑ったまま。あまりの恐怖に身を震わせた。  どうしてそこまで残酷なのか?  とてもではないが“奴”が理解できない。  自分のせいで、一体、何人の人生が奪われ、狂っていると思うのか?  自覚すらないのなら、軽蔑をより強めるしかないだろう。 「私達の親友よ。ようやく、君の死が終わりそうだ――」  目を開く。涙を堪えて。  「双角の男」は粉塵が舞う薄い視界の道路に歩み出た。  走る車はない。元より交通量の多い地区ではないが。あるとすれば、背後の店舗に一台、煙を上げているポンコツがあるくらいだろう。  交差点の中央で立ち止まる。  双角を屹立させて、彼はゆっくりとその場に屈み込み―――― /  裏路地の、崩壊したホテルの近く。未だ朱雀とカレンは離れずにいた。むしろ、近づいてすらいる。  朱雀は、「見られている」ことを理解していた。地上をいくら逃げようとも、それこそこの国から出なければ、決してその無数の監視から逃れることはできない。  ならば――「見られないように」すればいい。だからこそ、「今が好機」と焦っているのだが……中々見つからない。あえて倒壊が落ち着いたホテルの元に引き返しているのも、「出来る限り粉塵に包まれていたい」という考えからである。 「ねぇ、どうして戻るの? 何か大事な物でも置いてきた?」  カレンがしつこく聞いてくる。不安なのは解るが、「面倒だ」と朱雀は軋むような左手で額を掻いた。 「あ~、ライター忘れたんだよ」 「らいたー? そんなものの為に――って。あなた、コートに仕舞ってなかった?」  カレンは崩壊前のホテルで、コートに大切な喫煙道具一式を仕舞う朱雀の姿を、不満気に眺めていた記憶を思い出した。 「おっ、よく見てんな。さすが! 国家研究員は違うなぁ~、憧れちゃうなぁ~」 「えへへ・・・って! 冗談言ってる場合じゃないわよ!?」  詰め寄るカレンを本当に面倒くさそうにあしらいながらも、朱雀は地面にご執心である。  数秒後。朱雀は立ち止まった。  朱雀が屈んで開けつつ「ちょっと2人きりになれるところ行こうか」などと提案した。  カレンが「ええっ、もう。さっきシタばかりじゃない」などと照れ、直後に「って、そんな場合じゃないぃっ!!」と、鋭く切り替えした―――――― その瞬間。  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 「――!」 「きゃっ!!?」  ―――それは、音とは言えないものだった。  異様な衝撃が――無数の軋みと破裂の音を一斉に生じさせた、大音量の不協和音。  人間の耳には音として感じられず、「何かただならぬ事が起きた」とだけ伝える。 『そこにある空気が全て、一度に吹き飛んだ―――』  そう、錯覚してしまうような異常。  カレンが衝撃で一瞬、意識を失った。  跳ねるように揺れ、隆起した路地でカレンの体が傾く。朱雀は彼女を抱え、路地の亀裂を避けた。 “ガシャっ――”  寸前に鉄柵が落下する。  見上げた周囲の建造物は、程度に差はあれど、例外無く“ひび割れている”。 ≪ 衝撃に耐え切れず、背後の煉瓦家屋が瓦解する ≫ ≪ 窓に覆われた眼前のビルから、弾けたガラスが降り注ぐ ≫ ≪ 外れた電線が火花を散らせて地面で暴れる ≫  猛禽類の眼を持つ男は、現在の視界を次のように連想した―――  『 崩壊する文明を題材にした絵画 』  ―――降り注ぎ、迫る瓦礫やガラスの下。  ツバの広いカウボーイハットが特徴的なその男は、口元をニヤリと歪ませる。 「……イイいね」  一つ呟いた。絶望的で、この世の終わりに相応しいような光景の、何が「イイ」のか?  そうではない。そこまでヒネた発想はしていない。  人の管理を嫌う大鷲が、監視者の目を逃れて籠を立つように………  彼はとっておきのデートスポットへと、飛び込んだ―――――――― ||| 『ウふォッグフッ……! 会ったこともねぇーっつーの!』 「―――とにかく、留守は頼んだぞ 「ヤダ。頼まれないもの!  <<奇転の会/キテンノカイ>>  BLOCK3(R+L):アオヤマ  ――マイクがいるだろ。ほら、君もこいつに言い聞かせてくれ」  マイクは画面から出られないもの!」 『まあ、ああ、そうか。来てくれたのか――』 ||| BLOCK3(R) ACT0(B)  少し時間を戻して、場所は日本。東京都の、某所にある古びた木造家屋。  その地下室、乱雑かつ近代的な、家屋の外観からは想像もつかないような地下の部屋。  乱雑な部屋で口論する二人。情景だけ映せば、強面の殺戮者がモデル体型の金髪美女を脅し、拒絶されているかのように見える。  実際の所はどちらも雄であり、内容は出かける母を引き留める幼い子供のされであるのだが………。  巨大なモニターの前で、“玄武”はムキになってコーラを1缶、飲み干した。 「俺はな、あいつに一言わねばならぬのだ……」  青い髪の侍――“青龍”は、こんがらがった話の腰を戻す。 「エッぷ……じゃ、電話で言いなよ」  玄武は次のコーラの缶を開けた。 「だから、あいつが電話にでないんだ。これじゃぁ話ができない……太るぞ、玄武」  青龍はコーラの缶とポップコーンの袋を交互に指差した。 「いいもん、太ったらやせるし。 あ、ちょっとなら食べていいよ」  なんという自信! 増えた腹の段が簡単に減るとは思うなよ……そう伝えたい、若気の至りであろう。 「お。すまんな……いや、違う。そうじゃない」  伸ばした手を引っ込めて、青龍は首を振った。玄武は「うめぇうめぇ」とポップコーンを遠慮なく頬張った。 「―――つまり、放っておけないんだ、俺は」  声を強くして玄武を見据える。  玄武はシャクシャクとポップコーンを食べ続けている。 「アルフレッドは1人でやっていけるよ?」 「あんな者の心配はしていない! ……いや、少しは気にもかかるが、いや、そのな………」  そして、会話が止まる。 結果、“シャクシャク音”と機器音だけが部屋に残った―――。 “コツっ! コツっ!”  布で包んだ相棒、魂の一振りに頭突きをかまして、進まない会話への苛立ちを発散する青龍。どうにも説得やら説明やら、人に自分の意見を通すことが苦手な性分である。口下手であることは、あらぬ誤解も招くし、良い事が無い。自覚もある。  何ともシュールな状況。ポップコーンを頬張る音に、頭突きの音が交互に、心地よいリズムを奏でている。 【―――青龍様、もう出発なされたほうがいい。これでは日が暮れてしまいます――時刻検索結果=現地では、そろそろ日が落ちそうです】  電子世界の彼方。見かねた“マイク”が画面内から音声を発した。 「あーっ! マイクもそんなこと言うのか?僕を1人にしたいのか!?」 【私がいますよ】 「だから、マイクは画面から出られないでしょぅ!?」 【でも、お話も遊び相手もできます】 「じゃ、僕のごはんも作ってよ!」 【・・・・・・】  直撃した現実の壁。二次元と三次元の限界が、ここに現れた。  青龍は頭突きを止めて「ああ、それが嫌なの?」と納得した表情で顔を上げた。 【リ……料理の検索――情報平均の結果=“料理とは”――】 「龍ちゃん、行くなら僕も行く!」 【・・・・・・】  白い紳士は己の無力を感じ、画面内で膝を抱えて座り込んだ。 「飯なら用意していくさ。すぐ戻るし」 「それだけじゃないだろ! 僕一人が嫌なの! つまんない!」  頭数に入っていないことを「グサグサ」と実感して、マイクの顔はいよいよ膝に埋まる。  その間、迷っていた青龍だったが―――これも丁度良い機会かもしれない、と決心したように息を吐いた。 「―――玄武、よく聞けっ!!」 「な、なんだよぅ?」  張り上げられた声に驚く玄武。彼を見る龍の眼光はいつになく真剣、威圧している。 「――今日、ここから離れた地で、多くの人間が“死んだ”」 「……? うん、そうだよ。でも、離れてない場所でだって、人はいつも死んだり生まれたりしているじゃないかぁ?」  当たり前のことを言われて、玄武は首を傾げた。  玄武は至って幼く、心も優しいのだが……危険な部分もある。それは、“無垢の恐怖”。精神が幼いまま成長することほど、危ういことも無い……。 「あれだけの橋が壊れたんだ。どれほどの命が潰えたか――」  青龍は三白眼の瞳孔を縮め、手にしている己の精神を握り締めた。 「うん。橋が――壊れた、よ? でも、だって…………あれ??」  玄武は人が気付かない・気がつけないことを多く発想する。決して、愚かでも馬鹿でもないだろう。  少し発想の方向が人とは違う、それだけのことである。だから、気がつけることに気がつけないことも多い。  ――『外れ』の概念だが、それは必ずしも「優れている」ことに留まらない。言ってみれば、玄武のように「人と発想が異なる」というのも、1つの『外れ』なのである。  明確に『外れた!』と誰かが宣言しなくとも、実際それが通常と異なっていれば『外れ』になり得る。ただ、それだけでは「普通じゃない」の一言で片付くであろう。  『外れ』は、その「普通じゃない」中での、より「人間の行える枠からはみ出した」能力、性能を指す用語である。超能力者とでも言えば、昔からの馴染みになるだろうが、『外れ』はそこからさらに細分化された区別の1つと捉えて良いだろう。 「だって……だって、そんなこと………」  玄武はポップコーンの袋をギュッと掴んだ。蒼い瞳はもう、雫を溜められそうもない。  大きめの瞳から零れた涙が、ポップコーンの袋に落ちて染み込む。  彼の発想力は――想像力は常人の域を、人の域を逸脱しすぎている。その頭脳が、本日リングランドで起きた“大惨事”の意味を算出してしまった。 「あぁぁ……うぁっっぐ! ――!!」  先ほど笑顔で見た橋の画像が今、脳裏で再生を繰り返している。  彼の頭脳は高性能な再現のみではなく、それによって起こったであろう、数多の可能性すら映像化して綿密に表示を繰り返し始めた。 【――ジュニア、人が死んだから泣いているのですね?】  計算力ならこの兄を超える画面内の弟は、しかし発想することに慣れていない。マイクはまだ、“悲しむ”という心を会得できていない。  人間なら誰しも生まれながらに持つ「感情」も、分類すればどれほどの数になるだろうか。その1つ1つを無い者が得るためには、どれほどの「計算」を必要とするのか―――気が遠くなるほどの「計算」で得た感情は、それでも本物か、保証は無い。 「……すまん」  ある程度予想していた光景。青龍は怒りを忘れるほどの罪悪感に、己が胸を貫かれている。 「お前を泣かせたこと、それは謝る」 「――――ぐすっ」 「だが、俺は行かねばならぬ。お前を放置することも考えたが――俺にはお前の意志を無下に蹴り、その上で正義を貫く自信は無いんだ……」 「――――うぅ」 「――っ。俺は、あのような非道を見捨てては置けん――だから――その、つまり………すまん! 俺は行く!!」 「――――ふぐぅっ」  変わらず泣いている玄武。  青龍は迷いを絶って、後腐れない覚悟を得るつもりだったのだが……結局はかえって複雑な心境となってしまった。  どうにも吹っ切れないながらも、後ろを向き、階段へと向かう。 「ぐぬ………」  やはり、もう少し話すべきなのか? このまま放っては――・・・ 「―――龍ちゃん、頑張っね」 「!!」  急ぎ、振り向いた先。そこには椅子の上で膝を抱えながらも、小さく右手を振っている長い金髪の姿。 「……!!! すまぬッ! 帰ったら美味いざるソバを作ってやるからな!!」  そう言い残して、青い髪の侍は疾風のように階段を駆け上がった―――。  侍が去り、しばらくの間。 機械の音と、微かな泣き声が響いていた室内。  巨大なモニターの前には、ポップコーンを抱えながら、椅子の上で体育座りをする青年。  巨大なモニターの中には、検索をする余裕もなく、体育座りで考え込んでいる白い紳士。  ――そんな静寂を止めたのは、白い紳士だった……。 【ジュニア、私は迷っています】 「…………」 【かつて、あなたは私を“人間だ”と言いました。でも、私は“料理を行う”ことがまだ把握できていません】 「…………」 【そして、私はジュニアのように今、“悲しむ”という現象を再現できません】 「…………」 【そんな自分を嘲笑いたいと、“思考”することしか――】 「マイク」 【――はい、なんでしょう? ジュニア】 「“悲しむ”は誰かのを再現する現象じゃないよ。自分のオリジナル、自分だけの“感情”さ」 【自分の、現象ではない……悲しみ=感情? ならばそれは、“幸せ”と同じに?】 「……まぁ、そうだね」 【なるほど、1つの解釈を会得しました。ふむ……ならばジュニア。私は今、“悲しい”のでしょう】 「?」 【あなたが泣いていて、私は“悲しい”】 「――――」 【これは違いますか? それに、私は“人が死んで悲しい”とは思っていない。あなたとは違う経緯だ。……やはり、これは違いますか?】 「マイク、やっぱり君は人だ」 【――そうなのでしょうか】 「そうだよ、僕は再確認したよ」 【……ジュニアの言葉を聞いて。ああ、私は今、“嬉しい”! きっと、これは正解であるはず】 「…………」 【だが、“悲しい”。なんだかこの感情は“嫌”ですね……ジュニア、泣き止んでください】 「・・・君が僕に指示を出すのかよ」 【さぁ、そのつもりはありませんが? とにかく、まずはポップコーンを食べてください】  勝手な指示がきた。仮にもマスター、支持を下すのは自分のはずなのに……。  マイクに言われ、しぶしぶとポップコーンを1つ、口に入れた。  ―― ほんのりとした塩味が広がった ――  玄武は顔を上げて「美味しい」と、綺麗な笑顔を見せる。  笑顔を確認して、電子の生命は次の言葉を算出した。 【――おお、私は今、“悲しくない”!】 ACT3  約300平方km(=名古屋市・大船渡市相当)――その範囲。  国の象徴の1つでもある海上道路が藻屑と化し、崩れたその日。リングランドを更なる悲劇が襲った。  アッパーロード内のレオディルブロック。居住区にも商業区にもなれず、燻っていた辺境の区域が、再びの日の目を見ることなく、“崩壊”した。  全壊家屋は3割を越え、夕刻も終わろうとするリングランドの空に二次災害の炎が巻き上がっている。  ライフラインはあまりにも不自然に、完全に切断・破壊され、道路も至るところが陥没し、割れてしまった。  この異常なまでの局所的な被害。  ビッグブルー・ブリッヂ崩壊の一報には「テロだ!」と騒いだ各国のマスコミも、“アッパーロードのレオディルブロック崩壊”の報せには「テロ……なのか?」と、頭を抱えた。  彼らが頭を抱えている理由は、これが「地震」等の自然災害ではないらしいからである。被害があまりに局所的であり、地底に大きな異常はない。無論、地下鉄は粉砕されているが……。  だが、しかし。“しかし”である。  「テロ」とは言っても、それはつまり“人の所業”のはず。  できるのか? いったい、どのような装置や技術があれば、このようなことが―――。  すでに緊急のサイレンが鳴り止まなかったリングランドにこの事態。  それでもこれは「災害だ」とするしかなく、多くの人は“「残酷なテロ」と同じ日に、偶然「最悪の災害」が重なった”と悲観して、涙を流した。  “被災地”の渦中では、レスキューもどこから手をつければいいのか……そもそも橋の惨状がまだ片付いていない。  阿鼻叫喚に染まるレオディルブロック。  その一角。  崩壊したホテルの残骸に近い、かつて裏路地だった瓦礫の山を歩くポロシャツの男。  周囲では逃げる人、駆けつける人、助ける人、助けを求める人――どこを見ても“何かを叫んでいる”か“呆然としている”人しかいない。  毅然と、周囲を注意深く見て探す“双角の男”。 「酷いな……」  彼はそう言うと、一筋の雫を流した。  これで、あの狂人がひしゃげて潰れていれば彼らも報われるのに――と、より一層懸命に“奴”を探した。  確信はある。この状況だ。まして、この壊滅的な世界の裏路地に奴はいた。  親友の死は“終わった”。その自信はあるが、それを“おそらく”で済ませては彼の死も『おそらく終わった』となってしまう。それはダメだ、確実に終わらなければならない。  双角の男は理解している。自分が行ったこの圧倒的な一撃の効力と、そのリスクを。  今、彼らの絆を守護する「文明の目」はここに無い。これは仕方の無いリスクである。  しかし、そのリスクが「確認するのに時間がかかる」くらいで済むのならば、双角の男はこの一撃を『良い一撃』として満足する事だろう……。 「なぁ、あんた! 聞いておくれよ!」  粉塵で汚れた男が双角の男にしがみ付いた。 「――何かありましたか? 私でよければ聞きましょう」  今は急ぎたい所だが、この必死な男性を放ってはおけない。 「あのな、壊れちまったんだ!」  汚れた男は涙を流し、楽しげに笑いながら双角のポロシャツを引っ張った。 「壊れた……何がです?」 「俺のな、家族!生活!人生! ……世界!!? そうっ、そうだ!俺の世界がな!みんな、みんな――――ブっっっ壊れちまったん、、、だァっァっ……ぁぁぁぁ……」  汚れた男は言葉の途中から顔をひしゃげさせて、赤子のように泣き始めてしまった。  彼は泣き叫びながら振り返り、ある瓦礫の山を指差し、双角を見上げる。  何度もその行為を繰り返した後に、やがて汚れた男は瓦礫の山を見て、這い蹲るようにそれに近づいていった。  求めるその瓦礫から、潰された彼の世界の一部が赤い体液を流している。  双角の男は吠える犬のようになってしまった汚い男に歩み寄り、せめてもの言葉を贈った。 「“悲しむな”、とは言いません。ですが、大丈夫です。あなたの“壊れてしまった世界の終わり”は、きっと――もう、“終わって”いますから……」  涙が溢れ出る。どうにか明るい顔を作って――。  双角は汚い男の“不幸”を、自分のもてる最大限の敬意で慰めた。 /  リングランド、アッパーロードに近い空港。  危機を感じた出国者や記事を感じた入国者が雑居する外。VIP通路を迅速に、かつ違和感無く歩くフォーマルスーツの軍団。  12人のうち5人は大きめのリュックを担ぎ、その他はアタッシュケース1つで淀みなく進行する。  眼鏡まで一式揃えたスーツ集団の先頭。見るからに普通ではない体格。  やたらと動きに風格があり、何故か火薬の臭いを連想させてしまう、フォーマルになりきれていないその男。重量のある丸太も、片手で持ち上げられそうだ。  はち切れそうなスーツに収まった筋肉は、明らかにビジネスマンのそれではない……。  フォーマルな12人は、空港の外につけてあった3台のリムジンに分乗し、“キャップ”の支持を待った――――。 /  お父さんもお母さんも、僕が嫌い。  だから弟には部屋もご飯もあげるけど、僕にはあんまりくれない。  今日も学校は嫌だった。みんな、僕が嫌いだから。  だからビリーもケインも僕を連れ出して、プールに突き落とした。  道ですれちがったおじさんも僕が嫌いだった。  だからおじさんは僕をにらみつけて、手を払った。  公園であそんでいた女の子達も僕が嫌いだ。  だから僕がじっとみていたら、何か小声で話しあって、どこかにいってしまった。  ――でも、公園に座っていたおじさんは、僕が嫌いじゃなかった。  風邪をひいているのか、マスクをしているおじさんは僕が隣に座ってもそこにいた。  おじさんを見ていたら、頭を撫でてくれた。初めてだ。  それでも見ていたら、おじさんは宝物のカメラを僕に見せてくれた。かっこよかった。  おじさんの横にウサギのヌイグルミを見つけたので、見ていた。  見ていたらおじさんは、「大事にしてあげましょ」といって、ヌイグルミをくれた。  嬉しくって、僕は「ありがとう」とお礼をいった。  おじさんは笑ってくれていた。  優しくって、嬉しくて。僕は元気になってしまって……思わず嫌われる言葉をいった。  でも、こんな感じの言葉は初めてだった気がする。 『おじちゃん。もう、外れてるよ――――』 /  兄は、私を愛してくれた。 「バーディ、お前は賢い奴だ」  口癖のように私の頭を撫でながら、兄は私を褒めてくれた。  兄は無茶な人で、街中では誰とも知らない人を殴り飛ばすし、渋滞する道路を単車ですり抜ける遊びをしては、自分で考案した“ルール”に基づいた点数をつけたりしていた。  兄は記録を更新すると誇らしげに私に自慢するのだが、私はそもそもその遊びの仕組みが解らないので、いつも首を傾げるだけであった。そして、そんな反応でも、兄は楽しそうに笑っていた。  やがて私がそれなりの身長になった頃。兄に誘われ、彼のライブに行った。場違いだったと自覚はあるが、私が兄の弟だと解ると、皆、親しげにしてくれた。  ライブの中心にある4人の姿は当時の私への強い衝撃で、とっさにカメラを構えたことを憶えている。  ライブの最中、私はトイレへと向かった。気分は浮ついており、自分の兄への尊敬から、幸せな精神状態だったと今振り返っても思う。  突如、用を足していた私の視界に火花が飛ぶ。鉄の臭いが逆流して脳を突き、涙が溢れた。揺れる視界に、点々と、トイレの床に落ちる血の雫。  顔を上げた先には、肌の黒い、刺青が目立つスキンヘッドの男と、その仲間の姿が映った。  直後。髪を掴まれた私は叫んだのだが、自分の声以上に、スキンヘッドの男が取り出した刃物への恐怖が印象に濃い。  その時上げた自分の呻き声だか喘ぎ声だが解らない叫びは、今でも耳に鮮明だ。  トイレから血塗れで出てきた私を見ても、キマッテいた彼らは大して騒がなかった――元より騒いでいたからか。だが、私に気がついた兄はマイク越しに絶叫し、トランスに呑まれている観衆を殴り、蹴りで掻き分け、私の元に寄ってきた。 「バーディ、おい、どうした!? やりやがったのか、誰か!? こんなことを!?」  他にも色々言葉は飛び交っていたのだが、兄の血相を変えたこの言葉は印象的だ。  やがて、手近にあった椅子を持ち、喚き散らしていた兄――が、さっきのスキンヘッドを変わり果てた姿で連れて来た。その頭を殴りながら喚く兄。  私は、彼が何を喚いていたかは覚えていない――しかし、幸せだったことは憶えている。 /  おじさんとはそれからたくさん会った。  おじさんは僕を嫌いじゃない唯一の人だったから。  おじさんはいつも言っていた。 「繋がりは、暖かいでしょ? 絆は、頼もしいでしょ?」  本当はもっと早くに教えてくれるはずなのだと、おじさんは言った。  おじさんはいつも、「教わっても、忘れるのならしかたない」と残念に続けていた。  おじさんは、「もうあの言葉をいってはいけないよ」と僕に教えてくれた。  僕はおじさんの言うことをきいていたのだけど、つい、ある日。  僕はあまりにもわけがわからなくなって、ビリーに言ってしまったんだ。  前から言いたいなあ、とは思っていたのだけど……。  ビリーは前から「マッチ」なのだと僕は思っていたのだけど、やっぱりそうだった。  僕がいってから具合がわるかったビリーは、やっと戻ってきた教室でマッチになった。  みんな誰かが燃える姿なんて初めて見たから、びっくり。  僕は「おじさんの言うこときかなかったからだ」と思って、おじさんに正直に話した。  おじさんは、ちょっと残念そうにしていたけど、やっぱり僕を許してくれた。  それに、おじさんはどうしても言いたいときはおじさんに聞けばいいよと言ってくれた。  僕は嬉しくなって、おじさんにたくさんお礼を言った。  僕の宝物は今でも、おじさんからもらったウサギのヌイグルミ。  僕は今でも、おじさんが大すきなのさ――――。 BLOCK3(L) ACT1 「臭いし、暗いし、汚いわ」  女は鼻を摘んだ。 「その通りだなぁ……ところで、カルタニアはまともに水道の管理もできないのかい?」  男は周囲を呆れながら見渡した。 「イーグル、私の誇りを馬鹿にしないで。――これも、“外れ”の力?」  女は現実に広がっている光景を興味深く眺める。  ライターの火に照らされる水路。そこは先ほど新調されたばかりのデートスポット、『GESUI-DOU』。見渡す限り“崩壊”した場所で、2人の危機感が高まることうけあい。危険の中で、恋人との愛も深まるだろう。 「下がこれなら、上はどうなってんだろうな?」  微かな光が漏れている。朱雀は裂け目を見上げた。 「どうなってるって……気になるなら上がりましょうよ」  カレンはすこぶる現状が気に食わないらしい。朱雀のコートを引き、催促する。  それはそうだろう。汚水がすぐ横を流れ、ネズミが様子を伺っているような不潔の中の一等地である。デートもクソも無い状況だが、それでも少しは考えて欲しいと思うのが乙女の本心であろう。 「それはまだダメ。ほら、聞こえるだろ、“悲鳴”が。今出れば混乱に巻き込まれるだけだ―――それに」  ひび割れた壁面に背を預け、灯しっぱなしの火で煙草に役割を与える。 「ここは気兼ね無くふかせるからな。そこんとこは気に入ったぜ」  フワリ、朧灯に照らされ、煙が舞い上がっていく。 「・・・・・・」  呆れ顔でカレンは彼の口元を眺めた。クイとメガネの端を上げる。  朱雀は感情を隠す技術に長けている、と自信を持っている。それは確かに、勝負の場などでは抜群なものだ。しかし、敵意ではなく、深い興味を持って接してくる相手にとっては、いかな技術も想いに勝らない。 「―――イーグル。私は別に怯えてなんかいないから」 「ん?」 「どうせ私には言ってくれないし……考えがあるなら、気兼ねしなくていいわよ」  そう言い、彼の隣で背を壁面に着けるカレン。  彼女は知っていた。朱雀が気を遣って、賢明に事態の収拾を考える自分の胸中を隠している事に。  カレンは自分でも力になれることがある、と考えたし、例えそうでなくとも、せめて相槌役でもいいから悩む姿も全部、見せて欲しいと願っている。自分といるから気を遣うなんて、嬉しいけど同時に「嫌な要素」として思われることが不安で仕方がない。  朱雀は少し長めに息を吸い込んだ後。「ぱかーっ」と、煙を吐き出した。 「カレン、聞きたい事がある」 「気を使わなくていいって言ったでしょ?」 「“外れ”ってのは――例えば超能力者みたいに、色々出来るものなのか?」 「んもぅ…………色々って?」 「ある超能力者がスプーンを曲げ、同一人物が他人の思考を探れる――――とか」  “ゴツッ”、と瓦礫の破片がどこかで落下した。  カレンは少し肩を竦める。 「……っと。そうね、そういうことはまず無いわ」 「つまり“外れ”をイメージする場合、“秀でた”ではなく“特化した”で正解?」 「“尖った”と私達は表現しているわ。“外れ”の別称はルーラー。彼らは限られた法則・過程を用いて、決まった結果を得ているだけ」 「ルール、か。――――1人で複数のルールを持つ可能性は?」 「……ねぇ、イーグル。あなた、『指パッチン』てできる?」 「は? ああ、“コレ”か――」 “パチンッ”  勢い良く手の平に打ちつけられた中指が、破裂音を立てた。 「――『フィンガースナップ』はガキの頃からできるぜ、田舎者くん」 「へぇ。私はそれ、できないのよ……って。ウチの故郷さバカにすっでねぇ!!」  握り拳を作り、威嚇するカレン。 「なるほどな。“外れ”ってのは“それができるだけの人”――か。狙って特化するようなものでもなく、単に性に合っていたってな具合かな」 「……イーグル。あなたってば、ほんに、どうして私の感性を事あるごとに痺れさせるだ?」  お国言葉が収まらぬまま瞳を潤わせ、身を摺り寄せるカレン。 「痺れさせてゴメンよ――で、この“できる”ものが常軌を逸すれば目出度く“外れ”認定ってわけかい」 「ん~、昨日ちょっと言ったけど。“外れ”の力はさっきの『指パッチン』みたいに本来人ができる可能性がある――けど、普通じゃない力なの。でもね、その“普通じゃない”って定義が曖昧で、それだけでは区別できないの。だから、さっき言った条件に当てはまる範囲の、局所的な異常者を“外れ”として私達は扱っているわ。だからこそ――――」 「あ~っと、と! ありがと。いいね、サンキュウ、プリンセス。まぁ、大体“奴”のやっていること・やれることが大体解かってきたかな」  人差し指でカレンの唇を止めて、朱雀は早口で言葉を発した。 「や、“奴”って、あなたを狙っている“外れ”の力が解かったの?」 「……最初な、『建造物を破壊する』ってものだと思っていたんだ。だが、それじゃぁさっきの景色とここの状況の説明がつかない。つまり、もっと“結果”の枠が広いのさ」  くるくると人差し指を回す朱雀。 「広いって……」 「たぶん、奴は『人の作ったもの』を破壊できる。そして、おそらくそれは遠隔的なものではなく、比較的直接的な、“過程”を必要としている」  煙を吐き出し、携帯灰皿に吸殻を捨てた。 「……随分言い切るわね。まぁ、あなただから確かなのだろうけど」 「推測でも、“少しでも答えに近づく”ことはいつでも大切さ。推測なしに日々を突っ走っていると脳がだらけちまう。足し算引き算は数字以外にも使う物だろう?」  ポケットから取り出した朱色の携帯電話。 「あなたはしなくてもいい計算をしすぎよ」  カレンの皮肉に、わざとらしく苦笑う。 「天性でね、こいつはオート機能なのさ。ついでに、“力の結果”の根拠はまぁ、現状から判断して? “力の過程”の根拠は被害の規模。遠隔的にできるなら、俺らの車だけ壊せばいいし、俺らの部屋だけ潰せば良い。確実性を求めるにしても、この大味な被害だとより不確実になるだけだろう――事実、俺たちは生きている」 「それは、あなたがしぶといだけじゃないの?」 「それもあるかもな――だから、ちょっと幾つか確認したいことがある」  携帯を操作して、耳元でそれを構えた。 「まー、イイケドネ。………また、あの女の人?」  カレンが目を半分程閉じて彼の横顔を睨んだ。 「……盗み聞きしないでください。恋人でもプライバシーは大切に」 「相手の人、たまに不必要なほどおっきな声だすから、そこだけ聞こえたの」  静かな声で、睨み上げるカレン。  その頬にもう片方の手を当てて、顔を近づける朱雀。 「ん、なに? 機嫌悪いじゃん」 「そりゃぁ悪いわよ。こんな臭くて汚くて暗い場所に連れ込まれてさ!」 「――それって、そんなに大事なこと?」 「大事よ!」 「俺が隣にいるんだぜ?」  帽子の広いツバを上げて。朧灯に照らされた顔を、彼女に近づける。 「……そうね」 「臭いのが気になるなら、俺に抱きつきなよ。キスだってしていい――それで他は気にならなくなる」  そう言いながら、彼女のメガネを取る。 「もう! なによそれ。全然、解かんないわよっ……!」 「暗いのが嫌だって? これくらいの明かりが良い――だろ?」 「……そうかも」  メガネを外されたカレンの視界はぼやけたが、すぐそばにある大好きな彼の顔は、はっきりと映っている。  寄り添う体。2人の唇が触れ、舌が絡みあ――― 『 へぇい、ボォ~~イ? 』  不必要なほどおっきな呆れ声がケータイから飛び出した。 「んぁっ!?」 「へがっ!?」  驚き、離れた2人。朱雀は口を押さえている。 「――んぎぃ~っ! もう!」 「ふぉい、へめぇ! はむんはへぇろ!」  カレンは裏切られた期待に歯を軋ませ、朱雀は噛まれて麻痺した舌で怒っている。 『電話してきたのはそっちでしょぉ~? なんか言うことあんじゃなぁいのぉ~?』  電話の相手である「ロイ」は非常につまらなそうに、だらだらと話しかけてきた。 「くぁ……がぁぁックショウ! そうだよ、あんたの声が聞けて俺は嬉しいゼ!!」 『あたしもよ、可愛い私の朱雀ちゃん。とりあえず、生きていてくれて嬉しいわ』 「ああ………そう思うほどの事態なのか」 『そうね。“アッパーロードのレオディルブロックが崩壊した”って情報が舞い込んだ時はさすがに意味が解からなすぎて、一瞬意識が飛んだわ』  ロイの言葉に若干の戦慄はあるものの、それも予想ができていたこと。最悪の推測は外れたので身震いするほどでもない。 「なるほど、範囲はそれか。それにしても……本当に節度がねぇっつぅか………」 『あなたたちはどこにいるの? レオディルにはいたんでしょ』  朱雀はちらりと周囲のHOTな状況を見渡した。 「ああ、俺らは今、“下水道デート”の最中ス」 『あらまぁ。最近の子は進んでるってレベルじゃねぇわねぇ・・・へ? なに? てことはあなた――下水道であんな言葉をほざいてたわけ!?』 「あ、どこから聞いてやがった」 『……ん~、そうねぇ――あなたが隣にいても、ねぇ。煙草臭いだけよ』  唾を水路に吐き捨て、「んなこたぁどお~でもいい!」と言葉も吐き捨てる。 「まずは彼女の安全を最優先したい」 『身軽に動きたいから?』 「キレますよ」  眼光が鋭く尖る。その視線は、その先に無いカレンを硬直させる程の威圧。 『あなたを退けるのは骨――というか脊髄が折れそうね』 「――――チッ」 『……12人、アッパーロードに待機させているわ』  ロイの言葉。 朱雀は口の端を上げて、帽子のツバを下ろした。 「そろそろかなって、当てにしていたよ。ただ、今回は状況が状況……」 『隊長はエイトリックスさんね』 「! えッ。おっさんが来たの!?」 『うん、行っちゃったケド――不満?』 「不満は不満……だが………」  余裕のある表情をカレンに見せる朱雀。  会話はカレンの耳にも漏れていた。彼女は今後の流れを予想して、不機嫌そうに彼を見上げた。  エイトリックス――朱雀がその名を聞いて安堵したのは、彼がロイの腹心であり、また以前に何度が面識のある男だからである。  やや豪快な性格が難点と言えば難点だが、人を横柄にも役立たず扱いすることが多い朱雀が、「こいつは頼れる」と素直に思う数少ない人間である。 『OK、すぐに向かわせる。あなたにも下水道の地図を送ったから、上手く合流してね』 「――待った。合流はここからもっと離れた場所で」 『? どうしてかしら』 「奴ら、守護の目を、“国内カメラ”を味方にしています」 『……そう、おかしいわね。私もそれを利用したのだけどね。私に嘘をつくなんて、フフ。――ちょっとかかるけど、停止させる? 短時間なら影響は少なく済むわ』 「いや、停止はマズイ。こっちの頭脳派(笑)達も使っている」 『あっ、彼らも動いているのね。……な~るほど、何者かが資料を閲覧したと思ったら』 「すいませんねぇ、あいつら物事の分別ってやつがまだつかなくて」 『別にいーけど、一応伝えておいてね? “極秘データを勝手に見るなー!”って――――それで、私は“不義”を裁けばいいわけね』 「とりあえずはそれで。ただ、合流までにあいつから期待通りの“報せ”がこなければ、停止しちゃってください」 『止めたとして、その後は?』 「しばらく潜んで、姉さんが絞めた所から逆算していく。ただし、あまり時間を喰えば“アッパーロードと引き換え”になる」 『……彼らの働きに期待しましょう――っと。そうだ、朗報よ、朱雀くん』 「――なんスか?」 『あと2、3時間したら“サムライシェフ”がそっちに着くワ』 「・・・・・・・・・・・・ゲ」 『それじゃっ! ふぁいとね、スザク君!』  ――勢いのままに、切られる通話。 「………マジかよ」  ようやく事態収拾の目処が立ったというのに、と朱雀は嘆く。  ふと視線を落とすと、足元で座り込んでいる女性の姿。彼女は露骨に不満気だ。 「あのな――まとめると、ここからちょぉっと歩いてから、お前を護衛の方々に預ける」  カレンは彼を無視するように黙っている。  小石を1つ拾い、流れが変わってしまっている水流に投げ込んだ。 「嘘つき」 「あん? 今更なんだよ」  カレンは彼を無視して黙った。  また小石を1つ拾い、ひび割れているらしい対岸の壁に投げた。 「なんだ、俺から離れたくないってか?」 「………」  カレンは、メガネをクイと上げた―――。 「ま、“嘘つかれた”と怒られてもいいさ。俺は奴を撃つ」  カレンはメガネの奥の瞳に、薄っすらと涙を溜める。 「それに、例え嘘をついたとしても、君を守る最善を尽くすのさ‥‥‥」 「!?」  暖かな温もり――――カレンは小さく「ぁ」と声を溢した。 「君が、好きだから――俺は“死なない”。死んでお別れには、早すぎるだろ?」  しゃがみ込んで、包まれる。頭を撫でる手が、幸せで、気持ち良くて。決まった銘柄の煙草の臭いが、いつの間にか彼の香りに。  今になって彼の言葉が、彼女の中で「そうかも」と思えた―――。 ACT2  乱雑かつ、高度な部屋。巨大なディスプレイには、白い冬を舞う、無数の雪のようなウィンドウ。過去・現在入り乱れる7万余の動画が敷き詰められた巨大なモニターは、“彼ら”以外にはただの白い光にしか見えないだろう。  嘲笑交じりに朱雀から「頭脳派」と評された2人の本領は、情報戦における反則的なまでの強さにある。  具体的には“マイク”という存在が厄介で、彼は数字で構成された情報の渦に対し、手で触れて、指で摘まみ、邪魔なら「物理的に」どかすこともできる―――三次元に例えれば、「最近太ってきた問題に対し、地球の質量・回転はそのままに、重力を若干弱めることでこれを回避しました」と無茶を行っているようなものである。何のコストも無く。  何故そんなことができるのか。それは、本来手を出せないはずである「少し上の次元」から「少し下の次元」を操作できる、という彼の存在位置の特質性が可能としている。  厳密には今、私達のいる“ここ”が三次元というには、いくらか人間の「定義」であることへの意識が希薄に思われる。“ここ”が三次元で、例えば画面の中が“二次元”なら、私達はパソコンの中に一切の情報を知覚できるわけがないのである。  この「定義」を無視して考慮して、初めて「マイク=フロイス」という存在に友人として接する権利が云々~と、昔、彼のかぁちゃんが言っていた。 【朱雀様の会話を確認。彼らはレオディルの地下、下水道にいます】  ウィンドウの中心位置、無数のそれらの1つに、マイクはいる。 【追加情報:奇転の会+カード=発注による該当無し、ですが、個人のデータに残骸を確認、復元結果を表示します】  イヤホンから聞こえるマイクの声。長い金色の髪に緑色のイヤホンが金属的に輝く。  戦慄を覚えるほどに美しい存在は、白衣の両腕を胸の高さ程に上げ、宙で手を泳がせる。  指先の軌道は水色の輝きとなって残っては消え、時に“叩いた”宙は波紋を広げた。  一切の他を寄せ付けない表情で、玄武は“必要”を選択して纏めている。 【情報:「マリーポ=パルキア」=現在情報を――  【追加情報――  【ジュニア。質問ができま―― 【追加情報:ディアブr――    【失礼、間違えました―― 【情――  【追加情報:レオディル崩k――   【ジュニア。これをご覧くd―  【ジュニア―― 【追加情報:「ヴァイオレット=ステルピノ」=遺品リストを表――  玄武の脳内で選別され、処理されていく映像と音声。それは蜂の大群が1つ1つ、情報という名の針を知識のブロックに差し込んでいく様を彷彿とさせる。 「通知:ブラザー。私は朱雀と通話を開始する→常態は継続・負担増加に対応せよ」  玄武が冷えつくほど冷静な指示を出した。 【了解。不要アクティブ削減開始―――完了いたしました】  返信を得て、玄武は朱雀との通話を開始する。取得した“必要”を伝えるために。  2コールで朱雀への情報伝達が開始された。 「やァースザクぅ! へぁあ~っとね……えあ~っと……あれ? ねぇ、マイクぅ」 【――ジュニア。まずは朱雀様を狙う者の情報を伝えましょう】 「オオ、そうだっだか!」  ケラケラと笑う玄武の姿。マイクは【状態維持――不可能】と嘆いた―――。 ACT3 「オーけぃ――また後で掛け直すから、今度は“マイクと”変わってくれ」 『あい・アイ・サーっ!!』  元気の良い返事を確認して、通話を切る。  間もなくロイが手配した連中との合流地点。しかし、カレンは距離が迫る毎にどんどんと顔色が悪くなり、せっかく朱雀が整えた心情も、やっぱり荒れたものになってきている。  原因は、計画の概要を朱雀に知らされたことだろう。そこに、カレンの機嫌を損ねる決定打が存在していた。 「――なぁ、もっと愛想よくしとけよ? そんなんじゃ第一印象悪いぞ」 「知らないわ。それに、そいつら男なんでしょ? ケッ」  カレンは彼の手をしっかりと握りながらそっぽを向く―――。  カレン=ミリタナは基本的に男性が嫌いだ。恨み、憎んですらいる。  彼女は同僚の男性に対しても一切の感情を見せず、研究者としてそれなりの評価を得た今も、その強い警戒心と無感情さから「沈黙の探究者」と陰口を言われている。しかし、それも彼女の経歴を知らない人が言うのみで、知っている人は誰もそんなことを言わない。  朱雀の前でごく平然と、むしろ喧しいくらいに我が侭なその姿は、同僚が目撃しても彼女の双子の可能性を疑うほど、信じがたいものなのである。  カレンは何よりも、誰よりも自分の辛い部分を知っている朱雀が。よりによって見知らぬ男に引き渡そうとする、その発想に憤慨していた―――。 「はぁ……大丈夫。今会う奴らはただの鬱陶しいオヤジ共さ」  彼女の手を引いて、朱雀は手の平を泳がせた。 「―――やだよ、イーグル」  脳裏のビジョンから目を逸らし、不意に足元が揺らぐカレン。朱雀は「おっとぅ」と、彼女の体を受け止めた。 「あ……ありがと」 「どういたしまして、お嬢さん?」  ニッと少年のような笑顔を浮かべた無邪気な彼に、カレンは見とれた。  ――足音。  背後の気配を察し、朱雀はゆらりと振り向く。  ぼやけた灯の先に暗闇。暗闇に急な光が開き、その強い灯りが男女2人を照らした。 「…………グ」  光源で目が眩む。  下水道でデートをしている若い男女に、スーツ姿の3人組みが近づく――。  やがて、彼らは停止した。夜も深い時刻にこの場所。人のことは言えないにしろ、明らかに場違いな彼ら。  真ん中の、毛布を片手に抱えた逞しいスーツが二キッと健康な歯を覗かせた。 「久しぶりだな、アルフレッド・・・おや、少し背が伸びたかい?」  低く、ずっしりと重い音域の声が下水道に響いた。  衣類の上からでも有り得ないくらい隆起した筋骨の逞しさがくっきりと判る。顔つきは年齢相応に、経験から裏付けされた自信に満ちている。 「成長期は終わってるって。そういうお世辞は虎に言ってやんな」  ようやく慣れた視界。朱雀は目の前の逞しい人を視線に捉えた。 「おっさん、積もった話は――まぁ、そもそもないか」 「おいおい。後でたっぷりお話しようぜ、アルフレッド? 娘の話とか、あるだろ?」  “エイトリックス”はその重量感溢れるボイスで甘えた表情を浮かべた。  面識がある、と言ったがそれは一度ではない。朱雀とエイトリックスは何度も会っており、年齢に差はあれど、互いに信頼した友人関係にある。エイトリックスは、反抗精神バリバリな朱雀を平常に抑え込める、数少ない人間といえよう。  筋肉質なノリに怯え、カレンが朱雀の背後に隠れた。 「あるだろって。俺はしらねぇよ、あんたの娘の現状なんざ」 「今年で10歳になった。この前はパパと釣りに行ってな」 「だぁぁっ、だからそんな場合じゃないっつの!」  朱雀は面倒臭そうに後頭部を掻いた。 「はっは。OK、解かっているさ。――その子を護衛すればいいんだな?」  朱雀の後ろを指差すエイトリックス。カレンはロングコートの影に顔を引っ込めた。 「ああ、頼むぜ。くれぐれも“カメラ”に注意してくれ。それとな……彼女、ちょっとシャイなんだ―――」  声色を強くして、朱雀が含みを見せた。  エイトリックスは真剣な様子の朱雀からある程度を察し、気を引き締めた心持ちで、しかし表情を緩めて彼女をエスコートしようとした。 「任せな。――それじゃ行こうか、お嬢さん」  毛布を広げて待つパツパツのスーツ姿。だが、カレンは朱雀から離れない。 「カレン、言っただろ?」 「………」 「心配するな、ちょっと行って終わらせるから」 「………」  カレンは黙り込んで、彼のコートをしっかりと握る。 「カレン……」 「――私、すぐ泣くからね?」  ようやく口を開いた。  朱雀とエイトリックスが顔を見合わせて肩を竦める。 「そうか――おっさん、この子すぐ泣くそうだから、こまめにキャンディをあげてくれ」 「アップルキウイ味しかないが。これでいいかい、お嬢さん?」  はち切れそうなポケットからキャンディを1つ取り出す。 「……馬鹿にしないでよ! そんなんじゃ泣き止まないわ」  カレンは眼鏡越しの眼光を鋭くした。 「あらら。店員さん、もっと彼女がウキウキするようなスイーツを・・・」 「ふむ。おい、フェレット。お前ガム持ってたよな? 甘いガム」 「ああん!!? 隊長ぉ、俺のガムはキンキンのキシリトールだぜ? 甘かねぇ!」  エイトリックスの脇に控えていたこれまた厳つい、口髭のある男が、白熊柄のガムを取り出して誇示して見せた。 「あ、それのほうが――って、そういうことじゃないの! ・・・だからいらないってば!!」  カレンが差し出された白熊柄のガムを拒絶する。  残念そうな部下を尻目に、朱雀は彼らに背を向けた。 「アハハっ……カレン、いい子にしてろよ」  優しく言い残して、赤黒いロングコートは歩き出す。 「―――ぁ」  後姿を向けて手を振っていた彼は、やがて手元の火を消して、完全に闇へと紛れた。  その姿は目立つはずだが、不思議と自然で‥‥‥。  カレンはその虚空を見つめ続けていた。  やがて、爽やかな笑顔で促すエイトリックスらに保護されながら。彼女は毛布で身を隠し、何度も振り返りながら、地上へと登っていった――――。 ACT ETC  朱雀は1人、暗闇の人工洞穴を歩く。時折地上より差し込む月明かりで、彼のシルエットが浮かび上がり、また消える。  先刻の事。あえて、朱雀はそのことには触れなかった。  カレン引渡しのどさくさに、エイトリックが放った小さなソレ。 「もう、必要ないだろ」  それに向かって小声を発し、下水道の汚水に投げ捨てた。  何かと言えば、“盗聴器”である。エイトリックスにその必要はなかったのだが、彼のボスが支持して付けさせた。  最新鋭の一品で、近づいても肉眼では判別難しい超小型のソレ。  放り投げられたソレからワクワクしながら耳を立てていた、遠くの地の女。彼女は「ああっ! バレた!」と声を上げて悔しがった――・・・。  それから数十m。下水を迷いなく進んでいた朱雀。   彼はある地点で立ち止まった。   前方に開かれたマンホールの明かりが赤黒いロングコートを照らす。   先ほど消したライターに再び火を点け、煙草の煙を吐き出した。   円形の狭い空から降り注ぐ蒼い月明かり。   崩壊した下水道を流れる汚水に光が反射する。   光により、濃い影を携えて。   青い髪の侍は、布に包んだ“精神”を強く握り締め。体は自然に――立つ。  一帯はその切り裂く威圧感に怯えたのか。豪と流れる水音は小さい。  半身だけ光を浴びた赤い男 / 頭上から光を浴びる青い男  「なんの用ですかねぇ―― / ――なぜ、電話に出ない」  向き合う二匹。  激しい憤りに身を震わす侍は「外がどうなっているか、知っているのか」と問う。  冷静に煙草の煙をふかす銃士は「知っているさ。大体この目で見たから」と返答。 「ならばっ――」 と、怒る龍が咆哮を上げている。 「知るかよ――」 と、翼を畳んだ鷲は欠伸をした。 「知るかよで済まされるか!!」 「なんだよ、俺が悪いみてぇに」 「悪くはない。だが、守るべき“責任”、通すべき“義”があるだろう!?」 「てめぇが俺の“それ”を決めるのか? 俺には俺の“最優先”があんだよ」 「今日、どれほどの者が死に、今、どれほどの人が助けを求めていることか!」 「助けろってか? 誰を? それもてめぇが決めるのか? 責任持てんのか?」 「“精神”を持つことが大事だろう!? 少なくともお前が引き金なことは事実だ」 「なんだ、つまり哀悼の意でも捧げろってか? いいゼ、“どうか皆さん安らかに”」  直後、侍の表情は鬼人と化す。  剥き出した歯が軋み、三白眼は血走り、右腕に血管が浮き上がった。 『朱雀、この阿呆ッッッ!!』  侍は包んだ布を解き、鞘から刃を抜き出す。  銃士は尚もコートから何も出さず。ただ、煙をふかした。 「……なんだ、殺るのか?」 「―――」 「お前のハッタリにはもう飽きたよ。その信念は脅しの道具だろ?」 「腕の一本でも、斬るしかないようだな」 「やってみろ。できたら拍手してやる……ああ、“無理”か」  挑発の直後。  青い残影が動き、銀の軌跡が半円を描いた。  切断された先端は落ち、赤い体液が垂れる。  僅か。指に触れた刃は停止し、目の前で銀に輝いている。  落ちた火種は水気で消え、煙の出ない煙草は捨てられた。 「――な、言っただろ。“飽きた”って」 「…………」  青い侍は表情を震わせながら、瞳を瞑っている。 「“なぜ助けないか”って? 俺は自分が守りたい人を決められるからだよ。お前がそんな幸せ物語みたいな理想を言えるのは、単に守る最優先を決められない、優柔不断な性格だからだろ」  青い侍は瞳を開くと、その信念を鞘に収めた。  赤い銃士に背を向け、光が射す円の下に立つ。 「どうすんだよ。せっかく来たんだ、観光でもしていけばいい」 「……俺は俺なりに探し、助ける。生憎、嘲笑には“慣れている”からな」  地下から飛び上がり、侍は――青龍は、混乱治まらない地上へと駆け出した。  銃士は――朱雀は、落ちた煙草の破片を拾い、それを灰皿に仕舞う。 「まったくよ……余計な実感もたせてくれやがって――ちっとは気遣えよな」  面倒臭そうにツバを吐き捨てた後、朱雀は再び下水の闇へと消えた。 ――やがて地上に、1人の男が登ってきた。  ツバの広いカウボーイハットに、赤黒いロングコートが特徴的なその男。  サイレンやヘリの羽ばたき音が絶えない町を適当に歩いた後、頭を掠めた不安に足を止める。  今にして思えば、ピチピチのスーツは見るからに怪しい。誰が見たって“異質”だ。  もっとも。そこまで見られないとは思うが‥‥‥。  彼は念のため、万が一のために。 「まあ、ああ、そうか。来てくれたのか――」  と、一言呟いて。朱色をした文明の結晶を取り出した―――。 /  すっかりと、天は夜闇に変化した。銀色の双角から眺めるアッパーロードの町並みには、無数に点く明かりの数々。  ある方角、夜空を照らすオレンジと、巻き上がるグレーは治まらない。  ―― 十分な空間の中央。  一点だけ灯された電球が、黒いソファにガラスのテーブル、木製の本棚を照らす。  ―― スポットライトに当てられて。  マスクを外した彼はソファに腰かけ、趣味の道具の手入れをしている。  ―― 部屋に流れる。ハスキーボイスの、ジャズ。 /  夜空を火炎の灯りが照らす。  煉瓦家屋は火に強い……といってもそれが“家屋”の体をなしていればのこと。瓦礫となり、ガスが噴出し、古風な家の残骸ではガスボンベが爆発する。  一方では溢れる汚水が陥没した道路に溜まり、瓦礫に埋もれ身動きできない人々、地下に閉じ込められた人々を徐々に衰弱・溺死させる。  瓦礫の世界は残酷で、自分達の意図に無い世界は圧倒的で、絶望的で。  大地震が発生するより、これは容赦がなかった。自然はここまで露骨ではない。  瓦礫の上を歩き、火の粉を浴び、泣き叫ぶ人々の声も聞こえず。  双角の怪物は“崩壊の世界”で探している―――――終わりを、求めて………。
前話<<  >>次話