―本章、神の節― 其ノ三

 山梨山中に浮かぶ謎の赤い球。  なんぞ、なんぞと興味津々な者が近寄る。  それは言ってみれば「真夏の蚊」に過ぎない。  蚊は、叩かれてつぶされてしまうものである―――。 動景 4、 「 分神 」  空に浮かぶはゴージャス。その狐は仮面も金なら着物も錦の金×金×金!  荘厳・美麗にしてよくよく目立つ井出達にて出迎えの任を賜りし、金の狐! 「よいか...落として“良い”のは仕掛けた者のみ。罪無き、弱き命を無碍(むげ)にはするな」 「何度もそう、おっしゃられるでない、耳に来おる。 私を信じぬか、主神様よ」  “辰”の文字に切り抜いた扇子(せんす)で仮面を冷やす金の狐。扇ぐたびに銀粉が下賎の地へと振り落ちる。山で茸を採っていた夫婦はもろにこの純銀の粉を被った。  喜ぶかと思いきや2人は「この季節に花粉がこんな……」などと苦々しく取り払っている。  山梨の山中。昆虫が盛る夏の山林は騒がしくとも、人はそれに文句を言うものではない。  人が祭りを行って文句を叩き付けてくる昆虫などあるまい。お互い様であろう。倉島(くらしま)のじいさんもこの季節になるとそう言う。 「ま~た茸(きのこ)採りくさりおっテ!」  行楽のシーズンでもある今。山道に捨てられた空き缶をビニール袋に入れながら、倉島のじいさんは無断に茸を採っている夫婦を遠目に睨んだ。  倉島のじいさんを怒らせるのは何も茸の夫婦だけではない。ゴミを捨てる若者や子供をしっかりと見守らない親もそう。ついでに、昨日の夕刻頃から山の上空に浮いている赤い球体もいけない。 「かってにぷかぷかぷかぷか飛ばしおってのぅ。あんま勝手してっとぉ、山神様が雷落としよるぞ。ほんに、身勝手ばかりじゃ!」  怒り心頭の老人が見上げた遥か空の赤い球。  赤い球を足蹴にしている金の狐。狐の眼界には雲海が広がっている。  無礼にもとんでもないものの上に立っている狐さん。足下の神が雷でも落としそうなものだが、その罰則は彼の所業故、他の神に頼らねばなるまい。 「くれぐれも...くれぐれもぞ」  赤い球体内の神は己の分神を強く諭した。 「――――」  金の狐は周囲を1週ぐるりと確認して、「フ」と笑う。  かつては鳥しか居なかった空も、今は人が入り込んでいる。 「侵攻ではないか? そこは領分ではなかろう。なぁ、人よ」  遥か彼方を飛ぶ3つの影。彼らは編隊を崩し、3方向に分かれた。遠目に理解したことは、それが今朝方撃ち落した物と同じだということ。 「曰く、F15とやらは他国の品らしいな。いよいよ愚かな。やはり、我等が統治せねばこの程度。裏神は神ならずよ――――」  金色の狐が全身に炎を沸き立たせ、雷を左右の腕に迸らせる。  空が歪むほどの圧縮。周囲を無にし、真の空と化した分を集めた風。それが暴虐の限りの速度を金狐に与えた。  音に速度があること、音の速度を超えること。その発想が無かったその昔にも、己はただ動くだけでも鳥を落とし、山を抉り、通りを巻き上げる。そんなことは知っていた。だが、その破壊が己にも向いていることは「おそらく」とは思いつつも認知はしていない。  何故なら、音の先に生じる衝撃波の“斬撃”と言うには激しすぎる破壊の波は、金の狐を傷つけたことが無いからである。  切り裂かれた空が発する音……。  ―― 秒 ―― 『未確認球体が何かを発射した! ミサイル? 戦闘機!? いや――これは・・・??』   目視はできない。ただ、レーダーに映る点を見て「ミサイル」かと。  影だけ見える。遥かな距離故に有った認識から「戦闘機」かと。 姿が見えた。亜音速の飛行の最中、併走するそれを見て「ああ、人」なんだ、と。  ―― 豪 ――  と、盛る火炎。瞬時に国家主力戦闘機を鉄塊に変えた熱量の凄まじさは、その場、その瞬間に太陽が在ったとも思う力量。  熱鉄の隕石として山中に落下していく姿に、その仲間は『やられた、撃墜された!』などと身内の者共に伝えた。それは共に空を駆っているもう1機にもそうなのだが、それは通信と同時のこと――。  ―― 毘 ――  なる音が天を振動させる。刹那に現れた、“黄金の輝きを放つ電力の線”は鋼鉄の鳥を貫いた後、虚空(こくう)に散った。鳥もまた、爆炎と共に虚空を散る。  残りの一羽が、黄金の粉を撒いて宙を迂回する人の姿にミサイルを叩き込む。だが、狙いを人に向けるなど想定していないミサイルは、共にまともな軌道を描けはしなかった。  よって片方のそれが、無防備にも宙に止まった金の狐に命中したのは偶然以外の何ものでもない。  爆発の衝撃で吹き飛ぶ狐だが、一定距離を飛ばされた後に停止し、「およよ」と体のバランスを戻した。 「ほう、小さきと思いきや、間近で見れば大きなものであったな。しかし、現代は不思議よのう……」  再びの暴力的な速度を得て、遥か上空のさらに天を登る金の狐。  下等な鋼鉄の鳥は雀とは異なる。人が作ったそれは、数十億という金をつぎ込んだ代物。  ――だが、所詮金銭などは人の価値観。神とその眷族(けんぞく)には無価値。  例えその値段と技術の素晴らしさを知っても、金の狐は躊躇(ためら)わず粉砕するであろう。無論、そこにある人の命は「無いと何が違うのか」とすら思わない。  昇る昇る、空の外へ。出でた漆黒の天は永久に深く、寒きこと限り無し。  黄金の袖を廻し振り、銀の粉を放出燃焼し、体を回転させて大気の壁を破り入る。  無限なる黒天から星の中へと突破突入した金の狐。音速を超えて逃亡を開始した鳥に迫るそれは、雷と炎が合わさりし流星。  天外から降る勢いも乗り、音の7倍を得た速度にとっては鋼鉄も霞(かすみ)に等しい。よって、最後に残った哀れな鋼鉄鳥は天の中で“消滅”することと相成ったわけである。  ・・・・急減速をするものの、久方ゆえ加減が利いていなかったらしい。地面に時速千百七十km超で衝突した狐は山肌の一部を凹ませ、周囲の木々を薙ぎ倒した。  もうもうと立ち込める砂の煙。そこで身を起こした金の狐は一切の汚れが無い着物のズレを少し正し 「かつて、花火は空に撃つものであったが……ム! おお、そうか。あれは“みさいる”というのか。そうか、そうか」  と、頷いた。ハタハタと揺れる扇から銀の粉が周囲に舞う。  風圧で倒れ。ようやっと起き上がった倉島のじいさんは、その狐を視線に捉えた。  荘厳な出で立ちの狐の仮面。その異様な姿に畏れ、同時に納得もした。 「ほれ、見たことか! 山神様の使いがおいでなすったぞ!」  倉島のじいさんは膝を着き、手を合わせて山に祈りを捧げている。  爺さんの視線の先。  さあ、赤い球に戻ろうかと蚊退治を終えた金の狐が飛び立った。同時に、金の狐に指示が入る。  ものはついで。道に迷った黄土色に代わり。金の狐は目的の在る都へと向かった。今度こそ程度を押さえねば、と自重しながら――――――。
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