―本章、神の節― 其ノ五

     動景 7、「 帰巣 」  日曜の朝。AM8時。  世間は夏休み真っ盛りの頃合。陽射しは強く、そろそろお向かいのペットショップから元気盛りな戸塚(とつか)兄弟の声が響いてくる頃だろう。 「あー、ほんとだ。こりゃ大変!」  奈由美はマイクに促されるまま庭に出て、その殺風景(さっぷうけい)ぶりに驚いた。  立派な木は防護壁の外にあったのでギリギリセーフ。ただしブランコ、彼は駄目でした。  庭は正方形の形に「土しかねぇ」という状況。しかも若干低くなっているという有様。【蒸発しました】と伝えるマイクの声に「凄いのが来たのねー」と、大型台風が通過した後のような感想を述べる奈由美。  実は玄関である通りに面していない入り口。  そう、このボロ屋。何故か表通りではなく裏手の庭に向けて玄関が設けられている。いつも出入りする表の口は勝手口という奇妙。それもこれも、かつて都市開発の波に飲まれず、「どきませんことよ!」と粘った伝説の迷惑老婆が作り出した産物である。  そのボロ屋の中からは『不燃戦隊☆プラレンジャー』のOPが流れ出している。  対面のペットショップとハモル大音響のOPソング。  奈由美の「音量下げなさい!」という怒鳴りも介せず、玄武は習得済みの変身ポーズを五人分全て決めていた。  そして朝飯。今朝は輝歌が用意した。  赤出汁の味噌汁から湯気。小さく切られた豆腐が揺らいでいる。  沈むナメコを箸で摘み、一口。つつましき、清楚な女性の所作、挙動。  漂う味噌の風味に合わさる目玉焼きの香ばしさ。安物だが、端が“カリッ”としているハムが一皿に二枚程添えられている。  キャベツにかけるのはソースか、マヨネーズか? ・・・・玄武はケチャップである。  適度な炊き加減の米は一粒一粒輝き、何も必要とせず、それだけで――美味い。  高家の人とは思えぬ庶民的な朝食。材料のせいもあるが、輝歌は「いつもこんな感じです。私はこのメニューが大好きです」と、奈由美の疑問に優しく答えている。  一パックしかなかった納豆は玄武が食べられないので、輝歌に食べてもらおう――でも、客人がそのような贅沢はするものではないですよ――いいのよ、いいの。さぁ食べなさい……などと、娘っ子二人が譲り合う。結局は「帰ってきたら虎か龍に食わせる」ということで奈由美は結論付けた。  ヒーローの時間も十五分を過ぎ、いよいよ怪人が奥の手を使おうとする時刻。 「ひぇん武ふん、歯は磨ひたの~?」 「ん~、後でー」 「んぺっ――忘れるでしょぉ、今磨いちゃいなさい」 「ヤだ」 「虫歯になっても知らないわよ!」 「もぉ~、うるさいっ!」  奈由美と玄武の徐々にヒートアップするやり取りを聴きつつも、ソファに座り、テレビの画面を見守る輝歌。番組もいよいよヒートアップ! マイクも二足歩行を得たパソコン画面から食い入るようにそれを見ている。  ふ、と開きっぱなしの玄関を見る輝歌。丁度、その直線上にある立派な木。  傍らに立つ着物の人は感心しながらそれを見上げている。よくぞ生きているものだ、素晴らしき生命よ……と一唸り。  一頻(ひとしき)り観照を終えたのか、その人は満足気に庭を歩き始める。  テレビに齧り付くフロイス兄弟。  “ガラガラ”とうがいをしている奈由美。  庭を通り、玄関に着いた着物の人。着物から察するにどうやら男性のようで、白髪の長い髪が面の左右に垂れている。  着物の色は黄土(おうど)色、面の形状は“狐”である。 「失礼する」  彼は玄関のやや内側に立ち、落ち着いた声で住人を呼んだ。  だが、誰も答えない。ボーっと自分を見ている女性はいるのだが……。 「ム、君はここの住人か。応じてくれねば困るのだが」 「あ、いえ。私は違いますけど……何か御用の方でしょうか?」  輝歌はいそいそと立ち上がり、黄土色の狐に近寄る。 「ん、そうか。違う――ということは、主が天上の姫か?」 「ほへ?」  言い回し的によく解からず、輝歌は首を傾げた。 「え……と。姫ではないですけど、私が“天上 輝歌”で御座いますが」  緩やかな表情で、無防備に応じる輝歌。 黄土色の狐は「ム、そうか」とだけ答えた。  狐の足元に靄(もや)が沸き立つ。玄関のすりガラスは曇り、背後の庭に霜(きり)が生ずる。  輝歌が急に乾燥した空気に「コホッ」と軽く咳を溢(こぼ)した時、すでに。庭に一羽の巨長が存在していた。  光の屈折のみでその存在、容姿が判別できる鳥。翼を広げると水気が飛び、空気が揺れた。その全長、およそ7mはあるのだろうか。  彫刻家が彫り、生命を与えたかのような『0以下までに冷えた水の鳥』は翼の上下を始めている。 「わぁ――綺麗――」  ビルとビルの狭間に射す一条の線光に照らされ、その周囲の氷結晶が輝く。 「それでは姫、参りましょうぞ」 「え、――ハゐ!?」  戸惑う輝歌を抱き上げる黄土色の狐。  せり上がる土の階段を踏みしめ、彼は輝歌を連れ、氷鳥(ひょうちょう)の背に乗った。 「しっかりと掴まりませい。飛び立つ時が、最も揺れますぞ」  彼のその言葉を合図にしてか、氷鳥は大きく翼を動かし、地を凍てつかせながら走り始める。  庭を駆け、先にあるアパートとビルの狭間が迫る直前。  それは地を発ち、全容を斜めにして狭間をすり抜けた。  裏手の通りを飛び上がっていく氷鳥はもう一踏み、信号機を足蹴にして天へと上がって行く。その姿、倒れた信号機もそうだが、それ以上に目立った。  多くの人は「なんだアレは!?」と思う前、「ああ、なんて美しい……」と感嘆したそうな――。  ↑さて、以上は一時のことであった。  歯磨きを終えた奈由美が「寒っ!」と暑くてたまらないはずの今に相応しくない異変を口にした。テレビの中ではEDテーマが流れている。  次回予告が気になって仕方が無いマイク。その横で、もっと気になる事態を目撃していた玄武。 「何よ、なんで玄関凍ってるのよ……って、アリ? 輝ちゃんは?」  家の中を見回し、パジャマのまま玄関の外に出て周囲を確認する奈由美。 「なんかね、でっかいかっこいい鳥がいてね、それで着物のおっさんが姫様とかいって輝歌が鳥に乗ったんだ。いいなぁ~」  奈由美の前に歩み出て、空を見上げる玄武。  奈由美はしばらく沈黙した後、急いで家に戻り、マイクに掴み寄った。 「ま、マイクくん!」 【ひゃ、はい? なんでしょうか、奈由美様】 「玄関の映像! さっきの! ちょっと確認して!!」  言われて大急ぎに確認するマイク……そこには、先程あった一連の事態がしっかりと映っていた。 【・・・・ァ】 「――“ぁ”って何!? 輝ちゃん、やっぱり連れさらわれたの!? ぎゃぁ! どうしようっ! どうしよう! うわぁぁんっ!」  頭を抱えながら部屋を走り回る奈由美。マイクは【緊急事態発生! 皆さん、警戒してください!】と今更な警報をボロ屋に響かせた。 「うわぁぁぁっっど、どうしよどうしよ!!?」 【大丈夫です! 発信機を装備してもらっていますから。奈由美様、落ち着いテ!】 「ぎゃわぁ、発信機!! 場所、どこ? 空!?」 【ええ、空です。 そしてジュニア、輝歌様が危険な状態です】  ぼやぁっとしている玄武に進言するマイク。 「ん? ――あっ、そぉか! 駄目なんだよ、輝歌が連れて行かれたら。追いかけないと!」 「追いかけるって、どうやってよ!!!?」 「僕も飛ぶ!」 「ワッッ???」 「いくゼ……       変・身っ!」   ―― カッ!! ――   ・   ・   ・  神奈川県上空。奇妙奇天烈な巨鳥はいざ飛び立てば目立たない。目を凝らせば地上からも確認できるが、その純度の高い氷塊は光を透過させるので、影がほとんどない。あるのは、人2人分の点である。  透明な巨鳥の背。景色も乗り物も美しいが、そこは人にとっての地獄。 「あ、あうぅぅぅ」 「ム、如何した?」  黄土色の狐が膝元で震える娘の異変にようやっと気がついた。  黄土色の狐は何故、この姫は震えているのかと最初疑問に思っていたが。しばらく経って謎が氷解する。 「おおっ、そうであった! 生命は寒いと死んでしまうのであったな。吾(われ)、失念っ!」  そう言って大急ぎに片手を繰り返し振り上げ、呼ぶ――“何を”、か?  工業地帯川崎(かわさき)に取り残されたかのようにあった畑。それは個人的なもので、今や大地主である老夫婦の趣味の場。二人は巣立った息子達の代わりにとでも思い、作物を育てていた。  今は西瓜(すいか)が良い頃合になっており、盆に来る孫共にも食わせたろうと二人は縁側(えんがわ)で話している。  空を見上げた婆が何気はなしに「なんかおるな?」などと爺に話しかける。爺は「あに? あんかけオルタナ?」と聞き返す。 「なんか飛びよるわ! 爺さん」 「なんかトロピカルなワシ!?」  ズムム、と持ち上がる目の前のそれにも気がつかず、二人は言葉を交わした。  「だめじゃこりゃ」と婆が首を振り、視線を先程まで見ていた所に戻す。だが、そこには先程まで見ていたものは無く、ただ、土があるのみ。無論、さっきも土はあったのだが、端整込めた土ではなくなっている。 「爺さん、こんなでしたか?」  婆は更地(さらち)となった元畑をしわしわの指で示した。 「婆さん、わしゃ知らんぞ! 食ってないからの! 西瓜は信勝らに食わすんじゃ!」  爺さんは無くなった西瓜に戸惑い、「もしやこいつが食うたのか?」と疑わしく隣の婆を見た。しかし、いくらなんでも二、三十の西瓜を土ごと食う妻などあるまい。  畑は今、遥か上空へと向かっている。  昇ってきた畑が氷鳥を包む。所々に西瓜が目立つものの、鳥は土に覆われた。 「これで仕上げじゃ」  と黄土色の狐が鳥に草を生やす。茂る草花に恵まれ、鳥は空の庭園の様相を呈(てい)してきた。しかし、若干不細工なのが気になる。やはり西瓜のせいであろうか。  下腹部から尿のように氷の結晶を噴射する鳥。いよいよアレな姿だが、これで温度は上々なものになった。上空ゆえの寒さも、背に高い草を生やしたので堪えられる。 「どうじゃ、まだ寒いか」 「は、いえ……ありがとう御座います」  輝歌は一息つくと、隣に咲いた花輪に触れた。 「――花が好きか」  狐が膝元の娘に聞く。 「は、はい。生きる事に真っ直ぐで、その姿が大好きです」 「―――おぉっ」  輝歌の頬に触れ、溜息をつく黄土色の狐。輝歌はほやほやっと呆けている。 「正しく相応しき姫であったか。良き事よ」  穏やかに、温かな口調で黄土色の狐は頷(うなず)いた。  しかし、輝歌の表情は寂しげ。自分の旅は終わったのだと気分が沈む。 「私はやっぱり、館に戻される……のですね」 「館? 姫の向かうは城と決まっておろう」 「……お城?」  輝歌は再び呆ける。彼女は確かに高家の人だが、この時代、この時勢に城になど住んではいない。 「私の家ではないのですか」 「否、向かうは吾が主神(しゅじん)の元」 「主人――旦那さん?」 「否、否! 字が異なる。主なる“神”と書いて主神」 「ふぇ? 神・・・さま??」  輝歌は三度呆けた。  黄土色の狐は「ウム、ウム」と喉を鳴らして頷く。  上空を行く鳥はいよいよ、山梨の地へと入らんという地点に在る……。 ――やや時を戻し、尚且つ場所は変わって東京都某所。  ボロ家屋の中から、輝歌や今し方飛び立った緑の男やらを心配する奈由美。 「虎君もどっかいっちゃったし、龍ちゃんは戻ってこないし……」 【奈由美様、ご安心を。高速道路を走る白虎様の姿を発見いたしました】 「・・・・うわぁ。その情報、一層不安になるんだけど。マイク君」 【今はマイク指令とお呼びいただきたい】  パソコンの画面内で白い紳士はその身を高級軍人のような服装に包み、パイプを加えて情報の煙を吐き出している。  奈由美はすこぶる心配一杯に、がっくりと肩を落として溜息を吐き出した。  不意に、勝手口から差し込む朝の日差しが遮られる。  視線を移す奈由美―― 『 やぁやぁ、バカヤロウ共! 元気してるゥ? 』  勝手口に立つ人影。いつもと異なり、テンガロンハットもロングコートも無い。  オフを気取って南国を渡った鳥は舞い上がった気分で“ツカツカ”と靴のまま家屋に入り込んできた。 「オッス、奈由美ちゃぁ~ん! 相変わらず貧乏くせぇ恰好してんな、お前」  非常に白けている奈由美の肩を掴み、無闇に悪態(あくたい)を吐いて来る赤茶髪の青年。彼はサングラスを押し上げて奈由美の全身を見回した。  首元には2重にネックレスがかけられ、ベルトやらポケットやら、やたらと金属の綱を垂らしているその姿。舞い上がりも良いところだ。 「アラ、お前だけ? 他のアホはドコよ?」  両手を広げて首を竦(すく)める。軽く見渡した所、そこには龍も虎も亀の気配も無い。 「――えっと、スザくん。実はですねぇ・・・・」 「アン?」  奈由美は、気まずそうに現状を説明した。 ―――2分後。  陽気に巣へと戻った朱色の鳥は「しゃあねぇなぁ、ったく――」とぐちぐち言いながら車庫へと入った。  エエ気分を完全に害されたが、娘さんのピンチと聞いたら黙っていられない性分。  四聖獣一のキザ野郎、“朱雀”は皮ジャンを服に重ね、グローブを「キュッ」と鳴らした。  リモコン操作で上がるシャッター。獣は今にも立たんと、威きり立っている。  シャッターが上がりきる前、すり抜けるように飛び出る鳥――いや、地を駆るその姿は漆黒の馬にでも例えようか。  法廷速度など一切合財(いっさいがっさい)容赦無い二輪の駆動機械は、溶けるゴムの香を残し、遠吠えを霞(かす)ませて疾駆、去る――。   目的地が表示される風防等。幾多もの特製装置が施された機械仕掛けの巨馬。   『玄武』の印が入った愛馬に跨る騎手の髪は、風圧で後ろに逆立っている。  流れる景色をサングラスに映すその表情。  朱雀はニヤリと笑みを浮かべた―――。
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