―本章、神の節― 其ノ六(前編)

動景 8、「 異界 」 「―― 待ちたまえっ!!――」  青い空を行く草木の巨鳥。雲の中は入ってみると意外とそれと解からない。  気ままに上昇、下降を繰り返し、巣へと向かう巨鳥。どれどれ、などと高度を落とせばいよいよ広がる山梨の景色。 「・・・・・・」  輝歌は巨鳥の上で横に目をやり、首を傾げている。 「姫よ、もう暫(しば)し待たれよ。やがて見えてきよる」  黄土色の狐は輝歌の頭を撫でて、穏やかに声をかけた。 「ええいっ! 待ちたまえっ!!」  空を飛ぶ巨大な背に、一羽の雀が降り立った。 「あっ、スズメ!」  輝歌は愛らしいその姿に感激し、両手を合わせる。 「ム、何ぞと思い降りおったか……それとも、懐かしき親鳥とでも違えたのかの?」  黄土色の狐は愉快そうに微笑んだ。  雀も、「チチっチ」などと鳴き、羽を休めている。 「やいやいっ、待てってば! 狐怪人!」  三度追いつき、宙に立ち止まり、手を突きつける緑の人。  “怪人”――。その言葉がひっかかる。ようやくその面を振り向かせた黄土色の狐。 「怪人とは、これまた……確かに人より見れば、怪奇奇天烈な存在かも知れぬが。それでは些(いささ)か認識が低すぎるのではないか、そこの人よ?」  黄土色の狐の視界。呆ける輝歌の目にも映るその人。  緑色のピッチリとしたスーツに頭部の全てを覆う仮面。腕には輝くブレスレッドを装備しているその姿――ざっくり言ってしまえば“戦隊物の衣装”であろう。  翼もジェットも無く空にあるという事実は奇妙ではあるが、確かにその長身の人は空に立っている。  やっと相手にしてもらえて、気分も上高なその人。 「ふふんっ、怪人め。輝歌を返してもらうぞ!」  ポーズを変えて、勇むその姿。 「・・・返すも何もあるか。姫は主神のものぞ」 「しゅじん……? キサマ、女か!!?」  「だから、字が違う!」――と返す黄土色の狐。「え、女性の方なんですか?」と輝歌がおどおどと聞いてくる。  黄土色の狐は面を押さえて「ヌゥゥ」と溢した。 「とにかく、輝歌を返せ! 狐怪人!」 「・・・お主、何者ぞ?」  くたびれた様子で聞く黄土色の狐。 「玄武さんですよね」 「そう、僕はゲ―――イヤイヤ、違う! 違うの!」 「あるェ? 違うのですか?」 「私は科学が生み出し奇跡の産物! テクノロジーっ、グリーン!!!」   ジャキーン!   両手を右に向け、屈んだ姿。それは名乗りのポーズである。 「・・・・・・」 「テクノロジーグリーン……でも、玄武さんですよね?」  輝歌は不思議そうに首を傾げた。 「ん、そだよ――いや、そうなんだけど違うの! ていうか言っちゃダメなの! 秘密!」 「あ、秘密なのですか。申し訳御座いません……えと、テクノロジーさん?」 「そこで区切らないでっ! んもう!」  空で地団駄を踏むテクノロジーグリーン。  瞬時、ピシリ、とその動きが止まる。  氷漬け――という表現がしっくりとくる程見事な氷結。  テクノロジーグリーン(長いので以後、省略して“玄武”とします)は空中で凍りつき、地団駄(じだんだ)を踏んでいる最中の姿で固定された。何故か落下しないが、そんなことはどうでもよい。 雀も何事も無かったかのようにくつろいでいる。 「ああっ、げ、玄武さん!!」  輝歌が身を乗り出そうとするが、黄土色の狐がしっかりとそれを抑える。彼は無言のまま、新緑の鳥を進ませた。 「ま、待ってください! 玄武さんが、玄武さんが……」  遠ざかる氷塊に手を伸ばす輝歌。黄土の狐はその視界を袖で覆い、「忘れよ」と呟いた。 「―― 待ちたまえっ!!――」  青い空を行く草木の巨鳥。雀が響いた声に驚き、飛び立つ。  巨鳥の背で。黄土色の狐は嫌な予感を得、白髪の頭を掻いた。 「テクノロジースーツをなめるなよ!」  そう言って玄武は鳥の眼前に回り込み、両腕を広げた。 「玄武さんっ!」  輝歌が手を合わせて喜びを顕にする。 「だ・か・ら! テクノロジー・グリーンなのっ!!!」  腕を振ってダダをこねる玄武。 「・・・・・・」  黄土色の狐は面を俯かせ、「ムグゥゥ」と唸った。 「怪人め! おまえ、氷狐怪人だったのか!」 「……面倒である」  玄武の煽りも気にせず、新緑の鳥はその高度を一気に下げ始めた。「待てィ!」とそれを追う玄武。  遥か先に目を凝らせば、赤い球が見える位置。街よりやや離れた地。  山林の木々が葉を飛ばし、腐葉土は巻き上がる。巨鳥は“ズンッ”と音を立てて山中に着陸した。  着陸と同時に崩れる巨鳥。その跡は花咲く園として残った。  園に立つ黄土色の狐。傍らには“キョトン”と座り込んでいる娘。 「えやっ!」  掛け声と共に園の端に降り立つ玄武。 「観念したか、氷狐怪人!」  彼が指を突きつけ、威嚇した時――。  大地から巨大な拳が生え、突如として玄武を殴りつける。  驚きと共に吹き飛ぶ玄武の身を、大木の幹が受け止めた。  呻(うめ)く人の手足を絡める樹木の枝。首も絞まり、息が滞る。 「ぅやあっ!」  と光を放ち、声を上げて枝を吹き飛ばした玄武を、乱舞する無数の木の葉が襲った。  刃のように吹き抜ける葉の嵐だが、スーツは中々破れない。だが、確実に傷んではいる。  次いで視界もままならぬ状況にある彼を土砂の波が押し流した。  動乱最中の激流に、ズイと狐の仮面が現れ、玄武の身を押し込もうと腕を伸ばす。  土中に埋もれよと渦を巻く状況から、光を発して飛び上がる玄武。  どうにか空に逃れんとしたが、覆う樹木の枝葉がそれを拒み、挙句、有りえない程にしなった大木の一撃が玄武を打った。 「うっっぐ……」  悲痛な声が溢れる。  弾かれた彼が落下したのは湿った砂利の上。  息を吐いて顔を上げようとしていた彼に、信じ難い自然現象、“山中の津波”が押し寄せる。  流れを纏められた川の水は壁となり、砂利を巻き上げ、周囲の土砂を混ぜ込む。  川原の土中より出でた黄土色の狐は両の腕を交差させ、振り下ろした。  押しつぶされ、濁流に呑まれ、土砂に弄ばれる儚き人の身体。  容赦の無い水流はやがて天へと昇る渦巻きとなり、それは物的な破壊力を有した竜巻として巻き上がった。  さんざんに打ちひしがれた玄武のスーツは限界を迎えたのか、ヒビが入っている。仮面もまた、同じ。  竜巻から放られ、宙を流れるぐったりとした人。  その上に構えていたのは遥か地中よりせり上げられた巨大な岩石であった。  石上に立つ黄土色の狐は軽く右の下駄を踏み鳴らす。  同時、落下を始める巨石。  落ちる岩に押されたまま、それと共に山中に埋まる玄武。  土煙と腐れた木の葉が舞い飛ぶ様、狐の目に映る。  墓石のように地に在る10tを超える岩石。  やがてその周囲を枝葉が覆い、幹が巻きつき、成長を続ける。  早送りの映像を見るごとく、立派に育った偉大な程の巨木は、伸びきると同時にその広大な緑に多様な花弁を開かせ、実をつけた。  激動の片鱗、轟音を花の園から感じていた輝歌は身を震わせて、言葉を失っていた。  その背後、土中より飛び出す黄土色の影。  狐は高下駄を鳴らしてそっ、と園に降り立ち、手にしている果実を輝歌に差し出した。 「驚かせたか――すまぬな、もう案ずる事は無い」  黄土色の狐は「美味いぞ」と果実を薦める。  だが、輝歌はそれどころではなく、凛とした目を狐に向けた。 「玄武さんを、どうしたのですか」 「ム、あやつのことか。案ずるな、もう済んだ」  黄土色の狐は手にしてもらえない果実を丁重な所作で草花の上に置き、手を大きく交差させた。  周囲の土が本日2羽目の鳥を形作り始める。  輝歌は唇を噛んで狐を睨み付けた。 「今度こそ寒くは無い。そうだ、内部に部屋を作り、そこに入ろうか。城まではさして距離は無いが、快適な空の旅としようぞ」 「――私は、行きません」 「……何と?」  強い口調で言い放たれた輝歌の言葉。黄土色の狐は作業を止めて視線を落とした。  そこには、先刻までの穏やかさからは想像もできないほどに厳しい眼差しがある。 「おお……実に良い眼差し。芯が強き姫であるな」 「――私は、お姫様ではありません」 「いや、確かに姫であるぞ。よって、その責務は果たさねばならぬ」 「責務? 何のことですか」 「決まっておろう、主神に“遂げてもらう”のだ」  輝歌は不機嫌な様相で眉間にシワを寄せた。 「遂げる……? 何をですか」  出来かけの鳥が木漏れ日に照らされる。狐の面はその影で暗い。 「それも決まっておろう。主神に“命を断ってもらう”ことよ」  狐の一言が過ぎし折。何処より、鳥の囀(さえず)りが響いた……。 「命を――――断つ?」 「ウム。然(しか)りだが、知らぬか。それも然りかの」 「どうして、私の命を絶つのですか」 「主が望んだ。故に」  当たり前のこととして黄土色の狐は言い、彫刻作業を再開した。  輝歌はあまり理解こそできていない。しかし、自分の死を当然のことのように言われたので背筋に寒気を感じた。 「そのために私を連れ、そして玄武さんを……」  声を震わせる輝歌。だが、涙は流さない。流せば、強さも流れてしまう。  輝歌は、必死に強さを保って狐を睨んでいる。 「ウム、完成である」  花の園に出来上がった巨大な美鳥。羽毛の代わりに生やした草が風に靡(なび)いている。長い後ろ羽は孔雀の物を真似た。  自信作を眺め、顎を撫でて頷く狐。「さて」と娘に手を伸ばす。  だが、娘は応じない。凛と、頑なに動かない。 「――ム、如何した?」  黄土色の狐は「さぁ」と再び手を伸ばす。 「私は……行かないと言いました」 「うむ、しかし主神の望みは叶うもの。それは決まりだ」 「そんなの勝手すぎます。何故決め付けるのです」 「神が望むことが叶わぬ道理はあるまい」 「……まさか、私の死も、それだけの理由ですか?」 「如何にもだが、それが如何したのか」  首を傾げる狐。輝歌は激しい怒りと悲しみを持ち、先程山林に消えた友のことを考えた。 「そんな好き勝手に命を弄ぶ“人”が神様だなんて――私は信じません!!」  声を荒げて着物の腕を払う。輝歌は息を乱しつつも視線は変えない。  して、その視線の先。 黄土色の狐は先刻までの穏やかさを失っていた。 「なんと……ナント申したか?」  “ざわ...ざわ...”と周囲の木々が揺らぐ。 「主神を、人と申したか?」  花の園は活気を失い、緑が薄れて茶に染まりつつある。 「挙句、信じぬ、と? 横暴にも、神の是非をお前が決めようと?」  “ぞぞぞ”と地面が隆起し、土が黄土色の狐を覆っていく。 「横暴な、実に許しがたい、“愚か”!」  狐を包む土は次第に巨大な人の姿へと変貌していく。  輝歌が目の前の異変に畏れ、座ったまま身を引いた。  3m程の巨大な土人間と成り、尚も周囲の土を集める狐。その姿は完全に覆われてしまった。 <許せぬ、許せぬぞ、人よ――>  土から響く声は威圧に満ち、憎悪を容易に表現している。  輝歌は肥大化する恐怖に畏怖を感じ、身を固めた。危うく涙が零れてしまいそうな心境。  土人間はその拳を振り上げて、眼下の娘を見定めた。 <現世から失せるがよい、愚かな在よ……>  振り上げた拳を叩きつけん、と土人間が唸った刹那。  煌めく閃光が一筋――― “ズビッ”  などと鼻をすすったような抜けた音が響く。だが、それは音の印象に合わず相当な威力を有した光線らしい。  土巨人はやたらと物的な衝撃がある怪光線に撃たれ、しばし輝いて停止した後、草土を撒いて吹き飛ばされた。  山中に消えた巨体。  怯えていた娘は光線の来た方向を向き、その姿を確認した。 「玄武さんっ!!」  明るく、安堵した声でその名を呼ぶ輝歌。  視界の先には、スーツは破れ、仮面も口元が割れてしまったボロボロなヒーローが立っている。 「か、怪人めぇっ……痛いじゃないか、もうっ!!」  ボロボロな玄武は涙声で叫んだ。鼻水が垂れ下がっている様が、割れた仮面から露わになっている。  ハッ、と気がつき、気を取り直して輝歌の元に近づく玄武。 「大丈夫かい、輝歌君!」 「玄武さん、よかった、本当に―――」 「テクノロジーをなめてはいけない。そして・・・僕はテクノロジーグリーンだって言ってるだろぅ、んもぉぉっ!」  手にしている光線銃を振り回してまた涙を流す玄武。  輝歌は「アハハっ、そうでした、ゴメンなさい」と笑顔を浮かべて立ち上がった―――――が。  < 万死に値する……所業ォっ!!! >  山中に響き渡るくぐもった轟音。それは土人間の声。  輝歌と玄武が「ひえぇっ」と恐れおののき見上げた先。  視線を阻む樹木のさらに上。その姿は一目瞭然に確認できる。  どれほどであろうか。おそらく、30mはゆうに超えているであろう。  怪人というより、“怪獣”の域にある圧倒的な存在が二人の前に立ちはだかった……―――。  ~つづく
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