サンブレア物語~序説~

 広い、広い世界―――そこには私たちの考えがまったく及びもしない事が存在します。  きっと、そこには見知らぬ機械が動いていて、思いもよらない技術が常識で、想像もつかないような生き物が生息しているのでしょう。 「パチパチ」と、暖炉で薪が燃える音。窓の外では雪の子がちらちらと降り注いでいます。  ふかふかなカーペットの上に座椅子が1つ。膝に毛布を掛けて座っているお婆さんは、ゆっくりとした口調で話をしてくれました。  広大な海の何処か・・・・・・ 『あなたの知らない世界には、あなたの旺盛な想像力すら及ばない景色があるのよ』  お婆さんは続けて言います。 『もうもうと立ち上がる“霧”の先に、不思議な大陸(世界)が隠れているの―――』  その“霧”は、それ自体が現実なのか幻なのかも解りません。  霧を通過することも、霧を確認することもできない・・・でも、確かに“ある”らしいのです。  それは―――幻想の先にある風景。  それは―――きっと、私の知らない世界。  そこは、私たちからすれば「幻想」で―――  そこは、彼らからすれば「現実」で―――  ―― ミステリア ――  この名前は「不思議」な想いを過去の人たちが詰め込んだ大陸の名前だそうです。  この不思議な名前は“どちらの大陸も”同じに呼ばれる事があります。  何故なら、どちらの世界の人にとっても、“霧”の先は不思議なものだからです・・・。 __________________ Cross × Silver 章第:『流れ星の降る丘で・・・』 __________________ ―SCENE- Princess memories. ACT- 1  季節は晩春。山岳には雪が残るものの、城下の街を覆っていた雪の畳はすっかりと掻き消えてしまった。  『サンブレア王国』。「北方の雄」と称される人口120万の穏やかな国には、雪解けの湿った香りが残っている。  この国が誇る勇壮な騎士団の存在は他国にも知れ渡り、一目置かれる要因となっている。  世界(大陸)を見渡しても数少ない『大魔導』を2人も抱えており、文化面でも非常に評価が高い。  1人は「火炎の造形士」と呼ばれる芸術家兼教授であり、「インスタントマジック」という一般市民でも手軽に扱える魔具の発明でその名を轟かせている赤い髪の男だ。  しかし、国内外問わず著名であり、現在最も注目されているのはもう1人の大魔導・・・ “片義手の英雄”である。  彼は前述の「騎士団」を率いており、戦力としても畏れられている。また、得意とする研究分野から国の産業にも尽力しており、魔法に頼っていた世界に機械の有能さを広めた第一人者である。  近日になって「大魔導」として抜擢された理由は、技術革新への貢献に違いない・・・。  ――平穏なサンブレア王国。首都コローラルは今日も商店の活気で満ちている。人が旺盛に交錯する通りは、歩くにも気を配らないとすれ違う人にぶつかってしまうだろう。  そこに。 するすると人の波をくぐり、駆けている「少年」の姿がある。腕にはいくつもパンを抱えて、何やら必死の形相・・・。 「待ちやがれっ、この小僧!」  パンを抱える少年を、怒り心頭に追いかけるおじさん。 「ハっ、ハっ・・・」  息も荒く。少年は左右の狭い階段を駆け上った。器用にも人とすれ違いながら小路を曲がる。  少年が曲がった先に、「どどん」と煉瓦の壁が立ちふさがった。  急ブレーキをかけて立ち止まるが、背後からは店主の「まてー」という怒鳴り声が近づいてくる。 「や、ヤバヤバ・・・!」  少年は壁から少し離れ、加速して大きく跳び上がった。  ――しかし、それでとどくわけは無く。空中で慌てて壁の天辺に手をかける。じたばたともがく少年からパンが落下した。  どうにか登った少年の口には1つのアンパン。 「あっ、もったいねー!」  と、壁の下にあるパン達を眺める。 「コラー、降りろー!」  落ちているパンを拾いつつ、店主が少年を睨む。  少年は残念そうに手元のアンパンを見つめると、そそくさとその場を離れた。  ――しばらく走り続け、街の外へ。少年は森を通り、丘の上の草原へと出た。  息を整えつつ、振り返る。いくらなんでもここまで店主は追ってこない。 「やれやれ」と柔草の上に座り込み、アンパンを1齧り。  吹く風。草原が波を走らせた。丘の下には茂る木々。緑の先に、淡い砂色の街並み。  視線を上げれば、遠くて高い青空と白い雲。  そして水色と砂色の狭間にある、大きな影―――。  国の象徴とも言える「城」の姿は憧れと羨ましさで心を綺麗に見ることができない。  アンパンを1齧り。もぐもぐと口を動かしつつ、呆然と景色を眺める少年。  彼は一度だけ目にしたことがある。箱入りなので、滅多なことで人前へと姿を見せないのだが。彼はそれでも一度だけ、『彼女』の姿を目にした。  8歳の誕生日を喜ぶ祝祭に。同い年でも、遠くに見えた彼女。  王国のお姫様は綺麗なドレスに美しい金色の長い髪が印象的だった。  横に立つ英雄の腕を握って、人々からの歓声に戸惑っている姿が愛らしい・・・。 「・・・・・・」  縁がないなぁ~、などと当たり前のことを思い描きながら。脳裏に残っている忘れられない映像を何度も見返す少年。  齧るアンパンの味が、さっきよりも甘く感じられる。  ここは少年の退避場所。彼はこの一見平凡な丘の、本当の姿は夜にあることを知っていた。  少年のお気に入りに、彼のむせる声が響いている――――。 ACT- 2  ――――「魔法使いと魔術師」。「魔法と魔術」。  魔術の学校では、いの一番に「どちらが優れているか」と生徒に問う。  多くの新入生達は「魔法」と答えるだろう。  しかし。実はこの問い、引っ掛け問題であり、「どちらか」などという答えは存在しない。  例えるならば、「太陽とこの世界、どちらが優秀か」と問われているに等しいこの問題。純粋な規模、強大さで言えばどう考えても“太陽”の勝ちである。だが、太陽はこの世界のように生命を住まわせる器用さを持ち合わせてはいない。  “優れる”をどのように捉えるかで回答は変わるであろうが、一概に「こちら」と言い切ることなどできはしないのだ。  だから、先生は生徒に「魔法使いも魔術師も、同じ魔道士なのです。そこに優劣はありません」と最初に教えるわけである。  だが、やはり人は強大な存在に憧れるものであり――魔法を魔術へと解釈する成果よりも、魔術を魔法へと変換する成果の方が評価されやすい。  “サンブレアの守護者”とも言われる英雄、『エドガー=バゥロー』がこの日、見事『大魔道』の称号を協会より賜ったのは「魔法を魔術へと解釈した」ことへの評価。稀なことだからこそ、国王の鼻も高くなるというもの。  王の間に跪く銀色の髪の騎士。重厚な甲冑に身を包んだ若き魔道の左腕もまた、銀に輝いている。 「エドガー。誠に、誠にっ! 余は歓喜しておるぞ!」  気の良さそうな王は頬を弛ませて眼下の騎士を褒め称えた。 「――我が名は王の為に。この名が高まることで、主君の名声がより轟くのなら、私は更なる高みを目指しましょう」  エドガーの真摯な言葉に一層機嫌を良くし、近者に褒美を持ってこさせる王様。自らそれを持ち、玉座を離れて騎士の元へと寄った。 「受け取れ、エドガー。この剣は我が王家を支えた古の名剣である。お前にこそ相応しい一品よ!」  差し出された剣を両手に受け取る騎士。 「これは・・・何とも身に余る光栄で御座います。この剣に負けぬよう、更に精進することをここに誓います」  深く頭を下げるエドガーの肩に手を当て、王は満足気に微笑んだ――――。  王の間から出て、受け取った剣を右の手で掲げる銀髪の騎士。鞘に収まっていながらも、その迫力、栄光が迸っているかのようだ。  エドガーは表情の少ない男である。騎士団の仲間達からは「鋼の研究をしすぎて、表情まで硬くなった」「電気で顔が痺れちまってる」・・・などと言われるほど。  だが、この時ばかりは彼の表情が目に見えて輝いていた。これほど人間味のある顔を彼がするのは、「彼女」と共にある時くらいであろう。 「やぁ、エドガー。良い物を貰ったね」  陽に剣をかざしていたエドガーの表情から光が失せた。  いつもの薄い表情で彼が振り向くと、そこにはニヤけた笑みを見せる若者が立っている。 「これで君はこの国のシンボル的な存在となるわけだね。責任が重くないかい?」  若者は指を鳴らしてリズムをとった。 「トーレ様、お久しぶりで御座います。――確かに、重い責を預からせていただきました。ですが、苦には思いません。決意と、喜びがあるのみです」  エドガーは剣の柄を胸に当て、微塵の怯みも見せはしない。  トーレと呼ばれた若者は、相変わらずニヤけたまま、馴れ馴れしく騎士の肩に手を置いた。 「そうか、そうか。それは結構。お前にはこれからも頑張って貰わないといけないからな。俺の時代も・・・期待しているよ?」  耳元でそう言い残すと、若者は肩を揺らしながら、鼻歌混じりにその場を離れた。  ――トーレは決して、“良い人物”ではないだろう。だが、“劣っている人間”でもない。彼の知性をエドガーは知っているし、一介の戦士である自分がどうこう言えることではない。  だが、それでも本音を言えば。  彼には次の王座に座って欲しいとは思っていないと、エドガーは考えていた。  ・・・そんなことが特に表情に出ていたとは思えないが。  城の広間で佇む騎士の姿を、赤の衣類に身を包んだ男性が興味深そうに眺めている――。 ACT- 3  城下の商店が並ぶ一角から逸れて、少し進むと今度は住宅地が広がっている。  基本的に砂と加工した岩石で形成されている住宅地。並ぶ砂壁の家に挟まれ、複雑に入り組んだ小路。 「よう、フレア!」  不意に声がかかった。声を発したのは齢20そこそこの男で、声を掛けられたのは10才を過ぎたばかりの少年だ。 「ウヒっ!」  フレアと呼ばれた少年は「こそこそ」としていたので、酷く驚いた。何故「こそこそ」していたのかと言うと、先程パンを盗んだばかりなので、店主に見つかるのが怖いのである。 「なんだ、そんなに驚いて・・・?」 「いやぁ~、さっきちょっと下手したばかりでさ」  はにかむフレアを見て、男が溜息を吐く。 「また“盗み”か? いい加減真っ当にしたらどうだ」  呆れた様子の言葉。フレアは「ごもっとも・・・」と、俯いた。  しかし、この男もそれ以上強くは言わない。まだ少年であるフレアが非行に手を染めているのである。叱る意思があるのなら、もっと強く踏み込んでも良いものだが――。  ・・・フレアは、孤児である。幼い頃に両親を失い、父親の妹の家に居候をしていた。  しかし、その家庭はあまりフレアを歓迎してはいなかった。腹を空かせたフレアは家の飯を盗み食いしたところを発見され、追い出されてしまったのである。  以降、彼は生きるために盗みを働き、持ち前の俊敏さでどうにかやりくりしてきた。  悪行を重ねると、悪い連中が寄ってくるものである。  フレアの機敏さに目を付けた街の盗賊団に声を掛けられ、「仲間にならないと盗みもできねぇ体にするぞ!」などと脅された。そして、止む無く今も彼等とつるんでいる・・・。  そんな、不憫な境遇だからこそ。周りは多少の手助けをしてやるし、何よりフレア自身が嫌味な子ではないから、気にもかける。でも盗賊団は怖いので、深くは踏み入れない現状――。 「騎士団にでも言えばなぁ」  男はそう提案したが。盗賊団が無くなればフレアは食いはぐれてしまう。  王は優しい人だが、いかんせん圧力に欠けている。結果として国の経済が弱まっていることは否めない事実であり、華やかな商店街の裏側は煤けてしまった。  次の王と目される“トーレ”という人物は旺盛な意欲はあるが・・・どうにも、他国を喰おうとしているなどと、キナ臭い噂が流れている。 「まぁ、無茶はするなよ、フレア」 「ありがとう、おじさん」  フレアは明るく小路を駆けて行った。  不憫な少年にもたらされる後の栄光を、この時誰が予想したであろうか?  数刻後。フレアは盗賊仲間に呼び出され、森へと向かうことになる―――。 ACT- 4  王宮には部屋が多いし、階も多い。  部屋の数は隠し部屋などもあって正確には解らないが、階数は塔の最上階で12もある。  荘厳な城の一室に、豪華かつ愛らしい部屋が存在する。  清楚な部屋の中で、少女は着替えを済ませて大きく伸びをした。  ガラスの扉を開き、出たそこはベランダ。見える景色は淡い砂色の街並み、高くは水色の空。遥か向こうには、小高い丘がうっすらと見えている。  豊富な自然だけど、そこは全部遠くて。きっと多くの人や動物が動いているのだろうけど、遠すぎて解らなくて・・・。 「あ~あ・・・」  少女は手すりに寄りかかり、溜息を吐いた。  同じ世界なのに。こことあの街や森は、本で読んだ幻想の大陸とは異なり、霧に阻まれてなどいない。だから、決して行けぬことなどないだろうに・・・。 「お悩みですな」  後ろから声が聞こえた。  少女が驚いて振り返ると、そこには無表情ながらも気が許せる若い騎士の姿があった。  ――先日、はれて「大魔導」となったエドガー=バゥローは、王国の要人である姫様の護衛としての任もこなしている。それこそ、姫がまだ立ち上がれないような幼い頃からの大役。  エドガーにとって幼い頃から見守ってきた姫は護衛の対象ではあるが、娘のようでもあり、年の離れた幼友達のようでもあり・・・ともかく、一番大切な人であることは間違いない。  姫にとってもエドガーを兄のように感じている。実兄に懐いていない分、なおさらなのだろう。  エドガーは銀色の左手で頭を抱え、「やれやれ」と呟いた。 「また、外に行きたいなどと・・・?」  若い騎士は少し柔らかな口調で話す。  少女はフイと向きを変え、視線を街へと戻した。 「――解ったようなこと言わないで、エドガー」  ちょっと怒った調子で少女は答えた。若き騎士、エドガーは「あはは」と笑う。 「これは申し訳ない。見当違いでしたかな、私の予測は」 「・・・いいえ、正解よ。だから怒っているの!」  少女の答えに、エドガーはまた笑う。  少女は振り返り「もう! なんで笑うの!」と、笑いをこらえながらも彼を叱った。 「いや、申し訳ない。あはは」  楽しげなエドガー。  少女はムスっ、と頬を膨らませて「解っているのなら」と続ける。 「どうして叶えてくれないの?」 「外に行く、ということをですか?」 「そうよ!」  ツカツカと詰め寄り、騎士の胸当てにちょんと触れる姫。 「ですから、何度も言うように。外は危険なのです。『イシャナ様』、何せあなたは姫で御座いますからね。この国の重要な人なのです」  エドガーは困りながらも答える。  いつもの回答に、やっぱりイシャナ嬢はご不満な様子で・・・。「ジトっ」と、エドガーを見上げている。 「――そんなに睨んでも、ダメなものはダメです!」  目を逸らし、断固として拒否するエドガー。イシャナは残念そうに視線を落とし、「あ~あ・・・」と呟いた。  そんな姫の視界に入った、見慣れぬ物。騎士の腰にはいつもとは異なる剣がぶら下がっている。 「あら、エドガー。それってお父様の宝物の剣じゃないの?」  見覚えのある細身の剣を指差して、イシャナが問う。 「――ああ、これは・・・王より賜ったのです。大魔道になった褒美として!」  得意気に剣を鞘ごと腰から外し、掲げるエドガー。 「まあ、それは凄いわ。さすがエドガーね!」 「はは、いやはや! それほどでもないですよ」  イシャナの言葉に少し頬を染め、エドガーは額を金属の左手で掻いた。  そんな彼を見上げて、姫は何かを思いついたご様子・・・。 「ねぇ、エドガー。エドガーはこの国の守護者――英雄なワケよね」 「エ――え、ええ。まぁ、そうですね。これで名実共に・・・恐縮ではありますが」  グイ、と近寄るイシャナ。 「英雄に護られるってことは、この上なく“安全”だと思わない?」 「ま、まぁ・・・その自信は持ち合わせておりますし、慢心も油断も私には――――」 「ねぇ、エドガー・・・」 「――はい?」  言葉を断ち切るように身を寄せ、背伸びをして顔を近づける。 「私、ちょっと外出したいの。あなた、私を護ってはくれないかしら?」  先ほど却下された提案を、ずうずうしくも繰り返すイシャナ。 「あ、はい――いや、いけません! 何度も申しましたように、外は危険ですから!」 「あらぁ? あなた、“護る”自信があるのでしょう?」 「う――で、ですから。万が一にもということもあり、私自身、確かに王から託された責に対して自分が劣るということは無いと――」 「エドガー。私・・・あなたに護られたいの・・・・・・」  潤んだ瞳で心に迫る言葉。若き騎士は理屈が得意な口を開いたまま、硬直した――――。 ACT- 5  憧れていた街。とはいっても、何度も来たことはある。ただし、それは多くの家臣団に囲まれ、店に入ろうにも「姫はそこでお待ちを! おい、すぐに店主を呼び寄せ、品を持ってこさせろ!」・・・などと止められてしまうような窮屈な状態。 「わぁ、人がたくさん! 皆、買い物してる!」  当たり前の光景だが、姫様にとっては当たり前ではないのであろう。イシャナは見慣れぬ光景に興奮して、周囲を忙しなく見渡している。  フードを被って姿を隠しているとは言え、あまり走ると風でフードが取れてしまいかねない。第一、はしゃぎ過ぎて何か問題を起せば面倒である。 「ひ――いや、お嬢様。あまり走らないでください」  エドガーは周囲に気を配りながらも、動きの読めない少女を必死に視界に捉えている。  実際、状況的にはあんまり気楽なものではないし、よろしいものでもない。だが、時折振り返って自分に笑顔を見せるその姿に、騎士の鋼の精神もゆるむ。 「エドガー、見て。これ可愛いと思わない? ねぇ、お姉さん。これを頂いてもよろしいかしら?」 「は? 頂く?」  少女の問いに、疑問符を浮かべて眉をひそめる女性。 「うぉっと! ――ええと、すまんが。これは幾らかな。今払う」  そう言って銭を取り出すエドガー。イシャナは首を傾げてその姿を見ていたが、やがて「いけない、そうだったわ!」と気がついた。 「ご、ごめんなさい! そうね、買い物しないとなのよね。私ったら、つい忘れていて・・・」  謝る少女の姿は店員の女性をさらに困惑させるだけである。  エドガーは代金を払うと、イシャナの手を引き、急いでその場を離れることにした。  ――街の喧騒から少し離れた路地。石畳の道を歩く若者と少女。 「ごめんね、エドガー」  イシャナはバツが悪そうに口を開いた。 「いいえ、お気になさることはないですよ。特に問題はありませんから」  そう言って、先ほど買った髪飾りを手渡すエドガー。 「しかし、“トカゲ”ですか・・・これまた変わったものを・・・」 「あら、あなたも飼っているじゃない。大きなトカゲ」  手渡された銀製の髪飾りをさっそく取り付けるイシャナ。  エドガーは「ですからトカゲではなくて・・・」などと、微笑みながら答えた――。 /  茂る木々。上を覆う枝葉の隙間から差し込む、夕日のオレンジ。  少女が屈み、花に手を伸ばす。 「イシャナ姫。その花、あまり匂いを嗅いではなりませんよ」 「あら、どうして?」 「人を眠りに誘う花――“惑わしのフラッガ”です。起きれば朝・・・なんてことになりかねません」  イシャナが触れている紫色の美しい花。チューリップの花弁を1周り増やしたようなそれの持つ不思議に驚き、手を離す姫。 「こんなに綺麗なのに・・・花は優しいものだとばかり思っていたわ」  さくさくと葉土を踏み、エドガーの元へと寄っていく。 「花も千差万別、生きています。中には人が嫌いな花があってもおかしくはありませんよ」  エドガーは優しい笑顔を見せて、イシャナの頭を撫でた。  森の中を歩き始める2人。  イシャナが「森を見たい」とせがむので、日が暮れるまでなら・・・とエドガーは街から少し離れた森を案内している。ここは“あの森”と異なり、不安も少ないだろう。 「惑わしの――なんて付くと、魔道士の名前みたい!」  小鹿のように跳ねながらイシャナが聞く。 「ああ、それはあれが元々は魔法だったからですよ。もっとも、今ではご覧のように自然に迎合されてしまいましたがね・・・」  穏やかながらも、片時も姫から目を離さないエドガー。騎士の左腕に反射する、夕日の赤。  イシャナは立ち止まって振り返った。 「あら、面白そうなお話ね。今夜聞かせてよ、エドガー」  少女のあどけない願いに騎士は「ええ、構いませんよ」と微笑んだ―――。 ACT- 6  森を行く楽しげな若者と少女。  その姿を遠巻きに、木々の狭間を貫き捉える視線。 「おい、間違いねぇな・・・」 「ああ。俺はしっかりとあの顔を見たことがあるし、しっかりとあの顔を憶えている・・・」  小刀の手入れをしながら、髭の多い男は笑みを浮かべた。 「しかし、隣のはなんとか――つぅ騎士様じゃぁねぇのか?」 「ああ? 誰だろうが、所詮は1人だろ? かまやしねぇさ」  鶏肉を齧りながら、汚れたバンダナを巻いた男が答える。 「こっちは6人もいるんだ。囲めば楽勝よ」 「ひひっ、こんな美味い話もそうないしな・・・」  前歯の欠けた小柄な2人が顔を見合わせてニヤけた。 「で、でも・・・姫様はあんな子供じゃないか」  若者とは言えない大人に混じって、1人初々しい少年。  彼は周りの大人と違い、姫様をどうこうしようなんて発想が気に入らない。 「ああ? 大人とか、子供とか――関係ねぇ。“盗む価値”がありゃぁな」 「そうだ、そうだ。パンもロクに調達できねぇガキはすっこんでろ!」  大人たちに睨まれ、納得いかないながらも黙り込む少年。  黙りこんで、少女と若者の姿を木々の隙間から覗く。   前に見た――城の高い場所で手を振っていた。   自分と目が合った気がした――決して、届くことの無い彼女と。 「ほら、サッサと行くぞ!」  号令がかかる。  少年はろくでなしの大人に続いて、駆け出した――――。 / 「!!」  異変に気が付き、イシャナの前に立ちふさがるエドガー。 「どうしたの、エドガー?」  首を傾げてその背を見上げるイシャナ姫。 「・・・・・・」  エドガーの視線は鋭く、強く威嚇するように前を刺している。  ガサガサと木々を掻き分けて出てきたのは6人の盗賊。全員漏れなく――いや、1人を除いて汚い笑みを浮かべている。 「――死にたくなければ、去れ」  エドガーが右手を振り払い、声を張って6人を威圧する。 「ひっひ・・・」  しかし、盗賊共に離れる気配はない。 「騎士殿、騎士殿。俺らは別に姫様を取って食おうってんじゃない。ちょこっと遊びたいだけなんでさ」  ひゃひゃ、と笑いを混ぜながらバンダナを巻いた男が歩み出る。  警戒を強め、剣の柄に手を置くエドガー。そのいつもとは異なる雰囲気と状況に、イシャナは不安を覚え、彼の背に隠れた。 「もう一度だけ言おう――“去れ”。死んでしまっては後悔もできんぞ」  鋼の左手を軋ませて、若き騎士は更に声を低める。 「死んで、後悔? どっちがかな?」 「いくら英雄様でもよ~、6人一斉にかかればどうだろうなぁ~?」  ぞろぞろと陣形を組み、騎士と姫に近づく盗賊達。 「エドガー・・・」  怯えた声が背に響く。その声が、騎士の心に火を灯した。 「 解らぬなら、知るがよい・・・ 」  ――左腕を伸ばし、手首を軋ませながら回転させる。  ――甲高い金属音を奏でる左腕を右手で掴み、肩ごと取り外す。  ――騎士は、取り外した義手を目の前に放り投げた。  何事か、と盗賊達が足を止めて目を見張る。  自分の腕をもぎ取って投げ捨てた、騎士の理解不能な行動。  理解不能なことに惑う盗賊達は、いよいよ次の光景で混乱することとなる。  甲高い金属音を一層激しく鳴らしながら。投げられた左腕がより複雑に、かつ大きくなっていく。  意思があるかのように形を変えていく銀の左腕。  それを見つめる盗賊達の視線が、段々と上がっていく。  盗賊達の視線が停止し、義手であったそれの“成長”が止まった時――。  彼らの視界には、熊よりも一回りはでかい“銀の竜”がそびえていた。  翼は無いが、直立したその姿は紛れも無く、竜。  竜は“キンキンキンキンキン!”と、金属質な鳴き声(起動音)を森に轟かせる。 「うっ、うひゃぁぁぁぁ!?」  化け物の姿に怯え、後ずさる盗賊共。 「さぁ――後悔しようか。野蛮な者共よ……」  剣を抜き、それを突きつける大魔道、“義手鋼竜のバゥロー”。その眼光は先ほどとは比べ物にならない説得力を帯びている。 「いっ、いやだぁぁぁぁぁ!!」  あまりの恐怖に。  盗賊共は叫び声を上げ、競うように森の深みへと散っていった。ただ、1人を残して――。 「・・・どうした、少年。恐れで動けぬか。だが、去れ」  切っ先の照準を突きつけ、威嚇する騎士。  細身の剣を突きつけられた少年は目の前にそびえる竜に怯えながらも、退こうとはしない。 「ぼ、僕は・・・」  歯を震わせながらも、少年は勇気を出している。  視界には、そびえる竜でも剣を抜いた騎士でもなく――その背に隠れた少女の姿。 「僕はっ、その子と友達になりたいだけだっ!!」  拳を握って、精一杯声を振り絞る。  騎士はその言葉を初め、「?」と疑問符で迎えたが。すぐに表情を険しいものに戻した。 「少年、いいか、よく聞け。この方は――」 「 私と?? 友達に!?? 」  騎士の声を遮り、前へと跳ね出るイシャナ姫。その目はきらきらと輝かしい。 「いいわ。素敵よ、そういうこと! ね、エドガー?」  嬉しげな姫に唖然としつつ、エドガーは右の手で額を押さえた。 「・・・ええと、姫。いいですかな。その少年は盗賊で、あなたは姫で。つまり――」 「ね! あなたのお名前は? 私はイシャナ! イシャナ=エルタヴィス=フランドラよ!」  既に少年に近づき、質問を始めているイシャナ。少年は憧れが急接近してきたので、戸惑って顔を赤らめている。 「ぼ、僕は・・・ブレイズ・・・フレア=ブレイズ・・・です・・・」  間が多い回答。まともに答えることもままなっていない少年、フレア。 「フレア、そうっ、フレアね! よろしく、フレア!」  手を取り、顔を近づけるイシャナ。  無邪気な動作に、純粋なフレアは怯えて硬直した表情を浮かべ、素早く「う・うん」と頷いた。 「・・・・・・」  エドガーはすっかり戦気を失くし、「やれやれ」と呟く。  溜息を吐き出した後、彼は少し緊張感のある声を出した。 「少年――ブレイズ、といったか」 「ぁは、はい!」  少年フレアは緊張し、急いで声を出す。 「君は――盗賊だ。子供とはいえ、今まで、多くの罪をしたことになる」 「・・・はい」  表情を暗くして、顔を下げるフレア。 「エドガー!」  イシャナが振り返り、騎士に強く声を浴びせる。  エドガーは「解っていますよ」と諦めた表情を返して、言葉を続けた。 「ブレイズ。これからは盗み、及びその他一切の横暴を許さん――何せ、君は今日から“王国騎士”となるのだからな」 「はい・・・え!!?」  エドガーの言葉に、驚いて顔を上げるフレア。 「誇りを持て、少年よ。もっとも、最初は“騎士見習い”――だがな」  若干不機嫌そうに言葉を続けつつ、義手の回収を始める騎士。巨体の鋼竜は全身に魔方陣を浮かび上がらせると、成長の逆過程を開始した。  少年はいきなりの展開に顔を固めたまま、呆然としている。 「さすがエドガーね! やったわ、フレア!」  姫は彼の手を掴み、大きく上下させて喜びを表現している。  少年の表情が明るくなり、「はい! 解りました、騎士様!」と声が響いた――。  そんなやり取りが終わると、気が付けば日が落ちかけているのだろう。上を覆う木々から差し込む光が薄くなっている。 「さて・・・それでは城へと戻りましょう。陽が暮れた森は――」 「ねぇ、フレア! あなた、“素敵なこと”ってある?」 「す、素敵なこと?」 「・・・・・・」  嫌で、面倒な予感がしたのか。エドガーは沈黙の後、「イシャナ様、ですから夜の森は――」と言葉を発したが・・・無駄なことである。 「そう! 何か素敵な物とか、場所とか、何か知らない?」  外でできた初めての友に詰め寄るイシャナ。 「ええっと――綺麗な場所なら、知っているよ・・・ますです」  緊張気味に答えるフレア。  “綺麗な場所”と聞いてもう、止まらない姫。「案内して! どっちの方向?」などと跳びはねながら、少年の手を引っ張る。 「ああ! ・・・あ~あ・・・」  エドガーはがっくりと肩を落として姫達の後を追い始める。  義手を取り付けながら騎士は「やはり外になど連れなければよかった・・・」と、今更な後悔をした――――。 /  街を挟んで反対側の森には最近、燃え盛る恐ろしい怪物が住み着いたらしい・・・そんなことを言って、イシャナの冒険心を削ごうと試みるエドガー。  怪物なんて見たことないですよ、と付け加えるフレアを一瞥。  一方、いざとなったら英雄が護ってくれる・・・と姫。  炎の怪物の噂なんて、自分だって小耳に挟んだだけに過ぎない。  ただ、なんだかそこには行きたくなかった――きっと、そうに違いない。  何かが、決まってしまう予感がして――。  何かが、代わってしまう予感がして――。 ―― その丘は、昼間はなんてこと無い、ただの草原 ――  夜。日が落ちかける、夜の入り口。  周囲の森は夜に輝きを失うが――この丘は、夜にこそ輝く。  流れ星の丘の上で。3人は空を見上げた。  見上げた夜空には、同じ方角へと流れる「無数の輝き」―――いくつもの「流れ星」。  少女は、言葉を失って・・・ただ、空を見ていた。  少年は、言葉を出さず・・・ただ、空を見ていた。  騎士は、言葉を飲み込み……………。  深い青が黒へと染まり行く空。  夜を、無数に流れる、輝きの川。  霧なんて必要が無かった。幻想は、ここにもあった。 「・・・夢ではないのよね、フレア」 「・・・僕にも、解りません、イシャナ様」  2人は互いに夜空の不思議を感じながら・・・同じに「綺麗だね」と微笑んだ。  顔を合わせずとも、言葉を出さずとも。少年と少女は心を通わせていた。  もちろん、2人はそんなこと意識なんてしていなかっただろう。  ただ、2人を見守る騎士は・・・夜の丘に立つ2つの影の近さを――理解していた。  騎士は少し離れて2人を見守りながら、空の美しさを認めていた。  城への帰り道。もっとも、フレアにとっては“帰り”ではないのだが。  流れ星の正体は「光コウモリ」なんだと少年が伝えた。  ただ、単に。日中に活動する珍しいコウモリが大群をなし、巣である洞窟へと合流しながら帰っていくだけの景色・・・理屈が解れば夢でも幻想でもないはず。  そう、その事実は夢でも幻想でもない――それでも、その“光景”は、夢なのか幻想なのか解らない。  2人は「不思議だね」と顔を見合わせた。  騎士はまだあどけない2人に「その感性を、忘れないように・・・」と優しく伝えた。  やがて、城が近くなった。  月に照らされ、川の流れが見える橋の上。  2つの小さな影と、1つの影が楽しげに、和やかに歩いている。 ――それはまだ、王様が咳を始める前。  暖かく、平和な王国でのお話―――。 _____________________ ACT- Princess dream. 「・・・フレア。お前には魔術の才は無い。剣に生きろ」 「えっ、イヤですよ! 俺はあなたみたいになりたいんだ」 「――まったく、我侭になりおって・・・姫の悪い癖を真似るな」 「あら、私の悪い癖って何かしら、エドガー?」 「・・・いえ。何でもありません」 「イシャナが我侭だってさ」 「! エドガー?」 「ああっ、もう! いいから修行を続けるぞ、フレア!」  3人の笑い声が城に響く。そんな日々が――――――――・・・・・・ 章第: 『流れ星の降る丘で・・・』 ― END
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