剣の桃源郷

 「サンブレア王国」の歴史は偉大な「剣の王」から始まる。  現存する文献には茶色いシミがあり文字は滲んで解読が難しい。当時を知る人間は長寿を誇る一族ですらその寿命を終えている。 ―――遥か昔の『ミステリア大陸』に、一頭の巨大なクジラがあったらしい。  クジラはしかし、人間からの呼び名で。見た目が“それっぽい”というからに過ぎない。  実際にその大きすぎる生物が何だったのかは今でこそ不明。何せ、陸に住むクジラなど彼以外に存在したことが無いから……。  その、大きすぎるクジラは歩くだけで野山を崩し、森を根こそぎ食べては大気を吹き飛ばす欠伸を響かせていたそうな。  大陸の北方、寒波の強い地方を好み、暑い季節は夏眠する北の王者。  しかし、彼のせいで生態系はまともに成立せず、人々は北の大地を恐れてまったく進出できない。  人々は口々に「迷惑な怪物だ」とクジラを忌み嫌っていた。  まだ火薬も無い時代。どうにか作られた鉄器を用いてクジラへと立ち向かう人々はいたらしいが、全て相手にもならずに追い返され、時に食われたらしい。  そこに、一人の青年が颯爽と北の大地へと向かった。 『クジラは私が退治してみせよう』  青年は生まれながらに2mを超える長身と勇壮な体躯を持っていた。  しかし、いくら勇壮だと言ってもあくまで人間内での話。  頭の先に立つと大きすぎて尻尾の先が雲の彼方へと霞む――そんな巨大なクジラと比べるたら、なんとも情けない生き物である。 『無理だ、止めておけ』  人々は口々に青年を引き留め、また『愚かな行いだ』と小馬鹿にもした。  勇敢な青年は人々に言い放つ。 『無理だと言ったな? よし、私が事を成したら北の大地を預けてもらおうか』  この大言壮語に人々は呆れて 『いいだろう。精々頑張りな』『面白い、やれやれ!』と、はやし立てた。  人々の野次を背に、北の大地へと旅立った青年。人々は何の期待もせず、賭けすら成立する気配も無かったのだが‥‥‥。  数年の後。なんと、青年は見事にクジラを大陸から消すことに成功していた。  クジラの欠伸が聞こえなくなった人々は驚き、青年を歓声と共に迎え、そして北の大地の新たなる主として尊敬した――・・・――と、こうして誕生したのが『サンブレア王国』である。  興国以来、サンブレア王国では青年が手にしていた一振りの剣を代々国宝として伝えている……。  格別、いや、実際には剣そのものに力は無い。  剣は最初の所持者から一貫として、“ある条件”を達成した英雄へと授けられる。  その条件は―――“偉大な魔導士”であること――――。 ―SCENE- Rebellion.  長い、長い、北国の冬―――全土が雪景色に輝くサンブレア王国。  サンブレアは「秩序の地」などと呼ばれてはいたものの、それは水面下の努力による賜物だ。  騎士団を要するのも、「戦わないための努力」であり、一切の兵器が無くては虚言造語の乱れる世界であまりにも危険という考えから。実際、平時には仲の良かった同盟国が、大飢饉で衰退したことを皮切りに同盟した隣国へとなだれ込む――など、ごく平然と歴史で繰り返している。  国同士の関係は生身の人間関係と同じで、緊急時になると口先など意味を持たず、一定の腕力すらないとイジメの標的になりかねない。「僕は筋肉が無いので喧嘩を売らないでください」と言っている人間がいたら、「殴ってください」と宣言したに等しいであろう。  先代の国王は戦力を有しながらも臆しすぎていた。  そして、その長子は逆にギラギラと目を光らせ過ぎていた。  病によって国王は没し、後をトーレ=ガンスラット=フランドラが継ぐことが確定した矢先の出来事……。  大臣、ヨハン=バウザールが国の英雄である「大魔導」を引き入れ、反旗を翻した。この造反は国の腐敗を正すためとも、外交意向の相違から生じた亀裂によるものとも推測されている。  英雄率いる王国騎士団が全て寝返ったも同然だったので、戦力的には勝負にすらならなっていない。国の象徴を奪われた王家に、国民へ訴えかける説得力も無かっただろう。  ヨハンの反乱は成功し、新王であるトーレ及びフランドラ一族は捕えられ、処刑された。私怨も感じられる凄惨で暴力的な王座交代劇である。  後、ヨハンはサンブレアの王位を奪取したことを大陸各国へと通達した。  ――王家の宝を持つ英雄は立場を軽んじるような自分の判断を責めていた。しかし、同時に納得もしていた。 “王家の処断に例外は作れない――ただし、お前が背負うであろう罪に報いる必要もあるだろう……完全な自由とはいかないが、1人くらいなら生かす道を―――用意してある”  ヨハンの言葉が全てであった。  いつからか、英雄は国の象徴ではなくなっていた。 『国の守護者である前に、ただ1人の護衛であれば、それで良い……』  隻腕の英雄は既に理解していたはずだった。ただ、認めていないだけである。その姿は既に一介の剣士にすぎない。  だからこそ、剣士は“2人”を追うのであろう。  手を繋ぐ彼らの姿に、割り切れない想いを抱いて――――――。 $四聖獣$ __________________ Cross × Silver 章題:「銀の交差」 __________________ ACT- START 「同じこの星に、私達と異なる幻想のような世界が存在する……」  『幻想と現実の境界』――などとかつては言ったものだが。一部の人間にとって、「どちらも現実に相違ない」ということは既に知れている事実。  だが、それでも世間の人には御伽の話であり、「サンタクロースを信じる大人」に等しい割合の人間しか信じてはいないだろう。それも、大半は夢心地に―――。  東京都の某所。高層ビルに挟まれている寂れた一軒屋。前を通る広い国道にはそれなりの車が行き交っている。  かつてはもっと華やかだったビジネス街も、今では廃ビルが珍しくない様子が寂しい。 「それでは、行って参ります / 留守番よろしくね!」  乙女が2人、家の出口から出現した。少し着飾った様子から、ちょっと長めのショッピングに向かうことが窺い知れる。  片方は清楚な女性で、長い黒髪が美しい。もう片方は可愛らしい印象の自然な金髪が良く目立っている。 「気をつけてね輝歌~」  などと優々しく手を振る赤茶髪の青年。『朱雀』という名の彼は、特に構えた服装でもなく、気楽にTシャツ、Gパンの装いで彼女らを見送っている。 「わ・た・し・には?」  金髪の少女が眉を寄せた。 「ハイハイ。気をつけてね~」  面倒くさそうにヘラヘラと笑みを浮かべて返す朱雀。  露骨な態度変化に金髪少女は怒りのボルテージを溜めた。彼女はぷんと背き、隣の清楚な女性を「早く行こっ!」と引っ張った。 「あらあら?」  戸惑いつつ引っ張られる清楚な女性。  穏やかに手を振る彼女と、金髪少女の姿が小さくなっていく。  やがて、2人の少女は駅の方角へと、ビジネス街の中に紛れて行った……。  ある程度手を振り返して。  朱雀は「やれやれ」と欠伸をしながら家へと入る。家に女がいないとなれば、気を使うこともない。  朱雀はぽりぽりとTシャツごしに鎖骨のあたりを掻き、また欠伸をかく。心地良い風が流れる部屋のソファに座り、TVの電源を点けた。  ごろりと横になり、ボーっと画面を見ながら瞼を閉じていく朱雀。平日の昼間っから何を若い者が……などと思うが、先日に面倒な仕事をこなしたので、その反動故である。目を瞑っていただきたい。  薄っすらと聞こえる子供の声。  夏休みもいよいよ後1、2日となり。宿題に追われる者、宿題を諦める者、すでに終わっている者、と様々であろう。今聞こえる声の主は、いったいどの部類であろうか?  そんなことを考えると、身を過ぎて行く晩夏の風。  適度に冷たい感触に眠気も増進されるというもの。  うとうと……うとうと……意識が、遠く、遠く…………。 「 すいませ~んっ。アーティ君はいらっしゃいますでしょうか?? 」  穏やかな部屋に風を乱して入ってきた爽やかな声。しかし、さわやかでも男の声なので朱雀にとっては不愉快。 「あ゛?」  と、無愛想に起き上がる。 「おっ、君は確かアルフレッド! 久しぶりだね!」  馴れ馴れしくも、勝手に上がりこんでくる青年……この男、さぞかし街中で目立ったことであろう。  長い髪は赤く、服装は「貴族」を一発で連想させる、洋風の代物。  ただ、どこか現実味が薄く――言ってしまえば“コスプレ”にしか見えない。  また、その顔つき。男とは思えぬほど美しく、まるで西洋の若乙女を思わせる風貌。顔だけ見れば非常に似ている――見慣れたあの顔・・・ 「やややっ! 君はヘレナっ、ヘレナじゃないか!」  そう。地下から出てきた金色で長い髪の青年、『玄武』にそっくりなのである。背丈がやや低いが。髪型と服装を揃えればまるで双子、というほど似ている。  手を広げて友人へと駆け寄る玄武。  『ヘレナ』もまた、手を広げて背の高い友人を迎えた。玄武には劣るが、それでも180cmに迫る身長ではあろう。  キャッキャウフフとじゃれ合う青年共。  玄関で再会を喜び合う2人を鬱陶しそうに眺める青年‥‥‥。  朱雀はすこぶる不機嫌な様子で煙草に火を点け、煙を吐き出した。 「――で、何の用だ?」  テーブルに腰掛け横目に問いかける。  ヘレナはキョトンとした後、ニッコリと笑って答えた。 「いやぁ~、ちょっと僕のいた国が滅んじゃってさ。学校にいられなくなったんだよ」  爽やかに物騒なことを言い放つ赤い髪の人。  朱雀はなんだかよく解らないが、だからこそさらに“不機嫌”を顕わにした。 「ええっ大変じゃないか! ……国って滅ぶと大変なん? 朱雀?」  とりあえず友の危機らしいから驚いてはみたものの、良く解らないのでお利口な人に聞いてみる玄武。 「黙っとれ。……つか、テメェら“魔道士”っつーのはこっちで言ってみりゃ学者だろ? それが何で追い出されてんだよ。普通、次も置いてもらえるだろ」  魔導士――そう、ヘレナは“魔導士”なのである。幻想の霧の向こうでは大が付くほどの魔導士っぷり。  人格云々はともあれ、腕はあると思われる彼が、どうして国を追い出されたのであろう?  ――まぁ、回答はどうであれ。朱雀には「さっさと去ってくれ」という思いが満々ではある。 「それがね。クーデターで国を再構築している最中だから、大魔道を2人も養えないって言われたんだよ。いきなりさ! 酷いだろ?」  合わせた手を躍らせながら、玄武に伝えるヘレナ。 「それは酷い! いきなりなんて! ……くーでたーって国を滅ぼすこと?」  踊りながら聞いてくる玄部。朱雀は口を尖らせて煙草をひくひくさせている。 「クーデターは国の政権を奪おうと動くことなんさ。今回はそれが成功しちゃったんだよ。それで――こっちでしばらく居座りたいんだけど。どこか研究できる場所って、無いかな?」 「無い」 「わ~、簡潔な回答ありがとー!」  ヘレナはニコニコと朱雀に笑みを見せた。無言のメッセージである。「だったらここを動かんぞ!」という、決意の笑顔。 「……面倒くせぇ野郎だな」  緩慢な動作で立ち上がる朱雀。「だったらここで研究しなよ!」と騒ぐ玄部の頭を引っぱたきつつ、携帯を手にした。 「なんだよ! 叩くなよ!」 「うっせ。家を灰にされてたまるか――とりあえず、当てを紹介すっから。待ってろ」  壁に寄りかかり、「ふぃ~っ」と煙を吐く。  面倒だ、面倒だとそぶりで言いつつも。結局は動いてくれるガラの悪い青年。  ヘレナは「ありがとう」と爽やかな笑みで感謝した。  玄武が「見せたい物があるんだよ」、とヘレナを地下へと連れて行く。  暢気なその姿に呆れながらも、通話相手の応答を待つ赤茶髪の青年。  ふと、彼は気が付いた。 (そういやあいつの国って。今、“あのバカ共”がいるはずでは……?)  ・・・なんだか危険な香りはするが。  しかし、よくよく考えれば今回の依頼と国の情勢は関係無いはずである。  朱雀は何か引っかかりを覚えながらも、杞憂は面倒だ、と忘れることにした――――。 ‡ STORY BY, THE FOUR HOLY BEASTS...  / 剣の桃源郷 /  ...The Intersect Ag ‡ ACT- 1  雪が積もった村。周囲を深い木々が囲み、動乱にある都市の喧騒はやや遠い。  ――スノー・ウッド―― 群生する木々は、冬にも葉を茂らす稀な広葉樹である。  スノー・ウッドの森から、2人の青年が村へと入り込んだ。  片方は被っていたヘッドライト付きのヘルメットを脱ぎ、青い髪を顕わにする。  片方は煤けた体など気にすることもなく、破れたタンクトップを気にせず歩く。 「腹が減った!」と五月蝿いガサツな青年を「解った、解った」と和風な青年が諭す。  良い香りを嗅ぎつけたのか。ガサツな青年は制止をする間もなく走り出した。  踵で新雪を巻き上げながら。黒髪の青年は村の柵を飛び越える。  和風な青年は「しょうがない奴だ」と呟いて、天を見上げた。  夜でも明るい。月の光が雪に反射して、田舎の道は明るい。  薄いピンク色の空に、雲がぼんやりと判る。「ああ、幻想的だな……」と白い息を吐き出して。  ふと、寒さを思い出し、マフラーに顎を埋める。  ちらちらと舞い降りてくる雪の粉を眺めながら、“ぎゅっぎゅっ”と雪を踏み鳴らして。  和風な青年は、暖かな光のある村へと歩き始めた…………。 / 「いやぁ~っ、実にありがたいことで」 「ほんにねぇ。こりぇで安心して暮らせるだて」  レンガ造りの家屋の中。老婆と中年の男性が感謝の想いを伝えた。 「……はい」  表情の険しい侍は、頬を染めてその言葉を身に受けている。 「それで、謝礼を――」 「……いや、いりません」 「「へ?」」  礼の品を渡そうとした老婆と中年は、思いもしなかった言葉に困惑した。 「今回、我らが成したことは謝礼をもらうようなことでは御座いません……」  己の未熟さと、散った命の経緯を想う。 それは、実に重い事実。  罪無き命を絶ちはしたが、罪無きことが裁かれぬわけではない、その実感。  侍はその唇を噛み締め、目を瞑り。頑として謝礼を受け取るつもりなどないらしい。 「はぁ、そりゃぁ、それはありがたいこってすが……しかし、それでは申しわけねぇすよ」  中年の男性はこの頑固な若者に困り、頭を掻いた。 「ほんじゃ、まぁ、代わりに飯を沢山食ってくだせぇよ。今までの代金もいらねぇだす」  老婆が若者に穏やかな提案をした。侍は青い髪を揺らして「いや……」と渋ろうとしたが、「まぁまぁ・ほりぇほりぇ」と食堂に連れて行かれる。  老婆の善意に心が弛み、「ならば、ありがたく――」と侍は答えた・・・が。その数分後。  食堂で見た皿の山を目にして。侍は「やはり申し訳ない……」と再び悩んだ。  てんやわんやの食堂では、背の低い青年が「おかわりっ!!」と、絶え間なく声を発している――――。 ACT- 2  雪が止まぬ、丘の麓の村。  囲む森を抜け、1組の男女がここに入った。  2人とも深くフードを被り、女はマフラーで口元を隠している。  村の入り口にはこの寒い季節、わざわざ外で晩酌をしている老人がいる。  黙ったまま、老人の前を通過する2人組み。老人は酔っぱらっていながら、「ようこそ!」と声を張り上げた。 「――こんにちは」  顔は見えないが、フードの片方から若い女の声が聞こえた。 「おじいさん、この村に食堂はありますか?」  今度は別のフードを被った人。これも若いが、男の声である。  老人はぐびりとボトルの酒を口に含み、飲み込んだ。アッツ熱の息を「げぇっぷ」と吐き出す。 「食堂なら奥にほら、騒がしいのがあるだろう? 今日はちょっとした祝いの日でね。余所者には馴染みにくいかもしれんが、飲み食いなら十分にできるぞぃ」  そう言って、老人は村の奥をボトルの先で示した。  言われて見れば、確かににぎやかな一軒がある。  若い2人組は老人に礼を述べると、静かに雪の村道を進んで行った。  老人は潜むような2人の背中に視線をやっていたが、彼らが何をこそこそしていようが関係ない。今日は酒が美味い日だ――と、再びゲップをしながら雲の形が解りやすい、重そうな空を見上げていた………。 /  戦場のようだった食堂もようやく落ち着き、平常な光景になりつつある。……皿の山はまだ片付いてはいないが。  すっかり満足して眠る黒髪の青年。体つきが逞しいこの青年の名は『白虎』という。今日は満足する闘いがあり、満足するほど飯も食え。何も言うことはないだろう。  木目の深いテーブルに突っ伏す小柄な青年を、村の子供達が棒切れでつついている。  だが、白虎は起きない。時折「うがぁぁ……ぅ」と呻くのみ。  子供たちはそのたびに「キャア!」と離れ、再び恐る恐る近づき、つつく。まるで眠る熊に悪戯をする子狐のようだ。  少し離れた席。そこには、村の若い衆に囲まれた青年の姿がある。  青い髪に桜色の髪飾りが特徴的な侍は、萎縮しているのだろう。身を小さくしていた。  『青龍』というこの青年は、飲みの席に圧倒されていた。 「大したもんだ! あの化け物をやっつけちまうなんてなぁ!」 「おうよ! 若ぇのに立派なもんだぜ!!」 「……いや、未熟……です。俺は」  初めは「恐ろしい目の奴が来た!」、と誰も近寄らなかったが。いざ肩を組んでみれば謙虚で言葉数が少なく、かといって人を無視するわけでもないので絡みやすい。そのうえ腕が立つ、とくれば血気盛んな男衆の注目を集めて然り。 「おうっ、飲めや! 飲めや! 代金なんざいらねぇからよ!」 「おうよ! 何せ俺らの恩人だからな! ほれほれ」 「……どうも……」  注がれるままにちょぼちょぼとコップを口に運ぶが、減らした以上に零れるほど注がれるので、一向に酒は減らない。  ――青龍は酒に強い。強いのだが、好んで飲むことは少ない。もっぱら1人で飲んだり、赤茶髪のお調子者とたまに飲み交わすくらいである。  こうして大人数で飲むことはあまり好きではないのだが……誘いを断ることが苦手な侍は、言われるままにその場へと封じられている。 「おめぇはあいつみたいにモリモリ食わねぇのか!?」 「……はぁ、俺は、そんなに量は……」 「あらぁ、盛り上がってるわねぇ~!」 「!?」 「何、ナニ? その子が怪物を退治した子?」  騒がしい酒の席に、一層騒がしい方々が来襲した。青龍は内心「ゲっ!」と焦った。  来襲した女性達は青龍よりいくらか年上で、頬を染めて顔を俯かせた青年に「まぁ、可愛らしい」と迫ってくる。  女性の香りが意識に入り込み、体温が上がっていく。まともに顔も上げられない状況。 「すごいのねぇ~、まだ若いのにね?」 「い、いや……あいつを倒したのはそこの……」 「おうよ! こいつったら見かけによらず酒も強ぇんだぜ!! なっ!!」 「剣一本携えて怪物退治っとくらぁ、伝説様の再来じゃねぇか!?」 「……あの……」 「あら。でも、よく見たら顔つきが凛々しいわぁ~! 結構好み」 「オ!? おいおい、小僧! お前ったら憎いねぇ~」 「おう! どうだ、そのままくっついちまったら!? そしてこれからもこの村に住め!!」 「…………」 「あら、ズルいじゃない? ねぇ、それだったら私の方がいいわよね?」 「ちょいと! あたしも参加するよ、その競争!」 「おいおい、年の差を考えなよ、おばちゃ~ん」 「な~にが年の差だいっ、このボケナスぅ!」 「いてっ!」 「「『 わはははっ!!! 』」」  背中や肩をバシバシ引っぱたかれ、頭を撫で回される青年・・・青龍は、半分意識が飛んでいる。  「早く1人になりたい……」そんな弱音を心で呟きながら、彼はちびちびと酒を飲んだ――。  盛り上がる酒宴の席。村で唯一の食堂兼酒場はヤンヤ、ヤンヤと喧しい。 <カラン…カラン…>  賑やかな食堂の扉を静かに開いて、フードを被った2人組みが入店した。2人は隠れるように店内を進み、店の角に隣り合って座る。彼らがあまりに静かに入ってきたので、店員の姉さんは気付くのが遅れてしまった。  慌てて駆け寄り、 「いらっしゃいませ。ご注文は?」  と、問う店員。 「暖かいスープと……なんでもいいので、食べ物を」  小さな声で曖昧な注文を返したのは男の声。それも、相当に若い。  店員は「え――と。コーンスープとハンバーグライスでいいですか?」と不安げに聞く。  フードの男は頷き、そのまま黙った。  店員は店内でもフードを取らない2人に違和感を覚えながらも、注文を伝えに走る。  外は寒かったのだろう。  微かに震える彼女の手を、男はそっと握った――――。 ACT- 3  村の一角からやいやいと騒がしい声。化け物がいなくなったことを祝う宴は続いている。  村の入り口で。この寒さにも、老人はアルコールの強い酒を飲んで雪を見ていた。  70年近くこの村に生きた男は、こうして雪降らしの空を眺めつつ酒をやるのが冬の楽しみになっている。  さすがに年もあるので厚着は欠かせないが、それでも彼の家族は「風邪引いちゃうわよ」と彼を止める。しかし、解っちゃいない。若い者は解っちゃいないな、と老人。  ボトルから直接飲んでいたが、どうも尽きたらしい。顎を上げてみても一滴すら落ちてこない。 「おい、ないぞー」  なんて言ってみても、ここは外。妻は息子夫婦と家の中でくつろいでいるので聞こえはしない。  口をもごもごさせてゲップを吐く老人。良い心地でふと、顔を上げた。  白い雪道を、白い制服の男が歩いている。  何か覚悟があるのか、元からなのか。目つきは冷たく、表情は無い。  銀色の頭髪にとまる雪の粉達。身にまとう制服は、王国の騎士団の証である。  軋む左の腕は――月の明かりを反射して、青銀に輝いている。  どこかで見たその風貌……以前、目にしたようなその風貌……。 「ありぇ? なぁ、あんた。もしかして――」  酒で揺れる視界を歩く男に、指を突きつける老人。  雪道を行く銀の左を持つ男は老人を一瞥すると、止まることなく村の奥へと進んでいく。  無言に去っていく男の後姿。  それは、“王より高名”と称されるこの国の守護者では――と、老人が思い当たった自分の予感に首を傾げていた……。 /  宴の続く食堂。しかし、皆酔いも回ってきたのか、先ほどよりは大分落ち着いてきた。  ようやく開放され、食堂の影にあるような席に移動した青龍。疲れた様子で水を飲んでいる。  視線を上げれば、相変わらず騒がしい酒宴の席。90°視線を動かして、隣のテーブルは対照的に、中年の男がしんみりと飲み交わしている落ち着いた席。  「こっちのが良いや」と、青龍は溜息をこぼした。虎は相変わらず寝ている。  青龍の隣の席。そこに座る中年のコンビは世間話を酒混じりにぐだぐだと綴っているらしい。 「しかし、大変なことになったなぁ~」  顎鬚の男が口を開いた。 「ほんとな。王が代わったと思ったら反乱が起きるなんて」 「いいかげんはっきりして欲しいものだぜ、お偉いさん方には……」 「嫌味な王もお断りだが、胡散臭い大臣も困ったものだがね」  国の情勢に愚痴を吐く2人。どこの国も、世界も。評価され続ける政治などないのであろうか。  話の内容から察すると……どうもこの国(サンブレア王国)は今、クーデターで王権が交代したばかりらしい。  そんな重大なことを今更知った青龍だが、だからといってどうということもない。 「で、王族の奴らはどうなっちまったんで?」 「それがな、元の王もそうだが、皆“こう”……らしいぜ」  男が首を手で横切る動作を取る。  言わば、幻想の先である世界――。その政権の交代は与党野党が入れ替わる、なんて規模ではない。それもここくらいの“王国”なら当然だろう。  それにしても皆殺しとは……青龍の眉間にシワが増える。 「俺ぁ怖くて公開処刑なんざ見にいけねぇや」 「あちゃ~、そいつあひでぇ。……っつーことは“お姫さんも”かい?」  ――ガタッ――と、音。  特に誰が気にしたわけではないが。青龍はこの店で何者かが身構えたことを察知した。  違和感の方向に視線を送れば、そこには怪しいフードを被った2人の姿……。  酒の席を挟んで、青龍から対岸の位置。そこに座る2人は、温かな食事を口に運んでいる。 「どうしたの?」  女の声。隣に座る男の緊張が強まったので不安になったらしい。 「……いや、なんでもない。それより、火傷に気をつけて食べなよ」  男は女を気遣い、優しく微笑んで見せた。  フードの影にあるその顔つきは、青年というよりはまだ少年――。  隣の女も、マフラーでよく顔は解らないが、どうにも幼さが残っている。 「………」  青龍は対岸の2人組を観察し始めた。  何か危険が……なんてことは無い。無いが、剣士の本能か。フードの男が剣を持っていることが気にかかる。  青龍は水を一口に飲み干――――/ 「「 !!? 」」  それは、高い音であった。同時に、酒場にある2人の剣士のみがその気配に気がついた。  一瞬だけ、1つだけ鳴らされた“金属音”。  青龍は単純に「何かいる」としか理解できなかったが。フードの少年は「誰がいる」のかも理解した。そして顔つきを強張らせ、唇を噛み締めた……。 「ねぇ、どうしたの? 何かあったの?」  不安な少女の声。 「……それを食べたら、ここを出よう」 「え、でも――もう日は暮れてしまったし……宿はどうするの?」 「いいんだ。とにかく、早くここから離れよう――」  漂う肉の香りと、飯の味。  フードの少年は、身に染み込ませるように食事を摂った……。  やがて立ち上がり、店を出て行く2人。  少し多めに置かれたテーブルの代金。 「あら、案外羽振りがいいのねぇ~」  と店員の娘が感心している横。  2人にやや遅れ、青い影が通り過ぎていく――――――。  「……僕が、必ず君を護るから――ずっと、傍にいてくれ」  「どうしたの、急に? ――でもありがとう。私、嬉しいわ」 ACT- 4  雪原。そこは村からやや離れ、来た方向とは逆側の森を抜けた先。  丘の上の草原はこの季節、白銀の雪原と成る。  雪の丘に立つ2つの影。  フードを取り、空を見上げる少女は「やっぱり、この時間じゃ見られないわ」と。  フードを取り、空を見上げる少年は「解っていたさ。ただ、ここなら彼も――」と。  少女はやはりまだ「大人」と言うには幼く、年齢で言えば14、5といったところ。少年もまた、年齢は同じくらいだろうが、そこいらの子供に比べれば随分と精悍で、既に何かしらの志を持った顔をしている。  少女の薄黄色の髪には蜥蜴の髪飾り。  少年の腰には剣が一振り。  雪を地へと注ぐ天に見とれる少女の隣。  できることならば避けたい――そんな期待を、この丘に託して。少年は剣の柄に手を置いて、振り向いた。 「浅はかで、無鉄砲。それが誇り高き王国騎士に相応しき行いか否か……解らぬか?」  さくっ、さくっ……と、甲冑の足が深く白銀に沈む。  銀髪が揺れ、金の瞳孔は少女に並ぶ少年の姿を映している。  鋼の左腕に。積もり、溶けた雪水が凍りの雫となり、残った。  白銀を進む騎士の顔は無表情で、そして冷たい。 「逃げ遂せるものか。“未熟”に、才も無いお前が――」  彼は間合いを2つほど離した位置に止まり、腰にある細身の剣を抜いた。 「――やはり、盗賊など信じるべきではなかったな」  その場に在るだけで他を威圧する圧倒的な存在感。騎士は容赦なく、冷めた眼光を少年に突き刺している。 「俺は、盗賊じゃない……今は姫を護る、騎士だ!」  下がりそうな足を堪え。少年は声を振り絞り、反抗した。 「――王国は今、バウザール様の統治にある。騎士ならば、その命に反するわけがない」 「あいつの騎士じゃない。俺の主君は姫だ! あんたもそうだろ、思い出せよ!」  少年は両腕を広げ、この丘を「見ろ」と訴えた。  だが、騎士は表情を無のままに。何の変化も見せない。 「――無論。だからこそ、姫を取り返しに来たのだ。反逆者の戯れ者からな」  踏み込む。騎士は白銀を踏み鳴らし、一歩踏み込んだ。  少年は警戒し、ついに剣を抜く。  緊張した剣士達の姿に怯えたのだろう。少女は、少年の背に隠れた。  その姿はまるで、茂みから現れた盗賊の視線から逃れるように、頼れる騎士の背にすがるかのように……。  金の瞳孔が尖る。  騎士は剣の切っ先を少年に向けて威嚇し、強い口調で言い放った。 「――去れ、反逆の者よ!!」  向けられた剣の威圧感……だが、それよりも。少年は自分に刃を向ける騎士の姿が悲しくて、残念で……。 「いやだ! 解っているだろう? 城に戻れば、姫は殺されちまうんだ!!」  声を張り上げる少年。  姫は――すでに処刑されたことになっている。否。逃げられた、など言えないものだからそう公言しているのだろう。どの道、いずれは成ることとして――――。 「あんたも望むのか! そんなわけが無い! そうだろう、あんあたがそんなことっ、望むわけがないだろ!!!」  少年は――騎士の心を信じ、今一度訴え、そして願った。 「――姫は生きる。これは、バウザール様にも許可を頂いた事だ」 「あ、あんな奴の言うこと信じるのか!? あいつは、イシャナの兄さんや叔父さん、叔母さん……大勢を殺した奴だ!」 「黙れ。少なくとも、貴様と共に逃亡するより余程安全な道だ。――フレア、姫のことを想うのなら、今すぐに失せろ」  言葉と共に、更に一歩踏む出す騎士。  少年は、騎士を尊敬していた。憧れていた……。  まさか、彼がこんな――こんな―――― 「 エドガーッッッ!!!!! 」  少年は剣を構え、そして今にも飛び掛ろうと姿勢を低くする。  騎士は、視界の中で構える少年の剣がいつもの木製ではないことを今更ながら自覚し、その猛々しい姿に、少し感動した。  だが、もう遅い。  騎士は少年に、最後の警告を行う。 「フレア、もう一度だけ言おう――――“去れ”」  その言葉がまだ雪原に残る内。  少年は駆け出していた。  雪の足場にも、しっかりと突き進んで行く。強い足腰のおかげであろう。彼が今まで経てきた時間、重ねてきた鍛錬の重さが伺える。 「エドガー......!」  小さな声であった。だが、あまりにも辛い光景に、祈る気持ちで発した言葉である。  きっと、その言葉には「止めて」という想いがこもっていた。  きっと、少女は2人の戦いなど、見たくはなかった。  だが、その言葉――自分の名を呼ぶ少女の声に。騎士の剣はその本能に従い、「戦い」への反応をしてしまった。  そう、「姫は私が護る―――!」という、強い意志に従って………。  “ザクッ”とした、鈍い音が鳴った。その音は、剣が人に突き刺さった音。  恐ろしい速度の踏み込みである。少年はまだ、剣を振り下せてすらいなかった……。  鮮血が雪原に飛ぶ。  体内からの温かさに、雪原が赤く溶ける。  互いに騎士ではあるが、経験も、才能も、鍛錬の重さも――差がありすぎた。  まして、師と弟子である。良い癖も、悪い癖も、師は弟子を熟知している。  細身の剣を抜き、呆然とした表情で血の噴く弟子を見る騎士。  剣を手から零し、苦悶の表情を浮かべて膝を着く少年。 「――・・・」  騎士は言葉を失う。だが、これは戸惑っているのではない。まだ、覚悟の余地がある。  問題は、その覚悟ができるのか、ということ――すなわち、「止めを刺す」という決意が纏まらず、黙っている。 「フレアっ!」  少女が少年に駆け寄った。涙を流して、息が整わない彼に寄り添う少女。 「ち、ちく……しょう」  傷口を押さえ、虚ろな目で少女を見る少年。  涙する彼女の姿を見て、師の言った「未熟」を強い説得力と共に受け入れた。  だが、それでも雪原に紛れた剣を探そうと身を傾ける少年。 「ダメっ! フレア、じっとして! お願い、お願いだから!」  か弱い腕で必死に少年を抱き寄せる少女。  少年は、小さく「ごめんな、イシャナ」と呟いた……。  自分の名を呼ぶ少年の弱々しさが怖くて、悲しくて――少女は涙を流してただ、祈った。  ――ぎゅっ、ぎゅっ―― 新雪が、踏まれる音。  少女は視線を上げて訴える。 「エドガー、お願い。もうやめて……私、あなたについていくから」 「だめ、だ……君は、護る……約束……だから――」 「フレア――いいの……ありがとう」  意識も絶え絶えの身で。腕を伸ばして騎士を遠ざけようとする少年。  そして、悲しげに少年を見る少女。  騎士は再び無表情となった。2人の姿が、彼の心に火を灯す。  いつか、代わった気がした―――いつか、決まった気がした―――。  薄々、いや十全に理解などしている。ただ、納得できない、認めたくない! 「 変化を……権利を我が手に。今こそ―――― 」  騎士、エドガーが意を決して決着を付けようとした、その時……… ―――瞬時、雪が強まる。降り注ぐ雪は白の花吹雪か。  少女の涙と、少年の鮮血。そして騎士の覚悟が交差する白銀――そこに、『青』。  和風な出で立ちとは言え、“こちらの世界”ではなんと評するか。  ともかく、寒そうではあるな――と思ふことであろう。  夜の森を彷徨った青い侍は、積もった頭の雪を払いつつ、雪原を歩いて来る。  口元を隠したマフラーから白い息を立ち上らせて、「侍」は直線に歩いて寄る。  少女は怯え、泣いていたので気がついてはいない。  少年は意識も薄く、気がつくどころではない。  唯一、その青色に気がついた騎士は―――何ともいわずそれを見ている。  やがて侍は少年の元に寄ると、彼の傷口を診るため、服に手をかけた。 「え、え!?」  戸惑う少女。当然である。得体の知れない男――それも、異様に目つきの悪い面の男が大切な人に触れているのである。警戒もするだろう。  だが、侍はこんな事態に慣れているので、「大丈夫、俺は医者だ」などと大層な口上で少女に嘘を吐く――いや、嘘と言ってはあんまりだが、ともかく、彼は医者ではない。  もちろん、そんな言葉で信頼できる風貌ではないのだが、少女はこの状況で「医者」という言葉に少しでもの救いを期待した。むしろ、期待するしかない。  青い侍は少年の傷口を見ると、「ん」と、ほんの少しだけ首を傾げた。  侍は着物の懐に手を突っ込み、一枚の白紙を取り出す。見た目は“湿布”のようだが、これは筋肉痛に効くだけではない。 「少し、熱いぞ……」  彼なりに警告をしてから湿布を傷口に張る。  すると、確かに“熱い”。 「うぐっ!」と、少年の表情が歪む。  即座に少女が厳しい目で睨むが、侍は「大丈夫だ」と、一言。実に如何わしい。  少女が不安を明らかにしていると、止まらなかった少年の出血が大きく減少したのが目に見えて解った。  依然として少年の表情は辛そうだが、それでも素人目に「血が噴出している」という事態が収まりつつあることは安心に繋がる。 「あ、あの――」 「応急処置だ。これで万全ではない。早く、村に連れていかねば……」  侍はそう言うと、立ち上がって視線を横に移した。  騎士は一連の処置を黙って見ていた。  妨害をしようなどとは思っていないが、快いとも思っていない。 「少年と少女を相手に――大人気の無いものだ」  侍は強面を騎士に向ける。 「――罪人に大人も子供も無い。一切の容赦が、不要」  無表情に答える騎士。 「どうかな。詳しくは知りようも無いが、そんな単純なものではないようだが……」 「何が言いたい」 「ただの処罰なら何故、手を抜くことがある……?」  少年の傷。確かに深いが、その場所はあまりにも“安全”な位置。危険には変わりなくとも、まだ治療の余地がある傷である。裁きというには生易しい。 「――偶然の仕業だ。今、止めを刺す」 「それはない。こうして刃を交えずとも解る程の強者が、こんな偶然を呼ぶものか」  しつこい侍に、騎士の表情が険しいものとなった。 「――去れ。医者風情には関係が無いこと」  金の眼光が強く威嚇する。だが、この青い侍。引くどころか少年達の前に立ち、頑として動かない意志を見せた。 「去らぬ。それに、俺は医者ではなく、侍だ」  堂々とした前言撤回に少女が「え?」と声を出す。  騎士は再び表情を無に戻すと、左腕の手首を鳴らし始めた。 「サムライ? どこかで聞いたことはあるが……。何にせよ、もう一度言おう――“去れ”」 「くどい。去らぬ」  即答。 騎士は、非常に頑固らしいこの男に憤りを感じたが、同時に強い意志も感じた。  只者ではない。侍が言ったように、騎士もまた、それを感じ取っている。 「埒が明かないな――よろしい。ならば、全力を持って排除しよう」  左腕を伸ばし、手首を軋ませながら回転させる。  甲高い金属音を奏でる左腕を右手で掴み、肩ごと取り外す。  騎士は取り外した義手を雪原に放り投げた。  自分の腕をもぎ取って投げ捨てる――不可解な騎士の行動。侍は眉間にシワを寄せた。  「何事か」と考える侍は、次の光景で「おお――」と感心することとなる。  青く輝き、透き通った金属音を激しく鳴らしながら。  投げられた左腕がより複雑・精密に、かつ巨大になっていく。  意思があるかのように形を変えていくその姿。  それを見つめる侍や少年少女が影に覆われる。  義手であったそれの“成長”が止まった時。そこには、広大な翼を広げた“銀の竜”が聳えていた。その巨躯はゆうに家一軒を越えるもので、その迫力と言えば筆舌に難い。  巨竜は<ファオォ~~ン>と、冷めた空洞に反響させたハウリング音で雪原を揺らす。 「 後悔を知れ、サムライよ―― 」  剣を抜き、それを突きつける――大魔道、『義手鋼竜のエドガー』。  その片腕の出で立ちは、銀竜を抜きにしても圧倒的な存在感を放っている。  対する青い侍は「見事!」と一言呟いた後、黒き鞘から己が信念の刃を振り抜いた。  青白い輝きを放つ刃は、業物であることを一見に伝える名刀。 「に、逃げてください……」  背後から少年が絶え絶えの息をぬって警告を発する。 「彼には、勝てない……殺されてしまう。逃げてください――」  必死に訴える少年。少女もまた、心配そうな瞳を侍の背へと向けた。  警告を受ける侍。その藍色の着物に染みる少年の言葉―――。  侍は振り向くこともなく、口を開く。 「少年よ。察するに、君はその少女を護る騎士なのだろう?」  侍の問いに「はい」と、強い意志で答える少年。 「ならば」と、侍は続ける。 「例えそれが見知らぬものであれ、無縁のものであれ、後ろめたさを覚えるものであれ―――護る為に必要ならば、しがみ付け。どんなに小さな藁の一本も、決して手放すな」  侍は、その刃を銀に染めつつ少年に伝える。 「戦う覚悟ではない――それが、“護る覚悟”というものだ――!」  未だ降る雪を弾き、新雪の地を巻き上げながら駆け出す青い侍。巻き上がる雪の粉に霞むその背。だが、少年はしっかりと見ていた。  こちらを見ていたわけでも無く、刃を突きつけられたわけでもないが。  その、強い言葉を伝えた侍の背を、少年はしっかりと見ていた。 「おおおおおおっ!!」  侍が雪面を蹴り、跳ぶ。  ハウリング音をけたたましく響かせながら、銀の竜はその鋭い爪を小さき影に振り下ろす。 ―― 銀の一閃 ――  鋼鉄製の竜の腕。その手首から先は今、切り離されて雪面へと落下している。  落下する手先を踏み台に、更なる飛翔。  青き龍のごとき残像は刃を下に、柄の後ろを両手に押さえ、体ごと降る。  金属の擦れる音と共に、降りた竜の肩に刃が深々と刺さった。  だが、銀の竜は何も不便を感じないのか。体を大きく回転させて小さき者を弾き飛ばす。  ヒラリ――雪面に下りた侍は「やはり、機械を止めるは動力を絶つのみか」と、聳える巨竜を見上げた。 ― その突き、正に“紙一重” ――  青龍の頬を僅かに裂いた細身の刃。  騎士の鋭い一撃を勘のままにかわし、侍は後ろに大きく飛び退いた。  その侍を掬い上げるように広大な鋼の翼が襲う。まるで、巨大な振り子の刃の如く、青龍へと迫る翼――雪原を切り裂きながら迫る危険物を、これまた紙一枚の猶予でかわしつつ、銀に輝く刃で裂く。  少しずつ機能を奪っていこう……と考えていた侍は、すぐにその甘さを理解した。  見上げた巨体の両腕は誠に恐ろしく、攻撃的な見た目である。無論、両手の爪は鋭い。  ‥‥‥さぁ、いつの間に戻ったか?  竜の切断された腕は元の通りに戻っているではないか。今し方裂いた翼も、すでに繋がりつつある。  これは、長引けばただ、不利である――と侍が騎士を狙おうと向き直る。  ――が、そこに先手を取る煌く細身の一振り。  今度は咄嗟に抜いた鞘で逸らし、事無きを得たが……。この騎士そのものが「並大抵」という言葉から遥か離れた位置にある身の軽さ。  鋭い身のこなしに、隙を僅かでも見つければ神速なる“突き”が飛んでくる。  反撃をしようにも、突きの反動を利用して即座に身を翻す早業。  理にかなっている。刃で突けば、人は死ぬのである。  元より、人の肉体を裂く程の威力があればそれで充分。よって、必要以上に力まず、置いて去るがごとく速度と流動性を重視した太刀筋。  実に合理的で、実践的。“銀の竜”という存在も考慮した上でのスタイルでもあろう。  巨躯の多彩な一撃に注目すれば、その影から目視不可に近い刃が突っ込んでくる。  なるほど、初見に思った通りである。  この男(騎士)――――強い。  雪原に血痕がしたしたと、いくつも落ちている。  2分と経たず、青龍の身体には傷が数箇所生じていた。これでは長く持たない。  侍は状況を打開すべく、思い切って足を止め、刀を下段に構えた。  瞳を閉じ、強面を一層険しくして、放つ。 「銀染め――桜―――っ!」  柄元から桜の色に染まる、銀の刃。  下地にある銀に重なり、その桜の色は輝いている。  下段の位置から大きく振り上げる。  すると同時。刃は花の気を失うが、その先を“フワ……”と薄く桜の色が広がる。  平面を保ち、伸びるそれは巨大な刃と考えて違いは無い。  広がる刃の寿命は短いものだが、それは竜の巨躯を斜に切り裂いた。  桜刃の過ぎた跡が雪の降る空に刹那、残る。  侍はズレた竜の内に見た。思ったよりも空洞であるその体内に潜む、深く、蒼き立方体。「あれぞ動力源か!」と思い活路を見出した――が。同時に好機を逃したことへの無念もある。  事実、分の悪い賭けであった。  目を閉じた構え――「無眼の構え」は本来、速度のあるモノへの対応に用いる。しかし、それは一点への強い集中を意味するものであり、竜に向けてその注意を放った代償が侍を襲った。  あまりにも速い踏み込みの下に突き出された刃は、侍の腰元上部の肉を裂いた。  追撃を警戒して咄嗟に退いたものの、藍色の着物に広がる黒染みがその傷が浅くは無いことを意味していた。  雪原の面を深く沈め、着地した侍。その強面は変わらず鋭いが、この寒いのに汗が一筋、額を流れている。  ハウリング音を響かせる巨大な銀を背景に、片腕の騎士が白銀の地で侍を見据える。  ――すでに胴体が繋がっている巨大な竜  ――依然として健在な騎士  離れた距離にある少年は薄い意識の中、唇を噛み締め――  戦いを見守る少女は騎士の名を呼び、一層に涙を流す――  侍の信念。それはこの場面でも揺らがない。  無関係の少年と少女。彼らが正しいのか否かも確証は無い。  立ち塞がる騎士が悪人だという証明も無いし、その気配も無いと勘は告げている。  それでも侍は立ち上がる。立ち上がり、その場を逃げず、刃を護る者のために構える。  例え藁一本にも満たない感性でも。それが正義であると思う限り、侍は立つ。 「強いな――サムライ。だが、それだけで勝利は呼べぬ――」  白の花吹雪を挟み、騎士が口を動かした。 「勝利なんて、高みに過ぎる。不器用故、己を全うすることしか知らん……」  白の花吹雪を散らし、侍の刃が空を斬る。  いざ、まみえようぞ――――2つの銀が、直角を画いて交錯す――――― “っっっシゃぁラアアアアあ!!!!!”  ……声? ――いや、咆哮である。それは猛る獣の咆哮。  銀の巨竜の首は大きく反れ、その巨体が雪原へと傾き、雪を巻き上げて沈む。  森を飛び出て、何の考えもなく突っ込んできたその獣は、単に「強そうだ、これ!」という思いのままに殴り飛ばした。 「――何っ!!?」  突然の暴力に振り返る騎士。  その視線の先には、ドスンと乱暴に雪を散らした小柄な影。  腹はいっぱい、睡眠も充々、体力は有り余って迸る。  絶好調なその獣――のような小柄な闘士は、腕を倒れた銀竜に突き出し、指差した。 「青龍! こいつは俺と戦う!!!」  開口一番、このセリフ。人の繰る言語とは思えぬ、ちぐはぐとした言動。  どうやら最初の一撃は彼にとって「攻撃」の内ではないらしい……「宣戦布告」なのであろうか。  困惑する騎士の後方で、青い侍がその強面を緩めた。 「……ああ、そのドラゴンは頼んだ。俺は彼と対峙しよう」  仲間の登場に活気付けられ、侍が声を張って答える。  援軍――――それも、最初の一撃からこれまた腕の立つ男が登場。  しかし、騎士はだからといって怯む様子もなく、騒ぐ素振りもない。 「――丁度だな。これで2対2……」  無表情のままに言う。だが、どこか嬉しそうな気配。  騎士の言葉の後。巨大な銀色が弧を画いて雪原を削った。  翼の一撃を受けて、重鈍な音と共に宙を勢い良く飛ばされる小柄な闘士。  森の深みへと飛ばされるその姿。  銀の竜は翼を大きく広げ。積もった新雪を再び空へと返しつつ、飛び上がった。 < ファオ~~~~ン!! >  ハウリング音を霞ませながら森の深くに飛び立つ銀の竜。  仲間をふっ飛ばされた侍。それでも彼は怒っていない。これが騎士からの「配慮」だと察したからだ。  飛び立った竜の風圧が銀の髪を激しく揺らす。その姿に「弱体」の気配は微塵も無し。  やがてその風が収まった頃。騎士は口を開いた。 「 さぁ、後悔しようか。強き者よ―――― 」 ACT- 5 “ズゥン……!” と轟音と共に降り立つ巨体。周囲の木々の枝は折れ、珍しい葉たちが容赦無く散る。  巨竜が何かを探すように長い首を左右に動かした。 “ズボッ” と巻き上がる粉雪。「冷てぇ!」と声を発して闘士が姿を現す。  探し物を見つけて、その首を止める竜。竜は翼を広げて小さな獲物に襲い掛かった。  迫る竜の巨大な顔。開かれた口には鋭利な刃物の牙が生えている。  幾本もナイフが並んでいるようなものである。これに挟まれては人間など簡単に裂かれてしまうであろう。  迫る危険に、「避ける」――――この小柄な男、そんなことはしない。  逆である。迫るとてつもない圧力に、彼は全力で突進した。  駆ける雪原が蒸気となって宙に上る。  闘士は雪面を蹴り、跳び上がった。  迫る竜の面を越え、その上に滞空する一瞬。  白い文様が浮き出ている右の踵を勢い全開に降り落す。 “山岳落し”という体技が彼の流派には存在しているが。それもこのような無茶はしない。地に足を着けての“踵落し”である。もっとも、背の低い彼が踵の一撃を振り下ろすには、跳ぶしかない――というのは解るが。  とにかく、とんでもない威力である。竜の鋼の頭部は窪み、その首は雪を越えてその下の大地に埋もれてしまった。雪と共に土砂が舞い上がっている。  闘士はこの一撃も満足に至らないのか。落下をしながら竜へと更なる一撃を落とそうと風を切る。  竜は頭部に迫る攻撃に対し、如何に応ずればよいか。  何せ、腕は腹の下。足では全然届かない。  ――翼――その翼は広げれば片方でも6mは下らない。  鋼で作られたこの翼は、その材質を思わせぬほど柔軟に動き、頭部にある障害を払った。鋭い一振りは小柄な人を吹き飛ばし、木の幹へと叩きつける。  しかし、闘士はまるで猫か何かの野生である。  空中でその身を返し、しっかと幹に“着地”していた。 「んがぁぁぁアッ!!」咆哮して跳び立つ闘士。  勢いのある突進だが。胸より流るる赤の線がその軌道を記録している。  竜はどうにか首を振り上げ、土を払って吠えた。  その面に叩き込まれる右の拳。拳圧に弾き飛ばされた首につられて、体までも傾く巨体。  着地し、即座に跳んで腹部に一撃。  巨体が災いしたか。腹部の衝撃によって竜の体は大して闘士から離れなかった。  それを見て――というより予感して、既に振りかぶっていた野生。  1、2、3、4……と叩き込まれる連打は、結局12発程竜の腹に打ち込まれた。  拳の速度と威力も圧巻であるが。何より、その威力を12も撃ってなお、反動で止まらなかった跳躍の勢いこそ脅威である。  見る影も無く凹んだ竜の胴体。盛んに殴ったものである。  しかし、彼はその後。勢いが尽き、停止した後の隙をどのようにやり過ごそうと算段を立てていたのか……。  言葉は悪いが、“馬鹿”な彼が“計算”などという高度な思考をしているわけがない。  見事に空中で停止した無防備極まりないその体。  竜はそれを両手で挟み込んだ。 「――――っぬがあああああっ!!!」  激しい痛み。刃物そのものである両の手に挟まれたのだ。鮮血が銀の手から噴出す。 “カッ――”と闘士の目が見開かれ、その瞳が白一色となる。  傷だらけの全身に白い文様が走り、肌は黒色が強くなった。 《 グゥオオオオオォオォオオ!!! 》  と、牙の生えた口で叫ぶ闘士の姿。最早どちらが怪物か解らない。  傷口は修復を始め、蒸気が体から上がる。直に触れば相当な熱を持っているその状態だが、鋼の手先には何の意味も無い。  強引に刃の指を押しのける闘士。  血まみれにも着地して、獣の様に叫ぶその姿へと向けて――大きく開いた竜の口内が青く輝いている。  竜の動力、及びこれ自体を成す鋼。  これこそ、機導士、大魔道エドガー=バゥローが生み出した錬金の粋。 ―― プラズマメタル ――そう称された魔道鋼。  よく見れば竜の全身にも文様。ただ、それは不規則ではなく、左右に規則的な魔術の模様――つまり、この巨躯の全体を覆う“魔方陣”である。  空洞の口内をハウリングする音が変化する。  “キン・キン・キン”、と響く金属音。  小さな闘士、『白虎』。避ける……この小柄な男、そんな発想には縁が薄い。  逆である。輝くとてつもない力の塊に、彼は全力で突進した―――――――― ACT- 6  雪原に対峙する2つの刃。  互いに、護る為の剣だが、同じ“護る”だからこそ、相反する。  人の相性とよく似ている。出会いが違えば、時が違えば……垂直の交差などしなかったはず。  少し離れた位置で見守る少女は、既に意識が無い少年を抱き寄せ「どうして――」と視線の先の人に問いかけた。  雪原。  距離のある2人の剣士。  片腕の騎士が先に動いた。  刃を相手に向け、懐に大きく柄を引く。その姿勢は刺突の前動作。  青い侍もまた、駆ける。  相手の剣速から考え、先に届くはあの刃。  ならば、と鞘を左に持ち、片手の構えで迎え討とうと右の手首に力を込める。  大小2段のステップを踏んで間合いを一気に詰める。  騎士のこの動きを今まで何度か確認した侍は、「やはり」と鞘を剣の軌道上に“放った”。  ……ところが、来ない。来るはずの刃が来ない。  侍が予想との違いに違和感を得ている瞬き以下の時間。  騎士はもう一つ、姿勢を低く、相手の視界を潜るように最速の踏み込みをしていた。  目くらましの鞘は役目を成せず、無意味に宙を舞う。  すでに鞘を放る、という動作を取っていた侍。  それに対し、刃を腰元に引いたまま、体ごと踏み込むことを優先した騎士。  懐に近い。今までより、更に小さな動きで致命傷が可能。  間違いない。その間合い、相手の姿勢、動作。当たる。それは確実。 ―― 宙に在った、銀の輝き ――  それは狙ったものではない。だが、こういった場合に備えた動きであることは確か。  侍の『鞘を放り、相手の動きを引かせてから斬る』というこの剣。これには続きがある。 『牽制の鞘を放ると共に、刀を体重移動と共に追い、両手に持ち替えて一撃の下に斬る――』  この剣技。“深爪”と呼ばれる攻めの剣ではあるが、「鞘を潜る」という動きに対する保険を持つ。  まさかと、思いもしなかった刃が騎士の額を霞めていた。放り投げる仕草の隙を突いたつもりが、それを想定した刃によって見事に返り討ちになってしまった。  動作の一環として騎士はすぐにその身を離したが、その額からは鮮血が噴出している。  侍も既に脇腹を裂かれているが……この男。一度信念に火を灯すとそれ以外の一切は忘れる性質にあり。 「おおっ!」、と声を出し、一足に跳ぶ。  騎士はその場を離れるステップの後で、やや屈んでいる。これは即座に次の移動を行う構えでもあり、即座に次の攻撃を行う構えでもある――。 「迂闊!!!」  その掛け声と共に剣を薙ぐ騎士。  細身の軌道を潜り、侍が飛び込もうと足に力を込めるが……。  その硬直に甲冑の足が刺さった。  侍は顔を歪め、後方に倒れる。  「誘いか」と侍が片目を瞑った時に、高速の切っ先が迫る。  倒れた反動を利用して、変則的な後方倒立回転跳び――通称「バク転」にてどうにか身をかわす侍。  即座に斬ろうとするが、既に騎士は2つほど跳んで離れている。  時間に表せばほんの数秒か。10秒とかかってはいまい。  遠目でその光景を見ていた少女には無論、何が起こったのか詳しくは解らない。  ただ、騎士の額から血が吹き出たことだけは判別できた。 「エドガー!」  少女の声が、戦況の隙間に響く。  自分を心配する声に、騎士は思わず少女を見た。そこには自分の為に涙を流す少女、その姿――。 「――――イシャナ……姫」  騎士は悲しげな表情で零すように言葉を発し、暫く彼女の姿を見た。  しかし、今は闘いの最中。さすがに英雄と言われるだけはある。すぐに表情を無に戻し、侍を見据える。  侍は――――・・・刃を下げていた。 「――どうした。諦めたか」  騎士が問う。戦いの最中、突然に戦意を失った侍の意図が解らない。 「……お前は、何のために今、剣を振るっている?」 「君には関係が無いだろう。――むしろ、それはこちらが聞きたい」  騎士がもっともなことを言う。何しろ、この侍は名前すら知らぬ部外者である。こうして命を賭ける理由が解らない。 「……正義」 「――正義?」 「そうだ。正義の為……それだけだ」  言葉少なく、侍は答えた。  騎士は呆気と嘲笑いが混ざった感情を持ったが、顔には出さない。 「――正義だと? 随分とあやふやで、傲慢な回答だな。第一、的がズレている――」 「…………」 「自分の行いが解るか? お前は今、反逆者の片棒を担ぐ行為をしている。詳しく教えてやってもいい。そうすれば気も――」 「変わらぬ」  即答。言葉を斬って落とす。  さすがに騎士の表情に怒りが見え始める。その眼光も、険しく。 「――正義か」 「…………」 「相手の事情も知らずに決する――私には、自分が正義だと言っているようにしか思えん」  騎士は切っ先を振り、侍へと向ける。相手は中々に心の強い者かと思いきや……とんだ買い被りだったと溜息。  されど。侍はその切っ先にも微動だにせず、頑なに立つ。 「俺が正義ではない――“俺の正義”だ……どの道、自分本位に違いは無いがな」  侍の言葉。その言葉は強さよりも、硬すぎるほどの“決意”を内包していた。 「ほぅ――つまり、“我が侭”か」 「自分が嫌だと思うことから逃げる……そういった意味では、我が侭だな」 「――ものは言いようだ」と、騎士が一言。  笑ってしまう話だ。要はこのおサムライさんは、「死の危険を冒してでも、人助けをしたい」ということらしい。どうすればここまで頑固に、一途になれるのであろうか?  なんて傲慢な人間だと騎士は呆れたのだが……しかし、思えば自分も「全ての責を無視して一人を護ろうとしている」阿呆者である。  いや、全て放棄できていればこんなことにはなっていない―――それができていれば、少女の手を引いて城を離れたのは自分だったはずだ。  騎士は切っ先に立つ青年に深く呆れながらも――――微笑んでいた。 「ならば、その正義と共に失せるがよい……サムライとやら」  歯切れが良くなった騎士の言葉に、青い侍は顔を険しくして答える。 「さっきから気になってはいたが――“侍”は名ではなく、生き様に過ぎん。お前が騎士であるようにな」  侍はマフラー越しに首を掻きつつ、ぼそぼそと文句を垂れた。  騎士はその姿にまた笑い、そして返す。 「それは失礼したな。ちなみに私も“騎士”という名ではない――“機導士”エドガー=バゥロー。サンブレア王国の騎士である」  誇らしげに名乗るエドガー。 「……俺は青山 龍進。肩書は“有眼龍刻斎”だが――まぁ、ただのプータローだ」  刀を構え、答える青龍。  名乗りを終え、改めて対峙する剣士が2人。  白く、凍てつく花吹雪が雪原を駆ける。  不意にそれが強まり、2人の狭間を濃く白に染めた――――。  瞬時の濃い白が去った情景。  同時に駆け出していた2人の前に見えるは、間合いで振りかぶる相手の姿。  片や片手に剣を引き、相手の一点を貫かんと腰に構え、  片や両手に刀を持ち、相手の胴を断ち斬らんと下段に構え、  放たれる互いの一刀。 刹那に雪が、止んだかの様に静かな刻。  静寂の刻を経過し、“ドッ…”と噴き出る赤の色。  胴を横一文字に裂かれた騎士は前に傾き、やがて雪原へと落ちて行く……。  斬られ、倒れる。それは理解していた。  彼の意志に耳を傾けてしまったことが敗因だ。そして、自分の行いに疑問を感じて――自業自得と嘲笑ってしまったことも良くない。  もう、戦うことに集中はできない。  何故なら、そう――あの日この丘の上で自分の役割が終わったことを―――今になって、ようやく認めてしまったのだから……。  これが最後だろうと覚悟した騎士が最後に映したもの。遠目に見えるその姿。  昔、まだ自分も若い頃。共に街へと買い物に行った。  まだ幼かった少女は、買い物もろくに知らなかった。  それが今ではどうだ。実に気品あり、そして立派になられた。  もう、夜に話を聞かせる年でもない。  片時も目を離せない、物知らずでもない。  そうか、そうだったのか。  自分は護ろうと思っていた。そう、思い込んでいた……。  違った。護ろうとしていたのではなく。もっと単純に、ただ、傍にいたいと―――― 「イシャナ――――姫――――――」  真っ白な雪原に、騎士は伏した。  離れれば、白銀に輝いて見えるその地に、騎士は伏した。彼の周りにある雪面が赤く染まっていく。 「エドガー、死なないで、エドガー!」  泣き叫ぶ少女。必死に騎士の名を呼んでいる。か弱い腕で必死に抱いている少年に、意識は無い。  どうしていいのか解らず、ただ、泣き続ける少女。  青い侍は雪原から鞘を回収すると、それに刃を仕舞った。  その姿を。恨んだらいいのか感謝したらいいのか解らず、ただ睨む少女。  気まずい視線を受けながら。侍はおもむろに、雪原に沈んだ騎士の体を背に抱えた。  のしのしと、2人分の重量で雪を深く沈めながら、少女の元へと近寄っていく侍。  少女は警戒して下がる。少年を必死に引きながら。  侍はその少女の元に寄ると、彼なりに出来る限り優しい雰囲気を持って口を開いた。 「……すぐ、村に戻ろう。そこで診れば助かる。あと、この男もな……」  確かに口調は若干穏やかではあるが、意識をしすぎて逆に凄みが増しているその表情。  これまた必死なので口調にも緊張感がある。  でも、それでも。  侍の言葉を理解して、大きく泣き出す少女。  怖いから? いや、違う。嬉しいから――とにかく、2人とも助かるのなら、それほど嬉しいことはないのだから………。  さて、困ったのは侍。何故か泣き出す少女に「とにかく大丈夫なんだ」ということを伝えようと試行錯誤の言葉を放つ。  困るのはそれだけではない。これから人を2人担いで雪の丘を下らなければならない。  戦いの内は忘れていたが、腹に負った傷の痛みもある。  だいたい、あんまりのんびりしていると助かる者も助からないので急ぐ必要もある。  アワアワと口下手な侍が四苦八苦している雪原に。「ぶっ倒してきたぞ!」と叫ぶような大声が響いた。 「あ、そうか、あいつに担いでもらえば……」と侍が自然な笑顔を見せた時。  野生のようなボロボロの青年は「ZZZ......」と、雪原に突っ伏してイビキをかき始めていた―――――――― ACT- 7  村はとんだ騒ぎになった。  夜も深まりつつある時刻。  いつの間にか姿を消していた青い髪の青年と、起き上がると同時に「なんだ! どこだ!!?」と叫び、飛び出した黒い髪の青年。  どこいったのかな~、と思っていた2人が帰ってきた‥‥‥のだが。  青い方は傷だらけで疲弊しており、しかもなぜか人を3人担いでいる(1人は引きずっていたが)。  黒い方は引きずられながらも爆眠しており、更に彼らの背後には半泣きの少女が立っている。  この異変に村人達は戸惑い、慌てた。  家で寝ていたところを叩き起こされた医者は迷惑この上ないことであったろう……。  そんな慌しい夜が明け。  村の宿屋の一室。そのベッドに寝ている少年。  隣で少年の手を握っている少女は寝ずに彼を看ていたらしい。 “コン・コン”  部屋のドアが鳴る。少女が「どうぞ」と言うと、ドアを開いて青い髪の侍が部屋に入ってきた。 「少年は……どうだ?」  侍が少女に聞く。 「まだ目を覚まさないけど――熱もないし、安定した状態です」  答えながら、少女は椅子から立ち上がった。 「昨日はありがとう御座います。本当に、なんてお礼を申し上げたらよいのか……」  頭を下げる少女。侍は表情を険しくして、照れくさそうに頭を掻いた。 「――ぅ……ん? ここは……」  ベッドで寝ていた少年が半身を起こし、周りを見渡した。 「フレア!」  その彼に抱きつく少女。少年は「いでぇっ!」と叫んだが、「少女がいる」という現状を理解して表情を明るくした。 「イシャナ! よかった、無事だったんだね! ……え、あれ?」  喜んだ後に、自分が意識を失う直前の事を思い出してきた少年。確か、エドガーと青い彼が戦って――。  視線を移せば、そこに青い髪の青年の姿。状況を整理して考えていくと…… 「そうか――お強いんですね。そして、ありがとう御座います。サムライさん」  少年は悟った。彼がこうして顕在で、姫は自分の傍にいる。つまり、自分の師は――エドガーは彼に負けて……。  姫がいること、自分が生きていること。これは素直に嬉しいし、これ以上ないことである。  だが、それでも。今まで自分を鍛えてくれて、今まで目標にしていたあの人はもう――いないんだ。それは悔しくて、悲しくて……。  気がつけば涙が抑えられず、信じたくない想いが強くなる。それでも、少年は現実を受け止めて、侍に聞いた。 「エドガーは――あなたと戦った騎士は、とても強かったでしょう……?」 「 ――なぜ過去形なんだ、フレア 」  不機嫌な声。部屋の入り口には声の主である銀髪の男が立っている。 「え、エドガー! 生きてるっ!?」  驚き、目を見開く少年。死んだと悟った師は銀の片腕を失っているものの、いつもの無表情で彼の視界にある。 「生きているさ。手を抜かれたから――な」  片目を細めて、騎士は隣の青年を睨んだ。 「い、いや……手を抜いた……というか、そうしたほうがいいと……思った……とか」  視線を逸らしてもごもごと話す青龍。  その姿を見て、騎士は「あははっ」と笑った。  少年は嬉しかった。師匠が生きていて、本当に嬉しいと思った。――だが、それはつまり、問題がまだ解決していないということを意味している。  少年は無意識の内に。姫の前を塞ぐように、左手を広げていた。 「フレア……?」 「――――」  首を傾げる少女と、表情を無くして少年を見る騎士。  傍らで、侍は目を閉じた……。  騎士が歩み寄る。少女の元へと。  少年は焦った。自分の手元には剣が無いから。  騎士は剣を抜き、尚も歩み寄る。表情は、無のままに――。 「やめろっ!」と叫び、身を起す少年。しかし、腹部の激痛に表情を歪める。  その少年を剣の柄で押し退け、少女の前に立つ隻腕の騎士。 「やめろっ! やめてくれ! もういいだろ!」――少年の叫びが部屋に反響する。  その言葉を無視して、剣を構える騎士。  少女はただ、その姿を見ていた。  少年はひたすらに、無力であった。  剣が振るわれる。その切っ先は、惑うことなく少女の首へと目がけて……。 「やめろぉっ!!!」  少年が叫び、騎士にしがみ付く。だが、すでに剣は振るわれた後。 「…………」  少女は、叫ぶこともなかった。逃げる様子も無く、騎士を見ていた。  他の誰だって解らない、彼の表情の変化。同じ無表情でも、全然違う。  今の騎士は無表情で……それは、一緒に空などを眺めている時の、無表情で……。  細身の切っ先は少女の喉元へと向かったが、それだけであった。  小さな傷を付けることも無く、その剣は鞘へと収まる。  少年が「え?」と騎士を見上げた。  騎士は、胸元で十字を切りながら言う。 「今、ここに。サンブレア王国元第一王女、イシャナ=エルタヴィス=フランドラは現国王ヨハン=ハウザール閣下指令の下、王国騎士エドガー=バゥローがその命を絶った。これにて、前王家の者、全ての処断を完了とする――――」  無表情に。騎士はそう告げると踵を返して少女に背を向けた。  少女は無言のままであったが、その顔には微笑みと、少しの悲しみがある。  少年は言葉を失っていたが、やがて理解してその背に叫んだ。 「ありがとうっ――――ありが……とう……ござい――ます……」  涙を流し、頭を下げる少年。  騎士は立ち止まり、向きはそのままに口を開く。 「フレア。ここからは王国騎士ではなく、エドガー=バゥロー個人としての言葉になる。――――姫を、イシャナを―――君に任せる。頼んだぞ」  騎士の……いや、1人の男としての言葉。フレアは涙を流しながら「はい!」と、強く答えた。  その隣。イシャナは微笑みながら「エドガー、“ありがとう”」――と、一言だけ伝えた。  騎士は――エドガーは振り返る。その表情は、暖かな微笑みで――――。  置いてきぼりの青龍は額をポリポリと掻いていたが。  その侍の肩を隻腕で掴み、引き寄せるエドガー。 「頼みがある」 「……なんだ」  青龍肩を抱いたまま、エドガーは部屋を後にした。もう、振り返ることもない。  部屋に残された少年と少女は顔を見合わせている。  向き合って、ちょっと照れている少年。  少女はそんな少年に「これからも、私を護ってね――フレア」と言った。  少年はいよいよ頬を染めて、決意を強めた。 ――少年にはこの先、選択が残されている。  それは、姫と共に隠匿の生活を送るか。  それとも、王家の無念を晴らすために――何より、姫を暗い生活から解き放つために、新生サンブレア王国へと立ち向かうのか………。  少年騎士の物語はまだ、始まったばかりである――――――――――――― /  広い、広い世界―――そこには私たちの考えがまったく及びもしない事が存在します。  きっと、そこには見知らぬ知識が渦巻いていて、思いもよらない奇跡が常識で、想像もつかないような植物が生息しているのでしょう。  それは―――幻想の先にある風景。  それは―――きっと、私の知らない世界。  そこは、私たちからすれば「幻想」で―――  そこは、彼らからすれば「現実」で―――  霧の彼方から一隻の船。  この世でただ一つ、これだけが幻想と現実の境目を超えるという船。  一般世間には決して知られることの無い霧の船の中。  黒い髪のツンツン頭が興奮した様子で海を眺めています。  その隣で釣り糸を海へと垂らす青髪の青年。  世界の境目にだけ存在する珍しい魚を釣り上げようとしているわけです。  それと、彼は考えていました。半日前には会話をして、確かに互いを知っていた人々。  不思議な大陸で出会った彼らの今と今後を想うと、中々考えがまとまりません。  無関係といえばそうなのですが、一度関わると割り切れない性質。  釣り糸を垂らして当たりを待つ時間は、もやもやとした考えを巡らす良い機会でしょう。  しばらくして釣り上がった二本の豪壮な腕を持つ魚。  針を外してやると、ふてぶてしい態度で青年を睨んでいます。どうやら、丘の上でも平気な生物のようです。  キャッチ&リリースを考えている青年の横から、「これ美味いか?」と疑問が飛びました。  青年は「今はこいつを捌く気力が無いんだ……」と、ふてぶてしい魚を海に帰してあげました。  不満そうなツンツン頭をよそに、青年は溜息を吐きます。  溜息は霧に紛れて、風に乗り。幻想となって消えてしまうことでしょう……。  ―剣の桃源郷― END
冷めた空洞<<