本編、其ノ七<< >>本編、終ノ部―本章、神の節― 其ノ七
動景 9、「 闘劇 」 一時くぐもった天候も晴れ、透き渡る霞の海。昆虫共が意気揚々と生を謳歌する森に日光が差し込む。 快き空において天下を望むは赤き球。山岳の上にぷかり漂う異形、その中に。 赤い着物の男は胡坐(あぐら)を組んだまま頬を掻いた。 瞳は閉じたまま。 霞(かす)む視界に見た祠(ほこら)。 涙、頬を伝う。 強がり、などと心が在るのはやはり生身を得たからであろうか。 「光天館が野蛮に砕け、幻牢館は背徳の一振りに散り―――」 言葉の最中。赤い球へと入り、男の手にある小刀へと収まる灯。 「そして、今ここに然汪館が人の知に遅れを取った……。はてさて、吾が世に戻るは望まれぬことか?」 静々と、一字一句に5世紀を跨いだ憎悪を込める男。 青年は赤い瞳を開き。最後となった左の狐を見た。 背後の姿。黒髪が垂れた緑地の甲冑。 脇には足のある蛇が三匹首を擡(もた)げる様の兜。 端正で見た目に特徴が少ない白狐の仮面を捲り、鏡を覗き込む。 「主――俺を収めるか」 押さえているのか。低く、唸るような声は小さい。 赤い着物の青年は滾る赤い瞳を向けたまま、緑が目立つ狐に威圧を与えている。 疑いと嘲笑が交差する主の視線にも動じず、仮面を戻して立ち上がる緑の狐。 「現世がもの珍しいか? しかし、生無き物には不要な事よ」 小刀を眺め、その切っ先を緑の狐に向ける青年。 「悠久を超え、残る――習慣とは」 低く、唸るような小さき声で答える緑の狐。寡黙な狐は隣に立ててある己が武力を手に取った。 ズン、と廻す薙刀の切っ先。甲冑で包んだ身体を使い、赤い球で武の踊りを見舞う。 流れる水流を、落ちる木の葉を、揺らぐ炎を、空を刺す雷の如く。 朧な幻影を映すかのように魅了する刃の輝き――赤き影を紙に、詩を散らす。 一句終え、強く置かれる長刀の柄。 すらり、舞の動作の内に。手を青年に向け、狐はその視線を直ぐに構えた。 滾る眼光の青年は表情を微塵も変えず、小刀の切っ先を下げる。 それを見た緑の狐は主に一礼し、薙刀(なぎなた)を携えて背を向いた。 「――いざ、参りまする」 言葉数少なく、泥土に沈むように赤い球から出でる武人。 球から落ちる甲冑の身。それが「ピュイ」と口笛を鳴らすと、霞から靄(もや)を生じて現れる巨馬。 天を駆ける巨馬の背に乗り、「応ッ!」と声を上げて手綱を引く。 馬は一度身を震わせた後、空を踏み鳴らして下へと駆け下り始める。 疾走する馬に跨り、上体を屈める緑の狐。 空に甲冑の当たる音と蹄の発する火花を残し、下るは森の一角へと。目指すは一点――――― ―――――それが突き進む一点もまた、山林を走破していた。 一時変わった天候も、地鳴りや轟音も気にはならなかった。それより面白いことがこの先に待っている。 ここを走る黒髪短髪の青年は、獣と見紛う野生な出で立ち。王の余韻(よいん)か、それとも天に在る強者を察してか。その身には白い文様が早くも浮き出ている。 穴の空いた下着はまだ頑張っており、ほぼ全裸だが辛うじてセーフ。 木々の狭間を通り、巨木の根を跳び、岩を越え。“白虎”の前進は弛まない。 走る、走る。人より猿に近い野蛮な走りは山の凹凸を物ともせず、屈強に進む。 “轟”と過ぎ行くので、動物たちは慌ててその進路から離れて行く。 視界は激しく揺れ動き、景色は吹っ飛んで後方へと去る。 顔を叩く枝葉など無効で、そこらの岩は蹴飛ばされてこれまた無効。虎の突進を止める障害は今に無い。 岩壁を跳び越えて尚も見据えた先。 その正面に聳えたのは、苔の覆った岩石。 知ったことか。それより前進。 虎の王は一足に跳び、岩石の寸でに降りる。勢いはそのままに、前進の一環として瞬時に叩き込む八発の拳撃。 音を立てて割れた岩石を頭突きで突破、粉砕する。 岩石の欠片が宙を動く。 屈んだ虎が口を開き、牙を剥き出して飛び上がる。 岩石の欠片が当たろうとも、その跳躍は淀まない、弛まない。 岩石の欠片が宙を動く。 木々が開け、光が盛んとなった景色にその姿。 馬上にある武者が薙刀の切っ先を輝かせる。 宙を交錯して過ぎた2つの影。 虎の牙は馬の側面を抉り、通った。 薙刀の切っ先は虎の肩を裂き、過ぎた。 馬は嘶(いなな)き、鼻から靄を噴出す。 白虎の肩からは血が噴出す。 同時に振り返り、面を合わせる武人と野人。 緑の狐は馬を静めながら背の低い強者を見据えた。 まっこと、小さきながらも油断ならぬその拳足。馬を掠めて去ったかと思いきや、身を翻(ひるがえ)して踵を脇腹に叩き込もうなどと、よくも咄嗟に動けるものだと感心する。 無論、動きを察して防ぎはした。防いだのだが……。 “ピシリ”と、小さなヒビが入る仮面。 「受けてこれか――」 思わず声が零れる。 面を介して見たのと対峙したのとではやはり、迫力・圧力が異なる。 「ガルルァッ!!!」 馬上で感嘆する狐に向かって突進する白虎。 右腕の肌が黒ずみ、一層白い模様が目立つ。 半秒遅れて緑の狐も馬を走らせ、その蹄で小さき身体を踏みつけにかかる――。 ―― 敢えて速度を緩め、瞬時に身を屈めて再加速。半身に放つ左側面の寸撃 ―― 振 山 鈍く、重厚な衝撃が響く。 インパクトの地から一寸たりとも下がらず、追撃の構えをとる白虎。 直撃を受けた巨馬は体勢を大きく崩し、全体を仰け反って呻いた。 「……!!」 緑の狐は必死に手綱(たづな)を持ち、堪えている。 屈んだ構えを利として、横に跳躍、半身のまま標的の懐に立つ。 相撲の張り手に似た構えで右手の平に力を込める。 ―― 先人が積み重ねた技巧が導く、最も力が乗る動作からの平手突き ―― 牙 昇 晒された馬の腹部を打ち抜く虎の掌。 巨体である馬は完全に地から離れ、空を進んで岩壁に叩きつけられた。それに乗る緑の狐も同じく、「……ぐがっ!」と声が出る。 馬は一声嘶いた後。消えるように靄となり、霞みに混じれた。 “ドンッ!”と地を踏み、両腕に力を込めて咆哮する白虎。 靄が薄れ、悠然と立ち上がる甲冑の狐が霞め見える。 “ハオッ!”と薙刀を廻し、靄を吹き飛ばして仁王立つ緑の狐。 「……無双館。それが俺の名だ」 普段より強めた声。同時に通りも良くなっている。 甲冑には緑が多い。兜は無いが、髪が痛むので好まない。どの道必要も無い。 薙刀の切っ先をゆっくりと持ち上げ、身を反らして後方へと持ちゆく。 切っ先が地に触れたと感じ取るが否や、それを豪快に振り戻す。 振り下ろされた刃が地に突き刺さる。 同時に地は一直線に抉れ、霧も割かれて真空の隙間が縦一線に生じる。 放たれた“切断”の波を回避し、突き進む白虎。 その後方では森林が一列に弾けている。 緑の狐は次いで体を回し、長刀を横一線に薙いだ。 白虎は危険を察知し、転がって切っ先の軌道線上を潜る。 刹那。森林を薙ぐ横一線の衝撃。 身を起した白虎の後方にある木々は壮大な斬撃音をたてて倒れ、森林は禿げ上がってしまった。 突如に広がった地平線など意にもせず、突進する白虎。 それを待っていた緑の狐。 脇に薙刀を構え、一歩踏み出してそれを突き出す。 一つではない。 二つ、三つ――――指を折って数えてはとても足りぬ。 それは、無数の“突き”。 一撃一撃が速く、一撃一撃が致命的。 横向きに乱れ飛ぶ斬撃の霰。 「うっっガ!!??」 あまりにも凄まじい圧力。 虎は殴ろうとした拳も蔑ろに、とにかく避ける。 避ける、避ける。――が、前に進めば目が追いつかなくなり、下がろうにも斬撃は遥か後方の山々を切り裂く射程。左右の動きはその嵐のごとき斬撃が封じている。 避けてはいても動けない。これが数秒の出来事だから尚たまらない。 そうこうしている内に更に狐は一歩を踏み出す。 ついに目も切っ先を追いきれなくなったか。 頬を裂かれ、血が飛ぶ。 腕を裂かれ、血が飛ぶ。 脇腹を裂かれ、血が飛ぶ。 危うい目元を裂かれ、血が飛ぶ。 いずれは致命打があるぞ……という内に。やはり迫った心の臓への斬撃。 白虎は進めず・退がれず。 しかし、それらが彼の頭を“悩ます”などという怪奇現象の要因にはならない。どのみち、白虎はこの状況で何か物を考えてなどいないからだ。 よって、反射・本能。それのみの彼がとった行動――― “ ガシッ ” ―――と捕らえたるは薙刀の柄。 長い刃が斜にした胸を少し裂いたが。ともかく、切っ先の嵐はこれにて止んだ。 「!!!?」 どう凌ぐのか、と想定を巡らしていた緑の狐はこの動きも感じていたが、この“強さ”は想定していなかった。 怪力無双である狐の腕力、もといその全身の力を込めても動かぬ切っ先。 そして白虎もまた、歯を食いしばっていた。彼も体勢はやや悪いとはいえ、踏ん張りはしっかと利いている。だが、それでも動かぬ薙刀。 鉄球を掌で粉砕し、乗用車を投げ飛ばすこと容易い二人の、拮抗する力。 何よりもこの薙刀、それでも軋みすらしないことが宝具たる証であろうか。 軋ませていた虎の歯は牙へと変化し、体色は黒ずんでいく。 狐の周囲に揺らぐ緑がかった陽炎。足元の地が耐えられず、裂け始める。 白い文様がいよいよくっきりとし、目も完全に白くなった白虎。その力が均衡を若干にも上回り、薙刀が彼の胸元から動いた。 だが、それに応じて空に響き通る高い狐の声。 “ヱァアっ!!!” 柄から振り払われる手。 振り払われたそれは白虎のもの。 体勢を完全に失った白虎に振り下ろされる薙刀。 そう、完全に体勢は崩れていた。 だが、体勢が崩れるなどということ。それは虎の王にとっては無為である。 仰け反り、地から片足が離れた白虎はその実、直前に本能のままに地を蹴っていた。 つまり、その崩れる体勢の速度は早く、地に手が着くのも早い。 大地を握るように指をめり込ませ、身を回転させる白虎。 二寸あったかどうか。薙刀の切っ先は白虎の後ろ髪を散らして大地に刺さった。 衝撃で地は割れ、先の森林はいよいよ無残に弾けたが。 「しまった!」と面の下の顔を青ざめる狐に向かうは足刀。 左手足で強引に身を上げ、右回転に放たれた肋骨下部辺への回し蹴り。 この動き、“虎輪”なる武技の応用に他ならぬ―――。 鎧も無為にする貫通性の高い足撃は狐の身を後ろに飛ばした。 それでも宙にて姿勢を戻し、しっかりと着地をする緑の狐。 だが、その仮面――“パキッ”――と割れた右の面。 面全体の3割を失い、「あぅっ!」と声を出して薙刀の柄で身を支える狐。割れた面から覗く凛々しき瞳孔は翠に燃えている。瞳を飾るは、“アイシャドー”なる現代の化粧用具。 「…………ふっ、ふふっ」 翠の狐は透き通った声で笑みを溢している。 振り切るように顔を上げ、薙刀を横手に構えて立つ。堂々たる気迫で狐は息を深く吸い込み、次の声に備えた……。 “面白いっ!! 惚れてしまいそうじゃ!!!” 響き渡る高い声が山地を駆け飛ぶ。 陽炎は迸る衝動となって激しく流れ、山肌全域、上天までもが震え上がる。 ビリビリと体毛を騒がせる気迫が嬉しくて、白虎は牙を剥き出す笑顔になった。 「人よ、強き人よ。俺は楽しいっ!! できれば、生ある内にそちと一戦交えたかったものよ!! それは無念っっ!!!」 響き渡る高い声。一層に激しくなる周囲の振動。 あまりの気迫に音は消え、空を巻き上がっていた塵芥が消滅する。 翠の狐が本来不要な甲冑の上半身を脱ぎ捨て、サラシで胸を巻いた半身を晒した。 この姿で彼女が戦場に立つのは――遥か古来、異国の地にて。3万の軍勢を一手に引き受けた時以来である。 「惜しいが、これ以上は国を吹き飛ばしてしまいかねぬ。これにて終幕としようぞ、雄雄しき人よ!!」 翠の狐は薙刀を短く持ち、左の手を前に。 身は低く、両の足に力を込める――。 激に流れる緑の闘気に覆われる白虎。靡(なび)くは短き、剛毛なる頭髪。 小細工などない。最も速く、最も強く。それだけを求める構えの“強敵”。 対して――白虎は速く、など考えはしていない。ただ、『強く』と野生が求めていた。 無音という爆音の中。左右に大きく身を弾ませながら距離を詰め、加速する翠の狐。 しだいに左右に動く幅は狭まり、目指す一点に到達する時には直線となって迫る。 小細工無用。加減無用。その他一切も、無用。 『一撃』、それ以外の発想はこの場に必要無い。 両手に持ち替え、全身全霊の一点落とし。己の最大を注ぎ込む、“突き”。 ならば、対するは……? 右の拳を腰に引く。反動を作る左腕は、自然に、緩やかに。 ―― 力まず、無駄な発散は一切行わず。一瞬に全力を込める ―― 放つは己を象徴する、“正拳”。 ― 白 虎 拳 ― ……――――拳撃の刹那。力を込めたことによる、上体の揺れ。 事前にある筋肉の弛緩と、一撃に際する迫力の触れ幅が見事、対岸に無ければ成らないその姿勢変化。 全うな、突き詰められた正拳、武技とは。基本で単純ながらも、些細な工夫など蹴散らす問答無用の絶技と化す。 狐の一撃も無論、極地にあった。互いに極められた絶技を交わした場合、武の狭間にある判決はいかに転がるのか。 それは、正しく神のみぞ知る――だが。ここにある極限の両者の場合、その神すら知りえぬ。 「優ったが勝ち」。そうとしか言えない。 背景は緑の激動。 二つの影、激突する。 左の肩を大きく裂いた薙刀の切っ先。 それを持つ狐の面には両断する亀裂が深々と刻まれている。 狐の懐で停止している小柄な猛獣。 その拳は狐の胸元にしっかりと食い込んでいる。 弾ける仮面。露わになる女性の表情。 彼女は清々しく微笑み。その翠の瞳に、己の顔をしっかと見上げる青年を映す。 光を放ち、ひび割れ始める狐の体。 「強かったぜ、お前……」 狐の懐で。拳を収めつつ、白虎は一言だけ残した。 翠の狐は「フ」と笑い、名残惜しそうに口を開く。 「そちもな。次があるなら、戦場以外で合いたいのぅ―――」 崩壊しながらも、最後の力を使って体を屈め、彼の額に口つける翠の狐。 闘気の余波が残る無音の地で、それでも通う強敵の言葉。 狐が光となって消え去る。 光が広がると共に闘気も掻き消え、周囲の振動もピタリと止む。 さすがに背後の切り株の群れを見れば「何事も無かったかのように」などとは言えぬが、平常な様といえる状況には戻った。 虚空に散った狐。その跡に残った一点の灯は、近くに浮かぶ赤球へと飛んでいった。 それに並び。残っていた薙刀も持ち主の元へと戻っていく。 白虎は――――まだ、満足していない。 あのメラメラビリビリも、今の凄い緑色も―――それ以外にも何やら“強さ”が集まったらしい赤い球の中。 破れて風に飛ばされそうな下着一枚の青年は。戻る薙刀に突かれたのか、突然に割れてしまった赤い球の跡を睨みつけている。