―本章、神の節― 終ノ部

 人とは、呆気なきもの。  生命とは、呆気なきもの。  神秘とは、呆気なきもの。  そして――――― 動景 10、「 落神 」  最後に残った緑も破壊され、手元へと帰ってきおった。  赤い着物の青年は深く溜息を吐いた後。「いたしかたない」と胡坐を崩した。  仮住まいである赤球を解除し、小刀に封ずる赤い着物の青年。  小刀の刃は四色に輝いている。  爽快に広がった視界。  だが、心は少しも爽快ではない。  わざわざ分神を使ったというのに、自分の願いは叶わなかった。実に不条理である。いや、彼にとってはそれも己の責任となるのか。  やはり運気や定めを制するは今の自分に有らずか、と若干に心を痛めながらも一層、憎き宿敵への憎悪を滾らせる。  兎にも角にも、自ら動かねばならないというくだらない事態は現実のもの。かつてはそのようなこと、考えもしなかったが。これも今の限界を示す証なのであろうか。  そうでなければ、彼の分神があのような下賎の獣などに遅れをとるはずもない。文明の化身たるよく解らない人や裏切り者の侍などより、更に幾分も下賎である。  もう一度乱世にし、今一度均衡を崩すしかあるまい――などと赤い着物の青年が無表情に考えていると、遥か足下から獣が喚いている様が見えた。  放っておいてもよいし、興味も薄いのだが。  これから向かう場所への肩慣らしにはなるか、と薄く期待を抱いて地へと降りる青年。 「大オオ大おッッッ!!!」  待ってました! と白虎は拳を打ち鳴らして咆哮を上げた。  赤い着物の青年は「久方よのぅ……」と呟いて小刀を眉間に当てる。  “ズグリ”。眉間に深々と刺さる刃。  刺さり、柄だけ見える小刀から赤い液体が溢れ、青年の顔を覆う。  流動する液体は固まり、仮面を作った。  それは“狐”なのだが、目は8つあり、様相は見た目にそれとは解らない怖ろしいもの。   活目せよ!――――これこそ古来の神物、“辰羅神”の御姿に相違無い。 「さて、終わろうか……」  八つ目の狐は呟くと、眼前に翻っている小柄な猛獣に手の平を向けた。   ――― 吟 ―――  なる音と共に放たれた黄金とも判別できぬ輝き。  白虎は両腕を重ねて防いだが、全身が焼き焦げる。  彼は四足を用いて着地すると、目線を前に刺した。  その白虎を濁流が飲み込む。地下より巻き上げられ、土と混ざり泥土と化した濁流。  だが、その渦中に見つけた岩を踏み台にし、濁流から飛び上がる白虎。  出でた空には無数の氷柱が既に落下を始めていた。  注ぐ氷柱が刺さり、血が滲む。  だが、白虎の黒ずんだ身体は白い文様を浮き立たせ、蒸気を上げて肉体の修復を始めている。  氷柱は蒸発し、血の流出は止まる。  ふ、と上空に影が。目を凝らせば、赤い着物の姿。  樹木の枝に降り立ち、跳び上がろうと虎の白眼が天を見据えた――。   人の顔がある。  青い髪に、独特の髪飾り。その顔面、見覚えがある――――が。怒り狂った猛獣はそんな光陰の彩など気にもせず。再び地に足を着け、飛び上がった。  飛び上がった虎の進路を妨害する岩石。  それを繰り出した突き上げ拳で粉砕する白虎。  開けた視界の先。  振りかぶっている、八つ目の狐。  手に持つ薙刀は白光し、眩いほどに周囲を照らしている。  投げつけられた白光の薙刀。  宙に在る白虎は音の数倍にあるその速度を――――見えはしなかった。   “ズドッ……”  鈍く鳴らし、小柄な青年の胸を貫く長刀の刃。  口から溢れる赤い液。  それで終わらない、薙刀の一撃。   ―――――  応ッ  ―――――  響く爆発の音と共に光を発散する切っ先。  一瞬だが、それは日の光より強く、太陽深部に匹敵する一瞬。  全ての方角に平等な6桁を軽く越えた高熱は、遥かな地から見れば球の形に見えただろう。爆発により、濁流で荒れていた森林はその濁流ごと消滅。余波は山林の木々をなぎ倒した。  爆心地の周囲1kmに在った全てが蒸発。僅か5秒前が思い起こせない程の殺風景。  爆発の最中にいた八つ目の狐は宙に胡坐をかいて結果を見据えていた。  だが、結果も何もこの状況である。「何も残っていない」が結果に相違なかろう。それはもちろん、八つ目の狐も思うところではあるのだが……――――不自然。  風を吹かせ、塵を飛ばす。  巨大なクレーターとなったかつての森林。クレーターの土は瞬間的な常軌を逸した高温によって、ガラス質に変化してしまっている。  その、ガラス質の上――。  八つ目の狐は面を通じて味わった「まさか」の思いを今はその身に感じている。  白。ただの白色。  しかしおそらく、それは白に見えるだけで、実際には色なんてものは無いのだろう。ただ、光すら無い黒にも成らず、在る事の最大である白色に見えるだけ。  影も何も無い。ただの真っ白な人の形。  辛うじて、それを見る脳がその輪郭や顔立ちを判別しているに過ぎない、その人。  真っ白に見える人は「じ……」と見上げている。  見上げられている八つ目の狐。  彼は、まだ拳も作っていないその人を見ただけで。自らの仮面が砕け散る様をイメージしてしまった――。  八つ目の狐はその位の高さからくる見解か。無為を理解して、自ら地へと赴く。  ガラス質の大地に降り立ち、立ち尽くす狐。 「愚かな天よ。ここで吾を終わらすとはな……」  世に向けて最後に警鈴を轟かせる狐。過去、栄華を極めた存在のせめてもの意地であろうか。  いくらか間があった。5分ほどであろうか。彼が動き出すまでにかかった時間は。  真っ白に見える人は無防備な狐に歩み寄る。それしかない、という具合に。  その人がいよいよ拳を作り、打ち抜こうという所――――それが、彼の限界だった。  力尽き、項を垂れる。その姿には白い文様もなく、小柄な青年がそこにいるだけ。  前のめりに倒れる白虎。胸部の傷跡以外は健康そのものであるその身を隠す衣類は一糸も無い。  八つ目の狐は倒れた青年を見下ろし、再び呟いた。 「ふっ、やはり惜しむか――そうだろう、それが吉である……」  倒れた白虎の元へと、今度は狐が歩み寄る。  イビキをかいている白虎は昏睡(こんすい)もいい所で、起きる気配は無い。  爆心地に落ちた薙刀を手元に戻し、肩に担ぐ狐。  これをもって始まりとしよう――復讐の時を、栄華を、信仰を取り戻す戦を――――。  『 テキトーにでも、歩ってみるものだなぁ――BINGOってか? 』  八つ目の狐が顔を上げる。  視線の先。クレーターにある若いシルエット。  赤茶色の前髪を掻き上げ、その男は周囲を見渡した。 「しかし、派手だね――。まぁ、嫌いじゃないよ、俺は」  サングラスを胸ポケットに仕舞いながら、ジャラジャラした男は近寄ってくる。  声を張らずに会話ができる程度の距離に来ると、男は立ち止まって革ジャンの裏から小さな箱を取り出した。 「……この者の友か?」  辰羅神が訝(いぶか)しげに問う。 「シラネェ。そうかもしれねぇし、そうじゃねぇかもしれねぇし」  酷く投げやりに言葉を吐き捨て、煙草を咥える指輪の多い男。 「横暴で……傲慢(ごうまん)な。人の醜きを集めたような者よ」 「そう、ひがむなって。面の良し悪しは生まれつきだからさ。空に向かって吠えてなよ」  そう言って辰羅神の仮面を指差す態度の悪い男。  指は突きつけたものの、視線は吐き出した煙を追っている。会話相手よりも煙の方がまだ興味ある、とでも言いたげに。 「卑小な生命の戯言も、聞き流すには限度がある。あまり耳に障れば、いかに他愛の無い虫と言えど、踏み潰してしま――」 「長い長い、セリフうぜぇ。やること取られたからさ、とっとと帰りてぇんだよ、俺」  ・・・・神だとか人だとか、関係なく。非常に良識が薄い気配の男。何の宣告も無しにこうして“銃口を突きつけている”ことも実に節操が無い。  男の右手に青く光るは、41口径の大型拳銃。  それを見た辰羅神は嘲笑い、無防備に手を広げてみせた。 「そんな物が吾に“当たる”ものか。神秘の欠片も無い、人の浅知恵の結実如――」 “ ガウンッ ”  言葉を遮り、鳴り響いた銃声。  狐の胸元を貫いた弾丸。しかし、赤い着物には傷一つなく、八つ目の仮面は健在。辰羅神は「あっは……」と、哀れ気な乾いた笑いを贈った。  着物の袖より打ち込まれた弾丸を取り出し、眺める。 「これで消える生命の儚きよな。吾は涙を禁じえぬわ」  弾丸を地に落とし、首を振る狐。  弾丸を放った男は「ふ~ん」と唸り、銃口から上がる煙を眺める。  銃士の男は再び銃口を狐の胸元に定めた。 「悪いが、それが最後である。人の愚かに付き合ってやるのもここまでよ」  着物の懐から扇を取り出し、ハタハタと扇ぐ狐。 「そりゃ結構。俺も狐なんかとこれ以上しゃべくりたくねぇから」   青かった銃口――それが、赤色に染まる。   赤は右手も染め、銃士の腕を侵食していく。   この赤。血の色合いではなく、絵の具のように鮮やかなる、赤。  鮮やかな赤が男の右目をも侵食。それと同時、真紅の片翼が右の背より開く。  引き金が引かれ、落ちる撃鉄。  マグナムの弾薬が弾け、銃身のレールを螺旋回転して進む弾丸。  鮮やかなる赤に染まった弾丸は銃口を飛び出し、空を突き進む。  “ドシュッ”と、鈍く、鋭く。狐の胸を貫いた赤い弾丸。  八つ目の狐は同時に呆れた溜息を吐いた。   その狐。 異変―――などと思う間も無く割れる彼の仮面。  狐の全身から赤い光が発せられる。  ようやく狐は異常に気がつき、「んなっ!!?」と声を上げた。 「ば、馬鹿なっ!? そんな、こんなハズは――無い! 有る道理が無い!!」  取り乱し、弾け飛びそうな身体を押さえる狐。 「・・・・ありゃ? なんで消滅しないんだ?」  赤く染まっていた男――“朱雀”もまた、困惑する。  しかし、瞬間的に消滅はしなくとも。狐の仮面の崩壊は始まっており、その身にも亀裂が奔っている。  「ヌォォォ」と唸り、咄嗟(とっさ)にあれこれ手を尽くすものの、如何ともしがたいこの崩壊。  獣でも無く、謎の文明人でも無く、裏切りの侍でも無く――よりによって、この下賎。  「あ――――ありえん!!!!」  最後の最後、狐は今の状況を的確に表した言葉を吐いた。   消 滅。   輝きの中、狐は静かに消滅していく……  断末魔を残して完全に消え失せた狐。爆発も何も無かった。  朱雀は何か腑に落ちない気分は残ったものの、「面倒くせぇ」と投げやりに考えて忘れることにした。  さて、と傍らを見れば仲間である白虎の姿。 「んぐぉぉぉー、ごがぁぁぁー」  と、豪快なイビキをたてるそれ。  どうしたことか、『 全裸 』である。うつ伏せだからまだ何とか許されるものの・・・いや、やっぱりこれはアウトであろう。  連れて帰ろうかとも朱雀は考えたが、こんなのと2ケツしたくはない。  「ん~~」と、10秒ほど悩んだ結果。  朱雀は歩き始めた。何故か開けていた森の跡地に駐車した愛馬の元へと向かう。  変態坂など登ってたまるか。かってに1人で走り回ってくださいな、と諦めの表情を浮かべて……。  クレーターに残された全裸の青年。  満足気に寝息を立てている彼を親切な老人が発見して保護しなかったら。彼は「腹が減った!」と東京の自宅へ向けて駆け出していたことだろう。  きっと、本能のままに―――――――。
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