この惑星の未来から/11

$四聖獣$ ++++++++++++++++++++++ SCENE/Another  鉄筋コンクリートと鋼鉄で構成された工場施設。無数の太いパイプで繋がった、巨大で複雑な機能美の集合体。  構内の一角。施設を見渡せるテラスに男の姿がある。  その男は灰色のスーツを着用しており、椅子に腰掛けて資料を眺めていた。  彼の職務は多岐に渡る。それこそ工場施設の管理も含め、施設周囲に広がる住宅街の管轄、他都市との連携、企業意思の伝達などなど……身が一つでは、到底困難なほどに多忙だろう。その上都市の治安維持を担う“秩序の執行部隊”を率いる責任まである。  都市からの任務と企業からの任務――その両側からの上司と部下。  四方八方に板挟みな彼の胃は常に限界に近い。換えでもなければやっていられないだろう。  問題を一つクリアすれば次のステップへと。きりがない責務と労働の連鎖。  追跡者の次は探索者と、中々に業種の定まらない業務。しかも前述の職務もこなさなければならない。  ――無理難題を課せられるその男にとって、故郷の愛犬を思い浮かべながら紅茶を楽しむことが精々の安らぎ。 「ああ、元気そうで何よりだよ……そんな毛色だったか、ルミロス?」 ++++++++++++++++++++++ From:四聖獣 Story:この惑星の未来から 【Title:永劫黄金世界/ステイシス・プリズン 6】 ++++++++++++++++++++++ SCENE/1  まるで、地球のヘソのようである。密林の濃い緑に穿たれたその洞窟の闇は深く、到底底を見通すことはできない――。  ひと悶着あったものの、どうにか落ち着いた大穴の傍。ゴロゴロと大小の岩があるのだが、洞窟が作られた際に生じたものだろうか。周囲の密林を見ると、不自然に思える。隕石か大規模な陥没かは不明。  ともかく、その大きな縦穴にこれより飛び込もうという無謀な人々が【六人】、ここにある。  しかし設備もロクになく、服装もシルクハットの燕尾服に着物、灰色のくたびれたスーツと、まったくもって探検の心構えがなっていない。これではあまりにも無謀と言うものだろう――常識の範囲ならば。  風の流れが奇妙である。大穴の壮大さとは異なり、風は緩やかに大人しい。洞窟に溜まった空気が上手く循環していないようだ。しかし、かえってその静けさこそが不気味であり、深淵の洞穴に沈む闇が放つ、落ち着いた恐怖が粛々と凍えて身を震わせる。  『サナ』は大穴を恐る恐る覗いていた。「知らない」と言った割には先祖の遺骸とやらが気になるのだろう。もっとも、底までは真っ暗で何も見えはしないのだが。  この底には多量の人骨があるらしい。そして、それは自分の先祖でもあると云う……。  実感はない。第一、先祖といっても本当に昔の、血の繋がりがとても薄い人々。彼らが何らかの無念と希望を抱いてこの洞窟に身を投げたとして、その弔いが未来人であるサナに全部乗っかるのは不条理だ、身勝手だ――と不快に思うことも間違いではない。  加虐被虐と嫌な女は区別していたが、要はそうした過去の因縁を現在の子孫にまで擦り付けてきたのだろう――と恨み混じりになるのも仕方が無い。  サナの感情はどちらであろうか。それは彼女にしか解らない。もしくはまったく別なのかもしれない。  澱んだ空気を湛え、沈黙をまもる大穴に対して。少女は「どうして私なの?」と聞いてみたかった。しかし、返事がない事を知っているので聞くことはない。瞳から流れた雫の一滴が、深い闇の底へと落ちていく。  ――それはまぁ良いのだが。  洞窟を覗き込むという行為には勇気が必要で、危険である。だからこそ、サナは岩に寝そべってちょこっと顔だけ出す、実に安定性のあるフォームを選択した。  彼女の匍匐姿勢は確かに安定性があるようだ。しかし、背後からの見栄えは中々に豪快。  ショートパンツだからまだかろうじて乙女としての恥じらいは守られているものの、太ももをガバっと開いてうつ伏せる姿勢は如何なものか。 「いやぁ、まぁ、気が強いというか――こう、割と大雑把だよね、彼女」  ネクタイを緩めながら、『ロキ』が苦笑いを見せる。 「……ヒッ! あ、はい。そうですかね……」  呆けていたところに声を掛けられたので、『青龍』の喉から少し変な音が出た。  密林に穿たれた洞窟はもちろんとして、その上空にフワフワ浮かぶ空色の風船と、その上に腰掛ける奇術師の姿は異様である。――だが、密林の中。着物に草履、その上帯刀している青年と、灰色のスーツを着こなす中年男性の場違い感も凄まじい。とてもではないが、これから深さ300mの縦穴へ飛び込もうという輩には見えない。 「さっきは悪かったね。こちらの上司は少し気難しいというか、気をつかえない人で……ああいった態度は君たちに限ったものではないんだ。どうか、許してくれないだろうか?」  ロキが真摯に謝罪をした。これを受けた方も申し訳なさそうに後頭部を掻いている。 「俺も熱くなってしまった……こちらこそ、すまない……」 「はは、まぁまぁ。監視委員長に謝罪はいらないからね、こじれるだけだし。君達が許してくれればそれで安心さ」 「……サナは嫌っているようだがな」 「仕方ないよ――好かれる方が希だから」  チラリと背後を確認した後、ロキは小声で囁いた。  青龍もチラリと奇術師の姿を確認したが、その目は少し憐憫めいている。 「それで、ロキ……どうやって洞窟の底に降りるつもりだ?」 「ああ、それなんだけどね。――ええっと、ティヴィは……」  そう言って周囲を見渡すも、ロキの近くにティヴィの姿はない。  「ティヴィなら――」と、青龍が指差した先は大穴の縁。プロヴォアの近く。ティヴィは何やらプロヴォアと会話をしているようだ・・・。 「・・・――ちょっといいかね、Ms.プロヴォア」  体長2Mを越える嘘みたいな頭部の男。『ティヴィ』は野球のボールほどはある両眼で奇術師の姿を捉えている。 「はい、なんでしょう? Mr.バルボア」  幅40mの巨大な大穴。その上空に浮かぶ空色の風船の上で、『プロヴォア』は長い脚を組んでクルクルとバラの一輪を回していた。 「素朴な質問を一ついいかね」  腕を伸ばして人差し指を一本立てる異形。  奇術師は視線を眼下に落とし、異形の者を見定めた。 「どうぞ。可能なことであるならば……」 「あのさ、ここの地下に遺跡とやらがあるんだよね?」 「そのように目星を付けております」 「じゃあさ、穴の底を掘ればいいんじゃない?」 「―――」  なんて最もな意見だろう。確かに、地下にあるというのなら他の遺跡と同じに発掘すれば良い。わざわざ『鍵』なんて必要とする理由はどこにあるのか。 「――フフ♪」  プロヴォアは軽く笑うと、異形の質問に丁寧に答える。 「お忘れになったのですか? 以前共に降りた際、あなた同じ質問をしたのですよ」 「そうだっけ?」 「降りれば解かることですが――同じ返答をさせていただきますね。“発掘ができないから発掘しない”、それが理由です」 「・・・そうだっけ?」 「ええ、降りれば思い出しますよ、きっと♪」  ニコやかな笑顔を浮かべるプロヴォア。対してティヴィは判然としていない様子だが、プロヴォアがそう言うのなら――と、それ以上は聞かないことにした。 「 お~い、ティヴィ。降りるから頼むよ~ 」  響くロキの声。 「ありゃ、そうだったね。どうもありがとう、Ms.プロヴォア」 「―――♪」  プロヴォアは黙ったまま、風船の上からニコニコと手を振っている。  ティヴィは首をぐるりと半転させた後、遅れて身体を回してから駆け始めた。走行の最中、異形の歩調が次第にバタバタとぎこちなくなり、走影は慌ただしく動き始めていく。  青龍は視線を眼前のロキへと向けていた。 「……頼むって、どういうことだ?」 「ああ、乗るのさ!」  親指で、小粋に背後を指し示すロキ。  ――灰色スーツの男。その頭上を、黒い影が勢い良く飛び越えた。  両翼を広げれば5mはあるだろうか。ふさふさの羽毛に包まれた翼がはためく姿。  足元の砂が舞い上がり、青年の青い前髪が巻き上がる。  着地したその巨大な『フクロウ』は<< ホホホホーッ!! >>と、耳をつんざく大きな鳴き声を発散した。これには洞窟を覗き込んでいたサナも身を起こし「うるさぁいッ!」と叫ばずにいられない。 「どういうことだ!!?」 「耳がっ、何も聞こえないっ!!」  音波が直撃した青年と中年は思わず耳を塞いで前のめりに屈んだ。 <ホホホー??>  と、首をぐるりと傾げる大フクロウ。全身を覆う体毛は紫がかった黒色で、目が大きい。そもそもフクロウの目は大きいものだが、これの眼球は一般的なそれとは比べ物にならないほど大きく、その上真紅である。 「なんで縄張りを誇示するんだよ! 意味ないだろ!」  ロキが猛然と大きなフクロウに向かって声を荒げる。 <ホ、ホロロロ――ワフッ、ワフッ!> 「ああっ、もう! 何言ってるのか解んねぇ!」  どうやらフクロウは何かを言い訳しているようなのだが、何一つ伝わらない。 「……て、ティヴィなのか?」  ようやく立ち直った青龍が見上げている。フクロウは<ホホ~ウ>と目をつぶって大きく頷いた。 「……君はコウモリだったんじゃ」 <ホッホホーウ、ホ!> 「・・・あれ、話せないのか?」  ティヴィと遭遇した時――彼が襲いかかってきた時には、確かコウモリの姿で言葉を話していた記憶が……。 「ティヴィはコウモリ以外が苦手でね。会話ができなくなってしまうんだよ――やれやれ」  キンキンと響いている耳を抑えながら、ロキは溜息を吐いた。  ティヴィの本来がコウモリなのか人間なのかは解らない。だが、どうやら現状を見るに、彼は様々な動物へと姿を変えることができるようだ。 「そうか………いや、ならば、コウモリになればいいのでは?」  会話もままならないというのならば不便で仕方が無い。確かに、これならフクロウに変幻する理由が見当たらないではないか。  しかしそこはロキの気遣い。コウモリではなく、別のものに変幻させたのは彼の配慮に他ならない。 「乗ると解るけど、コウモリの背中は揺れも激しくて安定性も低い。飛行能力自体は小刻みが利いていいんだけどね。脚で掴み上げるならともかく、二人乗せるとなると、かなり厳しいのさ」  ティヴィのふさふさとした翼を軽く叩きながら、ロキが説明をしてくれている。  丁寧な説明だ。だからこそ、青龍は割と早期に“どうやって洞窟の底まで降りるのか”を想像できた。 「……つまり、『乗る』ってことか。ティヴィの背に……」 「そうさ。君とサナの二人でね」 <ホホーウ!>  フクロウのティヴィは片翼を上げて目を細めている。なるほど、その巨体には人間二人くらい、悠に乗せることができるだろう。上昇するならともかく、降るのだから尚更楽なものだ。  ――別に不服というわけではないが。青龍は少し、「本当に平気なのか?」という不安を抱いていた。洞窟の闇から感じる悪寒もあり、ナーバスになっているのかもしれない。 「わぁ、あなたティヴィなのね??」  そこに、快活な足取りで駆け寄ってくる少女が一人。  サナは大きなフクロウを見上げて、その全容を眺めた。 「どうしてフクロウなの? コウモリじゃないの? ずいぶん大きいのね? 触っていい??」  質問を叩きつけながら、フカフカと薄紫の黒い体毛を撫でてみる。コウモリの姿で襲われた時は不気味で仕方がなかったが、フクロウなら許せる気がしてくる。頭部の大きな目もここまで異形となれば然程に違和感が無い。  「フクロウ飼ってみたかったんだ~」などと呑気なセリフを吐きながらティヴィに抱きつくサナ。先程までの異形な男と同一個体であるという認識が薄いらしい。鳥好きという彼女の趣向もこのフランクな態度の要因だ。 <ホッホホ、ホホーゥ!>  フクロウはフクロウで嬉しそうだ。彼は“仲間”として迎え入れられることに大きな価値を見出しているのだろう。  大きな鳥のフカフカな羽毛に埋もれている少女。そこに、酷く目つきの悪い、見るからに極悪な青年が声を掛けてくる。 「……サナ、これから洞窟の底に行くのだが――」 「うん」 「……ティヴィの背中に乗って降りるらしい――」 「うんうん」 「………その、本当にいいのか?」 「――なぁに?」 「あ、いや、だって洞窟の底にはさ――いや、でも――これで開放されるのかもしれないが……踊るなら何も――・・・」 「――青龍」 「あ、ハイ……」 「そんなこと言われると、サナの決心が鈍っちゃうよ。青龍は励ましてはくれないの?」  存外に厳しい言葉。顔は向けられていないが、口調から怒りのオーラが滲み出ている。 「イ!? あ……すまん。その、し、心配で…………ごめん」  凶悪な面の青年は手先を持て余しながら伏し目がちに謝った。 (青龍――そこで謝るのか) <ホホーォ……>  スーツの男と大フクロウが哀れみの目で伏し目の青年を見ている。  そんな空気の中。少女が「クスクス」と笑い、青年へと向き直ってみせた。 「心配してくれてありがとう。でも、サナは平気。――だって青龍が護ってくれるから、怖くないの!」  少女のはじける笑顔がそこにある。大人びた格好ではあるが、無邪気に笑う様は太陽のように無垢で、明るい。  青年は太陽に照らされ、つられて微笑んだ。あの悪魔のような眼光は和らぎ、彫刻のように彫り込まれた眉間のシワも薄れている。  ロキは「うむ、うむ」とその様子を見守っていたが……完全に我が子の成長を見守る父、もしくは危なっかしい弟を杞憂する兄の視線がそれであろう。  ・・・思えば、青龍とロキは一回り以上年が違うのだから、自然ではある。 <ホホーウ!>  二人を乗せるのに、ただ「羽毛に掴まっていろ」では寂しい。そこでティヴィはぐぐっと背中に力を入れ、二本の触手をだらりと垂らした。手綱代わりにでもしろということであろうか。 「―――。」 「………。」  サナも青龍も、同じ感想を抱いている。  せっかくの心遣いに対して(うわぁ、不気味だなあ・・・)などとは言えない。二人は目線で息を合わせた。 「わぁ、とても掴まりやすそう!」 「ありがとう、ティヴィ……助かるよ」  そう言いながら、皮膚の手綱を頼りに大フクロウの背中へと登る少女と青年。  ティヴィは<ホッホホゥ>と得意げな鳴き声を上げた。 「さて、これでこちらの準備は整った・・・・・ン?」  安堵したロキだが、すぐに違和感に気がつき、言葉を止めた。  周りを見渡せば自分を含めて4人+1羽。おや、これでは「1」足りないではないか……。  まさか! ――と、ロキは大穴の縁にある岩に上り、恐る恐る覗き込む。底までは無理でも、凡そ1/3。深さ100m程度までは岸壁を見下ろせる。  岸壁伝いに真下を見る。そこには一点。揺れる小さな灯りが見えた。  やっぱり。――と、ロキは予感の的中にガッカリと肩を落とした。  勝手に出動するし勝手に扉を蹴破って部屋に入るし……そして指示を待たず、勝手に“ロッククライミング(降り)”を開始している部下の姿がそこにある。  確かに事前の打ち合わせで「君は素手か」と申し合わせたのだが――少し目を離せばこれである。いくら本人が腕に自信を持っているとは言え、こう単独で動かれてはフォローが効かない。  ロキは顔を上げると、フワフワと空に浮いている空色の風船に向けて声を張った。 「監視委員長。準備が整いましたので、降下を開始いたしましょう。――早急に!」  フワフワと浮いている空色の風船。そこに座っていた女は、臀部を風船の弾力で弾ませ、軽々と立ち上がった。  先行して進む癖のある彼女がこうして黙りと待っていたのは、サナを心配したからである。灯りのない洞窟は危険であろう。  灯りを伴って降りてもらうために、生きて降りてもらうために―――彼女は待機していた。 ++++++++++++++++++++++ ++++++++++++++++++++++ SCENE/2  ――深さ300mの岩壁。洞窟の壁面にへばりつく黒のラバースーツは、徐々に減少する光量によって闇に溶け込みつつある。唯一の頼りは口にくわえた携行ライト……。  しかし、彼女ならばこの程度の岩壁、フリーハンドのクライミングでこなしてしまうだろう。  手袋越しに岩肌の感触を確かめながら少しずつ降るラバースーツの人。  深まる闇に恐れはないが――気になることがある。  頬を岩肌に当てると、ひんやりと湿った岩の香りに、気流の緩い洞窟の音が聞こえる。  単なる空洞の音か――しかし、それには何か――聴覚では感じ取れない波も混ざっている気配。  そしてその岩肌。風化しているので詳しくは判明しないが……もしや、所々に見えるのは「溶けた跡」なのではないか―――? ACT-1  縦穴洞窟の上空。浮かぶ風船に立つ奇術師は口の前に指で輪を作ると、ふぅっと息を吐いて無数の風船をつくり始めた。  生み出される風船は皆、白色。それらはまるで夜空の彼方に輝く星々のように、燦々と輝きを放っている。  無数の風船が深淵の洞窟内へとゆっくり降下し始めた。奇術師の乗る空色の風船も、輝く風船の群れに混じるよう、洞窟の深淵へと落ち始める。  輝く風船は洞窟の暗闇を照らし、岩壁の肌を徐々に明確な様で浮かび上がらせた。 「よろしく頼むよ、ティヴィ。次いでに“彼”も気にかけといてくれ」  ロキがそう言いながら手を振っている。 「……あれ、ロキは降りないのか?」  見送りの態勢に入っているスーツの男に向けて、青龍が意外そうに聞く。  「怖くなったんだ!」とサナに指摘され、ロキは心外な様子で咳払いをした。 「僕は君たちが降りた後に降りるんだよ。重量過多になっちゃうからさ」  ティヴィがロキに同調して<ホウホウ>と頷いている。 「前例があるから大丈夫だとは思うけど、気をつけてくれよ。特に転落事故には」 「ティヴィが手綱を用意してくれたからな……これに掴まっていれば落ちないだろう」  手綱と言ってもフクロウの背中からニョロっと生えた触手なのだが、確かにそれを腕に巻き付けておけばそうそう振り落とされそうにない。見た目的に若干不気味な事は玉に傷だ。 <ホッホーウ!>  大フクロウの雄叫び。出発を告げる鬨の声が鳴り響く。  するとフクロウは足元の岩を蹴り、翼を轟轟と羽ばたかせながら星空のような縦穴の中へと降り始めた。  羽ばたくことで速度を調節しながら、背中で片耳を塞いで文句を言っている二人が振り落とされないように、慎重に風船の星空へと紛れていく。  密林にぽっかりと空いた巨大空洞。その下層を目指して降りていく四人と一羽。  岩の上からその様子を眺める中年男性は、額の汗を拭って「ちょっと眩しいなぁ」などとボヤいている……。 ACT-3 /  翼の羽ばたく音が聞こえる。  大きな翼が動く度に広い背中が押し上がり、少しだけ浮遊した気分。  澱んでいた風が乱されて、涼しい風が肌を撫でていく。  遠くなっていく洞窟の入口。射し込む陽の光は暗闇の途中で力尽き、光のカーテンのように掠れている。  フクロウの頭から真下を覗き込む。そこには闇の中、無数の明るい灯が揺らいでいる光景。  まるで、見上げている夜空が少しずつ近くなってきているかのように不思議な情景。降りているのだけど、空に吸い込まれている感覚がした。  360°を岩壁に囲まれた広い円の中心。上には遥かに続く空。下には終わりの見えない闇。  大きなフクロウの背に乗って、たくさんの光の玉に囲まれる。  工業都市の曇った空なんかより、断然魅力的な嘘の星空――― / 「凄いっ! 見て見て、青龍! 綺麗だよ!」  サナは浮かれていた。高層のホテルから見下ろす夜景とは違う、上下に幻想的な世界に感動していた。  四方、どの方角を見ても岩の壁。何処を見ても距離があるので、過ぎ去っている実感があまりわかない。 「うん、実に不可思議で見事。……大したものだ、あの女。ゾノアンの魔術師と言うわりには肉体派が多かったから、こういった術を見せられると実感あるな……」  少し下の位置に、光球の群れに紛れるワインレッドの色合いが良く映えて確認できる。青龍はそれを見ながらボソボソと呟いた。 「――やっぱり綺麗じゃない!」  サナが不機嫌に言い放つ。青龍は賛同して素直に感想を言ったつもりなのだが、彼女は不機嫌になってしまった。  ……「“あの女”が作った光景」と思って見れば、サナにとっては憎らしいだけである。褒めたことも気に食わない。 「え、でも今綺麗って……」 「綺麗じゃない! 汚い風船が余計なの!」  癇癪を起こしたサナは目を瞑り、せっかくの幻想的な光景を拒否してしまった。  何がどうしたのか見当も付かない青龍だが、彼はこういう時の対処法を一つしか知らない。  青年は沈黙した。  ・・・――光のカーテンの終わりに差し掛かる。見上げると、さっきまでいた入口の岩が判別できないほど霞んでいる。ロキがどの辺りにいるのかも解らない。  随分と降りたものだ。未だに底は見えないが、もうすぐ半分という程度には降りたであろう。  サナは頑固に目を瞑っていた。今はそのまま羽毛に顔を埋めてふてくされている。  青龍も沈黙を継続しており、何一つ事件も無いのにやたらと険悪な空気を解消できずにいる。彼がこの状態を能動的に打破できた事は、未だに皆無なのではないか。  沈黙の侍は手持ち無沙汰にも周囲の様子を探っているのだが、これは単に気を紛らわしているだけではない。洞窟の入口から感じているものを見定めようとしているのである。 (……あ)  何かを発見したらしい。青龍は胸中で小さく「あ」を出した。  見れば、現在位置よりさらに下。風船の光もそれほど届かない位置で、闇に紛れる黒のシルエットがぼんやりと浮かび上がっている。  青龍は警戒をもってそれをじっくりと見たのだが――すぐに警戒を解いた。シルエットの正体が岩壁を自力で降っているラバースーツの人だと気づいたからだ。 (すごいなぁ、あの人。確か何も装備なんて無かったのに。……己の四肢だけを頼りにあそこまで降りたのか)  実際、岩壁を150m――底までなら300mも手足を頼りに降りるということは中々にできることではないだろう。  岩壁を登るのならともかく、「降る」となると難易度は異なってくる。何せ見えない。下が見えないので、足掛かりを見つけるのも一苦労。一度登ってきたわけではないので、事前に手掛かりを仕込んでおく事も不可能。その上視界は暗く、空気も悪い。  この悪条件下で淡々と岩壁を降る女性。勇気と度胸も並みのそれではないだろうが、何より筋力が気になるところ。  青龍は不思議に思っていた。手を合わせて、あまつさえ投げ捨てた経験から言って――。彼女の筋量は常人より優れるものの、ここまでの難行に耐えうる物とは到底思えないからである。 (……あ!?)  ラバースーツの人に関心していた青龍は、再び「あ」と心の中で声を出した。しかし、今度の「あ」は先ほどより強い。  驚きの強さは“発見”したからではなく、“見失った”ことによる動揺。  淡々と降っていた女性だが――どうしたことか。彼女はいきなりに、岩壁から離れて闇へと混じってしまったのである。  素直に考えて、最も可能性が高いのは「転落」。  まだ底には遠い。あの位置から落下してしまったのならば、絶望的とも言えるだろう。 「ティヴィ! 大変だ!」  今から間に合うか。しかし、僅かな可能性に賭けて、青龍はティヴィに緊急事態を報せようとした。  切羽詰った声に驚いてサナが顔を上げる。  ティヴィはぐるりと首を回して青龍を―――  見ることはできなかった。  ティヴィの頭部は横向きの段階で、無残にも“突き破られて”“破砕された”のである。  それはあまりに不意で、突然の出来事。 「―――え?」 「なっ、馬鹿な! “コレ”は……!!?」  砕けた頭部の欠片が上方に飛び散る。ティヴィの赤い体液がサナの頬に付着した。  サナは現実を把握できていない。青龍もティヴィの惨劇を整理できていないが、ともかく“目に見えた物”を意識せざるを得なかった。  羽ばたきを止めた大フクロウの体がバランスを崩して急激に傾き始める。ティヴィの親切による手綱は非常に有用だったと言えるだろう。  二人は触手をしっかりと握ってフクロウの背中にしがみついた。 「そんな――いやぁぁぁっ!!」 「サナ!」  少女の瞳から涙が溢れてくる。悲惨な光景を目の当たりにしたショックではなく、「ティヴィに悲運がふりかかった」という現状を理解したショックから涙が溢れている。  取り乱すサナを落ち着かせようとする青龍も、事実の把握ができずに思考をまとめることで精一杯な状況。  どの道、しがみついてもこのままフクロウの身体が落下するのであれば助かるわけもない。ビルの二階程度の高さとは衝撃が異なる。  それに、悲鳴と困惑の声で聞こえないが……時を同じくして。無数の輝く風船が次々と割れ始めていた。  涙する少女。得策が浮かばず、ただ焦る青年。  次第に減少していく光量。加速する落下速度。  光明の見えない暗澹とした危機の中、続けて異変が生じた。  ――緊張の渦中、首なしフクロウの翼が勢い良く羽ばたきを再開したのである。  首なしフクロウの傾きは羽ばたきによって元に戻り、落下の速度にもブレーキがかかる。砕け散ったフクロウの頭部には、乳白色の弾力性に富んだ何かがモゴモゴと蠢き始めた。  やがて乳白色の何かに大きな真紅の球が二つ現れ、紫がかった黒い羽毛がふさふさと生え揃う。仕上げに嘴が突き出ると、そこから<ホホッホー!!>と荒ぶる鳴き声が発せられた。  頭部を砕かれたフクロウは元通りに戻って勇ましく羽ばたいている。……だた、そこに至る経緯を間近に目撃した青龍とサナは絶句していた。 <ホー、ホホーウ、ホウ!?>  復活したティヴィが何かを訴えている。  ・・・正直な話、背中の二人は(嫌なものを見たなぁ)という心境なのだが、それを口に出すのはいただけないだろう。  サナは涙を拭うと、隣の青龍の目を見た。青龍は黙って頷く。 「――よ、よかったぁ! ティヴィは凄いね!」 「……ああ、助かったよ。ここまでかと、諦めてしまうところだった……君は大した奴だな」  二人は揃って大フクロウの背中を撫でてやった。  ティヴィは<ホホ~、ワフッ!>と照れているらしい。  ――だが、これで安心ではない。今も風船の光球は割れ続けている。  何がティヴィの頭部を砕き、何が風船を割っているというのか……。  青龍は目撃したことによって、信じ難いことなのだが――とにかく、理由を解していた。 「サナ、少し気を張る。……伏せていてくれ」  静かな口調。【青い髪の侍】は言葉と共に片目を瞑り、周囲に気迫を漲らせた。  侍の気迫は傍にいるだけで背筋を凍えさせるほど、恐ろしい。だが、少女はそこに恐怖を感じてはいない。  サナは言われた通り、フクロウの羽毛に隠れて身を伏せた。  侍は考える。この狭い足場で刃を抜くのは危険極まるだろう。  よって彼は左の手で触手の手綱を握り締め、右の腕を自由にして手先揃えて尖らせた。  構えられた手刀は輝きを纏い、爪先から肘までを銀の色に染めていく………。  彼は意識の網を緊張させて、強い“霊感”を頼りに叫ぶ。 「ティヴィ、右だ!」 ACT-4  広大な洞窟の空間。暗闇に浮かぶ無数の輝きは白色の風船によるものだ。  それが今、次々と破壊されている。  断続的に聞こえる破裂音を聞きながら。奇術師の女は優雅にも脚を組んで、空色の風船に座って考察にくれていた。  状況を静観するプロヴォア。彼女は人差し指を唇に押し当てて、余裕を持って洞窟内部を見回している。  下からは強く息を吐く音。上からは少女の悲鳴―――。  誤算である。プロヴォアにとって、悲鳴は想定されたものではない。  死なれては困るのだから。少女には生きて洞窟の底を踏んでもらわないと意味が無い。  ……にも関わらず。彼女は両側の口角を上げた笑顔で、パタパタと楽し気に脚を揺らしている。 「フフ、当たりね――当たり。私達だけでは動じなかったというのに、今日はこんなにも賑やかですもの。そうでしょう?」  誰も傍にいないのだが、彼女は言い聞かせるように言葉を綴っている。 「だけど不思議だねー。サナは彼らの子孫なのに……あっ、凄い! 避けてる、狙われているのに!」  見上げると、慌ただしくしている鳥の影。青年の叫びとフクロウの悲鳴が聞こえてくる。 「彼の顔が怖いから? いいえ、違いますね。明らかに狙いはサナさんです」  腰掛けている空色の風船。時折これが「ボンボン」と音を立てる。弾力のあるそれが何かを弾いている音なのだろう。 「救済を求めて飛び込んだのならば、彼らが鍵を拒否する理由が存在しない」 「それもどうかなー。救済を求めてはいたのだけど、開けてはならない理由を知ったとか?」 「――解りません。屍人の思考など、読める道理がありません」  何気なく、虚空を振り払ってみせる。最中に握った手の中で、小石のような物がもがいた。それをひと思いに握りつぶすと、かび臭いコラーゲンの粉末がぱふっと舞い飛ぶ。 「ともかく/何にせよー/私達を困らせてしまう/つもりならば♪」  風船の上で立ち上がるプロヴォア。その服装は顔立ちと身長からして大人ぶって“ませている”ような印象。  奇術師のような少女が直立している風船は、彼女を乗せたまま半回転した。つまりは少女の脳天が――シルクハットが洞窟の底へと向いたわけだが……帽子が落ちる気配は無い。  少女は上を向いて指で作った輪を口に重ねる。それに息を吹き入れて“茜色と橙色がマーブルに渦巻く風船”を膨らまし始めた。  ・・・上を向くとは言っても「彼女から見た上」であり、一般的には洞窟の底に向けては下方となる。  こんな単純なことすら錯綜しかねないほど、現在のプロヴォアは奇妙な状態にある。  風船は流線型に膨らんだ。横の直径は3mあるだろう。上下の風船に挟まれた少女の姿の、なんとも珍妙なことか。  風船の模様はあたかも燃え盛る業火のように流動している。  少女が指の輪を閉じると、燃え盛るような風船は洞窟の闇へと解き放たれ、とても空気に満ちているとは思えないほどの重量感で落下を開始した。  次いでプロヴォアは一輪の薔薇を取り出すと、それを上に向けて放り投げる。  薔薇の一輪は反転して茎を下に、虚空の暗がりへと落下していく―――。 ++++++++++++++++++++++ 「左だ! ちょっと下がりながら左!」 「下、下からが多い! 左側上げて!」 「いかんっ、多い! ……捌ききれないっ!」  忙しないことに、青龍は次から次へと指示を出す――と、同時に銀色の右腕を振り回しながら見えない何かと格闘していた。  洞窟の暗がり、底の方から次々と高速に飛び交ってくる物。青龍はそれらを必死に叩き切っているのである。 <ホウロロロロロ――!!>  フクロウの悲鳴が鳴り響く。翼までは護って貰えないので、機関銃のように襲いかかってくる物に貫かれ、修復し、また貫かれて修復するをひたすらに繰り返していた。  どうして襲ってくるのかは解らない。しかし、サナは何としても守りぬくと、一人一羽が奮起している。  洞窟の風は澱んだままだが、底から押し寄せる圧迫感は突入前の比ではない。  明らかに、何らかの信念に近い意志をもって飛び交う物は無数の【人骨】。細かく言えば人骨の断片。風化して尚残った骨の欠片が、目にも止まらぬ速さで飛び交っているのである。  飛行する人骨はもれなく“霊魂”を纏っており、その一つ一つに別々の感情が渦巻いていかのようだ。  青龍は元来霊感の強い男で、だからこそ襲いかかる人骨の動きを予測して、手刀で叩き落とすことができる。また、片目を閉じることで高速である動作そのものへの対処もしていた。それは彼の家に伝わる技能である。  腕が銀に輝くのは彼の内に秘めた魔力を伝わせた副作用であり、これは実体のない霊魂だろうが具象体だろうが、無関係に切り裂いてしまう。  そうは言っても、全ては対処しきれない。ティヴィに指示を出して避ける努力はしているのだが、大フクロウの図体では全て避け切れるわけもなく、青龍自身もすでに着物を大分裂かれてしまっている。 「すまない、ティヴィ。堪えてくれ……」 <ホッホ、ホッホ、ホーウ!> 「……キリがない。次から次へと、底から湧いている……!」  プロヴォアは「人骨が大漁」と言っていたが、大体どれほどなのかは聞いていない。それでも青龍は洞窟の底から押し寄せる圧力に、数百は下らない念を感じ取っている。  深く考える余裕は今の青龍にない。しかし、雑念を取り払うのに必死である。  手で直接切断しているからこそ伝わる、浮遊する人骨の意志……それは怨念や憎悪ではなく、警告や忠言の類が大部分を占めているようだ。それにしては物騒な行いだが、それほどまでに伝えたいことでもあるというのだろうか。  それとも、何者かに差し向けられているのであろうか―――。  耳鳴りが響いている。霊体が近くを通る際、耳鳴りが生じる場合もあるが、霊感強い青龍が今更そんな曖昧な感じ取り方をするのは不自然。 「――青龍!」  フクロウの羽毛に隠れていたサナが突然に半身を起こした。 「あ、危ない。伏せていてくれ!」  左の手でサナを庇う青龍。 「青龍、声が――声が聞こえるの! 何を言ってるかは解らないの!」 「・・・・・???」  不安そうに見上げてくるサナ。しかし、こっちこそ「解らない」発言に、青龍の脳内は疑問符で埋め尽くされた。  停止した青年の肩に―――霊魂を纏った人骨が一本。突き刺さった。 「アガっ、くっ……!」  顔を歪めながらも、左肩に刺さっている人骨を即座に引き抜く青龍。引き抜かれた骨は上腕骨と思われる。長さがあっただけ、容易く掴むことができたのは幸いか。  出血が始まる。傷口から吹き出す血液。青龍の左面に血しぶきが飛び散った。 「青龍!!」 「……っ、大丈夫、平気だ!」  険しい表情でそう言うと、痛みを堪えて再び銀の右腕を振るっていく。  しかし、その精度は落ちており、何より治療の間も無いので出血量が懸念となる。  だが止まることはできない。先程は幸運だった。自分に刺さったから幸運だった。もし、あれがサナに当たっていたとしたら……。  青龍は決して、止まることができなくなっている。  ティヴィは青龍から滴る血液によって質量を回復しているのだが、それを越える負傷が頻発している現状では焼け石に水だ。  このままではもう、長くはもたない――。  青龍がティヴィを身軽にして、せめてサナを洞窟へと返してもらおうかと考え始めた頃‥‥‥‥その“音”は、フクロウの下から微かに響いてきた。 “ィャッ_ァェィッ_ォゥァ!――セィッ――フオウァッ、エエイアッ、サイサイ!!”  祭囃子のようだが……それは呼吸音であり、気のこもった息吹から漏れる“闘志の声”である。  左右にブレながら一定のリズムで徐々に近づいてくるその声。近くなるほど、力強さと熱い魂の猛りが伝わってくるかのようだ。 「……な、何の声だ!?」  今度は青龍が声を聞いたと言う。そしてサナも同じ声を今現在聞いている。  暗がりから徐々に光球がちらつく位置にまで達し、右に左に縦横無尽な様でフクロウへと迫る、漆黒のシルエット。 「ア゛ア゛ィエイッッッ!!!」  遂にシルエットはフクロウを越えて、青龍とサナの頭上にまで高々と跳び上がった――。  光のカーテンを背景に、飛翔する人の影。  まだ装着しているゴーグルが、弱々しい日差しを受けて輝いた。 「――ああっ!?」 「あなたは! ・・・・・そう言えば……」  二人が見上げた視界の中。そこには、『ラバースーツを着用している人』の姿がある。  彼女はすぐに何かを蹴り、跳んだ先でまた何かを蹴って、大フクロウの周囲を跳び回り始めた。  あまりの機敏さにサナは視線で追いきれないが、青龍は彼女の軌道を把握し、何を足場にしているかも確認できた。  ラバースーツの人は一見して虚空を蹴りまわっているようだが、実際は違う。  彼女は見えないくらい速く飛び交っている“飛行人骨”を、的確に踏み抜きながら跳躍を繰り返しているのである。  霊感などではなく、純粋に動体視力と空間の把握能力を活用することによって高速飛行の人骨を見て、予測して、そして踏んで蹴り抜いて粉砕する。  ……この一連の動作を瞬時にクリアしているというわけだ。  尋常ではない挙動を見て、青龍さすがに驚愕した。同時に「通常の体術だけで成り立つのか?」とも疑問に考えた。  しかしながら、目に見えてフクロウを襲う人骨の数が減少している。  ラバースーツの人がやたらと迅速というのもあるが、このことは“人骨さえ砕けば襲われない、即ち霊魂そのものには現状の驚異が存在しない”という事実の証明となるだろう。  ・・・思えば。ラバースーツの彼女は岩壁から落下したのではなく、真っ先に飛行人骨と遭遇して、独自の判断で各個撃破を開始していたのであろう。  青龍は彼女が健在であることに安堵したのだが……しかし凄まじいとも思う。  何が凄まじいかというと。この状況でもチラチラと青龍を睨んでいる、その執念が凄まじい。一体、何が彼女をそこまで駆り立てているのか――。  青龍は、ラバースーツの人のおかげで動きに余裕が作れるようになった。彼は隙を見て着物の懐から湿布のような紙切れを取り出すと、これを己の左肩へと貼り付けた。  以前も使用したこの“湿布のような紙”だが、これも彼の家に伝わる技能の産物に他ならない。これは外傷なら大概治せる優れものなのだが、貼ると患部に強烈な熱を感じさせてしまうことが難点。 「青龍、血が――大変だ」  サナが青龍の頬に付着した血痕を拭おうとする。慌てて彼は「あ、大丈夫、じ、自分でいい……」と着物の裾でゴシゴシと頬を拭いた。  四方八方から聞こえる「セイッハイッエエイッ!」の叫び。  応援のつもりか、ティヴィが<ホッホーウ!>と高い鳴き声を響かせる。  しかしどうしたものか――このまま人骨と戦っていても仕方がないものの、発生源は洞窟の底である。  それに、やむを得ず叩き切ってはいたが……全てがサナの先祖だと思うと、青龍はこれ以上彼らと敵対する気にはなれない。どうにか鎮めることができれば―――。  青龍はそのようなことを考えながら。ふと、急に目立った方向へと視線を向ける。  ――輝く風船が夜空にきらめく星とするならば、さながらそれは“太陽”とでも例えるべきであろう。  遠目にも茜と橙に染まった色合いはよく目立ち、流動的な模様が轟轟と流れていることも視認できる。  右の方向、斜め下。  空色の風船に重なるように、その『燃え盛るような風船』は流線型に膨らんでいく。形状から、それが本当に風船なのかは解らないが。膨らんでいく様は風船のように見えた。  奇妙な点もある。空色の風船には奇術師の女が乗っかっていたはず……しかし、その姿が見えない。確認できない。  青龍が流線型の風船に気がついてから、ものの5秒と経過せず。  流線型の燃え盛るような風船は解き放たれ、落下していく。  速度は風船の落下とは思えぬほど速く、どちらかと言えば空へと天高く昇る勢いに近い。  流線型の風船は縦穴の闇へと紛れ、姿を消した。  サナもティヴィも、落下する風船を目撃したようだ。今も跳び回るラバースーツの人は見たのかもしれないが、見えなかったかもしれない。相変わらず機敏に跳んでいる。  ―――と、ほんの少しの間を置いて――  吸い込まれそうな洞窟の深い闇。それが瞬時『カッ』と赤く染まったかと思えば、夕焼けの如く熱せられた空気の波動が轟然として吹き上がり、洞窟の岩壁を火柱が駆け上っていく。  きらきらと輝いていたたくさんの光球は、ほぼ全てが衝撃で弾け飛んだ。  火の粉が舞い上がり、目も眩む赤い閃光に遅れて洞窟全体が鳴動した。  それは爆発するエネルギーによる振動とも思えるが、数多の感情が入り混じった断末魔とも取れるほどに悲しくもある。  サナは締め付けられるような想いに耐えるため、ぐっと胸元を手で抑えた。 「!? !? サナッ!!」  青龍はサナを抱き寄せて、共にフクロウの羽毛へと伏せる。咄嗟のことで彼も必死だ。何せ、口を開いただけで喉が焼けるように熱い。洞窟の底が火口と化したかのように熱気が巻き上がっている。 <ホホッ、ホホッ!!?>  ティヴィは相変わらず何を言っているのか解らないが、これはなんとなく「熱い、熱い」ではないかと予想が付く。  熱気によってフクロウの下腹部が香ばしく臭い、黒い粘着質な液体が溶けたロウのように滴っている。  直径40m、深さ300mの縦穴洞窟内の気温を瞬時に摂氏40度強に跳ね上げた赤い閃光。最下部に至っては数千度にまで上昇していただろう。  折り重なるように眠っていた数多の遺骨は余りなく荼毘に付され、灰となって滅す。地表に現れた刹那のマントルは、洞窟の底を容赦なく焼き尽くし、一面を焼原の地へと変貌させた。  灼熱の収束は自然現象には有り得ないほど迅速。時間にして一分とかからず、再び洞窟は熱を失って深い闇に包まれていく………。  風船の“下に”立つ奇術師は、昇天を祝福して惜しみない拍手を送っている。 「――フフ、神の導きがあることを願いますよ。もっとも、これからは“私の神様”ですがね……」  シルクハットを片手で抑える女奇術師。空色の風船は半回転して彼女の上下は正常なものとなった。  さて、せっかくの星空が失われてしまった。暗がりは不便だろう。  奇術師は親切な心で、再度、無数の光球を連続して生み出し始めた。  ――何が起きたのか。青龍は突然で危険な加熱を驚異と感じている。そして洞窟突入前から覚えていた“悪寒”がほぼ消滅したことを理解した。  フクロウのティヴィは「ホゥ、ホゥ……」と頼りない鳴き声を零しながら弱々しく羽ばたいている。当然として降下の速度は上がってしまっている。  青龍はサナに「振り落とされないで」と声を掛けた。  少女は頷いて手綱をしっかりと握り締めたのだが……悲しそうな瞳をしている。 「声が――聞こえなくなったよ」  小さく零したサナ。  青龍は悲しそうな少女の横顔を見つめていたのだが、彼女の言葉を反芻して「え」と声を出した。  声が聞こえない? そんなことはない。  今もフクロウの周囲では「フンッ、ハイィッ、セェイヤ、エエィッ!」と、勇ましい様で人骨の残党を狩る女闘士の気合が聴こえている  青龍は「大丈夫、彼女は元気にしているよ」とサナを慰めたのだが――そうではない。  サナは落ち込んだ様子でフクロウの羽毛に顔を埋めた。彼女は青龍より、もっと色濃く、はっきりと遺骨の消滅を察していたから――。「知らない」と言って腹も立てて、襲われて危険な思いもしたというのに……それなのに泣いている自分の顔を隠すために、羽毛に埋もれたのである。  ――サナにだけ聴こえていた。  解らない、知らない言葉。でも、理解できてしまっていることが怖かった。  飛び交う彼らは口々に、呪文のように唱えていたのである。  ――動かしてはならない、行かせてはならない、永遠でなければいけない ――と。 永劫黄金世界/6 From ――『 この惑星の未来から 』―― $四聖獣$
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