この惑星の未来から/12

$四聖獣$  吸い込まれそうなほどに深い、洞窟の闇。それを瞬時に『カッ』と赤く染め上げた閃光。  一時的とはいえ、地獄の釜茹での如く恐ろしい熱量がそこに存在した。轟と洞窟を驚かせる音は亡者の泣き叫ぶ悲鳴にも聞こる。  自然の業火はそうそう容易く鎮まってはくれない。  つまりは奇妙で不自然だったのだろう。洞窟の底を焼き払った火葬の炎は、夢幻のようにあっさりと掻き消えた。  熱波が湧き上がった洞窟内、そこに侵入していた4人と1羽を暗闇が包み込む。彼らの頼りであった光の風船は全滅した。  洞窟は暗闇を取り戻したが、未だ静寂を取り戻せてはいない。  それは数で表せないもの――言うなれば上昇する砂塵にも例えられようか。  夥しい数の人骨は多量なる遺灰となり、冥府への渦巻く上昇気流と化して洞窟内をたち登ったのである。  暗闇の底から洞窟の岩壁を螺旋に沿い、昇ってゆく多量の遺灰。あたかも灰の川であるが、昇っているのならば異様であろう。  億千万の蟻どもが群れを成して階段を登るかのように。暗闇から湧き上がる音の波。  左右にはただ闇しか見えず、得体の知れない騒音に大フクロウは戸惑った。  戸惑うのは青い髪の侍も同じく、彼に抱き寄せられる少女は理解しているが故に涙を抑えられない。  空色風船に立つ女は「ああ、臭い」と鼻を摘んだ。  洞窟の遥か上。見上げれば光のカーテンが射し込んでおり、凡そ地上から100mまでは明暗区別がつく。そこまで視界を上げれば渦巻いて昇ってゆく灰の川が確認できるであろう。  ちなみに、あまりに遠すぎて侍達からは見えないのだが。  洞窟の入口付近において、スーツ姿の男が密林の影まで懸命に逃げている光景が繰り広げられていた。  ――かような動乱の最中。実に豪胆なことに、相変わらず飛行人骨の残党を蹴りくだいていたラバースーツの人がいる。  彼女は最後の残党を蹴り砕くと、得意気な顔を暗闇の大フクロウへと向けながら、再び岩の壁へとへばりついた。 SCENE/1 ACT-1  灰の川による騒音が治まり、洞窟が静寂を取り戻す。すると、一度は全滅させられた光の球が、ポツポツとまた生み出され始めた。ねずみ算式に増える光の球は、「あっ」と言う間に偽りの星空を洞窟内へと再現していく―――。  少女とその護衛は、フクロウの背の上で偽りの星空を見下ろしていた。 「……サナ、平気か?」  『青龍』は少女を抱き寄せるようにして、ふかふかの羽毛に伏せていた。大フクロウの羽ばたきによる風の音が常に聴こえてくる。 「うん、平気だよ。ちょっと――寂しくなっただけだから」  『サナ』は指で涙を拭った。彼女は自分でも、何が悲しいのか上手く説明できそうにない。先祖の遺骨が灰となってしまったことが悲しい……それは違う。もっと曖昧に――“聞こえた言葉”が悲しみを、申し訳なさと悲哀の感情を呼び起こしていた。  その心情を知ることもできず、青龍は純に「人骨に襲われたことが怖かったのだろう」と納得している。サナはそれほど弱い女性ではない。 <ホッホホーゥ……>  大フクロウの『ティヴィ』はいくらか元気を失っている様子。羽ばたきが弱々しくなったおかげで、降下の速度が上がっている。  このフクロウに合わせたのか。空色の風船に立つ『プロヴォア』もまた、降下の速度を速めていた。光球を伴って降るワインレッドのなんともふてぶてしいことか。  地の底を焼き尽くす瞬間的な灼熱を撃ち放った張本人は、次第に強まる異臭に顔を顰めている。何せ数千の遺骨が灰となったのである、生じる臭いたるや、鼻の粘膜を旺盛に刺激して止まない。  そこで、彼女は鼻をつまみながらも口元に指の輪を重ね、ペパーミントグリーンの風船を膨らませた。  これを一つ、地の底へ解き放つと……静寂の中、“パチン”と、ゴム質の物が弾ける音が微かに響く。  音と違ってすぐに効果は伝わらない。しかし、プロヴォアが現在位置から50mも下る頃。彼女の鼻はつままれる必要を失い、スッキリと爽やかなハーブの香りを十分に堪能することができていた……。  岩壁を己の四肢を頼りに降っていたラバースーツの女性。飛行人骨を文字通り蹴散らした彼女は、洞窟の底に最も早く到着することになる。  断トツに最速となった彼女の降下タイム。それは何故かと言えば……理由は単純。ラバースーツの彼女は残り距離100m程と見るや岩壁から手を放し、飛び降りたのである。  工程の1/3を自由落下に任せたのだから、そりゃ早い。しかし、普通に考えて危険ではないか? ぺしゃんこになってタイヤに轢かれたカエルのようにならないか?  ――心配は無用であろう。  飛び降りたラバースーツの人は空中で身を翻して足先を底に向け、暗闇の中を矢尻の姿勢で落下。ただただ、空を切る風の音のみを耳に、足先で虚空を裂いて行く。  そして、それは一瞬――刹那、瞬間、瞬時の事。まったくもって常軌を逸していている出来事ではあるが……。  彼女は地に足のつく寸前に気を構え、足先が着いたと同時に身体の各部関節へと衝撃を逃した。同時に膝、太もも、腰、肘、肩と寸分の違いを許されぬタイミングを経て順次着地させ、姿勢を横にしてそのまま落下の衝撃を回転の勢いへと変換。ゴロゴロと地の底を転がったのである。  ――後述となるが。洞窟の底はアスファルトどころではなく、硬い。その上決して砕けぬ地への着地を、微塵のミステイクもないエネルギー分散によって成立させたラバースーツの女性。  彼女は都合2、30m転がってからすんなりと立ち上がり、首を鳴らしてからゆっくりと腕を組み、考え始めた。  何を思ったか。彼女はしゃがみ込んで洞窟の底を手の甲で叩き始める。ラバーの手袋を外して、爪で引っ掻こうとも試みている。 「‥‥‥?」  そして、首を傾げた。  指先で“コンコン”と叩きながらしばらく考えていたようだが……。上空に空色の風船が迫ってきたので、考えるのをやめた。  彼女は実にシンプルな解決を好む。シナプスによる神経伝達物質の取引が盛んになることを面倒だと思う質なのである。身体を使わないゲームはこれが露骨でいやらしい。特に七並べなどはいやらしい――と、彼女は八つ当たりを根に持っている。  仁王立ちに姿勢を変えて仲間を待つラバースーツの人。徐々に光球の群れが迫り、落ちてくる。照らされて輝く、彼女のラバースーツ。  【傍らに立つ男】は、くたびれた灰色スーツの埃を払った。 「なぁ、レイア。君は何と戦っていたんだい?」  男が問いかけた。しかし、女性は答えない。 「途中から目まぐるしくって、見てらんなかったよ――って、おい。聞いてる?」  もしもし~、と女性の肩を指先でつついてみる。するとラバースーツの人はゴーグル越しにでも視線を向けてくれた。実に鋭く、冷め切ったシチューのような温度がそこにある。 「‥‥横に立つのはやめろ。気味が悪い」  そう言い捨てて、視線を外す女性。  いくらか言葉足らずである。彼女は口数少ないので仕方無いのかもしれないが、単語を削るごとに言葉は冷淡さを帯びてしまう。せめて「いつの間にか」を文頭につけるべきであろう。  案の定、灰色スーツの男はガックリと項垂れてしまった。可哀想に。 「き、気味が悪いって……一応は上司なのに、なんて言い草だよ――」  気を落とすのも解かる。若い女性に「気味が悪い」と言われて、落ち込まない男もいないだろう。  直径40m、深さ300mに及ぶ広大な洞窟の底で項垂れているスーツの背中。そこには、寂れた哀愁が漂っていた・・・。  その男は『ロキ』と呼ばれている。  本名は「ジェイス=クロコップ」だが、ともかく彼は「ロキ」と呼ばれている―――。 ++++++++++++++++++++++ From:四聖獣 Story:この惑星の未来から 【Title:永劫黄金世界/ステイシス・プリズン 7】 ++++++++++++++++++++++ ACT-2  密林にぽっかりと口を開く巨大な縦穴洞窟。  この底を目指して飛び込んだ果敢な人の中で、ラバースーツの人はいち早く目的地点にまで到達。そして仁王立ちにして迫り来る偽りの星空を待った。  無数の光球によって成された幻想的な夜空。しかし、洞窟の底から見上げてみると、遥か頭上の入口から射し込む光のカーテンがよく映える。つまり、光景はあたかも光のカーテンから夜空が生み出されるようなものとなる。  夜空にある無数の星々が、途方もない輝きから生まれたとする説を信じるならば……おそらく、このような光景だったのではなかろうか。  光の球は全て風船であり、これを従えるワインレッドの奇術師は空色の風船に乗っていた。  空色風船がいよいよ洞窟の地下へと届き、その裏側が「ボヨン」と、弾力のある衝撃を得る。膝を伸ばした毅然たる直立姿勢を維持していた『プロヴォア』は、指先に薔薇の一輪を構えてから、少しかがんで、茎の先を空色の風船へと押し込んだ。  すると空色の風船は「パァンっ」と弾け、上にあったプロヴォアが「すとん」と、膝を伸ばした毅然たる直立姿勢のままに着地する。  彼女は部下であるラバースーツの人ともう1人に向けて、ニッコリと微笑みを見せた。  ……空色風船の材質は何であったか。ゴム質のようだったが、ゴムではないのだろうか。  割れた風船の残骸は一切無く、それは塵芥で作られていたかのように何の痕跡も残してはいない。  思えば、先に撃ち込まれたはずの茜と橙のマーブル模様による残骸も確認できないことは不思議である。  地の底、世界のくぼみのような空間。直径40m、深さ300mと表記すればなんとも巨大な印象だが、しかし“それだけ”の場所だと考え、右も左も限定されている状況を理解することで、人は筒の中に押し込まれたような閉塞感に悩まされることだろう。  奇術師の女へと続くように、光の風船が静かに、音もなく、洞窟の静寂に敬意を表するように降りてくる。  ぽんぽん、と地の底に触れては弾んで、また浮き上がってまた降りる――。計算のない、自然な浮遊と下降を繰り返す光球。  照らし上げられた地の底は、なんの変哲もなくただ土があるだけに思える。ここについ先程まで夥しく折り重なっていた人骨の影など、どこにもない。  静寂を護る風船の気遣いもどこ吹く風。轟々とした響きが遅れて降ってきた。  大フクロウは<ホ、ホホー・・・>などと弱々しく鳴いている。「ズシン」と音を立てて着地すると、それはぐったりと、前のめりに倒れてしまった。 「……ティヴィ、大丈夫か?」 「ありがとう、ティヴィ!」  くたびれたフクロウに気をかけながら、大きな背中から『青龍』と『サナ』が飛び降りた。  すると――大フクロウは突如として「アばばババッばばバ――」などと奇声を鳴らし始めた。合わせて薄紫の黒い巨体が蠢き、ぐちゃぐちゃと姿を変化させていく。  何かが裂けたり折れたりするような奇怪な音。これが数秒続いた後に、耳に残る不快音が治まった。すると、そこにはもう、大フクロウの姿は無い。  今、そこに立つのは「2m弱の身長で嘘みたいな頭部を持つ怪人」、『ティヴィ』である。 「やぁれやれ。大変な旅路だったねぇ」  ディフォルメされたアニメーションのような頭部。ティヴィは不釣合なほど大きい頭部を半分に裂いた……のではなく、ただ口を開いただけである。裂けていることは事実だが。 「………。」 「―――。」  青龍とサナはやっぱり不気味に思った。だが、自分達のために頑張ってくれた彼を悪く言うのはよそうと、「君のおかげだ」「頑張ったね」などと口々にして称えた。  怪人ティヴィは照れくさそうに「チームだもの、当然さ!」と左右に激しく首を揺らしている。 「あはは、そうね。仲間だもの――ね、青龍!」  同意を求めて横を向いたサナ。しかし、傍らの青年は怪人でも少女でもなく、ただ上方を見ている。  つられて少女も見上げてみた。  そこには―――なんという光景だろう。 /  遥か上、霞むほどの先に洞窟の入口が見えた。  入口から射し込む日差しが、光のカーテンとなって輝いている。  静かな洞窟の中を、光る球がふわふわと浮かんでいる。  なんだか光っている虫みたいだ。こんな虫がいるだろうか。  「綺麗だね――」と言うと「うん」と返ってくる。  相変わらず気が利かない。でも、だからこそ安心する。  ニホン人は背が低いイメージ。やっぱり、彼も背が低い。ちょっと低い。  こんなに綺麗なものを見るときも、眉間にシワが寄っている。  でも、それが彼なのだろう。 /  青年と少女は、しばし形容し難い光景を眺めていた。それは夜空でもなく、ここだけの、この場所だけの景色。  サナは少しだけ大胆に、青龍の腕に自分の腕を絡めようとした――・・・のだが。  そこに割り込む上機嫌な女の言葉。 「無事で何よりです、サナさん♪」  プロヴォアが一点の曇りない微笑みでサナの無事を祝福した。しかし、少女は誠に遺憾であるという表情を見せると、背を向けて知らないフリをしてみせる。 「……プロヴォア……!」  女の言葉に対して、より能動的に反応したのは青龍である。彼は酷い険相を一段と悪くしながらも、ワインレッドの奇術師を睨みつけた。 「……この洞窟の治安は、お前の話と随分違っていたな」  彼は先ほど襲いかかってきた無数の飛行人骨について怒っているらしい。確かに、“霊魂”が飛び交っているという話はあったが、それが人骨を伴い、しかも襲いかかってくるなど事前情報にない。あれでは不意打ちもいいところであり、一歩間違えばサナの命が危うかった。  これを聞いた奇術師の女は、相変わらずの微笑みのまま淡々としている。 「私も驚いています。ええ、とっても怖いと震えましたよ。まさか人骨が襲いかかってくるなんて――なんのメルヘンですかね?」  胸の前で手を合わせながら、身を竦ませるプロヴォア。人骨飛び交う様が果たして「メルヘン」の形容でいいのかは一先ず置いておこう。 「……メルヘン……だと? あんなにも悍ましいメルヘンがあってたまるか!!」  無視できなかったようだ。青龍は場違いにも気楽な返答に対して、律儀に反応してしまっている。  プロヴォアは笑った。先ほどからずぅーっと、笑顔ではあったのだが。……彼女は笑顔の質を変えた。 「とってもメルヘンで胸が高鳴りますよ。私は今まで何度も“ここ”に降り立っていますが――今回のようなことは初めてです。  いつもとの違い、それはサナさん――あなたでしょう。あなたの存在が洞窟に変化をもたらしたと考えれば、即ちこれこそ『チチェルの証明』とでも申しますか……“変化の無い物が変化する”、そんな期待が湧き上がってはきませんか? ――夢のようです」  プロヴォアは光のカーテンを見上げながら、蠱惑的な表情で悦に入っている。  青龍は呆れた。きちんと返答しているようだが、何より真っ先に“謝罪”すらないのかと、奇術師の常識を疑った。  洞窟への侵入を提案したのは奇術師側であり、安全性をうたったのも奇術師である。ならば、例え彼女にとって未知かつ誤解であったとしても、一言詫びを入れるのが人としての礼節ではなかろうか。自分の見解に無いことは自分にとっても不利であり、自分も迷惑したことなら非は生じない――というのではあまりに幼稚すぎる。第三者目線、相手方の心境を察する心構えがなっていない。  ・・・青龍は心中でこんなにも長々とぶつぶつ言えたのだが、これを口から出さないから伝わらない。このへんの独白を上手くかいつまんで口に出せれば、「無口で気が利かない」という印象も多少は変わろうというのに……。  ニコニコと微笑んでいるプロヴォア。  鋭い睨み顔で対する青龍。  背を向けて、不貞腐れた様子のサナ。  「まぁまぁ」と言いながら、青龍の肩を叩く灰色スーツの男――。 「僕からですまないけど、謝罪させてくれないか? 件の襲撃は本当に予測していない事態だったんだけど……しかし、君たちを危険にしたことは変わらないからね」 「……解っている。ただ、やはりあの態度は気に食わない」 「気持ちは解るよ。ただ、ここは堪えてくれ。なぁに、今回の一件が終わればもう関わることもないだろうからね!」 「そうだな……ん・・・?」 「僕なんか上司部下の関係だよ? この先いつまで振り回されるのか――あれ、なんだろう? お腹が差し込むように痛いや――」 「大丈夫か? ……いや、というかだな・・・・・」 「おかしいんだよ。病院行ってもちっともよくならないんだ」 「うん、いや……『ロキ』?」 「おお、なんだい、青龍?」  脇腹をさすりながら寂れた笑顔を見せる中年の男。  青龍は実に不可思議な現象を目撃しているかのように、戸惑い混じった不安気な声を出した。  何がオカシイのか? 遥かに霞む洞窟の入口で待っているはずの男が目の前に現れたことが、そんなにも不可思議か?  ――不可思議に決まっている。 「ロキ……なんで“ここ”にいるんだ?」  青龍は咄嗟に上を見た。光のカーテンでほとんど確認できない、洞窟の入口を見上げたのである。 「あっ、ごめん、順番が変わってしまったね。後から行くと言ったのに――いやさ、突然に煙みたいなのが吹き出てきたから早くみんなと合流したいな~、と・・・決して腰が引けたわけじゃないからね!」  不自然に語尾を強めながら、『ロキ』が答える。  本当のところ、彼は吹き出てきた灰の川に驚いて腰を抜かし、地を這うように逃げ、不安に駆られて予定より早く合流した。――つまりは紛うことなく「ビビった」のだが……青龍はそんなことの真偽など気にもしていない。  300mの縦穴――。  ロキは事前に何も準備をしていなかった。スーツの服装はビジネス街なら普通でも、密林においては異質。気温と湿度に苦しんだとはいえ、20分そこらの徒歩でゼェゼェと息を切らす体力。通常の登山すら苦労することだろう。  「いやぁ~、まいった」とはにかむ中年。  青龍は(……一体、どうして?)と心の中で呟いたのだが……悪い癖だ。やはり声に出さないことには伝わらない。  それでも意を決して聞こうとするが、タイミングを逃す。  会話はテンポである。互いの一手を交わし合うチェスの一戦にも似る。  異なることは、ルールが実に曖昧であり、尚且つそこに他者の介在が有り得るということ……。のろのろと口篭っていては、手数を失して意図を伝える機会を失う。  女の上機嫌な声が洞窟の底に響き渡った。  手を打ち鳴らしながら、プロヴォアは浮ついた調子で急かしたのである。 「さぁさぁ、サナさん! どうです、ここがあなたの舞台ですよ! ほら、踊って! 舞って! ダンス♪リズムぅ♪」  パチンパチンと指を鳴らしながら、プロヴォアがサナへと歩み寄る。 「あなたに急かされて踊るなんて、嫌!」  イーっと、白い歯を噛み合わせるサナの抗議。構わず迫るプロヴォアに対して、蹴りでもかましそうな威嚇顔である。  慌ててロキが仲裁に入る。「まぁまぁまぁまぁ」と手馴れた様子で割り込んでいく灰色スーツの後ろ姿。 「………」  青龍は疑問を払拭できずにいた。ロキに“異常さ”を感じずにはいられなかった。しかし、だからといって彼に“不信”を抱くことはない。  意図された偽りを見抜くことは苦手な青龍だが、偽りのない信頼を感じ取る勘には優れている。彼の勘はロキの背に違和感を見出しはしなかった。ならば、己が感性を信ずるべきであろう。疑問は晴らしたいところだが、それを強引に解きほぐす必要もない。  青龍は疑問を思考の片隅に追いやり、今すべきことを成そうと動き出す。  それは即ち、歯を剥き出して威嚇している少女に対して、お淑やかな態度を願うことである。  ――ロキは確かに不審だった。あたかも“地上から瞬間移動したかのように”青龍達に先駆けた彼は、普通ではないだろう。しかし、それを言うならばもっと具体的な不審があるではないか。  例えば、そう……「蛇はみんな焼けちゃったか~」などと洞窟の底をうろついている、嘘のような頭部の男なんかはあまりにも不審である。  そしてもう一人。不敵な笑を浮かべながらじっとゴーグル越しに睨む女もまた、不審極まりない存在の一つであろう………。 $四聖獣$ ++++++++++++++++++++++  どうして? ――何を失敗した?  ああ、ダメだダメダメ。行ってはダメだよ。  ほら、起きて。いつものように、僕が朝を作ったよ。  ――どうして? 何が原因だ?  血が足りなかったのか? だけど、君が悲しむから――。  ああ、違う。僕にミスは無い。僕はミスをしていない。  大切な君に、よりによって君に対して――ミスを、失敗を――僕が……。  師匠、僕は で き そ こ な い でしたか?  永遠だったはず。僕らと彼らは変わらない、同じだ。  ならば可能でしょう?? ならばどうして???  あ、ああ、ああああああ……。  ダメダメ、行かないで、僕は“ここ”にいるのに。  嫌だ、行かないで行かないで行かないで、行かないで!  行くな行くな行くな行くな行くな行くな行くな!  逝くな逝くな逝くな逝くな逝くな逝くな逝くな!  動くなっ、進むなっ、止まれ、止まれぇっ!!  世界よ――――  “ 止まれぇぇぇえええええええええっ!!!!!! ” ++++++++++++++++++++++ SCENE/2 「サナさん、どうして私達と仲良くしてくれないのですか?」 「うるさいっ! 仲良くしないのはあなただけよ!」  女のやけに丁寧な言葉と、少女の耳をつんざく高い声。  青年は少女を宥め、ロキは奇術師のような女の前に立ち塞がっていた。  洞窟の地下に揃った6人。光球の漂う幻想的な情景の最中で、サナの罵声が次々と発射される。乙女として難のある態度だが、相手の奇術師も態度が狂っているので致し方がない。  五分ほど、洞窟の底は静寂を失った。やがてサナが落ち着いたことで、ようやく静けさが返ってくる。  嫌いを何回言われたのか。ロキの耳にあるだけでも10は下らないだろう。  それだけ暴言を投げつけられても、プロヴォアは終始笑顔でひたすら好意的にサナへと接していた。……などと言えば聞こえはいいが。  暴言に対して「大好きですよ」「踊ってください」を感情無く機械的に繰り返されたら、誰だってイライラを加速させるだろう。とにかく自分の希望である「踊れ」ということを押し付けることしか頭にないらしい。  サナは不機嫌にそっぽを向いている。  青龍はどうにもできず、手持ち無沙汰にうろうろした。  プロヴォアは上機嫌に鼻歌を口ずさんでいる。  ロキは磨り減った精神からくる神経痛を堪えていた。  ――しかし、サナの怒りも最もだと青龍は考える。  “踊りが鍵”などと言われて強要されても、それだけでは動機として不十分だろう。なのに押し付けられてはたまらない。……そう言えば、プロヴォアは「何故、踊りが鍵なのか」を一言も口に出していない。冷静に考えれば、遺跡に行くために“踊り”を必要とする道理はない。通常、遺跡が埋まっているのならば「発掘」されるはずである。  青龍は草履の下にある地面に意識を向けた。  屈みこんでみる。漂う光球に照らされる足元の地面――その明度は定まらず、サーチライトに照らされるように暗くなったり明るくなったりしている。 「……?」  違和感。何か、それは見た目に格段特別な土ではないようなのだが――。  “コンっ”と、軽く拳骨を落としてみる。すると、ビリビリ痺れが生じた。  ほう、これは硬い―― ………“硬い”?  土に埋もれる小さな砂利。今度はそこに爪を引っ掛けて取り出そうとするが――“動かない”。  手のひらで擦っても、砂利の一粒たりとも動かない。より厳密に言えば動くものもあるのだが、それは本当に表面のごく一部のみで、少し払ってしまえば“不動の土”が顔を出すのである。  不動で硬い土……それはアスファルト、鉄板、その他一切と異なる。  青龍は腰元から一振りの刀を抜いた。  ・・・暗がりの洞窟、その最下層。サーチライトのようにフラフラと照らされる中、しゃがみこんで地面を睨む恐ろしい形相の青年。これが刃を逆手に抜いたのである。この光景以上に怪しく、危険な状況もそうそうないだろう。  青龍の持つ刀の刃が銀の輝きに包まれていく。それの切れ味たるや、高級箪笥を一刀両断し、鋼の竜を難なく切り裂いたほど。  その切れ味が、一見して何の変哲もない土へと下ろされた。おそらく、豆腐に落とすのと何ら変わらず刃は地中へと沈むことはずだ。  ところが、刃は土に刺さることなく、1mmたりとも沈まない。……つまり、今青龍が屈み込んでいる地面は、木材の箪笥よりも魔導鋼の竜よりも“硬い”ということになる。  青龍は息を飲んだ。初めての経験だからである。地面に弾かれたこともそうだが、何より、彼の刀が物を斬れなかったのはこれが初となった。 「………馬鹿な」  基本的に謙虚な男だが、己の相棒の切れ味には自信を持っていた。それが見事に弾かれては納得がいかない。 「驚きましたか?」  不意に声が掛けられた。青龍は尻餅を着きながらも、慌てて見上げる。  そこには、光る風船を背にした女の顔。女はシルクハットの角度を直しながら、ニコニコと穏やかな視線を落とした。  青龍が奇術師プロヴォアを間近にしたのはこれが初めてである。  突然間近にした彼女の匂いはほのかに薔薇の香りで、遠目に憎たらしいニコニコ笑顔も近くにすると整った印象を受ける。帽子のツバに隠れがちな瞳は大人びていて、丁寧に手入れされたまつげが目を引く。  ワインレッドの服装に身を包んだ女は、青龍の横に屈み、銀に輝く刃の腹を撫でた。 「そう言えば、降りる前にMr.バルボアが質問していました。“どうして発掘の手法をとらないのか?”――と」  彼女が口を開くたび、思わずその口元に注目してしまう。青龍は思わず硬直した。 「答えはお解りでしょう。“できないからしない”、実に単純明快です。これでは、スコップも役にたちませんからね」  冗談を混ぜたプロヴォアの発言だが、青龍は彼女のユーモアに反応できない。そもそも発言することもできず、「Mr.バルボアって誰?」という素朴な疑問すら即座に掻き消えた。 「硬いというより、触れているのに触れていない――そんな感じでしょうか。物理的な手段はもとより、他方面の手法を試みても時間の浪費でした。  ――現代の回答手段では洞窟を掘り進むことなどできません。だからこそ、私にとっての唯一頼りはサナさんなのです。伝承にある、言い伝えが希望なのです」  衣擦れの音も余さずハッキリ聞こえる。緊張が極度になった青龍の感覚は無駄に研ぎ澄まされていた。  服の掠れる音一つ、彼女の呼吸一つにすら心臓の鼓動が反応するというのに。プロヴォアは意識しているのだろうか。彼女の蠱惑的な笑顔は、間近になって初めて、本性を存分に発揮している。 「サナさん、気まぐれですよね。踊ってくれるって言ったのに。私があれほどお願いしたのに、ここに来て踊りたくないって――我が儘ですよね?」  露骨な誘導だ。やはり彼女の脳内は、「サナに躍らせる」それしかない。  大体、ほうっておけばいいのに、執拗に急かして怒らせたことを自覚していないというのだろうか。性質が悪い。  これは青龍の逆鱗に触れる言動のはずだが、彼の逆鱗はどうやらとても小さいらしい。  すっかり萎縮している青龍はただただ、黙って顔を俯かせている。 「なにやってんだコイツっ!!」  青龍が再び尻餅を着く。幸いにして、ここの地面は砂利一つ動かないので尻が汚れる心配はない。  彼が尻餅を着くほどに驚かせたのは、鬼気迫るようなサナの叫びである。どうやら女奇術師の動向が気に入らなったらしい。 「お前、青龍に何した!!」  そう言いながら、尻餅を着いている青年をかばうサナ。憤慨した様で奇術師を突き飛ばそうと腕を伸ばしたのだが、それは空振りにおわった。 「会話をしました。何か問題が?」  ふわりと後ろに跳んだプロヴォアは、本心から不思議そうに首を傾げた。 「卑怯者! 最低! あっち行け!」  声を荒げる少女。対してプロヴォアはニコニコと微笑んで手を振っている。 「アーッ! あいつ、あいつッ!」 「さ、サナ……落ち着いて……」  唇を噛んで拳を震わせるサナを見かねて、青龍がぼそぼそと背後から宥めてくる。 「青龍、あいつと何話したの!?」  なんという速度か。サナは切れ味鋭く向き直った。 「な、何って……硬いなってことを……」 「何が硬いの!? 許さないわ!!」  完全に頭に血が上っているサナは、胸ぐらを掴む勢いで青龍へと詰め寄った。  鼻先がくっつきそうなほどに近い少女に怒鳴られて、青龍は硬直して言葉を失う。恫喝のような尋問では、まともに答えられるわけもなかろう。 「サナに踊れって、あなたに言わせようとしたのね! 擦り寄りながら!」 「ち、違うよ……あれ、でもそれっぽいことも……」 「やっぱり! 青龍はそういう人じゃないと信じてたのに!」 「ええっ!? お、俺は君に強制なんてしないから……」 「強制!? 何それ、サナは自分からあなたを信じたのよ!」 「え、あ、いや、だから……俺は護るってことは曲げない――」 「あいつを護るって言うの!?」 「うええっ!? いやいや、違うよ、俺が護るのは君だって……」 「でも、あいつに擦り寄られて言うこと聞こうとしたんでしょ!」 「や、別に……あ、でも彼女の言い分にも納得できる部分が―――」 「ほら見たことか!! ――もういいっ、知らない!」  最後に「知らない」と言って、サナは青龍を突き放した。  突き放された青龍にできることと言えば瞬きと呼吸くらいで、呆然とその場に立ち尽くしている。  何が悪かったというのか……自分の落ち度はどこにあるのか……。  女奇術師に向けられていたはずの敵意が自分へと向けられたと感じた青龍は、動揺して誰とも視線を合わせることができない。  だから、彼は下を向いて地面を眺めた。  そんな青龍を後ろに残して。サナはつかつかと、洞窟底の中央へと歩き始めた。  ブーツの打ち鳴らす足音が“カツカツ”と鳴っている。これだけでも、洞窟の地面が土として真面目ではないと思われる。  洞窟最下層は入口に比べて若干狭い。狭いといっても誤差のようなものだが、洞窟入口の最大直径を精密に記せば42.2m。これに対して底を精密に記すと、41.3mとなる。  天然にできた洞窟、それも縦穴なら陥没が最有力なはずだが……ここまで綺麗な円筒形状は整いすぎていて、不自然と言わざるをえない。  ペパーミントの香りが満ちている。気流のゆったりとした洞窟でそれは異様だが、この空間は奇術師による、奇術師の目的を成さんが為の“ステージ”へと作り替えられてしまっていた。  浮遊する光球が、洞窟の中央へと歩み出るサナの頭上に集い、追走していく。スポットライトのように照らし出される少女の姿は、真に凛としたものである。  彼女は大人びているが、“ませている”のではなく、相応の色気を纏っているに過ぎない。厳しい幼少期を乗り越えるために過度な成長を必要としたからこそ、相応なのである。  元より素質もあっただろう。だが、もし、彼女に先祖から受け継がれた“因縁の血脈”さえ流れていなければ――今頃、普通にスクールへと通い、あどけない表情をしていたかもしれない。  思い出したくない顔と身体が過去の彼女を襲った。反撃のためには、強い心を持って、大人と対等に渡り合える素材を持つ必要があった。  試行錯誤の末に実践的なメイクを独学に編み出し、汚されると知りつつも己を磨き続ける、折れることの無い決意。  誰かにとっては特別な血族かもしれない。しかし、凡そほとんどの人間にとって、彼女がどれほどに特別なものだというのだろうか。父母を奪われ、幼くしてその身を蹂躙される必要が、どこにあるというのだろうか。  過酷な6年間を過ごした女が――まだ14歳の少女が今、不自由の束縛より解き放たれるが為に、運命のステージへと登っている。  41.3mの中央。毛先の黒い、ブロンドの長い髪が靡いた。  洞窟を彩る光球が、スポットライトのように照らしている。  嫌な女による演出だと考えれば、気分が削がれてしまう。サナはその辺は深く考えないことにした。  ――セカンドネームを「カークソン」と偽っていた彼女は、この後、本来の「コルカラ」性を名乗ることができるのであろうか。  サナは希望を持っている。嫌な女の言葉を信頼しているわけではないが……この舞台によって因果は断ち切られ、自由になると信じていた。何らかの解放があると、少女は望みを持っていた。  その望みはあながち、夢想でもないだろう―――。  洞窟の気温は先ほどの業火によって熱されていたはずなのだが、サナが舞台の中央に立つことで、異様にも本来の冷めた温度を取り戻し始めていた。  静寂。何の音も無く、BGMは皆無。しかしサナは踊ることができる。彼女の踊りに、奏でられる音色は必要ない。  数少ない、彼女の過去を知る人々は証言した。 ――彼女の「踊り」は確かに優雅であり、音も無いのに、周囲の人は「彼女が何に合わせて踊っているのか」が理解できる。それは見えない音の波を訳し、他の人々に「見えるように表現している」かのようである――  禁じられた踊りは、遥かな昔、その民族の女であれば誰もが踊ることができた。  毎年決まった日に、天空の都市にて執り行われた感謝の舞い。  やがて文明が地下へと潜った時。それは独占欲から一人の女にのみ許され、一人にのみ捧げられる舞いとなった。  もし、万が一 ――いや、そんなことは時を止めでもしない限り有り得ないことだが……。当時を生きた者が現代にて、感謝の舞い、その足運びを感じ取ったとするならば―――。  きっとそれは居ても立ってもいられず、郷愁に似た感情から目を開き、例え停止した時間でさえ“動かす”ほどの動揺を見せることであろう。    今、悠久の時を経て、一人の少女が舞台に立つ。忘れられ、禁じられた踊りは―――彼女にのみ許される、感謝の舞踊。  冒涜の奇術師が作り上げた舞台にある少女は、嫌な女を指差し、澄んだ声を響かせる。 「本当にね、サナはあたなが大っ嫌いだよ! だけど、あなたの望み通りに踊ってあげる。  踊り終わったら、サナは解放されるのでしょう? だから、自由になるために――ついでにもう二度とあなたに会いたくないから、踊ってあげる。これ以上、卑怯な手段で青龍にゴチャゴチャ吹き込まれたら――最低だから!!」  洞窟最下層に作られたステージの上で、堂々と大見得をきる少女。  指で示された奇術師が「ありがとう、大好きよ!」と、言葉の前半部分だけを解釈した不適合な言葉を吐く。  灰色スーツの男は「もう、どうにでもなれ」の心境で苦笑いをした。ついでに、これにて仕事が落ち着くかとも思い、「次は遺跡探索の仕事が始まるのか」とも不安になっている。  嘘みたいな顔の怪人は状況を理解していないが、踊りは楽しいものだと思っているのでわくわくした。  舞台の中央に立つサナは、チラリと後ろを確認して彼の名前を小さく唱えた。そうするだけでも、随分と安心することができる。  実際、数年まったく行わなかった「踊る」という行為。かつては自信を持っていたものの、いざ舞台に立つと不安にもなるだろう。  一方、少女の寄り代たる青い髪の侍だが……彼は何も意識に入ってこないほど、自己の中で不毛な問答を繰り返している。  そしてこの時。侍の背後にスゥっと怪しい影が忍び寄り、笑みを浮かべてじぃっと執拗な視線を送っていた・・・・・。  サナは深く息を吐く。  久方ぶりの踊りだ。昔取った杵柄と言うが、彼女の場合は天性によるものであり、下地の無い技術を再現することは難しいだろう。されど、幼少の彼女を思い起こせばここで踊れないはずがない。  ―― 経験は無い。しかし、幼くして可能だった。     まるで知っているかのような、かつて“踊っていた”かのような ――  ステージの中央でサナが精神を集中させた。洞窟の気温はすっかり下がり、大気そのものが静寂を求めるかのように音をかき消していく。そこにはただ、ステップの足音が響けば良い、と―――。  空気が張り詰め、いよいよと演舞の開幕が迫る中……洞窟の隅っこで立ち尽くしている青年の、なんとも散漫なことか。  青龍は今も悩み続けていた。自分の何が悪かったのだろう、嫌われてしまったのだろうか、もっとこうすればよかった……きりのないIFを並べて悶々とする頭脳を抱えていた。  濃霧がかかっているかのような暗澹とした意識に、「ぼそり」。声が差し込まれる。  声は小さく、呟くようで大人しいものだが、それは女性のものであると判別つく。 「……え?」  間の抜けた顔で振り返る青龍。――すると、洞窟の闇に紛れるかの如く、“その女”は存在した。 「‥‥‥さっきはピンチだったな」  落ち着いた声である。先ほどまで浴びせられていた少女の奇声じみたものとは異なる。  その声は『ラバースーツの人』が発したらしい。彼女は腕を組んで洞窟の岩壁にもたれかかりながら、「クククッ」と小さく笑った。  ピンチと言われて、青龍はつい今し方の出来事を思い浮かべている。思い浮かべて辛くもなったのだが、何より突然そのことに触れてきたラバースーツの人の意図が読めていない。 「………はい、その通りです」  青龍は畏まった返答をする。未だ走行する車内から投げ捨て、過程で胸を掴んでしまったことを申し訳なく思っているようだ。その後睨まれ続けたことも精神負担となっている。  しかし、ラバースーツの人は今までと異なり、笑顔で――どこか得意気な表情に思える。  彼女はライダーゴーグルを外し、裸眼で青龍を見た。 「‥‥‥畳み掛けられて、手に負えないと言ったところか」  「クククッ」と、小さな笑いを執拗に付け加えてくるラバースーツの人。 「………はい、正しく」  青龍は先ほどのサナとのやり取りを思い返して、胸が締め付けられる気分だ。何を考えてこの人は嫌なことを掘り返すのだろう、とも思っている。 「クククッ、私が来て助かっただろう?」 「………。」  何を言っているのだろう――青龍は思う。今現在、ラバースーツの人が来て何かが好転したわけではない。むしろ、余計なことを言われてかえって辛くなっている節すらある。  正直「放っておいてくれ!」と言い放ちたいのだが、昨日の負い目もあって邪険にできない。それに、少し前、洞窟を降りている最中に助けてもらった恩もある―――。 「お前が手を焼いた“人骨”だが‥‥‥十分な空間のある私にとっては――ククッ、何てことはないな」  彼女は緑色の頭髪を掻き上げながら、誇らしげな表情をまざまざと見せてくる。  青龍は、何か会話がズレていることを察し始めた。 「空間を利用する技能にもまた、大きく差が出たな‥‥‥お前はどう思う?」  フフン、と鼻から強く息を吐き出すラバースーツの人。  青龍はここで完全にズレを理解して、「あ、さっきってさっきか……」などと若干錯乱したことを呟いている。  ここ一番。ラバースーツの人は「コホン」と咳払いをして言葉を溜めた。 「‥‥‥私の『名前』を聞く気になったか?」 「………え。 あ、はい」  胸を張って「どうだ」と言わんばかりの表情をされてしまっては、青龍も「結構です」など言えるわけもない。  反射的な肯定を聞いて、ラバースーツの人は顔を背けた。10秒ほどふるふると肩を震わせた後。再び向き直って咳払いをする。そして、今までの中で最も大きな声で高らかに名乗り上げた。 「‥‥‥私の名前はレイア。レイア=マックイィーンだ、覚えておけ」  なんと充足感に満ちた表情か。ラバースーツの人……もとい、『レイア』は得意満面な様子である。  思い起こせば確かに一方的に青龍が名乗っただけであった。それも、本名まで加えて。  そのままどさくさになって、掴んで、投げて――合流してからも名前を聞く機会のないまま、ここにまで至ったのである。  執拗な視線は一方的に名乗られたことに対する怒りで、「絶対に名乗り返してやる!」という執念の現れだったのであろう。――確か、彼女の方から名前を聞いてきた気もするが……。 「あ、ああ。よろしく、レイアさん……」  意識が半分飛んだような気の抜けた返事。あまりに意外な事だったので、青龍はすっかり先程までの意識不全を忘れてしまったようだ。 「‥‥‥マックイィーンと呼べ」 「……はい、マックイィーンさん………」  素直に従う青龍。レイアは「クククッ」と、小さく笑った。  ――そして沈黙。寡黙な二人が洞窟の端で揃って黙り込む。  どちらも自ら切り出すのが苦手な性格である。レイアなど、名乗り上げる機会を一日近く伺うほど奥手。  沈黙に耐え切れず青龍が視線を動かすと―――・・・  洞窟の中央。無数の光球が照らすステージの上。そこにはすでに、踊り始めているサナの姿が見えた。  開始を見逃したが、精神が貧弱な青龍はそのことを後悔することもない。何故なら、余計な考えは一切思い浮かばず、ただ、一瞬にして少女の姿に心を奪われたからである。  目に見る少女の舞踊。ジャケットを羽織り、ショートパンツを履いているからにはブレイクダンスでもかましそうなものだが……それは違う。  手先を天へと掲げ、つま先まで立てて空を掴むかのように伸び上がる。  腕を伸ばして回ると同時に、足を運んでゆっくりと、舞台を円形に動き始めた。  水平に近く伸ばした腕は、しかし24度の傾きを成している。  舞台の中央に光球が集い、煌々と輝きを放って少女の半身を照らす。  光球は奇術師の指示を得ていない。彼女を含む周囲の全ては、網膜に映り込む光景に対して考える余地を失っていた。  BGMは聞こえない。しかし、心のリズムを刻んで。記憶の彼方に身を委ねて。  ゆったりと回る。三拍のタイミングで右手を宇宙へ、次の三拍で左手を光の集いに。  繰り返す。自転を繰り返しながらも、一定の周期で舞台に楕円を――綺麗な楕円を描いて公転する。  地面にブーツの音が打ち鳴らされる。土とは思えないほどに硬い地面は、動くことを忘れた過去の惑星。  現代の星に生きる少女が、過去にある惑星の上に立ち、踊り、「伝える」――――彼女の中で涙が止まない。  ………青龍は見とれていた。彼は躍動する彼女の踊りに感動し、「こんなに華麗な光景は見たことがない」と驚嘆していた。  見とれていると、なんだがサナの身にまとう衣服まで変わって……洞窟のはずなのに。草木が揺れ、噴水の清らなか音が聞こえてくるかのような―――。  何の音も必要としない場でのみ“表現”されるサナの踊り。  表現の源は彼女にだけ聞こえる歌、旋律。それは彼女の中から手とり足とり、経験を教えるように鮮明だ。  「踊る」サナの姿。瞬きもできずに見守る周囲の5人。その全てが口裏を合わせず、同様の「情景」を脳裏に浮かべている。  このまま少女の踊りに対する感想を言い合えば、互いに合意し、肯定するであろう。奇跡としか言い様がない。 /  ずっと我慢していた。もう、二度とは踊れないと思っていた……。  母の言ったとおりだった。舞台はあった。確かにここはステージだ。  涙が自然と頬を伝い、躍動の最中に流れ、雫となって落ちていく。  音が――鳴き声が聞こえる。囀る鳥の唄。導いている、呼んでいる。  一度も来たことがないのに、聴いたこともないのに――懐かしい。 /  靴底を鳴らして踊るサナ。  母の姿が、幼い自分を称える友が、辛い逃走の日々が、強くありつつも絶望していた自分が、ちょっとした冗談を間に受けた侍が、口下手な東洋の騎士の姿が――、走馬灯のように彼女の中を駆け巡っていく。  誰もが見とれる光景。それがゆっくりと、瞼が閉じるように闇へと染まる。  幻想に光が失われる過程。見守る5人が最後に目にしたのは―――泣き叫んでいる、金色の髪の青年。  彼が何を叫んでいるのかは不明。ただ、ひび割れていく顔を見る誰もが同じ感想を抱くことであろう。  サナには……聞こえていた。叫ぶ声が、サナにはハッキリと聴こえていたのである。彼女が意味を知るはずもない。“古の言葉”だ。理解できるわけがないのに……。  彼女は理解してしまった。喚き散らされる言葉は幾つかの単語を繰り返していた。  一度静まった後に、一言が付け加えられる。 “―― 動かすな! ――”  それは懸命でありながら取り乱しており、錯乱した一言。  威厳に満ちた叫びが地面の裏側から撃ち放たれ、 激しい衝突音となって面を押し上げた。  地面と思われた足元の異様な土。しかしそれは仮初の大地であり、「蓋」である。つまりは【地下空間への入口】を塞ぐ目的のもので、鳴動するそれは“足場”としての役割をしていた。  決して掘り進むことのできなかった地面が隆起する。  動かせなかった砂利の粒は元気に宙をはしゃぎ、砂埃がもうもうと巻き上がる。  幻想のステージは終焉したのである。  絶妙なバランス感覚。天性のリズム感を持つサナはどうにか立っているものの、いつ倒れてもおかしくはない。他の5人も揺らぐ足場に態勢を維持できず、灰色スーツのロキは、真っ先に倒れて口に入った砂利を吐き出している。  停滞から解放された地面が荒れ狂う。  鼓膜を刺激し、聴覚が麻痺するほどの破裂音。同時に、無数の亀裂が足場を分かち、裂け目から目も眩む閃光が射し込んできた。  ――落雷とは通常、下へ奔るものである。しかし、この時雷鳴は直下より響き、それに伴う稲妻もまた、足場の裂け目から解き放たれていた。  迸る稲妻が、洞窟にある5人と、ステージに立つ少女を襲う。 「アハっ♪/キましたよぉ!!」  不意の出来事にまともな対応をできた人は少ない。ただし、“予め準備をしていた”奇術師は多少驚く程度にとどまっている。  プロヴォアは想定を越えてその身を痺れさせたエネルギーに歓喜した。決して開かなかった扉が開かれ、崩壊する足場に翻弄される他者も気にせず。奇術師は黄金の光を一身に受けて高笑い、口元に指で作った輪を重ねて大きく息を吹いた。    灰色スーツのロキは不運になことに……。足元より迸った無数の稲妻にその身を貫かれ、彼の眼球と口内から煙が湧き上がっている。怪人ティヴィもロキと同じ不運に見舞われ、頭部が前後左右上下に激しく動き、長い腕がバタバタと痙攣していた。  ラバースーツのレイアにも稲妻は襲いかかったのだが、両腕を交差させた構えでこれに耐えているらしい。 「……うぐっ!?」  青龍にも稲妻は直撃した。しかし、刃が抜かれていたことは幸いである。  銀に輝く彼の刀は、いつだかのドレッドヘアーの魔術師に対したように、魔力で生み出されたエネルギーを軽減、弾く力を持つ。そしてこれが機能しているということは……この稲妻、自然のものではないと推測がつくではないか。  稲妻が迸ったのは正しく刹那。雷光が輝く程度の時間に過ぎない。しかし状況は激変した。  強烈に発散されたエネルギーにより、浮遊していた光球は破壊され、全員が稲妻に襲われ、そして足場が割れて砕けた。  激しい閃光と音が飛び交う最中に、青龍の時間はスローモーションの如く流れている。  ――電撃によって痺れる脚が上手く動かない。  襲いかかった稲妻は、その場の「六人全て」に被害を与えた。  ――洞窟の端と中央。距離にして20m弱。  崩れる足場の上で、蛇行する一筋の閃光が少女を貫いた。  ――名前を呼ぶ。返事を求めて、無事を願って「サナ」と叫ぶ。  解放されることを願った血族の踊り子は、膝を着いてから前のめりに倒れた。  ――駆けようとするも、傾いた足場が邪魔をする。  落下を開始した足場。分断されたプレート。  彼女の姿が、黄金の光に包まれて……。   光球が失われても、そこには光が満ちている。砕けた足場から――『黄金の光』が煌々と射し込んでいるのである。  陥没してゆく。無数に割れた足場が瓦解し、土塊や土砂となって「広大な空間」へと降り注いでいた。  広大な空間――四方、端が霞むほどに巨大な地下空間は、キッチリとした「1:(1+√5)/2」の比率を持つ長方形の型を成立させている。  遥か眼下に見える景色。そこには過去の時代をそのままに、地下の都市が変わらぬままに広がっていた。  都市の建造物。その全てが黄金の輝きを反射しており、全体が黄金に埋もれているかのような荘厳威容。  無機質な岩肌の空。地下空間の空にて圧倒的包容力を見せつける輝きは、『人工の太陽』のものである。  岩肌の空に輝く太陽の輝きを受けて、世界は黄金色に輝く。  直径41.3mの洞窟の底は、瞬時にして地下遺跡、『黄金世界(エルドラド)』への入口となったのである――――。    ― その幻影は、“黄金世界”への扉を開く鍵 ―  ― 光の中で、来訪の旅人は遥かな過去を見る ―  ― 神殿には、綺麗な屍が眠っているであろう ―  遂に開かれた【永劫なる黄金の世界】。  しかし、過去の輝きよりも、黄金の色よりも――大事なことがここにある。  現代から来訪した青年にとって、それは一人の少女。そして過去に囚われた青年にとってのそれは、一人の女性であった…………。 永劫黄金世界/7 From ――『 この惑星の未来から 』―― $四聖獣$ +++++++++++++++++++++++++  伝えなければ。この惑星の未来から…… “私はここにいる。もう、「そこ」にはいないの―――”
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