この惑星の未来から/13

$四聖獣$ ++++++++++++++++++++++ SCENE/Kelly  かつて、COINSという組織は強大な影響力を持つ、絶対的な枠組みであった。  西洋/東洋余すことなく支配を推し進め、ジャスティアを無数の『シェル』として事実上の分割統治を成した頃に絶頂を迎えたと言っても良い。  支配の先には破滅の未来が待ち構えている――真実を知った者達が抵抗するも、多勢に無勢。事態は悪化の一途を辿る。  ほぼ全ての人々が何も理解できぬまま、一部の者が仕組みを理解して社会を弄び、ごく僅かな反逆者は駆逐されゆく世界……。  そこに、一人の若者が現れた。  出自も不明な若者はやがて、四人の悪童を束ねてチームを作り出す。  たった五人のちっぽけなチーム。誰しも大して気にもせず、現在においてもその存在を知る者は少ない、マイナーな組織。  しかし、各個に悪を持つたった五人のチームは世の期待と認識を裏切り、幸運にも僅か二年足らずの内に、COINSという組織の中枢を破壊してのけたのである。  ……結局、それで世界がどのように変わったかといえば大したものはない。つまりは誰かが強くて、誰かが弱くて、誰かが幸福で誰かが不幸な、どうにも不変な姿があるだろう。  だが、結末は変わった。少なくとも、COINSによる計画は破綻し、破滅の未来は一先ず先延ばしと相成った。  一つ壊れたことを喜ぶ人もあれば、悲しみ、憎む人もある。  巨大組織の著しい弱体化に苦渋を舐めた人がどれだけあるのかは知れないが……一例として。ある奇術師の女は、尊敬する兄の吊り首を眺め、母国のように愛した組織の無様を血涙と共に嘆いたらしい。  ――まだ、COINSが健在であった頃。ジャスティアという大国がエリア制度の是非をまだ争っていられた時代。  辺境の一都市、その一区画。地域社会の噂程度に過ぎないのだが、『とても幻想的な踊りをする少女がいる』と話題になった。  サナと呼ばれる少女は、まだ幼いながら周囲の誰よりも踊りが上手で。同級生はおろか上級生の誰もが手放しに彼女を賞賛した。  音の波に合わせて激しい踊りを見せてもそれは素晴らしいのだが……何より、無音のままに行われるサナの踊りは「見るだけで異世界にいるようだ」と、誰もが口を揃えた。踊りを見ることで『幻想的な光景が見える』らしく、見ないものには解りえない評価である。  サナはほとんどを学校内で踊っていたものの、次第にストリートへと繰り出すようになる。比較的人口の少ない田舎町であったが、だからこそ彼女の話題はすぐに地域へと広がっていった。  そんなサナを、彼女が踊り始めた頃から見ていたファンがいる。  ケリーという少女はクラスで踊るサナに憧れて、いつも彼女を見ていた。もっと精密に言えば、ケリーは実際のところサナが羨ましく、憧れていたのは彼女の踊りによって見える“景色”である。ケリーは特に感受性が強いのか、学友の誰よりも鮮明に“見えていた”らしい。  ほとんどの者が大まかな感想でしか一致しないところを、彼女は目に見えた景色の色や音、それに匂いまでも感想として言うことができた。  サナ自身には見えていないらしい景色を、ケリーは「黄金の世界」と言い表した。また、そこに「世界の主を見た」とも口にした。  ケリーがサナを羨ましいと思ったのは、彼女が見せる景色に魅入られた……それのみではない。  ケリーは病を患っていた。ALS(=筋萎縮性側索硬化症)という疾患であり、治療法は確立されておらず、発病してしまうと長くは生きられない難病である。  発病から二年。四肢はほとんど、ただくっついているだけのものとなった。特に脚はもう、棒きれと変わらないくらい意味を成さず、硬化して光沢を帯びた皮膚を見るたび運命への憎悪を積もらせた。  口内の麻痺も進行しており、ケリーとの会話は慣れない者には厳しい。学校には車椅子に乗り、執事二人に支えられてどうにか通っていた。  ケリーにはプライドがあった。発病するまでは誰よりも学業に励み、スポーツだって旺盛にこなした。幼いながらもヴァイオリンとピアノの才能に開花し、それこそ、踊りだって見事にできた自負がある。  だから羨ましかった。支えられてようやくペンを握れる腕に、感覚すらない脚。麻痺していく顔面に、上手くいかない滑舌――不自由な自分と比べて、輝いているサナが羨ましかった。  以前に告白を突き返した少年から、仕返しのように光沢を帯びた脚を馬鹿にされた事がある。その日ほど刃を自由に扱えない腕を恨んだこともない。  ケリーは羨ましかった。快活に踊り、賞賛されるサナが羨ましかった。  満足に一人では動けないような自分に、話してももごもごと、聞き取り難いであろう自分に……優しく声を掛けてくれるサナが……あまりに綺麗で美しく、そして悔しかった。  健常で、注目を集めるサナに気を遣われる自分の立場。本当なら、こんな不運さえなければ――並び立っていてもおかしくなかった。凌駕していたに違いない―――違いないのに!  踊りを見ると、他の誰よりも鮮明に景色を見て取れる。それは感受性だけの問題ではない。ケリーの尊敬が、好意が、憎悪が、激怒が……強烈にサナの『表現』を吸収していた。  ―――黄金世界に無数の人々が行き交っている。古代の人々か。一番大きな直線はメインストリートだろう。それは一際大きな建造物へと続いている。  煌々と全てを照らす黄金の太陽。二つの宝石が黄金光に埋もれて薄影を成す。見たこともない、渦巻き状の屋根の建造物。普通ではなく、岩のような空。  螺旋状の階段が、教室よりもずっと広い大きさの階段が、ぐるぐると――岩の空に昇り、天の大穴へと続いている。  栄華な世界で、一際目立つ建物。そこで全てを見下げる存在。それはいつも、踊りの最後に聞き取れない言葉を叫び、閃光を放って激昂する。  “彼”は一体、何者なのだろう。狂いながらも圧倒的な神秘性を持つ“青年”は、何者なのだろう―――?  ケリーはそこに見出していた。他の誰が言ったわけでもない。彼女自身がその目で見て、圧倒的な力と、可能性を感じていたのである。  幻想的な踊り子のファンになってから数ヶ月。少女サナは突然に街から姿を消した。行き先を知る者はいない。  転校したのだとしたら、追いかけようとも思ったが……ケリーは結局、サナを見つけることができなかった。  そこからまた、数年――シェルという概念が破壊され、ジャスティアという大国が元の姿に戻った頃。ケリーはとっくに車椅子すら乗れなくなり、ベッドの上で身動き一つできず、人工呼吸器による延命を受ける状況に陥っていた。  厳重な無菌室で考えうる限りの処置を施されて延命された少女。ケリーは途切れ途切れの意識の中、あらゆるプライドを粉砕され、延々と産まれ落ちたことを後悔する生物となっていた。  十四年間の内、六歳までは幸福で、気位の高い自分があった。頭脳明晰なために、幼い頃からの記憶が全て鮮明に脳内の引き出しに収まっている。しかし、まもなく、その引き出しを開くことすらままならなくなるだろう。脳の衰退以前に、栄光の過去を見ることが苦痛になっていた。  もう、意思を伝える手段も無い。両親祖父母の強い意向もあったが、ケリー本人も延命を希望した。生きるか死ぬか――選択を迫られて敢えて死を選択することはできなかった。その判断を下した自分に今は失望し、少女はただ混濁している。  希望どころか先が無い。現世のなんとつまらなかったことか……。  ただ、ケリーは思い浮かべる。この何年も、突然にいなくなってしまった踊り子が見せた景色を……そこに見出した、圧倒的な“可能性”の姿を―――。  身動きの取れない、機械に繋がれた生命が横たわる無菌室。  特定の階層にある人種しか入れないここは、厳重な壁と扉によって外界から隔離されている。  薬剤と、機械の鉄分じみた臭い。もう、それすらイマイチ解らないケリーの鼻腔に、明確な「異臭」。それはこの場だからこそ「異臭」となるが、時と場合によっては優雅で、エレガントですらある香りなのだろう。  眼球すら言う事をきかないケリーの横。医療ベッドの傍らに、何者かが立っている。  医者か、看護師か? いや、違う。その“声”は医者のものでも看護師のものでも親類のものでもない――未知な声。 「初めまして、ケリーさん」  顔がケリーによく見えるように、その「女」は身を乗り出した。  知らない顔だ。ケリーは恐怖もしたが、現実と空想が曖昧なほどに意識を混濁させていた彼女は、それを幻覚だと思った。ほんとうに幼い頃、舞台のステージで見た「奇術師」を夢の中で思い浮かべているのだろう、と。  その「女奇術師」はニッコリと微笑むと、突拍子もなくケリーに提案をしてくる。  どこで、誰から聞きつけたのだろうか……。しかし、ケリーは女奇術師の提案に魅力を感じた。というより、他に選択肢がなかったとも言える。  どの道、このまま後悔の日々が続くくらいならば、何だっていいから逃げ出せるのならば――ケリーは意思表示が行えないが、女奇術師は何の術かケリーの意思を汲み取り、やけに丁寧な口調で歓迎した。 「ようこそ。ええ、決して無駄にはしませんよ。一緒に行こうではありませんか。英知に満ちた、黄金の世界へ――!」  ケリーは願っていた。ケリーにとっての希望は“サナ”だ。彼女の踊りに見た“彼”にこそ、可能性があると見出していた。  そしてケリーは、己の肉体も、心も、精神も……全てを失った。  ――勝手かもしれないが、ケリーは幻想に見た人を神様だと信じている。  それは、もっと知識を深めることで確信へと変化し、信仰へと昇華していった。彼女の感情は、ただの尊敬だけだろうか。願いを叶えたいだけだろうか。  “混ざってしまった”今となっては、本人にも解らないことなのだろう―――。 $四聖獣$ ++++++++++++++++++++++ SCENE/1 ACT-1  古代チチェルの地下遺跡。それは四方を霞むほど広い面積に及び、黄金比の長方形が天と地に作られている。  地下の露出した土と岩が世界の果てであり、土の空には煌々と全てを照らす「太陽」がある。それは無論として本物ではなく、この世界の創造主、過去に神と崇められた存在が作り出した偽り。  地下の太陽はやはり偽りにふさわしく、自然ではない、黄金の輝きを放っている。  放たれた黄金の輝きが遺跡にある無数の建造物に反射して、その全てを黄金の如く荘厳な様に照らし出している。  地上にあるチチェルの遺跡にも存在しなかった特殊な煉瓦。それは地下の世界を形作る、珍しい建築資材。  遺跡を縦に貫く幅広い道はメインストリート。これの中央、即ち広大な遺跡の中心に周囲より一際立派な建造物がある。  停滞した空気が地下の空間を満たしている。立派な建造物は遺跡の全てを見守るように、そこに毅然として構えられていた。  黄金の光に満ちた地下空間――それは現代、伝承によって【黄金世界】と称されている。  ――そこは、『時が流れることを禁じられた世界』。  地上では空を航空機が飛び交い、インターネットによってメールのやり取りを行い、戦場の主役は剣でも鈍器でもなく、弾丸に変わった。しかしそれすら物足りず、今は装甲車が疾駆し、遠隔地より画面を操作して飛行機械を送り込む時代へと突入している。  どれほどの統率者が歴史に誕生しただろうか。どれほどの人間が生まれ、そして死んでいったのだろうか。絶滅した生命群もある、新たに誕生した種別もある。地形も変化して大陸プレートは微速にも動き続けていた。  「黄金世界」は上記の全てを知らない。それら全ての経緯をすっ飛ばして、今、現代の空気が雪崩込む。タイム・スリップした旅人と同じく、地下世界の全てが時間を越えて今に迎合される。  地下世界にとって時間は停止していたが、ここに指す「時間」とは、『寿命』である。寿命とは「終わりの時」であり、それは人だけに限らず、全てに存在する。  物が壊れる、風が掻き消える……そういった物事、事象の「終わり」すら禁じられた世界、それが黄金世界であり、これを言い表すならば「永劫黄金世界」とでもされよう。  「終わり」を禁じたのはこの世界の創造主であり、“彼”の追い詰められた恐怖と逃避の精神が世界を「永劫に」停滞させた。  ――だが、「永劫」は破られる。矛盾のようだが、現実にある光景は確かだ。  遺跡を封じていた蓋。どのような手段を持っても開かれなかったそれが、“彼”の動揺によってひび割れ、土塊/土砂となって降り注ぐ。  衰えることも盛ることもなく、生ぬるく遺跡を満たしていた空気に、洞窟の冷えた風が介入して混じる。洞窟の冷えた空気は重く、土砂の勢いもあって空気の循環は勢い良く始まった。凡そ40mの入口付近の風は強い。  降り注ぐ土砂が落ち行く先には、円形の台座。そこには過去、何が築かれていたというのだろうか。住民が誰一人として存在しない世界では、問いかけても無駄だろう。  動き出した世界に、号と激しい崩壊の音が響く。土の塊が割れ、砂粒が100m以上落下し、空気が豪快に混じる音だ。  「永久を望むなかれ」――誰かは知らないが、過去にあった偉人の言葉らしい。  それは今に証明されたように思える。が、実のところ……とうの昔。ここに独り、6世紀弱も過ごしていた“彼”が叫び声を上げた瞬間にこそ、既に証明は終わっていたのである――。 ACT-2  惑星の時系列へと再び姿を現した、チチェルの地下文明遺跡。多くの探検者が探し、多くの学者が求めても辿り着けなかった「黄金世界」が、ついに現代の人と邂逅を果たす時がきた。  黄金世界を隠していた蓋が開かれ、轟音と共に足場の落下が始まった。  分断され、別個に傾き、落下する土塊のプレート。砂埃で視界は曇り、激しい軋みと破砕の音が鼓膜を支配する。  崩壊と同時に稲妻の襲撃を受けた“旅人達”は、そのほとんどがダメージを負ったことで満足に動けずにいる……いや、遺跡の上下は高さ100mを超えている。このまま落下すれば例え健常な人ですら円形の台座に打ち付けられ、肉塊となって飛び散るだろう。  危機的な状況。落下する土塊。  怒涛の最中に巻き上がる砂埃から、“空色の風船”が飛び出した。  風船の大きさは人一人を軽く包み込めるほどで、その上に乗るワインレッドの人影は、黄金と土の色に満ちた世界において異質。  風船に乗る『奇術師プロヴォア』は、シルクハットを片手で抑え、眼下に広がる遺跡群を注意深く眺め始めた。  稲妻を受けたのは彼女もそうなのだが、恐らく怒りを買うのだろうと予測していたことが功を奏した。まったく、「見ていてよかった♪」といったところだろう。  四方、前後左右。遥か先に岩の壁が見えるものの、その広さたるや到底今までの洞窟などでは比べ物にならない。されど、「不自然」だ。  建造物が整然と建ち並ぶ光景を見れば、これは確かに文明都市だと理解できる。だが、あまりにも綺麗な六面体はどうだろうか。  霞む先には直角と思われるほど律儀な角。上を見上げれば太陽のような煌々とした装置が目立つ土の空。それは削ったというにしては、あまりにも平らだ。  現代においても難しい。  地上にブロックを置いて、つるつると六面全てが真っ平らな建造物なら可能だろう。しかし、天然の地下をくり抜いて六面体を作り、その天井や壁を一切舗装しない……という状態を推測6世紀弱キープする。  幅は霞んでいるので目測難しいが、上下はおそらく100mを越えている。天井――と呼ぶべきか、空と呼ぶべきか。ともかく、100mの高さにある広大な空を大理石のごとく綺麗に均す作業を定期的に行なっていたというのだろうか。  いや、それ以前にこの世界。誰も存在していない。遺跡なので当然だが、やっぱり有り得ないし、異常だ。  文明の築いた建造物等は、人の手が入らないと予想外に脆く自然に飲み込まれる。大波にさらわれるとか地震で倒壊するとか、そんなダイナミックな事ではなく、草木によって侵食される。  アスファルトに花が咲く光景を見たことはあるだろうか。もしくは、単に雑草が突き出ている光景なら頻繁か。  地上において、文明跡を20年もほうっておくと、大変に荒廃する。風化もあるだろうが、目に見えて緑が蔓延る。  地下は確かに、地上よりも風化は防がれ、動植物の侵食も少ないだろう。だが、この「黄金世界」は常軌を逸している。考古学の常識を破綻させていると言ってもいい。  土砂の落下音が響く。押し出された冷たい空気の流れが、空を駆る奇術師の肌を撫で行く。  プロヴォアは地下の太陽に照らされる空を見上げて、疑問を抱いた。 (手入れされくとも、剥き出しの地肌が平面を保つだろうか?)  プロヴォアは高度を下げ、空色の風船を遺跡群に接近させて疑問を抱いた。 (手を加えることなく、建造物が6世紀の時を耐えるだろうか?)  プロヴォアは幅広い通りを通過しながら、疑問を抱いた。 (空は土で左右は煉瓦。されど砂に塗れぬ道の舗装はありえるか?)  土砂の落下音が徐々に落ち着き始める。振り返れば、砂埃がもうもうと遺跡の一角に立ち込めている。  プロヴォアは前を向き直すと、狂気して猛然と風船の速度を上げた。  大通りの突き当たり。一際大きな建造物がある。  記憶の中、彼女の脳裏に「青年」の姿がフラッシュバックした。  風船の上に毅然として直立するプロヴォアは、まだ生ぬるい空気の抵抗を一切無視した乱れのない服装で、甲高い賛美の唄を奏で上げる。 「おおっ、これだ!これだ!これだッ! あれが神殿です/偉大なる可能性が待つ、私の私の神様住居♪/叡智を、栄光を――かの人に、最大限の崇拝をッッッ!!」  目を見開き、笑顔ではなく、生真面目な表情で大きく口を縦細に。  奇術師プロヴォアは身長を低くしたり高くしたりしながら、他の一切を考えない狭き視野で一際大きな建物を目指す。  彼女の言う「神殿」には、幅の広い階段が来訪者を待ち受けている………。 ACT-3  ハンマーで大皿をかち割ったかの如く、足場がバラバラと分かれていく。ついさっきまで何をしても動かなかったのに、今は盛大に砂埃が巻き上がり、多量の砂粒が擦れる嵐のような音が鳴り響いている。  耳障りな砂嵐の騒音。落下する土塊の上。崩れ落ちる足場の上で、『青龍』が叫んだ。 「――サナっ!!」  軽減したとは言え、彼の脚は満足に答えてくれない。突如として発生した稲妻によって痺れた脚は、自分のものではないかのように感覚が薄い。そして傾き、ひび割れる足場。これでは立ちことも難しい。  暗がりだった洞窟から一転。煌々と黄金の輝きに照らされたことによって、瞳孔はまだ明かりへの順応をこなせずにいた。巻き上がる砂埃は突発的な砂嵐にも近く、これも視界を遮る。  この状況下にあって、それでも青龍にはコンマ1秒の無駄すら許されず、迅速な行動を求められた。何故なら、閃光の中で倒れゆく、少女の姿が見えるからである。  いきなりに襲われたので、雷撃の源も原因すら知れないが。ともかく自分自身を襲った稲妻の事実と、倒れる少女の姿を目撃した現実が重なり、最悪の予想が頭を過ぎっていた。  刃を鞘に収め、無理に脚を奮い立たせて崩れる足場を駆け抜ける。  ――洞窟の端っこでイジケていた青龍。洞窟底の中央で華麗な踊りを魅せていた少女との距離は、20mはある。  もっと近くにいれば、せめて一足跳びに並べる位置にいれば……悶々とした自問自答が始まった。だが、それどころではない。雑念は駆け抜ける青龍の意識から置き去られ、彼の脳内には「助ける」、ただそれのみとなる。  空中を傾き、落下していく土塊。分断されたそれらは徐々に隙間を広げていく。  青龍の足場は都合の悪いことに、ガクッと傾いてほとんど垂直になってしまった。  しかし、その青い疾風のなんと素早く、巧みなことか。  傾きをものともせず登りきり、角に手を掛けて四肢の力を持って飛び上がる。もし、脚がより満足であったのならば、おそらく土塊が傾く前に跳ぶことができていたであろう。  飛翔する青い侍の飛影がバッと黄金の輝きに包まれ、砂の幕を裂いて空を進む。これは勘に任せた飛翔であった。凡そに少女のいた位置を予測して離れた土塊へと飛び移る、一歩間違えばそのまま空中落下の危険な行いであった。  されど青龍の勘は冴え渡る。  元来、彼はグチグチと考えて打算的に行動すると失敗しがちだが、勘に任せて感性のままに行動すると、割かし成功の道を選択する節がある。  砂の舞う空中にて口を閉じて目を細め、肌に当たる砂粒の痛みを堪えながらも目を凝らす。  空中にて見れば、確かに彼の目測は正しく、真下に土塊の上で横たわる、少女の姿を確認できた。 「……いたか!!」  青龍は確認できた安堵で吠えたが、状況としては最悪だ。  少女『サナ』は倒れており、それはつまりおそらく、かの雷撃を身に受けたと予想される。しかも、恐るべきことに。サナの乗る土塊がやはり傾き始めたではないか。このままでは彼女が空中に放り出され、土砂に弄ばれて傷つくのは確実。  その上落下中という状況。  飛び上がった青龍は一時的に上昇したわけであり、落下を実直に継続していた土塊との距離は開いていた。  ――窮地にあって、幸い。  空中を横に慣性移動をしていた青龍。彼の目は、丁度同じ高さを落ちている土塊を捉えた。  時間にして2秒ほどの交錯時間。身を翻して土塊に足を着け、これを蹴って真下に“跳ぶ”。落下の速度が著しく加速された青い影は、見る見る内に少女が横たわる土塊へと迫り、そして、遂に彼女の元へと降り立つに至ったのである。  間一髪。青龍は彼女の身を抱き上げた。 「サナ、……サナっ!!」  懸命に呼びかける。だが、返事は無い。  しかも、動乱最中の状況。落下による風きりと砂粒の擦れる音が邪魔で、呼吸の有無も判別が難しい。  ――サナの状態も気に掛かるが。どの道現在、落下中なのである。慣れてきた視界で確認すると、落下の高さは100mを楽に越えているように思われた。  このまま落ちれば二人とも土砂に混じって潰れてしまうだろう。手足の痺れが治まってきた青龍だが、ここから思いつくことと言えば、寸前に土塊から跳び上がって衝撃を緩和するくらいのもの。  実際、彼の凄まじい跳躍力をもってして、尚且つ以前にサナを抱きかかえて落下した経験から推測するに――それは可能だろう。完全無事とはいかずとも、助かる公算はある。  ……が、それは「サナ」が健康無事である場合。落下による衝撃は例え緩和したとしても、やはり強い。現在の彼女がどれほどの危機にあるのか不明だが、抱きかかえている感じから、青龍は予断を許さない緊張を感じ取っていた。  しかし、やるしかない。こうなったら早めに高く跳んで、両足が砕かれようとも着地するしかない……と、青龍が覚悟を決めた時。  不意に、“巨大な影”が彼の頭上に出現したのである。  それが土塊ならば挟み潰される危機となっただろう。対処するならば、刀身にて一刀両断にして切り払うくらいしかない。  だが、それが“鳴き声”を響かせたことで青龍は思い止まることができた。 <ホッホホーウ!>  実によく通る鳴き声である。周囲の騒音を一時かき消すほどにやかましい鳴き声が、しかし今は頼もしい。 「ティヴィ!」  青龍の目は輝き、彼は脚に気合を込めて跳躍した。  崩れ落ちる土塊の渦中に、『大フクロウのティヴィ』が欠片を回避しながら羽ばたいている。  ドサッと、ふかふかの背中に落下。薄く紫がかった黒色の羽毛が心強く感じられた。 <ホッホホーウホウ??>  ぐるりと180°、首を半転して問いかけてきたティヴィが、なんとなくのニュアンスで「心配してくれている」と解かった。 「………ありがとう、ティヴィ。助かった」  青龍は確かに無事である。このまま地下世界の地上へと降ろしてもらえば安泰だろう。  だが、しかし。それより――― 「サナ……サナ! 返事をしてくれ!」  必死に呼びかける。だが、少女の目は閉じられたまま、開かれることがない。  稲妻に撃たれたとすると外傷があるか。いや、そうだとすれば体内も焼けて――なんということだ。彼女はあくまで普通の女性だというのに……。  ――直径40m程の入口から、蓋の役割を終えた土砂が怒涛に崩れ落ちていく。土砂の塊に混じる人間は、豆粒のようにちっぽけだ。  落盤した地点は遺跡群のほぼ中央。四方全ての果てが霞んでいる状況から、地底遺跡の広大な規模が伺える。  この状況では治療もできない。青龍はフクロウのティヴィに頼んで、遺跡の適当な場所に降りてもらうことにした。  青年と少女を乗せた大フクロウは、巻き上がる盛大な砂埃から逃げるように。空を舞って見晴らしよく安全そうな、幅の広い通りを目指した―――。 $四聖獣$ ++++++++++++++++++++++ ACT-an archaeologist. 『――古代チチェルには民の信じる「三つの神」が存在した。  その内二つは天へと去り、残った一つが人々を地下の世界に導いたらしい。  留まった「神」は自ら黄金の輝きを放ち、世界を荘厳な煌きに包み込んだ。なんとも荘厳かつ神秘的で研究心を掻き立ててくれる話だが……しかし、困ったことがある。  現在の貴重な情報源であるチチェルの末裔は「それ」を嫌い、言葉に残していない。彼らは単に「悪魔」と呼んでいるのだ。よって、我々は記された文字を頼りにして、過去に忘れられたチチェルの神を推察する必要がある。  私と研究チームによる長年の研究により、チチェルの用いた文字から、それは「クァトル」もしくは「カトル」とでも発音すればよいと判明した。これによって我が母校の名声がより高まったことは言うまでもないだろう。私のおかげである。  我が母校はご存知の通り、ジャスティア建国における立役者、ジョン=L=クリフィーンの孫にあたるフレイデル=L=クリフィーンの友人の従兄弟の妻の・・・<中略>  ・・・まぁ、有機農法の話はこの辺にして。ともかく、神とも悪魔とも、対極な見解をもって畏れられた『鱗のある鳥』の名称が明確となったことで、今後の南正遺跡研究は一歩前進したと言っても過言ではないだろう。  ――ところで、私は思うのだが。  「鱗のある鳥」というのは過去における彼らの表現であって、きっとこの惑星の未来に住む私たちが今の知識を持ってそれを見れば、また別の表現もあるのではないだろうか。  例えばそう、鱗があって翼があり、強大な力を持つ偉大な存在と言えばだね――・・・ 』 ++++++++++++++++++++++ SCENE/2/Vision:P  ――目を凝らすべきである/耳を傾けるべきである/鼻をよく利かせるべきである――  これらをもって崇高なる英知の導きを見出すことに、奇術師プロヴォアが些細にも戸惑いも持つことはない。  使えるものは全て使い、目的を成すことにのみ彼女は自分を見出す。  ならば、古より掟を護り続けた誇り高き神官の末裔も、過去の因果に苦渋を舐め続けた女王の末裔も……役目を終えたのならば、何の興味も芽生えはしない。  邪魔となるならば群青の風船で抹消し、結果として怒りを買うと知っていても自身の備えさえ整っていれば十分。大地を溶かし、洞窟を生み出し、時すらも封じる叡智がここにある。  目指すは、綺麗な屍の眠る――『神殿』。  左右を流れる景色。建ち並ぶ建物は、ほとんどが独特な螺旋状の屋根を備えている。  これは“カラコル”と呼ばれており、チチェルの言葉で「螺旋」を意味し、新旧問わずにチチェルの遺跡でよく見られる造形である。この地下世界にも無数のカラコルが存在していた。  落盤の砂埃から距離がある。  奇術師プロヴォアは予期していた。おそらく、今自分が向かっている「一際大きな遺跡建造物」こそが『神殿』ではないかと。  根拠は「サナの踊り」。それが見せる景色を――感受性豊かなのだろうか? プロヴォアは他の誰よりも鮮明に確認できた。  一際大きな建造物。過去のチチェルにおいて、“彼”はその場所から箱庭の繁栄を見守り、支配していた。その姿にこそ、彼女は可能性を見出していたのである。  プロヴォアが薔薇の一輪を取り出し、足元の風船を突く。すると、空色の風船は弾けて跡形もなく消え去ってしまった。  ふわりと、やわらかな仕草でチチェルの遺跡へと足を下ろす。  大通りの突き当たり。神殿と思われる建造物は小高い丘の上にあるらしく、正面には幅の広い階段が構えられている。プロヴォアが降り立ったのは階段の中腹で、少々見上げれば建造物の威容を確認できた。  周囲に対して突出している。他の建物の高さが平均3m程度なのに対して、これだけ10m近くある。  確信に近い思い。その佇まいから、奇術師は目の前にある建造物こそが神殿であると強く予感した。  広い階段を歩く奇術師。過去の繁栄はどうであれ、広々とした神殿でただ独り階段を登る姿は虚しくもある。  だとすれば、この場に数百年とあることの虚無感と言えば、筆舌尽くしがたい感情となるだろう。  ケバケバしいワインレッドの色合いは、光満ちる黄金世界に不似合い。シルクハットに燕尾服の女は、自宅の庭を散策するかのように、落ち着き払った態度で神殿の入口へと向かっている。  肌は生ぬるい気温を感じ取っているが、時折風が巻き起こる。それは背後の落盤によって生じた風がここまで届いているのだろう。相当な規模の土砂が落ちたらしいが、プロヴォアには関係ない。  空気は新鮮だが、それはこういった遺跡にはそぐわないものだ。大体はもっと、カビ臭い感じがある。これではまるで、つい先程まで人々が生活し、都市の手入れを欠かしていなかったかのようではないか。6世紀も封じられていたというのに?  プロヴォアは微笑みを放って感嘆した。  末広がりの階段は広場の役割も果たしているようで。一段一段がのっぺりと広く、あまり登っているという感覚を得ない。各段の高さも低いので、神殿はそこまで高台の上に建造されたというわけでもないようだ。このような建築方式はチチェルの文明において見たことがないものである。  建造物の高い屋根の上。そこには過去に鐘が吊るされていたらしい、見張り台のような設備がある。  プロヴォアの見たビジョンは、きっと、そこから都市を見渡すものだったのだろう。  神殿の入口へとさしかかると、彫刻が施された石柱が迎えてくれる。中へと足を踏み入れれば、神殿は思ったよりも質素である、と印象を受けた。  彼女は質素に感じたが、神殿の内装は異様だ。  形状は地下世界と同じく六面体であり、奥へと長い。影が多く、薄暗い上に静寂で……こう言ってはなんだが、欝な雰囲気に満ちている。  神殿の主な中身は空っぽの空間と、またもやの階段。外の階段を継続して、それは神殿の天井付近まで続いていた。  天井まで続く階段はしかし、外とは異なり一段一段が狭く、段差も激しいので登るのに苦労する。最上段には外から黄金の輝きが射し込んでおり、欝な雰囲気との格差で、とても輝かしく見えた。  もっと全体を照らせばいいのに……と思うが、そもそも窓が最上段にしかないのでどうにもならない。  そこにあって不思議なことに、どう考えても空気の循環が悪そうな神殿は、しかし外のどこよりも清純な空気に満ちていた。  推測だが、敢えて最上段のみを輝かせ、それ以外を薄暗くすることで正しく格差を判然とする目的があるのかもしれない。この推測から導き出されることは、階段の最上部には他とは一線を画す、「何か」があるということだろう。  プロヴォアは険しい段差の階段を、スキップのようにランランと登って行く。  コツーン…コツーン…と、靴の底が強く打ち鳴らされる音。神殿の静寂を乱すスキップの奏でが、最上段へと近づいていく。  そして、最後に大きく跳び上がると――奇術師プロヴォアは神殿の最上段に降り立ち、満面爽快にし、溌剌とした笑顔を浮かべた。  階段を登りきった彼女は、腕を左右に広げて、賛美する。 「幻影を拝見させてもらいました――ええ、とても優雅な踊りでございます!  遥かな過去も確認させていただきましたが――なんとも雄大で御座いますね。  そして……おお――オオッ!  伝承に偽りなし! 眠る亡骸の、どこまでも美しく、美麗なる姿よ!」  神殿内の階段。その最上段にてプロヴォアが目にしたものは―――衣を纏った男性像と、それが優しく抱く、『眠るように綺麗な女性の屍』である。  女奇術師は屍に敬意を表することで、機嫌をとろうとしているらしい。  興奮冷めやらぬ彼女は背後を振り向き、伽藍堂の神殿を見渡して声を張り上げた。 「偉大である、偉大である、偉大である! ここにある亡骸は偽りなく『永遠なる女王』に違いありませんッ! 私のような卑小な存在には皆目見当もつかない、亡骸の保存手段!  ――封じられた地の底が不可思議で、同時に畏敬を覚えました。  洞窟の名を知り、調べるごとにその成立を想い、敬意の念を禁じられません。  目に映る遺跡の威容に、ただただ圧倒され、憧憬するのみでございます。  ああ、神よ! どうかお答えください。私達にどうか、叡智の片鱗をお与えくださいませ!!」  最上段。男性像の背後から強い黄金光が射し込んでいる。  近くなった天井に両手を掲げ、仰ぐ奇術師の姿。他に何もいない神殿内に、彼女の言葉が次々と木霊して響いている。  女奇術師は何をそこまで興奮しているのか。それは追い求めた伝承の結末に辿り着いたからであり、ここにこそ、彼女自らが見定めた“神”があると信じているからである。  言い伝えを信じて幻想に希望を見出し、追い求めて狂喜する姿は、どう考えても異常者。まともな精神ではなく、「神に会いたい」と恥ずかし気もなく望む姿は信仰の履き違えもいいところであろう。  気持ちの昂ったプロヴォアは、呼吸を荒くしながら綺麗な屍へと歩み寄る。  射し込む黄金の光が、屍を抱く男性の像に濃い影を作っている。  影の中で、プロヴォアは手袋に覆われている手を伸ばした。  傍に見て――なんと美しいことか。  女性の屍は死んでいることを疑うほどに新鮮で、つい数秒前に死去したかのように硬直すらしていない。  ・・・ところで、硬直の有無が何故判明しているのかというと。プロヴォアが女性の屍に腕に触れて、関節を「クイクイ」と動かしたからである。彼女なりに、握手をして挨拶をしたつもりなのだろうか。  真っ当な学者であるならば、これはないだろう。遺跡の研究者達が訝しんだ奇術師は、ここに至って学ばない過去の咎を受けたに違いない。  やはり、探索者にはそれに適した基本的な礼節や心構えが必要である。彼女は欠如していた。  許されない所業である。  神殿内に、威厳に満ちた声が轟いた。  プロヴォアのものではない。彼女の声色は胡散臭くて軽い。明確に別の声帯から発される音である。  声が鼓膜を震わせると共に、プロヴォアの身体が宙を舞う。自ら飛び上がったわけではなく、“弾かれた”のである。  空中でくるりと身を回して、広い階段の中程に降り立つ女奇術師。焼け焦げた右の手袋を剥いで投げ捨てると、焦げた手の甲を舐め上げた。  視線を上げる。  射し込む黄金の輝きを背に、「彼」は神殿の最上段にて奇術師を見下げていた。 「え? あ、うそ・・・・・わぁ♪」  ――と、焼けた手の甲も忘れて跳びはねるプロヴォア。まるでサンタクロースからプレゼントをもらった少女のように無邪気な歓喜だ。  少女と言えば……つい数秒前まで、妖艶にも美しい顔立ちで脚の長い美女だったプロヴォアだが。今は背が縮んで、顔つきも幼くなっている。気のせいではない。明らかな事実だ。  少女のプロヴォアが歓喜したのは求めていた存在を目撃したからであり、何故それが求めていた存在であると理解したかと言えば、『石像の中から出現して瞬時に強い電撃を放った半透明の青年』を見て、人知を越えた力を察したからであろう。何より、彼女は青年の姿を幻想の景色の中で見たことがあった。  半透明の青年と大気を隔てる輪郭は揺らいでおり、煙のように渦を巻いたり溢れたりしている。  階段の最上部。神殿で最も威厳のある場所に立つ青年は、無表情に綺麗な屍を振り返り、視線を移して階段にあるワインレッドの侵入者を見た。  半透明の青年は口を開いて何か言葉を発したが、それはプロヴォアに伝わらない。鼓膜には届いても、意味を理解できない。  少女のプロヴォアは膝を着いて青年を見上げた。理解できない言葉など放っておいて、自分の想いを直ぐに解き放つ。 「神様だー!! 私の神様ぁっ♪」  奇術師の少女は、己の見定めた存在に対して懇願を始めた。 「神様ぁっ! 私は信仰者ですよ、あなたを崇拝しているのですよー? ほら、神官の証である【水晶のナイフと赤い仮面】! どうか、私に叡智をお与えてくださ~い♪」  燕尾服の裏側からナイフと仮面を取り出して掲げる。それらは数日前、元の持ち主から奪い取ったものである。  半透明の青年はゆっくりと階段を降りる。そして少女の前に立つと、無表情のまま、優しく手を伸ばした。  プロヴォアは、尚も一方的に想いを伝えようとする。 「神様♪ 私は幻想の中で一目見た時から、あなたのことを―――」  半透明の手がプロヴォアの額に触れる。ただそれだけのことなのだが、これによって青年に変化が生じた。  目に見えるものではないが、言葉を鼓膜に受け取っていたプロヴォアならば容易に察することができる。 “動かしたのは、お前達だな――”  理解できた。  少女プロヴォアは急に解るようになった神の声に、しばし言葉を失った……が、このくらいのショックで黙るような女ではない。 「すごぉいっ、神様ぁ! どうして私はあなたの言葉を理解できるの??」  プロヴォアは本心から感動している。古の錆び付いたような存在が、現代の言葉を駆使し始めたことを純粋に褒め称えていた。  半透明の青年は繰り返す。 “――動かしたのは、お前達だな”  ・・・さて、彼の言う「動かした」とは何のことであろうか。綺麗な屍の肘なら目の前のプロヴォア個人がカクカクと動かしていたが……。  心当たりのある少女プロヴォアは素直に答えた。 「はい、そうですよー♪」 “―――そうか”  半透明の青年が無表情に口を開く。  はい、そうですよー♪ ……それが、【奇術師プロヴォア】の遺言となった。  青年が口を開いた直後のこと。  半透明の手が黄金に輝いた。それは電子とイオンのみで構成された、数万度を超す核熱の反応。輝きは刹那的な短さであったが、あたかも小さな太陽からコロナが発せられたかのような爆発性を備えていた。  掃除のされていないテーブルの上を「ふぅ」っと吹けば埃が舞い飛ぶであろう。  それと同じように。女奇術師の身体は瞬時にして炭と化し、衣服もろとも灰となって舞い飛んだ。悲鳴の一つも無かった。それほど僅かな出来事であった。  プロヴォアだったものはやせ細った炭素の人形となって僅かに残り、それも数秒ともたずに崩れて、塵と消えてゆく。  神殿に風は無い。静寂の中で停滞していた大気を動かすのは精々落盤の土塊くらいであり、この地点にまで大気の流動は未だ伝わってはいない。  よって舞い上がった灰は清純な宙を漂い、次々に広い階段へと落ちて付着した。  黒い粉の舞う中、半透明の青年は無表情なまま階段を登る。そして最上段の屍を前にすると、彼は呆然と立ち尽くした。  徐々に、青年の無表情が崩れて、絶望と疑念に満ちた苦渋の険相が顕となっていく。  ひび割れた顔の皮膚は、硬質な鱗へと変化を始めた。  誰もいない神殿。ただ独りの神殿。しかし、青年は孤独を認めてはいない。  認めなくとも、屍となった女性の瞳は永劫に開かれることがない。 “間に合ったはずだ”  青年は呟いた。 “失敗ではない。彼女はまだ、ここにいたのに――”  虚ろな表情で、青年は綺麗な屍を強く抱き寄せる。 “ほら、温もりが残っているだろう? ここにいたのだよ。寸前で間に合ったんだ”  青年は優しい目で屍を見つめた。 “だから「動かすな」って……止まったままじゃないと、行ってしまうだろう?”  誰に言い聞かせているのかは不明だが。少なくとも屍に対してではないことは確かだ。 “戻ってくるなと言ったのに……動いてしまったら困るから、言ったのに――”  青年の穏やかな口調は変わらない。  変化があるとすれば、神殿の階段が砕け、天井が崩れ始め、彼を基点として突風が巻き起こっているくらいのことである。 “行ってない、逝ってないよ。僕たちは永遠に一緒だから――だから……”  青年の優しい目は変わらない。  変化があるとすれば、青年の肩が割れて骨が突き出し、全身に鱗が現れ、背部に尻尾が生え始めたくらいであろう。それと、彼は現在、“浮き上がっている”。 “だからっ――――「動かすな」って言ったんだよォォォぉおおおオオオッッ!!!!!!”  鋭い牙が生え揃った口から憎悪に満ちた叫びが轟き、細い瞳孔の激昂極まった眼球から赤い涙が流れ落ちている。  喚き、吠え猛る半透明の青年。彼は階段に射し込む黄金の輝きへと向かって飛び上がった。  神殿から飛び出した半透明の存在は、真っ直ぐに人工の太陽へと昇って行く。  黄金世界を照らす太陽。果てしないエネルギーを放ち続ける黄金の源に、十字とも卍とも見える影が映った。  影は太陽から下界へと、その姿を現す。  鱗の生えた細長い動体と頭部。広げれば、地下世界の高さの半分はある翼長。  頭部を見ればトカゲだろう。動体を見れば蛇かもしれない。しかし、腕はなくとも脚はあり、腕はなくとも翼がある。  黄金の輝きを纏った荘厳なるその姿を、過去の民は「ウロコのある鳥」と呼んだ。  鱗があって翼があり、強大な力を持つ偉大な存在……。  現代にある人ならば、おそらくその姿をこう言い表すのではないだろうか。  “ドラゴン”――と。 SCENE/2/Vision:B  轟々と土砂が降り注ぐ。裂けた洞窟の底が黄金に輝く遺跡へと落下した。  貴重なチチェルの遺産が崩壊したことになるが、全体を見ればごく一部。それでもまともな考古学者からすれば「なんてことを!」と、荒々しい突入に檄を飛ばすことだろう。  そうは言っても望んだことではない。勝手にひび割れ、あまつさえ雷撃を迸らせ、陥没したのである。侵入者達にとってもいい迷惑だ。  地下世界の空を飛ぶ大フクロウの『ティヴィ』。彼は落下する土砂の塊を避けつつ、砂埃も届かない距離まで背中の二人を運んだ。  ズンっ、と鳴らして遺跡の一角に着地。そこはかつて都市のメインストリートとして使われていた大通り。地面は平にならされ、先には一際立派な建造物が聳えている。  大きな翼をスロープ代わりに、少女を抱えた侍が遺跡の地に足を着けた。  そっと少女を下ろして、心音を確かめてみる……。  ――地下遺跡の建造物群。黄金に輝く世界を形作るこれらは、近くに見ると「黄金ではない」ということが判明する。  建造物は主に土や焼き固められた煉瓦のようなもので建てられており、しかしこれの表面が、煌々と空から照らす擬似太陽のようなものの光を反射して、遠目に黄金となって輝くのである。  よく見渡せばそれこそ真に黄金で作られた尖塔なども確認できるが、現状はそれどころではない。  なんか背後で「アバババババ」という声と不気味な音が聞こえてくるが、それも気にしている場合ではない。 「……そんな、馬鹿な!」  『青龍』は信じようとしない。耳に当たる胸から、何の音も聞こえないという現実を拒んだ。  顔を起こし、震える指を落ち着かせてから三本の指で少女の喉に触れてみる。1秒、2秒、3秒、4秒……5秒を過ぎても指先は脈動を感じ取らない。  耳を少女の口元に当てても、僅かな風すら感じることができなかった。  詰まるところ、生命の気配が感じられないということである。 「……何が……くそっ、させるか……させるか……っ!!」  唇が震え、歯がカチカチと小さく音を立てる。  だが、震えている暇もない。少女の閉じられた瞳が二度と開かれないなど、決して、決して、あってはならない。  少女の服越しに、自らの手を左右とも重ねる。手を重ねる場所は乳房の下、肋骨中央付近にある突起からやや上った位置。  迅速にそのポジションをキープし、手首から肩までを一直線にして、みぞおちを「グッ」と力強く押す。  一定のタイミングでカウントを叫びながら、力と祈りを込めて心臓を刺激する。  しかし、動かない。何も手応えがない。 「サナ……!」  青龍は少女の唇に、自分の唇を重ねた。  二度、息を吹き込み、再び脈動を確かめる。  動かない。何も手応えが――ない。 「誓ったからには……貫いてみせる、護り通してみせる。……死なせないッ!!」  青い髪の青年は、反応のない少女に大きく声を掛ける。  また唇を重ねて息を吹き込み、心臓を刺激して脈動を測る――が、思い虚しく。  少女『サナ』の瞳が、少しでも開くことはなかった。  侍は大粒の涙を零して泣いた。歯を食いしばって、歪んだ視界に少女の姿を映している。  何が何やらも解らない内に、華麗な踊りを魅せていた少女は倒れてしまった。  護ると言ったのに。信用していると、言ってくれたのに――。 「……サナ、サナっ……俺は、俺はぁ―――ッ!!」  すぐに謝る男が、この時謝ることをしなかった。  謝罪の言葉が何かを解決するわけでもない。何より、謝罪によって己の咎が緩むことを彼の精神が断固として許さなかったのである。  少女を抱き寄せて涙を流し、食いしばった口に鼻から垂れた水が触れる。  些細なことで少女から気を逸らし、単に逃げる気持ちで洞窟の端に寄った。  もし、近くにいたのならば――もし、油断を生じなければ―――。  自責からくる苦悶の「IF」を繰り返す青年の涙が、少女の頬に落ちて伝っていく……。  ――それは不意の「声」。  濃霧の立ち込めるような失意に満ちた意識に―――「ぼそり」。声が差し込まれた。  それは背後から聞こえたものであり、くぐもっていて聞き取り難いが、どうやら「女の声」であると判別つく。  青龍が視線を後ろに向けると。そこには、“ラバースーツを着用している女”が仁王立ちしていた。 「‥‥‥どけ」  ラバースーツの『レイア』はそう言うと、青龍からサナの身を奪いった。  傷一つないレイアは、一体全体どのような理由で崩壊した足場の危機を乗り越えたというのだろうか。それは彼女が洞窟の残り100mから落下した時と同じ説明になるので、割愛しよう。  ともかく、レイアは青龍による大声のマッサージカウントを聞きつけて、ここに快足を飛ばしたのである。 「‥‥‥‥」  ゴーグルを外し、真剣な眼差しで少女の呼吸と脈拍を調べるレイア。 「お、俺は……俺は……」  青龍はボソボソとうわ言のように繰り返しながら、地面に手を着き、指先で砂利を掴んだ。 「‥‥情けないものだな」  ぼそぼそと、吐き捨てるように呟かれる。青龍は何も反論できず、声を押し殺して涙を流した。確かに、これでは小言の一つも言いつけたくなるだろう。  一度手を合わせた経験からして、レイアは青龍を買っていたのだが……どうやらまだまだ、鍛錬が足りない男のようだ。 「‥‥‥嘆き悲しむことなど、いくらでも後回しにしろ。そんなことでは、助かるものも助からない」 「………え?」  強く言われた青龍は塞ぎ込みそうになったのだが、言葉に引っ掛かりを覚えて顔を上げた。  レイアは目を閉じている。眠っているのではない。意識と精神を両の手のひらに集中させるためであり、彼女の両手はサナのみぞおち付近に重ねられている。 「まだ死してはいない‥‥‥人の最善を尽くせば、今は諦めるに早すぎる!」  言葉と共に、レイアの両手から蒸気がシュゥシュウと湧き始めた。  そして彼女が「ンンンッ!!」と気合を込めるやいなや、サナの身体が激しく発汗し、明らかに熱を帯びていく。 「……サナっ!?」  青龍がバタバタと少女の元に寄った。変化したサナの容態を見たことによる、焦りと混乱があった。  すると――― そこには呼吸が再開し、胸元を上下させている少女の身体がある。  サナは息を吹き返した。一見してレイアが奇跡でも起こしたかと思われるが、実際のところ、行ったことは青龍の救命法の延長に過ぎない。冷静に処置を継続する判断を下しただけなのである。  危機的な状況にあって、早々に諦め、目を瞑ることは容易い。  レイアも特殊な人間だが、青龍にもしてやれないことではなかった。  護ることは諦めずにしがみつくことである。殺し屋のように早急な見極めをする必要などない。  感情的になるのはまず、現実の可能性を全て使い尽くしてからであろう。 「レイア……すまないっ、感謝する!!」  頭を下げる青い少年。涙と鼻水を着物の袖で拭う姿は、お世辞にも格好よくはない。  レイアは憮然として侍を見下ろした。「感謝している暇があるなら、己を鑑みて精進しろ」とでも言おうとしたのだろう。しかし、彼女もそこまでお節介ではないし、お喋りでもない。 「‥‥‥おい」  神妙な顔つきの女。鋭い視線と言葉に、青龍が萎縮する。 「‥‥マックイィーンと呼べよ」  何かと思えば――そう言えば、彼女はロキにも同じ忠告をしていた。 「あ、ごめん、マックイィーン……。でも、本当にありがとう……」  それは酷い極悪人面で、強ばった表情。しかし、心から感謝していることは解かる。  レイアは顔を背けている。横顔すら隠すように、彼女は緑色の頭髪を掻いた。 「‥‥‥」 「………」  ――沈黙。無口な二人はそのまま黙り込んだ。  どちらも自分から切り出すことが苦手な性質である。方や照れているらしく無言を貫き、方や言い間違えによって機嫌を害してしまったと俯いた。  黄金世界のメインストリート。6世紀前の大通りに、無意味に重苦しい沈黙の空気が流れている。  土砂の降り注ぐ音はすでに治まった。地下の世界は実に静かなもので、精々、小鳥の鳴き声くらいしかない。  ・・・・・『怪人ティヴィ』は一部始終を見守っていた。彼は状況をよく理解してはいないが、生きる死ぬと騒ぐことを羨ましいと思っているらしい。  ふと、嘘みたいな頭部が横を向く。  そこには単なる煉瓦の壁。しかし、単なる壁とはいってもチチェルの遺跡だ。もっと言えば、この広大な地下世界に存在する全ては重要な考古学的価値を持つ。そうだとしても、ティヴィにとっては単なる壁にすぎないのだが……。  単なる壁の上。そこにはなんとも珍しく、翼の手入れをしている「鱗を生やした小鳥」の姿。手の上に乗せられそうなほどに愛くるしい小鳥は、きらきらと金の光を発している。  愛くるしい小鳥をじぃっと見ている、嘘みたいな頭部の真っ赤な眼球。開かれた半月型の口から涎が垂れた。  ティヴィは思う。  「歯ごたえがありそうだなぁ」、――と。 $四聖獣$ ++++++++++++++++++++++ SCENE/3 「レイア、まずいことになった。緊急事態だ」  沈黙となったメインストリート。重苦しい空気に、飄々とした声が割り込んだ。 「‥‥‥何度言ったら解かる? マックイィーンと呼べ」  不意に声を掛けられたレイアは、執拗な視線を背後に突き刺した。彼女の後ろには、“くたびれたスーツの男”が苦い表情である。古代の遺跡にスーツ姿で存在する彼は、完全に場違いであろう。 「あれ、そうだったか。すまん、マックイィーン」  場違いな男、『灰色スーツのロキ』が苦笑いを浮かべた。 「‥‥‥もう一つ、突然後ろに立つなとも言ったぞ」  レイアは尚も注意をするのだが、ロキはやはり「そうだったかな?」と曖昧な様子である。  レイアが淡々と対応しているので、まるで「当たり前」のように錯覚するが……どう考えてもこれはおかしい。予想外に近い異常現象である。 「ロキ! よかった、生きてたか!」  青龍はとても安堵した。密林の徒歩にすら苦労していたロキという男。稲妻が迸り、足場は落下するという激動の状況によってどうなってしまったのか、心配していた。むしろ、正直なところを言えば、「助かる状況ではない」とさえ思っていた。 「青山さん。ご心配ありがとうございます」  ロキは丁寧に微笑んでいる。着こなしているスーツはよれてはいるものの、目立った損傷は無い。青龍は知らないことだろうが、確か彼は無数の稲妻に襲われたはず……なのに。  青龍も「ははは」と笑顔を返したのだが――何だろう。違和感が拭えず、笑顔はこわばってしまった。 「無事を祝いたいところですが、緊急事態です。―――ゾノアン都市監視委員長、“プロヴォア”が殉職いたしました」  真っ当に業務連絡。ロキは然程の同様もみせず、平常心で報告する。ヘタをすれば聞き流してしまいそうなほど、あっさりとした報告だ。  ……プロヴォアの殉職。これ聞いて、まず、レイアの周囲にある空気がヒリヒリと乾燥した。  即座に行動を起こせるように、レイアは独特の構えである“腕を組んだ仁王立ち”にて警戒を高める。プロヴォアという個人が亡くなったことより、「プロヴォアを死亡せしめるほどの事態が発生した」ことに重要性を感じたのである。  同じく殉職の報を聞いて……「本当に死んだの?」と、ティヴィが逆半月型の大きな口を開いた。  挙動不審な彼が珍しく落ち着いている。嘘みたいな顔も、神妙な面持ちのように感じられた。 「“視界が確保できない”。返答も無い現状、非常に高い割合で事実だろう」  静かにロキが答えると、ティヴィの真紅の双眼は細くなり、半月型の口もとじられて横の一線となった。まるで記号のような表情である。  視界が確保できない――それは、ロキだからこそ判断できる基準。  胃腸の弱いロキという男性。別段タフでもない彼が癖の強い魔術師チームを率いているのには理由がある。  ロキこと「ジェイス=クロコップ」は“事前に許可を得た相手の視界を得る”という独自の術を用いる魔術師である。この場においては、ティヴィ、レイア――そして、プロヴォアから視界を得る許可を貰っている。  また、許可を得た相手と遠隔地にあってもコミュニケーションを取る術も併用可能であり、これらを用いることでチーム内の作戦行動を円滑化させ、今のような不足の事態における事実確認を容易としているのである。  俗に「ロキの三眼」と呼ばれるこの技能は、魔術師ロキが駆使する三種の秘術、その一つに過ぎない。目まぐるしく変化する職務に精神を削りながら、それでもどうにかやってこられたのも、それら秘術のおかげだ。  ティヴィはロキの技能を知っている。だからこそ、言葉の信憑性をこれ以上疑うこともできず、寂しさから目と口を閉じた。  異形のティヴィにとっての数少ない理解者。それがプロヴォアだった――。 「つきましては、これより私が班の指揮をとらせていただきます。では、さっそくに方針を申し上げますと……速やかにここを脱出ましょう!」  ロキは親指を立てて精一杯に苦笑いをしてみせた。緊張のあまり、苦笑いが限界なのである。 「……彼女が、プロヴォアが死んだ?」  青龍は早々に信じられずにいた。ロキの特技を知らないということもあるが、自分達意外に人の気配を感じないこの地下世界で、一体、どうして命を落とすというのか。古代人の罠でも仕掛けらていたとしても、あれほど胡散臭い女が簡単に引っ掛かるものだろうか。  青龍はしかし、直接の関連性を見い出せはしないが……。強力な、それこそ無尽蔵とすら思える「魔力」を、この遺跡に感じ取っていた。  大雑把に「魔力」と称したが、ここに感じるのは膨大なエネルギーであり、もしかしたら本物の太陽が繰り返すような恒星的化学反応かもしれない。こういう時に仲間の玄武がいれば一発で判明するのだろうが、無い物ねだりも仕方が無い。  ともかく、例え何の心得も知識もない人ですら、この黄金世界に降り立てば「圧力」を覚えるだろう。  岩肌の空で煌々と光を放つ、巨大な光源。  “地下の太陽”から降り注ぐ黄金の輝きの中に、「人知を凌駕する驚異」を悟らずにはいられない。  サナはまだ目を覚まさない。ロキは今更に「サナさんどうしたの!?」と心配した。  ティヴィはまだ目と口を記号のようにしており、レイアは仁王立ちのままに空を見上げ、太陽の眩しさにゴーグルを再装着した。  この時。「一縷の閃光」が天へと昇った。  地下世界の中央。閃光は地下の太陽へと吸い込まれ、反応を起こした黄金の輝きが収束を始める。  地下遺跡から黄金の色彩が失せていく。  六面体の世界が暗がりとなり、生ぬるく漂っていた大気が荒れ、風の音が際立つ。  岩肌の空に立ち込める暗雲。頻繁に見えた稲光は、やがて雷となった。  雷は暗雲の下を単に落下せず、消えることなく広大な空に渦を巻いて回転した。  閃光の輪は幾重にも重なる文様を描き、下界を威嚇するかのように炸裂音を放ち続ける。  黄金の輝きが収束した太陽から、十字とも万字ともとれる、巨大な発光体が姿を現した。  巨大な発光体は鳥のような翼を備え、蛇のように長い胴体をもち、体は鱗に覆われている。  全身から黄金の炎を放つ発光体は、過去にチチェルの民が畏れ、敬った空の怪物。神や悪魔と呼ばれたその姿を現代人が言い表すとすれば、『黄金の竜』であろうか。  輝く翼を広げ、地下世界の空に悠然と羽ばたく威光の塊。黄金の竜が羽ばたくたびに突風が巻き起こり、遺跡全体に激しい気流を生み出していく。  地下世界の中央から1kmは離れている青龍達は、それでも頭髪が目に見えて揺らぐほどの風を受けていた。  そこは劇場の客席の如く暗いのだが、主演である「黄金の竜」があまりに輝いているので、互の顔が判別付くくらいの明度は保たれている。  竜の姿がよく見える。  侵入者である4人は全てを理解していない。だが、何となく勘づいていた。  青龍も今は先程のロキの言葉を疑っていない。異常事態は目に見えている。プロヴォアは、起こしてはいけない存在を起こしてしまったのだろう。  彼は思う「危険だって言ったのに……」。  『チチェルのドラゴン』が咆哮を世界に轟かせる。本人は単に吠えただけかもしれないが、これがもたらす影響は計り知れない。  “彼”の咆哮を合図に、地下世界は騒乱の様相と化した。  乱れた気流によって竜巻が発生し、煉瓦を無残に飛び散らせる。  暗雲に輪を描いていた雷が次々に遺跡へと降り注ぎ始め、無差別な稲妻の槍がチチェルの都市を崩壊させていく。  独特なカラコルの屋根が破壊され、平に均された通りが抉られる。家屋に残されていた食器類が――生活の名残が容赦なく、撃ち貫かれる。  大地を揺るがす落雷の轟音が止まない。 「ティヴィ、サナを地上へと運んでくれ!」  未だ目を覚まさぬ少女の身を抱き起こしながら、青龍が提案した。  これを受けて、目と口を線にしたままのティヴィが黙って変幻を開始する。グチャグチャと不快な音が鳴っているのだろうが、雷音と風によってそれほど気にならない。 「いや、それは止めたほうがいい――危険すぎますよ、青山さん」  ロキは苦々しい表情で、上空の暗雲を指差した。  示されて見上げると、青龍の表情も曇る。 「――稲光が激しすぎる。ティヴィ単体なら突破もできるが、サナさんの身体はあれに耐えられないでしょう。カーターが……止む負えません――」  雷雲は完全に地下世界の空を覆ってしまった。入口の位置自体は大体解っているが、切れ目のない雷雲の中を進んで生身の人間が無事に済む訳が無い。しかもそれはただの雷雲ではなく、稲妻の輪が模様を描く異様な空でもあるのだから、尚更無謀だ。 「……だが、このままでは……」 「やり過ごすしかない。幸い、稲妻は無差別のようですから――危険ではあるが、どこかの建物に身を隠しましょう。それに、あのデカブツがこっちに目を付けてきたら大変だ。こんな通りのど真ん中にあったら、目立ってしょうがないですよ……」  黄金の竜が荒れ狂う理由は定かではないが、プロヴォアの例から察するに、侵入したことに対して怒っているのでは――と、ロキは当たりをつけていた。そして、その考察はほぼ正しい。  ロキは先導するように、手近な建造物へと駆ける。決して、「こんな野晒しの場所にいられるか! 俺は隠れるぞ!」と、ビビっているわけではない。  青龍はロキの丁寧な口調の意見を聞き入れることにした。  ・・・この状況で実に下らない事ではあるかもしれないが。青龍は少し別のことに狼狽えている。何かと言えば、どうもロキの言葉使いに違和感を覚えているのである。青龍と気軽に呼び捨ててもくれないので、ちょっと切ない。  「何かやらかしてしまったのか」と、彼は自分の行いを振り返った。  それと同時―――。  全員の視界が白一色となった。  強烈な視覚刺激とほぼ同時に“ドッオオン!” ……と、轟音が炸裂する。  眩しさのあまり、青龍は背を丸めて「うあっ」と呻いた。  耳孔に張り手をされたような衝撃で、聴覚が一時的に麻痺する。  鼻を突く焦げた異臭が漂う頃に、ようやく視界が戻り始めた。  聴覚はまだ麻痺しており、“ごわんごわん”という鈍い耳鳴りが残っている。  顔を洗っている最中のように、視界は歪んでいて見えにくい。それでも青龍は、屈んでサナの無事を確かめる。  「サナ」と呼ぶ自分の声すら霞んでいた。返事はないのだが、徐々に晴れ渡る視界に、変わらず横たわっている少女の姿が映り込む。  呼吸も確認して、一先ず安心。次に優先するべきことは、「轟音と眩しさの原因」を考えることだろう。しかし、状況から「稲妻がすぐ近くに落ちたのでは」と簡単に予測がついた。  強いショックに狂っていた視覚、聴覚がまともさを取り戻す。  仲間の無事を確かめるべく、青龍は周囲を見渡した。  ティヴィは目と口を大きく開いて驚愕の表情ではあるが、健在らしい。レイアは相変わらず仁王立ちだが、ゴーグルのせいで表情が解らない。  ロキは地面に仰向けに倒れており、赤い水たまりがとろとろと――。 「……!? おい、ロキ!!」  青龍は叫んだ。脈拍や鼓動を確かめる以前の話に、叫ばずにはいられなかった。  灰色スーツは焼け、前面から煙が昇っている。判別つかないほどに焦げた顔や手はピクリとも動かない。  青龍が駆け寄る前に、レイアが既に上司の安否を確認していた。しかし、それは迅速に終了する。  レイアは立ち上がって振り返ると、静かに首を振った。即ち、それはロキこと「ジェイス=クロコップ」の死亡が確認されたことを意味する。 「あらら――」  ティヴィの反応はやけに軽い。対して、青龍は酷く動揺した。 「そんな……ロキ、嘘だろう?」  ほんの二日の付き合いだが……青龍は、ロキとの間に友情を感じていた。混乱した場を取り直す姿と、冷静な状況判断に敬意を表してもいた。モーテル裏で握手を交わした時に、誠実で信用できる男だと察していた。それが、まさかこんなにも呆気なく……。  ――確かにロキという男は的確な状況判断に優れていたらしい。現に、「大変だ」と彼が予期した事態は現実のものとなった。 / 遺跡に降り注いでいた稲妻が治まる。八つ当たりのような雷の雨は、チチェルの世界をボロボロにしてしまった。建造物が崩れ、いたるところに砂煙が上っている。  地下世界で黄金の輝きを放つ存在。“彼”は爬虫類の両眼で幅広い通りの先を睨んだ。  鱗に覆われたトカゲのような口が開き、時をも切り裂く咆哮が遺跡を震わせる。 / 草履の裏に振動を感じる。1km先からでも両眼の威圧が凄まじい。  羽ばたきによる風で、青い頭髪が揺れた。  開かれた黄金の竜の口。そこには膨大なエネルギーが集っていく。  竜の双眼には稲妻が奔り、翼を燃やす黄金の炎が猛る。  迸るエネルギーは、存在するだけで無作為に遺跡の建造物を蒸発させていく高温。  ――それは炎でも雷でもない。中性分子が全て電離した状態であり、イオンと電子で構成された超高温の物質。触れるだけで万物を気化する、抹消の力。  太陽の如きエネルギーが放たれた。  目も眩まさんばかりの輝きを放つそれは、雷を飛び散らせながら、周囲を真空と化して大気を進む。  均された通りが蒸発を始め、危険極まりない球体が青龍達へと迫った。  逃げなければ! しかし、間に合わない。  反応が遅れた。仲間の死に動揺したことが、ここに響いた。  絶体絶命の視界に…… 突然として映り込む、漆黒のシルエット。  ―――それは、迫る光球を背景として飛翔した人の影。 < カアァッッッ!!!!! >  力強さに満ちた、熱い魂の猛りが響き渡る。  飛翔して光球を前にした『レイア』は全身全霊の力を発散して、眩いオーラを纏った。そして、持ち得る限り最大の気合と共に渾身の“サマーソルトキック”を繰り出す。  数万度を超えた光球に対してなんと無謀な行いか……しかし、命を賭した彼女のサマーソルトは、信じ難くも事実に。抹消の力を持つ光球を蹴り上げ、それの軌道を逸した。  逸れた光球は上昇するカーブを描いて岩肌の空へと向かい、激突。壮大な破裂音を残して青龍達の視界から消えた。  見えはしないが。これによって地下世界は新たな入口を手に入れたことになる。大気の循環も良くなることだろう。  空中にて翻っていたレイアは自由落下によって地面へと叩きつけられた。100mの高さを落ちて受身を取る彼女だが、今は立つこともままならない状態らしい。  ゴーグルは割れて、ラバースーツは熱でボロボロになっている。特に蹴り上げた右足の損傷は痛々しい。それでも、これで済んでいることは奇跡のようなものだろう。 「レイア!」  治療をしようと駆け寄る青龍。しかし、レイアは朧な意識の中、彼を睨みつけた。 「! ……ま、マックイィーン……」  この状況でも言い間違えを指摘されたのかと、青龍が言い直す。  ――違う。そうではない。レイアは目で伝えている――“戦え”と。  青龍は彼女の意思を感じ取った。同時に、彼の胸中で青い炎が燃え盛る。 「……ティヴィ。サナとレイアを連れて、遺跡の物陰へと隠れてくれ」  落ち着き払った声。通りの先で輝きを放つ存在を見上げ、青き侍が神経を研ぎ澄ましていく。 「おうとも!」  ティヴィが両腕を伸ばして二人の女を吊り上げた。  青龍には嘆いている暇などない。彼には立ち向かうべき相手がある。  護るためには、戦わなければならない。  例えそれが、強大な力を持つ古の存在であったとしても―――。 ++++++++++++++++++++++ From:四聖獣 Story:この惑星の未来から ― 最終章 ― Title:双龍演舞 ++++++++++++++++++++++ 永劫黄金世界/8 From ――『 この惑星の未来から 』―― $四聖獣$
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