この惑星の未来から/14

SCENE/3/LAST-BATTLE ACT-1  地下世界。6世紀の昔に多くの人々が生活し、ここに文明を築いていた。  黄金の光に照らされていた空を暗雲が覆っている。当時のままに残っていた過去の世界は荒廃してしまった。  作られた世界はまるで箱庭で、暗がりに輝きをもたらす存在は演出者とも主演とも言えよう。  ――初めは希望に満ちていた。愛する人と、永劫を共に生きようと誓っていた。  神と呼ばれて崇められた『黄金の竜』は羽ばたき、世界に気流を生み出している。  ――工業都市で少女と出会った。護衛の末に、辿り着いたのは広大な地下の世界。  歩き始める。チチェルの遺跡、そのメインストリートを一人の『侍』が歩み行く。  竜の双眼が小さな青い人を捉えている。牙の生え揃った口から、火炎の息が溢れた。  翼長50m、細長い尻尾を含めた全長は60mを超える巨体。この数値に近似するものと言えば、ジャンボジェットである。  首も長く、これと尻尾を揺らす様を見上げると、万字や十字の形に見える。  草履の足音と、鱗の擦れる音。  羽ばたきによって風を巻き起こす黄金の竜が、咆哮を轟かせた。  侍が加速する。暗がりに照らし出される青い影となり、溶けた通りを疾走する。  上空に高く羽ばたく竜が息を吸い込む。長い首をしならせて、竜は放り投げるように口内から稲妻を解き放った。  しかし、通りを駆ける侍もまた、一つの稲妻と言えよう。  ジグザグに疾駆する青い影は稲妻を回避し、尚も前進する。  その上更なる加速。高速で動く侍の姿は、地面を滑るようにも映る。  理由は走法にあった。膝を高く上げずに前へと出す……これによって体力の消耗と、足先の滞空時間を軽減する。  この走法は日本古来より存在するもので、今は「ナンバ走り」と一般的に呼ばれる。左右の手足を揃えて出す型もあるが、青龍のそれは通常の走法と同じく、左右の手足を交互に動かすものである。  青龍はこれに、「重心の急激な移動によって左右へと身体を振り飛ばすように跳ぶ」――というステップを組み込むことで、速度を落とさないジグザグ走りを成立させている。  幅の広い通りを存分に活用して突き進む。彼の視界は瞬間移動を繰り返しているかのように、目まぐるしく変化を繰り返した。  1km。それが彼らを隔てていた領域。これがグングンと狭まっていく。  4発、5発と雷が大地を抉るも、それらが侍を撃ち貫くことはない。  黄金の竜はしびれを切らし、上空から青い影を目掛けて降下し始めた。より近距離から神罰を叩き込もうという公算であろう。  ――元より。上空を飛行する竜に対して、地上を走る侍にできることは少ない。  刀の長さはこの状況下であまりに物足りなく、多少降下してきたところで無意味に等しいだろう。  だが、青龍には考えがある。  羽ばたきの音が強まった。輝きを放つ巨体によって、侍の青い頭髪すら黄金に染められる。沸き立つ炎によって気温は急上昇し、流れる汗も揮発する。  上空を跳ぶ竜との距離は20m以上。しかし、通りには突風が吹き荒れ、侍の走行は困難となった。通りの砂が飛び散り、局所的な砂塵の嵐が襲う。  風に吹かれて、着物の裾がバサバサと音をたてている。  輝きの中で、巨体をびっしりと覆う鱗が確認できた。  トカゲのような竜の頭部が、長い首をもたげて小さな人を見下ろす。  竜の口が開かれた。鋭利な牙の並ぶ口内に閃光が満ち、稲妻の迸る音が脳髄に響いてやかましい。 「……おおおっ!!」  青龍が雄叫びを上げた。鞘に収まる刃の柄へと、右の手を置く。  両足はしっかりと地を踏みしめ、強固な土台を成す。  火の粉が散るほどに素早く、鞘から刀身を抜き、半月の軌跡を描いて振り上げる。  高速の抜刀。一連の動作は時間をすっ飛ばしたかのように刹那的で、見るものは刃を振り抜き終えた結末の姿勢しか目に追えないだろう。  それは、ただの斬撃ではない。  刃長71cmの刀は強烈な黄金の最中にも銀の輝きを誇示しており、これが描いた銀の軌跡は、瞬きの内に消失しない。  軌跡は黄金の輝きを鋭利に裂きつつ、巨体へと迫る。  “切断の衝撃波”は空中にて竜の放った雷撃と衝突。真っ二つに割かれた稲妻が青龍の足元を爆ぜさせる。  炸裂する地面は地雷が起爆したかの如く。青龍の身体は宙に浮かされたものの、彼は空中にて回転し、建造物の屋根へと着地した。  渦巻き状の屋根の上。頬の煤を着物の袖で拭う。  青龍は口に入った砂利を吐き出しながら、眼前の光景を睨みつけた。  <キャァァァァァア> ――絶叫する黄金の竜。鱗に覆われた胸元から薄暗い霧が湧き出ている。  どうやら銀の衝撃波は竜の胸元を切り裂いたらしい。だが、胴体が両断されたわけではない。おまけに、深手と言えるかも怪しい様子だ。  金属が擦り切れるような絶叫と共に、黄金の竜は上昇していく。予想外の反撃に驚いたのだろう。しかし、それは青龍にとっての最悪。  千載一遇とも言えた。上空を飛行する黄金の竜を、剣士である青龍が打ち倒すチャンス。まさか飛んでくるとは思わない斬撃で意表は突いたが、これによって手の内はバレてしまったことになる。  先程の距離ですら射程距離のギリギリだった。あれ以上に近づくことがあるだろうか?……おそらく、無い。  次の一手をどうするか。青龍が懸命に思考をこねくり回していると――。  一層に輝きを増す、黄金の竜。“彼”は怒り心頭な様子で眼下の人を睨みつけた。  開かれる竜の口。そこに、膨大なエネルギーが集っていく。竜の双眼には稲妻が奔り、翼に燃ゆる黄金の炎が猛った。  形成される光球。それは存在するだけで周囲の全てを分解し、付近を真空と化している。  炎でも雷でもない、圧倒的なエネルギー。白色の太陽とも思える光球が、真下に向かって放たれた。 「う……おおおっ!?」  咄嗟に屋根から飛び退く青龍。今度はしっかりと注意を払っていたので、回避行動は間に合う。  ――熱した石を水に落としたように。光球は激しい蒸気を生じながら、建造物を“掻き消し”、落下していく。  この現象は、消滅させているというより、気化させていると言ったほうが適切である。煉瓦や土、酸素や何やら。ともかく進行上にある全てをイオンと電子に分解して、新たに気体へと変えてしまう。  ほんの少し前まで青龍が立っていた建造物は完全に無くなり、代わりにぽっかりと穿たれた大穴が残った。  大通りに着地する青龍。彼は蒸気の沸き上がる大穴を前にして、息を飲んだ。  見上げると、黄金の竜が獲物を見定めるように、地底の空を旋回している。  一方的に撃ち込まれてはどうにもならない。どうにか、空を飛ぶ竜との距離を縮めることができれば―――。 <ガオォォオンッ!!!>  獣の鳴き声が響き渡る。黄金の竜によるものではない。あれはもっと金属質だ。  雄叫びのような鳴き声を聞いて、青龍が振り返る。  黄金に照らされる通りは、しかし遠くに行くほど薄暗い。  その暗がりから、もの凄い速度で迫り来る何かがある。  青龍は気配を察して、駆け始めた。全力ではない。“追いついてもらう”ことを前提とした走り。  暗闇の中から飛び出す、四足の獣。  躍動感溢れる身体をしならせて、青龍の背を目指している。  空を旋回する竜の発光体。その口に光が集い始めた。  まもなく、再び危険極まりない光球が放たれるだろう。  ――走る青龍。そこに、暗闇を駆け抜けてきた一頭の獣が併走した。  それは“クロヒョウ(黒豹)”である。通常、豹はオスでも最大クラスで190cmほどなのだが、青龍に併走するそれは3mを超える異常個体。  薄く紫のかかった黒の毛並みに、大きな真紅の両眼がチャームポイント。 「ティヴィっ!」  一言。青龍は声を張ると、跳び上がってクロヒョウの背中へと跨った。 <ガフガフガァ!!>  クロヒョウは青龍が乗ったことを確認すると、メキメキと不気味な音を立て始める……。  耳を劈く高音と共に、上空から光球が放たれた。  先程よりも大きい。トラック二台くらいなら軽く飲み込んでしまうサイズである。  クロヒョウ目掛けて光球は突き進み、地面に着弾すると、蒸気を生じて地中へと消えていった。  ぽっかりと穿たれた大穴。大量に発生した蒸気で空に霞がかかっている。  その霞を切り裂いて―――地下世界の空へと飛び上がる姿。  間一髪、飛び上がったのは大きな真紅の眼を持つ“鷹”であり、それは漆黒の翼を広げ、蒸気の雲海の上で羽ばたいている。  漆黒の翼は光を反射することで薄紫のシャドーがかかり、距離が近づいた黄金の竜によって、金のグラデーションを帯びた。  『鷹のティヴィ』が首筋にちょろっと、触手のようなものを生やす。  背に乗る侍は触手を手綱代わりに、左手でしっかりと握った。  黄金の輝きを放つ竜が、自分の高さに並ぶ者を威嚇する。  鷹のティヴィは威嚇として放たれた水平方向の稲妻をヒラリとかわし、<ピエーイ!>と、甲高い鳴き声を上げた。  その背に乗る青龍は刃を構え、しっかりと視線を前に向けている。  ――竜と鷹の大きさは比べるまでもなく、歴然とした差がある。  しかし、重要なことは青龍が視線を水平にできたことであり、何より、こちらから近づくという選択肢が生まれたことは大きい。ただ見上げることしかできなかった先ほどとは違う。  上には暗雲。下には蒸気の霞。  黄金の輝きを放つ存在と、黄金の輝きを受ける存在。  地下世界の上空にて対峙する両者の間が、ピリピリと緊張していく。  緊張の中。  これまで意味不明な叫びをあげていた黄金の竜が、威厳のある声を地下世界へと響き渡らせた。 “――地上の民よ。身の程を知れ――!” ACT-2  鳥の鳴き声――美しいその唄声は、何かを導くように、響く―――。  地下世界の一部に蒸気の霞が立ち込めた。  天井に開かれた新たな大穴から風が入り込み、遺跡の空気を循環させる。時折響く得体の知れない絶叫で、背筋が竦み上がる……。  クロノグラフを搭載した腕時計を眺めて、平常心を保とうとする男。  遺跡の大通り沿いにある建造物。元の持ち主が誰かは知れないが、どうせ放棄されたものだ。不法侵入もなにもないだろう。――いや、そもそも過去のチチェルにどのような法律があったかも不明だ。 「う、ううーん――あれ?」  少女の声。遺跡の一角。勝手に利用させてもらっている建造物の中。『サナ』は目を覚まし、半身を起こした。  周囲を見渡す。薄暗くてよくわからないが、見覚えがないということはなんとなく解かる。  サナの記憶からすると……彼女は今、洞窟の底で踊りを披露していたはずなのだが……どうにもここは洞窟ではなさそうだし、スポットライトのように浮いていた光の風船も見当たらない。  どうりで暗いわけだと、サナは寝ぼけたように目を擦っている。 「お、目が覚めましたか?」  暗がりから声が聞こえた。クロノグラフの時計から、秒針が時を刻む音が鳴っている。 「あれ――ここはどこ? あなたはだぁれ?」  サナが質問を畳み掛ける。 「き、記憶喪失ですか?」  暗がりの人は少女を気遣っている。歩み寄るその姿が、入口から射し込む光に照らされた。 「えへへ。嘘だよ、“ロキさん”! でも、この場所が解らないのは本当だよ」  サナのジョークが炸裂。少女はケラケラと悪戯に笑った。 「やれやれ……脅かさないでくださいよ。顔を忘れられたら、淋しいものですからね」  くだらないものだが、会話の相手である『灰色スーツのロキ』は、安堵した様子で胸を撫で下ろしている。――しかし、彼は雷に貫かれて地に伏したはずだ。その存在は奇妙である。  ロキは、随分と意識を失っていたサナに現状を説明した。  洞窟の底が崩壊したこと。  地下にはやはり、チチェルの遺跡があったこと。  そして、遺跡には伝承の通り、神とも悪魔とも思えるほどに強大な怪物が存在したこと……。  ――プロヴォアが死亡したことは伝えなかった。予断を許さぬこの状況で、少女に余計な心配をかけるのはよくないと考えたからである。  ただ、すぐ近くで横になっているラバースーツの人に関しては隠しきれない。 「ああっ、ラバースーツの人!」  サナが暗がりに目を凝らすと、気を失っているラバースーツの姿が確認できた。 「彼女は怪物の攻撃を凌ぐ際、力を使い果たして気絶してしまったらしいのです。右足を酷く損傷していますが、命に別状はありません。――それと、彼女の名前はレイア=マックイィーンです。まぁ、自分からは滅多に名乗らないようなので、知らないのも無理ないですね……」 「そう。――レイアさん、あんなに元気に飛び回っていたのに……」  横になっている『レイア』を見て、サナは洞窟内での彼女の活躍を思い浮かべた。 「ともかく、外は危険な状況にありますから、ここで機会を伺って―――」 「青龍はどこにいるの?」  サナが周囲を見渡している。しかし、視界内には青龍の影も形も見当たらない。当然である。 「青山さんは今、怪物と交戦中です。私たちにできることはここで彼の勝利を祈り――」 「戦ってる!? 大変だっ!!」  今まで何を聞いていたのか。サナは勢い良く立ち上がり、建造物の外へとスタスタ歩いていく。 「うおぁっ!? ちょ、ちょっと。危ないって話したばかりなのに!」  慌ててロキも建造物の外へと出る。  そこは地下遺跡の大通り。かつてのメインストリートは薄暗く、先の方には蒸気の靄がかかっている。  その上空で、煌々と輝く存在。距離はあるが、遠近感が狂うほどに巨大な異形。  サナはなんとなく、それを鳥だと思った。  竜を知らない訳ではない。サナは案外ファンタジーが好きだ。でも、やっぱりあれは鳥だと思う。  稲妻の光がよく見える。巨大な鳥が放っているようだが、それは虚空に放射しているように狙いが滅茶苦茶だ。もしかすると、殺虫剤を放射してハエを落とす……という行動に似たものかもしれない。 「そんな……無茶だよ、あんなに大きいのと戦うなんて――」  怪物はあまりにも巨大である。とてもではないが、人間が挑みかかってよい規模の存在ではない。 「確かに無謀とも思えますが、これしかないのです。それに、ティヴィが加勢に行きましたのでどうにか力を合わせて――」 「ダメなの! 絶対、――絶対にダメよ! “彼”と戦ってはいけないわ!」  言葉を遮ってサナが訴えた。あまりの剣幕に、ロキが気圧されている。  彼女は青龍を信じているし、青龍の強さも知っている。しかし、それでも、サナはあたかも巨大な鳥の驚異を“知っている”かのように懸命だ。 「止めないと―――私が、彼を止めないと!!」  そう言うと、猛然と走り始めるサナ。  青龍が心配なのは解るが……常識的に考えて、少女一人が駆けつけたところで何も危機は変わらないだろう。おまけに戦場は上空なのである。 「いやいやいや、危ないって! 戻ってください!」  無謀な少女の暴走を止めようと、灰色スーツのロキが懸命に追いかける。  ――しかし、少女のなんと若々しいことか。  サナは運動神経抜群といった具合で大通りを駆け抜ける。ダンスを器用にこなす彼女は、同世代の子と比べて幾段か優秀な健脚を備えていた。  グングン離されていく。くたびれたスーツの裾をなびかせて追うロキだが、差は縮まるどころか広がっていく。  サナには“許可”を得ていない。ティヴィは今、上空を必死に飛び回っている。これでは追いつく手立てが無い――・・・ロキの心は呆気なくひしゃげて、折れてしまった。見る見る内に失速し、彼は脇腹を押さえて膝を着いた。  ・・・古代チチェルの遺跡。メインストリートの只中で、ぜぇぜぇと息を切らせるスーツ姿の男性。薄暗がりに、彼のむせる声が木霊した。  侘しいその肩に、一羽の小鳥が降り立つ。それはなんとも珍しいもので、全身がウロコに覆われている。  「気遣ってくれるのかい、可愛い子ちゃん」などと、くたびれたロキが自嘲気味に言った。  ウロコのある小鳥。それは奇妙なことに、きらきらと輝きを放っている。  チチェルの遺跡で孤独だった小鳥は、くたびれたスーツの肩で、持ち前の綺麗な鳴き声を披露してくれた。  耳元で鳴かれているにも関わらず、うるさくない。  ロキは見知らぬ小鳥に慰められる現状を嘆きながらも、それほど悪くはない気分であった―――。 ACT-3  地下世界の上空。黄金の輝きが照らす世界で、竜と鷹が戦の舞いを踊っていた。  巨大な竜の羽ばたきによって生じる難解な気流を、侍の勘が強引に読み切る。  容赦なく放たれる稲妻。枝分かれする雷撃の閃光を、慌ただしく回避する鷹。悲鳴を上げながら懸命にかわすその背に、刀を構えた侍が乗っている。 「ティヴィっ、下から行くぞ!」 <ピエェーッ!!>  青龍の指示に合わせ、鷹のティヴィが竜の巨体を潜ろうとする。  しかし、黄金の竜はナリに似合わず機敏で、勢いのある羽ばたき一つで簡単に距離を空けてしまう。大きく羽ばたかれるだけで突風が生じるので、青龍達が押し戻されてしまうと……いうのも距離を詰められない一因だ。  竜の羽ばたきによる突風は、単に勢いがあるだけではない。轟轟と燃え盛る黄金の翼から送り出される風は、高い熱を帯びている。  よって、単に周りを飛び回っているだけで青龍の身体は汗を噴き、ティヴィの身体はロウのように溶けていく。  更なる問題。それは竜の輝きそのもの。  快晴の日に太陽を裸眼で見上げて、何秒耐えることができるだろうか。数秒が限界――いや、厳密にはそれ以上見ていられるかもしれない。しかし、失明や視力低下などの後遺症は免れないだろう。  本物の太陽と比べれば段違いだが、それでも黄金の竜は、地下世界を全て照らせるほどの輝きを秘めている。さらに、竜との距離は50m前後を付きず離れず……。  これでは長く戦えない。どうにか、短期間にて決着をつけねば敗戦は必至。  そこで、青龍は思い切った作戦をティヴィに提案した。  概要はこうだ。  横の移動で近づくことが難しいのならば、より速度の見込める落下を利用するしかない。上から重力に引かれて落ちれば、突風による押し戻しも緩和される。  地下世界の上下幅は凡そ100m。できる限り竜の高度を下げ、自分達はなるべく高くから下を目指したい。  黄金の竜は羽ばたくことで青龍達を押し戻し、自らも移動する。これを考えるに、上方から迫ろうとすれば上方向へと羽ばたき、勝手に高度を下げるに違いない。ついでに、風圧によって押し上げられれば高度を稼ぐ時間も短縮できる・・・。  ――つまり、一度竜の上方を敢えて掠め、竜の羽ばたきを利用して高度差を作り、落下の優位性を活かそうというわけだ。  作戦の欠点としては下方が見えにくということが挙げられる。しかし、目で見て避けるような攻撃でもないので、今と大差ない。どの道、稲妻なんてものは勘で避けるしかないのだ。  以上の作戦をティヴィに伝えると、さっそく鷹は大きく宙返りをして竜の上手へと周った。  不意に反転したことで青龍が振り落とされそうになっていたが……落なかったので問題ないだろう。手綱が無ければ即死だった。  ティヴィが向きを直すと、計画通り、黄金の竜は身を翻して上方へと翼を羽ばたかせてくる。  凄まじい風圧だ。青龍を乗せたティヴィの身体は、豪と上に押し上げられた。  しかも都合が良いことに、勢いを付けすぎた黄金の竜は地上の遺跡へと落下したらしい。脚はあるので着地はできたものの、飛び上がるまで少し猶予が生まれる。  ここしかない。  ティヴィは幾つか羽ばたいて高度を稼ぎつつ、最中にメキメキと不気味な音を立て始めた。  空中にて変えたティヴィの姿は、“ハヤブサ”。降下の速度でこれの右に出る鳥類は存在しない。  ……ハヤブサの落下速度については諸説あるが、空気抵抗の関係や下降気流の利用などによって、自由落下を越える速度を出すことが可能との通説がある。現にティヴィは遺跡内に巻き起こる気流の流れを的確に把握できている。  地下世界の空を覆う暗雲の近く。いくらか身体は痺れるが、この二人ならば耐えられる。  ハヤブサのティヴィは何度か羽ばたいて急加速すると、そのまま重力と気流に任せ、猛然と地面に突っ込んだ。  青龍はハヤブサの背の上で風圧に耐えている。この状況で刃を振り抜くのは並大抵ではないが、彼の超人的な体幹はこれを可能とする。  また、この状況で標的へと斬撃を飛ばすことは容易ではないが、彼の閉じられた両眼は飛び交う人骨を的確に把握するように、コマ送りの感性で標的をしっかりと見定めていた。  ―――ここまでは計画通りだった。むしろ、全て計画通りである。  ただ一つの問題は、想定外の事。  遺跡に落下した黄金の竜は、長い首を仰け反らせていた。  ティヴィが暗雲付近で姿を変えた頃には、既に。竜の双眼は稲妻を迸らせ、広大な翼からは黄金の炎が噴出されていた。  仰け反った竜の口は開かれ、そこに、膨大なエネルギーが集い始めている。  形成された光球は空へと向けられているのだが、それでも竜の足元は蒸発を始め、チチェルの名残が次々と分解されていく。  なんという大きさだ。光球の直径は10mを越えて尚も成長している。  ――青龍は危険を察知して手綱を思いっきり引いた。  首を引き上げられたティヴィの落下軌道が歪む。  ――竜の開かれた口。そこにある炎でも雷でもない、圧倒的なエネルギーの集合。  白色の太陽とも思える光球が、真上に向かって放たれる。  20mの瞬間。ティヴィの軌道が曲がり、その身が翻る最中。  青龍は右腕の刀を横一線に振り抜いた。  大気を分解し、真空を生み出して迫る光球。  抹消の力が――“プラズマ”の圧倒的熱量が……ハヤブサのティヴィを―――― 掠めた。  光球はそのまま暗雲を突き破り、三つ目の入口を地下世界に形成。空けられた大穴の先には、地上の、本物の空が微かに見える。  翼の先を掠めただけだった。それなのに、ハヤブサの片翼は失われ、胴体もドロドロと溶けている。  鳥の形状を保てなくなったティヴィは体勢を崩し、地面へと落下していく。緩い侵入角度で遺跡へと落ちた鳥のようなものは、地面を擦って砂埃を巻き上げ、何度も回転してから煉瓦に突き当たったことで、ようやくに停止した。  砂埃を巻き上げて回転するティヴィから、人間が一人、弾き飛ばされて宙を舞う。  放り出された青龍は、鈍い音と共に遺跡の地面に落ちた。彼は空中で姿勢を直すことができず、着地の態勢をとることができなかったのである。  意識が朦朧とし、全身の感覚が薄れていた。地面に叩きつけられた左肩の関節は外れ、腰骨にはひびが入ったらしい。  ハヤブサの身体が熱を遮ったというのに―――高熱によって着物は焦げ、左半面には火傷を負っている。  瞼を閉じていたというのに―――強烈な刺激によって視神経は狂い、光球の熱と輝きを間近にした彼の両眼は光を失った。  青龍は立ち上がれず、動くこともできずに仰向けとなっていた。薄暗がりの中、微かな光によって彼の頭髪が青い色彩を得ている。  手にしている刀が銀の輝きを失う。しかし、青龍は決して刀を手放さない。手にしている刀こそが護るための武器であり、意志の象徴であるから、無意識にも手放さない。  彼らが落下したのは遺跡の大通り。古代チチェルの、メインストリート。  遺跡の空を飛び回った末にここに落下したことは、偶然の産物だろうか。それも一際大きな建造物の前。  女奇術師が「神殿」と呼んでいたその施設は、これだけの騒乱に晒されても綺麗な姿を保っている。  ――通りの砂粒が舞い上がり、轟々と音が聞こえる。強まる風は、倒れている侍の頭髪を揺らした。  薄暗がりを掻き消す輝き。仰向けに倒れ、微動だにしない侍が黄金の光に包まれる。  翼幅50m、全長60m。巨大な黄金の竜は、倒れた青年を見下ろして、ゆったりと上空にて羽ばたく。  胸部には深い傷。それに加え、頭部の左側がパックリと深く裂けている。  横一線に放たれた切断の衝撃波は、竜の頭部に当たったようだが―――それは致命傷ではない。  竜の口が開かれる。そこに、膨大なエネルギーが集い始めた。  形成された光球の周りは真空となり、空気が集って分解され、この繰り返しによって気流が生じる。  地下世界の空を覆う暗雲が激しく稲光し、雷の輪が無数に描かれていく。  広大な翼の炎が輝きを増して、より強い黄金の光を拡散した。  黄金に照らされている仰向けの侍。その指が、ピクリと反応する。  ――例え、今から起き上がったとしても、竜の一撃を避けられはしないだろう。負傷した状態では尚更だ。  それでも、侍の上半身は肘を立てて少しずつ起き上がる。  反撃の意志がある。まだ、青龍は戦おうとしていた。  油断からか。黄金の竜は高さ10mほどの位置に存在している。斬撃を飛ばせば十分に届く距離だ。  しかし、どう考えても遅い。既に竜は光球を創り終えている。あとは放つだけでよい。青龍に刀身を振り上げる時間など皆無、絶対に間に合わない。  目も見えぬ状態で、あらゆる可能性が不可。されど、満身創痍の身体は片膝を着き、更に立ち上がろうとしている。  断続的な意識。轟々と鳴る風の音はそこに無く、妙に静かで。足元で動く砂利の音が微かに感じられた。  諦めの悪い侍――朦朧とする脳裏に、彼は声を聴く。 “君は、何故立ち上がる?”  それは威厳に満ちた声。  声の主は諭すように、侍へと問いかけた。 “君は、何の意思で戦おうとする?”  青龍の脳髄に直接響く声は質問を重ねる。威厳に満ちてはいるが、どうやら戸惑っているらしい。 “――生きたいのか?”  響く声は笑っているようだ。それは嫌味ではなく、自嘲の笑い。  認めたくはなかったのに、認めざるを得なくなった、人の嘆き……。  ゆっくりと、とても機敏とは言えない緩慢な様で立ち上がる青龍。  光を感じられない瞳で、彼は上空を見上げた。  意識に直接届く声は、自分を見上げる小さな人へと忠言を授ける。 “知らぬなら啓示しよう。命に――永劫は有り得ない。  どうせいつか尽きる。もがいても、あがいても、終わってしまう。  生に執着を持たなければ――悲しみも、恐怖も感じることはない”  授けたはずの忠告が、何故か己に突き刺さる。  言われた通りにすればよかったのか? 自分の想いは誤ちだったのか? 愛したことが、間違いだったのか?  声の主は自責からくる苦悶の「IF」を繰り返す。  上空で侍を見下ろしている黄金の竜。稲妻の迸るその瞳から――― 一筋の涙が、零れ落ちた。  朦朧とする意識。熱と砂によって乾燥した唇。考えたわけではなく、反射的に青龍が答える。 「永遠じゃなくたって、生きてほしい。……護りたい、助けたい……だから、俺は―――」  上手く口を動かせない侍の声は、くぐもっていて聞き取り難い。実際、ほとんどまともに発音できてはいなかった。  だが、音の波は重要ではない。空を飛ぶ黄金の竜は、蒼き蟻の心情を読み取る。  10mも離れた位置にある竜。“彼”は過去に想いを馳せた―――。 /  ――蝶々のように美しいと思い、衝動的に触れた。  コンプレックスを感じていた自分に、一番の存在だと笑顔を向けてくれた。  大切な事を知った、教えてもらった。感謝している、愛している。  だから、僕は彼女を――― / 「 ―――青龍っ!! 」  侍を呼ぶ声。それは、薄暗がりの通りを駆け抜けてきた『少女』の声。 「サ……ナ………?」  消えかけの意識で、青龍は少女の名を呟いた。  少女の瞳に映るのは満身創痍な彼の姿。  両足ともに草履は無く、素足。その背中は砂に塗れ、着物は擦り切れてボロボロになっている。  振り返ることもままならないほどにボロボロな侍。  痛々しい姿に、サナは「もう、やめて」――と、小さく呟いた。  黄金の竜が爬虫類の眼で少女の姿を認識する。少女の頭髪はブロンドで、毛先が黒い。服装は見慣れないもので、肌は小麦色。  見知らぬ女、それは当然である。黄金の竜が現代の女に見覚えなどあるわけがない。しかし、その顔立ちは……よく似ている。黄金の竜が深く知る人に、とてもよく似ている。  竜の脳裏に天空の都市と神殿、そして噴水を前にして踊る女性の姿が克明に映し出された。  高速で展開される映像。彼女の笑顔が、幸せそうな自分の声が――、二度とは聞けない、彼女の―――― 「――もうやめて、“カトル”!!」  空を見上げて、視界には黄金の竜。  サナが……いや、サナの口を借りた女性の声が大気を伝わり、届けられる。  身を竦めた。息を飲み込んで爬虫類の眼を見開いた。  開かれていた竜の口が身を竦めた拍子に閉じられ、稲光と放電音を轟かせていた暗雲は静まり、黄金に燃える翼の炎が一気に鎮静化する。  竜の集中力は全て眼下の少女へと向けられた。口元の光球など失念して、見えてもいない。  制御を失ったプラズマの光球は瓦解した。それによって弾けたエネルギーが、瞬間的な暴風となって荒れ狂う。  吹き荒ぶ猛風に晒される青龍。しかし、彼の素足は大地をしっかりと掴み、倒れることなく、光の無い眼で空を見上げている。  意識は無い。青龍は無心に、ただ信念に支えられて立つ。 「きゃぁぁっ――!!」  突風の中、少女の悲鳴が聞こえた。サナの身体は風の勢いに耐えられず、地面に倒れ込んだらしい。  少女の悲鳴が、侍の心に宿る信念、青き炎を―― 限界以上に滾らせ、昂らせる。 「………ぅぅぉぉぉおおおおおっっっ!!!!!」  叫びと共に、侍の持つ刀が銀の輝きを放つ。  彼は眼の見えぬまま、心に映る上空の怪物へと刃を振り上げた。  ―― 銀の軌跡が描かれる ――  ただの斬撃ではない。銀の軌跡は、瞬きの内に消失しない。  それは切断の衝撃波となって虚空を裂き、黄金の鱗をものともせず、進行上にある巨体に斜の一本線を引いた。  切断の衝撃波は巨体を貫通し、虚空へと霧散していく。両断された切れ目から、黒い霧が噴き出した。  竜の胴体が分かれて、黒い霧が見えなくなるほどに、燦々とした光が放出される。  光の中。刀を振り上げた青龍の身体は傾き、彼は力なく、崩れるように倒れた。  信念の剣が……「カシャン」と、音を立てて地に落ちる。  ――両断された黄金の竜。広大な翼と長い胴体をもつ巨体が、光そのものと化し、遺跡の空に広がっていく。  空を覆っていた暗雲は光にかき消され、稲妻の放電音が聞こえなくなり、世界が静寂を取り戻した。  輝き始める地下の太陽。薄暗がりだった遺跡に光が満ちる。  崩壊した遺跡都市が照らし出され、全てが黄金の色に染められた。  巨大な竜が消滅した世界。地下遺跡の空間に、穏やかな風が吹く―――。  メインストリートに突っ伏して倒れている侍。 「青龍っ――青龍!!!」  サナは身を起こし、倒れている彼の元に駆け寄った。両膝を地に着き、懸命に呼びかける。 「青龍、青龍っ、しっかりして! 目を覚まして!!」  倒れている彼の身体を揺さぶるサナだが・・・実際、これは危険である。意識不明の人間はまず、安静が第一となるからだ。  しかし、それも酷な話だろう。本当はまだあどけない年齢である少女に、感情を押し込めた対応を求めるのは無粋とも言える。  ケースバイケース。その時その時に適した行動というものもある。 「やだよ、青龍、起きてよぉ!!」  うつ伏せに倒れている青龍の半身を、細い腕でグッと抱き上げて、身に引き寄せるサナ。  ・・・救命時、特に頭部は動かしてはならない。脳の損傷は大変にデリケートであり、損傷の有無も解らない内にグッと勢い良く抱き上げるなど、危険極まりない行為だ。 「うむぅ………サナ――か?」  青龍の瞼が上がった。視界が暗いので見えはしないが、声で判別できた少女の名前を呼ぶ。  抱き寄せられた彼は柔らかいものに頬を圧迫されて、その感触から目を覚ましたらしい。左肩や腰に激痛が走っているが、皮肉なことに、これらも気付けに一役買っている。 「――青龍っ!!!」  目を覚ましたことを確認すると、感極まったサナが青龍を更に抱き寄せた。 「ふぁ、ふぁわ……ふ、ふふひぃ……!」  モゴモゴとしていて何を言っているのか解らないが。たぶん青龍は「サナ、苦しい」とでも言っているのだろう。確かに、谷間に押し込められて息が苦しそうではある。  意識を取り戻した青龍だが、その視界は暗い。幸いにして、少しずつ闇が晴れていることから完全に失明したわけではなさそうだ。  思えば、目を閉じてすらここまで視力を奪う輝きの、なんとも凄まじかったことか……。  青龍は目が見えない。だから、現状で確認できるのはサナしかいない。  彼女は気が付かなかった。第一に青龍を気にしていたので、それ以外が見えていなかったということもある。  また、根本的に。光に満ちた道の上で“半透明の姿”を視認することは、困難極まる。よって気が付かないのも仕方無いだろう。 「――え??」  違和感を察したサナが顔を上げた時。  『半透明の青年』は、既に。青龍とサナの目の前、ほんの三歩ほどの距離に立っていた。  「半透明の青年」と空気の境目は揺らいでおり、頭部は角のような髪飾りで装飾されている。ゆったりとした衣を纏った姿からは、明確な威厳と圧力を感じた。  サナは見知らぬ青年を前にして言葉を失っている。  確実にサナは知らない顔なのだが……どうしたことか。彼女は懐かしさを覚えてしまう、不思議だ。  青年は半透明衣から腕を出すと、手を伸ばしてサナの額に触れようとした。 「嫌っ!!」  並ならぬ威厳と圧力を備えた存在に対して、「嫌」と言い切って身を引くサナ。彼女の懐で、青龍が「どうした」と呻くように言っている。  拒絶された半透明の青年は――・・・困っていた。薄くて解りにくいが。呆然と、目をパチパチしているらしい。  困る半透明の存在を見て、サナは罪悪感のようなものを覚える。  見知らぬ人がいきなり触ろうとしてきたならば、拒絶して然り。気に病むこともない。  ところが、何かは解らないけど。サナは目の前の存在が困っていることが嫌だ。知らない人なのに、でも知っているような、忘れているわけではなくて、どういうことか見覚えがあるような・・・・・ 「 もういいのよ、カトル――― 」  不意に響く言葉。女の声。誰の発言か?  それは、サナの口から発された声である。 「カトル。私はもう、ここにはいないの」  言い終えると、サナは自分の口を手で塞いだ。  なんということだ。サナの意思とは無関係に言葉が出てくるのである。恐怖というより、ひたすらに彼女の頭は混乱している。  抑えた手がこれも意思とは関係なく口元から離され、また勝手に口が動き始めた。 「やっと、こうして伝えることができました。ごめんなさい、独りにしてしまって……寂しかったでしょう」  ――“カトル”と呼ばれた半透明の青年は、座っているサナではなく、その頭上をじっと見ている。  半透明の青年は無表情に、“彼女”の言葉を聞いていた。その心は、何を感じているのか。  サナの背後。そこには、ぼんやりとした、白い影のようなものがある。  サナの口から勝手に発される言葉は、どうやら白い影の意思によるものらしい。  青年の無表情は繕ったものだった。次第にその唇は震え、瞳に涙が溢れていく。 「……僕が求めたことは、間違いだったのかな? 愛した結果が喪失ならば、僕の記憶は夢想に過ぎないんじゃないかな?」  半透明の青年は誰かの頭に響かせるわけでもなく、特別な力を用いることもなく、自分の口を使って白い影に伝えた。 「――ねぇ、カトル? 永遠に続かなければ、意味はないのかしら」  白い影は、感情的になっている青年に対して、とても慣れた対応で冷静に話している。 「ずっと一緒にいたい――それは私も同じ気持ちよ。だけど、永遠でなくても……例え人間の一生という短い時間でも、私達の日々は幻想ではないでしょう?」  優しい声。600年近く、求め続けた声。二度とは聞けないと絶望すらした、“彼女”の声―――。  青年の顔は半透明ながら。大粒の涙を流し、唇がへの字に曲がっている様が判然としている。 「あなたと共に過ごした日々は、私が生きた何よりの証だから……間違いなんかじゃない。間違いなんて思わないでください。  カトル、愛してます。死んでしまっても、私はあなたが大好きよ……どうか、悲しまないで。永劫に、囚われないで――――」  少女の瞳から、無意識に涙が流れた。すると、サナの口は勝手に動かなくなり、手で塞ぐことも自由になった。  少女の瞳に涙を残して。サナの背後にあった白い影はスゥっと浮き上がり、サナ達が入ってきた一番大きな入口へと昇って行く。  えも言えぬ喪失感に見舞われるサナの意識に、“ありがとう、サナ”……と、誰かの言葉が響いた。  それは母親のように優しく、安心感のある女性の声―――。  ……不思議なことに。半透明の存在に対するサナの困惑は綺麗さっぱり無くなり、今は本当に記憶にない、見知らぬ青年だと思うことができる。 「うぐっ……!」  侍が呻いた。軋む身体を強引に動かして、立ち上がろうとしている。 「あっ、だめよ、青龍! 動いちゃだめ!」  サナが抱き寄せて制止する。  確かに立ち上がることは避けたほうがよさそうだ。少女の腕力にすら抗えぬ今の青龍に、立ち上がって何ができると言うのだろう。 「……何か、そこにいるな。声が聞こえた……ロキでもティヴィでもない、男の声が」  青龍の視界は光を取り戻しつつある。しかし、物の輪郭一つ判別できない朧な視覚では、とてもではないが半透明の青年を見ることができない。  ――青龍は強力な霊感を持ち、魔力を察知する技能も会得している。それなのに彼は、威厳と圧力を備えた半透明の存在を、感じ取ることができていないのである。  何も感じず、見えず。それでも肩が外れた左腕は、手先を震わせながら刀の柄を探している。 「……大丈夫。俺が君を護ってみせる……」  乾燥した唇が割れて、血を流しながらも、青龍の闘志は萎えていない。 「青龍、だめだよ―――これ以上戦ったら……嫌だよ!」  サナは拒絶した。青龍が戦い、命を落とすことを、断固として拒絶した。  瀕死の状態でも少女を護ろうとする侍。  その光景を見ていた半透明の存在は……顔を衣の袖で拭い、「ハハハ」と笑った。  半透明で解りにくいが。その表情には威厳や圧力などなく、なんてことはない、普通の青年の笑顔がある。 「そうか、君も護ろうとしていたのか――参ったな、やっぱり“同じ”じゃないか」  「参ったな」と言いながらも、半透明の表情は嬉しそうだ。 「君たちは……未来の民、いや、未来の人か」  そう言いながら、いけしゃあしゃあと腕を伸ばしてくる青年。軌道から察して、今度はサナではなく、青龍の額に手を置こうとしているらしい。 「ダメぇっ!!」  サナが激しく拒否する。青龍の鼓膜が痺れた。 「うむ、信用してくれと言っても……ま、仕方がない。触れずにヤろう―――」  若干物騒なニュアンスと不敵な笑み。半透明の青年は腕を下げ、目を閉じてグッと歯を食いしばった。  何をしているのか。ともかく、青年はその状態でまったく動かない。少し震えているかな、という程度。  変化があったのは侍――青龍である。 「ぬ、ぐぅああああ……ッ!!」  苦痛にもがく呻き。青龍の身体は、抱いているサナがすぐに気がつくほどに“熱く”なった。火傷する温度ではないが、40°C超の熱があるような、異常な体温。 「わあぁ、青龍ぅっ!!?」  狼狽してサナが呼びかけるものの、高熱を帯びた青龍は呻くばかりでまともに答えられない。  そして数秒の後に「カッ!」と、青龍から黄金の光が放たれ、サナの目を眩ませた。  眩みは一時的なもので、すぐに回復。しかし、眩んだと同時に軽くなったふとももにサナは不安を覚えている。  彼女が恐る恐る目を開けて確認すると……。 <うおぉぉぉおおおおおっ!?!?!?>  そこには、立ち上がって両の手に拳を作り、活力に満ちた叫びを天に響かせる、過度に元気な青龍の姿があった。着物の破れや汚れはそのままで、草履も無い裸足ではあるのだが……かえってそれが状況に合っている。  咆哮する様はまるで野生。草食系と思われる彼から、なんとも勇ましい雄叫びが発せられる光景は異様でしかない。 「――――。」  サナは驚いて言葉を失った。大声を出した男を前にして怯んだというより、似つかわしくない程に猛々しい背中に見とれていた。 “ あらら、やっぱりか。触れないと微調整が上手く利かなくってね――まぁ、過剰なエネルギーは直ぐに揮発するだろうから、安心してくれ ”  ――それは頭上から聞こえた。  サナと元気な青龍が見上げると、いつの間にか頭上に浮き上がっている半透明の姿が見えた。先程の白い影と同じく、それは一番大きな空洞へと向かっている。 “ 太陽はしばらく輝き続けるよ。その内にここを出るといい ”  半透明の青年は、地下の太陽を指差した。丁寧に指し示してくれたのは有り難いが、高所にある半透明の指先は、眼下の二人からちっとも見えていない。  6世紀……しかし、それは“彼”と地下世界を除いた全てからすれば、1秒にすら満たない時間。  孤独に過ごした日々は無駄な時間だったのか。早々に認めていればまた、違った未来があったのだろうか。  過去はともかく。今の“彼”は解放された心持ちで、地上に――本物の空へと昇って行く。  半透明の青年は最後に言い残した。 “ 私達の娘よ――ありがとう――― ”  サナにだけ聞こえた、その言葉。  彼女は見知らぬ人に「娘」と言われて首を傾げている。母は美しい女性だったが、どう思い出しても父親は“彼”のような整った顔つきではなかった。明らかに別人。過去の姿ということも有り得ないだろう。  サナはあんまり、細かいことは考えない。  だから、半透明な人の言葉を素直に、「ありがとう」という感謝の部分だけ受け取ることにした。  ――地下の黄金世界。  創造主が去った世界には、静寂が残されている。  ――崩壊した遺跡群。過去のメインストリートの上。  サナは循環する風の流れを感じて、揺れる長いブロンドの髪を手櫛で抑えた。  声も音も聞こえない。自分の中にあった「知っているようで知っていない」感覚は綺麗さっぱり無くなっている。  実感はないのだが。彼女の心は循環する風と同じく、清らかな香りに満たされていた。  持て余している少女の右手。それが、不意に掴まれる。 「――??」  キョトンとしてサナが振り返ると、そこに恐ろしい悪人面が待ち構えていた。  普通であれば、恐怖によって悲鳴を上げ、飛び退くところであろう。  でも、その悪人面を見慣れているサナはむしろ、とびっきりの笑顔を咲かせる。  少女の瞳に青年の姿が映っている。悪人面の青年は、サナを見つめていた。  青年は、握った手を引き寄せ、そして、彼女の身体を―――ギュッと、抱きしめた。 「―――えっ?」  驚きで、少女の目が見開かれる。 /  青い頭髪が、頬に触れている。こんなに近い。息遣いも聞こえる程に。  彼の肩が胸に当たっている。日本人の彼は、ほとんど同じくらいだけど、少しだけ身長が低い。 「……サナ、無事でよかった……!」  もしかして、彼は泣いているのかもしれない。グスっと、鼻をすする音が聞こえた。  胸の鼓動が大きい。こんなにも自分の脈がはっきりと聞こえるなんて。 「……すまないっ、あの時、君を護れなかった。危ない思いをさせてしまった!」  いつの時を言っているのか。護ってくれたのに。今、こうしてサナは元気なのに。 「護ると言ったのに……すまないっ、君に助けられた!」  だから、助けたのは青龍で、助けられたのはサナなのに――何をそんなに謝っているのか。なんか、出会った頃からずっと謝っている気がする。  あっ、そうか。透明な人が言ってた過剰なエネルギーって、こういうこと。  まるで精力剤でも飲んだかのように気分が高揚して―――。 / 「……あっ!」  慌てて青龍が離れる。どうやら彼は自分の行いに驚いているらしい。 「ご、ごめん……その、これは―――あ、いや、あわ………」  狼狽して顔を伏せる。遺跡の地面を眺めながら、裸足の足先で砂を弄った。  10cmくらいずつ、ズリズリと。青竜は踵を下げつつ、距離を作ろうとしている。  サナはジトっとした視線で彼を見ていた。青年は次第に言い訳もなくなって、黙り込んだ。  少女が「クスッ」と笑う。すると、今度は自分から歩み寄って―――彼に抱き着いた。  静寂の大通り――過去から現れた遺跡の中――他の誰も介入しない時間の内で―――少女に抱きつかれ、微動だにできない軟弱者がいる。  ・・・・・『怪人ティヴィ』は一部始終を見守っていた。彼は状況をよく理解してはいないが、人間が抱き合う光景を見るのは久しぶりなので、嘘みたいな真顔で眺めていた。  身長が150cm程に縮んでしまったティヴィは、ともかく空腹である。随分と体積を失ってしまったものだ。  声がギリギリ届かないくらいの距離で二人を見守る怪人。その背後に、人の影……。 「こういう時は、物陰に隠れるのが正解だよ、ティヴィル」  ティヴィの背後から掛けられた声は、くたびれた灰色スーツを着こなす男のものである。  スーツの肩には一羽の小鳥が乗っていた。  その小鳥は珍しいことに。ウロコが生えており、きらきらと金に輝いてもいる。  小鳥は怪人の姿を見て、「ハッ」と嘴を開く。  怪人は小鳥の姿を見て、「ガバッ」と半月型に口を開いた。  歯ごたえのありそうな小鳥が、灰色スーツの肩から飛び上がる。  洞窟の空を舞う黄金の翼は、逃げ込むように――ブロンドの髪の上に降り立った。 「――あれ?」  少女サナが頭の上に手をやると、小鳥は彼女の手に乗り移って、美しい鳴き声で唄を歌い始める。  黄金世界の地下遺跡に、幸せそうな鳥の唄が響き渡って―――。  ――少女の旅は、ここに終着した。しかし、それは一つの中継点に過ぎない。  鳥のように自由に。黄金のように輝かしく。  彼女にとって本当に大切な旅は、今日、この日から始まるのである。  この惑星の、未来に向けて……………。 SCENE/Intermission 「一人ずつですね。ティヴィもご覧のように小さくなってしまいましたし」 「……すまん、俺の無謀な作戦のせいで……」 「違うよぉ、あんなことは事故だね。誰のせいでもないし、しぃて言えばあの化物が悪い」 「……良いやつだな、お前は」 「それじゃぁ、最初はサナさん、次にマックイィーン、最後に青山さんの順番で行きましょうか」 「……ロキが先で構わない。俺は最後でいい」 「はい、最後は青山さんです。私は乗りませんから」 「? ……ロキは空でも飛べるのか?」 「そりゃぁ、飛べませんよ?」 「………じゃぁ、どうやって地上に戻るつもりだ?」 「どうって――ティヴィが青山さんを運んだら普通に移動しますよ」 「お、おう。……つまり、最後に乗るということだよな」 「いいえ。ですから、私はティヴィには乗りません」 「……でも、空も飛べないのに地上へは行けないだろう」 「それはほら、ティヴィが地上に行ったら彼の傍に移動しましから」 「・・・ん?」 「一応、皆さんがこの場所から離れたことを確認してからですね――」 「ちょ、ちょっと待て!」 「はい、なんでしょうか」 「移動するというのは、もしかして……その、ワープとか……“瞬間移動”とか?」 「それ以外に何がありますか。せっかくの特技なのだから活用しますよ」 「………何かおかしいと思ってたら。そうか、疑問が解決した」 「おや、悩み事がありましたか」 「……まぁ、そんなところだ」 「‥‥‥‥おい」 「ん、なんだい、マックイィーン?」 「‥‥私もか」 「何が?」 「‥‥‥私もティヴィに運ばれるのかと聞いている」 「そりゃそうだろう。他に何の手段があるってんだ」 「‥‥100m程度なら、むしろ降るより楽だ。天井だって――」 「その右足じゃあ無理だよ」 「一時間くれ。完治してみせる」 「いいから、大人しく運ばれてなさい」 「大丈夫だ。ほら、青龍の張った湿布が効いている」 「ギャ! 傷を見せるな!」 「……湿布じゃなくて呪符なんだが……」 「おやおや、なんだいなんだい、マックイィーン? 僕の背中が気に入らないのかね?」 「‥‥気に入らなくはないが、信用はできない」 「Oh...なんて言い草かね。チームなのに……」 「……ティヴィの乗り心地は俺が保証する。それに、負傷している時に無理をしてはダメだ」 「‥‥‥そこまで言うなら仕方ないな」 「やれやれ、僕の言うことなんてちっとも聞かないんだから。これでも上司だよ?」 「ねぇ、ねぇ!」 「ん、なんでしょう、サナさん?」 「“あいつ”は?」 「あいつ――と申しますと?」 「あいつだよ、あの嫌な女!」 「嫌な女って―――あ、そうか」 「さては、自分だけ先に戻ったのね! 酷いヤツだ!」 「………さ、サナ。実はだな……」 「青山さん。いいです、私から伝えましょう。  ――ええっとですね、いいですか、サナさん。元ゾノアン都市監視委員長、プロヴォアは本日――― $四聖獣$ ++++++++++++++++++++++ SCENE-LAST.  ――暗がりの洞窟。直径40m、深さ300mの縦穴を、一羽のフクロウが昇っている。  薄く紫がかった黒毛のフクロウは、真っ暗闇の先にある、光の円を目指していた。  ――次第に周囲も明るくなっていく。先に見える光の円がどんどん大きくなってくる。  光のカーテンの中を羽ばたくフクロウの背には、青い髪の侍。  手綱を握る侍は、射し込む日差しを、かざした手で防いでいる。  ――暗がりがほとんどなくなり、光の円が凡そ直径40mほどの大きさになる頃。  円の淵には岩の影があり、その上に人の影が二つ、覗き込んでいるのが確認できる。  ――暗がりを越えると――目線の高さに広がる、密林。  少し先に、原始的な風景に似つかわしくない、美術館のように洒落た建造物。  洞窟の入口。岩場の淵を過ぎ、着地のしやすい土へと、鳥類の大きな脚がめり込んだ。 <ホッホホーホ、ホ~~>  一仕事終えた、と言った溜息を吐くフクロウ。  その背中から跳び降りた侍は、フクロウの羽毛を撫でながら「ありがとう」と声を掛けた。  「やれやれ」と岩の上で伸びをしている灰色スーツ。瞬間的に現れたその姿を見て、侍は「本当だ……」と、感嘆した。  岩場には少女の姿もある。匍匐の姿勢でふとももを大胆にひけらかす様には、もう少しのお淑やかさを求めたいところ。大人びて見えても、彼女はまだ14歳。それに、これからは過度に背伸びをする必要もないのだから。 「――あっ!」  少女が声を上げる  300mの先に見えていた黄金の輝き。  それが縦穴の洞窟へと流れ込み、煌々と周囲を黄金に染め上げながら、気流の柱となって空へと昇って行く。  ――永劫として創られた黄金の世界が、終わりの時を迎えた。  この先、遺跡は調査されるだろうが、誰も創造主の本心を知ることはない。“彼”自身も、それに付き従った末裔もほとんどがいなくなった。  ただ一人、唯一の末裔となった少女も、地下世界の本当の目的を知らない。――でも、それでいい。これ以上、彼女が過去の責務を背負うこともないだろう。  地下世界と大空を繋ぐ一本の柱。  黄金に上昇する流れはしばらく続いたが、やがてその全てが空へと昇り、地上世界に溶け込むように消えてしまった。  輝きを失った地下世界はもう見えない。洞窟の底は真っ暗闇だ。  “半透明の彼”が言ったとおり。来訪者全員の脱出をもって、地下の太陽は役目を終えたらしい。  黄金世界の忘れ形見。結局、最後まで生みの親から役目を解任されなかった“ウロコのある小鳥”は、唯一の末裔となった少女の肩にとまっている。  「鳥を飼いたい」と言っていた彼女にはうってつけで、少女は自分に懐く珍しい小鳥をとても気に入ったらしい。  ――ヘリコプターのけたたましい音が周囲一帯に鳴り響く。  「ゴルドカトルの大穴」と呼ばれる、まるで地球に穿たれたヘソのような洞窟。  密林の中にぽっかりと空いた大穴が、どんどんと小さくなっていく。  両側に表裏の金貨を描いた軍用輸送ヘリコプター。  密林を遥か彼方に。サンディゴ―ジャスティア間の国境を越えて、ペネ・ハイウェイ(高速道路)を遡る。  眼下に広がる壮大な荒野。途中、一面に映える緑の大規模農場が見えた。  少女は窓越しにそれを指で示し、「そう言えば車・・・」と苦笑いを浮かべる。  隣に座っている侍の眉間にシワが寄ったが、手際の良い灰色スーツの男がすでに片をつけていたらしい。侍と少女は安堵した。  ジャスティアの雄大な空を飛ぶヘリコプター。  一回の給油を挟みながら。ヘリは一路、工業都市『ゾノアン』を目指す………。  ―――二日後。工業都市ゾノアン近郊。ジョン・レイデル空港ロビー。  旅行客やビジネスマンが行き交うロビーに、少し異質な集団がある。  『灰色のスーツ』を着た中年男性は違和感ないが。身長が3mを越えている『嘘みたいな頭部』の怪人と、往来で仁王立つジーンズにTシャツ姿の女性は目立っている。女性の服装は普通だが、『緑色の頭髪』は珍しいもので、これが注目を引くようだ。  目立つ頭髪と言えば、もう一人。青色の頭髪である青年もそこにいる。その上彼は、見慣れぬ東洋の服を着用しており、これも目を引くことだろう――が。基本的に彼を見る人は少ない。何せその面の凶悪さと言ったら……三白眼の目とカチ合ってしまったら、何をされるか解かったものではない。よって、過ぎる人々は『悪人面』の彼から視線を逸すのである。  誰もが目を合わせたくない恐ろしい面。しかし、それを臆すことなく見る少女がある――。 「……皆、世話になったな」  悪人面の青年が険しい表情で言う。怒っているのではない。それが普通なだけだ。  灰色スーツの中年男性が「世話になったのはこっちさ」と、ウィンクをした。 「青龍、あのさ―――」  少女が何かを言おうとしたが、すぐに唇を閉じて止めてしまう。視線を逸らして彼女の表情は、素直に暗い。 「……サナ?」  言葉を押し込めてしまった少女を、青年が心配そうに見ている。  心配で、不安そうな視線を受けて。少女は頑張って言葉を送り出す。 「また、会えるよね?」  疑問系。でも、それは違う。彼女は問いたかったわけではない。  少女の気持ちは言葉よりも強く。曖昧なものではない答えを――― 「会えるさ。君が助けを求めたら、俺は何処からでも駆けつける。護衛の任務に、期限は設けていないからな」  条件を付けて、しかも「任務」とはなんて無粋な言葉であろうか。もっと選ぶべき余地はあるだろうに。  だけど――・・・  それは意図的に、考えられた言葉ではない。彼は思ったままに言っただけ。  機転の利いた返事なんかできっこないと、知っている。  気の利いた上手な言葉なんて彼に期待してないし、口下手だからこそ安心できる。  少女は黙っている。しかし、その頬は赤らみ、瞳は潤んで――真っ直ぐに彼の目を見つめている。  見つめられる悪人面が、何も返事が返ってこないことを杞憂し、悶々と胸中で自問自答を始めた。  少女は「クスッ」と、悪戯に微笑んだ後、太陽のように明るい、最高の笑顔を浮かべて言う。 「約束だよ――青龍っ、ありがとう!」  今まで、過酷な自分を隠して生きてきた。  これからは、彼女本来の――生まれ持った芳醇な表現力を持って、自由を謳歌できるはずだ。  照れくさそうに俯いて、青い頭髪を掻いている青年。    一連のやり取りを暖かく見守っていた三人が、三者三様の笑みを浮かべた。  時間がくる。  フライトの時――それは、青年が帰路に就く時。  少女は願った。「金属探知機よ、彼をどうか引き止めて」――と。   だが、そこはさすがに手際の良い灰色スーツの仕事。  滞りない。布にくるまれた侍の信念は、探知機に見逃された。  快晴の空。滑走路の先に、工業プラントの複雑な影が確認できる。  ジャンボジェットの機体が、幾多の客と共に、青い髪の青年も載せて飛び上がった。  ぐんぐんと離れていく機影。見えなくなっていく、その姿。  空港ロビーの一面に広がる窓から、透明なガラス越しに空を見上げている少女……。  そこに、どこから迷い込んだのか? ――いや、それは物珍しい地上の世界を見物していたのである。  ――小鳥が一羽、少女の肩に止まる。  首を傾げて顔を覗き込んでくる小鳥を見て、少女の悲しそうな顔が笑顔になった。  大きな窓から射し込む太陽の輝き。  照らされる、小鳥を肩に乗せた少女。  彼女の長い髪が光に照らされて―――  黄金の色に、輝いている ―――――――――。 ++++++++++++++++++++++  From:四聖獣  Story:この惑星の未来から――  ― CAST ―  ―主演― |青山 龍進 /青い髪の侍、兼ヘタレ | |カトル=ハメル /神様っぽかった青年 | |サナ=コルカラ /黄金の未来を行く少女 | |シュカ=コルカラ /重要なのに出番がやたら少ない女性  ―助演―    |ルゥ=プロヴォア /やるだけやった人 | |ケリー=ウィンガーデン /≠プロヴォア | |ジェイス=クロコップ /3つ目の秘技は何でしょうか? | |レイア=マックイィーン /実際、仙道の使い手。仙人(見習い) | |ティヴィル=ザ=テイラー /過去には「怪人バルボア」とも | |ギシアム=カーター /因果応報 | |ウロコの小鳥 /名前は「リトル」と名付けられました  ―脇役― |マリン=ガーネット /サナの友人。豊満なバストとケツ |ピーチ=フロンタル /白いフードの人。残念なイケメン |シェン=アルフォーネ/ホテル管理人。正体はマフィア幹部 |ミキー=モウス /後に「サナ・ファンクラブ」発足者に |サッファス=ピスタチオ /ティヴィの群れに驚いた人 |ガントレット=モーガン /モーテル管理人。名前は強そう |マッコト=ロドリゲス /南正遺跡研究者、探検家 | |アーティ=フロイス /コーラの人 |高山 奈由美 /鬼のような猛少女 |天上 輝歌 /ブラウスもらった人 |アルフレッド=イーグル /考古学好きの友人Aさん、チ~ッス!  ―スタッフ― |森人 /なんか |F.モ /いろいろ  ~ ENO ~ ++++++++++++++++++++++  東京都某所。日差しが照りつける昼時のオフィス街。コンクリートの質実剛健・頑強なビルディングの列。  その無機質な行列を乱す凹っとしたヘこみは、三車線の国道が渡る光景において、異質の感性といえよう。  古くみすぼらしい外観を、盛んに行き交う車両へと晒す家屋。ビルディングに挟まれた二階建ての木造建築は、左右のノッポに日差しを遮られて、影に落ちている。  古びた木造家屋の玄関。  本当は勝手口なのだが、諸事情で大通りに面してしまった玄関から、チャイムも鳴らさずに入ってくる青年。  家屋の中は薄暗い。人がいないのだろうか。しかし、TVはついているらしい。  青年はひび割れている足場の上でスニーカーを脱ぐと、それの向きを整えた。  ボロボロの着物と袴。衣服からして、何か大変な目にでもあったようだ。疲労の様子も顔に表れている。  ただでさえ凶悪な面は、ただでさえ濃いくまを一層に濃くして、とても危険なものになっている。  暗がりの家屋。その中から、「ギシ…」と、床が軋む音が聞こえた。  「――――よぉ」  なんて気の抜けたものだろう。それは気だるそうな、面倒くさそうな声である。  声の方向に、小さな赤い光が灯される。 「……ただいま」  悪人面の青年が口を開いた。もごもごと、聞き取り難い音量――疲れているからではなく、彼は大体、いつもこんな感じだ。 「ほぉ――っつぅことは、女を護れたってことかい」  赤い灯の正体は、煙草の火。  家屋の暗がりで煙草を咥える男は、悪人面を確認し、灰色の煙を吐き出した。 「いや……護れなかったよ」  フローリングの床を歩きながら、悪人面の男が呟く。 「ん? そうかい?」 「……俺一人では、護れなかった」  悪人面の男は心中で自問自答を繰り返し、悶々とした様で俯いている。 「ああ――なるほどね。ご苦労さん、未熟者よ」  煙草の男が片側の口角を上げて、ニヤリと嘲笑する。 「………」  悪人面の青年は無視を決め込んで、煙草の男の横を通り過ぎる。  勝手口の玄関の反対側。本物の玄関に面している襖の前。青年はそれを開こうと、手を掛けた。 「未熟者が偉そうに欲張ってんじゃねぇよ――過程を気にして最高の結果にケチつけるなんてのは、一流を自負する自惚れだぜ」  青年の背中に届いた声。煙草の男は茶髪の前髪を弄っている。 「……結果に慢心せず、過程を振り返ることは重要だろう」 「結果にミソが付いてるならな。お前は彼女が生きてることに、何か不満でもあるのか?」 「………」 「――・・・それに、たまにはスッキリしたらどうなんだ。常々陰気な顔見せられる方の気にもなってみなさいよ」  煙草の男は壁に寄りかかりながら、ニヤリと笑みを浮かべた。  悪人面の男は、自分の頬を触って顔の強張りを確かめる。……確かに、仕事を成功させた割には、その表情は硬い。 「――ったく、六日も家空けやがって。小言言われるのは俺なんだぜ? 聞きはしないけどよ」  言うだけ言って――。  煙草の男は、ブツクサと愚痴を零しながら、二階への階段を上っていく。彼のいた場所に、紫煙が漂っていた。  悪人面の青年は釈然としない表情をしながらも、「フッ」と、小さく笑っている。  襖を開く。そこは和室。ここが彼の部屋だ。  青年は敷布団だけを敷いて、倒れるように横になった。長いフライトの疲れと、長旅の疲れ。  戦いを終えた侍の休息。夢に見るのは、旅に見た景色と、出会った人々。  眠る侍が目を覚ませば、いつもの日常風景が繰り広げられることだろう。  少し違う点があるとすれば。  配列を滅茶苦茶にされた食器棚と冷蔵庫に、掃除の行き届いていない家屋全体。  それと、どうした訳か。  ウィンナーソーセージの詰まったダンボールが、  台所に――――置かれている―――――。  ―― E N D ++++++++++++++++++++++ ・後書き  これにて、「この惑星の未来から――」・・・  完 結 となります。  長文の読破、誠にありがとうごさいます。  この後おまけと称した補足、蛇足のコーナーが設けてあります。もし、本文中に疑問点などがあり、尚且つお時間が許すようでしたら、是非、一度お目通しくださいませ。  また、よろしければ、これ以外の四聖獣、及びCOINS作品にも触れていただけると光栄でございます。  それでは、いつかまた会えることを願って―――オタッシャデー! 
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