この惑星の未来から/3

 大国の大都市。雑居なスラム街の寂れた狭路。偶然にも巡り合った男と女―――  「私のことを護りに来たの? ニッポンの人――?」  「………!? あ、あなたは……インターネットの――依頼者??」  2人は探るように互いを眺め、やがて視線をぶつけて見合う。   東洋人の男性――「青龍」と、怯えていた少女――「サナ」。  通りすがりの人助けが、まさかの遭遇へと繋がった。  イタズラが呼び込んだ奇跡が―――物語を加速させる………。 +++++++++++++++++++++++++  ―― この惑星の未来から ――  BLOCK-1 | 今を迎える決断 +++++++++++++++++++++++++ SCENE/1 ACT-1 /オープニング  1680年、6月。西洋国家で長年に渡って蓄積されてきた弾圧の欝憤(うっぷん)がついに爆発。  ミランシュラという若者を中心に反発活動(主に反宗教弾圧)が活発になり、やがて大海を挟んだ植民地へと白人大移民が開始される。  各国が躍起になっての開発を推し進める大陸北部に襲来した人々は、いつしかその地を自分たちの新たな母国とするため、力を合わせるようになっていた。  先住民の支配、異国からの労働者調達を重ね、人口は増加。着々と開拓を進め、広大な大陸に多くの資源を見出した彼らは他大陸にある祖国からの介入を拒否。  1700年代も終わろうかという時期にリンギスキングダム(*現リングランド中央政権)からの脱却、即ち「独立」を果たした。  ……つまり、【ジャスティア】という国は多くの民族が様々な経緯の元に集合し、溶け合った結果形成された「人間の集団(国家)」と言える。  ―――独立を果たした【ジャスティア】は多いなる繁栄を経て、1926年の【企業国家宣言】を迎える。  以後、ウィザードギルド(魔導士組合)の暴走である『COINS』が崩壊するまで、国家としての【ジャスティア】は一時的な消滅の憂き目にあった。  ……と、一時期は混乱を生じたものの。現在は世界を主導する立場までに復権を果たし、【ジャスティア】は新たな繁栄を享受している。  それは世界を巻き込んだ混乱がもたらした利益も損失も、結果的に彼らの腹の中へと落ち着いたからであろうか。  良しにしろ、悪しにしろ。『COINS』という組織が残した遺産は今も大国ジャスティアの中で燻(くすぶ)ることを続けている……。 +++++++++++++++++++++++++ ACT-2  【ギシアム=カーター】という男性がジャスティア北部の工業都市『ゾノアン』に定住していた。  長身(193cm)。バスケットボールによって鍛えられたしなやかな筋肉を持ち、スマートな体型ながらも並みならぬパワーを秘めている。  年齢は29と、若いのかどうかは各自判断に委ねられる頃合い。  表立った経歴は順当な学校を進級して、順当な大学に入って適当に中退した半端な存在。  これといって大それた経歴も無く、精々セミプロのバスケットボールプレイヤーだった……という過去が栄光か。それもまともにのめり込まずに早々と止めてしまった。今は大手飲料メーカーの自動販売機を相手にドリンクを取り換える作業によって生計を立てている。  勤務態度は誤っても「真面目」と評価されず、商品に手をつけることもしばしば。  無論そんな調子では仕事を失うのが早く、転々と職を変えていた。  無軌道極まりないギシアムだが。彼の生活は決して貧相ではなく、住居は工業地帯の中でも「居住区」として別格の扱いを受けている地区にある。  女性に目がなく、1月毎に相手が変わっていることも珍しくない。  それでいて恋愛のスタイルは「包容力」に長けるものであり、悪く言えば金銭を用いての“パワープレイ”的な交遊を主力としている。  一介の、ほとんど仕事もこなせていないような大した社会的地位も無いギシアムが、何故ハリウッドスターか成功した実業家のような生活を満喫できているのか―――?  工業都市『ゾノアン』は、今でこそ日本の大手自動車メーカーの工場などを抱えるスマート且つ活発性に満ちた都市だが。つい20年前までは“それほどでもない”片田舎の半スラム街に過ぎなかった。  「ゾノアン」に起きた“革変”は意図されたものであった。  当時最盛期にあった巨大グループ『COINS』が、主要媒体としていた「ジャスティア」内での生産力増加を求めた政策が切っ掛けとなる。  当時の「ジャスティア」は後のことを度外視した供給過多により大規模なインフレーションの真っただ中であり、強引な相場調整によって無理やり「国」という枠組みを形成していた。  そこに「超生産感謝条例」と名称された正気を疑う法令が通り、“工場特需”が発生した。  触りを述べると、「超生産感謝条例」とは……↓ ・早い話、国保協会(COINS)が求める製品を作る人は全力で贔屓(ひいき)する。 ・また、これから作ろうという意志も大歓迎。全力で支援する。 ↑……というもので、経過として多くの州(エリア)や企業が「求められる工場」を作り、結果としていくつかの工業都市が発展した。  もちろん、何処でも誰でも工場を乱立できる訳ではなく、事前に「取るべき場所」「取られる場所」がある程度確定している“出来レース”に近い現象だ。  「ゾノアン」は元より工業化の余地が存在したことと、スラム染みた気風が多少の汚れを紛らわす最善地と判断され、その時代でも有数の発展を遂げた。  その後壮絶な市場崩壊が巻き起こったが、最終的に「ゾノアン」は工業都市としての立場を守り、継続することができたのである。  しかし、一見して過去より治安は良くなったが。急激な発展は基本的にはそれだけのささくれを生んでしまう。  上で少し触れた「汚れを紛らわす」という行為が行われた結果、この都市は“発展の負債”を抱えたまま現在に至っている。  その中でも顕著な例が「都市監視委員」であり、「魔導士組合」の支部に他ならない。  もろもろの理由はあるが。「ゾノアン」において、現在常に疑惑の視線にさらされているはずの「魔導士組合」が依然として“監視”する立場にあるのは事実。  彼らは今でも都市内において大きな権力を誇っており、その派閥内にあるものはいくらかの“欠点”を抱えていても見過ごされる。それが“優秀”な仲間なら尚更であろう。  ………つらつらと述べてきたが。つまり、 『【ギシアム=カーター】は魔導士組合員であり、彼らにとって“優秀”だからこそ、素敵でリッチなライフをエンジョイしているわけです』  ―――ということを認識していただければ十分である。  さて、その「ギシアム」は今日も女を片手にホテルへと帰ってきた。  サングラスと満面なる笑み。白人だが、趣味のサーフィン(本人曰く“本業”)によって肌が黒い。  深い青と赤が交錯する模様のバンダナからドレッドの髪が垂れ、力漲る腕には肩から指先に至るまでこだわりの入れ墨が彫り込まれている。  フロントに軽く手で挨拶をしつつエレベーターを目指す。  天井まですこぶる距離のあるロビーは開放的で、淡いオレンジのライトが全体を輝かせている。  まるで某マウスランドのアトラクションで見るかのような存在はエレベーターであり、ホテル内はもちろんのこと、内部の壮大なショッピングモールも見下ろすことができる。  ギシアムは工業区で拾ってきた女を抱き寄せ、熱く接吻を交わした。 ―――彼は己の住居や職業と照らし合わせて同等のパートナーを探す仲間達を知っている。  魔導士というものは……とりわけ“ここの”魔導士はプライドが高い人間が多い。  ギシアム自身も結構な自信家だが、こと恋愛に関しては彼の仲間達のような価値観を“つまらないもの”と見放す立場をとっている。  ギシアムにとっての恋愛において“立場”は無為であり、無為であるべきだと彼は主張する。金銭に貪欲な面がある彼にとって、その理由の多くが「金」による恋愛価値増減の打ち消しにあることは想像に容易い。  エレベーター内での接吻と包容は。「周囲から見ることが不可能ではない」という緊張感と、「周囲が自分たちの足元へと落ちていく快感」とを合わせたとても興奮できる瞬間であるとギシアムは考案し、“技”として常用している。  タイミングも熟知したもので、エレベーターが到着して開く直前に唇を離した。  扉が開くと、平然としたギシアムの横に若干火照っている女性が並ぶ構図となる。  もし、途中で停止してしまったら……その時は開いた先にいる人間に熱い抱擁を見せつけるだけである。というより、この接吻は“途中での部外者の入室を防ぐ”目的も備えている。  幸い(?)にも人の気は無く、男と女は互いの体をさすりながらホテルの廊下を行く。  ふかふかとした栗色のカーペットに、暖かな光度の照明。  ギシアムが隣の女の額にキスをすれば、ホテルの内部が映るガラスに己の顔を見出せる。  ホテルの吹き抜け。  地上60階の天井から星の光が降り注いでいる。  ショッピングモールの幅を隔ててガラスの対岸。  “シルクハット”の人物は、手元に咲いた薔薇の一輪を小さく左右に振っていた―――。 ACT-3  ホテルの一室。もう何年も滞在している豪華なスイートルームだ。  運動を終えて良い汗をかいたのだろう。しかし、運動とは言えすぐにシャワーを浴びるのはどうであろうか。  案の定。共に腰を動かした女は、事を終えてさっさとシャワーへと向かった「ギシアム」への不満を顕わにした。  「そんなに汚れたくなけりゃ、パーチィでステップでも踏んでいたらどうですか?」などの罵詈雑言が飛ぶ。到底シャワーの音で搔き消せる音量ではなく、ギシアムには聞こえているだろう。  しばらく反応せずにシャワーを浴びていたギシアムだったが、何も聞いていないという風に、飄々(ひょうひょう)とした振る舞いでシャワーを止めた。  落ち着いた仕草で“短髪”を乾かした後。ウィッグによってドレッドヘアーを復活させ、女の元に寄り添う頃にはいつものナリに戻っている。  不機嫌な唇をそっと押さえると、ギシアムは「愛しているよ」とささやき、女の額をなでた。  それでも女の機嫌は回復しないが、ギシアムは 「人と会わなければならないんだ。ごめんね、我慢できずにシテしまったことは謝るよ」  と、弱々しく語りかけた。 「すぐに戻る。戻ったらもっとたっぷり運動しようね」  舐めるように女の頬をなでる。  不満そうではあるが、「仕方ないな」というそぶりでベッドに潜る女。 「すぐに戻るから。愛しているよステイシー」  優しく言い残してから。ギシアムはスィートな自室を後にした――――。  工業都市『ゾノアン』における夜空。  石炭燃料からの脱却は進んだが、だからといって人間がクリーンになったわけではない。  人が多く群れている限り、仕方がない様で環境は朽ちていく。  24時間フル稼働の明かりが密集するのは「工場地帯」。疎らながらも点在する明かりの群生地は「住宅街」。  住宅街にも2つある。「一軒家と高層ビルが多い区画」か「半端なアパートが乱立していて道も入り組んでいる区画」かという違いで、異世界のように常識も生活基準も違う。  疲労で虚ろな労働者が帰路を無言に、葉の無い植物のように歩いている。  週に1度の収入を費やす娯楽の場は、探すまでもないだろう。  小路で拾った空瓶の底を舐める人々は道端に座り込み、労働で壊れた腰と膝をさすっている。  やがて道端に座り込むであろう若い労働員は、未来の自分達をなぶって逃避する。  “フードを被った体格の良い男”はその光景を「自然」であると理解していた。  フードは彩度の低い水色で、両肩で表裏となる『金貨』の絵柄が描かれている。  ドレッドの前髪がフードの影で揺れた……。  これより1時間前。「ギシアム=カーター」が繁殖行為の半ばであった時刻。  突如として鳴りだした電話はとても喧しく、しかもCALLは途切れない。ギシアムは女が怯えないように部屋から出て、距離を十分にあけてから吠えた。  ――とはいえ。面倒は面倒であるが……ギシアムは効率的な考えができる男である。贅沢に女と寝られる理由も、良好な生活水準を保てる根拠も解している。  変に機嫌を損ねて失うこともない、仕事は簡単だ。  それが黄色い猿を一匹駆除するだけだと言うから……帰ってから腰を振る体力も残せる。  ギシアム=カーターは冷静に状況を判断して的確な思考回路を巡って良い結論を自分に提示できた。吠えたのは最低限の“ポージング”である。  ただ、仕事の前に苛立ちが過ぎるのは危険。  よって、ギシアムは居酒屋の壁に寄りかかり、静かに「リンチ」の様子を見守っていた。  目の前では2人の作業服を着た若者が無容赦に脚を振り抜いている。  元からまともに立ち上がることもできなかった道端の住人は、居酒屋と居酒屋の影の中で小さな呻き声も満足に上げられなくなった。  狭く入り組んだ繁華街の影とはいえ、この光景を誰も目撃しないということはない。  だが、誰かがこの光景を目撃したからといってこの光景が変わることもない。  やがて血達磨となった人間を見下げて、作業着の2人は満足気に唾を吐き捨てた。   よくある光景。関わりたくない光景。   そんな光景に、見向きもしていなかった雑踏の人々。   しかし彼らは突然に路地を凝視しつつ、足を止めた。   暴力に恐怖して足を竦めたのではない。   彼らは“秩序の出現”に恐怖していた。  作業着の2人は「バシバシ」と炸裂する、“電線がショートしたような音”に驚き、振り向いた。  先ほどまで何事もなかった空間はエネルギーの迸りを見せ、引き込まれるゴムのように一部が“奥へと伸びて”いる。  彩度の低いフードの頭が姿を見せ、ドレッドの前髪が揺れている。  “何も無い空間から人が現れる”――この異常な状況は、『ゾノアン』の人間にとって「理屈は解らないが知っている」光景である。  両肩に確認できる『金貨』の絵柄はこの街の“正義”そのものである。  左足を空間の歪みから引き抜き、「ギシアム」は呟いた。 「可愛そうに……もう少し早く現場を見つけられたら、助けられたかもなぁ」  ギシアムはそう言いながらも若者2人の頭を鷲掴みにした。 「ま、待ってくれ……」 「違うんだ! このおっさんが先に俺らに――」  若者達は涙を見せて懇願するが、逆効果であろう。  通りを背にしているので、“制裁者”の登場に足を止めている通行人からギシアムの表情は伺えない。  だからこそ、ギシアムは満面の笑顔で2人の頭蓋骨に適度な電流を流せるのである。 「話は向こうで聞こうか。大丈夫、怖くないさ」  感電して奇声を発する2人を、ギシアムは自分が現れた空間の歪みへと押し込んだ。  一部始終を目撃した通行人の中には何やら言葉を交わす姿も見受けられる。  しかし、ギシアムが「楽しい見世物だったかい?」と冷たく聞いたことで、通りの流れはいつもの状態へと戻った………。 +++++++++++++++++++++++++  ―― その幻影は、”黄金世界”への扉を開く鍵 ――  ―― 光の中で、来訪の旅人は遥かな過去を見る ――  ―― 神殿には、綺麗な屍が眠っているであろう ―― +++++++++++++++++++++++++ SCENE/2 ACT―1  ゾノアン居住区、澱んだ空気の流れるスラムの闇。  一日の中で最も暗い時間帯だが、人々の笑い声や怒鳴り声、時折銃声などが止むことはない。元々闇の中のような地で、日差しの有無など今更なんともないのだろう。  外壁が一部崩れたホテル。スラムの繁華街から通りを2つ越えた所に、ひっそりと存在している。  気休め程度だが。ホテルの玄関そのものには錠が掛かっており、住人と管理人以外はこれの鍵を持たない。  ピッキングされてもロビー(玄関)には管理人が常駐している。老年だが、スラムを良く知る、街の古株である。  わいせつな雑誌を目隠しにして眠る管理人。齢70を超えて随分とまぁ旺盛な老人だが……実はそれなりの技を持っており、彼は“玄関が開くと反射的に目を覚ます”ことができる。  常時眠っているようだが、住人の出入りだけはしっかりと把握しており、わいせつな目隠しはこの技能を隠す彼なりの擬態でもある。  よって。今し方扉が開かれ、大人っぽい女が男を伴って帰ってきたこともしっかりと把握している。  女は住人であり、街でも1、2を争うSexyな人。  彼女の生業は知っているが、それにしても……今晩は随分と「危険な筋の人物」を引きつれているな、と管理人は内心身構えた。  連れている男は露骨なくらい危険な目つきをしていて、その上衣類も見慣れないものである。  ……部外者を連れ込むのは喜ばしくないが。彼女はきちんと「場所代」を払ってくれるので問題ない。  危険人物など、掃いても溢れるほど多い街。今更入館拒否もないだろう……。 「ごきげんよう、管理人さん」  女は軽く挨拶をして通り過ぎる。  管理人は何も反応しないが、取決め通りの反応なので無礼なわけではない。  澄ました表情で狭い階段を上る女。付いて歩く男は、「目の前の動く腰」が扇情的過ぎて顔を上げられずにいる。  階段を上りきると、扇情的な女は1つの扉を叩いた。 「ここが私の部屋だよ。どうぞ、入ってくださいな」  などと口上交じりに扉を開く。 「……お邪魔します」  一礼して、言われるままに部屋へと入る男。  女の一人暮らし―――清純な男は隣の女性を“年上の軟派な人”だと想定しているので、視線が落ち着かない。  女の部屋と言えば機能的に整頓された、生活しやすいイメージを男は抱いていた。当然、その心持ちで入室するのだが・・・暗がりの部屋には何故か物陰が多い。  <――カチッ――>  こじんまりとした部屋の電灯が灯される。点灯してまず、部屋の中央に置かれたテーブルが目に入った。  テーブルの上には酒の空瓶が置いてあり、雑誌や食器が我が物顔で居座る。  茫然自失に視線を逸らせばソファがあり、ソファには女性ものの衣類が投げ出されている。衣類なので、当たり前として下着も潤沢に放られており……。 「リビングちょっと散らかってるから~、椅子にでも座ってなよ」  お世辞にも整っているとは評せない部屋の主は、上着をクローゼットに掛けてから洗面台へと向かってしまった。  部屋に置き去られた男。彼はなるべく部屋を詮索しないように下を向いたまま、テーブル横の椅子に腰かけた。 「……ヒッ!」  尻を撫でられた少女のような悲鳴を上げて、男が腰を上げる。  何かケツで踏んだと思いきや、刺激の強い紫ブラジャー様がすでに先客だったようだ。 「ッゲ!?」  触って除けることができない……かといって、椅子はこれ1つ。  男は立ち尽くして物の少ない天井の角でも見つめることにした。  洗顔を終えて女が戻ってくる。 「そう言えば自己紹介がまだだったね。私は“サナ”っての。あなたは―――どうしたの?」  【サナ(女)】が不思議な光景に疑問符を浮かべた。 「お、俺は“青龍”……です」  天井の一点を見上げている【青龍(男)】は上手く動かない口で答えてくる。 「――そう。さっきはありがとね、青龍」  サナは適当にテーブルの上を片付けながら彼に話しかけた。  「さっき」とは先刻撃退した“白いコートの魔術師”のことで間違いなかろう。 「い、いや……あれも偶然で、君が無事―― ウ゛!!?」  青龍は恐ろしい顔つきを一層に険しくする。人でも食い殺さんばかりの形相。威嚇するような表情に、サナは一歩退いた。  戸惑う彼女の服装は、スポーツブラに女性用のボクサーパンツのみ……。  表情は凄まじいが色相は真っ赤。断じて肉食ではない生粋の草食動物は、ゼンマイ仕掛けのカラクリ人形よろしく、ゆっくりと頭を下げていく。  立ち尽くしていよいよ沈黙する男性。不審ではあるが、命の恩人である。それに、一応依頼を受けて来たのだし……。 「?? ま、くつろいで。何なら向こうでもいいよ」  親指を返して指示された部屋。そこには“ダブルベッド”が見えている。  青龍はちらりと見ただけで素早く首を振った。 (……! もしかして―――)  勘の良いサナである。まして、幾多の男性を見てきた経験もある。  どうやら初見にあれほど恐ろしかったこの青年は……一度もリンゴをかじった事の無い、“汚れ無き真人間”らしい。  サナは細めた視線で青龍を観察し、彼が座れないらしい椅子の上に自分の下着を発見した。 「あっ、ごめん。これ、邪魔だったね――-」  さり気なく、さも自分の恥を隠すような初々しい態度で下着を取り払ってみる。  すとんっ、と。 青龍の腰は椅子に落ち着いて「……かたじけない」などと呟いている。  信じ難い。無理やりにでも襲ってきそうな悪人面からは想像もできないけど……。  今となっては。サナの目に映る青い髪の青年はもはや、「少年」でしかない。  あれほど恐れた先刻の自分が情けなくなるほど“頼りない姿”。  サナは肩を落として髪を掻いた。  ただ者ではないことは解ったが、偶然出会えたことで少し期待しすぎていたのかもしれない……。 「お水でも飲む?」  長めのタオルを肩に掛けて、グラスを手に取る。  問われた青龍は黙って頷いた。  冷蔵庫脇に並べてあるミネラルウォーターのキャップを外す。<こぷこぷ>とグラスに注いで彼の前にそれを置いた。 「ど、どうも……」  一口飲んで、ようやく落ち着きを取り戻す青龍。 「――ねぇ、あなたはサナのお仕事を引き受けたんだよね」 「……そう……です。インターネットで、見て……」  毅然と質問を重ねる女と、俯き加減に返答する男。あたかも女検査官による被疑者への取り調べかのような構図だ。  青龍は肝心の依頼内容を思い出し、ようやくに顔を上げた。 「! 君は、命を狙われている――この街の“監視委員”……から?」 「――――・・・」  青龍の眼光は幾分か戻っている。凛々しくも険しい視線に、サナは少し気圧された。  サナが気圧されたのは心に「迷い」や「疑惑」があり、青龍の問いに対して瞬時に返答できないからでもある。  サナは確かに「護ってください」と依頼をした。でも、それは“イタズラ”であり、願いはあったが所詮は【過去】のことである。  ……だが、実情を言えば今もサナは「隠れ潜む生活」を継続しており、諦めきって自暴自棄に書き込んだのが例の“依頼”となる。  依頼は真実だが―――金の用意などしていないし、何から護ってほしいかも曖昧。 /  【大切な人の命を奪った人々】の正体―――それが“魔導士(監視委員)”なのか?  しかし、それでは【父の教え】とつじつまが合わない……  サナは常日頃から“自分の命を狙う者達”について、ネット等で独自調査をしていた。  しかし、それは決して“魔導士のことではない”。  ……ということは。【彼ら】は、「監視委員」と繋がりを持っている?  ―――それとも、単純に「売春」などと今更の罪で正義を執行されそうになったのか?? /  迷い、疑問に悩むサナの頭脳。青龍は黙る彼女の返答をじっと待っている。  サナは横目にその男を見た。日本から来た“汚れも知らない青い男”は、一度内面を知ってしまえばなんとも………  そう、実に―――― 『 扱 い や す そ う 』 ――――だ。  悲し気に顔を下げて……目を細めて眉毛をひそめる。  左の手で隠された少女の口元が、手の影でニヤリと歪んだ。 「―――うん、そうね。サナはこの街の監視委員に“全部奪われた”の……」  虚ろに視線を外して、手を震わせる。  過去を思い出せば、本当の悲しみと恐怖がサナの深層心理を揺さぶってくれる。  6年間の苦労――サナは自らの傷をも利用できるほど、己の心理を巧みに操る強さを会得していた。  涙が頬を伝い、声が掠れている。  演技ではない。真実、偽りの無い“悲しみ”だと相手の感情に訴える。 「あいつらは秩序だ、歴史だと――私を縛って自由を搾取するの」 「………なぜ、命まで」 「サナは、汚れた仕事をたくさんしてきたから―――それ以外、生きる道なんてなかったのに……」 「………」  青龍に、先程までの挙動不審さは無い。  その恐ろしい瞳を閉じ、膝に置いた手を強く握って鼻筋に深いシワを寄せている。 「……君は、何も恥じる事などない……」  歯を食いしばりながら、重い口調で言葉を発していく。  サナは変わらぬ切ない表情のまま、両腕で自分の体を抱いた。 「私はたくさん汚されたけど……同じだけ、彼らのことも知ってしまったよ。だから―――あの人達にとって私は邪魔なんだ。もう、いらないんだ――――」  サナの言葉を遮るように、けたたましく椅子が倒される。  か弱く映る女が、視線を向けてきた。  身を小刻みに震わせて、着物の青き影が勇ましくも毅然として起つ。  若き“侍”は憤怒の感情を抑え、深呼吸をしてから、嘆く女性に精一杯の思いを伝える。 「君は、汚れてなどいない―――そして、何も恐れることはないっ……!」  ―――その青い精神に先行きの想定など微塵も無かった。ただ、胸中に在るのは己が信念の叫びのみ―――。 「 全力で君を護るっ! 俺の、魂を賭して……君を護ってみせるッッッ!!! 」  自らの精神にも匹敵する刀の柄を握りしめ、しっかりと目線を見据えて吠えた。  偽りではない悲しみが、侍の“正義”を最大限に引き出したのである。  サナは軽く俯いてから、涙と共に微笑んで魅せた。  半歩前に出て彼の手を両手でしっかりと握る。  そして、 「ありがとう、青龍」  ―――と、護衛精神溢れる東洋の騎士にお礼を言った。  グっと引っ張って胸の谷間に彼の手を置く。  凛々しくサナを見つめていた青龍の顔面は見る見る内に赤く染まり。その表情は跡形も無いほどにとろけて、彼の口は「あ、いや、あわ」などのうわ言しか話せなくなった。  仕掛けた少女が申し訳なるほど。  この青年はあまりにも素直で、真面目である―――――。 ACT―2  既に朝が近い時刻。  空はまだ暗く、人は睡眠するべき時間である。  長旅に疲れただろう、と「サナ」がベッドへと「青龍」を誘おうとする。  ところが青龍は頑なにこれを拒否し、尚も強引に連れ込もうとすると遂には顔面蒼白となって怯える始末。  さすがにこれ以上はサナも踏み込めず、「ごめんなさい、そんなつもりではなかったの」などと述べて1人、ベッドに潜った。  「そんなつもり」以外に何があるのか不思議でしかたないが、青龍はそんな疑問も持たずに己の意気地を恥じていた。  警戒のために、同じ部屋には居座る。  だが、ベッドから最も遠い部屋の角に陣取る青龍。  ここまでピュアだとむしろ異常性を感じるが。サナとしては余計に抱かれる必要がないことは喜ばしい。  ベッドに入ると、サナの身体が疲労を自覚した。  想定外の波乱に満ちた一日。15才のその身では、幾らも無理を必要とした。  目を瞑るが、この“眠りに落ちる経緯”は人間の豊かな発想を沸かせる時間でもある。  サナは眠りに落ちる前に“意識して考え事をする”癖を持っていた。 /  未だ理由は定かではないが――「ゾノアンの監視委員」はサナの身を狙ってきた。  その実態はどうであれ、ゾノアンが“危険地帯”となったのは確実であろう。  住み慣れた土地ではあるが……正直な所、いつか出たいとは思っていた。  頃合いか―――と、思う。  丁度良い“盾”も手に入ったことだし、この期に旅立つべきかもしれない。  彼の気合はともかく、どこまで役立つかは解らない。それでも、これ以上の機会は無いかもしれないし、想像以上に危機が迫っているかもしれない。  いつだって大切なことは……未練や手間を考えない、迅速な判断。  行動は明日、即。丁度昨晩実入りがあってよかった。  いつも通りの振る舞いで、ちょっと買い物に行く態で……逃げようじゃないか。  ―――決意を決めた。しかし、サナの気丈な瞳からは塩気の雫が静かに流れている。  知り合いも友人も捨てて、会ったばかりの男をたぶらかして逃げ回る……。  自分は一体、何様なのか。どうしてここまで堕ちたのか。  本当は、こんなことは望んでいない。  1人の女として、尊厳を守って生きたいだけ・・・。  自分は、ナゼ? 何故それを当然として享受する女性ではないのか?  何をするにも恥か罪を選択しなければならない、そんなメイワクな人間が醜く逃げ回って、何になる??  そして、それでも生きたいと願う自分は、どれほどに卑しいのだろう………。   一体、どれほど‥‥‥‥‥_______ /  化粧を落とし、着飾る物のないその身体。  1人ベッドに横たわり、日々を涙と共に終える少女。  男が隣にいる日は、相手が眠ってから後を追う。  そうしなければ、見せたくない、今、現在の悲しみを見られてしまうから―――。  人に弱さを受け止めてもらうことを忘れた少女。  ベッドの対角線、部屋の端に座る青年は眠ることなく、瞳を開いている。  彼の精神は真実の1つも知り得ていない。  だが、知るも知らずも違いはなし………  SAMURAIの心に燃え盛る“青い炎の決意”は、決して、変わらないからである___。 ACT-3  工業都市ゾノアンには「隠された警備」が存在する。  彼らは両肩に象徴である『表裏の金貨』を持ち、一般常識を破壊するほどの不可思議な力で「秩序」とやらを護っているらしい。  “らしい”というのも、彼らに関する話題は常にあり、ネットなどでもその名前を目にすることはあるが……。マスメディアでは「存在していない」かのようにまったく触れる素振りが無いからである。  よって彼らは、「確かに存在はしているのだが存在していないものとして振る舞う必要がある」、という奇妙の塊のような集団となっている。  その「隠れた警備」である「都市監視委員」が“魔導士組合”の下部組織であることは前述した。  その構成員である「ギシアム=カーター」も当然のように魔導士であり、分類として「魔術実行者」として扱われている。  魔術実行者(通称、魔術師)は魔術を習得し、実務として実行する人間を意味する。  膨大な種類の魔術のプロセスと結果を記憶する彼らは、それらの相互作用や不具合なども把握しておく必要がある。  理論上、その全てを記録して適切に使用できる魔術師こそが「理想」と言える。  しかし、1つの魔術を扱うだけでも普通の人間には行えない情報処理を脳内で行っていくのである。家で1人の状況で、何の邪魔も無く平穏な環境で実行するのならば「理想」に近い魔術行使も可能であろう。  ところが実際はそうもいかない。  特に実行者ともなれば大概は1秒も無い時間の中で“選択”を行い、それ以外の実質的な行動に時間を取りたいところ。  「スクロール」と言えば。紙に書いてある呪文を非魔法使いが読み上げることで魔法効果を得る……というものを連想するだろう。  これの同音異義語としての「スクロール」があり、それは『事前に自分の中で選択した状況毎に適した術式』の羅列である。「スクロール」という単語を聞いて、これを思い浮かべるようになれば“魔法使い”という立場に傾倒してきた証であろう。  例えば「ギシアム=カーター」は仕事の際に身を隠す術を用意しており、周囲からその姿を(普通には)知覚できないようにしている。  もっとも、彼のそれは『ゾノアンの魔導士達(=都市監視委員)』が用いる常套手段であり、特別珍しいものでもない。  【ギシアム】の優れた所はスクロールの内容であり、通常の2倍に近い数を緻密な関連性を持たせた上で列挙していることにある。  紛れも無い有能なる者であるが。問題は人前で平気に“不可思議”を見せてしまうほどの尊大さであろう。  まぁ、これも彼に限った話では無いのだが、、、。  夜も深まった。  ギシアムがベッドで腹を立ててから2時間が経過。事前に情報はもらったとは言え、たったこれだけで標的を射程圏内に捉えていることは素直な称賛に値する。  詳しい事情など知らないし、知った上で行動しようとする性質ではない。  ギシアムの、仕事に報酬しか求めないその姿勢は“彼ら”にとって「有能」である最大の理由。  大衆の繁華街から少し離れ、より侘しさと貧困に満ちた雑な住居群。  その島国人は何を考えたのか。わざわざこの大国ジャスティアまで駆けつけ、“少女”の傍らに立った。  どこで、どのような経緯でその島国の猿が少女の助けを聞いたのかは知らない。  いくらか名前は知られた剣豪らしいが……どれほどの金額を貰えばこのような無謀をするのであろうか。  彼の祖国が誇る奇術士NINJA(忍)とSAMURAI(侍)では、侍に勝ち目は薄いらしい。  それはそうだろう。銃と剣どころの話ではない。“魔術と剣”では考察するのも馬鹿馬鹿しい事だと笑いが込み上げる。  薄汚れたホテルの鍵を開けて、セクシーな雑誌を読みふける管理人の横を「見えないギシアム」は難なく通った。  狭い階段を酒に酔った男がふらふらと降りてきた。酔った男は……当然だが、「見えない者」を避ける様子は無い。  鈍い激突音が狭い階段に響く。  いい心持ちで階段を降りていた男は、“道路にへばり付くカエルのように壁へと押し付けられた理由”を理解できるはずもない。  酔った男は階段に倒れ込み、自分以外誰もいないはずの周囲を虚ろな眼で見渡していた………。  部屋には少女が1人と標的がいるはず。彼らの部屋に見えないまま侵入して、少女が怯えないよう、静かに標的を“引きずり込む”。後は他からは見えない環境で好きなように殺してしまう――これがギシアムの今夜の仕事計画。少女の“確保”は命じられていないので、後は帰るだけの楽な作業。  開く音に注意して、そっと扉を開いた。部屋には少女の小さな寝息がある。  可憐な脚だ。暗がりでもベッドに見える脚は月明かりに照らされて、肌の艶やかさまではっきりと確認できる。  標的であるSAMURAIは律儀に部屋の隅、少女の対岸の位置に座っていた。  窓枠で前髪だけ色彩を伴って確認できる。  ・・・簡単な仕事は少しだけの面倒を抱えたと、ギシアムは肩を竦めた。  暗がりに沈んだ青い髪の侍。その眼光は光の反射を受けずとも、鋭くギシアムの姿を見据えているのが良く解る―――― 「彼女を不安にさせたくない。場所を変えたいのだが……」  青い髪の侍は座ったまま、静かに提案する。 「驚いたな。陰気な日本人でも女性への気遣いができるのかい?」  ギシアムは「見えないはず」のまま、侍を指差して笑みを浮かべた。  青い髪の侍は挑発に答えず、静かに立ち上がる。  怖がらせたくないのはギシアムも同じなので、率先して部屋を出た――。 $四聖獣$ +++++++++++++++++++++++++  SCENE/3 ――工業都市の夜景は人工の美――    ホテルの屋上。    コンクリートのタイルを通り抜け、彩度の低いフードの人影が出現する。 ――夜空に星は少ないが、くすんだ空気に輝く月は眩い――    ホテルの屋上。    鉄の梯子を昇り、青い髪の侍が降り立った。 +++++++++++++++++++++++++ 「狙いは、俺か――」  侍は鞘から刀身を抜き出す。 「Yesだ日本人……ただし、あくまで“俺の任務は”だけどな」  軽い様子で返す『ギシアム』。 「……事情はしっているのか」 「知っていたら何かに反するものなのかい?」 「……俺なら、“正義”に反する」  月を背負う侍の、中段に刀を構えた姿に揺れはない。それは体勢が安定していることを意味していた。 「女の1人を護るのがあんたのBeliefかい? 不相応なJusticeは身を滅ぼすぜ?  ――俺ならそのくらいは誓うまでもなくこなせるがな♪」  フードの内側が輝き、袖口から電流が迸る。ドレッドの前髪は発生した空気の流れで巻き上がり、彫の深い日焼けた顔がよく判別できた。  ギシアムの足元では火花が弾け、「ガシッガシッ」と削れていく。 「島民の分際でよく俺の姿が見えたなぁ、魔法はどこで習ったんだい?」 「………」 「ふふっ、次のStageだ……シビれちゃいなよッ、日本人(ジャパニーズ)!!」  ギシアムが左の腕を振り上げると“電流の帯”が発生。  水平に飛ぶ雷が侍を襲うが、それは彼の持つ刃に触れると呆気なく霧散した。侍は少し刃を傾けただけで、ほとんど動いていない。 「――チッ、Good。受けるのは正解だ……回避じゃぁだめだったな」  イラついていた……元より、ストレスは消化しきれずにここにいる。  ギシアムは仕事を熱心にこなしたいのではない。スマートに終わらせたいだけである。過程で刺激的なことなど求めてはいない。  それに体力もあまり使いたくはない。帰ったら女が待っている。そっちは刺激的が良い。  だからこそ余計に腹が立つ。ほとんど動じず軸のぶれない、丁寧な間合いの詰め方が実に気に食わない。 「BUSHIDOUかい? ……HARAKIRI、TOKKOUしろよ、日本人ッ!!!」  そう言って、ギシアムが中指をおっ立てて吠えた時だった。  見ていたはずなのに、視線を逸らしてはいないのに……  ギシアムは――侍を見失った。  消えた……自分達は日常的に姿を消して見せてはいるが、これもその類なのか?  ギシアムはすでに対応策を使ってはいるが、見えない。  それはそうであろう。彼は術式を用いた事象に対する手法で対処しようとしているが、侍は互いの呼吸を計り、繰り返していた緩急を利用して大きく右へと跳躍しただけなのだから。  身を屈めて人間の死角へと潜っていた侍の刃は既に、ギシアムを間合いに捉えていた。  日本刀の鋭い刃が空気ごとギシアムの体を斬り抜ける―――。  切り裂かれた魔術師の身体。しかし、そこには笑みがあり、「見つけたよ」とでも言いたげな、歪んだ口元が存在した。   ギシアムが首を横に回して、裂かれた上半身を仰け反らせる。切り裂かれた彼の傷口は、“黒い霧”として霧散し、そしてまた集っていく。  侍は手応えの無さに気が付いたが、その時には既に頭蓋を逞しい指で鷲掴みにされていた。  腕の入れ墨が透明感のある輝きを放っている。 「ウぅガァアアッッウウッツッ!!!?」  侍の絶叫が屋上に響いた。  強力な雷撃を直接頭部に流され、侍の手足が激しく痙攣。彼の青い頭髪は焦げて、煙が上がっている。 「――ほう、案外耐性が強いな。大したものだ」  ギシアムは不満気に呟くと、青い髪の男をアスファルトに叩き付けた。 「っ……が……っ!」  呻きながらも半身を起こす侍。 「おいおい、女を起こしたくないんだろう? 静かにしようぜ、なぁ??」  蹲る侍の肩を叩き、声を出して笑う。真っ二つになったはずの身体は、すっかり元通りになっている。  電流が体を駆け巡り、立つこともままならない侍から刀を奪い、ギシアムはそれを放り投げた。  次に。侍は立ち上がれないようなので、ギシアムは優しく肩を掴んで立たせてあげた。  “ドスッ”――と、重い打撃音。  侍は腹に受けた拳の衝撃で、体をくの字に曲げた。彼はどうにか踏ん張り、なんとか倒れずにこらえている。 「ははっ、Ok、Ok! “拳闘”しようぜ、日本人」  挑発するように、軽くシャドーボクシングをしてみせるギシアム。 「知ってるか? これがジャブさ!」  シッ、シッ、と口を鳴らしながら侍の顔面を小突く。  軽い衝撃でも倒れそうな侍。しかし、彼はたたらを踏んで後退しながらも、どうにか立っている。 「リングじゃ魔術は使えないが……ストリートならなんでもありだぜ?」  「シィッ!」と一際大きな呼吸で右の拳を突き出す。  かろうじて避わした侍だが、その風切音が素人の拳ではありえない音だと理解できた。明らかに生身の拳ではない。  体内の信号伝達を弄ることで成し遂げられる、自己強化の技……。  デッキ・マスターと呼ばれる『魔術師ギシアム』にとって、お気に入りの魔術の一つである。 「これ以上は体力を使いたくない。解ってくれないか?」  ギシアムは右の拳に一層の力を込めて、激しい電流を漲らせた。  彼のイラつきは限界寸前。気持ちは女の感触を堪能したい一心にある。  とっとと猿一匹殴り殺し、女を拉致して面倒を終わらせよう……彼はそんなことを思った。 「くたばりなッ、死にかけの虫ケラ!!!」  ―――その右手は輝いていた。いや、“銀に染まっている”と表現した方がより正確か。  指先を伸ばし、矢じりの様に尖らせた侍の右腕は、銀に染まっている。  それは彼の家に伝わる秘術であり、本来刀剣の切れ味を研ぎ澄ます輝きだが、彼は応用によって刀剣以外にもこの秘術を用いることを可能とした。  銀の輝きは魔力の結晶反応が放つ光であり、それは単に切れ味を鋭くするだけでなく、霊魂や魔術体を物理的に切断してしまう神秘的な性能すら与える。  右腕を伝わる鮮血が、銀染を紅く濡らしていく。  ギシアムの拳が振り抜かれる前。  振りかぶって胸元に隙を作ったことは、ギシアムの油断を象徴したことであり、また、敗因でもあろう。  彼の胸部は侍の腕に貫かれていた。 「! ン……っ 、! ?? ウ!??」  困惑するギシアムだが、機転の利く彼は咄嗟に霧散して、距離をとった。  だが、霧となって逃げるその身からも、流れる血液は止まらない。  屋上の端まで逃げて、ギシアムは空いた胸部の応急処置を始めた。  まさかの反撃ではあった。しかし侮ったのではない。偶然だ、偶然たまたまのピンチに過ぎない! ……と、彼は必死に精神の秩序を取り戻そうとしている。  危機的だが、まだ巻き返せる。  一度引くか? ……いや、ないだろう。  何せギシアムだ。自分は【ギシアム=カーター】、俗人共の支配者。  圧倒的優位の存在であり、優れていることを疑わないギシアムの自惚れは、彼の選択肢を狭めた。 「……ちくしょうッ、日本人! SAMURAI風情が!  俺をっ――この、ギシアム=カーターをっ………ふざけるな!!」  息も絶え絶えに、霧状の人型はぶつくさと悪態を吐いた。 <ちゃり……>  金属の擦れる音。  ギシアムが朦朧とした顔を上げると、刀を拾った“侍”の姿が目視できた。屋上の暗がりに佇む侍の、青い頭髪が月の光を浴びている。 「へ、へへっ……刀は効かないよ、OSAMURAI-SAN! さっきやっただろう? 忘れたのか、低能ボンクラ!!」  吠えて嘲笑うギシアム。  侍はふらふらとしながらも、ギシアムのもとへと近づいていく。その刃は先ほどの彼の腕のように、“銀に染まっていた”。  ギシアムは自分の胸を貫いた侍の腕がどうなっていたのか確認できなかったが、何故か呼吸の加速を抑えられない。 「クソがっ! いいか、死ぬのはお前だ!」  霧状のギシアムが左腕を振り上げると、電流の帯が宙を奔る。しかし、それは侍の刀に吸い込まれるように掻き消え、消滅した。 「………ふざけるな! いつも通りさ! 余裕に仕事済まして、金を貰って――部屋で女に突っ込む! そうさッ、Repeat!!」  再び電流の帯が宙を行くが、やはり刀に触れて消滅した。 「おい、聞いてんのかFuck野郎! 俺の人生はてめぇみたいなカスで終わらないんだよ! 俺が“正義”! 俺が“秩序”! そのくらい解れ、ゴミカスッ―――!!!」  ゴミカスッ ―――それが、【ギシアム=カーター(29)】の遺言となった。  銀に染まった刃が通り抜ける。  霧状の切り口は血肉となり、アスファルトに飛び散った。  断末魔も無く、次第に肉体へと戻りながら、ギシアムの半身は屋上の冷めた床に落下した。  侍は頬の返り血を拭いながら肩で息を吐いている。  刀身を鞘に仕舞い、顔を上げて荒い息を夜空に吐き出す。  くぐもった夜空の月が、彼の青い髪に色彩を与えていた。 「………口の悪い相手だったな」  何気に心が傷ついた侍は、心身疲労を抱えたまま鉄の梯子を降りていく。  屋上に残されたギシアム。  彼は完全に息絶えるまで、自分の無敵を疑うことは無かった―――――。 $四聖獣$ +++++++++++++++++++++++++ ACT-?  「私」はエレベーターに乗っている。  景観から高層ビルに囲われたショッピングモールのように見えるが。これでもホテルの内部である。  高級ホテルの60階。ここまで来ると眼下のショッピングモールはただの煌きの塊にしか見えず、高すぎる地点の虚無を感じる程である。  エレベーターの扉が開くと『薔薇のアーチ』が出迎えてくれた。  左右の廊下を見渡せば……ガラスは全面不可視のコーティングを施した黒色で、栗色の絨毯はそれが解らない程の薔薇の花で覆われている。  ここの住人の感性はいざ知らず。私にとっては「鼻を突く臭いの階層」でしかない。  刺々しい薔薇の茎も靴底の前には無力だが。ここを素足で駆けるアトラクションは見世物にしても悪趣味で、良い趣味と形容することが難しい。  願っても実現し難い光景は。初見に“優美”よりも、不気味さからくる“恐怖”を人の感性に植え付けるであろう。  この薔薇の階層を決まった距離歩くと、楕円形の風船が乱雑にある地点へとさしかかる。  私はその地点で風船の1つを無作為に踏みつけた。  <パンッ!>と弾ける音がフロア(階層)に響く。  薔薇の棘はちょっとの圧力でもゴムの薄膜を突き破り、破裂させてしまう。  風船の1つが割れてから10秒経つか経たないか。そのくらいのタイミングですぐ近くの扉が開かれた……。  中からは“シルクハットを被った表情の伺えない人間”が姿を現す。 「…..やぁ。よく来たね」  恰好で誤魔化してはいるが、かなり華奢な体格である。  声も若葉な年ごろにある少年のように静かで――落ち着いている。  それでいて周囲の“ケバケバしい情景”さ中に在る様は異様。知人になっても一定の距離は保っておきたいと思わせる、“危機感”を内包しているかのようだ。 ―――私はこの後、シルクハットの人間から“任せたい仕事”の話を聞いた。  どうやら私の部下が仕事で逆に始末されてしまったらしい。  まぁ、態度に問題があったのでそれほど期待していた人物ではないが……いや、亡くなった人に対してこの言い様は無礼だったな。  それに、あれでも私の部下。一度一緒に酒を飲んだこともある。  「復讐」を掲げると良い結果は生まない。遂げた後に「報告」する冷静さが必要だ。一度深呼吸をしておこう。  ……しかし、彼女が言っていた【鍵の舞踊】とは一体、何のことであろうか?  遺跡とやらの単語から廃れた風習か何かか………。  丁度、私の“友人”に考古学が趣味と豪語する男がいる。  一度、彼に聞いてみるのも手かもしれないな――――――。 Block1:今を迎える決断 END ――『 この惑星の未来から 』――
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