この惑星の未来から/4

$ 四聖獣 $ +++++++++++++++++++++++++ SCENE/1 ACT-1  その男は『ロキ』と呼ばれている。  本名は「ジェイス=クロコップ」だが、ともかく彼は「ロキ」と呼ばれている。  朝露が工場の外壁を伝い落ちる。  朝霧が構内を霞ませる情景は曲がりなりにも幻想的であり、心を落ち着かせてくれる。  早朝の紅茶時間は彼にとって当然のものである。  毎朝決まったプラント(工場施設)構内の一角、周囲がよく見渡せるテラスにて紅茶を堪能する。これによって一日の始まりを安定して行えるからだ。  母国の香りが鼻を抜ける最中、目を瞑る。まぶたの裏には膝下ほどの草地が広がり、煉瓦作りの家屋に煙突が見える。  草原に乗っているくすんだ空。白く、細い雲が流れていく。  ああ、愛しき思い出よ! 耳を澄ませば愛犬リッパーの遠吠えが――――― 「 おはよう“ロキ”! 」  意識の彼方より連れ戻され、現実に叩きつけられた。  目を開けばアスファルトの地面が広がり、鉄筋コンクリートと鋼鉄で形成された“プラント”が怪物のように聳えている。  突き抜けるように空を裂く巨大な排煙塔達から、色の濃い煙がもうもうと・・・。 「―――お早う、ティヴィ。調子は良いかい?」  現実の景色に溶け込むような、ネズミ色の背広を正して振り返る。  ここから盛んな30越えの年齢。一般的に働き盛りで脂の乗った頃とされるが、【ロキ】の顔には早くもやつれた気配が漂っている。  「ロキ」の視線は彼に声を掛けた人間へと向いており、それは見慣れた彼でなければちょっと驚く容姿である。  まるでアニメーションのディフォルメされたキャラクターのように目が大きい男性。  ギョロギョロとしたその瞳を見ていると「仮面を取りなさい」などと言いたくなるが、これが素顔なのだからどうにも取れない。 「調子かい? そうだなぁ、今日が曇りで、仕事の日じゃなければ好調だろうね!」  ギョロ目の男は下唇を噛んで首を横に振った。  お面のようにリアリティの無い顔を持つこの男は、【ティヴィ】と呼ばれている。  ピエロのようにひょうきんな動きに反して、態度そのものと口調は落ち着いた印象。どうにも本心が掴みにくい……あるいは、常に本心を見せているのだろうか。 「それで、お仕事の内容なんだけど……これが抽象的過ぎてね。具体的に、僕は何をすればいいのかな?」  「ティヴィ」は体を無駄に動かして、ポケットから缶コーヒーを取り出した。  ロキは若干に不機嫌な表情を出したが、溜息と共に困った表情へと戻す。 「だから、鍵を取りに行くのさ」  急いで紅茶を飲むロキ。 「ほら! だから、“鍵”って何なのかね? うン?」  首を左右に傾けながら缶コーヒーのタブを起こすティヴィ。  いよいよロキは顎を上げてカップの中身を飲み干した。 「っぷぅ―――ん、そうだな。鍵ってのは少女のことさ。その子を五体新鮮なまま手に入れることが今日の業務だ」  漂うコーヒーの香りに嫌気を露わにしているロキ。だがティヴィはまったく気が利かないのか、平然と缶コーヒーを飲んでいる。 「なんだ、誘拐かね。僕は好きじゃないなぁ……殺してしまうよりも気が重いからね」  ギョロ目の言葉に共感して1つ頷くロキ。しかし、仕事は仕事と心の中で割り切り、手すりに寄ってプラントを遠目に眺めた。 「――しかたないさ。この街で“プロヴォア”には逆らえないだろう?」 「そうかね?」  ギョロ目の気楽な見解に。「とにかく組織ってものは面倒だよ」と、ロキは溜息交じりに答えた―――。  :赤い顔の“ある人”/ あいつはもう、導く者などではない! 「……そうだ、マックイィーンがいないじゃないか! 僕は遅刻してないのに!」  ティヴィがその大きな目をさらに見開き、口を細めた。 「あー~、“彼”はほら、この時間はトレーニングだろ? そっちが優先なのさ」 「なんてこった! あいつは減給が怖くないのかね!?」  同じ顔を思い浮かべて―――ロキは呆れ、ティヴィは舌を出して顔を歪めている。  :赤い顔の“ある人”/ そうだ、悪魔だ! 我らを騙した、奴が悪い!  ――同時刻。工業都市「ゾノアン」の外れ。  木々に囲まれた泉のほとりに、メリハリのある動きが在る。 「フンッ! ハッ! フンッッ!!」  激しく手足を動かす人間の姿。  拳を空に突き出し、膝をカチ上げて虚空を斬る。  雄々しく、凛々しい表情に朝日が影を作っている。  足首まで泉に浸かったその人物の足元……  :赤い顔の“ある人”/ 歴史など無かった! 奴は悪魔だ! 魔物だッ! 「 イイェアッッ!!! 」  朝もやに沈む水面は‥  そこに“動きなど無い”かのように‥  静寂を、保っている―――――――――― +++++++++++++++++++++++++   ―― この惑星の未来から ――   BLOCK-2 | すれ違いの闘争 +++++++++++++++++++++++++ ACT-2  古く、外壁の塗装が剥げたホテルの一室。  少女の身体がベッドの上で起き上がる。片方の肩にだけ掛かったブラの紐が悩ましい。  透けたカーテンからほのかな明かりが部屋を照らす。  艶やかな肌が照らされて、肌が小麦色の色彩を得た。  【サナ】は呆けていた。何か特別変わったことがあるわけではない。純粋に、朝が苦手だからだ。 「……おはよう」  単語がそっと、「サナ」に差し出される。  呟かれるような挨拶に気が付いて、サナは部屋の対岸、角っこに視線を置く。 「うん、おはよう――【青龍】」  顔にかかっている長い前髪を手クシで上げて、彼女は穏やかに微笑んだ。  ……しかし、せっかくの少女スマイルもここでは無意味。  部屋の対岸に座る侍―――「青龍」は視線を床に向けたままサナを見ない。  いや、「見たい」とは思っているのかもしれないが、「見れない」のだろう。 「……朝ごはんにしましょうか。作るから、待っていて」  やっぱり頼りなく見える“少年”の様子に呆れながら、サナはベッドからゆっくりと降りた。  サナの言葉に青龍は何か言おうとした―――が。  健康的な小麦色は、艶の良さで光が当たると良く反射し、淡い白に見える。  “目の前を横切る長い脚”。これによって少年が一人、言葉を飲み込んで更に塞ぎ込んだ………。  サナは早い時間が苦手。だからか、朝食は量が少なめで「朝食こそ健康の要!」という青龍の主義に反して簡単な代物。  サンドイッチにミネラルウォーター……メニューは以上に御座います。  恐ろしい顔の青年の対面に座ったサナは、彼が着ている衣類の首元が黒ずんでいることを見つけた。 (汗のシミかしら? 随分と汗っかきなのね―――)  朝食の席で、サナは青龍に提案した。「この街を出たいの――」と。  そもそも「何時まで、幾らで護るか」というビジネスとしての話題が一切出ないままの提案である。遠出となり、その移動も護るのならば……ここは料金を跳ね上げるチャンス!  ―――が、青龍には1ドルたりとも取る意思が無い。というより、仕事だという考えも無く、「当然として助ける!」という想いのみである。  “昨晩”の状況からも、事態は深刻だと見ていた青龍はあっさりとサナの要望を受け入れる。  万が一、こんな場面を彼の相棒が見たのなら。きっと頭を小突いて「引っ込め」と言われているところであろう・・・。  言われるがまま。青龍はサナの荷物整理を手伝うが……ほとんど常に目をつむっているので完全なる役立たず。  サナはあまりに“臆病”なヘタレに苛立ちを感じていた―――。 ACT-3  ――早朝。  繁華街には昨晩の酒が抜けず、通りに転がっている人がチラホラある。  長い黒の髪を揺らす、堪らないスタイルの女が行く。  その後ろを付いて歩く男は、異常な目つきで服装も見慣れない。  街を離れる――すなわち旅立ちだというのに、サナの持ち物は手提げの鞄1つ。もとより放浪生活で、現地収入を頼りに生きてきた彼女は「物」に対する愛着が弱いらしい。それとも、いずれ失うことを考えると物や人に、深い愛着を持てないのだろうか……?  侍の持ち物も黒く長い布1つなので、なんにせよ「旅立ち」には見えない。都合は良い。  砂が剥き出しの路面を歩く2人。 「まずは車ね。大丈夫、当てはあるわ」  サナは自宅の庭のように知り尽くした居住区をドンドコ進んで行く。  暗がりの路地に入れば、物陰で小さく震える人間が散在している光景が目に入った。  青龍が警戒してサナの前に歩み出る。 「?――ああ、いいよ、大丈夫。彼らは怖くないの」  青龍の肩を軽く叩いてから、サナは軽快な歩調で進み始めた。  「怖くない」と言われても見るからに危険な環境に思える。階段に座り込んで独り言を呟く男や、ゴミ箱を椅子にしてジっ―と見てくるやつれた女。  普通に考えて避けるべき通りだが、サナは平然と歩いている。たまに「ハァイ、元気だった?」などと住人に声を掛ける余裕ぶり。  度胸があるのかコツを知っているのかはともかく。青龍は毅然として危険地帯を行く、目の前の魅惑的な尻の女性に感心していた……。  危険な路地を抜けて。通りの突き当りのような場所に辿り着くと、そこには一際派手な看板の店が構えられている。  ピンクの文字で“ミキーおじさんの店”と大々的に銘打たれ、電飾の看板がこれでもか! と点滅を繰り返す。  一目見て「派手だな~」くらいの感想をもたらす看板だが。肝心の店舗自体は錆び尽くしたトタン板で覆われており、店主自慢の大きなシャッターすら鉛と酸化鉄のカスみたいなマーブル色。  サナはゴミ処理場の廃棄施設を連想する大きなシャッターを叩いた。 「おじさん、起きて。サナが来たよ」  何度も何度も、ガシャガシャとシャッターを鳴らすサナ。  横の青龍が「寝ているのを起こすのか?」と言っている。制止しようとしていたのだろうが、その半端な音量はシャッターを揺らす音に掻き消された――と、サナは解釈した。  横の真面目人間を無視して乱暴なノックを続けていると、シャッター横の扉が開く。 「や、よく来たね、サナちゃん! ……しかし、できれば“こっち”をノックして欲しいかな」  中から出てきた人間は――なるほど。店の外観を擬人化したかのようだ。  極彩色の眼鏡にテキトウに染められたカラフルな頭髪。頭部の装飾で金銭が尽きたことが一発で解る、油塗れのランニングシャツと穴の開いたトランクス一丁という出で立ち。一部の過度な装飾が他の貧相感を際立たせて、結果的にもの凄い残念な仕上がりとなっている。 「おじさん、シャッター開けて。早く、早く!」  サナが大きなシャッターを指差して急かす。店主の【ミキーおじさん】は「しょうがないなぁ」と、困りながらも照れた様子で店内へと戻った。  サナはおもむろに、両耳に自分の人差し指を差し込んだ。  青龍はポケ~っと突っ立っている。  「ミキーおじさん」が店内に戻ってからほんの少しすると……。  <キィキキキキキ…!!!> という、金切音が一帯に響き始める。 「うおっ!?」  精神を針で刺すような刺激音。青龍が毛を逆立たせる思いで耳を塞いだ。 「あっ、ごめん。言い忘れた」  すでに耳を指で塞いでいたサナは軽い調子で謝ったが、聞こえてないのでまったく伝わらない。  下っ手クソなヴァイオリン演奏のような異音は一分近くも続いた。  最中に向かいのアパートから酒瓶が投げつけられ、どこかの奇人が奇声を発したが、毎朝の恒例行事が早まっただけのこと。サナも店主も悪いとは思わない。  大きなシャッターが上がりきると、「ミキーおじさんの店」自慢の“ミキーおじさんの作業倉庫”がその全容を顕わにする。  作業倉庫内は意外と本格的な広さで車影も4つは確認できた。ただし、この内2つはタイヤも窓も無いスクラップ状態。整備の途中という様がアリアリである。 「ほいほい、開けたよ、サナちゃん」  開いた倉庫口にミキーおじさんが駆けてきた。朝だと言うのにフレッシュなことである。 「うん。じゃぁ、1台ちょうだい」  サナが当然として言い放つ。視線の先では屋根の無い車が眠っている。 「あいよっ1台―――・・・ぁ、え???」  ミキーおじさんは勢いのまま手を打ってはみたが……すぐに表情を固めて首を傾げた。 「これいいな、塗装も終わってんだね。うん、サナ、これが欲しいな!」  ツカツカと倉庫に入って“淡い水色のオープンカー”を撫でる色気の女。  ミキーおじさんは瞬きを異様に多くしている。 「ぁ――え、買うのかい? じゃぁ、値段はだね……」  ようやく気を取り戻して、ミキーおじさんが電卓を取り出す。  これを遮ってサナが指を指した。 「ねぇ、“ 青龍 ”。あなたもこっちの車がいいでしょ?」  サナの視線。ミキーおじさんを通過し、倉庫の外に見えるは―――・・・  サナの視線に釣られて、ミキーおじさんが首を動かす。  振り返ると、さっきはサナの後ろに隠れていた男の姿。  “その男”の眼光は異様に鋭く、動きを見せたミキーを半眼で睨んでいる。  青い頭髪に、見慣れぬ服装――ミキーおじさんはそれが「日本の着物である」と知っている。そして、日本映画マニアのミキーおじさんは、「侍」を知っていた。  狂眼なる青年の腰元・・・あの細長い黒い布の中には―――ま、まさか!?  ミキーおじさんの脳裏に、「和製の鋭利な物」が連想された。 「ああ、構わないが……」  半端な音量で戸惑いながらサナに答える青龍。彼の中では「車なんて買うお金あるの?」と、そっちが気になってしかたがない。  ミキーおじさんには青龍の心情など知り得ない。半端な音量は威圧感に満ちて、惑いの表情は睨み顔として映っている。  生唾を飲み込んでミキーおじさんは動悸を抑えた。 「―――おじさん?」 「う、うひゃっ!?」  オープンカーのボンネットに腰かけて、麗しい瞳を向ける色香の女。  車の売り手は派手な眼鏡がズレるほどに動揺した。 「彼は気にしないで、サナを“守ってくれるお友達”だから」  気にしないで、と言われても無理がある。ミキーおじさんは「守るってつまり‥」などと勘ぐって、まともな思考ができていない。  紹介されたと思って青龍は律儀に頭を下げた。しかし、この仕草は丁寧過ぎて静かな「威圧」を与えてしまっている。 「おじさん――サナはちゃんと払うから……ね?」  車に腰かけているサナは胸元に指を掛け、布地を伸ばして胸元を更に露出させた。  柔らかな二子山の狭間。飛び込みたくなる芳醇な実りがそこにある。 「な、……いいの?」  今度は別の意味でミキーおじさんが唾を飲んだ。 「おじさんの気が済むまでいいよ」 「……ほ、本気かい?」  ミキーおじさんはサナの生業を昔から知っている。ただ、最初から年の離れた“少女”を見守る立場にいた……けれども。本心の本音の深層を言えば「い、一度くらいっ!!」と思っていたことは真実。 「サナ、困ってるの。助けてくれたら―――お礼しなきゃ、ね。車はレンタルでもいいから、いいでしょぅ?」  サナが視線を逸らす。その表情には恥ずかしさと、若干の屈辱を魅せながら。  とって付けたような感謝の言葉も耳にこそばゆい。ミキーおじさんは強く鼻息を噴いた。  ……青龍は何の交渉かいまいち理解できていない。それそのものの“予測”はあるのだが。「まさかそんな~」くらいで、ピン! とこない。  ショッピングするかの如く車の代金を身体で支払うなんて……そんな物々交換みたいな話があるかな? ―――程度の認識であろう。  何より。それで支払うつもりなら、強引にでも止める意思は既に形成されている。  青龍がやや身構えている間に、サナはミキーおじさんと少し会話を交わしてから何かを受け取った。 「それじゃ行こうか、青龍」  サナが“キー”を鳴らして合図する。 (あれ、車の鍵? 何の支払いも済んでないみたいだが……)  青龍が疑問に思いつつ倉庫内に歩み寄ってくる。 「じゃぁね、おじさん。“戻ったら”すぐ来るから――できるだけ、優しくしてね?」  恥ずかしそうに言うサナ。  ミキーおじさんはとても良い笑顔で「大丈夫、凄く優しくする!」と頷いている。  ―――この会話で青龍は疑問を感じた。「戻る」って言ったって……旅立ったらもう、「戻らない」のでは?? いつ、何を支払うつもりだろう? 「サナさん待ってくれ。君はもう、この街に――――/  /“ 運転 ”お願いね、青龍」  青龍の言葉は呆気なく遮られ、返答を余儀なくされる。  そしてこの要望は、真面目な正義感男の些細な疑問を吹き飛ばすのに十分だった。 「運転……え、いや、俺は――ほとんどしたことないし……」  非常に困った様子で狼狽える目つきの悪い青年。  サナはいぶかしげに鍵を揺らした。 「うそ! 運転、できるでしょ!?」 「1、2回しかない。しかもどちらも事故を起こしている……自信が無い……」  もごもごと呟いて視線を外す青龍。弱々しいその仕草に、呆れ果ててサナは首を振った。 「ハァ――あ、そ! ならいいよ、サナが運転するから!」  眉を吊り上げて、サナがオープンカーの運転席に飛び乗る。  機嫌を悪くさせてしまった。……申し訳なさそうに助手席に座る青龍。 <ガオォッ!>  唸りを上げる車体。排煙を噴き出すマフラー。淡い水色が倉庫から出でると、日差しが舐めるように車体を輝かせた。 「気ぃつけてね、サナちゃん!」  ミキーおじさんが駆け出して見送ってくれる。サナは片手を振ってアクセルを踏み込んだ。  路地を走り始めるオープンカー。  なんだか落ち込んでいるらしい隣の少年に「どうしたの?」と疑問を投げかけるサナ。嫌がらせではなく、本当に落ち込んでいる理由が解らない。  一方、細かいことを気にする性質の青龍は――「いや……すみません」と、何故か謝った。  謝られる度に気分が落ち込む。サナは「元気出してよ!」と苛つきながらも励ました。  青龍の「……うん」という小さな呟きと共に、微妙な沈黙が生じる。  車が通るような広さには見えない危険な路地を、60km近い速度で走る屋根の無い車。  飛び退いて避けるこの場の住人達は、「おっかないなぁ……グスン」とその車影を見送っていた―――――。 +++++++++++++++++++++++++ ACT-4  朝露が工場の外壁を伝い落ちる。  プラント(工場施設)構内の一角、周囲がよく見渡せるテラス。  「コーヒーの香りに汚染された!」と憤慨な「ロキ」は、背広の糸くずを摘まんで空に放した。 「揃ってから業務開始で良いよね??」  ギョロギョロと目玉を動かして、非現実的な顔の男が椅子に腰を下ろす。 「残念……立ち上がってくれ、ティヴィ。既に勤務時間だ」  背広とワイシャツの袖をずらして時刻を確認する。クロノグラフを搭載した輪国製の腕時計が、ステンレスの光沢で輝いた。  ご自慢の時計を確認する時、ロキはご機嫌な表情を浮かべる。 「ええっ、正気かい!? もう座っちゃっているというのに!」  ティヴィは身を縮めて声を張り上げた。 「だからなんだ、いいから立ちなさい」  時計から目を離すと、ロキの表情はすっかりやつれた形に戻っている。胃でも痛めているのであろうか。  必死なティヴィは「この子を愛しているんだ、離れたくない!」と椅子にすがって訴えるが。ロキは冷静に、「早く行け」と返した。  ようやくに諦めてのそりと立ち上がるティヴィ。 「仕方ないね。標的の住居を教えてくれよ」  この男、目も大きければ口もデカい。その裂けたように大きな口からは、尖った犬歯が見えている。 「これだ――じっくり見とけ」  そう言ってゾノアンの一部を示した地図と、建物の写真を提示するロキ。  突き出された2つの資料を“ギョロリ”と見つめる2つの眼球。 「……ん、オッケー。それでは行ってくるね――――“ヤれヤれ”」  3秒も経たずに、資料から嘘みたいな顔が遠のく。  ヤれヤれ ―――ティヴィの語尾は震えていた。  感情によるものではない。理由はもっとシンプルに、物理的である。  遠のく最中からキグルミのような顔が激しく揺れている。  両腕も震え、細く伸びて、伸びて……片腕だけでも3m以上の長さに達した。  首は関節を忘れたかのようにあらぬ方向へと曲がり、頭部は鎖骨へと埋まるように沈んでいく。  細く伸びた腕から幕のような皮膚が薄く垂れ下がった。手の5指からは骨が突出し、垂れた皮膚を導き、尖る。  衣類はいつの間にか体毛と化し、薄暗い紫の色が全身を覆った。  広げた“翼”は日の光で透け、脈打つ血管網が黒く目視できる。 “ 僕ハ太陽が嫌いだっテ、知っているダろウ―――??? ”  怪物は変形に震えながら。豚のような鼻をヒクつかせつつ人の言葉を発した。  コキコキと翼の関節を鳴らして深く息を吐く。『巨大な蝙蝠(こうもり)』となったティヴィは、手すりにぶつかる翼の先を気にしている。 「今更何を―――で、その“サイズ”は目立つんじゃないかな? ティヴィ」  高さだけでも2m、翼幅7mを上回る巨体の影から、ロキは冷静な指摘を与えた。  至極もっともである。こんな怪物が空でも飛んでいれば、間違いなくニュースになる。「不思議な体験ね、アハ!」では済まされないだろう。 「ア・・・・・・解っていた、解っているさ!」  言葉と共に弾け飛ぶ巨体。  砕け散り、ボタボタと落下する破片―――いや、目を凝らせば…… 「「「「「「「「「 ほら、これでいいだろう?? 」」」」」」」」」」  同じ言葉が複数重なって聞こえた。  ロキが視線を下ろすと、そこには不気味なことに。10匹程のギョロ目の蝙蝠が誇らしげに翼を前後させている光景がある。  一匹一匹“小さい”とは言い難いが……まぁ、現実的なサイズではある。 「それで良い。それでは、行ってらっしゃい――ティヴィル君」 「気が乗らないねぇ……」 「それでも、まぁ、」   「行くしかないか」    「これも仕事――」 「マックイィーンめ、」  「サボりやがって!」    「後で憶えていろよ!」  次々と放たれる言葉に顔を顰めるロキ。  「報告はきちんとしてよ」と一言発しただけで、多様な返答が返ってくる(方向性は同じだが)。  騒がしいティヴィ達はしばらく愚痴を投げつけた後、ようやくに飛び立った。  大型の蝙蝠の群れが「ゾノアン」の空を渡って行く……。  騒乱の光景が終わり、静寂が訪れる。  ロキはがっくりと肩を落として溜息を吐いた。  うな垂れるネズミ色の背広。  5分後。  彼はノウノウと現れた“ラバースーツの黒い人間”とのやりとりで、更なる疲労を被ることになる‥‥‥。  大型の蝙蝠の群れがスラムの居住区に飛来した。  群れは古びたホテルの一室にとりつくと、窓から中を眺めている。  バサバサとうるさいので、疎らな通行人は野次を飛ばした。  ギョロ目の蝙蝠はフンを落として野次馬に答えた後、方々へと散って飛び去る。  蝙蝠達は口々に言う―――「もぬけのカラだ!」「やっちまった!」「ピンチ!」。  蝙蝠達は飛行しながらも更に2つに分裂し、倍の量となって「ゾノアン」を空から捜索し始めた。  この時。 彼らが追い求める少女はまだ、「ゾノアン」を脱してはいない――――――。 $四聖獣$ +++++++++++++++++++++++++  早朝のゾノアン。各工場では日勤の中でも早い手番の人間がぞろぞろと出勤してくる。  まだ本格的な業務前。居住区の通勤者も疎らで、道は空いている。明け方まで続く酒乱の宴が嘘のように静かな時間帯だ。現実に戻って住民の気力が低下していることもあるだろう――ただし、酒気を帯びた人間が道端に転がっていたりするので、のどかとは言えない。  閑散とした眠りの繁華街。いつもと違う点と言えば、“大きく揺れて飛ぶ生き物”が若干見受けられることくらいか……。  科学スモッグの世界を飛ぶ哺乳類は何を思うか?  彼らは只管に焦っていた。夜闇を好む彼らは、日差しも気にせず探している。  まずいことは「この街から出てしまう」こと。その前に、せめて“目を付けておく”必要がある……。  捜索する半端物の哺乳類の内、一匹がそのギョロリとした眼を見開いた。  発せられる超音波。同類のみに伝わるメッセージの内容は、「ミツケタ! ミツケタ!」である。   停車している屋根の無い車。   隣接する店舗の扉が開かれて、青い髪の侍が姿を見せる。   日差しを受けて鈍く輝く車体。   警戒する侍に次いで出てきたのは、色気の強い女だった――。 SCENE/2 ACT-1   キーが回されてエンジンがかかる。エコの発想が希薄な時代に造られた車体から、排気の煙が噴き出された。  雑居な居住区を屋根の無い車が駆け抜ける。街路には人が少なく、早朝の逃走劇は快調に再開された。  くすんだ水色、言い換えれば青っ気の強い灰色のカラー。  問題無く走る様からして、“無料”で得たにしては良い品だ……。  左座席でハンドルを握る「サナ」は日差しに備えてサングラスを掛けた。実年齢にして15の少女だが、運転に迷いは無く、こなれている。  助手席の「青龍」は日差しを受けて厳しい目つき。彼はその日差しを遮るように地図を眼前に広げた。 「……ハイウェイって……どれだ??」  ぼそぼそと地図を睨んでいる青龍。鋭い眼光は紙を貫くほどに思える。  しかし、この厳しい表情はすなわち困惑の現れであり、彼はどうにも地理が掴めていない様子。  ―――通説に。男性は空間把握能力が発達しやすく、地図の理解に優れると言われる。そこからすると青龍は、一般論は一般論でしかない、という良い見本であろう。文字が読めないわけでもなく、大陸の形くらい見たことあるだろうに・・・。 「青龍、“こう”だね」  運転の片手間に、紙をぐるりと180度の回転。サナは思わず微笑んだ。 「……す、すまん」  ひっくり返って本来の姿を取り戻した地図。青龍は謝罪したが、それは地図にであろうか。 (・・・・・・)  さて、まともな姿になった地図だが――だからといって青龍の知識が何か進展したわけではない。  一層に険しい表情で「……どのハイウェイ?」と呟く。 「縦にずっと下まで伸びてる太いのがあるよね? それを目指すよ」  言われて見れば、確かに見えた“ジグザグにひかれた縦の線”―――。  通称、『ペネ・ハイウェイ』と呼ばれる高速道路。  北は北極近海から南に下り、ジャスティア西海岸(もしくは中西部)と経由して神聖大陸(南ジャスティア)を通って大陸南端まで。複数の国を縦にまたがる長大な高速道路であり、ジャスティア国内では基本的に無料。  実態としては複数のハイウェイを総称したものだが、多国に渡る主要道路として関連各国が連携して整備している(ただし、地域によって整備程度は異なる)。 「……国外まで逃亡するのか?」  地図を見て青龍は心配そうにサナを見る。 「そこまで行くつもりはないけど、必要ならしかたないよね。とりあえずここから離れたいから、その道なら手っ取り早いかな――って」  大通りを避けて裏手に、裏手に。街の影を沿うようにハンドルをきるサナ。  信号は無いが、入り組んで狭い道ではそこまで速度は出せない……が、存外と危ない勢いでハイウェイを目指すオープンカー。度胸を要する運転だ。  サナは『ゾノアン』の外をほとんど知らない。  幼い頃、放浪したことはある。しかし、それは結局短い距離であり、しかも徒歩やヒッチハイクであった。  先ほどは地図を正してみせる冷静さを発揮したが。実の所、“ゾノアン外への道”といえば「ペネ・ハイウェイ」くらいしか知らないのだ。  その上、隣の青年は頼りになりそうにもないので、意地による独断で道を選択している……と、思っている。  サナは、自身の無意識に気が付いていない。  彼女の選択する進路は、自分の血脈に導かれていることに、気が付いていないのである―――。 「なるほどぉ………・・・」  聞くだけ聞いたら無言となる青龍。サナは重い溜息を吐いている。  何が少女を悩ますのか……?  普通、これまでの経験から――  車があれば「乗りなよ!」とばかりに颯爽とハンドルを握り、沈黙を予測すれば「ところでさぁ!」などと率先して口を開く。ややもすれば、「まぁ見てなよ!」なんて具合に車・衣類・雑貨と、己を誇示するかのように調達してみせる‥‥‥。  “男性”といえばそんな生き物であり、これらができなければプイと放り出される生物。  当たり前だと思っていたし、現に男性達はサナの意見に「その通りさ!」と共感してくれていた。  それが、どうしたことか?  かくも奥ゆかしきものである。助手席の男は「自信が無い……」とハンドルを拒み、「すまん……」とことあるごとに謝り、「いいのか……?」と僅かな悪事にも否定的。  刺激もへったくれも無いこの男性。駆けつけてくれたことで「運命」のような輝きを見たのだが……。  少なくともサナは今、「がっかり」とした気分である。 /  重苦しい沈黙の車両を捉える無数のギョロリとした眼球。  ゾノアン上空に散っていた“彼ら”はすでに、集合を終えていた―――。 +++++++++++++++++++++++++ ――工業都市の早朝、人は疎ら。   工員用の安アパートが林立する一帯にさしかかるオープンカー。 ――排ガスの雲など貫いて、荘厳な輝きに陰りを見せない恒星。   左右を背の高いアパートに囲まれて、景色に影が満ちている。 +++++++++++++++++++++++++ ACT-2  アパートの密集する路地裏の抜け道。ここさえ越えればハイウェイが近い。とっとと町から遠ざかって一息つきたい所である。  陰気な通りが続いて、その上車内は沈黙。運転するサナの横顔は酷く冷めていた。  その冷めた女性の横顔が気になっている青年――背中にはじっとりと汗をかいている。  「青龍」は無口な人間――という訳でも無い。一言一句、発言のたびに「これを言って大丈夫かな?」と慎重にも考え、結果的に言葉が少なくなるだけである。相手の心を汲もうとし過ぎて、結果的に行動が起こせない。殊更、話題を切り出すことにかけては天性の不得手にある。  無口ではない―――そう、“口下手”なのだ。  いっそ無愛想な無口の方がクールで格好良いかもしれない。当人としても、「話したいが上手く会話ができない」ってのは辛い。  その上繊細である。青龍は無言の時間に比例して、何故か罪悪感を背負っていく……。   風になびく女の長い髪。   青い髪の男は表情が険しい。  ―― 地上ぎりぎり。地を這うように飛んで迫る、無数の黒い影 ―― 「……サナさん、その――君は……」  静寂を打破しようと口を開く青龍。勇気を振り絞った起死回生を求む行動。  しかし、話しかけられたサナの反応は異常だった。 「 !! えっ――ええっ!!!? 」  言葉を遮るサナ。何をそんなに驚くことがあるのか?  彼女は悲鳴のような声を張り上げると同時に、ブレーキも踏んでいた。  タイヤを焦がして速度を落とすオープンカー。  フロントガラスの先に見える、奇妙な存在。  不思議なことである。  オープンカーの進行先、それもすぐ目の前に立つ、人間が1人。  飛び出したのではなく、しっかりと前を見て運転していたサナの視界に突如として“現れた”。  その際に散らばっていた影が密集する瞬間をサナは見たが、認識できたわけではない。  解かっていることは「車の進行上に人がいる」ということだけである。  砂埃が巻き上がり、路面にブレーキ痕が刻まれる。朝の静寂がゴムの擦れる甲高い音と鈍い衝突音によって引き裂かれた。  鈍い音は2つ重なっており、程度の軽い方は青龍がフロントガラスに頭を打ち付けたものである。  では、もう1つは……?  停車した車の中で事態が飲み込めないサナは呆然としていた。しかし、すぐに気を取り直して車を跳び出す。  極度の緊張がサナの意識を混濁させて、尚且つ感覚を研ぎ澄ましている。  息が荒く、首筋の脈動をはっきりと感知できるほど、サナは平常心を失っていた。  停止した車の5m先。そこには、大の字になって道路に倒れている人間の姿がある――。 「あっ……あああ………」  いくら裏に生きてきたからとはいえ、人を殺した経験などないし、暴力的に傷つけたこともない(精神は別として)。  それだけは嫌だった。命まで、人の過去と未来を奪ってしまったら……もう、人ではいられないと恐怖していたから。  サナの頭の中は、轢いてしまった人への心配で満ちている。自分が狙われていることなど、一時的にも意識から失っているようだ。  ――と、いうことは。この“事故”は実に効果抜群であったといえよう。  サナはご覧のままに狼狽して、よろよろと被害者に迫っている。地に仰向けで倒れている男の顔面が一風変わったものであることなど、気にする気配も無い。  男の口が若干に開き、やけに鋭い犬歯がちら見えた。 「 止まってくれ、サナさん 」  鮮明で毅然とした青年の声。  いつの間にやら車を降り、凄惨な事故現場において至極冷静。  落ち着きつつある砂埃の中、青龍は腕を横にして遮り、サナの前に頑固にも立ちふさがった。 「せ、青龍――サナは、サナは……」  制止されても前に進もうとするサナ。助けなければ、どうか助かって……と完全に視野が狭くなっている。  心情を察して―――というほどに器用ではないが。青い髪の侍は、遮る腕に強い意志を込め、客観的な判断を下している。 「大丈夫……車に戻ってくれ、サナさん」  向き直る。青龍は彼女の目をしっかりと見据えた。  人を射殺しそうなその険相。しかし、相反することだが―――。  サナの血の気は引くどころか、動悸が落ち着きを取り戻して心が温まり、呼吸が徐々に整っていく。  睨まれれば睨まれるほど。どうしたことか、サナは“安心”していた。  一方、視線の当人である青龍があれほど怖気づいていた女の顔、サナの眼を直視できている理由。それは意識が他に集中しているからであり、いわば「仕事人」の意識へと移行したからである。   早い話が“緊急事態”だと青龍は理解していた。 「――うん、解った」  サナが言われるままに車へと戻ろうとする。  彼女の後ろ姿を見守りつつ、青龍は手にしている布の包から、一振りの刀を静かに取り出した。  その背後では、倒れている男がゆっくりと  ―― 磔刑に処された人間が磔台ごと起こされるかのように ――  四肢を大きく広げた姿勢のまま、踵を起点にして起き上がっていく。  ……異様な光景である。  四肢を広げて起き上がる動きは人間の常識に当てはまらず、  丸い頭部には赤色のギョロリとした眼球が開かれ、  耳の近くまで裂けた口には鋭く長い牙が見えている。  異様な気配にサナは振り返り、そして異形の様を確認した。  非現実的な動きを認識したことでサナは恐れたが、腰を抜かして座り込むほど弱い気性ではない。怯えながらも走り、車へとどうにか乗り込んだ。  風が吹き抜け、乾いた路面の汚染された砂が舞い上がる。  鞘に刀身を収めたまま。『侍』は向きを変え、ギョロ目の人間を睨み付ける。  四肢を開いている男は、滑らかな動作で直立の姿勢を成した。 「バレちゃったね。ギシアムを“斬った”だけある、大したものだよ」  ギョロ目の【ティヴィ】は深く頷いて、その上小さく拍手までしている。  侍の【青龍】は昨晩の人物を思い出しつつ、鞘から刀身を僅かに引き出した。 「……彼の仲間か。できれば、穏便に済ませたいのだが………」  威嚇を込めた動作。鈍く、チラ見える焼刃が輝いている。  どちらが仕掛けたかはともかく。一度命を奪ったら、争いは簡単に治まらなくいのが世の常。継続されて、どちらかが尽きるまで殺った殺られたは続く。  「ティヴィ」は自分が“死んでしまう”なんて発想はまずしていないが、彼なりにも物事がスマートに片付くのが望ましいと思っている。できることなら、最後に談笑して握手の1つでも交し、晴れやかな気分で去りたいものだ。 「僕はあまり交渉が得意じゃない。だから、術も何も無く、“これ以上譲歩できない”って条件を提示するね」  ティヴィは3つ歩いて立ち止まる。 「僕からの提示は、実に理解しやすいだろうね。ともかく、“あの少女を僕らにください”――たったそれだけさ」  軽快な動作で屋根の無い車を指差すティヴィ。  視線を感じて、車内のサナが顔を伏せる。  ギョロ目のティヴィはまた3つ歩いて立ち止まった。  ディフォルメされたコミックのキャラクターのような顔。赤い瞳をいっぱいに見開くと、大リーグで用いる野球ボールと同じほどに巨大となる。  相対するは、鬼神の如く、怒りの化身かと思う程に威圧を増す双眼。  目尻は尖り、瞳孔は細り、歯ぎしりが聞こえる苦悶の表情。 「……こちらから言えることはただ1つ……“それだけは許さん!!”」  声を張り上げて、目の前の仮面顔を一括する青龍。  あまりの迫力に気圧されたか。ティヴィは大きく仰け反ってしまった。 「わぁお、大した意志だね――それには敬意を表するよ」  しかし、これは“仰け反る”と単純に表記できるものではなく、直角に後ろへと体を倒して“逆向きに90度のお辞儀をしたまま停止する”という異様な動作である。その上彼は姿勢を維持したまま平然と空に言葉を発している。  「 まぁでも、世の中はさ、“正しければ勝つ”ってことも―――ないよネっ!! 」  仰け反っていたのは、反動を作るためだった。  角度にして180度――つまり、普通は成し得ない角度から『頭突き』が放たれたことになる。  < バキッ! > と、樹木の幹がへし折れるような音が響く。  ティヴィの頭部は青龍目がけて振り下ろされたが――思えば大きな予備動作である。  青龍は余裕をもって半歩横に逸れ、太刀を鞘ごと、力を込めてギョロ目の頭部に激突させた。  意表を突くつもりの頭突きだったのか? しかし、それにしても呆気ない――・・・。 「……ん!?」  太刀の柄を握る力を強める。  動かない。固定されたように太刀が動かないから、力を込めている。  背筋に悪寒が奔り、青龍は咄嗟に鞘から刀身を引き抜いた。一足に跳んで不気味なお辞儀姿から離れる。  ――丁寧過ぎる礼をしていたティヴィが、ゆっくりと顔を上げた。  その大きな口に鞘を咥えて、長い犬歯で懸命に砕こうとしている。しかし、どうにも砕けないので彼は鞘を吐き捨てた。 「ペッ――う~ん、硬すぎるね。不味い!!」  嬉しそうに笑うティヴィ。巨大な口には、犬歯以外の鋭い歯並びが窺える。 「口直しが必要だ――ねぇ、そう思うよね?」  両手を中途半端に上げて、両肩を揺らしながら迫る。  生ける屍のような動きの最中、人形のような頭部が一歩ごとに落ち着きなく傾いた。  常軌を逸した異形がいよいよ露骨となり、車内のサナは恐怖のあまりに目を反らした。  青龍は首の骨を1つ、2つと鳴らして体をほぐしている。 「妖怪変化に偏見はないが……あいにく、人喰いだけは見過ごせない」  剥き出しとなった刃を中段構えに据え、張り詰めた緊張感を漲らせる青龍。  ――人間として成立し難い形相と、人間が行えない挙動から判断して。  「ティヴィ」は確かに人間ではない別の生物ではあるのだろう。しかし、どこか「生命の違い」とは異なる凄味が混じっているようにも感じられる。  青龍は平静を装いながらも、内心では警戒と推測に追われていた。 「やだなぁ、人喰いだなんて! 僕の好物は熱々の“たこ焼き”だよ?」  ティヴィはケラケラと声を上げて笑っている。 「知っているかね、たこ焼き! 美味しいんだよ。最初は悪魔の混入物かと思ったけどね。そう言えばアレは君の国の産物か! なら、知っているね??」  和やかなトークで場の緊張を解きほぐそうとしているらしい。油断を誘う戦術か、それとも単に畏まった空気が嫌いなのか。 「………」 「ジャンクフードとして完成された姿とも実感するね。まぁ、ただ――ドレッシングは、ね」  人差し指を立てて「チッチッチッ」と、口を鳴らす。 「君はソースかい? それともマヨネーズ?   僕はねぇ、新鮮な 血液 が好きなん――― ダッ!!! 」  言葉の終わりに合わせて大股に踏み込むティヴィ。  文字通り、股が裂けるほどの開脚である。  対する青龍は小賢しく緩急などをつけてはいない。完全な“静”から、瞬間的な“動”へと移行しただけである。  相手の踏込に合わせて、半歩左足を前に出す。  両断を目指したので、刃の根元から一気に引き斬った。  振り下ろされた刃は人体を斬るにはあまりにも障害なく、嘘みたいな頭部から腰元までを分断―――刃の切れ味が鋭い……それだけでは説明がつかない、このぬるい手応え。  あたかも生クリームの塊に包丁を着け、刃の重さに任せて切り裂いたかのような順調さ。  違和感しかなかった。明らかに、人体を切断したとは思えない。  縦一線の切れ込みが入ったティヴィの身体は分かれて、左右にだらりと傾いた。  切断面は白の混じった赤色で、蝋の香りが青龍の鼻に掛かる。しかし、それは単に蝋の香りと評するにはやけに生臭い。  切断面には一切の臓器が見えず、細かい血管のようなものが濃い赤色で網目のように浮き出ているだけだ。出血もあるが、滲む程度のものである。  時間にして数秒。  青龍は目の前の物体が何なのか、これを整理するために動きを止めてしまっていた。 「アばぁっ!」 「ヤッてくれたナ!!」  “左右の上半身”が、それぞれに半分の口を動かす。  切断面から生えるように“反対側の上半身”が形成され、いよいよ人間としての姿は原型を留めない。股を開いた下半身に、2つの上半身が生えているという造形。  双頭の怪物ではなく、「双身の怪物」。  青龍は咄嗟に後ろへと跳んだが、双身の怪物は4つの腕を伸ばして青龍の四肢を個別に掴んだ。 「……!?」 「「そぅれ、高い高ぁ~いっ!!」」  楽しそうな2つの上半身は青龍の身体を容易く持ち上げ、オープンカーと反対の方向へと放り投げた。 「……くっ!」  空中にて回り、刀を持ちながらも受け身で降り立つ青龍。  自分を投げ飛ばした怪物を見ると、それは完全に2つに分裂している。  彼らの内、「1人のティヴィ」が脚を作りながらも青龍へと突進した。  これまでフラフラとした歩みしかしていなかったが、中々どうして。腕を垂らした奇妙な走法ながらも、速度は出ている。 「ひゃっほぅ! 飛び込みだぁいっ!!」  駆けるティヴィは両手を重ね、ミサイルのような姿勢で飛び掛かった。  これを見てひらりと跳躍し、踵を振り上げる青龍。  すれ違いざまに足を振り下ろし、地面へとティヴィを墜落させた。 「ぷぎゃんっ☆」  ふざけた悲鳴で地に伏すティヴィ。  痛みは無いのか。まだ、愉しそうに笑っている。 < きゃぁあっ!! >  着地の間際。甲高い悲鳴が鳴り響いた。  何事か、と青龍が声の方角へと向く。見れば、オープンカーを巨大な蝙蝠が襲っている危険な状況が網膜へと映し込まれた。 「しまった!」  怪物の片割れに出し抜かれた、と青龍が歯を強く噛み合わせ、同時にすぐさま駆けようとしていた………のだが。  左脚が動かない。地から離すことができない。  動かない左足に激痛が生じ、「ぐっ」と唸りが出る。  青龍の足首には1体の巨大な蝙蝠が噛みついていた。 「 おいひぃね♪ 」  甘噛みなのだろうか。深々と牙が刺さったわけではない。  しかし、鋭い牙によってすでに出血は始まっている。  ティヴィには余裕があったのだろう。  彼は変わらず楽しそうな表情で血を啜り始めたのだが―――。  ギョロリとした眼球で見上げた青い髪の青年。桜色の髪飾りが耳元で揺れている。  青年が持つ刀剣の刃が輝く。日差しが強く照らしたのか? いや、どうも違う。  彼の持つ剣の刃は――染まりゆく“銀の色”に輝いているらしい。  地べたに伏して血を啜っているティヴィは、大嫌いな色合いを見て笑顔を失った……。 「いやぁぁぁあっ!」  継続している悲鳴。  普段は大人を演出している少女も、危機的状況において本来の年齢に相応しい、ヒステリーな声を甲高く響かせていた。  屋根の無い車は襲うには容易い構造である。何せ、上空から簡単に車内へと干渉することができるのだから。 「やめてっ、放してっ!」 「落ち着きなよ。怪我でもしたらどうするね?」  ハンドルにすがりついてサナは必死に抵抗している。  翼幅4mを超える巨大な蝙蝠は、その足で少女の身体を掴み、上空へ連れ去ろうと頑張っていた。 「落とさないから。こう見えて力には自信があるんだよ!」 「そんな問題じゃないっ!」  落ちる落ちないではなく。根本的に、連れ去られることを拒んでいるサナ。  蝙蝠のティヴィは「んもぅ、我が侭な……」と、豚のような鼻を鳴らした。 「 仕方ないなぁ……あんまりこういうのは好きじゃないんだけど―― 」  力強く羽ばたいていたティヴィは、サナの頭部を片足で掴み、無理やりに自分の方へと向けた。そして、そのギョロリとした目でサナの瞳を覗き込んだ。 「ひっい……う、ぅ―――」  すると、なんということだろう。怯えていたサナは次第に言葉を失い、茫然とした表情で一切の抵抗を止めてしまったではないか。  意思を失い、人形のように静かな少女。  さっきまでの喧騒が消え去り、羽ばたく音だけが残る。 「う~ん、これで楽に運べるけど……」  少女の肩を両足でしっかりと掴んで飛び上がる蝙蝠。 「ますます人間の所業じゃないっていうか――卑怯な気がして参っちゃうな~」  明らかに人間ではないお前が何を言うか! という感じだが。  ともかく、ティヴィはまんまと少女を無傷のまま捕獲して、無事に事務所へと連れ―――・・・ 「ぅン??」  すでに上空である。高度は建造物の2階相当。  そこにおいてティヴィはほんの一瞬、“どっちが地面か”解らなくなった。  ――人は地面を走る。人に限らずとも、走るならば地面と相場が決まっているだろう。  これを逆に言えば、人が走っている面は“地面”であるはずなのだ。  ……そんなティヴィの既成観念が今、破られている。  そびえているアパートの壁面。それを駆けあがっている青い影がある。  そいつはティヴィの飛ぶ高度を超えると、壁を蹴って跳んだ。 「あれ、あれ……ウソでしょ???」  ティヴィの混乱はともかく。  青い影――それは青い髪の侍であり、彼は煌々と輝く銀色の刃を携えていた。  空中で横一線に振るわれる刀身。銀色の線が巨大な蝙蝠の胴体を撫で斬った。 「ガぎゃぁあぁぁぁぁ!!???」  巨大な蝙蝠は悲鳴を上げている。何故なら“痛かった”からだ。  傷口から煙が発生し、熱さと痛みで苦しむ蝙蝠。  蝙蝠はショックのあまり、掴んでいた少女を離してしまった。  それを見た青い髪の侍。蝙蝠の胴体に足を当て、“下へと”跳ぶ。  傷口を蹴られて「痛てぇっっっ!!?」と蝙蝠が絶叫した。  蝙蝠はきりもみ回転でくるくると、アパートの壁面に衝突して階段へと墜落していく。  落下する「サナ」。それほど高くはないが、このまま落ちれば無事では済まない。  蝙蝠を蹴り、少女の身体を空中で掴まえ、抱える。「青龍」は身を返して落下に備えている。  両腕に抱えている少女で近づく地面が見えない分、重大な覚悟を要した。 <ズンッ――!>  衝撃で砂煙が舞い上がる。  抱きかかえているので受け身を取れず、青龍は止む無く両足によってモロに衝撃を吸収した。  激しく神経が痺れたので、顔を歪ませて必死に耐えている。痛みもあるが、むず痒さもある、奥歯が痒くなるような感覚。  これを疑似体験したいのならば、3時間くらい正座してから一気に立ち上がると良い。 「――ん、あれ………き、きゃぁぁああっ!!?」  衝撃によって意識を取り戻したサナは、再びに鋭い悲鳴を轟かせた。 「さ、サナさん、俺だ――青龍だ!」  苦痛に歪んだ表情のまま、鋭い眼光をサナへと向ける青龍。 「いやぁあああっ、やめてっ、放してっ!!!」  パニックを起こして暴れるサナ。目を覚ましたらあまりにも極悪な面があったので、突発的に癇癪を起してしまったのだろう。  青龍は「お、落ち着いテ!」と説得するが、どうにも治まらない。彼女を下ろそうにも足が痺れて屈めない――手も足も出ないとは、この状況であろう。  女性の悲鳴と男性の呻くような声がスラムに木霊する。  時刻も時刻なので、アパートから顔を出して様子を見る人もいた。  しかし、大きな騒ぎは発生していない。  アパート脇と道中には、倒れている異様な生物があるはずだったのだが………。  ――空中で斬り、蹴られた蝙蝠は既にその姿を消していた。片割れであるもう一体の巨大蝙蝠もまた、跡形も無く姿を消している。  数少ない目撃者はその朝の出来事をこう証言した―――。 ・男性/60代/工場勤務 『女の悲鳴が聞こえてよ、寝てたんで“うるせぇな”といった調子に顔をだしたのよ(窓から)。ほしたらよ、“バサバサー”つって。こんな朝っぱらからなぁ……“蝙蝠の群れ”が俺っちの目の前を通ったのさ。ズビュビューって! これが喧しいの、ほんとに! しかも蝙蝠ども、俺っちの顔に糞なんか引っ掛けやがってよ―――許せんよな、ほんと!』 ACT-3  ゾノアン上空――無数の蝙蝠が上下に揺れて飛んでいる。  思いもよらぬ反撃を受けた蝙蝠達は上司の元へと向かっていた。  彼らは口々に云う。 「ううっ、」 「ちくしょう……」 「ちくしょぉぉうっ!」 「結構体積失っちゃったなぁ……」 「銀は卑怯だって!」 「厄介な奴、」 「ただの銀ならギシアムは斬れないね――」 「憶えていろよ!」  愚痴を放つ蝙蝠達は飛行しながらも訴えていた。  今し方自分達が受けた体験と、悔しさを。  彼らなりの音波とは別に、上司の脳へと直接伝えていた―――。  ――工場施設の一角。周囲がよく見渡せるテラスにて相槌を打っている男。  背広姿のくたびれている彼は、脳裏に映し出された報告を淡々と整理していた。  男は情報を聞き終えて「――よし!」と何かを決する。 「“マックイィーン”、待機だ。まずは合流してから追うぞ。『目は付けた』から、焦る必要は無くなった―――おい、聞いてるか?」  背広の男が振り返って指示を出したが、それは独り言と化していた。  気が付いたら自分1人のテラス。先ほどまで部下が1人いたはずなのだが……。 < ヴオォンッ、ヴオォンッ! >  工場施設に響く重厚な音。  背広姿がテラスから身を乗り出すと、眼下で唸っている大型のバイクが見える。  それはデジタルエイジな姿をした3000ccのモンスターマシーンであり、これに跨る人間はマシーンに見合わないほど線が細い身体をしている。  手袋を鳴らして両手にはめる。  バイクゴーグルを装着して、首元のゴムを伸ばして口を覆った。  全身黒のラバースーツ(ライダースーツ)で身を包んだその人は、見上げた上司に向かって軽く敬礼し、何か叫んでいる上司を無視して工場施設の外へと走り去った。  そこに残ったのは、霞んでいく豪快なエンジン音のみ‥‥‥。 「・・・・・・」  呆然と空を眺める背広の男。  彼は膝を折って地に着き、手すりに寄り掛かってうな垂れる。 「……どうして歩調を合わせないのさ! チームだろうっ!?」  彼は怒り心頭に、手すりを叩いて不満を顕わにしていた………。  背広の男は【ロキ】と呼ばれている。本名は「ジェイス=クロコップ」らしいが、ともかく彼は「ロキ」と呼ばれている。  ロキは、自分の部下が失敗を重ねていることに焦りも感じたが――正直、部下の失敗はそれほど気にしてない。  彼はそのことより。まったくもって計画を成せない己の才覚に不満を抱いている。  我が侭なシルクハットの人。  あの姿を思い浮かべるだけで、胃が痛む思いがしていた―――――。 Block2:すれ違いの闘争   END From ――『 この惑星の未来から 』―― $ 四聖獣 $ +++++++++++++++++++++++++ ACT-VIEW/History.  昔、昔。遥かな昔のこと―――  チチェル族は優雅で平穏な時代を謳歌していた。  2人の神がチチェル族を愛しく見守り、一族の平穏を護っていた。  チチェル族は神に感謝し、神殿を作る。  神殿に入り、祈ることで2人の神はその輝きを更に増した。  木々と風に護られた繁栄はチチェル族の祈りの賜物である。  ……ところがある日、平和を愛する神を恐ろしい怪物が襲った。  それは稲妻の鱗で覆われた、蜥蜴の腐れた顔を持つ鳥の魔物である。  鳥の魔物と神は激しい戦いを繰り広げる。  チチェル族は戦いにも恐れず、祈りを捧げて神を援護しようとした。  だが、神は「私達のことは良い。早く逃げなさい」と言ってくださった。  それでも「祈らせてくれ!」と勇気を出すチチェル族だが、神は闘争に敗れ、最後の力でチチェル族を密林の奥へと隠してくれた。 どうやら神は死にかけの体で天界へと逃げ延びたらしい―――。  それから長くを隠匿の時代として過ごすチチェル族。  いくつもの他部族を支配する力はあったが、魔物のせいで力を発揮できない。  だが、長くに渡って無情で卑劣な悪事を続けた魔物は、己の欲によって腐敗し、ついに地の底へと堕ちて行った。  醜悪な悪魔が去り、平和へと戻った大地はチチェル族にふさわしく、そして温かく一族を迎えてくれた。  チチェル族は飛び去った神への恩を忘れてはいない。  再び神殿を建て、我らは祈った。  かつて捧げたように、新鮮な生命力を祭壇に捧げて一族は祈る。  きっと戻ると、神を信じて神聖なチチェル族は祈りを続けた。  ――しかし、祈りの最中に蛮族が押し寄せてチチェルの歴史は幕を閉じてしまった。  蛮族もまた、2人の神を求めていたのだろう。  これは平和を愛し、2人の神に恵まれた一族の……悲しくも、偉大なる歴史である―――。 +++++++++++++++++++++++++
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