この惑星の未来から/5

ACT- Floor. EV  『 赤面 』―――それは、「チチェル族」に伝わる伝統装束の一部、“赤い仮面”のことである。  チチェル族は現在でこそ人種のサラダボウル、ジャスティア国内に散在する一種族であり、少なくともコミュニティを形成するだけの組織力と数はある。だが、あくまで小民族の一角であり、大々的に影響力を持っているわけではない。  彼等の外見的特徴としては、肌の色は黄色に近い小麦色。頭髪は黒、虹彩は赤レンガの彩度を落としたような色合いがある。  大陸を北へと移動し続けた彼らの歴史は「栄華、後の逃走」であり、先祖に対する尊敬の想いと共に、彼らが“鱗の悪魔”と忌み嫌う異端の信仰対象への憎悪は深い………。 ―――遥か古来。チチェル族は大陸の南側、神聖大陸と呼ばれる地に居住していた。  鬱蒼とした密林と横断する大山脈。  雲を越える高さの絶壁群と高原地帯。  降下にはパラシュートを必要とする垂直洞窟に、地上最大流域を誇る大河……神聖大陸(南ジャスティア)には今も、近代都市からは想像もつかない光景が広がっている。  一方で、局所的に鋭く発展した経済都市もあり、深い信仰を持つ中世市街もある。  密林にはまだ、未発見の遺跡が幾つも眠っているとされ、考古学者は「神聖」「偉大な」と、自分達の探究心を掻き立てるこの地を崇めてすらいる。その傍らで、探究困難な秘境を利用した麻薬の栽培や兵器の密造など、一般には触れられない暗部も多々存在している。  様々な面と意味合いによる『触れがたい秘密』が跋扈するからこそ。  いつから誰からか。この地は「神聖大陸」と呼ばれるようになったのである。  古代 神聖大陸にて。チチェル族はかつて、大変な栄華を謳歌していたらしい。これは彼らの言い伝えだけに留まらず、発見された遺跡群、他民族の伝承から確実なものとされる。  上下水道は無論の事、農業・畜産を始めとした自前での供給能力に優れ、現在でも難しい程の高所地で、作物育成を行っていた形跡がある。これらのハイレベルな生活環境は、彼らの「天体への深い知識」が支えていたとされている。  天体の動きから気候変化の予測、暦の形成を行い、計画的且つ状況に適した長期的な生産計画をたてることができた、と分析される。  しかし。これらはいずれも、所詮は過去の人間共を支えた文化。今となっては豆知識にしかなるまい。  現在を生きる人々の興味を最大に引きつける伝説と言えば―――やはり、“エルドラド(黄金郷)”であろう。  彼らの住む都市にはかつて黄金と宝玉の限りが溢れ、通りの舗装すら金であったとの誇大化した伝説まで存在する。  “私”とてこれに大きな興味を持つが―――単に「黄金」程度を求める他の探究者共は、永久に奇跡の地へと辿り着けまい。  金の星に愛されしチチェル族は黄金の時代を突然と中断して、一度歴史から失せた。  そして、再び姿を見せた彼らは……血と臓物を手に狂喜乱舞する変貌を遂げていた。   目を凝らすべきである。   耳を傾けるべきである。   鼻をよく利かせるべきである。   何故、彼らは黄金を手放し、血に塗れたのか?   何故、彼らは膨大な富と知識を得られたのか?  “私”は崇高なる英知の導をこれへと見出すことに―――戸惑いを持たない………。 ++++++++++++++++++++++++++++  延々と続く荒野。時折ある看板は砂塵で汚れて意味を成していない。  広大な大陸のハイウェイを走る鼠色のオープンカー。絶好の晴れ、快調な日差しの下を飛ばしている。  後部ボンネット、トランクの中。  空であるはずのトランクで、ギョロ目の空飛ぶ哺乳類が一匹、ぐぅぐぅといびきをかいている………。 SCENE/1 ACT-1  片側三車線の中央ラインをひた走る車体。  周囲に車影は無く、閑散として変化の少ない直線を、ただ只管に突っ切る。  運転しているのはサングラスを掛けた色気の強い女。助手席には、青い頭髪の東洋人。  どちらも年齢的には15、17とティーンエイジャーも真っ盛りなのだが、見た目に大人びて見える。  工業都市「ゾノアン」から無事に脱した2人。目的地も定まらぬままの逃亡はいかにも自由な若さを感じさせる。もっとも、これは「サナ」という女がこれまで身一つで生きてきた経験からくる自信に裏打ちされての行動であろう。  そのサナの横。高速で過ぎ行きながらも代わり映えの無い景色を眺める男。「青龍」の左足首には、湿布のような紙切れが張り付いている。 「――青龍、足は大丈夫?」  沈黙していた車内で、サナが口を開いた。  屋根の無い車で、風を切る音が大きい。対抗するように大きめの発声である。 「ん、ああ……平気だ。負傷には慣れているから」 「そう‥‥‥」  サナは思った。  青龍という男――否、少年は酷く臆病で、その上馬鹿に素直である。しかし、先刻に襲いかかってきた“巨大な蝙蝠の化け物人間”を追い返したらしいし――現実的ではない強さを持っていると理解もしてきた。ただ、諸事情で戦っている姿を見ていないので、どうにも信じきれない。  決して、怖くてパニックになったとか、気絶してたとかじゃないんですけれど。  ともかくこうして、何気なく話している青龍は実に弱く感じる。  会話を振ってもサナの横顔を直視することもできず、過ぎ去る無骨な荒野を眺めている。  たま~に横目でサナを見ているが、バレバレで。  興味があるなら、見たいだけ見ればいいのに……と、サナは思っている。  大体、無償でここまで付き合っている時点でどうかしている。何の要求も無く、ただ「解った」「うん」「承った」「すまない」くらいしか言わない。  人が良い、臆病だと言えばそれまでだが―――その割には、化け物相手に立ち塞がって、退治してしまう度胸。矛盾少年にも程がある。  むしろ、あんな化け物よりサナのが怖いのかと、若干気分が悪い。 「サナさんは……その、首が痛いとか、無い?」 「え?」 「いや……ほら、サナさん、今になって痛いところとか………」 「ねぇ、“サナ”でイイってば。なんかくすぐったいよ、その呼び方」 「………すまん。なら、さ、サナ――と呼ぶが。いいのか?」 「イイって言ってるじゃん。はぁ……」  ガチガチに畏まって言われても、相手をしている方が疲れる。「当人の方が疲れるんだよ!」っと言われても、自業自得だろう、と。  チラ、と確認すれば―――サナの溜息を深読みして表情を険しくしている青龍の横顔。 (少しは場を考えて、表面だけでも笑顔でいればいいのに――あ~あ。。。)  サナはもう、看破していた。  青龍の「人を殺すような睨み顔」は実際、「どうしよう、どうしよう‥」という困惑がそのまま浮き出ているだけなのだ、と。  強いなら強いで、もっと毅然とした態度であればいいのに。何のための強さなの? ――サナは隣の少年に呆れていた。実は青龍の方が年上だということは知らないが、知ったところで関係ない。  そんな、甘ったるい精神だからこそ、不思議。サナは弱そうな少年が不思議でたまらない。 「―――ねぇ、どうして青龍は私を助けに来たのかな」 「……え?」 「だから、どうして私を助けに来たのよ! あんな、嘘くさい依頼なんか信じてさ―――」  サナの語調は少し強くなっている。青龍にはそれが唐突に感じられたが、実際の所、サナは昨晩からすでにイライラと、納得いかない自分に――焦れていた。 「嘘くさい……とは思わなかったが。それに、君は本当に狙われていただろう……」 「結果論でしょ? もし、サナがあなたを騙して、からかっているだけならどうだった?」 「ああ……それなら、まぁ、一言二言と注意して………今頃は家に着いているかな」  青龍の平然とした返答。態度は平然としていないが、発言はごく自然に吐かれている。  サナはこめかみに「ピキッ」と力を込めた。 「ははっ、それだとタダ働きだね――何? 損する事が好きなの?」 「損? ……そうなのかな」 「当たり前だよね。現に、今のあなた……何か得した? こうして二人っきり、気まずい思いをしてさ! 怪我までして――何の実入りも無し!!」 「さ……サナ?」 「よっぽど余裕のある人生なのかな? だから、何も考えずに行動して、“金なんか要らない”って?? カッコいいよね!」  どんどん、言葉が早くなって、顔が熱くなってくる。 「バカみたいね!」――それは、要領の悪い青龍に対してか。それとも、悶々と悩んで中々寝付けないような自分に対してか。 「あなたは“助けたいから助けた”それだけなんだものね! いいなぁ、自尊心を、自分の意志を貫ける人って!」 「………すまん。俺は、ただ………」 「いいよ、もう謝らなくたって。あなた、私と会ってからそればっかりよ? それとも、実は何か企んでいるのかな? いざって時に“助けてやるから抱かせろ”とか??」 「俺は――――」  青龍は何か言おうとしていた。それは、「自分で決めた正しいと思う意志の為に」だったのかもしれない。しかし、それこそ「助けたいから助けた」という傲慢さを証明する発言であろうし、自分でもそれ以上の意味を表せない言葉だ。  ――無償の奉仕は確かに善意の行いであり、人の社会に「思いやり」などとしてあるべきであろう。だが、「意味を持たない善意」「思いつきの善意」はここにあって危ういものだと心得る必要がある。  不意の善意はある意味、「通りすがりに余裕があったから助けた」などと真っ向から発言するに等しく、意味を持たない善意に相手は「片手間に助けられた命」というレッテルを貼りつけられたと受け取りかねない。  本来、生きることに必死なはずの個人が。意図的に、無心のままに他者を助けるという行為は「不自然」だと自覚はしておくべきである。  もっとも、助けられた者の「高望み」と言えばそれまでかもしれないが………。 「―――っ」  サナは我が侭を言った。だが、無闇に八つ当たりしたわけではない。  不安だったからだ。サナは、見返りを他者に求めない、無鉄砲な善意を知らなかったから――・・・。  掲示板に書き込むとき、本当は願っていた。  “護ってくれる人”が助けてくれることを、願っていた。  願いは朧な夢想であり、叶わないと決め込んでいたからこそ。今、隣に座っている人を堪らなく信じたくて、だた希望が大きすぎて―――「虚像かもしれない」という悪い考えが消えなかった。 「………ごめんね、サナは助けてもらったのに」 「いや、いいんだ。俺は損とか得とか、その辺りにズボラで―――よく言われるから」  眉が下がり、自嘲に笑う薄い口元。  青龍は客観的な自分への感想を受けて、日ごろ目を逸らし、妥協している事実を再確認している。 「でも、こうして君を助けていることは“損”などではない。“正しい”と思えることを真っ当する時、俺は満たされるから・・・すまん。結局、君の肯定しかできていない……そうだ、俺はいつだって自己陶酔しているのだろう」  青龍はうつむいて、イジイジと指を合わせて言葉を詰まらせた。  現在、なんとも陰険で、内向的な葛藤が彼の脳内で渦巻いている。  サナは言いたいことを言えてすっきりしていた。同時に――何の物証もないけど――青龍が心から素直な人間だと、信じる決意が固まっていた。  初めて出会うタイプの生物(男性)。しかし、今までサナの周りに徘徊していた、口先で留まり、いざとなれば逃亡するような「優しさ」とは異なる――本当に、全力の「優しさ」が感じられる。  隣でひたすら自分を責めている少年――いや、青年。サナは彼を変わらず、生真面目で口下手な人だと思っている。でも、柔軟性に富み、エスコートが得意な人こそが男の中の男‥‥‥とは考えなくなっていた。  隣に座る青年。酷い目つきで、表情の硬い、垢抜けない顔つきだが。良く見れば、凛々しいと言えないことも無い。 「青龍―――来てくれて、ありがとう。サナは嬉しいよ」  サナは素直な彼に対して、素直な言葉を贈った。  心の底から「ありがとう」なんて。今までの人生で言う機会も無かったし、言う価値のある相手なんて存在しなかった。  不意の言葉に驚いて、顔を上げた青龍。  そこに見た、15才相応な、少女の無邪気な笑み。 「……ど、どうも………」  青龍は恐縮しながら、カクカクと頭を下ろして、再びうつむいた。  小さなボソボソ声はサナに聞こえなかったが、サナは彼がどんな返事をしたか察して、クスっと微笑んだ―――――  ―――ハイウェイは延々、直線の視界。あまりに長い直線で、居眠りにはご注意を。  / 時速100kmを越えるドライブ  / バシッバシッ――と、電流の弾ける音。 「………ん!?」  風を切る音がある。  オープンカーのハンドルを握るサナは気が付かない。 ++++++++++++++++++++++++++++  うつむいていた侍は、半身を乗り出して車体後方を凝視する。 『マックイィーン、余裕があったら定時報告を頼むよ。何せ、“声は聞こえない”からね』  流れる景色の一部。ゴムの様に伸びて歪み、突き出した光景―――。  ――この惑星の未来から――   Block3|すれ違いの逃走 ++++++++++++++++++++++++++++ ACT-2 「なっ……なんだと!!?」  時速100kmを越えて走行中の車内。  屋根の無い車の座席で立ち上がり、突風をその身に受ける青龍。着物の裾が騒がしくはためいている。 「ちょっと! 危ないよ、座って!」  いきなりの奇行にサナが注意を促しているが。青龍はこれを聞き入れず、黒い布を外して太刀の姿を顕わにしていく。  ただならぬ青龍の気配。サナは「まさか」の思いでバックミラーを見た。  車体の後方。荒野からハイウェイに流れた砂埃が舞い上がっている。  薄い砂塵を突き破りつつ、“とろとろの水あめが車を追いかけてきている”―――そんな、サナの見解。  水あめと例えたが、お祭りで出される割り箸に乗っかるサイズではない。高さ1mは余裕なその異様な物体。  周囲の空間まで歪ませながらも、歪みごと車の後ろをピッタリと迫る。  青龍は後部座席へと移り、すでに鞘から刀身を抜き出した。 ≪ ヴオォオンッヴオォォォオンッ!! ≫  水あめが唸った――いや、違う。中身だ。中にある“何かが”唸っている。 ――― 激しい炸裂音と、迸る電流の渦 ――― <ヴオォォォンッ!!!>  伸びに伸びた空間は遂に破れ、電流と共に大型のモンスター・マシーンが唸りを上げて飛び出した。  黒のボディが障害物の無い日差しに当てられ、強く輝く。  空間を突破した勢いか。少し浮いた二輪は、着地してから若干に減速。高速で過ぎ去るアスファルトにタイヤは焦げ、煙を霞ませている。  巨大なバイクに跨る搭乗者はヘルメットも付けず、突風に抗うかのように前傾姿勢でマシーンを再加速させた。  全身黒のラバースーツで身を包み、手袋からゴーグルまでも黒。  顔に見える肌が、服装との対比で白みを増している。 「ゑ――あれって・・・どう考えても普通じゃないよね??」  バックミラーで繰り広げられている異様な景色に、サナは苦笑いを浮かべるしかない。 「サナ、加速してくれ……追いつかれる!」  青龍が言う最中にも大型のバイクはぐんぐん加速してくる。今にも横に並ばれてしまいそうだ。 「うっそぉ!? ちょ、まって――まってコイツっ・・・コイツオンボロッ!!」  まぁ、無料で入手した代物だから文句も言えた義理はないが。鼠色のオープンカーは見てくれだけ取り繕ったもので、期待できる中身ではない。  若干速度は上がったとはいえ、エンジン音がすでに異音。機械なりの悲鳴であろう。  一方のバイクは見てくれも立派なら、中身も伴っている。  与力を残した状態でついにオープンカーと並走する状況となった。  依然、ハイウェイは直線。左右は延々と荒野。モーテルの1つもまだ見えない。  荒野から流れ込む風に乗り、虚空のキャンバスに砂塵の幾何学模様が描かれては、流れる河のように形を変えて行く。  フロントガラスで砂気の多い空気を裂きながら、鼠色のオープンカーと漆黒のバイクがハイウェイを並走している。  屋根の無い車の後部座席にて。剥き出しの刃を手に、仁王立つ青龍。  対して。ゴーグル越しで目線は解らないが……。  バイクに跨る人間の威圧はターゲットであるサナではなく、刀を構えた“侍”へと向けられていることは明らか。  黒いラバースーツのライダーはグリップの付近を数手操作すると、両手を離して体を起こした。  そして――なんと! そのままバイクの上に立ち、手袋をはめ直す仕草を見せている。  ・・・大変危険である。ヘルメットが無いのもそうだが、そもそも走行中の、それも120kmを超えているバイクの上に立ち上がる無謀。そのうえで手袋を直す神経はどうかしている。  命知らずもいいところだが。バイクは変わらず、安定したまま直線を走っている。  ―― 自動走行機能 ――速度を保ったままに所有者を追尾する、高性能なAIを搭載した最新モデルだからこそ、この走行を可能とした。 (………無闇に危険を冒すことはないだろう?)  青龍は無謀な人間に対して若干の心配をしているが、本人も人のことを言えた状態ではない。 「な、何してるの?! 君達危ないよっ、座って! 特に青龍!!」  サナが当然の警告を施した。しかし、どちらも座らない。  ラバースーツのライダーは走行するバイク上に立ったまま、「クィックィッ」と、左手を押すように払った。  何かの技か!? と、青龍は警戒する。  しかし、何も起こらない。  ラバースーツのライダーは再び「クィックィッ」と、左手を払った。  青龍は警戒を保ったまま、その行為の意味を考えている。  ‥‥‥二人とも無言だった。警戒しているのもあるが、風の音と車間から、自分のボソボソ声では相手に聞こえないだろうと、互いに解っていたからである。 「……!」  無言のまま。ようやく青龍が相手の意図を察して半歩、後ろに下がった――つまり、車内にスペースを設けたのである。 「‥‥‥」  ラバースーツのライダーは静かに頷き、そして――― “跳んだ”。  時速120kmOver。飛び去るように流れるアスファルトに。人の影が瞬時、映る。  その跳躍は鋭く、的確にオープンカーの後部座席に着地。すぐに立ち上がって、戦闘の構えをとった。  拳を緩く握り、左の腕を前に、体を傾け、右手の親指で唇に「ピッ」と触れる。  ―― 拳法 ――  流派も何も不明だが、とにかくその人間は“武術を心得る者”の構えをとっている。  サナの追っ手……つまり、都市監視委員の仲間なのだから、“ゾノアンの魔術師”であることは確かだろう。  だが、わざわざ乗り込んで近距離に持ち込む思考回路から、この構えまで――魔術師の行動理念からどうにも外れている。  サナは声を出せなかった。何せ、すぐ真後ろに自分を狙う人間が乗り込んでいる緊急事態である。  サナは無意識にアクセルから足を離し、ブレーキに足を乗せる……。 「サナ、そのまま、アクセルッ!」  青龍が鋭く指摘する。サナは返事もできずにただ頷き、再びアクセルペダルに足を戻した。 「‥‥‥」  ラバースーツの武闘家は首を鳴らして憮然とした。  青龍の指示はつまり、「叩き落としてアスファルトへ置き去りにする」と宣言したようなものだからである。  何より腹が立つのは―――上質な凶器を手に持つくせに、確実に斬り捨てる、という覚悟が感じられない半端さにある。  依然として屋根の無い車は速度を保ち、ハイウェイを疾走している。  遮る物の少ない車上には突風が吹き。狭く、窮屈な後部座席に立つ二人を絶え間なく襲っている。  現状。刀という凶器を持つ“侍”が有利に思える。  しかし、舞台は車上、その後部座席。停止しているなら地に降りる選択もあるが、この速度でそれは無い。  存分に刃を振るう距離は無く、撫で斬る為に必要な後退のスペースは極僅か。至近距離となれば、刃を握る両手が不自由な侍は不利となること明白。  ……つまり、 「これ以上、相手を近くに踏み込ませることを避けたい侍」 「刃を封じられる距離で、掴み合いへと持ち込みたい武闘家」  ――という思惑が車上に交錯しているのである。  ―――対峙する二人にしか解り得ない静寂が、幾時か流れた―――  切欠を作ったのは武闘家。その右手が「ピクッ」と左右に振れた。 「……!!」  これに侍の身体は応じず、しかし彼の意識は確実に反応した。  武闘家は僅かな侍の視線の動きと同時、左の拳を青い頭髪の顔面へと突き出した。最短距離を往復した高速の拳だが、それは若武者の強面を掠めるに留まる。  牽制である。この拳は、“牽制”。  武闘家の本命は、拳に対応して傾いた侍の姿勢と、その意識へ付け込むこと。  半歩踏み込めばもう、間合いが「ゼロ」。武闘家の脳内ビジョンではすでに、片足を踏み出していた―――そして、この“脳内での予測”によって武闘家は助かった。  武闘家は突っ込もうとした体を停止させ、逆に身を引く。 (‥‥‥!!)  ゴーグル越しの眼前を過ぎ去る、刃。間一髪、紙一枚である。  侍は牽制の拳を避けた時、その意図を読んで刃を逆手に持ち替えていた。  つまり、“突進してくるであろう進路”に向けて、刃を振り上げる準備を行っていたのである。組み付こうとしていた武闘家は寸での所で刃を確認し、身を反らしてこれを回避した。  決まれば致命傷であった。間合いの不十分で両断などできないが、少なくとも武闘家の胸部は縦に裂けていたはずである。  ――そして、刃を振り上げた侍は今。左腋を晒す、半身無防備な状態にある。  ここぞ! と、武闘家は前傾に踏み出す。そこに、侍の膝が迫る。  武闘家は「‥‥‥足掻いたな」と呟きつつ、両手を緩衝材としてその膝を受けた。  この時、侍は危機を予感した。懐に入って、いよいよ武闘家の間合いだからである。  左の拳を突き上げると――手応え。 「……っが!」  侍の顎が跳ね上がった。  続いて着物の襟元を掴み、腹部に膝を打ち込む。 「をごッ……!?」  的確な一撃に侍の表情が歪んだ。  右の拳を水平に薙ぐ。  肘を曲げて、円軌道に振るわれた拳が若武者の顔を弾いた――― 「‥‥‥!!!?」  そう、弾くように当たったのは確かだが………弾かれ過ぎであろう。  武闘家は攻撃の手を止めざるを得なかった。何故なら、目の前に相手の姿が無いのだから。  武闘家の脳は見失った侍を探すことより。何より、まず、叫んでいた――― “危険だ! 下がれ!!”と。 「‥‥‥ぅおっ!!?」  後部座席で倒れるように身を引く武闘家。その頭上を銀色の軌跡が鋭利に過ぎ去る。  即座に姿勢を持ち直し、武闘家はようやく現状を掴むことができた。  下がったことで視界が広がり、見えた。  侍はそう――オープンカーの後部ボンネット、車体の後部へと突き出した鼠色の鉄板上で刃を構えている。大したスペースではないが……咄嗟に後部座席から、しかもあれほど接近された状況から離脱したその瞬発力。  焼けるように熱い鼠色の車体の上。そこで、息を切らして口元の血を拭っている侍の姿。 「‥‥‥」  武闘家はゴーグルを外して「キッ」と、裸眼で侍を睨み付けた―――。  ――バックミラー越しに一部始終を見ていたサナだが……自分の頭部が邪魔で半分以上判別できなかった。鈍い音が何度か聞こえた後、“青龍”が後ろのボンネットに乗っかったということだけ解る。そして、どうやら出血しているような……ともかく。自分に何かできることは、と必死である。 「‥‥‥やるな / ………どうも」  変わらず突風は止まらない。互いにボソボソとした会話だが、研ぎ澄まされた感覚が的確に相手の音声を鼓膜に届けている。 「しかし、慣れ合う感じではないだろう………」 「そう言うな。名くらい欲しい‥‥‥久しぶりに拮抗できた記念だ」  手袋に隠された右腕の骨を鳴らして、武闘家が半ば脅迫するような圧力で要求している。  青龍は「代わりにサナを追うのをやめろ」とでも言おうとしたが、事前に無為を悟った。 「青龍―――本名は青山。サナの護衛を承っている侍だ。キサマらがどれほど追いかけても、全て俺が斬り払うと知れ……」  威嚇するように、青龍は手にしている刃を後部ボンネット――空のトランクに突き刺した。「ひぎゃっ!?」と、小な声が零れる。  軽く跳び上がり、再び後部座席へと収まる青龍。 「‥‥‥む、何故刃を手放す?」 「……キサマらにも、自分達専用の正義があるはずだ。俺は意志の伝道師を自負できる器でもないからな―――すまない。だから、俺は態度で示すことしかできない」  手の平を上に、青龍が人差し指を2,3度動かした。  窮屈な後部座席で向かい合う。手を伸ばせば、触れてしまう至近距離。  刀を手放した侍は、空手に闘争の構えを見せている。  運転席のサナは現実を受け入れられない。何せ、前の景色はこんなにも平凡で変わり映えが無いのに――僅か数十cm後方のなんたる殺伐としたことか。これだけ自分が“浮いている”立場だと、かえって冷静にもなれるというものであろう。 「‥‥‥」  武闘家は「ギュッ、ギュッ」と。手袋の手先を緩めては握って、また緩めては握って………後に、半笑い。  色白なこの人。正直、侍の構えを見て“手抜きか挑発か”と踏み、苛立っていた。 「‥‥この間合い、その長い剣は邪魔にもなるかもしれんが‥‥‥私と殴りあおうってのは無謀だ。単なる拳法――― / ………いいから、かかってこい 」  青龍の一言が第二ROUND開始の合図となった。 「‥‥‥解った‥‥‥後悔するなよ?」  武闘家の顔から表情が消え失せ、こめかみに血管が浮き上がる。 「シぃぃぃェアァァッッッッ!!!」  吼え猛る獣のように、漆黒に染まった烈火の如く。  全身黒のラバースーツに身を包んだ体が姿勢を変え、渾身の鋭い“蹴り”を青龍の頭部に繰り出した。  時速100kmを越え、揺れる不安定な足場。そのうえ、後部座席にはシートもあり、運転席・助手席の背もたれもある。  この、僅か幅1mにも満たない不満足な活動可能領域において。武闘家の蹴りはなんと鋭く、無駄の無いものか。  芸術的な軌道を抜く的確な蹴り足が、青龍の頭部へと襲いかかる。 「……くがっ!!」  鉄球でコンクリート壁でも砕いたかと錯覚する衝突音。肉体同士の激突とは思えない音である。  左の腕でこれを受け止めた青龍。だが、防いだにも関わらず体勢は崩れ、座席へと倒れた。もっとも、倒れたのは正確には“倒れ込んだ”であり、衝撃を逃がす目的もある……にも関わらず。青龍の左腕、橈骨には亀裂が入っている。  ただの“蹴り”ではない。そして、蹴りの後すでに初期の構えに戻り、即座に追撃のモーションを開始しているこの体幹。  蹴る――それも、上段に蹴り込むということは、瞬間的にも片足立ちを要する。現状の不安定な足場と狭い領域。それでも尚、腕によるクッションを超える破壊力。  普通の格闘術ではない。間違いなく、この武闘家。それが「気」と呼ばれるか「魔術」と呼ばれるか―――いずれにしろ、「術」を用いてその肉体を強靭に仕上げているに違いない。  縦に股関節を180°きっちりと開き、踵を掲げる。車体の揺れにブレず、吹きつける突風にも微動だにしないバランス。 「フォォッ!!」  息吹と共に高々と上げた踵を振り下ろす武闘家。青龍はまだシートに倒れ込んでいるままであり、跳ぶことも退く事もできない。 「………! !ッ ッぁ!?」  両手を交差させ、しっかりと受けた青龍だが―――豪快な「踵落とし」の衝撃はこの守りを貫通し、青龍の額から血を噴きあがらせた。 「スアァッ!!」  武闘家が止めとばかりに拳を引き絞る。  ――その手は、白銀に輝き、そして刃を模している――  刀を手放した侍の右腕。 (手刀! 何の輝きだ!?)  武闘家は、それが銀色に輝きを放っていることに気が付いた。  青龍は刃を模した己の右腕を突き出す。  しかし、武闘家はその仕草、軌道の予測を完全に終えていた。当たる道理は無い。 (‥‥‥ノロい! 見えているぞ!!)  迫る刃の右腕。これを肩に乗せるようにかわして、自分の左拳を叩きこむ‥‥‥これは、避けようがない。決まる――――  武闘家が絶好と見たこの機会。しかし、この時が来ることを待っていたのは青龍の方である。  体術のキレを見て――拳・蹴り、ともかく打撃の応酬に勝ち目は無いと早い段階で悟った。カウンターを狙って……などという発想も、更に反撃を重ねられるビジョンしか浮かばなかった。  サブミッション(関節技)など狙っていない。決めるなら、一撃―――。  できるだけ接触を少なく、ワンアクションで終わらせるしかない。  青龍の銀に輝いていた手先は、その輝きを刹那に失い、そして形を変えた。  指を開いて、軌道を変えて……狙うは、相手の胸倉――― 「‥‥‥!!」  早業だった。青龍の右手は突然に予測の動きから逸れ、武闘家の胸元を「ガッシ」と握り込んだ。半身、胴体を起こして体ごと“抱きつきに行く”積極的な動作。  打ち込もうとしていた武闘家の勢いを利用し、苦しい左の腕も伸ばして相手の右腕を掴む。 (………!?)  技をかけている青龍は、咄嗟に息を呑んだ。  ―――青龍が倒れ込んだ真意は、威力に負けたからでも、衝撃を逃がすためでもない。  彼の本命は―――― 「うぉぉおぉおっ!!!」 「な!? ‥‥‥!!!」  右足を“投げる対象”の腹部に押し当て、再び半身をシートに倒れ込ませる。  勢いをそのままに。コロリと、車輪の如く後方へと傾いた。   ――― 巴 投 げ ―――  相手の勢いをいなし、“そのまま素通りさせるには”うってつけの、『技』。  最初からそう、青龍は斬ろうとも殴り勝とうとも思っていない。  車体は100kmを越えて走っているのである。「叩き落としてアスファルトへ置き去りにする」―――そう。この試合には、“場外負け”が存在していることを常に意識していたのである。  浮き上がった武闘家の身体が車外へと飛んでいく。  過ぎ去るアスファルトに、華奢な影が映っている。  上下反転した武闘家の景色。鼠色のオープンカーの後部に刺さった刃の光が、印象的に網膜へと刻まれる……。  一層に強い風が吹いた。  荒野から濃い砂塵がハイウェイに吹き込み、その身体は砂の海に呑まれるように、過ぎ去る景色の後方へと消え去って行く。 「バゴッ」と、鈍い音が聞こえた……気がする。  何せ、放り出された人体がアスファルトに接触する頃には、車は随分先へと進んでいるのだから。聴覚には感じ取れない。 < ギャギャッ! ヴオォオン、オン、ヴオォォォォ………… >  並走していた無人の大型バイクが唸り、向きを反転してハイウェイを逆走し始めた。  ただ道なりに進むだけではない、というところがなんとも優秀なプログラムである。  ……額から血を流す青龍はのそりと身を起こすと、車体の後方を確認した。  息も絶え絶えに、額の血を拭って溜息を吐く。遥か後方。砂塵の薄れた景色に、小さな黒い影の蹲りが見えている。 「大丈夫!?」「終わったの!?」「あいつは!?」  状況が掴めないサナは困惑した問いかけを連打した。  青龍は「大丈夫、方は付いた……このまま、行こう」と呟き、ノソノソと満身創痍の体を引きずるように這い、後部ボンネットの刃を回収しようとしている。 「かたづいた……? ! ありがとう、凄いわ!!」  サナは安心したのか。無邪気にも表情を明るくして、マシンガンのように感想等を述べ始めている。  背中にサナのハイテンションを感じながら。青龍はぞんざいに突き刺し、手放してしまった太刀へと辿り着いた。  走る車の後部ボンネットの上。鼠色の鉄板が熱されて、袴越しの膝が熱い。  青龍は太刀を抜き取ると、そのままそれを抱くように―――鉄板の上へと倒れ込む。  屋根の無い車内には、しばらく興奮したサナの感想戦が続いていた。  非常に寝心地の悪そうなベッドで侍が眠っている事実が確認されるのは、これから2、30分後のことになる……………。 ++++++++++++++++++++++++++++ ACT- Floor. Entrance  時代は中世の事。欧州の人間が神聖大陸に去来するその前―――。  一度、歴史の深い霧の中へと。チチェルの足跡は、大量の黄金と共に掻き消えた。  それから数百年。再びこの民族は大地へと姿を見せ、他の民族を圧倒する勢いで秘境の世界を席巻した。  しかし、その手に黄金は無く……幸福に満たされ、穏やかで文化的だった彼らの性格は反転。  獰猛で野蛮。文字通り人すら喰らい、常に怒りと憎しみを叫ぶ狂気の集団と化していた。  地獄に似た概念が彼らにあったのかは今、不明だが。その所業はまさしく、地の底、冥府より這い出た亡者の所業とすら思える程である。  後に、チチェル族は同じく神聖大陸に土着していた他民族によって、この地を追われた。  現在の研究では「飢饉による衰退」が第一原因ともされるが、次いで「血を信仰したが故の自壊」が挙げられている。チチェル族には「信仰」があり、それは「多神教」である。彼らは神々に対して祈る際、「生贄」を捧げていたとされている。  これだけなら世界各地、どこでもあることであろう。チチェルが「自壊」したと現在に云われる所以は、その規模である。  一説には一度の祈祷で「10万」とも、「20万」とも……とにかく、途方もない生贄が捧げられたという話である。  この「生贄」は人であり、立場は他民族から連れ去った奴隷はもちろん、足りなくなれば同民族の一般階級、果てには一部の親族以外、全ての神官ですらその対象となったらしい。  何を求めてそこまで「血」を捧げたのか? そこまでして「神」に何を訴えたのか?  今となっては判然とした理由は不明だが。ともかく、この『血の祈祷』は徐々にスケールを増して、生活のちょっとした娯楽ですら血生臭いものへと変化した。  解る限りの伝承によれば。  彼らは、「鱗の悪魔」という怪物によって文明生活を破壊され、「悪魔」によって追放されてしまった「神々」の帰りを望んでいた―――という伝説、お伽噺がある。  一度破壊されたとされる「チチェル文明」の遺跡はいくつか発見されており、確かに「神」が成したとしか思えない、異常な技術が散見できる代物である。  不可解なことは、「破壊された」のではなく、「放置された」と表現するに相応しい荒廃具合だが………。  そんなチチェル族が、「自壊した」と今に云われることは筋が通っている話である。  周囲の民族が恐れをなして、一致団結、包囲したとしても。それ以前にチチェル族内での倫理や道徳観念は「破滅」しか有り得ない形に固まり、死に怯えた人々の逃亡や反乱は免れなかっただろう。  ―――まぁ、彼らの考え方。“私”は嫌いではないのだがね。 ++++++++++++++++++++++++++++ SCENE/3 ACT-1  乾いた砂が舞い飛んでいる。  延々の荒野に挟まれたハイウェイ。  熱せられたアスファルトの上に。人間が一人、うつ伏せに倒れている。  その服装はダメージの多い黒のラバースーツ。スーツの損傷はアスファルトを数mも強い摩擦と共に転がったからであろう。 <ヴォヴォヴォンッ、ボボボ…..>  霞む蜃気楼を抜けて、“搭乗者のいない”大型バイクが、倒れている人間の傍に停止する。  ふぁっ、と。バイクから紅茶の良い香りが漂う。  自動操縦を解除する指がある。それは、大型バイクに“跨る”灰色の背広を着た男の指―――数秒前まで無人だったバイクの上。  男の手首では、クロノグラフを搭載した輪国製の腕時計がステンレスの光沢で輝いている。  エンジンを止めて、倒れている人間へと歩み寄る灰色の背広を着た男。  ここに現れた背広の男は、周囲から【ロキ】と呼ばれている。本名は「ジェイス=クロコップ」らしいが……ともかく彼は、「ロキ」と呼ばれている。  ロキは倒れている人間に近づきながら、挙動不審である。 「ふぅ……ああ、なんだってこんな――背広に砂が付いて、嫌だなぁ」  彼はしきりにスーツの砂埃を払っているのだ。  場所は荒野の狭間、長いアスファルトの直線途上。唯一人の手が加わったハイウェイとはいえ、殺風景極まりないこの場において、背広のスーツ姿はあまりにも浮いている。 「“レイア”。まさか君が放り投げられるとは……“見ていて”こっちも驚いたよ」  時速100kmを越える速度の車から放り投げられ、アスファルトに落ち、そのまま数mも焼けた地面を転がったあげくに、沈黙して伏せている人へと声を掛けるロキ。  返事などあるわけがない。普通は骨も折れ、内臓が損傷して血の溜りになっていてもおかしくはない。  しかし。倒れている人間の周りには血痕の1つすら無く、そして驚くことに――・・・ 「‥‥‥ロキ、私を名で呼ぶな」  なんと! 倒れ、伏していたラバースーツの女性はロキに返答し、平然毅然と立ち上がって睨む余裕まで見せていではないか。  仕草から微塵にも辛さを感じられず、彼女は何の痛みすらも覚えていないらしい。 「ああ、ごめんよ“マックイィーン”。元気があって何よりだが、今後は勝手な行動は控えてほしいと私は願う――って、おい! 何してる!?」  説教など聞く耳持たず。【マックイィーン】と呼ばれた女はロキを肩で押しのけ、ツカツカと大型バイクへと一直線に向かっている。 「待て待て! 悔しいのは解るが、状況を整理してからだ。“ティヴィの一匹”はまだ乗り込んでいる。その気になれば、いつでも追いつける!」  淀み無く歩くマックイィーンを止めようと、ロキが彼女の腕を掴んだ。 「‥‥‥私が悔しい? 違う。決着が付くまで、私は闘争を諦めないだけだ」  このように言い切る彼女はまるで、「無敵のラガーマン」である。  マックイィーンの歩行は男一人引きずってまったく衰えず、一定の速度を保ったままバイクへと辿り着いてしまった。 「チームプレイを大事にしろよ! これ以上胃薬を飲みたくないんだ、解ってくれ!」  ラバースーツの背中を叩いてどうにか引き留めようとするロキ。 「青龍―――本名は青山と言ったな。私の名も聞かず、大したものだよ。まったく‥‥‥仕合に場外など、私は認めないのだよ」  マックイィーンはニヤリと笑い、愛車に跨った。  「違う」と完全否定していた彼女だが、革の手袋を締め直しながらも独り言がやたらと多いのは何故だろう。 「キレてるじゃないか! なんだ、そのアオヤマだかに何か言われたのか!?」 「‥‥‥ブツブツ」  もはやロキなどそこにいて、いないようなものである。  腕力でどうにもならず、口で制しようにも聞き入れられない。 <<ヴオオオオンッッッ!!>>  喧しいハエを追い払うかのように、激しく唸るマシーンの胴体。 「マックイィーン! おい、レイア!!」  ロキの制止も挑発も聞かず、バイクは走りだした。  けたたましい音に耐えかねて耳を塞ぎつつも、ロキは叫んでいた。  轟音がアスファルトに残り、黒い影が遥かな陽炎に混ざって消えて行く……。  ポツン。 荒野に一人、背広の姿。  傍に車もバイクも無い。完全に異常な光景。どうすればこのような状況に陥るのか? 「はぁっ、はぁっ……もう、もうやだ。利口な部下が欲しい……はぁ、はぁ……」  叫び疲れて大きく肩で息を吐き、這いつくばるようにアスファルトへと手を着いた。  仕事に旺盛であるべき年齢ながら、ロキの覇気は薄い。我が侭な上と身勝手な下に挟まれて、中間男の背に侘しさが漂っている。 「なんだってんだ、そのアオヤマ―――青龍? んん??」  大きな引っかかり。ロキはふと、自分の交友関係を脳内に探った。 「―――――!」  ロキは、何かに気が付いた。表情が「ハッ」として、どうにも、明らかにそんな感じである。  彼は背広の内ポケットから携帯を取り出し、考古学好きな友人への確認のため、早急にコールを開始した………。 ++++++++++++++++++++++++++++ ACT- Floor. Reception room  『赤面』と呼ばれるチチェルの仮面は、祭壇で生贄の臓器を生きたまま切り出す時、“捧げ人”と呼ばれる処刑の実行者が付けていたものとされている。  ――都市圏を越えて密林にまで伸びた云万の死を待つ人々。  “捧げ人”は生贄を順番に祭壇へと登らせ、工場で製品を量産するかのように。同様の作法を繰り返して、生贄の心臓を水晶のナイフ(黄金とも)で抉り取っていた。  血も重要だったらしいが、何より「泣き叫ぶ生贄の声」が天まで届くことを重視していた。遺跡に描かれた壁画には、頭部を大きくディフォルメされた人間が、異様な程大きく口を開けている姿が描かれている。  このような野蛮な統治がいつまでも継続できる訳も無い。やがてチチェルの一族は神聖な地を追われ、北方の大陸へと逃亡した。  儀式装束である「赤面」は今も彼等に伝わっており(もちろん生贄の風習は今に無い)、“捧げ人”の子孫が、現在もこれを受け継いでいる。  ところで。先ほど、「生贄」の風習は現在に無い、と述べたが……。  その事に偽りは無い。しかし、それとは別。  どうも未だに「血生臭い行いがある」―――と、小耳に入った。  ここで重要となるのは「何故、彼らは“捧げた”のであろう?」という疑問を抱く事。そして、これが案外と根深い問題だったのだが……事前に調べ、“彼”に直接訊いた内に興味深い結論に行き当たる。  ――始まりは制裁であり、旅立った2つの英知に伝えるメッセージだった――  “彼”の回答に私は、「制裁? 何に対してだね?」と、重ねて訊いた。  ――悪魔と共に、永く同族を苦しめた“負の一族”に対して――  ほぅ……?  この時点で私は「確信」に近い物を得た。  Webの雑学サイトは無論、専門家が用いる資料ですら、この手前で情報の限界を迎える。つまり、通常「チチェルの事柄」はこれ以上を知り得ないのである。  ジャスティア中枢にある資料室。かつて、そこで青春を過ごした私ですらが、この限界で停止していた。  遂に、ついに私は他を“出し抜いた!”と直感した。  高鳴る胸を抑えて、私は身を乗り出す。 「負の一族は制裁の為だけに差別されたのかね? 今もこうして執拗に探すからには何か、もっと深い理由――どうしても監視・抹消する必然があるのではないか?」  私は踏み込んだ質問を投げかけた。  これを聞いた“彼”は、その手に持つ赤い仮面に匹敵するほど、顔を赤くした。  ――鍵だ。奴らは、今も忌々しい扉を開ける鍵を持つからだ――  想いの増徴によって激怒している“彼”には悪いが――私の心は躍り、薔薇の香りに満ちた気分で意識中に鼻歌を奏でていた。 「具体的に、鍵とは何だね? 知りたいな」  私は笑顔を隠せていただろうか? 少し、自信は無い。  ともかく、身を乗り出した私の問いに“彼”は答えようとはしなかった。これまで数百年、彼の先祖代々で隠蔽してきた核心であろうからね。無理もないが……私には彼らのプライドなど無関係で、酷く不合理な時代遅れの伝統など邪魔なだけである。 「良き協力者でありましょうよ。あなたは積年の役目を終え、私は貴重な探索の経験を得る――どちらも幸せ、これ以上に何があります?」  絶対的に不利な立場だと理解した上で発言してほしいものである。  “彼”には「私に全てを伝える」、という選択しか無い。何代にも渡って重ねた誇り? 埃?? そんなものはね、私の息吹一つで掻き消えるのだよ、と。 「偉大な神官の生まれ変わりよ。私は、“見つけた”彼女を独自に保護する事だってできるのだよ? 何せ、正義の正義の――監視責任者様なのだから。君の善悪は今、私の手の平でコロコロ転がっている、ガラス玉に過ぎないからね」  淑女の態度もここまでだ。私は事実を“彼”に再確認した。これ以上利口になれないのなら、“彼”の人格には消滅してもらうしかない。  “彼”はついに、先祖が必死の想いで守ってきた秘密を吐露した。社会に迎合されつつも、密かにコミュニティで行ってきた“抹消”――その、本当のトコロ。  ――踊りだ。血脈に、遺伝子に刻まれた、“鍵の踊り”。    封じなければならない。永久に、【奴】を墓穴の王国へと―――  やった。私は得た。  立ち昇る、絶対的な権力をもたらすための、私の成功素材……。  “彼”も“小娘”も幸せだろう。くだらない因縁はここで絶たれるだろうからね。  代わりに、私は英知へと繋がる綱を昇らせてもらうことにするよ………。 ++++++++++++++++++++++++++++ ACT-2  直線の続くハイウェイ。彼方の景色に蜃気楼。その先に、あの侍とターゲットはいる。  マックイィーンはマシーンを唸らせ、グングンとハイウェイを走っていた。  見えてはいないが、確実に距離は縮まっているはずである。 「‥‥‥‥」  今度は車を破壊して、安定した広い足場で徹底的に叩きのめす! ―――とでも考えていそうな、ムスッとした表情。 「マックイィーン、ちょっと止まれ」 「‥‥‥」 「マックイィーン! 良い情報がある。止まれ!」 「‥‥‥」 「風で聞こえないだろうから、直接頭に送ろうか? いいか、話すぞ!?」 「‥‥‥」 「いいか、俺達は“すれ違っていた”」 「‥‥‥おい」 「ギシアムには悪いが、この争いは不要なものだ……話し合いで解決できる!」 「‥‥‥ロキ」 「まずは無難に接触する機会を―――」 「おい、ロキ。いきなり“同乗”するな。気分が悪いだろ‥‥‥」  殺風景な荒野のハイウェイを走る大型バイク。  運転者は黒のラバースーツの女。その後ろには、灰色の背広姿が相乗りしている。 「・・・・・・酷い言い草だな」  若い女の「いや、臭い!」に近い発言。ロキは少しショックを受け、胃がキリキリと痛くなっている。  ……まぁ、しかし。女の言い分はもっともだろう。  “ 走行中のバイク後部にいきなり乗り込み、腰を掴んで無断で相乗る――― ”  これは完全にセクシャルで、ハラスメントな行為以外の何物でもないのだから.........。 Block3:すれ違いの逃走  END From ――『 この惑星の未来から 』―― $四聖獣$ +++++++++++++++++++++++++ ACT-VIEW/History.  昔、昔。遥かな昔―――。  チチェル族は優雅で平穏な時代を謳歌していました。  3人の神様がチチェル族を愛しく見守り、一族を平和にしてくれていました。  チチェル族は神様に感謝して、神殿というものを作りました。  神殿に入り、祈るという動作を行うことで3人の神様は一層輝きました。  木々と風に護られた繁栄は増して、チチェル族はもっと幸せです。  ある日、一番偉大な神様は言いました。「もう、祈る必要はないよ」。  チチェル族は「どうか祈らせてください」と願いました。  やがて神様が人間ではなくなり、見えなくなります。  チチェル族は困って祈りを続けました。  すると、1人の少女が祈りを受けて輝き始めました。  少女は神様と話せる唯一の民でした。  彼女は神様の1人に見初められて、親密になったのです。  やがて少女が民に伝えました。「2人の神は天へと還られます」。  悲しい事ですが、神様の中で1人は残ってくれるそうです。  見守る人が居れば安心だ、と人々は2人の神様を見送りました。  ずっと見えなかった2人が光の柱となって姿を見せます。  柱は大地を震わせて、煙を巻き上げ、力強く天へと昇ってしまいました。  その後、1人残ったという神様は少女を介して人々を見守ります。  100年に1度だけ姿を見せてくれるその姿は、巨大な鳥でした。  やがて神様が住処の移動を命じました。  「どうして移動するのか?」人々が問うと、神様は「悲しみを忘れるため」と答えます。  神様は一日で広大な穴を縦に作りました。  大地にぽっかりと開いたその先に、神様は世界も作りました。  大地があって、空が見えて、川があって森もある。やはりそこは世界でした。  新しい住処は女王のための環境でした。  平和で、秩序に満ちた優しい世界―――。  しかし、ある人が言います。「いつから私達は女王に祈るようになったのだ?」。  ある人は続けて「なぜ、女王だけが永遠なのだ? この偽りの空は誰の為だ?」。  空には雲がありますが、青くはありません。  空には太陽がありますが、本物ではないことを知っています。  世界に文句を言ったある人は、足元の大地ごと焼かれてしまいました。  神様そのものである、鱗の鳥がある人を焼いたのです。  人々は神様の強大さを思い知って、畏れを知りました。  同時に、ある人の家族は悲しみを知りました。  それから次の100年。  女王が死にました。  彼女に永遠を与えていたはずの神様に人々が聞きました。  「なぜ彼女の永遠を取り上げたのですか?」  誰も返事を聞けません。  しかし、嵐が起きて大地が割れたので、きっと神様は怒ったのだなと解ります。  嵐と共に、人々は年齢を重ねなくなりました。  同時に――誰も成長せず、誰も生まれず、誰も死にません。  不思議に思った人々が神殿に入ると、一羽の鳥が不思議にも死んだばかりに見える女性を抱えて泣いていました。  神様は泣きながら人々に言います。「どうか、彼女と永遠を生きてくれ……」。  やがてある人々が言い始めます。「神は狂った! 神は私達を永遠の死人にするつもりだ!」。  死の恐怖はありません。しかし、変化という目標もありません。  この停止した世界は人々の気力を失くして、生きたまま死人に変えてしまいます。  人々は恐れて、地下から逃げ出しました。  世界から逃げる人々を、神様は叱りません。怒る気力すらないのでしょう。  洞窟から逃おおせた人々に、神様は言いました。 『すまないな、民の人よ。  私は、君達と同じく無力だったのだ。私は、師と違って弱かったのだ。  君達が永遠を恐れても私は咎めない。ただ、憶えていてほしい。  一度永遠から逃げた君達を、私は二度と迎えはしない』  言葉と共に世界が見えなくなりました。神様は、世界にフタをしたのです。  人々は情けない神様の言葉に憤慨して、次々と唾をフタに吐きました。  人々を率いているある一族は、激しく罵倒して鳥の神を否定しました。  女王の子供達は「恩を知らない」と人々を責めましたが、怒ったある一族に次々と殺されてしまいました。  生き残った子供達は一番低い身分として、不平等に扱われました。  ある一族は新たな住処を建設すると、天を仰ぎました。  神殿を作り、昔のように祈りました。  人々も同じく、祈ります。願いは全て同じ、「2人の神様に戻ってほしい」でした。  しかし、祈っていても何も現れません。  祈りは次第に規模を大きくして、より多くの命を使って行いました。  それでも、昇った2人は帰ってきません。  やがて人々とある一族は限度を忘れてしまいます。  どれだけ望んでも、どれだけ叫んでも、何も変わらないから感覚がおかしくなったのです。  神殿は民の命で色を変え、叫びと踊りは際限なく続いていました。  チチェル族が破滅を迎える、その時まで――――。 +++++++++++++++++++++
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